第4回 『小林秀雄全作品』を売る者の悲劇

2019年12月19日
posted by 谷頭 和希

思わぬ本に出会う、それがブックオフを歩く楽しみだ。そこで出会った意外な本をいったい誰が売ったのか、それはどんな経緯で売られたのか、考えると楽しみは尽きない。それもまた、ブックオフを楽しむ戦術かもしれない。そしてその奥には、ブックオフから醸し出される悲劇が見えることだってある。前回までの連載と少しテイストは異なるが、これもまた一つの「戦術」だ。ブックオフをめぐる想像と思考の旅を楽しもう。

『小林秀雄全作品』との邂逅

それはブックオフ上野広小路店でのこと。いつものように店内を物色していると突然それは現れた。

『小林秀雄全作品』

日本を代表する評論家、小林秀雄が生涯で残した莫大なテキストが、全28巻の中にすべて収められている。そのすべてがこの棚にあるのだ。

壮観だ。奥付を見るとすべて同じ版だから、きっと誰かが一度に売ったのだ。しかし一体誰だ、これを売ったのは。試しに一冊取って中を見る。驚くべきことに、これがまったくきれいなのだ。売った人間はおそらく『小林秀雄全作品』の一作品も読んでいないのではないか。でも、読んでいても読んでいなくても『小林秀雄全作品』をまとめ買いした人がいた、というのは確かだ。その事実に想いを馳せるべきだろう。その人はうっかり『小林秀雄全作品』を買ってしまったのである。そしてすべて売ってしまったのである。だからこそ、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

ブックオフで遭遇した『小林秀雄全作品』28巻セット。

想像してみてほしい。

なんのあやまちか、それとも本当に欲しかったのか、『小林秀雄全作品』を買ってしまった人の悲劇を。28冊セットという大所帯である。きっと宅配での郵送を頼んだに違いない。なぜなら他の方法がないからだ。あるにしても、それはこの上なく悲劇的な方法だ。

「かついで帰る」

かつぐのだ。かついで『小林秀雄全作品』を持って帰る。それしかないじゃないか。あるいは両手で抱きかかえるとか、頭の上に乗せるとか、とにかく直接体を使って持って帰ればいいわけだが、しかしどれもこれもなんだか滑稽だ。試しに1冊手に持ってみる。なかなかの重さだ。これが28巻となると相当な重さ。これを持って帰るのだ。必死である。当然、普通の道にそんな必死な人はいない。もうそれだけで怪しい。つまり、『小林秀雄全作品』をかついで帰るとはこのような悲劇の始まりなのだ。

ここでふと気になり、ブックオフは買った商品の郵送を行っているのか調べてみる。どうやらそうしたサービスは無いらしい。ここに、また別の悲劇がある。ブックオフ上野広小路店で『小林秀雄全作品』を買った人はどうなるか。

「かつぐしかない」

電車でじろじろ見られようが、職質されようが、道で悪態をつかれようが石を投げられようが、とにかくかつぐしかないのだ。しかし実際にそういう人はいなかったのだ。だからこそ、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

しかしそろそろ本をかつぐ話はいいんじゃないか。私が書こうとしていたのは、『小林秀雄全作品』を買い求め、そして売ってしまった人の悲劇である。なぜ『小林秀雄全作品』を買ったのか。身の回りで流行っていたのかもしれない。どんな身の回りだ。

近隣コミュニティから売った者を想像する

いま、なんとはなしにブックオフ上野広小路店をGoogle Mapで見てみる。するとその周辺で気になる建物を見つけた。

「東京大学」

上野広小路店から東京大学までは意外なほど近い。なるほど、こうしてみると、小林秀雄全作品を買ってしまった者の輪郭がすこし見えてくる。つまりそれは東大生ということだ。東京大学にいるのは間違いなく東大生だ。いや、もしかしたら早大生とか、慶大生とか、ことによれば、京大生やデジタル・ハリウッド大学生だっているかもしれないが、とにかく東大生が多い地域なのである。あるいは東大生的なる人々、といってもよい。東大の敷地内にいる人はみな東大生的なる人々だ。

私は東大生でも東大生的なる人でもないからわからないのだが、やはり東大ではいま小林秀雄の話題で持ち切りなんじゃないだろうか。教室ではもちろんのこと、生協でも学食でもみな話題は小林秀雄のことばかりだ。学食にはこんなメニューもあるはずだ。

「小林秀雄ラーメン」

そんなラーメン私は食べたくないが、東大はそうなのだ。そうに違いない。そしてその圧に負けて『小林秀雄全作品』を買ってしまった者がいる。よもや本当に小林秀雄が読みたかったとか、まして研究でそれが必要な人ではないはずだ。なぜならその人は買った全集を売るのだ。ブックオフで。だからこそ、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

しかし、本来ならば、ブックオフに『小林秀雄全集』などあるべきではない。東大の周りにはブックオフよりも歴史がある、趣のある古書店が多く存在しているのだ。百歩譲ってだ。『小林秀雄全作品』を売るにしてもそういう、昔ながらの古書店で売った方が良かったんじゃないか。いや、そういうところで売るべきだと思うんだよ。

東大前にある古書店。

東大の周りにはこうした古書店がたくさんある。その人はそうした古書店で『小林秀雄全作品』を売らず、ブックオフ上野広小路店でそれを売った。なぜか。知らないのだ。いや、普段目にはしているのだろうけど、それが古書店だとは思っていないに違いない。その人にとって古書店といえばやはりブックオフなのだ。そして何度も繰り返すようだが、この人は『小林秀雄全作品』を読まなかった。学内で話題というだけで買ってしまった者である。ここから『小林秀雄全作品』をブックオフ上野広小路店に売った者の姿がさらにはっきりする。こう言うとなんだか哀愁が漂うが、しかししょうがない。そうに違いないと思うから書こう。

「落ちこぼれの東大生」

いや、そもそも東大に行くような人に落ちこぼれがいるのかどうか私は知らないし、なんだか実在しないような気もしないではないが、でもいると思うのだ、落ちこぼれてしまった東大生も世の中には。落ちこぼれの東大生は、きっと、古い古書店を知らないのだ。いいじゃないか、古い古書店を知らなくっても、となぜこの人の肩を持っているのかわからないが、いずれにせよこの人は『小林秀雄全作品』を売った。ブックオフで。だからこそ、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

隣接する本が醸し出すハーモニー

さて、その人の家に28巻そろい踏みで『小林秀雄全作品』がやってきた。その人は届いた本を前に呆然と立ち尽くし、こう呟く。

「どうしよう」

どうしようもこうしようもない。読めばいいのだ。本は読むものなのだから。読め、今すぐ。しかし、その人は読まない。なぜなら落ちこぼれの東大生だからだ。しかも28巻もあるのだから「じゃま」ときた。きっと一人暮らしなのだろう。とにかくじゃまだ。それを前にしてどうすることもできず、ただ茫漠と立ち尽くす。これこそ『小林秀雄全作品』を買ってしまった者の悲劇だ。

そしてやはり私の脳裏をかすめるのは、その人が一体どうやって『小林秀雄全作品』を家からブックオフ上野広小路店まで運んだかについてである。やはりかつぐのだろうか。もしかついで売りに出したのだとしたら、またそこに悲劇が存在する。そうした悲劇を経て、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

もう一度先ほどの本棚を見る。ここで注目すべきは『小林秀雄全作品』の隣にある本だ。

『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』

ここにもまた落ちこぼれ東大生の姿が透けている。きっと東大では、誰しもが俳句を詠むのだ。なぜならそこは東大だからである。俳句ぐらい詠めないようでは仕方がない。しかし、そこにもやはり落ちこぼれがいる。なんとかして俳句を詠みたい。なぜなら大学は俳句の話で持ちきりだからだ。『奥の細道』の聖地巡礼をした者らもいるらしい。こうして大学の片隅で肩身の狭い思いをしているから、藁にもすがる思いで俳句を学ぼうとする。難しい本だとよくわからない。そこで手にしたのが、『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』だ。どこで買うのか。東大の生協に決まっている。そして購入時には、相手が東大生とは思えないほどの罵詈雑言を生協の店員から吐かれるのだ。

「この人俳句出来ないんだ」

屈辱だ。他にも「ホントに東大生?」とか「『超カンタン!』って楽しようとしてる。ださい」とか散々だ。またもや悲劇である。しかし東大とはなんと恐ろしいところなのか。落ちこぼれ東大生は恐縮しながらレジを抜け、やっとの思いで家まで本を持って帰ってくる。

ここで問題になるのは、果たしてこの東大生は『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』を読み、俳句が詠めるようになったのか否かである。答えは簡単だ。「否」である。なぜなら落ちこぼれた東大生はこの本を売ってしまったのだ、またもやブックオフで。その証拠に、いま私の目の前には『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』がある。

なぜ売ったのか。この人は恐る恐る本のページを開ける。そして冒頭にある一文に驚愕するのだ。

「俳句がうまくなるコツは『とにかく毎日つくること』」

作れないよ、そういわれても。作れないから買ったんじゃないか、この本を。ここにまた悲劇が存在する。そして『小林秀雄全作品』と同じように、いや、果たしてそれが『小林秀雄全作品』を売った人なのかどうか全くわからないし、ほとんどの確率で異なる人だと思うのだけれど、とにかくそれはブックオフに売り飛ばされることになる。いま、『小林秀雄全作品』と『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』をブックオフ上野広小路店へ売った者らはどうしているだろう。その人は小林秀雄全集を読めただろうか。その人は俳句を詠めただろうか。たぶん読めて/詠めていないんだろうな。

ブックオフ上野広小路店の書棚には、落ちこぼれた東大生の悲劇が詰まっていた。あるいはブックオフには他にも読まれなかった本たち、あるいは必要とされなくなった本たちの悲しみがそこかしこに詰まっている。不必要なものたちが、ただそれだけの巡り合わせで同じ書棚に並んでしまう。誰が小林秀雄と夏井いつきが隣り合うことを想像しただろうか。しかし、やはりいま私の目の前には『小林秀雄全作品』があり、そして『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』がある。

*     *     *

しばらく経ってからブックオフ上野広小路店をまた訪れる。あのときの書棚をもう一度見てみた。『小林秀雄全作品』はポツポツと売れていた。それから『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』も売れていた。だれが買ったのだろう。また、落ちこぼれた東大生だろうか。

悲劇は伝播する。

(続く)

執筆者紹介

谷頭 和希
ライター。1997年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業後、早稲田大学教育学術院国語教育専攻に在籍。デイリーポータルZ、オモコロ、サンポーなどのウェブメディアにチェーンストア、テーマパーク、都市についての原稿を執筆。2022年2月に初の著書『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社新書)を発表。批評観光誌『LOCUST』編集部所属。2017年から2018年に「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第三期」に参加し宇川直宏賞を受賞。