二つのブックフェアから見えた「本の未来」

2016年10月1日
posted by 仲俣暁生

先月は東京で二つの「国際ブックフェア」が開催された。両者を見比べて感じたことから今月は始めてみたい。

一つ目の国際ブックフェアは、9月16日〜19日に東京・北青山にある京都造形芸術大学・東北芸術工科大学の外苑キャンパスで開催された、「THE TOKYO ART BOOK FAIR」である。今年で8回目となるこのイベントには国内外から多くのアーティストや出版者(社)が参加し、キャンパス内に設けられた会場は大盛況だった。

THE TOKYO ART BOOK FAIRが開催された京都造形芸術大・東北芸工大外苑キャンパス。

いくつか商業出版社の出展も見受けられたが、このブックフェアは基本的にインディペンデントなパブリッシャーやクリエイターが集まる祭典であり、大がかりな「文化祭」といった趣きがある。そしてなにより、国際色にあふれている。

今年の参加者の国別一覧のページをみると、日本以外にオーストラリア、オーストリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、中国、チェコ、フランス、ドイツ、イタリア、韓国、メキシコ、オランダ、ノルウェー、ポーランド、ポルトガル、スイス、台湾、イギリス、アメリカ合衆国からの参加があったことがわかる。

シュタイデル社から本が出版されるアートブック賞

今回、心から驚かされたのは「Steidl Book Award Japan」というアートブック賞の創設である(創設のきっかけは、日本では今年11月に東京藝術大学で開催される、Steidl社による展覧会プロジェクト「Robert Frank: Books and Films, 1947-2016」だという)。

Steidl社はドイツの出版社で、ロバート・フランクをはじめ著名な写真家との信頼関係のもと、彼らのすぐれた作品集を数多く出版してきたことで知られる。経営者のゲルハルト・シュタイデル氏は「世界一美しい本を作る男」とも言われ、彼を取材したドキュメンタリー映画も制作されているので、ご存知の方も多いだろう。

Steidl Book Award Japanの創設を伝えるページ。

THE TOKYO ART BOOK FAIRのサイトによると、この賞は「日本を拠点に〈本〉という形式を使って作品を発表することに興味を持つすべての方」を対象としており、「応募受付をしたダミーブックの中から同社の創業者ゲルハルト・シュタイデル氏が選ぶグランプリ受賞作品は、Steidl社の書籍として出版され世界中で流通される」という。

さらに、「グランプリの受賞者はドイツのゲッティンゲンにある Steidl社に招待され、現地に滞在しながら、編集からデザイン、素材選び、造本、印刷に至るすべての本作りの工程をシュタイデル氏およびSteidl社のスタッフとともに行う」というのだから、アーティストにとってこれほどの名誉はない。

THE TOKYO ART BOOK FAIRの会場には、この賞への応募作のダミーブックが展示され、来場者は自由にめくってみることができた。このコーナーにはつねに人だかりがしており、大成功といっていいだろう。なお、「日本を拠点に〈本〉という形式を使って作品を発表することに興味を持つすべての方」という応募資格は、日本人以外のクリエイターにも門戸を開いていることを付言しておきたい。

こうした試みが行われた今回のTHE TOKYO ART BOOK FAIRは、まさに「国際ブックフェア」と呼ぶにふさわしいものだったと思う。

たんなる「本の安売市」と化した東京国際ブックフェア

二つ目の国際ブックフェアは、9月23日〜25日にかけて東京ビッグサイトで開催された「東京国際ブックフェア」である。昨年までは7月に「国際電子出版EXPO」や「クリエイターEXPO」などと併催されていたが、今年は前者が廃止となり、後者は6月29日〜7月1日に行われた「コンテンツ東京2016」内での開催となった。この意味はあとで検討するとして、一言でいえば「業界人のためのイベント」から「一般読者のためのイベント」へと大きく舵を切ったことが印象的だった。

そうした変化を象徴するのが、「ほん吉くん」と名付けられたキャラクターや、これをつかったLINEスタンプ、人気アイドルを招いての読者参加イベント開催などである。ブックフェアに多くの人を集めるための施策としては、このような試みもありだろう。しかし、そもそも「東京国際ブックフェアは、何のために行われているのか?」という問いに立ち返ると、暗澹たる思いにならざるをえない。

今年の東京国際ブックフェアでお目見えしたキャラクター「ほん吉くん」。

世界的に知られるフランクフルト・ブックフェアをはじめ、本の国際見本市は、基本的にはプロの出版人同士の版権売買の場であり、一般参加者がいたとしても、それは二の次である。東京国際ブックフェアの場合、「見本市」としての機能はこれまでもきわめて薄かったが、昨年まではテーマとなる海外の国が選ばれ、そのための展示スペースもあった。「国際ブックフェア」と名乗る以上、少なくとも海外の出版文化に触れる、貴重な機会ではあったのだ。

これまで併催されていた国際電子出版EXPOの終了も、意味深長である。今年はブックフェア内に「電子書籍ゾーン」というコーナーが設けられ、ボイジャーが連日トークイベントを開催して孤軍奮闘していたが、以前はグーグルや楽天、Yahoo!などが出展した年もあったことを思うと、わずか数年前にもかかわらず、隔世の感がある。

だが、これは「電子書籍」が一過性のブームで終わったというよりも、出版業界が新しいテクノロジーに背を向けていることを示すメッセージとして、受けとめたほうがいい。また、クリエイターEXPOとの同時開催ではなくなったことで、草の根のクリエイターと商業出版社が混在する風景が失われたことも惜しまれる。

東京国際ブックフェアの電子書籍ゾーンではボイジャーが孤軍奮闘。

「本の未来」はどちらに?

今年の東京国際ブックフェアは、国際性もなく、テクノロジーとも無縁で、インディペンデントな動きとも切断された、たんなる「本の安売市」だった。いや、出版業界はそれどころではないのだ、少しでも手元の在庫を、2割引きでもいいから売り払いたいのだ、という焦りはわかる。だが、そのような姿を「一般読者」に見せることで、どんな未来が展望できるのだろう?

こうした現在の東京国際ブックフェアのあり方は、無残なまでに、出版業界の現状を示している。繰り返すが、それは「国際性」「テクノロジー」「インディペンデントな動き」との乖離である。これらこそが出版不況の真の正体であり、若い世代の目に出版業界が魅力的なものに映らない理由だと私は考える。

だが幸いにも、東京国際ブックフェアとは別の場所で、別の人たちによって、実質的な「国際ブックフェア」がすでに行われている。本の未来、出版の未来に関心がある方は、来年はぜひTHE TOKYO ART BOOK FAIRに足を運んでみてほしい。そのときには、おそらく「Steidl Book Award Japan」の受賞作も発表になっているだろうから。

第2回 嗚呼、理想の「マイ・図書館」はどこに?

2016年9月30日
posted by 山田苑子

ハタチを超えてこちら、図書館に蔵書として「小説」を求めたことはない。私はプライベートでは――大学院生という立場はプライベートではない、気がする――あまり、小説を、読まないのである。高校生を境にオールフィクションからほぼ足抜けし、当時は松本清張の『壬申の乱』と梅原猛の『隠された十字架』を愛読していたと言えば過渡期であった過去が分かりやすいだろうか(読書量としてはマンガが最多であったが、無論ここでは割愛する)。

そういう大学院生にとって大学図書館は実に心強い味方であるし、仮に大学図書館に蔵書がなくてもどこかの研究室にはたいてい蔵書があり、気軽に訪ねていくことができる。専科大学の場合は蔵書にも偏りがあるだろうが、入学した学科の分野であれば、基礎的なところは誰かが所有しているだろう。

だいたい大学生である以上、普通は朝から晩まで大学にいて勉強しているわけだから、地元の図書館に行くような機会も必要もないのは当然だ。

公共図書館は大学院生の節約術になるか

ところが現状の私は、所属の大学図書館に甘えることができない状況なのである。

まず第一に、新幹線片道2時間半の通信制大学院に遠距離通学しているため、大学の図書館はほぼ利用できない。そして第二に、芸術系大学のため、論文を書くに必要な基礎史料の所蔵が充分でなく、現状必要な書籍が置かれていない。そこで貧乏大学院生としては、居住地近くの図書館で資料/史料の調達をなんとかできないかと考えたわけだ。

学部卒論より修士論文のほうが、修士論文より博士論文のほうが、題材がニッチになっていくのは当然で、よって「自分が必要な書物は、ほとんどの人は生涯必要ない」という状況になっていくのが大学院生なのではないだろうか。そんな本を地元の公共図書館が所蔵して、限りある開架に置いてくれることは奇跡に近い。

……と、頭では分かっていても、日本の図書館なのに『国史大系』がないのは何たること、と憤るのは理不尽であろうか?(『ニューグローヴ世界音楽事典』がなくても頭にこないのは差別かもしれない)。もっとも、地域密着型図書館のなかでも “中央図書館” と銘打たれるような「ちょっと蔵書の多い」図書館のそばに住んでいれば、この程度の辞典や史料は館内閲覧できる場合もある。

これほどの蔵書数はない代わりに、住宅街の中にあって通うのに便利な小さな図書館もある。願わくはその中に、自分の望みの蔵書を実現してくれる図書館――これを「マイ・図書館」と呼ぼう――があってほしい。しかし、そこでは人気の新刊小説に対する大量の予約を見つけることはできても、大学院生にとって必要な本は、最低限の範囲に絞っても借りるのは難しい、というのが実感だ。

所蔵数が多いのは正義か?――「都立図書館」という懐刀

公共図書館の利用経験が浅いなかで、「地域密着の公共図書館が修士レベルの学習、研究にとってどのような立ち位置であるべきか」などという大きな問題に対して、私は意見を提示できない。だが、実際使えないものは仕方ない。「地域の図書館がダメなら大学図書館に行けばいいじゃない」という示唆なのだろうか。大学図書館が役に立たない場合、どうしたらいいんだ。

しかしそのような挑戦状に対し、貧乏大学院生である私は屈している暇がない。卒業が延びれば学費が余計にかかる。それこそ敵の思うツボである。東京に住み、大学所在地よりも家賃を多く払わざるを得ないデメリットを、いまこそ逆利用するべきときだ。「国内の公立図書館では最大級の約192万冊を所蔵」と輝かしく謳う都立図書館が、私にはあるではないか。

日本図書館協会『日本の図書館 統計と名簿 2012』のデータを見ると、都立図書館の所蔵数は第14位となっている。ただ、上位13位までのOPACで利用したい某書誌を検索したところ、蔵書があるのは広島市立図書館、大阪府立図書館、そして国立国会図書館の3館だけであった。2位の横浜市立図書館は都立図書館のほぼ倍の蔵書数を誇るが、私とは求める道が違うのだろう。

蔵書数は、多ければいいというものではない。私の求める本があるかどうか。それが「マイ・図書館」を選ぶには大変重要なファクターなのだ。私の求めるところを充足してくれる都立図書館の蔵書は、どんなポリシーで選定されているのか。公開されているところを見ても「おお!」とすぐさま合点がいくようなものではないのだが、おそらく私が恩恵を受けているとしたら、何度も記載されている「東京関係資料については、特に留意する」という点であろうと思われる。

図書館のコピーサービスに立ちはだかる閉架の壁

広尾にある都立中央図書館には、欲しいと思った本のほとんどが所蔵されており、平日は夜21時までと、比較的遅くまで開館している。「とりあえず行けば、欲しい資料がすべて閲覧できる」というメリットは他では得難いため、私は数年前からこの図書館をよく利用するようになった。しかし不満がないわけではない。

2009年にリニューアルした都立中央図書館。

まずそれなりに遠い。自宅からは往復で1時間半ほどかかる。また麻布の山の上という一等地に位置するため、PCや大量のデジタルデバイスを担いでかなり急な坂を毎回ハイキングすることになり、これはもはや若者ならぬ身には辛い。夢のサラリーマン時代、私は都立中央図書館から徒歩10分圏内に住んでいたのだが、21時までに帰宅できる日はまれで足繁く通うというわけにはいかなかった。人生とは儘ならないモノだ。

さらにこの図書館、館外貸出は一切不可。館内閲覧のみである。館内閲覧しかできないとなれば、当然複写を希望することになる。しかし、それが、けっこう、高い。コイン式セルフコピーは白黒1枚10円で標準的だが、閉架書籍はセルフでのコピーを禁止されている。

職員による閉架本コピーは1枚25円(ということは20枚で500円だ、当たり前だが)。カラーコピーに至ってはセルフコピーが50円のところ、閉架本コピーは130円という値段だ。古い図版などはカラー写真で冒頭のグラビアよろしく口絵掲載されていることも多く、白黒に比べれば需要は少ないものの、10枚コピーしたら1,300円。ちょっとした写真集なら買えそうな値段になってしまう。

セルフコピー禁止の対象となっているのが、損傷の激しい書籍や希少本ということであれば納得もいくが、私以外誰も読んでいないのではないかと思うほど綺麗な状態の、近年に刊行された本であっても、閉架であればセルフコピーは不可なのだ。必要な書籍がすべて開架であればストレスはないかもしれない。しかし必要な本の半数が閉架だと、セルフの2.5倍というコピー代は、貧乏学生としては躊躇する値段になってくる。

とある日の複写レシート。開架、閉架、どちらも80枚程度の複写をした。「モノクロコピー」と記載があるのが、コイン式セルフサービス。

このとき閉架本でコピーしたのは、

・1冊目:2014年出版の翻刻史料で、定価14,000円、古書価32,000円以上。口絵を1枚カラーコピーした。モノクロコピーは42枚。

・2冊目:1977年出版の翻刻史料で、古書価25,000円以上。モノクロコピーを45枚。

開架本は、

・1冊目:2012年出版の900ページにもわたる、論文と翻刻史料を合わせた書籍で、定価28,000円、古書価27,000円以上。論文部分54枚をすべてモノクロコピーした。

・2冊目:1927年出版の翻刻史料。古書価でも1冊単位では販売が見つからず、7巻揃えで17万円ほどするようだ。見開き28枚をモノクロコピーした。

しめて3,125円なり。これらの高価な書籍の複写が、この程度の値段で手に入ると思えば安いモノなのかもしれない。だが、館外貸出してもらって自分でコピーするほうが、はるかに安くあがる。

周回って知る、地元図書館は使えるやつ

都立中央図書館で自分の使いたい本を検索したとき、まれに「貸出中」表示になっている場合がある。しかも閉架本だ。一瞬何を言っているのかわからないかもしれないが「貸出不可の図書館の閉架本が貸出中」という矛盾に満ちた事実には、戸惑うより先に怒髪が天を突いてしまう。これはいったいどうしたことなのだろう。誰にも貸さないって言ってたじゃない。私との約束は嘘だったの。というか私も借りたいんですけど教えてくださいお願いします。

そこで市区町村立の図書館だ。これらの図書館では、近郊に希望する書籍がなければ都立図書館から借りだして貸してくれるサービスを提供している。もちろん、すべての書籍について図書館間貸出を行っているわけではないし、貸出した館内での閲覧のみの図書もあるなど、制限はある。しかし確実に借り出せる本や自由に複写できる可能性が増えるのだ。これを使わない手はない。そうなると、一周回って戻っていくべきところは、地元の公共図書館なのではないだろうか。

地元の図書館に、大学院生として求める本のすべてが所蔵されていることを期待するのは、虫がよすぎるだろう。しかし利用する方法を吟味すれば、助けになってくれる可能性は充分ある。そうすれば、少なくとも麻布一等地へのハイキング回数は確実に減らすことができる。交通費節約はもちろんのこと、時間節約も大きなメリットだ。貧乏院生は細々としたバイトで糊口を凌いでいかねばならないから、ちょっとした時間も大切なのだ。

望むらくは、せめて、図書館のレファレンスサービスに駆け込んだときに、「そのようにお困りなら、こういうことができるので利用されてはどうですか」と、図書館の側から積極的に提案してくれるとよいのだが――「このようなことができるようですが、どういう手続きをすれば私もその状況が享受できますか」と素人が自分から言えるまでには、なかなかに時間がかかる。先に「卒業が延びれば学費が余計にかかる」と書いたとおり、貧乏大学院生にはそんな余裕はないのである。

(つづく)

『EPUB戦記』が伝える書物電子化への苦闘

2016年9月28日
posted by 小林徳滋

小林龍生さんの『EPUB戦記――電子書籍の国際標準化バトル』(慶應義塾大学出版会)はデジタルによる出版の黎明期を豊富なエピソードとともに伝えるものであり、また新しい本の姿を探求してきた記録と、いまなお残る課題を示している。

本書がカバーする期間は1980年代中頃から2016年初頭までの約30年間である。この時代は、本の編集・制作と印刷の一部分でコンピュータが使われ始めてから、電子書籍というデジタル出版物の流通が本格的に始まる時代として括ることができるだろう。

ところで、同じ小林姓なので小林氏と書くとどうも面はゆいので、以下、龍生さんと呼ばせていただく。私は龍生さんとは近い分野で仕事をしてきたので、何度もお会いしたり話をしたことはあるが、まとまった仕事を一緒にしたことはない。しかし、年齢もわずか1歳違いであり、本書のエピソードを読みながら、大学卒業のころからこれまで、ああ、この頃、自分はこんなことを考えていたな、という思い出が次々によみがえった。

ドキュメント制作のデジタル化の黎明期

第1章「大地とその時代」は、パソコンが編集の仕事に入り込み始めた時期からDTPが実用になり始めた季節までの記録である。龍生さんは小学館におられた1984年に初めてパソコンを買って、はまったとのことである。これはさっそく、『ABC英語辞典』の出版に結実した。辞書の内容編集にデータベースを使ったのにも関わらず、CTS・電算写植機とのインターフェイスがとれずに電子入稿を断念し、活版で組版し直したという。

この電算写植機へのインターフェイスは、私にとっても転機になったものである。私が大学を卒業して就職した1970年代前半は、コンピュータはまだ身近ではなく、大型コンピュータをデータセンターでバッチ処理に利用するか、あるいは、ダム端末をデータセンターにオンライン接続して時間単価で利用する状態であった。企業内の一般ドキュメントは手書きであり、顧客に提出する報告書はアシスタントに清書してもらった。正式な報告書は日本語タイプライターによる謄写印刷が中心であった。

1979年に日経マグロウヒル社(現、日経BP社)に転職した頃からコンピュータが身近になってきた。TK-80というマイコンキットや、Apple Ⅱが人気を集めていた頃である。同社でコンピュータ関係の雑誌開発などのお手伝いをしながら、自分でもApple Ⅱ互換機を手に入れ、龍生さんと同じようにBASICを勉強してプログラムを書いたりした。

1984年に退社して、アンテナハウスを設立した。ここで発行していた日本語版ニューズレターの印刷には電算写植機を使っていた。最初はシャープのワープロ専用機「書院」からのプリントアウトを印刷会社が再入力していたが、あまりにも効率が悪いと考えて、「書院」のフロッピーディスクから電算写植機にデータを移すためのプログラムを開発した。

余談だが、出版事業が赤字で資金が尽きそうになったときに、そのプログラムをMS-DOSテキストコンバータとして発売したところ予想外の売れ行きであったため、シリーズ商品化した。それがきっかけでアンテナハウスは出版社からソフトメーカーに業種転換したのである。

1986年頃、先のニューズレターを元にした英語版の冊子をMacintoshのDTPで制作した。最初はPostScriptをキヤノンショップに持ち込んでプリントしたが、そのうち間に合わなくなり100万円位のレーザーライターを購入した。登場したばかりの英文DTPが役に立った。

ジャストシステムから純国産のパソコン用DTPソフト、「Super DTP 大地」が発売されたのは1990年10月である。龍生さんは「大地」のPRのために,DTPで『大地が動いた―Super DTPの出現』など三冊の書籍を制作した。第1章「大地とその時代」には、そんな日本語DTPの黎明期の開発のようすが紹介されており興味深い。

失敗の教訓は?

第2章「諫言の彼方に」は、龍生さんがジャストシステムを1998年夏に退職後、事務局に参加し実行部隊として奔走した、「電子書籍コンソーシアム」の失敗の記録である(リンクと画像はInternet Archiveより)。

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電子書籍コンソーシアムは、通商産業省(当時)が景気対策のための補正予算枠で設定した「先進的情報システム開発実証事業」の公募に応じて、主要な出版社、シャープ、日立、NTTが電子出版プラットフォームの実証実験を行うために結成したものである。

当初は100億円の触れ込みだったものが、最終的に総予算8億円の枠内ですべてを行うこととなった。2000年3月に実証実験の成果報告書を一般財団法人日本情報経済社会推進協会(JIPDEC)に納品し、最後の総会を経てコンソーシアムは解散。「実証実験は、無用の長物と化した大量の読書端末と、ほとんど閲覧に供されなかった5000冊分のデジタルデータ、そして積み重ねると8メートルにもなる大量の報告書を残して終了した」という。

当時としては超高解像度の175dpi程度のモノクロ液晶ディスプレイも、今からふり返れば解像度の低いものであり、少ない端末記憶容量(40MB)、遅いインターネット回線など未熟な技術を使って本を流通・閲読するという無謀なプロジェクトであったように思う。また、わずか8億円の予算と短期間で、電子書籍の制作から流通までの総合実験を実施したことにも無理がある。

このプロジェクトの技術的ポイントの一つは「形態的にも、可能な限り従来の書物のメタファーを尊重する」ことであり、「見開き表示や紙の書籍の組体裁への徹底的なこだわり」であったという。結局、このプロジェクトでは、本の版面を(現在の「自炊」と同様に)イメージデータとしたのだが、これについても「レイアウトが伝える情報について、ぼくたちはもっと深く考える必要がある」と龍生さんは述べている。

これより少し早い時期であるが、もう少しシンプルにテキストだけを流通させようと私も苦闘していた。米国のNews Netという配信サービスに登録して、ニューズレターの海外への配信を試みた。まだインターネットが登場する前のパソコン通信である。ニューズレターをデータセンターにアップロードし、ユーザーは端末からデータセンターに接続して記事を表示して読むサービスだった。

シンプルなテキストを流すメディアとしては、いまは、メルマガやブログが流行っている。メルマガやブログは版面へのこだわりがないという意味で、電子書籍コンソーシアムの要件の対極にある。

EPUB3標準化とWebの日本語レイアウト

第3章「EPUB戦記」は、EPUB3の仕様に日本語テキストレイアウトの機能を盛り込むための戦いの記録であり、本書の中核部分である。この戦いはIDPFにおいてEPUB3の策定が正式に始まるのに合わせて、日本電子出版協会(JEPA)から「日本語拡張仕様案」が提出されたことに始まる。この案は龍生さんを中心にW3Cのテクニカルレポートとして作成された「日本語組版処理の要件」(JLReq)に負うところが大きい。

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EPUB3は本文をWebページ記述のためのHTML5で表すので、レイアウト指定にはCSSを採用するのが自然である。EPUB3に縦書きを盛り込むには、CSSで縦書きを指定できなければならない。ただし、たとえば縦書きの本ではページは右開きであるが、それはCSSでは指定できないので、EPUB3仕様のほうに盛り込む必要がある。このようにIDPFの仕様策定と、CSSの仕様策定を連動させなければならない。

しかし、EPUB3の標準化の話が持ち上がった時点では、後述のようにCSSの縦組み仕様は存在しないも同然であった。CSSの縦組仕様を策定し、EPUB3の仕様から参照されるようにするまでの経過が本書で述べられている。

ここでは、本書では触れられていない事情も補足しておきたい。その一は、総務省の情報通信分野での国際標準化への取り組みの課題の一つとして「次世代ブラウザ」が取り上げられ、これを産官学で推進するための「ICT国際標準化推進会議」が2011年1月に設置された(『情報通信白書平成23年度版』)ことである。

課題として「Webとテレビ」および「テキストレイアウト」が設定され、民間企業中心の「次世代Webブラウザのテキストレイアウトに関する検討会」での課題設定には、もちろん縦書きも含まれていた。この課題はIDPFのEPUB3策定とはまったく独立に設定されたのだが、ちょうどぴったりのタイミングであった。関係者の折衝の結果、「テキストレイアウト」の目標の一部にIDPFのEPUB3策定作業との連携が盛り込まれ、物心両面の支援があった。

その二は、やはり総務省のプロジェクトである「電子出版環境整備事業(新ICT利活用サービス創出支援事業)」の一つに採用された「EPUB日本語拡張仕様の策定作業」である。こちらのほうは2010年秋から2011年3月までの短期間のプロジェクトだった(代表機関がイースト株式会社、共同提案組織がJEPAとアンテナハウス)。アンテナハウスが担当したのはW3Cとの調整作業である。中心となるミッションは、EPUB3に関連するCSS仕様の策定作業をスピードアップするということだった。

EPUB3の日本語対応で参照する主なCSS仕様は、CSSテキストとCSSテキストデコレーション、CSSライティングモードである。CSSテキストとテキストデコレーションは、日本語のための禁則処理の指定や圏点などの文字飾りを指定できるように拡張する。また、CSS ライティングモードでは縦組みや縦中横などを指定できるようにする。CSSの縦組指定はマイクロソフトが1999年に提案したInternational Layout in CSSに源流があるが、これはルビや圏点などまで含む幅広いものであった。この提案は、その後、CSSテキストレイアウトなど複数のモジュールに分割されて2010年時点では原形をとどめないものとなっていた。

こうした事情で、CSSライティングモードは、ほぼゼロから書き下ろし、EPUB3の策定作業の期限までに、EPUB3から参照できるだけの安定したものにする必要があった。これは、従来のW3Cのワーキング・グループの作業の進め方を知っている立場からは達成困難な目標に見えた。関係者の熱意と努力で、CSS仕様に無事に取り込まれた経緯は、本書に書かれたとおりである。

「書物の未来」へのすぐれた洞察

第4章「書物の未来へ」は、デジタル化によって書物がどう変化するかを考えていて、本書の中ではいちばん興味深い。この章で龍生さんは、いくつかのエピソードを紹介しながら「書物とは何か」を問う。

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哲学書房の伝説的な編集者、故・中野幹隆さんとの共同作業による電子聖書制作の話や、当時ジャストシステムのエンジニアだった山口琢さんとxfyというツールを使って行った、芥川龍之介の短編「藪の中」を多襄丸、女、死霊の話りを並行物語に分解した実験の話などが紹介される。これらは、一本の糸として作られた書物を分解し、ハイパーテキストとして再構築した経験の報告である。

その一方で、「自炊」用に背を裁断された本を整然と並べた棚をみて書籍の墓場を感じたところから、「本を本たらしめているのは製本という物理的な営為である」とも龍生さんはいう。本には「冊子本」と「巻子本」という二つの形態があり、日本では後者に、より権威性と公的性格があることや、「絵巻物」が独自文化として発展してきたこと、ウェブドキュメントは巻子形式の電子的なモデルであることなどを指摘して、冊子本を相対化しつつも、「本を読む行為は線形性が本質である」と結論づける。

私自身の目下の関心は、ページレイアウトの自動最適化である。書物は紙という媒体の上に印刷され、冊子として製本されている。本のページを「版面」という。版面には一次元のテキストフローの間に、図版や表のような二次元の対象物を配置するが、空きができないように図版や表をテキストのフローと順序を入れ替えて最適にレイアウトする必要がある。さらに製本を考慮して、扉や改ページ、改丁を最適化しなければならない。通常はDTPのオペレータが手作業でレイアウトを最適化するが、自動組版ではスタイルシートと組版エンジンがこれを担う。自動的な最適化の実現はかなり難しい。

現在の電子書籍に用いられているEPUB3リーダーは、こうした自動組版の一種ともいえる。しかし、現時点のCSSではリフローのHTMLに紙のようなページレイアウトを指定する標準は未完成であり、EPUB3では、紙の本と同じようなページレイアウトの指定はできない(EPUB3の仕様にも、そのための規定はない)。

たとえば、多くのEPUB3リーダーはWebKitのようなブラウザのレンダリングエンジンを元にしているが、見出しと本文、図版や表の本体と表のキャプションが、ページの区切りで「泣き別れ」とならないように指定することさえできない。このため図版や表はキャプションまで一体のイメージ画像とすることが多いが、これは視覚障害者のアクセシビリティ面からは望ましくない。

デジタル化した出版物が閲読されるのは、あくまでも電子デバイスの画面上であり、紙面上ではない。現在のデジタル出版物の閲読に、もっとも用いられるのはスマホの液晶画面であり、ブラウザと同じように、縦スクロールで読むほうが適切である。

せっかく書物をデジタルにしたのなら、紙のページの制約を持ち込むのではなく、デジタルならではの新しい本の姿を考えるという行き方もあるだろう。龍生さんがいうように、テキストをページ概念から解放して、巻子形式を採用したり、ハイパーリンクを利用した表現により、綴じられていないページを自在にたどったりできれば、製本した書物にない、新しい読書体験を提供できるだろう。しかし、「電子デバイスの画面ならではの本」にふさわしい表現が創造されるには、紙のページ概念に強く執着する世代が去るまで、まだしばらく待たねばならない。

* * *

第4章の最後に、「中野さんが残した未来の書物への課題は、多岐にわたり、そして、重い」と述べられているとおり、EPUB3も途中形態であり、未来の本の姿はまだ見えていない。デジタル化による出版の変貌は始まったばかりであり、まだまだ新しい波がありそうに思える。

龍生さんと私のしてきた仕事は分野が少し違っているが、「デジタルドキュメント」と「出版」という川の行き先を探索している点は共通である。一つの川の両岸の道で同じような歩みを重ねているのかもしれない。その道は、ときどき、接近したり交わったりしているのであり、『EPUB戦記』は、私にとっても身近な物語である。本書を出版された龍生さんの努力と探求力に心から敬意を表したい。

今年も東京国際ブックフェアが始まります

2016年9月22日
posted by 「マガジン航」編集部

毎年開催される本のお祭り「東京国際ブックフェア」が、9月23日〜25日にかけて今年も東京ビッグサイト(西展示棟 西2ホール1F)で開催されます。これまでは7月開催だったものが今年は9月開催に変更となり、読書の秋を感じさせるイベントになりました。ボイジャーは昨年まで、ブックフェアと同時に開催される「国際電子出版EXPO」に出展してきましたが、今年は東京国際ブックフェアへの出展となります。

今年のキャッチフレーズは、「これからの本の話をしよう」。同じタイトルの小冊子が会期中ボイジャーブースで配布されています(電子書籍版PDF版はネットでも公開)。なお、この小冊子には以下の記事が掲載されており、一部の記事が「マガジン航」にも転載されています。

・「電子出版、本気の時代」鎌田純子(ボイジャー 代表取締役)
・「菊とキティーちゃん――「かわいい」の力を日本は使いこなせるか」マット・アルト(株式会社アルトジャパン 取締役副社長)
・「世界への挑戦」藤井太洋(作家)
・「小豆島発の雑誌「その船にのって」ができるまで」平野公子 (メディア・プロデューサー)
・「ひとりの物書きの存在」片岡義男(作家)

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東京国際ブックフェアへの出展者は国内外の出版社が中心ですが、「電子書籍ゾーン」にはボイジャーのほかに、平河工業社、堀内印刷所、スターティアラボ、 デザインМプラス、東海データサービス、フロンティアマーケットが出展(会場マップはこちら)。また「本の学校 出版産業シンポジウム2016 in 東京」や「電子書籍 スペシャル座談会」など、各種のセミナーやシンポジウム(要・事前申し込み)、毎年恒例の「造本装幀 コンクール」も開催されます。

漫画家・佐藤秀峰さん、SF作家・藤井太洋さんらが登壇

ボイジャーブースでは、今年も多彩なスピーカーを迎えたトークが行われます。トークセッションのスケジュールは以下のとおりです(登壇者のプロフィルなど詳細はこちらを参照)。


9月23日(金)

10:30-11:00
こんにちはデジタル〜出版パワーは180°Webにシフトする
鎌田純子 (VOYAGER代表)

11:15〜12:15
本を動かせ!〜動画広告で秘めた魅力を手軽にアピール
小林尚道 (VOYAGER)

12:45-13:45
電子書籍の老舗「コミックシーモア」の書店運営を大公開!?
加藤公隆(NTTソルマーレ)

14:15-15:15
「秋マン!!」って、ご存知ですか?
岡本正史(集英社)

15:45-16:45
マンガ作家としてデジタルを真剣に考えた
佐藤秀峰(漫画家)


9月24日(土)

10:30-11:00
お手本を見て、まねするだけ〜Romancer入門講座
木村智也(VOYAGER)

11:15-12:15
絵があるだけで行く道が照らされる〜イラストレーターともっと手を組もうよ
ヘロシナキャメラ( イラストレーター)

12:45-13:45
菊とキティーちゃん〜刀を捨てた「かわいい」日本が素晴らしい
マット・アルト(株式会社アルトジャパン)
特別出演:マンガ多言語対応――『蝶のみちゆき』
佃 純次(リイド社)

14:15-15:15
世界への挑戦〜デジタル発――日本SF大賞作家は語る
藤井太洋(作家)

15:45-16:45
私ゃデジタルかじり虫〜ボイジャーのイメージビデオをつくりました
うるま[うるまでるび](スーパークリエーター)


9月25日(日)

10:30-11:10
Romancer Webと出版はひとつ〜デジタル出版はみんなのもの
萩野正昭 / 小池利明(VOYAGER)

11:15-12:15
誰でも いつでも どこからでも〜デジタル出版のさまざまな事例を紹介します
Romancer作家のみなさん(VOYAGER)

12:45-13:45
欣喜雀躍 ドラえもん デジタル〜台湾でこんなに元気!
黃詠雪(台湾・青文出版総経理)

14:15-15:15
デジタルだから故郷を発信できる
小豆島の若者たち

15:45-16:45
これからの本の話をしよう〜好きなことをやる、上を向いて歩こう、ヤ
鎌田純子 / Bob Stein / 萩野正昭(VOYAGER)


なお、会場内のボイジャーブースはコマ番号1 – 42です(位置はこちらの地図をご参照ください)。
koma

小豆島発の雑誌「その船にのって」ができるまで

2016年9月21日
posted by 平野公子

インターネットがあれば何処でも暮らせる

私が装丁家の平野甲賀とともに小豆島に移住してから2年半が経ちました。

なぜ移住したのか、なぜ小豆島だったのか、明確に理由があったわけではありません。東京から遠く離れられれば何処でもよかったような、今おもいだせるのは、劇場運営で食いつぶしての出奔であったのが第一の動機、他はごくボヤっとしたことだったような気がしています。が、私は考えるより動くのが得意なので、動くのが先、動いて行くうちに理由はあとからついてきた、というのが本当のところです。気がつけば立派に老人の年齢である私たち夫婦はあれよあれよの間にすっかり島の住人となり、おまけに若い仲間たちとそれなりに楽しく忙しく暮らしている今日、という案配です。無謀な行動でいつも夫を巻き添えにしてしまうのは、ちょっぴりですが申し訳ないことだと反省しております。50年の不作と諦めてもらうしかありません。

ただひとつ。これだけは確か。インターネットがこれほど発達していなければ地方、それも離島にくることはなかった、ということ。島に来てからいままでどおり細々でも平野甲賀は装丁の仕事を続けているし、私はネットを使って本の仕事やイベント作りをやれています。インターネットは移住の第一のツールです。

さて、地方の島で生活すると、いろんなことが変化します。便利は不便に、苦は楽に、疎遠は親密に、質素が贅沢に。おっとりの夫はさらにおっとり度が増し、朝早く起き、写経のように文字を描き、装丁の仕事をし、猫と遊び、草をむしり、焚き火に精出し、おそらく今日が何曜日かも気にせず、もし物忘れシートの記入を試みれば、痴ほう老人の仲間入り必定なほど、のどかです。私は私で朝は遅く起き、島のモノやコトやひとが面白くて面白くて、毎日歩き回り、夜遅くまで起きてお酒を飲んでいる。日々日々こうして、生まれ故郷東京は、私たちからドンドン遠ざかっていったのでした。

等身大の暮らしを本にする

もともと静かに老夫婦で暮らすつもりであった小豆島で、できたら植物を相手に小豆島のベニシアさんになろう、決してヤクザなことはやらずにおこうと誓って故郷を後にしたというのに、思いもかけず若い人たちとイベントをやったり、いろんな移住相談にのったり、行政のお手伝いをさせていただいたり、展示を企画したり、やめられない止まらない私の因果な性分で、私は相談役ではありましたが、この原稿を書いている5月22日には小豆島初落語会まで開催の運びとなったのでした。

それにしても、島にいる若者たちの人間力の高さには眼を見張るものがあったのでした。経済効率や利潤大追求とはほど遠い、が、生業の働き方はもちろん、いろんなことに楽しみを見つけ出すこと、それを実現にもっていくスキルと実行力、互助力に私は大いに刺激されたのでした。そして、いまここでこの島でできる限りのことを力つきるまでやってやろうじゃないの、とまぁ、またもや一発勝負の悪いクセがあたまをもたげてきたのでした。

まず地方発の、そこに暮らす人の等身大の記録を本にしようと思い立ちました。

東京時代から付き合いのあった晶文社の斉藤さんに相談すると、できるものならやってみてください、というお返事。きっと半信半疑だったのでしょう、が、とても有り難いことでした。故郷東京とひとつ繋がりました。それで17人の若者に、自分の仕事について、あるいは自分が手がけたイベントについて、とりあえず好きなように思うがままに書いてもらうことにしました。生産現場7カ所の紹介はイラストルポを高松在住のイラストレーターオビカカズミさんにほぼ一年かけてやっていただきました。原稿は17人からはポツポツ集まってきたのですが、長さマチマチ、これはどう読んだらいいのか、という自分史的なもの、半ページにもいかない短文のもの、などなど。まとめて読んでみたものの、文章で人に何か伝えることの難しさに頭をかかえたのでした。

さてここからだ、どこからだ?

本人が書き直せそうな人にはもう一度チャレンジしてもらい、今度は文字数もおおかた決めて言いわたす。他の原稿はじっくりひとりずつその人を思い浮かべながら読んでいく、申し訳ないがバサッと切ったり、ちょこっと加えたり、まるごと入れ替えたり、手をいれさせていただいた。斉藤さんと二度、三度やりとりしながら、ようやく全体のまとまりとページ数が見えてきたのが、昨年末です。そして今年の2月『おいでよ、小豆島。』(晶文社刊)として、この本は世に出ました。

『おいでよ、小豆島。』(晶文社)

『おいでよ、小豆島。』(晶文社)

いま読み返すと失敗がたくさんあります。私が入れる穴があれば入りたいくらいです。が、この本のおかげで、島への関心が思わぬところからも届いたのも事実です。北の果て北海道から興味を寄せていただいたのも意外なことでした。島のなかでもお互いがお互いの書いたものを読むことで新発見があったようです。

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最終的にできあがった本を手に、メンバーで記念撮影(写真提供:三村ひかり)

小豆島文学との出会い

実は私はこの本を作りつつ、島の役場の仕事で違うことに手をつけていました。

小豆島は同じ地区、同じ時期に壺井栄、壺井繁治、黒島伝治3人の文学者が生まれ育ったという稀な場所でもあります。また流浪の俳人尾崎放哉終焉の地でもあります。『二十四の瞳』の壺井栄しか知らなかった私ですが、島に来てから黒島伝治を貪り読み、壺井栄の1600はあるといわれている作品群を読みあさり、現存している壺井夫妻の家(『二十四の瞳』の舞台となった分教所が見える家)、黒島伝治の家(80年前の随筆にでてくる家の間取り!)を役場のみなさんに案内されたときには、私のできるやり方で、彼らの作品をもう一度世に出したい、という気持ちがふつふつと沸き上るのを押さえることができませんでした。それから彼らの作品をとりあげて小さな朗読会を開いたり、読書会をひらいたりすると、島の人たちでも誰も彼らの本を読んだことがなかったのがわかり、朗読をとおしてみなで彼らの物語再発見を味わうことができたのでした。

ですが、もっと形にしたい。島にいる私がやらずにいったい誰がやるというのだろう。

特に壺井栄のストーリーテラーとしての資質に惹かれていた私は、おそらく島の生活をつぶさにみていた少女栄の眼に写った物語は、100年前の島の生活者を活写していると想像しました。しかもどこの地方の庶民とも共通だったのではないか、と。おおげさに言えば100年前の日本人の庶民の暮しが物語の中に息づいているのです。壺井栄は眼と耳の確かな人です。栄の短編だけでも新しく編み直して選集にできないか、児童文学書の中で選集ができないか…。

そこでハタとおもいつき、膝をたたいたのが、電子本です。

さっそくボイジャーの萩野さんにご相談しました。電子本のデの字も知らないのにです。たしか、それは自分たちで作れるんじゃないですか、作り方もおしえますよ、というのが最初のご返事だったと思います。

さて、またもやここからです。

前述の本『おいでよ、小豆島。』が出てからまだ数カ月ですが、この本に納まりきらなかったことや人が後から後からでてきました。もう本にはできない、してもらえない、が、だったらもっと刻々と増えつづけるイマを伝えるメディアを作れないか、その中に島の文学者の電子本を棚としておくことはできないか、その座りで両方とも実現することは可能か? もちろん萩野さんにもメールを出しつつパズルのように考えていくと、これは電子版雑誌を発行していくのが妥当なのではないか、というところにたどりついたのでした。

電子雑誌、いよいよ出航

7月1日に出航した電子雑誌「その船にのって」。無料で読めるインタビューやエッセイ、映像も。

7月1日に出航した電子雑誌「その船にのって」。無料で読めるインタビューやエッセイ、映像も。

ここまで考えつくと平野甲賀にコトのあらましをぶつけてみました。話の途中で雑誌のタイトルを考えろ、というのです。そうだ、いつも最初にタイトルありきの人でした。で、おおまかな構想はもってはいましたが、もちろん誰に連載をたのむとか、どんなウェブ構築にするとか、誰が雑誌を運営していくのか、などなど何も定めていないうちに、ある日、ポッと浮かんで来たのが小豆島発電子雑誌「その船にのって」というタイトルでした。島へくるのも島からでていくのも船に乗らねば何処にも行けません。いったん船にのると、不思議なもので、その船で世界の果てまでいけるのではないか、と夢想してしまいます。コレだ、とタイトルを告げると、描き文字の巨匠はさっそくその日のうちに「その船にのって」のロゴをつくってしまいました。もうあとにはひけません。

電子雑誌の連載は島の若者と海外に暮らす若者、沖縄、いずれ台湾や香港に暮らす若者たちにたのむことにしました。船はいろんなものを載せます。電子本の装丁は全部やってみたいという平野甲賀の意向で、小豆島の文学者の古本を再編集、新人の棚、エンタメ本と、やがて拡がっていきます。すでに装丁は美しくできあがってきています。ウェブの特色でイベント情報や映像や写真もあざやかに入れていきますが、読み物中心の雑誌にしていきたいです。プロのもの書きはすくないですが、いずれここから新人も出てほしい。電子本と紙の本の交互作用も期待したい。誌上で紹介していく小豆島の産物も味わって欲しい。

「その船にのって」は編集のメンバーは4人(誰も経験なし)で出航しました。資金なしのわれわれです。読者から年間購読料2000円を徴収させていただくのも、無料が常識のウェブでどこまで応援いただけるのか、私たちなりの挑戦です。


この記事はボイジャーが編集発行した小冊子「これからの本の話をしよう」より転載しました。「これからの本の話をしよう」は東京国際ブックフェア会場のボイジャーブースで配布されるほか、電子書籍版をこちらで閲覧できます