続・ノンフィクション作家はネットで食えるか?〜安田浩一さんの場合

2017年6月12日
posted by 渋井哲也

フリージャーナリストの安田浩一さんがウェブマガジン「ノンフィクションの筆圧」を開設してから、この6月で一年が経つ。

『ネットと愛国〜在特会の『闇』を追いかけて』(講談社)で、2013年の日本ジャーナリスト会議賞と第34回講談社ノンフィクション賞をW受賞、15年には「ルポ 外国人『隷属』労働者」(『G2』、講談社)で第46回大宅壮一ノンフィクション賞雑誌部門賞を受賞した安田さんは「ネットメディアに関しては食わず嫌い」と言う。そんな彼が、ウェブマガジンを開設した理由は何だったのか。ネットメディアでどんなジャーナリズム活動を展開していくのか。本人にお話をうかがった。

ノンフィクション・ライターの安田浩一さん。

ネットメディアへの抵抗と嫌悪感

もともと雑誌記者一筋ということもあってか、安田さんはネットが苦手のようだ。

安田 Facebookのやり方さえ知らない。パソコンはほとんどできないんです。今はネットに対して、抵抗と嫌悪を感じて仕事をしています。

安田さんは1990年ごろから「週刊宝石」(光文社、2001年休刊)の専属ライターだった。1995年11月、マイクロソフト社のOS・Windows95の発売日に秋葉原のソフマップ前で取材し、深夜のお祭り騒ぎに立会った。Win95の普及でパソコンが身近に感じられるようになったことで、インターネットを誰もが使えるようになっていく。その取材記事では〈これまでは読み手であり、視聴者であり、情報の川下で待っていた人たちが多かったが、これで誰もが発信者です〉などと書いていた。

安田 ネットの大衆化の瞬間でした。そのときは意味がわかってなくて、教えられたままを書いたんです。いま考えると、もっと詳しくなれよって思います。

もちろん、ネットメディアで安田さんの記事を見かけることもある。しかし、そのほとんどは紙媒体に一度掲載されたものが転載されている。しかも、もとの記事が加工されてアップされているのだという。

ネットメディアから執筆を頼まれることもある。また、Yahoo!ニュースの中に、個人が情報を発信する「Yahoo!個人」というコーナーがあり、開設するように勧められている。

安田 2年くらい検討しているが、まだ開設していない。なぜか? 答えは簡単です。何度も登録に失敗してしまって。なかなかネットに向き合えない。いじることができないんです。やらなきゃいけないと思っているんですが、ネット音痴なんです。やれば、新しいものが見つかるのかもしれない。

ただ、安田さんのネットメディアへのイメージはよくない。フェイクニュースやオルタナティブファクトと言われるような記事が拡散されているとの印象を持っている。昨年問題になったDeNAのWELQがその象徴的なイメージなのだ。

安田 ネット媒体で書かれている記事には偏見がある。嫌悪感しかない。なぜって? 情報をつぎはぎしているだけじゃないですか。

もちろん、そんなネットメディアばかりではない。新聞記者や雑誌記者の出身者も関わってきている。ネットメディアに記者が引き抜かれることも多い。安田さんは読まず嫌いになるほど、ネットメディアから遠ざかっている。

ウェブマガジン開設の理由は、編集者が「全部やります」と言ったから

そんな中で唯一、安田さんがネットで書いているのは、タグマが運営するウェブマガジン「ノンフィクションの筆圧」だ。

2016年6月2日に創刊したウェブマガジン。発行はタクマ。

安田 知り合いの編集者から呼び出されたんです。説明を聞いても、はじめは意味がわからないので、断った。書けるかどうかの問題ではなく、設定ができないからです。「自分で、ネットに記事や写真をアップする作業ができない」。そう言うと、編集者が「全部やります」と言ったんです。「タイトルも、中見出しも、全部やる」と…。

面倒な設定を自分でしないで済むならば、安田さんにもメリットはある。それは「書く場所」の確保だ。ノンフィクションの記事を書く雑誌が減ってきている。短い記事でも週刊誌で書く場が減ってきた。単行本を執筆するものの、書いている途中ではお金が回らない。

安田 理想的には、雑誌で連載をして、それが単行本になること。かつては取材費も潤沢にありましたが、いまはそんな幸せな時代ではない。だから、単行本や雑誌で書く以前に、切り売りしていこうと。なので、ウェブマガジンであっても、考え方のベースは紙中心。紙から派生したものなんです。

取材テーマへのこだわり

「ノンフィクションの筆圧」には、ヘイトスピーチ、沖縄問題、外国人労働者問題、民族派の青年のインタビューなどが掲載されている。安田さんは90年代から2000年代前半まで「週刊宝石」や「サンデー毎日」の契約記者をしていた。04年以降は、完全にフリーランスになった。「何でも屋のライターはやりつくした。あとは僕が興味関心があるものを取材したい」と考えた。ウェブマガジンに書いているものが、いま興味のあるテーマだという。

安田 出自に関係があるテーマというよりも、雑誌取材の経験から生まれた関心です。外国人労働者問題は、週刊誌記者時代から興味があった。そうした記事を書いていると、嫌でも排外主義、レイシズムへの視点を自分の中にもつようになる。それが、ネット右翼、在特会の取材につながった。いま沖縄を取材していますが、自分の中では地続きなものなんです。

何か一つのテーマにこだわりつづけることで、仕事がひろがっていくのを体感していた。外国人労働者の問題は、差別や排除の問題だ。そこから、民族差別問題、ネット右翼につながるのは自然のことだった。沖縄の基地問題も、本土からの差別の問題でもある。

ただ、そうは言っても、それらのテーマは、芸能記事のように「売れる」テーマではない。そのため、収入面では苦しく、深夜のアルバイトをしていたこともある。クレジットカードで綱渡りという時期もあった。

安田 昼間取材して、夜バイトをすればいいと考えたこともあった。しかし、疲れ切ってしまい、深夜のバイトは続かない。気が休まる瞬間がなかった。取材どころではなくなったんです。やはり、自分にはWワークは無理。急な取材も入りますから。

最近では沖縄に頻繁に行っているが、運賃の捻出は工夫している。2006年に刊行した『JALの翼が危ない』(金曜日)で、規制緩和と効率主義を批判していたが、いまはLCCに助けられている。

安田 LCCだと片道、一万円でいけます、どうやったら取材現場まで安く行けるのかを考えたりしますが、空の安全を考えると疑問で、忸怩たるものがあります。

書き手と「心中」できる編集者がネットにいるか?

そんな中で食いつなぐことができたのは、ノンフィクション作家・佐野眞一さんの取材スタッフに、データマンとして加わることができたからだ。

安田 食えないのでライターをやめようと思ったことがあります。そんなときに、週刊誌時代から付き合いのある佐野さんに声をかけてもらったのです。

現在も、発表媒体はほとんどが雑誌。女性誌をのぞいて、ほとんどの週刊誌で仕事をしてきた。自身でも言っているが、まさに「雑誌の子」だ。同年代のフリーのジャーナリストで廃業をしている人もいるなかで、安田さんが続けられているのは、編集者との出会いによるものが大きいという。

安田 僕の場合、編集者に恵まれたことが最大の財産です。編集者はみな、そこそこ厳しい。その上で、生活のことも考えてくれている。最近では、書かせっぱなしの編集者もいるじゃないですか。原稿をあげても、いいとも悪いとも言わない編集者がいる。でも僕が深く付き合っている編集者は、常に仕事の中身にこだわっている。

安田さんは編集者と人間的な付き合いを欲しているようだ。コラムや身辺雑記が書ければ、また別の道もあったのだろうが、取材へのこだわりが強い。

週刊誌時代、先輩記者から「石を水に投げ入れられたとき、波紋が広がる。俺たちの役割は、その石を拾うことだ。しかし、波紋ばかり吸い上げているだけではないか」と言われた。そのときに、自分は「石の手触り、形、色を確認しないで書いてきたのではないか」と感じた。だからこそ、いまはその石を取りに行くことを取材の目標にしている。そのためにも、編集者の「目」を切実に必要としているのだろう。

安田 こだわりのある編集者は、書き手の立場としてはうざい。半分くらい連絡を無視したくなる。でも、“敵”もさるもので、電話に出ないと、別の電話番号から別人を装ってかけてきたりする。ただ、書き手にとってうざい編集者は、同時に良い編集者です。一言一句にこだわり、取材では共に悩み、記事を出した後の覚悟がある編集者。いわば、書き手と心中してくれる。そういう編集者は信用できます。でも、そんな編集者はネット媒体にはいないんじゃないでしょうか。もっとも、私のウェブマガジンの編集者は人格的に関わってくれます。僕は、編集者のフィルターを通したあとでないと怖いんです。

取材から執筆、発表、その後の反響まで、編集者とともに悩む。そんな、書き手としてのスタンスがはっきりしている安田さんだ。そうした編集者がネットメディアでも増えてくれば、ネットで書くことも多くなるのだろう。

ウェブマガジンは月額648円(一部無料で読める)。まだ会員が多いとは言えず、さらに売上は担当編集者と折半というから、取材費になるかどうかの“収入”にしかならない。

安田 こうした状態では、ネットで書くだけでは食えないですね。食えている人もいると思うんですが、信じられません。羨ましい。ただ、一方で紙にこだわりたい気持ちがある。そのこだわりは “宗教” のようなものなんです。信仰に近いので、正当性があるわけではありません。ネットが不得意。そう思い込んでいるだけかもしれません。

ノンフィクションが冬の時代と言われて久しい。だからこそ、いかにマネタイズするかが活動を継続していく上での鍵だ。

安田 まだ、ネットでのビジネスモデルはありません。

安田さんのネットメディアに対する不安はもっともだ。発表するまでは、編集者との共同作業となる。しかも、編集者は最初の読者だ。ライターは取材に没頭するあまり、一般読者の関心の度合いまではわからないことがある。どうすれば、記事の本質が伝わるのかを共に考えたいと思う。

「書き手と心中できる編集者」とは、一つの作品をつくる上でのパートナーという意味だ。雑誌では、これまでの積み重ねがあり、書き手と編集者との関係は成熟しているため安心感がある。一方で、新興であるネットメディアは、そうした関係が成り立ってないのではないか? という不安はつきまとう。

もちろん、ノンフィクションを書くのは人間が行うことだから、編集者との付き合いかたも一人ひとり違う。だからこそ、安田さんも儲からないとわかっていても、ウェブマガジンでの執筆も始めた。そして、「Yahoo個人!」にも参加しようとしている。ネットメディアで継続して執筆するためには、マネタイズの方法も含め、試行錯誤するしかない。

第3回:小説家になろう〜「場」の提供に徹底する先駆者

2017年6月3日
posted by まつもとあつし

ネット投稿小説を語る時に絶対に外せないのが「小説家になろう」だ。2004年スタートと、ネット投稿小説サイトとして老舗であるのはもちろん、書籍化を前提とした商業作品の投稿を認めないなど、ストイックなまでにプラットフォームに徹しているのもその特徴だ。なかなか外からはその考え方の根底にあるものが見えにくいこのサイトを運営するヒナプロジェクトに直接じっくりと話を聞いた。

取材にはヒナプロジェクト取締役、平井幸さんが応じてくれた。

月間15億PVを擁する「シンプル」なサイト

——「小説家になろう」設立の経緯とビジネスモデルについて教えてください。

平井:「小説家になろう」(以下「なろう」)は代表の梅崎祐輔が2004年に開設した個人サイトから始まっています。規模が大きくなったため2010年に法人化しています。

ビジネスモデルはほぼ100%広告収入で賄っている状況です。サイト内で実施するコンテストの開催費用等はいただいていますが、比率としてはごく小さいものです。

コスト面では、動画や画像などと比較するとデータ容量の小さいテキストを扱っていますので、サーバーコストも少なく抑えることができています。投稿作品数は40万タイトルを超えて居ますが、サイト・コンテンツ全体のバックアップもハードディスク一つで収まるくらいですから。

——オンライン広告はどのように表示されるのですか?

平井:短編を除くと、「なろう」では連載形式の投稿が定番です。つまり一度では読み終わりませんから、新しいエピソードが追加されるたびにサイトにアクセスし、そのたびに広告も表示されることになります。したがってサイトのトップページなどの閲覧数よりも、40万タイトル超×時には100を超えるエピソードが数ある作品ページ自体の閲覧数のほうが圧倒的に多いのです。

現在、毎日400〜500の新規タイトル投稿があります。サイトへのアクセス数はこの3月時点で月間15億PV、サイト滞在時間も平均20分以上という規模になっています。連載という形を取りますので、自然とリピーターが多い、というのも特徴ですね。

——会員登録をすると無料で作品の投稿が可能になりますが、読者の場合は更新通知が届いたりはしないのですか?

平井:メール等での更新通知はまだ実現できていません。ユーザーのマイページには通知はされるようになっています。

——続きが気になる読者は、頻繁に「なろう」サイトにアクセスして更新されているかを確認するわけですね。それにしても、他社に比べ非常にシンプルであることに驚かされます。

平井:もともと代表がサイトを立ち上げた理由も「自分が必要だったから」という面が大きいのです。2004年といえば個人サイトが全盛の時代でした。それぞれのサイトを巡回するのが大変で、であれば皆が作品を持ち寄れる場所を作ろう、と考えたのがきっかけなのです。そういう場所に求められる機能を備えようというのが根本にあります。機能を追加すればよいというものでもなく、小説を書く人・読む人が必要とする機能を優先した結果、シンプルになっているということだと思います。

——規模が大きくなったため、というお話でしたが、個人サイトから法人運営に切り替えた背景は他にはどのような理由があるのでしょうか?

平井:広告の掲載を行う際に、個人サイトではどうしてもお声がけをいただける機会が限られてしまうという面が大きかったと思います。当時はアルファポリス(2000年設立のウェブ投稿小説の出版事業を行う出版社・2014年マザーズ上場)との取引も多かったのですが、企業対個人では信頼度が違いましたね。規模がここまで大きくなった以上はやはり会社になっておいたほうがいいだろうと。

——いま従業員は何名ですか? また組織としてはどのような構成になっていますか?

平井:従業員は18人ですね。エンジニアとサポートがほとんどを占めています。問い合わせ対応を代表一人でこなすのが大変だったのも、チーム体制に移行した大きな理由でした。彼自身はシステム畑の人間なので、問い合わせ対応は得意分野ではなかったということもあります。「なろう」は原則としてメールでの問い合わせ対応なのですが、いまもエンジニアに次いで、サポートの人数が多いのです。

——先ほど言われた「必要とする機能」を汲み上げるという作業が続いているイメージですね。ユーザー数はいまどのくらいですか?

平井:ログインをして「なろう」を利用しているアクティブユーザーが27万人ほどおられます。これはあくまでまもなく100万ユーザーに到達する登録ユーザーをベースにしていますので、閲覧を含めるともっと多くなるはずです。2016年に発行したガイドブック(『WEB小説ヒットの方程式』幻冬舎)では、ブラウザベースで700万ユーザーという試算をご紹介したこともあります。

あくまでも「場」の提供に徹しビジネスには介入しない

——その規模感に対して、サービスやビジネスモデルがとてもシンプルな「なろう」ですが、掲載作品にはどのような特徴・傾向があり、「なろう」としてはどのように関わっているのでしょうか? たとえばアニメ化も記憶に新しい『Re:ゼロから始める異世界生活』(略称『リゼロ』)を例に挙げるとすると……。

MF文庫Jで2014年に出版されシリーズ累計310万部を発行した『Re:ゼロから始める異世界生活』。現在も「なろう」で全文を読むことができる。

平井:弊社は投稿作品の出版について、いっさい関与を行っていません。実際、『リゼロ』がアニメ化されるという話も、私たちも作者さんの「なろう」での告知で知ったくらいですから。

——書籍化の時点でもヒナプロジェクトに問い合わせなどはなかったのですか?

平井:出版社から問い合わせがあった際の取り次ぎはさせていただいています。『リゼロ』についても、ヒナプロジェクトに届いたKADOKAWAさんからのメールを、作者の鼠色猫/長月達平先生にお送りしました。

——そこで他社のようにエージェントとしてビジネスに介在するということはないわけですね。

平井:ないですね。著作権についても「なろう」で保持するということはない、というスタンスです。

——出版社の側からそういった提案がありそうにも思えます。「映像化を前提に一緒にプロモーションをする」「出版前にウェブ連載時点からタイアップをする」といったパターンがありそうですが。

平井:そういう提案があってもお断りしていますね。あくまで「なろう」は作品の展示場所に徹していこうというのが私たちのポリシーなんです。ただ展示場所の一環として「なろう」を商業のコンテストの場として使う、という例はあります。その場合はサイト内での告知費用・システム利用料はいただいています。

ライトノベル出版を手がけるオーバーラップ社が「なろう」と展開する「オーバーラップWEB小説大賞」

——コンテストの実施・運営はあくまで出版社側で、「なろう」としては場所を提供しているという仕組みですね(オーバーラップ社とのコンテストの場合、投稿時にコンテストへのエントリーを示すタグを加えておけば応募完了となる)。

平井:そうですね。選考にも私たちが関わることはありません。おかげさまでかつては年に一度開催できれば、というイメージだったのですが、現在では夏休み前など投稿が期待できる時期には沢山のご相談をいただくようになりました。当然、それらのお話は競合するものもあるのですが、私どもはいわゆる「同載調整」は行わない、ということでご理解いただいています。「なろう」はどこにも肩入れしていない、ということは出版社の皆さんよくご存じでおられるとは思いますので……。

——「タイアップ企画」とは別に「公式企画」というコーナーもありますね。

平井:こちらは私たちが独自に行っている——いわばジャンルの盛り上げを目的としたものです。たとえば夏の時期にお祭り的に「ホラー」の投稿を呼びかける、といったイメージですね。とくに賞を設けたりはしていませんが、1回の企画に400〜500くらいのエントリーをいただいています。

潮目が変わったのは『魔法科』から

——小説投稿サイト、特にいわゆる学園ファンタジーや異世界転生といったジャンルでは比類無き存在とも言える「なろう」ですが、現在の地位を築くきっかけとなった作品はありますか?

平井:反響が大きかった作品としては『魔法科高校の劣等生』(略称『魔法科』。2008年から投稿が始まり、2011年に単行本が出版、2014年にはTVアニメが放送された)が挙げられると思います。それまでは「小説家になろう」と銘打ってはいるけれど、プロの小説家になれるわけがないじゃないかという受け止め方が一般的だったと思います。だから、『魔法科』が電撃文庫から出版されるという発表があったときの反響は大きかったですね。

『魔法科高校の劣等生』は6月17日には劇場版が公開予定

——「まさか本当に小説家が生まれるとは」という反応ですよね。

平井:しかも、あの「電撃」から!?という。

——「マガジン航」でもインタビューを行った三木一馬さんが担当された作品です。電撃大賞への応募ではなく、「なろう」からのデビューとなったわけですね。

平井:そうです。まさに刊行の打診の連絡は三木さんからでした。『魔法科』の作者である佐島勤さんが実は電撃大賞に別の作品で応募されていて、すでに『魔法科』を「なろう」で読んでいた三木さんが、「この文体はどこかで読んだことがある」となり、問い合わせをされたそうなんです。

もちろん『魔法科』以前も、主にアルファポリスからの刊行実績はあったのですが、(書籍化や映像化など作品が拡がっていく)「可能性」について強く意識された出来事だったと思います。アルファポリスでの刊行は、ランキング上位のものや、著者からの出版要請に応じるというもので、どちらかというと自費出版的な側面が強かったので。

同時期に当時のエンターブレインから書籍化が進んだ『ログ・ホライズン』(橙乃ままれ)の存在感も大きなものがありました。「なろう」には活動報告という、作者や読者がコメントを通じて交流するコミュニティがあるのですが、そこでのやり取りも拝見していて、一気に賑わいが増したと感じましたね。

出版社が「ウェブ投稿小説はすごい」と気がついたのは、おそらく主婦の友社の「ヒーロー文庫」(2012年創刊)がきっかけではないでしょうか。「なろう」の作品が多くを占めるレーベルを作って累計450万部以上という売上実績を作られましたので。

既存の環境から生まれてくるものと何が違うのか?

——「なろう」から見て、出版社がウェブ投稿小説に着目する理由とはなんでしょうか? もちろん売れるという面は大きいとは思うのですが、たとえば、先のオーバーラップ社のようにコンテストを「なろう」で行うのは、また別の狙いもあるように思えます。

平井:あくまで想像ですが、ウェブにおける書き手の意識の違いは大きいと思います。たとえばウェブであればコンテスト応募の条件を満たすための「文字数」を考えなくてもいいわけです。ほとんどのウェブコンテストは「原稿用紙○枚まで」といった制約がありません。一方で、書籍化のために○万文字以上という下限が設けられているケースもありますが、完結していなくてもよいというものも多いのです。このように前提が異なってきますから、投稿される作品の傾向も違ってくるのだと思います。

——作品の傾向というのはもう少し具体的には?

平井:「ヤマ」の持っていき方が変わってきます。規定の上限文字数があれば、起承転結をすべてその中で収めなければなりません。ウェブですと、たとえば「承」がどれだけ続こうが、そこが面白ければ、たとえ「結」が見えてなくても作品としてアクセスが増え、評価されますから。

——なるほど。考えてみると本来「小説」とはそういうものだったかも知れませんね。『モンテ・クリスト伯』や『指輪物語』などの古典的な物語にしても、本筋そっちのけで一大叙事詩がはじまって、それもまた魅力であったりもします。

平井:そうですね(笑)。

——商業小説、紙の本による出版という「枠」をウェブ投稿小説がいったん解体した、と言えるかもしれません。

平井:ヒナプロジェクトの思想として「ハードルは可能な限り低く」というものがあります。言ってみれば、中高生が筆の赴くまま書き殴った小説だって載せられるわけです。

——いわゆる「黒歴史」という奴ですね(笑)。

平井:ああいうのって、「どう完結させるか」まで考えないじゃないですか。とにかく衝動的に自分が面白いと思ったものを書き連ねる——それがウェブ投稿小説では許されるところがあります。他人が読んで面白いと思うかは、もちろんまた別問題ではあるのですが、投稿する分にはなんの制約もありません。読者受けを狙うとかではなく、「ただ書きたいから」「書いていて楽しいから」でも、なんの支障もありません。弊社としても、「なろう」に質の高い作品が投稿されることや作者や作品を「育てる」ことを目指してはいないのです。

そうやって書き連ねた作品を、コンテストに応募するのも自由です。そうした過程から生まれた作品が、出版社の編集さんの目に止まり「面白い!」となり、書籍化される。そういう流れがいくつも生まれているのだと思います。たとえ、「日本語としておかしい」ような作品でも、ある層の読者からすれば「面白い!」ということもあります。

実際、作者に出版社の連絡を取り次ぐと、とても驚かれることが多いのです。「これを書籍化なんて本気ですか!?」という具合に。「なろう」にもシステムが自動的に表示するランキングはありますが、個々人が思う「面白さ」を担保するのは、そもそも無理があるので、そこに枠を設ける必要はないだろうと考えていますね。

——言葉を選ばずに言えば、妄想を書き連ねていた先に思わぬ展開が待ち受けていた、ということですよね。そういった内容の面からは、とくに「なろう」の場合、いわゆる「異世界ファンタジーもの」と呼ばれる作品が非常に多いのはなぜなのでしょうか? 傍から見ると「皆同じに見える」という声も聞こえてきますが。

「なろう」のランキング。恋愛ものも「異世界」と「現実世界」に分れ、異世界とファンタジーは明確に区別されている。また「異世界」と「異世界転生/転移」も異なるジャンルなので注意が必要だ。

平井:サイトの傾向としてはそうなっていますね。書き手目線でいえば、おそらく「書きやすい」ということなのだと思います。『指輪物語』や『ロードス島戦記』、『ナルニア国ものがたり』のような、重厚なファンタジーになると文化や経済といった世界設定を作り込んでいく大変な作業が求められることになります。

けれども、今の書き手にとってのファンタジーとはゲームの世界に集約されるところがあって……。

——「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」のようなRPG、ということですね。

平井:それこそ「ファイナルファンタジー」は「ファンタジー」と銘打っていますからね。エルフやドワーフなどの種族がいて、剣や魔法でモンスターと戦って……という世界観がある程度共有されています。そういった読者もすぐに理解できる「お約束」があるジャンルを、「異世界」と呼んでいるのです。

加えて「なろう」では「異世界」と「異世界転生/転移」を投稿する際の登録ジャンルとしては区別しています。異世界にまとめてしまうと数が多すぎますし、物語に求める要素が異なるはずだからです。

——『リゼロ』のような「異世界転生/転移」ものが多いので、別ジャンルとして整理したと。コミケのサークル配置のようですね。従来の小説文芸のジャンル分けとはまったく様子が異なります。転生/転移とそうではない異世界が何が違うのか? という声も聞こえてきそうです。

平井:そうですね、いわば壁サークルとして配置したイメージです(笑)。「なろう」独自のジャンル分けとなります。転生/転移は、現代の私たちと同じ価値観を引き継いでいるかという点がポイントです。物語の展開も異なってきますし、ゲームをベースとした世界観なので書き進めやすい・読者にも共感してもらいやすい、という面はあると思います。

——とはいえ他の投稿サイトでは、「ご当地もの」や「学園ホラー」が人気ジャンルであったりします。「なろう」に投稿する人たち・読みに来る人たちにとっては「異世界転生/転移」がとても重要な要素なのですね……しかし、それにしても、あるいはそれだからこそ一見似た作品が次々と生まれ、にも関わらず人気を博しているのはなぜなのでしょうか?

平井:似てしまう……そうかもしれません。ただ、逆の発想もできると思います。「違いを思いついたから書いた」ということですね。読者もそのわずかな違いから生まれる面白さを楽しむという。

たとえば異世界に転生した上に自分が蜘蛛になってしまった、というアイデアから「蜘蛛ですがなにか?」(上の動画も参照)という作品が生まれています。各々が思いつく一つのアイデアから膨らんだ妄想を書き連ねる、たとえ異世界というほぼ共通の舞台があったとしてもそこから生まれる世界は決して一つではありません。そんな妄想を出力してみたら、意外とウケたということではないかと。

——異世界は、読者がとっつきやすい世界観であると同時に、ちょっとした違いを書き手としても手がかりに書き連ねることができる、その違いを読者も楽しみ続けることができるということですね。一方で、従来の文芸に近いジャンルでも、映画化も予定されている『君の膵臓をたべたい』(住野よる、略称『キミスイ』)が生まれたりもしました。

「なろう」の現在のジャンル構成。定期的に見直しており今の構成になったのは昨年5月。

平井:そうですね。異世界ものが目立つ「なろう」ですが、文芸でも注目作品が生まれています。このジャンルは、書き手が投稿時に「このジャンルで読んでほしい」という感覚で選んでいるもので、掲載後も変更が可能です。たとえば「ゾンビもの」がホラーなのか、パニックなのかは結構微妙なところですよね。

「なろう」には様々な作品が日々投稿・蓄積されていきます。そして、どういった作品を読みたいかも千差万別です。たとえば恋愛小説を読みたいという読者も、舞台が異世界なのか、会社や学校のような現実世界なのかで、まったく気分や属性が違ってきます。以前は検索キーワードで区別してもらっていたのを、もう明確にジャンルとして分けようと言うことになり、いまのようなかたちになっています。

競合をどう意識するか?

——KADOKAWAが「カクヨム」をスタートさせるなど、ネット投稿小説サイトの競争は激しさを増しているようにも思えます。いまの状況をどう見ていますか?

平井:ウェブ小説の場所が、全体として見たときに「広くなった」という認識ですね。もともと「なろう」が生まれてからも、同様の投稿サイトがいくつも生まれ、そのいくつかはなくなりました。そんな中、出版社がウェブ小説に本気で取り組むという姿勢を見せてくれていることは、私たちとしてはありがたく、また心強いという気持ちです。

——よく言われる市場が拡がった、という点に加え、ウェブ小説が小説の真ん中に据えられつつあるということかもしれませんね。

平井:ウェブ小説は、「ライトノベル」方面からも「素人ばかりでレベルが低い」という認識が最初期は強かったのです。そこからすれば、出版社さん自らがサービスを始めるというのは、認識・市場が固まってきたという実感を得るには十分で、嬉しいですね。

——競合の登場に対して危機感はありませんか?

平井:これは代表である梅崎の考えですが、彼はシステム寄りの人間なので、仮に「なろう」が廃れたら、それは私たちが備えている機能が必要とされてないということなのだろう、と。そこは一貫していますね。私たちの「なろう」は、すでに多くの書き手と読み手を抱えていますので、皆さんに便利だと思ってもらえる運営を続けて行くことに集中していればいい、という考え方です。もちろん競争意識は持つべきだと思っていますが、危機感に駆られるということはないですね。

——先ほどの、作者と出版社との間のビジネスには介在しない、という話にも通じるのですが「なろう」は競争からも一定の距離を保とうとしているようにも見えます。いわゆるコミケなどの「運営」の距離の取り方に通じるものを感じます。それこそが、「なろう」が独自の立ち位置に立ち続けている肝なのかも知れません。

平井:距離の取り方にはたしかに気を遣ってますね。そこは大事だと思います。

「なろう」と博報堂DYデジタルがタイアップして展開している特集ページ。「なろう」からのデータ提供を受け、マイニングを行い、読者層に応じたオススメ作品をピックアップしている。

現在、博報堂DYデジタルと行っている「今日の一冊」も、ランキングだけでは抽出できないよい作品をピックアップをいただけるということで、我々からはデータの提供、博報堂DYデジタルからはコンテンツの提供をいただくという関係のもと行っています。トップページから導線を貼っていることもあり、ここに紹介されるとPVが飛躍的に上がり、書籍化の話が進んだものもあります。

——最後にウェブ小説が今後どのように進化していくのか? 「なろう」としてはどのような未来を描いているのかを教えてください。

平井:ウェブ小説といえばライトノベル的な傾向が強かったと思います。実際は従来の文芸をカバーするところまで裾野は広がっているのですが、まだまだその認知は広まっていないのが現状です。そういう意味では、小説というか、いわゆる物書きという業界全部を巻き込むようになっていれば、「道具」としてはいちばんありがたい話なのだと思っています。

すべての物語が、ウェブ小説から生まれるようになってほしい、というわけではありません。従来の仕組みといい意味でのバランスを保ちながら、より多くの作品がより広く世に出るのが、新旧両方の業界にとって至上命題だと思うんです。

片方が潰れてしまって、そこから生まれるはずだった作品が出てこないというのは、おそらく誰も得をしませんから。皆で利益を最大化できているのが、ウェブ小説と既存の出版界が望むべき未来なのかなと思います。

* * *

前回取り上げた「エブリスタ」とは非常に対照的なのが、今回の「小説家になろう」だ。エージェントとしてふるまえば、利益もさらに大きくなるであろうところ、その選択は採らない。プラットフォーム(場の提供)に徹する姿勢こそが、「なろう」を独特の存在たらしめている。運営の際に重視するのもデータよりも、アナログな「ユーザーの声」だという。

どちらがよいのかという議論はいまは脇に置くが、ここから他社が追随しえない大ヒット作が次々と生まれているのは事実だ。それは特定のジャンル、ひいては読者を対象としているから成り立つものなのか? それとも、「ビッグデータ」が喧伝される時代にあって、ネット投稿小説はむしろそれとは距離を置いてこそ魅力が増すものなのか? この連載で引き続き考察を続けて行きたいと考えている。

八戸ブックセンター訪問記

2017年6月1日
posted by 仲俣暁生

昨年暮れに青森県八戸市にオープンした八戸ブックセンターのことがずっと気にかかっていた。あまり聞いたことのない「市営の書店」だということ、私の住む東京・下北沢で「本屋B&B」を経営している内沼晋太郎さんがそのディレクションを担当していること。そしてなにより、ネット等の記事を読んだだけでは、あまり明瞭なイメージが浮かばないこと。以上が理由である。

これは現地に行ってみるしかないと思っていたところ、私が客員で教えている大正大学の地域構想研究所が発行する「地域人」という雑誌から、ローカルメディアの特集を組むというので声をかけていただいた。本誌で「ローカルメディアというフロンティアへ」を連載中の影山裕樹さんや、内沼晋太郎さんとともに座談会に出ることになり、幸いにも、その流れで八戸ブックセンターを訪れることができた。

まもなく刊行される『地域人』の次号に八戸ブックセンターについて寄稿した記事が掲載されるのだが、そこには書ききれなかった雑感を、ここで報告させていただくことにする。

「ブックセンター」は本屋か、図書館か

青山ブックセンター、八重洲ブックセンター、かつての岩波ブックセンター(信山社)など、書店の名前に「ブックセンター」とつくところは多い。八戸ブックセンターの場合も、「本のまち八戸」構想を掲げてこの施設を実現させた現市長の政策公約に「本のセレクトショップ」とあり、多くのメディアでも「市営の書店」と報じられていたため、下北沢にある「本屋B&B」を大型にしたような空間を漠然とイメージしていた。

実際に訪れてみた八戸ブックセンターは、たしかに通い慣れた「本屋B&B」と雰囲気が少し似ている。でもやはり、どこか違う。「本のセレクトショップ」というよりも、「品揃えのいい公共図書館の分館」といったほうが、その佇まいが伝わるかもしれない。

書棚はいわゆる「文脈棚」だ。「知へのいざない」「人生について」などのテーマに沿って、相互に関連性をもつ本が、単行本も新書も文庫も関係なく並べられている。蔵書(店頭在庫)数は現状で約8000冊。ギャラリーやその他のコーナーを含めても全体で百坪に満たないが、それぞれに工夫がこらされており、コンパクトながら密度の濃い空間になっている(フロアガイドはこちら)。

書棚は間隔を置いてゆったりと配置されていて、そこかしこにドリンクホルダーが据え付けられている。立ち読みの際はここに、カウンターで買った飲み物を置けるのだ。この仕組みは初めてみたが、ナイスアイデアである。腰を掛けられる場所もたくさんある。公共施設でありながらスタイリッシュであり、かつ細やかな気遣いもある。八戸ブックセンターとはそんな場所なのだ。

人口約23万人の八戸市のような中堅都市で、大都市型の「本のセレクトショップ」を民営で成り立たせるのは難しい(東京でだって簡単なことではない)。

しかし公営でやるとしても、商売として成功しすぎれば民業圧迫とみなされかねない。公共の図書施設として、公共図書館との住み分け(役割分担)も明確にしなければならないだろう。市長の強いイニシアチブのもとで実現した後も、いやむしろこれからこそ、その運営が前例のない「冒険」であることに変わりはない。

八戸ブックセンターは、さしあたり書店と図書館の中間的な施設といってよいと思う。さっさと本を選んで買って帰ってもらうのではなく、むしろ館内で本をゆっくり読めるような環境を整えている。読みたいだけここで読み、もしも気に入って本を持ち帰りたくなったなら、買い上げてくれればいい。そんな距離感を演出しているように思えた。

ハンモックに揺られて本が読めるコーナーがふたつあり、実際にお子さんと一緒にハンモックに揺られて絵本を読み聞かせているお母さんがいた。「本の塔」と名付けられた、書棚に取り囲まれて「閉じこもれる」スペースもある。ふらっと入ってきた若いカップルが、やや戸惑いつつ「ここは図書館なのかなぁ」と会話しているのも耳にした。

つまり八戸ブックセンターは「書店」であると同時に、本を体験する滞在型施設でもあるのだ。ひと目見て「ああ、自分の住む町にもこんな施設があったらいいなぁ」と思った――「本屋B&B」がすでにあるにもかかわらず。

「読み」「書き」の循環を生み出す場

私が八戸ブックセンターを訪問したかった理由の一つに、この施設では「市民作家」の登録をしている、という話を聞いていたことがある。八戸ブックセンターは、本を「読む人」を増やす、本を「書く人」を増やす、本で「まち」を盛り上げる、という三つの方針を掲げており、館内には「書く人」のための「カンヅメブース」がある。

このコーナーには二人分の作業スペースがあり、その場所を利用するには「市民作家」に登録する必要がある。申請の際、カルテに「この賞に応募する」「電子出版で出す」など、自分で決めた方針を書き込めばよい。これから書くものの出口を具体的に示すことで書き手のモチベーションを高める、いいやり方だと思う。

「市民作家」の執筆・出版活動を支援するため、八戸ブックセンターでは去る5月27日(土)と28日(日)に、私も理事をつとめるNPO法人日本独立作家同盟の鷹野凌さんを講師に招き、「執筆・出版ワークショップ」を行った(鷹野さんはこのワークショップで使用した資料を、クリエイティブ・コモンズのライセンス CC BY-NC-SA で公開している。「本を出版したい人が知っておくべき権利や法律」「電子書籍のつくりかたとひろめかた」)。

今年の1月に書いたこの欄のコラムで、東京創元社の編集者だった戸川安宣さんの個人史を聞き書きした『ぼくのミステリ・クロニクル』という本に触れつつ、私はこう書いた。

  「読む」ことは「書く」ことに繋がり、「読む」ことは「編む」ことにも繋がる。「編む」人も「書く」人も、かつては「読む」人だった。その循環が起きるための場所をつくり、維持し、人を育てていくことがもっとも重要である。

本の仕事に関わる人ならば誰でも、このことを知っているはずだ。八戸ブックセンターが「ブックセンター」と名乗るいちばんの理由は、そのような循環をこの町に生み出すための中心となる場所だからだろう。そして書店でも図書館でもない、あるいは「その両方でもある」ような、「読み」「書き」の循環を生み出す場所を必要としているのは、八戸のような地方都市だけではないはずだ。

必ずしも公営である必要はない。主体は民間企業でもNPOでもいい。大学のなかにあってもいい。日本中にこのような場所がたくさんできることで、本と人の関わりは再生産され、世代を超えてつながっていくのではないか。大都市やその近郊にだって、そういう場所がもしも存在しないのであれば、つくっていくことが必要ではないか。

自分の住む街の近くにもこんな施設があったらという思いは、八戸を訪れてひと月が経ついまも変わらない。

第2回 電子コミックとスマートフォンの蜜月はいつまで?

2017年5月24日
posted by 中野晴行

前回の記事では、電子コミック市場の現状について「先は長いもののかなり前進した」と書いた。「先が長い」というのはほかでもない。まだまだ乗り越えるべき障碍がいくつも残っているからだ。今回はその中のひとつである読書端末について考えてみたい。

電子コミックはなにで読む

当たり前の話だが、電子コミックを読むためには読書用の端末とビュワーが必要だ。ダウンロードするためにはネットにも接続しなくてはならない。

紙のマンガなら、本さえ手に入れたらすぐ読めるのに、電子コミックを単体で読むことは今のところ不可能だ。電子か紙かの議論になったとき、紙派の人たちが必ず持ち出してくるのがこの点である。紙なら単体で読めるのに、どうしてわざわざ端末やビュワーを使って読むのか。たしかに一理ある。電子コミック派が「アナログレコードがCDにとって替わられたように、フィルムがデジタルカメラにとって替わられたように、本もデジタル化し、電子コミックが紙のコミックを凌駕する時代が来る」と説得しようとしても、紙派はびくともしないだろう。

そもそも、映像ソフトや音楽ソフトを前例として使うのが間違っている。なぜなら、映像ソフトや音楽ソフトはアナログであってもデジタルであっても、パッケージであっても配信であっても、なんらかの再生装置がなければ観ることも聴くこともできないからだ。

これまで、何度も「電子書籍元年」と言われながら、紙からデジタルへの移行がなかなか進まなかった原因のひとつはここにある。電子コミックをこれまで以上に普及させるためには、こうした電子コミックの特性をプラスもマイナスも理解した上で、読者=ユーザーの立場で、ハードやシステムをユーザー・フレンドリーな方向に改善することが重要になるはずだ。「時代の流れだから」とか「電子には電子の利便性があるのだから、多少の不便には目を瞑ろう」という姿勢では、読者の気持ちを掴むことはむずかしい。そこまでの道のりがまだ長いように思われるのだ。

では、読書端末として現在は何が使われているのか?

電子書籍業界としての正式な統計資料が見つからないので、とりあえず各社の広報に問い合わせてみた。しかし、はかばかしい返事はもらえない。そこで、関係者の伝手をたどって非公式のデータを集めることにした。

大手電子書店E社の場合、スマートフォンなどのモバイル端末が60%、PCが28%、タブレット端末が12%(フィーチャーフォン向けの配信は取り扱っていない)。P社の場合は、スマートフォン・タブレット端末でほぼ9割を占めるという。スマートフォン向けに無料配信する会社では、そもそもスマートフォン以外の読者をほとんど想定していないようだ。残念ながらアマゾンのデータは非公式なものも得られなかった。

配信元によってばらつきはあるかもしれないが、概ね読者の75〜80%は、スマートフォン、タブレット、それも大半がスマートフォンで読んでいると考えることができそうだ。自分自身の周りを見渡しても、30代以下はスマートフォン派、それ以上の年代はタブレット派が多いという印象がある。ノートPCなどを使って読んでいる人はほとんどいない。

スマートフォンで読む人が多いのは、日本国内での普及率が50%を超えて、電子コミックを読む年代に限れば、ほぼ1人に1台が行き渡った、最も身近な携帯端末だからだ。電子コミックを読むためにわざわざ専用端末を買うのは面倒、という読者でも、日常的に通話やメール、検索、ゲームなどに使っているスマートフォンで読めるのなら、というわけだ。

ソニーの読書端末Readerが2016年秋に販売終了し、アマゾンのKindleですら苦戦しているのは、スマートフォンで読めるのにわざわざ、という読者の意識が影響している。

ところで、かつてこのポジションにいた端末は、通称ガラケーと呼ばれるフィーチャーフォンだった。下の図表は、インプレス総合研究所の『電子書籍ビジネス白書2016』のデータから2006年から15年までの電子コミック市場の推移を見たものだが、06年から10年までがガラケーの時代。11年にいったん落ち込むのはガラケーからスマートフォンへの転換点である。08年7月にiPhone 3Gが日本でも発売され、10年5月にはより画面が大きなiPadが発売される。一般にはiPadの登場を以て「電子書籍元年」とされている。

インプレス総合研究所「電子書籍ビジネス調査報告書」の統計データより作成(単位は億円)。

しかし、日本ではガラケーが電子書籍端末として市場を牽引した時代があった。ガラケーという呼び名には、「ガラパゴス諸島の生態系のように外から隔離されたために特殊な進化を遂げた」という意味合いがあるが、コミックを含めた日本の電子書籍市場もまた「ガラパゴス」だったのだ。

そこに、島の外からスマートフォンやタブレット端末がやってきた。当初はもっと緩やかに進行すると考えられていたガラケーからスマートフォンへの移行は急だった。そのために、配信元の対応が遅れたことが、市場の停滞につながったわけだ。2012年からの市場の順調な伸びは、画面の小さなガラケーに比べて、スマートフォンやタブレット端末がマンガを読むことに適していたことを表している。

では、読書端末としてのスマートフォンやタブレット端末は最終進化形なのだろうか? それを考えるために、電子書籍、電子コミックの大まかな歴史をさらってみたい。

未成熟だった1990年代の電子コミック

インターネットの商業利用がはじまったのは1991年だが、90年代の電子コミックは、ネット配信ではなくCD-ROMなどのパッケージとして流通するのが一般的であった。個人がインターネットでマンガを読むためには、通信インフラもまだ十分に整備されておらず、ハードウエアも貧弱なスペックだったのである。

90年代初めには家庭用電子ゲーム機向けデジタルコミックが登場。90年代中頃には、アップルコンピュータのマッキントッシュの標準ソフトであった「ハイパーカード」を使って、スキャンしたページを「スタック」と呼ばれるカード化して読ませる電子コミックが話題になったこともあった。

このほか、90年代後半にはソニーのゲーム機プレイステーション用に「プレイステーションコミック」が発売された。さいとう・たかをの『ゴルゴ13』などがラインナップされ、コントローラーでコマを追う仕組み。オート機能もついていた。また、いったんデジタル化したマンガをVHSビデオに録画したパッケージ商品も開発された。日立マクセルなどが製作した「マンガビデオ」である。手塚治虫の『三つ目がとおる』や楳図かずおの『おろち』などの作品にデジタルで動きや音声が加えられたもので、主にレンタル・ビデオ店向けに販売された。

これらのほとんどは、紙媒体のマンガをデジタル化して、それらしい加工を施したものにすぎない。しかも、CD-ROM版電子コミックは本よりも高価な上に、データが重く、珍しがられた割には普及しなかった。同じものを読むなら紙媒体で読んだほうが、ずっと手軽で読みやすかったのである。

オンラインコミックとしては、井上雄彦がバスケットボールをテーマにしてヒットしたスポーツマンガ『SLUMDANK』の未来版として描き下ろした『BUZZER BEATER』があった。CS放送局「スポーツ・アイ」のホームページ上で1996年から連載され、翌年には少年向け月刊マンガ誌「月刊少年ジャンプ」でも連載されて、「デジタルと紙のコラボレーション作品」として話題になった。しかしPCやインターネットの普及率が低かったこともあって、大ヒットには到らず、一般に知られるようになったのは、「月刊少年ジャンプ」に連載されてからだった。

同じ時期のアメリカやフランスでは、デジタルコミック独自の表現が工夫されはじめたことが特徴的だ。オーストラリアでは国際的なデジタルコミックのコンペティションも行われた。第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦前夜のフランスを舞台にした『戦場のテディ・ベア』(1996年:フランスindex+社)など数々の作品が話題になった。『戦場のテディベア』はマウス操作でキャラクターを動かしてストーリーを進めたり、作品の舞台背景をポップアップ・ウインドウで確認したりできるなど、インタラクティブな機能をいかした作品として世界的な評価を受けた。

日本でもデジタル化に興味を示すマンガ家は出ていたが、市場を変えるような動きはこの時期まだ出ていない。日本のマンガ表現は、日本という国の中で、日本人の読者のためだけに描かれて発展してきた。紙にペンと墨で描き、紙にモノクロで印刷されるのが日本のマンガの基本だ。色がない、動かない……この制約の中で最高水準まで高められたのが日本マンガだったのである。

つまり、色や音、動きまで使えるデジタルコミックは伝統的な日本マンガではない、と考えられていたわけだ。さらに、紙のマンガ市場は史上空前の6000億円目前にまで拡大していたから、出版社もマンガ家も紙媒体だけで十分に食べていくことができた。新しい表現方法や電子コミックの未来などは、あえて考える必要のないものだったのである。

電子コミック配信が本格化した2000年代

マンガのネット配信が本格化するのは2000年に入ってからだ。電子コミック5万点以上(10万点近く)を扱う大手のイーブック・イニシアティブ・ジャパンが創立したのは2000年5月。ケータイ向け電子コミック(ケータイマンガ)配信最大手のNTTソルマーレの創立は2002年4月だ。

2000年代の配信型電子コミックの普及は、PC向けOSの「ウインドウズ2000」や「ウインドウズMe」の発売によりパソコンがネット環境でも使いやすくなったことや、ADSLや光ケーブルなど大容量を送れるブロードバンドの通信インフラが整備されたことによるものと考えることができる。

しかし、PC向け電子コミック市場はその後あまり成長せず、代わって携帯電話向けのケータイマンガ市場が急成長する。

2005年度の数字では、電子コミックの市場規模は34億円。内訳はPC向けに配信されるものが11億円に対して携帯電話向けは23億円。2007年度にはPC向けが26億円に対して、携帯電話向けは229億円。わずか2年でケータイマンガは10倍の市場規模に拡大した。2010年度には456億円のうちPC向けは29億円、そして携帯電話向けは428億円にまで成長したのである。

電子コミックが多くの読者を掴むためには、PCよりもハンディな読書端末が必要だ、という指摘は初期の段階からあった。スイッチを入れて立ち上げ、ネットに接続して読むというPC向け電子コミックは読むまでの手続きが煩雑で、ノートPCですら可搬性で問題ありとされてきた。

こうした要請に応えて、読書端末も登場している。2004年にはソニーから「LIBRIe(リブリエ)」が、パナソニックからは見開き形式の「ΣBook(シグマブック)」が発売された。だが、コンテンツのダウンロードにパソコンが必要なことなどがネックとなり売り上げは伸びなかった。このためソニーは2007年に、パナソニックも2008年に生産を終了してしまった。ちなみに、のちのソニーの「Reader」はこのときに続く二度目のチャレンジだった。

苦戦するPCや読書端末に代わって注目されたのが、パソコン並みのスペックを確保したフィーチャーフォン携帯電話(ケータイ)だった。ケータイマンガは、2000年にNTTドコモがFOMAによるムービー配信にあわせて、東映アニメーションのテレビアニメ『狼少年ケン』などのコンテンツを配信したのが始まりとされている。

その後、2003年にKDDIがau携帯の液晶モニターサイズでも読めるようにコマを切り分けて、オーサリングした状態で読む、ケータイマンガの配信をスタートする。ケータイマンガのオーサリング作業は、ページ単位でスキャンしたデータをコマ毎に分離して順番に読めるように並べ替える作業だ。はじめのうちは「画面が小さい」などの問題が指摘されたが、液晶技術やコンテンツのオーサリング技術の進歩によって、読みやすくなった。

さらには、国際電気通信連合が定める「IMT-2000」標準に準拠した3G(第三世代)携帯電話の普及やパケット通信制の導入などによって読者の利便性も上がった。

コンテンツの課金という面でもケータイマンガは有利だった。コンテンツの利用料金を通話料金に上乗せして請求できるからである。PCや専用端末で電子コミックを読むためにはクレジットカードやプリペイドカードなどが必要になるが、ケータイマンガは携帯電話の契約さえあれば読むことができる。この手軽さが受けたわけだ。

なによりも、当時の携帯電話が日本では最も普及率の高い携帯端末だったことが、電子コミック=ケータイマンガの市場拡大を牽引した要因だ。これは、スマートフォンが現在の電子コミックの標準端末として市場を引っ張っているのと同じ構図だ。

つまり、広く行き渡っている通信端末の形が変われば、読書端末も同時に変化しなければならない運命にある、ということを歴史が示唆している。

スマートフォンがオワコンになる!?

先日、編集委員をつとめている『デジタルコンテンツ白書』の編集委員会の雑談タイムに「そろそろポスト・スマホのことを考えないといけませんね」という話が委員の一人から出た。ほかの委員も「5年後にはオワコンじゃないですか」と応えたので、こちらは驚いた。

たしかに、iPhone 3Gの日本上陸から来年で10年。昨今の電子機器のライフサイクルを考えれば、10年は長いほうになる。具体的な話は出ないままだったが、スマートフォンが携帯端末のスタンダードという地位を去る日も近いのではないか、と予感させられたのだ。

その主流がヴァーチャルリアリティ(VR)になるのか、ウェアラブルになるのか、まったく違うものになるのか、いまのところ想像がつかないが、スマートフォン以外のものになっていくのは間違いない。

新しい携帯端末が登場して、広く普及したとき、電子コミックを読む環境は当然変わるはずだ。マンガを読むためだけに、わざわざ新携帯端末とともにスマートフォンも使う、という人はそれほど多くはないだろう。専用の読書端末にユーザーが向かうことも考えにくい。

はじめに「電子コミックをこれまで以上に普及させるためには、こうした電子コミックの特性をプラスもマイナスも理解した上で、読者=ユーザーの立場で、ハードやシステムをユーザー・フレンドリーな方向に改善することが重要になるはずだ」と書いたが、ここにはひとつ大切な要素が抜けていた。それは「マンガ表現」だ。ハードやシステムと同時に、マンガ表現も伝統的な表現形式を打破して、新しくユーザー・フレンドリーな方向で変わっていかなくてはならない。そんな時期が来たのではないか。

スマートフォンでマンガを読むために、コマ割りをなくして絵を縦に並べてスクロールしながら読む「縦スクロール」あるいは「ウェブ・トゥーン」と呼ばれる技法が韓国から輸入され、少しずつ広まってきた。韓国では1997年のいわゆる「IMF危機」によって多くの出版社が倒産。マンガも影響を受け、紙からデジタルへの移行が急激に進んだ。

このとき、PCの画面でも読むやすいようにコマを縦に並べたのがウェブ・トゥーンのはじまりである。その後、スマートフォンが普及したのにともなって、コマという概念をなくした現在のスタイルが確立された。新たな携帯端末が生まれたときには、このスタイルすら合わないものになる。

伝統的な日本の「コマ割りマンガ」以外の表現を認めない、というのであれば、日本のマンガはそれこそ「ガラパゴス」になってしまう。電子化という道を選ぶ以上、コンテンツはハードとともに変化しなくてはならないのだ。マンガ家や編集者が変化を恐れていたのでは、明るい未来を予測することは難しくなる。次回は電子化とマンガ表現について考えてみたい。

武田徹さんに聞く〜「可謬主義ジャーナリズム」の可能性

2017年5月15日
posted by 仲俣暁生

昨年来、WELQを始めとするDeNAのキュレーションサイトがコンテンツの品質や著作権侵害の問題で一斉に閉鎖された事件や、「ポスト真実(post-truth)」という言葉が取りざたされた、アメリカ大統領選挙をめぐるフェイク・ニュースの報道をみながら、インターネット上のジャーナリズムのあり方について考えていた。

インターネット上のジャーナリズムはこの先、どうなってしまうのか――そんな問題意識でいたところ、昨年末に武田徹さんの『日本語とジャーナリズム』(晶文社)という本が出た。さらに、武田さんは『アマゾンはなぜ1円で本が売れるのか〜ネット時代のメディア戦争』(新潮新書)、『日本ノンフィクション史〜ルポルタージュからアカデミック・ノンフィクションまで』(中公新書)も相次いで上梓した。この三冊は相互に深い関係があり、現在のジャーナリズムへの強い危機感が伝わってくる。

かねてより日本のジャーナリズムやノンフィクションのあり方についての武田徹さんの考えに私は共感を抱いていたので、この機会に「日本語とネットとジャーナリズム」の関係について、やや突っ込んでお話をうかがうことにした。

ジャーナリストの武田徹さん。東京・神保町近くでお話を伺った。

ジャーナリズムを言語分析してみたら

武田徹さんの『日本語とジャーナリズム』は、森有正、本多勝一、佐野眞一、丸山眞男、荻生徂徠、玉木明、大宅壮一、清水幾太郎、片岡義男といった、時代もジャンルも異なる物書きたちの日本語論や文章論を手がかりに、日本のジャーナリズムに対する言語分析を試みたユニークな本だ。

この本は、武田さんが国際基督教大学(ICU)の大学院に在籍中、ライターとして雑誌への寄稿をはじめたばかりの頃に、指導教官の一人だったフランス文学者の荒木亨(アンドレ・ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』の訳者として知られる)に「武田徹は軽評論家になった」と言われたエピソードから始まる。そして荒木と親しくICUでも教えていたフランス文学者、森有正の日本語論の評価へと進んでいく。

博士課程まで進みながら、そのままアカデミズムの世界に進むのではなく、在野の物書きとして身を立てることを選んだ経緯を、最初にうかがった。アカデミズムとジャーナリズムの間で齟齬は感じなかったのだろうか。

晶文社のサイトでのウェブ連載をまとめた『日本語とジャーナリズム』。

武田:自分としては、アカデミズムとジャーナリズムとの間の摩擦感はそれほど感じることなく、やりたいことをずっとやってきたんです。修士論文では「言葉の喚起力」という問題に取り組みました。学会活動もしていなかったから、知り合いの研究者もおらず、アカデミズムという「業界」には関心がないまま、ただ純粋に書いていました。

本を読んだり、考えたり、論文を書いたりすることは好きだったけれど、その延長で大学で職を得ることは考えていなかった。それにICUで専任講師になるには、クリスチャンであることが必要条件だったんです。真面目過ぎたのかもしれないけれど、職のためにクリスチャンになったと思われるのが嫌だった。たとえ自分ではそのつもりがなくても就職ということが絡んでくると信仰が純粋でなくなるような気がして、本当に信仰をもっている人に申し訳ないという気持ちもありましたね。

ものを書く仕事をはじめてからも、大学院時代の言語への問題意識はずっと持っていて、『偽満州国論』(1995 河出書房新社)や『隔離という病――近代日本の医療空間』(1997 講談社)を書いているときにも、通奏低音としてはずっとあった。そこからは遠い仕事に見えるかもしれないけれど、『流行人類学クロニクル』(1999年、日経BP社)でも、1990年代の文化をロラン・バルトみたいに言語学によって構造主義的に分析したい気持ちがありました。

――言語論のアプローチで日本のジャーナリズムを分析するという発想はいつごろ芽生えたのですか?

武田:大学時代の言語論の延長でジャーナリズムの言語分析ができると思ったのは、ものを書く仕事をはじめてからですね。この世界には方法論がまったくないんだな、それならば、自分がこれまでやってきたことが活かせるんじゃないか、と思った。

当時、『マルコポーロ』や『ビューズ』や『DAYS』といったグラフィカルな雑誌が相次いで創刊され、「三大ニュース誌」と言われていました。いずれも湾岸戦争(1991年)で調子に乗った出版社が、「これからはジャーナリズムだ」というノリのなかで創刊した雑誌です。でも僕は、ジャーナリズムはむしろ流行批判、流行分析になるべきなのに、自分が流行に乗ってどうするのだろうと感じていた。

ジャーナリズムの調査や表現の精度が低いことも、ずっと気になっていました。再現性のまったくないことを、取材からいきなり原稿にしている。しかもスクープをとりたいから、どうしてもテーマが中心になる。テーマが大事なことはわかるけれど、そのテーマを問題として選ばせている時代、選ばせている社会を意識したうえで書く人も絶対に必要だな、と。そういう書き方をするには、枠組みを考えながらやる必要がある。逆張りではないけれど、他の人がやらないなら、自分がやらなくてはいけないかな、と。

昨年暮れから今年にかけて上梓された三冊の本。

ニュージャーナリズムとはなんだったのか

――この本のなかで、一般にはあまり知られていない玉木明という著者が取り上げられているのが目につきました。実は私も、玉木さんの『言語としてのニュージャーナリズム』(1992 學藝書林)という本を読んで刺激を受けた一人なんです。

武田:玉木明は、その後に書いた『ニュース報道の言語論』(1996 洋泉社)のほうが言語分析としてはピンときて、そこからもう一度『言語としてのニュージャーナリズム』のほうを読み直しました。『ニュース報道の言語論』で玉木が論じているのは、「われわれ」という一人称複数に仮託して書かれた報道記事から主語を消した結果、無署名性が生じてしまうという言語システムの問題です。自分がそれまでやってきた言語活動の人称構造に注目する立場と近いので、ここを経由すれば、日本とアメリカのいわゆる「ニュージャーナリズム」について、当然違いはあるにせよ、なにかが分析できるかもしれないと思ったんです。

アメリカのニュー・ジャーナリズムには、デイヴィッド・ハルバースタム(『ベスト&ブライテスト』)、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン(『大統領の陰謀〜ニクソンを追いつめた300日』、『最後の日々』)の系統と、トム・ウルフ(『ライト・スタッフ』)やゲイ・タリーズ(『汝の隣人の妻』)の系統という二つがあって、前者はストレートにジャーナリズムの文脈のなかで取り上げられる人たち、後者が文学との境界領域みたいに言われている人たちです。

玉木さんのこの本によると、トム・ウルフはかなり意識してジャーナリズムと小説とを書き分けていたけれど、ゲイ・タリーズはわざとやっていたのか、そのあたりの潔癖さに欠けていて、文学だかなんだかわからないものになってしまった。このゲイ・タリーズ批判は日本のニュージャーナリズム批判にもつながる。そして日本にはこちらの文学系ニュージャーナリズムしか存在していない。

「文学ならざるもの」と「文学」との境界線が甘くて緩いだけでなく、日本のニュージャーナリズムは細部を手に入れられていない。さすがに沢木耕太郎にはよく書けているものがあるけれど、それ以外、いわゆる「ニュージャーナリズムの文体」で書かれた日本の作品にはディテールがない感じがして、これではとても続かないだろうと思っていました。

――いわゆる「ニュージャーナリズム」の文体とは、膨大な取材に支えられた事実の集積から、書き手の一人称を消し、まるで「神の視点」で描かれた文学作品のように、三人称で綴っていく手法のことですね。日本人はなぜ、それが苦手なのでしょう?

武田:安易な日本人論はよくないけれど、一つ思い当たるところは、アメリカの人は日付などのディテイルをけっこう覚えている。日本人の場合、そこがあいまいなので、取材相手が語らなかった細部を書き手が自分の想像力で安易に補ってしまい、その結果、全体に安っぽくなってしまう。いくらでも書けてしまうという虚構の誘惑があるなかで、そこに耐えながら書いていくのはとても厳しいことです。沢木さんはかなり早くにそれに気づいたから、ニュージャーナリズム的な三人称から手を引いたのでしょう。

「ジャーナリスト」と名乗る理由

――ジャーナリズムとノンフィクションとの関係は、そのようにとても難しいものがある。武田さん自身は「ノンフィクション作家」ではなく、「ジャーナリスト」と名乗っておられますね。

武田:ここ十年ぐらいは「ジャーナリスト」という肩書をつかってます。『ジャーナリストは「日常」をどう切り取ればいいのか』(1992 勁草書房)という本でも「ジャーナリスト」という言葉が使われていますが、これは担当編集者のアイデアでした。こういう文章もジャーナリズムの仕事だと思ってもらえたこと、自分もジャーナリズムというくくりのなかに入りうるんだということが、当時は新鮮な印象としてありました。

1992年に刊行された『ジャーナリストは「日常」をどう切り取ればいいのか』(勁草書房)

その印象がもう一回上書きされたのは、「中央公論」の編集長だった粕谷一希がジャーナリストと自称していたことを知ったときです。総合誌の誌面には小説もある。つまり彼は小説も含めてジャーナリズムだと考えていて、そういう総合誌をつくる自分を「ジャーナリスト」だと規定した。新聞記者や放送記者だけがジャーナリストではなくて、もっと広い、世に何かを問うための言葉を色々と入れておけるある種の「袋」みたいなものとして、ジャーナリズムを考えていいのかと、目が醒める思いがしました。昔は定期刊行物を「ジャーナル」と呼ぶ習慣があったから、粕谷さんはそういう文脈のなかで考えていたのかもしれないけれど、自分もそれを肩書にすると楽になると思って、そのあたりから「ジャーナリスト」と名乗るようになったんです。

――いまでは「ジャーナリズム」も「ノンフィクション」も死語になりかけていて、意味やニュアンスがなかなか伝わらない。でも、だからこそ再定義するにはいい時期かもしれません。片方に、新聞記者のような従来からのジャーナリストがいて、他方に、編集者のような広義のジャーナリストがいる。さらに、いまではネット上に素人も含めた多くの書き手がいます。たとえば、昨年大いに話題になった「保育園落ちた日本死ね!!!」という文章は、はてなの匿名ダイアリーのエントリーでした。あれをジャーナリズムといっていいのかどうかわかりませんが、どんなニュース記事よりも状況を動かす効果がありました。

武田:古くからある、いわゆるエスタブリッシュド・ジャーナリズムは既得権力も持っているわけですからその裏返しとして精度を問いたいけれど、新しい動きについては精度を少しわきに置いておいて存在価値を認めてやりたいものもある。たとえば、かつてのケータイ小説も見方によってはすぐれたジャーナリズムでした。文章はひどいし、小説としても出来は悪い。いままでの文芸評論的な尺度でいえば、全然評価できないかもしれない。でもあの時期の下流の若者たちの生活の実態は、ケータイ小説というかたちでなければ描かれなかった。エスタブリッシュド・ジャーナリズムには見えなかった部分を見せてくれたという意味では、きわめてジャーナリズム的機能を果たしたと考えています。そこでは精度を求めても仕方なくて、直接的に現実と触れているものとして存在を認めたい。

――他方で、新聞や週刊誌といったメインストリームのジャーナリズムも、舞台をネットのほうに移行させつつあります。その結果、「文春砲」が流行ったり、炎上が起きたりしています。

武田:いまはネットがこんなに普及して、それをスマホで読むことも一般的になって、昔は別々に存在して見えなかったものが可視化されるようになってきた。Twitterはそれこそ憂さばらしの殴り書きもテキストとして見えてしまうからやはり気になるし、議論の対象になるという構図は間違いなくあるわけで、そこでいたずらに足をとられないほうがいい。

炎上のことも、ちょっと気にしすぎだと思います。無視しろとはいわないけれど、脊髄反射的に対応するのではなく、たとえばネット上に自分の存在を示したい、つながる力を試したいと考える「つながりの社会性」指向の反応であれば、そうした性格を踏まえて、対応するかしないか考えたほうがいい。ジャーナリズムにおいては、伝えること、つながることももちろん大事だけれど、真実像の追求とか神話の解体という指向もある。その指向の延長上にネットをうまく使えればいいけれど、いまはうまく使えてなくて、たんに流れされているような気もするんです。それよりも、いままでやってきたことを、ちゃんとやればいい。ジャーナリズムの精度が問われる部分ではきちんと精度を出し、支持されて信頼性を回復すべきだと思います。

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