「フリーライブラリアン」のすすめ

2015年8月8日
posted by 伊達 文

私の肩書の一つは、フリーライブラリアンです。「図書館外で図書館司書のようなはたらきをする人」という意味で、数年前から使っています。

きっかけは、二つありました。一つ目は、司書のはたらきは人から必要とされている、けれど届いていない、と感じる出来事があったこと。当時勤めていた大学図書館でのレファレンス(調べものの手伝い)について友人に説明すると「図書館の人にそんな質問してよかったの?」という反応をされることが、たびたびありました。図書館を利用していないわけではない友人たちの反応から、司書にできることが世間で知られていない、知られていないがために活用されていない、と感じました。

「かかりつけの司書」となるまで

そうこうしているうちに、ある年配の社会人大学院生との間で、印象に残るやりとりがありました。社会人入学をされるくらいだから、とても熱心な方です。レファレンスでは、単に質問内容だけを聞くのではなく、基本的な調べ方をとばしていきなり高度な調査方法に入り、結果的に身につかないといったことのないように、あるいはすでに質問者が知っている内容と重複しないように、質問者がどんな調査手段を知っているか、これまでどんなことを調べてきたかを図書館員の側から聞くのですが、この院生さんからは、すでに複数の図書館を回ってかなりの資料に触れてこられたことが、ありありと伝わってきました。

にもかかわらず、会話がかみあいません。おかしいなと感じながらやりとりを続けて、もしかして?と思った私は 「NACSIS Webcat(現CiNii Books。全国の、主に大学図書館などの本や雑誌を横断して検索できる)」は利用されていますか?」と尋ねました。院生さんは、NACSIS Webcat を知らなかった。たくさんの図書館を一括して検索できることを知らず、欲しい資料をもっていそうな図書館に目星をつけては、一館一館検索していたのです。

私がNACSIS Webcat について説明した後、院生さんはしばらく沈黙し「……私は……いままで……いったいどれだけの時間を無駄に……」と言いました。あの声が忘れられなくて、私はいまも、フリーライブラリアンを続けているのだと思います。

厳密に言えば、横断検索サイトではヒットせず各館の検索サイトにのみ出る資料もあるので、完全な無駄ではありません。けれども、資料を集めるための膨大な時間があるなら、資料を読むために使いたいはず。便利に発達した図書館サービスと、そのサービスを必要とする利用者が結びついていないことを感じて、強い違和感が残りました。

これだけであれば、大学図書館で働き続けて利用者と資料をつなぐことに尽力する道もあったのですが、他にも疑問点がありました。出版社に勤めないで編集したり執筆したりする編集者やライターはいるし、フリーランスのキュレーターは数は少ないけれど存在するのに、どうして司書は、常にどこかの建物や組織に所属しているのだろう?という疑問です。

ちょうどこの頃、物理的な資料や物理的な場所としての図書館がなくなった場合に、それでも司書は何をするだろうかということを考えてもいました。つきつめて考えていくと、司書のはたらきとは、ある資料と、それを必要としている人をつなぐことではないか。それができれば、司書はどこにいてもよいのでは。それなら、図書館に所属していなくても、一人でもできると考えました。これが、二つ目のきっかけです。

こうして、大学図書館員時代に勤務と並行してフリーライブラリアン活動を始めました。活動と言っても、私の場合はごくこじんまりと、友人知人に、調べたいことがあったら聞いてほしいと直接会ったときやSNSで伝えておいて質問がきたときに対応するか、SNS上で流れている疑問(場合によっては知らない人に対しても)に勝手に論拠をつけて答えたり、といったことが主です。

たとえば、欲しい本が最寄り図書館で見つからない、ある洋書の入手方法がわからない、ある単位の発音が知りたい、ネット上で読めるこれこれこういうテーマの論文が欲しい……など。高度なものになってくると海外の図書館に質問したりすることもあるので、イメージ的にはかかりつけの医者ならぬ、「かかりつけの司書」。図書館が不要とか図書館員としての司書が不要とかいう話ではもちろんなく、実際には図書館のツールを使う機会も多く、図書館との橋渡しのような存在、図書館も行っているような、さまざまな専門機関との橋渡しのような存在でもあります。

調べ方講座から見えてきたこと

調べものに取り組んでいそうな友人に対して、こちらから提案して調べ方講座を行うこともあります。ゲームクリエイターである友人に対して最近行った調べ方講座では、フリーライブラリアン活動を考える上で参考になる点がありました。

まず、事前に聞き取りを行います。普段の調べ方や、現在調べているテーマについてあらかじめ回答をもらい、それをもとに、調べ方のコツから相手の知っていることを抜いてカスタマイズした入門編と、いまの興味に沿った応用編とを準備します。

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「調べ方講座」を行った際のレジュメと資料。

具体的には、前者はさまざまな図書館の紹介、請求記号(本の背ラベルの記号)の仕組みの説明、請求記号や「件名」というもので検索すると「なんとなくこんな感じのこと」を書いた資料を探すのに便利であること……など。今回の要望は「ゲーム画面作りの参考のためのタイポグラフィやコンクリートポエトリーの資料」と比較的専門的だったので、専門図書館や一般の人でも利用しやすい大学図書館の紹介も行いました。

後者は、前半の実践が中心です。相手がいま知りたい分野に有効な請求記号の書架をざっと見たり手にとったりして、自分の知りたい内容に対して複数の請求記号(書架の配置)がありうることを実感してもらったあと、目的に適したデータベースを使って検索演習を行います。たとえば、コンクリートポエトリー(言葉の内容だけでなく、文字の形や空間配置などにも注目し、視覚的な効果も考えた詩)のようなマイナーなテーマでは丸々一冊本のテーマになっている可能性は低いことから、一般雑誌を含めた記事検索や、検索結果から目当ての記事のコピーを取り寄せる方法などを紹介しました。

この講座から見えてきたり再確認したりしたことは、第一に、調べることがあって図書館に来ていても、本は借りていても、図書館員には質問しない場合があるということ。この友人は学術論文の検索もしたことがあるほどの図書館ユーザーだったにもかかわらず、質問したことはなかったと言います。また、それと関連してか、知りたいことの載った記事だけを取り寄せるという発想はなく、一冊まるごと買っていたので、費用的にも負担だったそう。こうしたことも、利用者と図書館員の間でのやりとりが早くからあれば、違った可能性があったかもしれません。

第二に、当たり前ですが、研究者でなくても、物事をしっかり調べたい人はたくさんいて、しかしその人たちが調べ方を学ぶ機会は少ないということ。もちろん、リサーチャーや記者を筆頭に、調べることに精通した方はどこにでもいるわけですが、学校においても、学校卒業後においても、図書館情報リテラシーに触れる機会はまだ少なく、個々人の努力によるところが大きいのが現状のように思います。

第三に、意外に喜ばれたのが、調べ方云々以前に、専門図書館という存在を知ったことや、普段行くのとは違う大きな図書館に行く経験自体だったということ。この講座は友人の最寄りの図書館ではなく、友人の求めているマイナーな資料をまとまった量、書架で手にとって見ることができ、かつ図書館での並べ方が一通り分かるように、広尾の都立中央図書館で行ったのですが、結果として、図書館は一館一館違い、違う図書館に行けば自分の欲しい資料が思ったよりたくさん存在する可能性もあることを知って、他の図書館に行ってみたくなったそうです(実際にそのあと最寄り以外の図書館に足を運んだそう)。

複数の図書館に足を運ぶことで、入手できる資料はずいぶん変わってくるし、規模も蔵書の傾向も見せ方も活動もさまざまな図書館と出会う楽しさを味わえたり、地元の図書館をよりよくしていく意見が出せるような視点が育ったりもするでしょう。調べ方、と肩ひじ張らなくても、いつもと違う図書館に行ってみるツアーを行うだけでも、図書館や情報収集に対しての意識は変わるのかもしれません。こうした小さなこと一つとっても、まだまだ資料と人をつなぐ余地がありそうです。

「司書」を再定義する必要

ここまで読んで、自分もやっている、自分の方がもっとやっている、少し違うが似たことをしている、という方もおられると思います。そのとおり、私はフリーライブラリアンという名前で呼んでいますが、別の名前をつけて、あるいは名前をつけないまま、あるいは意識しないままフリーライブラリアン的な活動をしている人は、確実にいるはず。

私の周辺でも、大学図書館勤務ののち、別の部署に異動しつつも、司書能力を発揮して講習・講演や論文執筆を行っている人、司書資格を取得後、図書館には就職しなかったが、会社で後輩に資料の作り方を教えることまで含めて司書活動ととらえて行っている人など、自分の持ち味や居場所を活かして活動している人たちがいます。

こうしたフリーライブラリアン活動が増えてほしいし、認知され、利用されてほしい。図書館勤務経験や司書資格が必須というわけではないですが、たとえば元図書館員、あるいは図書館員になる勉強をしたが図書館員にはならなかった人だけでも、潜在的なフリーライブラリアンは大量にいます。

もちろん、どんな資格も、資格取得後にその能力を職業と直接結びつけないことはあるし、そのこと自体が問題なわけではありません。しかし、目的の情報にたどり着くまでの道のりが便利なようで複雑化し、自覚的、無自覚的に情報収集に困っている人がいる中で、司書の素地をもった人には、少なからぬ需要があるのではないでしょうか。

情報を取得し活用することがますます重要になっていく中で、図書館自体もさまざまな要望に応えていくでしょうし、フリーライブラリアンにも幅が生まれ、高度な質問に応えて職業化していく人もいれば、私のように、細く長く身近な場所でやっていく人もいると思います。今回は調べる機能を中心に書きましたが、私の活動で言えば、「知りたいこと」を書かれたものからの知識として提供するのではなく、体験するという形で提供するために、イベント開催も行っています。面白かった本を紹介してほしいという友人の要望で、メルマガを出していたこともあります。世の中にはいろんな図書館があるし、いろんなフリーライブラリアンがいていいと思います。

そもそも司書とは何でしょう(文部科学省のサイトでの説明はこちら。Wikipediaの解説はこちら)。図書館員とは、図書館で働いている人です。しかし、司書であるということは、必ずしもある図書館に勤めているということではなく、問題解決の仕方が司書的であるということではないでしょうか。これは仕事本来のあり方だと思います。世の中に足りないものがあったら、製造者が物を作り、販売者が商品を売るように、足りないことがあれば、サービスが埋め合わせるように、司書はあらゆる場所で、これらのことすべてが起こるのに必要な情報を巡らせ、新たな知識や実践の誕生を活発化させます。

フリーライブラリアンをしようと思ったのは、図書館にいて利用者を待つというスタンスではなくやりたいことがあったから。図書館の中にいてこそできることもあるし、中から外に働きかけることもできる。公共図書館、大学図書館、専門図書館、そしてその中の一つ一つの図書館には、それぞれの役割があり、場をもっている図書館ならではの特性や、周囲と連携した働きがあります。一方で、自分のまわりで情報に困っている人を見つけたほうが、自発的には来なかった人に伝えられる場合もあると思いました。

あるサービスを知らない人は、自分からそのサービスを利用したいとは言いません。けれどそれは、そのサービスを利用したくないとか、必要としていないとかいうことではない。司書には、司書自身が思うよりも、すでに図書館を利用している人が思うよりも、そして図書館を利用していない人が思うよりも、きっとまだまだ、やれることがあります。

作家団体と書店組合が対アマゾンで手を取り合う

2015年7月28日
posted by 大原ケイ

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アマゾンへの「しっぺ返し」

複数の米作家団体+書店組合が司法省に陳情「独禁法違反の疑いでAmazon社を調査してほしい」(2015年7月14日 hon.jp)

このニュースを聴いても、正直なところ、たいした驚きはなかった。どちらかと言えば「やっぱりやるのね、あなたたちは」という、自分と関係ない戦に出兵する人たちを見送っているような……。

本を売るリテイラーとしては、アメリカでネット販売される紙の本の4分の3、紙の本全体の3割、Eブック全体の6割を売りさばく、いまやいちばん強大な「アカウント」となったアマゾン。彼らこそが、市場を独占している寡占企業ではないのか?――という声は、5年前に米司法省が米最大手5社の出版社(ビッグ5)とiBooksを展開するアップルを電子書籍の販売における談合のカドで訴えた頃から聞こえていた。この訴訟につながった調査依頼をしたのは他ならぬアマゾンだったから、今回の動きを当然のしっぺ返しととる向きもある。

EUではアマゾンの企業活動を制限しようとする動きがあり、今回の調査依頼もそれに倣ったものだという見方をしている記事もいくつかあったが、あまり関係ないように思える。アメリカの企業であるアマゾンが、ヨーロッパ各地でEブックの販売を締め付けられるような目に遭っているからって、アメリカ政府までもがその流れに乗じるって、変でしょ?

驚きがあったとすれば、複数の作家協会と全米書店協会が手を組んで原告に名を連ねていることだろうか。私の記憶では、ときに相反する利害関係をもつ「作家」と「書店」の団体がこういったかたちでタッグチームを組んだことはかつてなかった。

スリラー作家の復讐

仕掛け人というか、言い出しっぺというか、今回の調査依頼の取りまとめをしている人物はスリラー作家のダグラス・プレストンだ(FBIのペンダーガスト特別捜査官が活躍する『レリック』など一連のリンカーン・チャイルドとの共著や、単独執筆者としてテクノ・スリラーも書いている。考古学や地質学などの分野でニューヨーカー誌に寄稿しているかと思えば、イタリアに移り住んで地元の事件に首を突っ込んでノンフィクションを書いたりもする多才な人)。

ビッグ5出版社のひとつ、アシェットが、一昨年にEブックの卸値をめぐりアマゾンと揉めたことがあった。業を煮やしたアマゾンは、自社のコマースサイトから一時的にアシェットの本を買えなくしてしまった。プレストンはこのときに大いに迷惑を被った(つまりは入って来るはずの印税が入ってこなかった)作家の一人でもある。

このときアマゾンの処置に怒ったプレストンは、まず作家仲間に呼びかけて抗議署名を集める運動を始め、最終的に1000人以上が同意した。それが今回、独禁法違反についての調査依頼を呼びかけている「オーサーズ・ユナイテッド(Authors United)」という組織にまで発展した。

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オーサーズ・ユナイテッドはサイト上でアマゾンに送った文面を公開している。

アマゾンとアシェットが契約に合意した後もプレストンは、2014年の9月に「ニュー・アメリカ・ファウンデーション(米国内外の政策シンクタンク)」のバリー・リンに依頼し、司法省宛てにアマゾンが独禁法に違反していないか調査することを促す要請書を書かせている。そのレポートが満を持してこのたび提出され、他の2団体もそれぞれの立場から同様の調査依頼を求める陳情書を提出したというわけだ。

これらの陳情書では、政府に対して、メディアのひとつである書籍に対して巨大な影響力をもつ企業として、はたしてアマゾンはきちんと法を遵守しているか――つまり表現の自由を司るわれわれ書籍出版社の力を抑圧していないかどうか、お調べになった方がようござんすよ、と言っているのである。

「表現の自由」を保証した憲法修正第一条に違反?

オーサーズ・ユナイテッドがこの調査依頼で指摘しているのは以下の点だ。

  • この11年間、出版社に圧力をかけるために、アマゾンは何千人もの著者の本を売りにくくしてきた。
  • 2014年のアシェットとの交渉の際には、その作家の政治的志向(アマゾンの立場を支持するかどうか)次第で本を売る・売らないを決めるなど、コンテンツ販売において制限をした疑いがある。
  • 「顧客側における独占(monopsony)」の力によって、出版社からもっと有利な卸値で本を卸させようとした。このため出版社も、アマゾン上で売りにくいと思われる、異色だけど地味な作品や、炎上しそうな内容の本を作らない傾向にある。
  • 本以外の商品の顧客を掴むために、赤字覚悟で仕入れ値より安い値段で本をしばしば販売した。ディスカウントで太刀打ちできないリテイラー、たとえばボーダーズがつぶれたり、長年にわたるこうしたやり方のせいで本の価格破壊が起きている。
  • 新聞、テレビ、ラジオにおいては1社だけの独占状態にならないように法律を作り、取り締まっているのに、なぜ本だけは独占状態を放置するのか?  ネットの情報においてもnet neutrality(ネットの中立性)が米国議会で問題にされている時期だというのに?

これらの事柄が調査によって立証されれば、政府がそれを放置するのは「表現の自由」を保証した憲法修正第一条に違反することになる。彼らとしては、こうした方向に持って行きたいのだろう。

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オーサーズ・ギルドは由緒ある作家団体。

もう一つの作家団体である「オーサーズ・ギルド(Authors Guild)」は、1912年にニューヨークで結成されたライターたちの組織 The Authors League of Americaから、1921年に脚本家・作曲家・作詞家が別団体を立ち上げたため、枝分かれして誕生した。その際には、セオドア・ルーズベルト(大統領としての最後の仕事は1909年に著作法を制定したこと)が副会長を務めたほどの由緒ある作家団体である。オーサーズ・ギルドは、著作権保護期間の拡大にかんしてはこれを支持し、言論規制にかんしては反対する立場をつねに明確に表明してきた。

オーサーズ・ギルドのロクサーナ・ロビンソン会長は、今回の司法省への調査依頼への同意書のなかで、「米司法省対アップル社の上訴審では談合はなかった」とするアップルの言い分を退けた判事3人の言葉を挙げている。判事らはこの上訴審で、当時のEブック市場ではアマゾン(Kindle)のシェアは90%に及んでおり、寡占状態だったことを認めていた。

インディー書店が調査依頼に賛同する理由

一方で、アマゾン誕生当初からいち早くこれを書店を脅かす存在だと認知し、闘いを続けてきた「町の小さな本屋さん」の団体であるABA(全米書店協会)も調査依頼者に名を連ねているが、その立ち位置が興味深い。

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ABAは全米のインディー書店を組織した団体。

全米書店協会と聞いて、日本のように「本が売れない」と嘆いている大型書店チェーンの業界団体のようなものをイメージしてはいけない。ABAはインディー書店と呼ばれる小さい本屋さんの集まりで、バーンズ&ノーブルやブックス・ア・ミリオンといった全国展開をしているチェーン店はメンバーに含まれない。

そのABAが今回の調査依頼に賛同したのは、アマゾンが自分たちの存続を脅かすという理由ではなく、出版社と著者を守ることが「本のエコシステム」にとって不可欠だから、という立場からなのだ。アマゾンのせいで米国内の書店が閉店に追い込まれていることは、弱肉強食のビジネスである以上、仕方がないことと受け止め、自分たちなりに対処する。だが、出版社にはもはや「アマゾンと取引しない」という選択肢はないのだから、その立場は守られるべきだと擁護しているのだ。カラ元気だとしても、その潔さにシビれてしまう(ABAのメンバーであるインディー書店のオーナーたちや、オレン・テイチャー会長とは面識があるので贔屓目になってしまうが)。

だが、そんな個人的な感情を抜きにしても、この調査依頼を訴える手紙の宛先が気になる。ウィリアム・ベア(William Baer)という人物は司法省反トラスト法部の司法次官補なのだが、この人はかつてのアップル対司法省の談合裁判を「現状を打開する新しい企業の進出を、旧来の企業が談合で阻止しようとした例」だと発言しているからだ。

たしかにアップルのiBooksを、Kindleに対抗しうるものとしてエージェンシー・モデル契約で歓迎した大手出版社は、アマゾンによる電子書籍の価格破壊によって自らの利益が損なわれることをも懸念したろう。だが、読者が安価で本を楽しめることだけでなく、もうひとつ他にも出版社が守らなければならないものがある。そのことをベア氏はわかっているのだろうか。それは出版社にとっての金の卵、つまりコンテンツとなる本を書く著者たちだ。著者団体からこの陳情書を突きつけられて、この人はどう判断するだろうか。

作家個人や書店の利益損害というのは、まだ矮小な問題でしかない。それだけではなく、大手書店の存続のためでもなく、表現の自由と、健全な文化の発展を可能とするエコシステムを守るために小き者が立ち上がった、という図式で捕らえるべきなのではないか。この観点に立つなら、アマゾンは彼らを捕って喰らう巨人に他ならないのだから。

ちなみに、今回の三つの団体の調査依頼陳情書の原文は、ニューヨーク・タイムズのサイトですべて読むことができる。

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大学は《自由》だから息苦しい

2015年7月15日
posted by 荒木優太

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なんとも溜息の出る本を読んでしまった。

近代日本文学を専門とする名古屋大学准教授の日比嘉高『いま、大学で何が起こっているのか』(ひつじ書房、2015・5)は、文部科学省を中心に大学改革の名で現在唱えられている、文学部の縮小・廃止政策や人文社会系不要論に対して、社会全体の自由と多様性の観点から危機感を表明する警世の書である。もとは日比のブログで発表されたものだ。

溜息の原因は、文系学問に対してほとんど敬意のない文科省やその主張を後押しする世の空気感を改めて確認したことも当然ある。ただ、それ以上にがっかりしてしまうのは、『いま、大学で何が起こっているのか』という本が、好意的に書けば正論すぎて、率直に書けばフツーすぎて、単純にツマラナイということにある。

急いで断っておかねばならない。私は在野(大学に所属しない)研究者である。それ故、「ツマラナイ」などと書くと、官学者のものなどポジショニング的に味噌も糞も一緒にして罵倒するに決まっている、と政治的に読まれてしまうかもしれない。

しかし、それは誤解だ(と私は私を信じている)。日比の代表作『〈自己表象〉の文学史――自分を書く小説の登場』(翰林書房、2002)は、今日〈私小説〉を論じるにさいし必読の文献であることを私は疑わない。あるいは、専門の有島武郎研究に即していえば、論文「洋上の渡米花嫁――有島武郎「或る女のグリンプス」と日系アメリカ移民」(『有島武郎研究』、2011・6)などは、『或る女のグリンプス』――『或る女』の原形である――の主人公・田鶴子を、1910年代から新たに登場した渡米する女性表象の類型から読み解くユニークな論考だと思う。

ようするに、研究者としての日比の仕事を私は決して否定するものではない。しかし、にもかかわらず、『いま、大学で何が起こっているのか』には不満がある。

〈大学の自由〉とは何か?

いちばん違和感をおぼえたのは、日比の「自由」に対する考え方である。日比は大学が創造的であるためには「自由と多様性」を帯びなければなければならないと主張し、その観点から役に立たない(と思われがちな)人文社会系学問の擁護論を様々な角度から展開している。

「本書を通して、つまるところ私が主張したいのは、大学の創造性を本当に発揮させるために必要なのは、効率化や「選択と集中」などといった経営的観点などではないということである。大学で行われる研究が創造的であり、大学で行われる教育が豊かなものであるために必要なのは、自由さと多様性である」(ⅴ-ⅵ)

日比のいう「自由」とは具体的にいえば「時間の自由、思考の自由、行動の自由、研究資金の使途の自由」を指す。本書後半部の言葉に従えば、それは隙間やゆとりをも意味する「アソビ」でもある。「多様性」とは「互いに異なった者が多数集まって交流しあう」ような状態のことだ。一見、この二つは相互補完的なものにみえる。つまり、自由であるから様々な他者に開かれ、また様々な他者が共存しているからこそ自由の理念が守られなければならない、と。

しかし、〈大学の自由〉という観念には、よほど注意が必要だ。

潮木守一『キャンパスの生態誌――大学とは何だろう』(第四章、中公新書、1986)をひもとこう。19世紀のドイツ、近代的大学は研究と教育の統一を説いたフンボルト理念を体現したとするベルリン大学から始まった、といわれている。しかし、その大学の事始めともいうべき場所での「自由」とは、現在の我々からみて決して称揚すべきものではなかった。

たとえばこうだ。1880年代、名物教授トライチュケは教室のなかで熱狂的なナショナリズムとともに、政府や皇帝を攻撃し、反ユダヤ主義の政治的アピールやアジテーションを繰り返した。それはユダヤ人排斥の学生運動にまで発展した。断っておけば、教授が政治的な扇動を行うことはドイツでは稀なことではなかった。

なぜこのようなことが許されたのか? 多くの教授は、政治的立場であれ個人的判断であれ、教室で何を主張しようと、それは「大学の自由」であると信じていたからだ。逆に、一歩でも教室の外に出てしまえば、彼らはただちに国家官吏としての振る舞いを期待され、それに違反すれば即座に罰せられた。

当時学生だったマックス・ヴェーバーはこのような教授らの態度を痛烈に批判した。

「大学は「国家に敵対的な」ものであれ、「国家に友好的な」ものであれ、あるいは他のどんなものであっても、世界観を教えてはならない」(「大学の教職の自由」(1909年)、『ウェーバーの大学論』収、上山安敏ほか訳、p.57、木鐸社、1979)。

教師は自身の価値観や政治観をカッコがけして、教育の内容を学生がある世界観を学ぶ一歩手前までで留めなければならない。あとのことは学生の自由を尊重し、彼らの責任で選択すべきだ。

教師の思想信条や政治的立場を無条件に喧伝できることが〈大学の自由〉なのか、それとも、そのような偏差を排して公平中立な授業を学生に授けることを通じて学生個々人が自律的に選択していく条件を整えることが〈大学の自由〉なのか(この論点は第8章「東京大学「軍事研究解禁」騒動とデュアル・ユース」と関係していよう)。

ここでは答えは出さない、というよりも難しくて出せない。しかし、難問から学ぶべきことはある。何がいいたいかというと、〈学問の自由〉(アカデミック・フリーダム)は、どの主体のどんな観点に準拠するかによって、その内実が変幻自在となり、さらにいえば、ある主体の自由の行使は別の主体の自由を侵す不自由に直結してしまうということだ。自由と自由のコンフリクトがここにある。

自由に開かれていること=ノイズに開かれていること

このこと自体は、自由さと多様性の両立にさいして発生する一般的なパラドックスの変奏である。出版の自由は『絶歌』の販売や図書館による開架を認めるべきだろうか? ヘイトスピーチのような多様性を攻撃するような多様性も認めなければならないのだろうか? 快刀乱麻が困難な(と私には思える)問題を大学もまた抱えている。

そして、このような少し俯瞰した観点から見てみると、「自由さと多様性」を称揚する日比の態度はややナイーブに見える。大学に自由がないという主張は、ある偏った見解――偏りが即座に悪いと言っているのではないが――に由来しているように思える。

少しだけややこしいことを述べたい。自由のコンフリクト状態、あるいは、自由の奪い合いが生じるのは、逆説的なことだが、その場が《自由》に開かれているあかしではないか。《自由》に開かれているからこそ、多くの主体がそこに参加でき、相互に主張する「自由」が拮抗することになる。もし一種類の自由しかなければ、それは即ちひとつの主体の占領に等しい。そこでは自由を意識することさえないかもしれない。ある主体が自身の「自由」に制約を感じる、正にその瞬間にこそ、そこは様々な「自由」が入り乱れる多様な場所として評価することができる。

つまり、日比が「大学に「役立つ」ことだけを求める」「恐ろしくて、息苦しくて、貧しい社会」(p.8)を感じれば感じるほど、逆にそれは大学が《自由》に開かれている証拠なのではないか、と思えてしまうのだ。

現在の大学のステイクホルダー(利害関係者)は、教員や学生だけではない。学費を払う学生の父母、納税者、卒業生を受け入れる企業など、社会一般が大学に期待を寄せ、直接的・間接的に関与している。大学そのものが《自由》であるということは、同時に、様々なノイズと喧騒を学内に呼び込んでしまうということだ。

「学問の自由は、ただ学問の進歩のために在るのではない」(p.111)。正しい。しかし、それ故にこそ「学問の自由」に対して誰もが容喙できる状況が到来する。日比の訴えは逆説的にその《自由》を証明しているようにみえるのだ。

「このスットコドッコイ!」となぜ言えないのか?

もし日比がノイズなき自由を享受したいのならば、研究者仲間からなる専門家集団を造って、その中で隠遁生活でも送ればいいだろう。元々、ユニヴァーシティとは中世のウニヴェルシィタスに由来し、これは「学問の普遍性(ユニヴァーサリティ)や学知の宇宙(ユニヴァース)とは何ら関係のない」、利害関係を同じくする学生や教師の組合団体を指していた(吉見俊哉『大学とは何か』、p.28、岩波新書、2011)。日比は「「社会的要請の高い分野」だけからなる学校、それは大学universityとは言わない。大学universityの中には、宇宙・世界universeが入っていなければならない」(p.5)と述べるが、この大学理解は歴史的には間違っている。

といっても、日比はそれほどまでに大胆な自由を求めているわけではない。「教師のスキルとマインドをもったヒトの活躍の場は学校の中だけではない」(p.6)といった論述や、度重なる人文系の社会的意義の強調などからは、市民社会と地続きにある大学を、合意形成可能なかたちで維持したいという意志を感じる。

自由をめぐる闘争のなかで自分たちの領分(文学部の側、研究者の側)が極めて劣勢だからもうちょっと助けてくれてもいいじゃないですか、といったところだろうか。その嘆願自体は、少なくとも(建前上の)大学の理念からみて正統性がないわけではないと思う。

けれども、私がツマラナサを感じてしまうのは、正しくその折衷的態度である。

私は文学研究というのものが極めて崇高なものだと思っている。それは就職のための道具や自分を知的に飾るアクセサリーなどでは、断じてない。文学研究とは、それ自体で面白おかしいものであり、楽しくて楽しくて仕方ないものだ。たとえ充実した成果を残せなかったとしても、そのような営みを続けられるということは、一つの幸福である。

そのような理想主義的(?)な人間から見ると、文科省の文系をナメ切った態度には、憤怒を通り越して呆れるほかない。「スーパーグローバル大学」などいうセンスの欠片もない文言を恥ずかしげもなく用いる文科省が実に下らないという点に於いて、私は日比と意見を同じくする。

問題は、そんな下らない連中に、どうしてもカネをせびらなければならないのか? ということだ。文学研究が社会にとって重要なのは自明のことである。ならば、武士は食わねど高楊枝。「そんな大学ならこっちから願い下げだよ、このスットコドッコイ!」と、絶縁状を叩きつけて、社会のため、人のため、なにより己のために勝手に働いてはいけないのだろうか。そんな気概溢れる連中を見捨てるほど、この社会の成員は薄情なのだろうか。

実のところ、世間知らずのせいか、私はそうは思わないのである。

官学と指導的学問

大槻憲二のことを思い出す。昭和初期にフロイト全集の翻訳を担当し、日本初の精神分析専門誌『精神分析』を創刊し(1933年~)、また同じく日本初となる精神分析学辞典(1961年)を完成させた、大学に属さない在野の研究者だ。

大槻は学問を「技術的学問」(いわゆる理系)と「指導的学問」(いわゆる文系)の二つに分け、「官学の畑には結局、技術的学問が最も適当してゐる」(「時評」、『精神分析』、p.79、1935・5&6)と主張した。しかし、この提言は文系が不必要なものだということを意味していたのではない。指導的学問は、政治家や権力を絶えず監視し、あるべき状態に指導するように「批評」しなければならない。そのような大事な機能は、大学に飼い馴らされてはいけない。余りに重要であるがためにこそ、文系は在野にあらねばならないのだ。

「古来(ソクラテス以来)最も偉大な学者や宗教教〔ママ〕や詩人は当代への叛逆者であり、時の権力に依つて犯罪者として処罰又は虐待されてゐるものであることを考へて御覧なさい。(叛逆のために叛逆せよと云ふのではない。)而も事実上、彼等こそは当代文化の促進者であつたのだ。かゝる叛逆者は官学の畑からは出てはならないし、また出もしないのだ」(p.80)

大槻は保守に分類される評論家でもあった。その多くの(しばしば極端でトンデモ感のある)論説に左翼的な私は共感しない。けれども、「官学徒よ、自由の天地に還れ!」(p.82)で締めくくられる、この指導的学問論には一定の説得力があると思う。

大学が学問研究を擁護してくれないからといって悲嘆に暮れる必要はないのではないか。あんなに魅力的で創造的な学知を抱えたくないというのなら、頭が悪いんだなと思って、ほっておくことにしよう。目指すべきは、この社会を大学以上に大学的な学び舎に変えていくことであり、そのとき、政府に申し立てるべきは過去の資料への自由なアクセス権であり、余暇を十分に獲得できる労働環境一般の改善である。

オレが文学部だ!

日比は次のように述べる。

「大学にはたとえば、教育大学に入ったけれど教員にならなくて/なれなくて卒業する学生や、百年も前に書かれた小説の解釈――たとえば夏目漱石の「坊つちやん」に出てくるうらなり君の再評価に血道を上げる院生や、ブラジルに住むドイツ系移民の子孫がどれくらいどのようにして祖国の文化を引き継いでいるのかということについて熱弁をふるう教員が、いてもいい。いなければ、ならない」(p.6)

正しい。しかし、その生存と価値を認める審級は決して大学であってはならない。少なくとも大学が専有してはならない。大学に所属しようがしなかろうが、彼らは社会によって認められなければならない。そして、そのような目指すべき社会のありようは、大学の外でさえ活動する彼らの行為そのものによって生まれるのではないか。

社会の設計図は社会的な行為そのものである。

たとえ文学部が滅ぼうとも、文学研究は続く。いや、続けていく。不遜を承知のうえでいうなら、「オレが文学部だ」とさえ言ってもいい。カネや建物やカリキュラムがなくなっても、何かを知りたいという欲望はなくならない。それが枯渇しない限り、大学は人として生きていく。

ならば、また小さな団体から始めたっていいじゃないか。もしかしたら、できないことは増えるかもしれない。それでも、息(生き)苦しさからは少しだけ解放されるだろう。

元少年A『絶歌』の出版が投げかけたもの

2015年7月13日
posted by 渋井哲也

1997年5月27日、神戸市須磨区にある友が丘中学校の校門前に、行方不明になっていた小6男児の頭部が置かれていた。そこにあった「犯行声明文」には警察に対する挑発的な内容が書かれており、筆跡が似ていた少年A(当時14歳)が犯行を認めた。少年は他にも2人の女児を殺傷していた。いわゆる「神戸児童連続殺傷事件」である。

医療少年院での治療と保護観察を経て社会復帰したその元少年Aが執筆した『絶歌』(太田出版)が話題となり、ベストセラーとなっている。

この本をめぐっては様々な論点がある。私もすでに他のニュースサイトで記事を書いている。出版の是非については、<【神戸児童連続殺傷事件】元少年Aの告白本『絶歌』出版の是非>(東京ブレイキングニュース、2015年6月11日)、事実関係の記述については、<元少年Aの手記には「3つの重大な疑問」について書かれていない――果たして彼は本物なのか?>(トカナ、2015年6月13日)、加害者心理についても、<「どうして人を殺してはいけないのか?」元少年Aの結論とは?――『絶歌』から加害者心理を読む>同、2015年6月16日)を執筆した。今回は他の論点を述べたい。

これまでの犯罪告白本は騒がれないのに…

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なぜこれほどまでに『絶歌』が注目されることになったのか。母親に「元少年Aみたいにならないように」と育てられたにもかかわらず、結果として、秋葉原通り魔殺傷事件を起こした死刑囚、加藤智大は『解』『解+』『東拘永夜抄』『殺人予防』(すべて批評社)を出版した。事件の被害者や裁判を傍聴した人、私を含め多くのジャーナリストやマスコミが加藤へ対して拘置所に手紙を出したが、返事はない。これらの本が回答なのだろう。

同じように少年事件で死刑判決を受けた永山則夫の『無知の涙』(河出書房新社)、東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件で死刑が執行された宮崎勤の『夢のなか 連続幼女殺害事件被告の告白』と『夢のなか いまも』(いずれも創出版)、和歌山毒物カレー事件の死刑囚、林真須美(再審請求中)の『死刑判決は「シルエット・ロマンス」を聴きながら〜林真須美 家族との書簡集』(講談社)….。これらの出版の是非については、『絶歌』ほど議論されなかった。

『絶歌』が騒動となった最大の理由は、著者の得体の知れなさではないか。また少年法の理念である「更生」がかなったのかも気になるのだろう。これほどのネット社会にもかかわらず、元少年Aの身元が特定されたり、取材が実現したことは一度もない。主要な犯罪者の手記では唯一、匿名による出版だ。そのことが醸し出す不安感もあるのではないか。

図書館の対応

また、すでに出版された書籍をどう扱うのかも問われる。とくに公共図書館はその議論の最前線に置かれる。

日本図書館協会・図書館の自由委員会は「図書館資料の収集・提供の原則について」という確認文書をウェブサイトで公開している。「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」では、「図書館は資料収集の自由を有する」として、図書館員の個人的な関心や好みによって選択しない、個人・組織・団体からの圧力や干渉によって収集の自由を放棄したり、糾弾をおそれて自己規制したりはしない、などとされている。つまり、図書館がある資料を収集するかどうかは、図書館自身の判断で行うべきというものだ。

さらに、自由宣言では提供制限を行なわないことが原則だが、①人権またはプライバシーを侵害するもの、②わいせつ出版物との判決が確定したもの、③寄贈または寄託資料のうち、寄贈者または寄託者が公開を否とする非刊行資料の場合は提供を制限されることがある、としている。神戸事件当時、新潮社の写真週刊誌「FOCUS」(1997年5月24日号)は少年Aの写真を掲載したが、全国の図書館では、①を理由に閲覧制限をしたことがある。

ただ、図書館が先走りした例がないわけではない。サリンを自作して、暗殺を図るといった内容が書かれているジョン・アボットの小説『みどりの刺青』(福武書店、当時)があるが、1994年の松本サリン事件が起きた後、事件の舞台となった松本市の市立中央図書館は貸出を一時、停止したと報道された。これは、自由宣言に照らした見解を出せるように、貸出前に職員がまず読んでいたのだ。

その後、貸出を再開し、図書館は利用者懇談会を開いた。職員の検討を優先させ、その間は市民への貸出をしなかったことは安易な判断で、自己規制につながる印象を市民に与えたなどの反省がなされた。

今回の『絶歌』の事件の舞台となった神戸市はどうか。神戸市の久元喜造市長は記者会見で、「遺族への配慮がされず出版され、その結果、遺族が精神的苦痛を受けたことは大変遺憾」などとして、市立図書館では購入しない方針を明らかにした。だが「図書館の自由に関する宣言」では資料収集の自由をうたっている。これは「個人・組織・団体の圧力や干渉」に当たらないのだろうか。

かつて図書館の自由委員会は、2013年8月、「中沢啓治著『はだしのゲン』の利用制限について(要望)」のなかで、「学校図書館の自由な利用が歪むことが深く懸念されます」と述べ、自主的な読書活動を尊重する観点から、利用制限を再考することを求めたことがある。

この時はすでに所蔵されていた資料の利用制限だったが、今回は、まだ収集していない資料を購入するか否かが論点だ。自由な読書が保証されるためには、市長という権力者の判断によって購入するかどうかを決めてはならないと私は考えるが、市としては被害者感情を優先したかたちなのだろう。だが、

「図書館は、自らの責任において作成した収集方針にもとづき資料の選択および収集を行う」

という自由宣言の項目に込められた図書館の独立性は『絶歌』にも適用されなければならない。市長の判断ではなく、図書館の判断として、収集の自由という原則を踏まえた上で、今回は購入しないと判断したとなれば問題がないだろう。会見では「教育委員会の権限」と言っていたが、どんな議論があったのかは公開すべきではないか。

少年は「更生」したのか?

医療少年院から出た後の、事件から7年目の春から始まるのが[第二部]だ。社会に出たいと思った元少年Aは、さらなる更生のために歩み出す。

その象徴的な出来事として、更生保護施設に一旦入ったものの、観察官に荷物をまとめるように言われるところがある。施設に入所していた人物に「少年A」だと察知され、他の入所者にまでさとられてしまったことが理由だった。そのため、別の施設を探す間、ウィークリーマンションに泊まるが、結局は「少年A」だとわかりつつ受け入れてくれる施設は、その施設しかなかった。身分を隠さなければ、社会に出られない現実を知ったに違いない。

ところで、彼には病識がないのではないか。つまり、自分は精神を病んでいないと思っているのではないか。「文藝春秋」2015年5月号に掲載された神戸家裁の「決定全文」では鑑定結果についてこう書いてある。

「ロールシャッハテストによると、現在は、他者への共感力に乏しく、他者の存在や価値を認めようとせず、対人関係に不安・緊張が強く、人間関係の維持が困難」

「TAT(絵画統覚検査)所見は、現在は、他者に対する被害感が強く裏腹に強い攻撃性と完全な支配性を持つ(人間関係は、攻撃するかされるか、支配するかされるかの関係である)」

この心理鑑定の結果は医療少年院に入る前のものであるため、社会に出た後でも彼自身にこうした傾向があるかどうかはわからない。その自問自答を元少年Aはこう表現している。自分自身を客観視しようとする試みなのだろう。

なぜ僕は生きているのだろう?
病気になっていないのだろう?
救いようもなく壊れているからなのか?
それともまだ逃げ続けているからなのか?
本当のところ、自分でもわからない。いったいどっちなのか……。(206ページ)

また、人に対する「信頼」を回復していく過程も描かれている。たとえば身元引受人になったYさん夫婦に対する考え方が書かれている。「Yさん」は少年Aを友人や知人に「息子です」と紹介した。「奥さん」は自分がかつてどんな事件を起こしたのか知りつつ、生半可な気持ちで受け入れたのではないとの姿勢を感じ取っているのだ。その「奥さん」の気持ちをちゃんと受け止めることができないことも素直に記している。

――本当は嫌なくせに――

心のなかでそう呟きながら、自分の過去を口実にして、僕は奥さんに対して壁を作っていた。僕は最低だった。卑屈で、醜くて、人の気持ちを想像できない、歪みきった人間だった。(212ページ)

そして、こうした彼なりの試行錯誤の結果も見ることができる。次のような記述にも注目したい。

居場所を求めて彷徨い続けた。どこへ行っても僕はストレンジャーだった。長い彷徨の果てに僕が最後に辿り着いた居場所、自分が自分でいられる安息の地は、自分の中にしかなかった。(281ページ)

かつて彼の居場所は、タンク山、向畑ノ池、入角ノ池といった自然環境だった。そこは「美しい」場所でもあったが、現実逃避の場所でもあった。それが、「自分の中にしかなかった」と思うようになるほど、罪を犯した自分が内省することでしか「更生」できないと感じたのだろう。

「ゲーム」は終わったのか?

ただし、「更生」に向かっていると同時に、「僕は、僕でなくなった」(6ページ)状態が続いていた中で、自己表現をしたい葛藤にかられていく。「元少年A」として彼がこの本を書く理由が、あとがきにもなっている謝罪文「被害者のご家族の皆様へ」にはこうある。

この十一年、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。僕はひたすら声を押しころし生きてきました。それはすべて自業自得であり、それに対して「辛い」「苦しい」などと口にすることは、僕には許されないと思います。でも、僕は、とうとうそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の想いを語りたい、自分の生の軌跡を形にして遺したい。(293ページ)

謝罪とともに自己表現したい気落ちに揺れ動いていたのは感じ取れる。その苦しさもわからないでもない。しかし、元少年Aは3人を殺傷し、A自身の家族を含めると4つの家族の人生を大きく変えてしまった。その意味で、苦しみを抱き続ける責任はあるだろう。出版をするのであれば、土師淳くんや山下彩花ちゃんの遺族たちに、できるだけの誠意を見せられなかったのか。同意を得られないとしても、努力すべきだった。

僕はこの本を書く以外に、もう自分の生を掴みとる手段がありませんでした。(294ページ)

自己顕示欲をむき出しにした部分だ。謝罪文自体はとても誠実に書かれていると感じるが、この動機を記した部分を読むと、まだ更生しきっていないのではないかと思わせる。近所の主婦を殺害した愛知県豊川市の少年、「猛末期頽死(モウマッキタイシ)と名乗り女子高生を殺害した西尾市の少年、訪ねてきた老女を殺害した名古屋大学の少女ら「人を殺してみたかった」という動機を持つ少年少女にとって、「酒鬼薔薇聖斗」はカリスマ的な人物だった。しかし、この本ではむしろ、カリスマのなさを露呈している。

かつて元少年Aは犯行声明の冒頭で「さあ、ゲームの始まりです」と書いた。この出版は「ゲーム」を終わらせるためだったのだろうか。

Editor’s note

2015年7月10日
posted by 仲俣暁生

「マガジン航」のリニューアル後、最初のエディターズ・ノートです。昨日の記事で、今年2月に東京・新宿の紀伊國屋サザンシアターで行われたシンポジウム「公共図書館はほんとうに本の敵?〜公共図書館・書店・作家・出版社が共生する「活字文化」の未来を考える」の記録を、公益社団法人日本文藝家協会が発行する「文藝家協会ニュース」特別号から全文転載しました(「公共図書館はほんとうに本の敵?」マガジン航、7月9日)。

開催後、このシンポジウムについてはウェブ上にいくつもレポートが掲載されました。たとえば産経ニュースは5月16日の【日本の議論】という欄で、『悪い図書館「究極の寄贈図書館は東京拘置所」…市民にとって“気持ちいい図書館”が本当に良いのか』という記事を掲載しています。ちなみにこの記事では以下のようなリード文が掲げられています。

話題の新刊が並び、新聞も主要各紙を読むことができ、市区内に複数の館が開設されるなど近年、公共図書館の充実が著しい。しかしそれは読者にとって万々歳 なのだろうか-と疑問を投げかける集会が都内で開かれた。こうした図書館には住民の要望が反映されているものだが、それが行き過ぎると大変なことになって しまうというのだ。一体どういうことなのだろうか。

開催後に発売された 『文學界』(2015年4月号)にも、このシンポジウムの抄録を含む特集が組まれました。ただしそのタイトルは、「本の敵?」という問いに対するネガティブな回答であるのように、なぜか「図書館に異議あり!」となっていました。

さらに、この開催に先立って発売された『新潮45』(2015年2月号)でも、シンポジウムと連動したと思われる特集『「出版文化」こそ国の根幹である』が組まれており、登壇者でもある作家の林真理子氏(「本はタダではありません!」)、新潮社常務取締役の石井昂氏(「図書館の“錦の御旗”が出版社を潰す」)が講演内容に則した寄稿をしています。いずれも、公共図書館に対して、否定的と受け取れる題名です。

いずれも、図書館は「敵」であるといわんばかりのキャンペーンとしか受け取れません。しかも、これらの報道や雑誌特集で紹介されていたのはいずれも抄録や抜粋であり、シンポジウムが開催された趣旨や文脈がいまひとつ不明瞭でした。そのため、きわめて重要なテーマであるにもかかわらず、これらの記事を読んで消化不良の感を抱いた方も多かったのではないでしょうか。このシンポジウムに参加しなかった私もその一人です。

もっとフェアな議論を!

そんな折、このシンポジウムの記録を時系列でまとめた「文藝家協会ニュース」特別号が届きました。「マガジン航」編集発行人である私は日本文藝家協会会員でもあるため、たまたま送られてきたのです。

ウェブや雑誌で展開されている一方的なキャンペーンにまどわされず、公共図書館の問題を冷静に議論するうえで、シンポジウム当日の話の流れに忠実に構成されたこの内容をウェブで公開することが不可欠だと私は考えました。そこで同協会の承諾を得て、このたび本誌に全文転載させていただいた次第です。

この「文藝家協会ニュース」特別号の巻末には、日本文藝家協会常務理事でもある作家の関川夏央氏による「公共図書館への提言」という文章が掲載されています(「マガジン航」にもそのまま転載しました)。

ここで関川氏は次のように語っています。

公共図書館は、民主主義社会には絶対不可欠の存在です。しかし、作家の表現活動の継続を支え、新たな作家の登場を促し、出版物の品質を高度な校閲などによって保証しているのは出版社と出版産業です。公共図書館は作家・出版社・出版産業を苦境に追い込むことなく、むしろこれらと協力しなければならない存在、ともに戦う友軍だと考えます。

図書館人には、出版界の声に真摯に耳を傾けていただきたい、また予算削減のみを要求する運営自治体に、自らの理想とする図書館サービスのあり方と意義を説いていただきたい。そういう痛切な願いを、私はこのシンポジウムを通じて抱きました。

公共図書館が果たすべき役割は大きいのです。出版界と協調しつつ次世代の読者と作家を育て、日本の出版文化、日本語文化の未来に貢献されることを期待します。

こうしたフェアな視点から、この議論はなされるべきでしょう。しかし2月に行われたこのシンポジウム後、出版界と図書館界の対話が大きく進んだ印象はありません。それどころか、作家と出版社、出版社と図書館、あるいは作家と図書館や地域コミュニティの関係はどうあるべきかという議論は、まだ対話の端緒にも立っていないと私は考えます。

断片的にしか伝わってこなかったこのシンポジウムでの各登壇者の発言内容を、ネット上で誰もが参照できるようにすることで、関係者相互の対話や議論がフェアで生産的なものになることを期待しています。