ソウルの「独立雑誌」事情[前編]

2012年10月3日
posted by 中山亜弓

始まりは一通のメールでした。ソウルのジン・イベントで、3.11関連の日本のジンを特集するので紹介して欲しいという、謎の人物ヤンさんの少しぎこちない日本語の問い合わせに、私は、思いつくジンをリストにして返信しました。震災から約1年が過ぎた時期に、隣国から関心を持ってもらえた嬉しさに、その後も、思いついたジンや新しいジンを追加して、メールのやりとりをするうち、彼女が毎年企画するジンイベント ABOUT BOOKSのトークショーで日本のジンについて話しませんかという打診をもらったのです。

招待されたイベント ABOUT BOOKSのカタログやフライヤーなど。

人前で話すのは苦手だけど、ソウルのジン事情や本屋さんが見たくて引き受けましたが、まさか、渡航チケットとホテルの予約のやり取りで直前まで時間とエネルギーを費やされようとは思ってもみませんでした。地元の東京から飛行機に乗りたいと言っていたのに、なぜか大阪―ソウル間のEチケットが届いたときは、韓国は本当に近くて遠い国だと思いました。が、チケットを自分で取り直し、なんとか旅支度を整えました。

そこで今度は、イベント情報を収集しようと、ネットで前回の日本人トークゲストのレポートを読んだところ、韓国と日本のノリの違いに不安を感じ、助けが欲しくなり、春先に、取材でソウルからタコシェに見えたコーディネーターのイ・ガンボン(李光範)さんを思い出しました。日本で生まれ育ち、現在はソウルで日韓間の各種コーディネイトを行っているバイリンガルのイさんは、快く滞在中の助っ人を引き受けてくれました。

ソウル出発前に日本のジンの紹介用につくったブログサイト。

トークショーは、現地のジン「シンクレアマガジン」の編集人カン・ジウンさんの司会で、大阪のzine・リトルプレスの通販専門店books DANTALIONの堺達朗さんや、オルタナティヴなコミュニティの在り方を考えるジンFOREST ZINEの編集発行人のモリテツヤさんとともに、日韓ジンの相違を擦り合わせながら、日本のジンについて紹介するとのこと。堺さんに伺うと、Zine Picnicなどのジンイベントを中心に紹介しようと思う、というので、この業界で20年近い私は、自分の手持ちのジンも使って実物をご覧いただけるように、画像中心のブログ(The Japanese Zine Archives)を作りました。ヤンさんやカンさん、そして当日のお客様に事前に見てもらえたら、質疑応答もしやすいし、当日プロジェクターで映し出せるし、仕込みはOKです。

ソウルのセレクト書店を訪問

こうしてトークショーの前日、7月26日にソウルに入り、ヤンさんが働く会場のSangsangMadang(サンサンマダン)がある弘大(ホンデ)へ向かいました。ここは、韓国の美術・デザイン界に多くの人材を輩出する弘益大学を中心とした、アートの香りが漂う、カフェ、レストラン、クラブ、ショップが集まるエリアで、裏原宿や下北沢のような雰囲気でした(今はカフェと和食が大ブーム)。その中でも2007年にオープンした、韓国のJTというべきKT&G系列の複合文化施設SangsangMadangはデザイナーズビルみたいな外観の地下4階、地上7階の建物の中に、アート・デザイン系のショップ、ギャラリー、映画館、スタジオ、セミナー用の教室、カフェがあり、若手の発掘育成に力を入れているそうです。

ABOUT BOOKS INDEPENDENT BOOK MARKETは、このギャラリーを会場に、韓国の現行のジンの見本市的な展示・販売を行い、その一角に3.11関連の日本のジン16種も展示されました。原発事故に対するプロテストジンから、私的日記やコミックもありと、硬軟とりまぜたセレクトです。空間をゆったり使ったオシャレな雰囲気。タコシェにときどき納品される、ご隠居さんが作った本とか、中学生が作ったような独特すぎる装幀の本は見当たらず、ちょっぴり寂しい気分。

ここでコーディネーターのイさんと待ち合わせた私は、行ってみたかったセレクト書店your mindを訪ねました。ビルの5階、シェイクスピアの言葉を刻んだ大きな窓からは美しい街の景色が見えて、反対側の壁には吹き抜けの天井まで本棚が高く作りつけられた、美しい店内。海外ものを中心にアート、グラフィック系の本や雑誌がディスプレイされ、お店の一角には国内ジンを集めたコーナーもありました(下は店内の風景)。

奥さんと二人でお店を営むイロさんによると、国内のジンは今のところ持ち込まれたものすべてを預かっているそうで、タイトル数は決して多くないけど、ガーリーなものからアーティスティックなものまで扱われていました。そこで、私は去年ベルリンのジンを扱う書店Mottoでたまたま一冊だけあって購入したグラフィックジンと同じシリーズを見つけました。それは毎号、韓国内外の一人のアーティストを特集して、作品をカラーで収録し、巻末にハングルと英語のプロフィールをつけた小冊子で、40号近くバックナンバーがあったので、いくつかを購入しました。

新陳代謝のなかで細分化する「独立雑誌」

ヤンさん、堺さんと一緒にSangsangMadangで打ち合わせ。ここで初めて、日韓のジンの定義の擦り合わせを行い、大きな違いを発見することになります。取次ぎが流通を仕切る日本の出版界では“一般流通に乗らない”ことが、自主制作・自主流通の目安になりますが、ヤンさんには、本や雑誌がいったん卸業者に集められ、その采配で書店に配分されるシステムが驚きだったようです。一方で私には、韓国では、何をもって、どこからをインディペンデントというのかがわかりません。

事前にいただいた資料(※自動翻訳でだいたい読めます)によると、韓国では、広告を掲載せず、表現の制約から独立し(先日、マルキ・ド・サドの「ソドム120日」が有害刊行物の判定を受け、廃棄・回収が命じられましたが、エロやセクシャリティ関連の過激なものへの抵抗感は、読者の側にも強いようです)、多様なテーマを自由に扱う小規模雑誌を、ここ数年“独立雑誌”と呼ぶそうです。90年代末の経済の落ち込みで、広告収入が減り、経費削減を強いられ縮小した雑誌市場は、21世紀に入り、いくぶん持ち直しながら、webジンと独立雑誌の創刊を促しました。そして雑誌は、創・廃刊の新陳代謝の中で、よりカルチャー色を打ち出し、細分化・専門性を強める傾向にあるようです。

どうやら、この独立雑誌をジンと呼ぶようですが、日本で見かけるようなジンの手軽さ、お気楽さはあまり感じられません。広告が無ければ独立雑誌なのか、それとも内容的な問題なのか?「独立雑誌って名乗れば、独立雑誌になるの?」の質問に、ヤンさんはちょっと困って、「それを話し合ってください」と答えました。そこで、翌日の打ち合わせで、「シンクレアマガジン」の編集者カンさんにも同じ質問をしてみました。

「シンクレアマガジン」(上の写真も参照)は、文学賞を獲り、文壇に認められない限り、雑誌に文章が掲載される機会がない環境を変えようと、有志の若者たちが作った発表の場で、特集にあわせた記事やインタビューが中心の、一見して真面目な冊子です。刷り部数1000部、実売500部前後と、小規模ながら、10年ほど定期的刊行を続け、ワークショップも開催し、厳しい出版界で健闘している模様です。

「私たちは変わらずに雑誌を作ってきただけなのに、ここ数年で急に“独立雑誌”と呼ばれ、その先駆的存在に位置づけられるのに違和感を覚えます。ですから、自分たちでは、小規模出版と呼んでいます」との返事で、独立雑誌という呼称がどこまで浸透しているのか謎のままでした。

ネットでは埋めることのできない隙間に浸透するジン

余談ですが、日本ではトーク居酒屋やトークイベントで、出演者も観客もアルコールを飲みながら進行することがある、と話すと、本番ではいつの間にか冷えた缶ビールが用意されていました。「今日は日本式にビールをご用意いたしましたので、どうぞ皆さんもお飲みください」と礼儀正しく観客にも振る舞われ、恐縮すると同時に、ビールつきが決して日本のスタンダードではないことを言い出せなくなりました。

観客は、取材の方やあらかじめ応募したジンに関心のある人たち数十人で、若い女性が多めでした(会場風景は上の写真を参照)。日本では、ミニコミ、同人誌、リトルプレス(和製英語)、ジン…と、自主制作出版物の呼称が増えるにつれ、関わる人たちの層も広がり、形態も多様化し、よりニッチなものになってきたと感じます。ここ数年のジンブームは、個人でそこそこデザインもできて、印刷業者に発注して、本“らしい”ものが作れるようになったのに対して、クラフト感のある孔版印刷を使ったり、在庫を抱えない小規模単位で作って、フットワーク軽くイベントに出向いて販売するなど、情報伝達のみならず交流ツールとしての比重を増してきたように思います。ネットや出版インフラが充実する一方で、それらが埋めることのできない隙間にジンが浸透しているといおうか。

一方で、カンさんは、「ネット社会でジンを発行する意味は?」といった類の真面目な質問を繰り出します。それはまさに私がカンさんに訊きたいことで、なぜこうも地道にジンを作ってきたのか気になります。

2、3年前に、精神的にも経済的にも継続が難しい時期があり、休刊も考えました。休刊したら、残念に思う読者もいるでしょうが、一週間もしたら忘れられてしまうでしょう。でも、編集のない自分の生活を考えてみると、とても想像できなかったのです。それで、経費を見直し、販売に力を入れ、定期刊行に拘らずに、無理ないペースで続けることにしたのです。

なんと、カンさんたちは、10年近い雑誌的期間を経て、ジンの方法に移行しているようでした。

結局、仕込んだブログの画像は、パソコンの接続が悪く不発で終わり、話題に出ませんでした。頼まないビールがアドリブで出ちゃうのに、準備しておいた画像が出ないだなんて! メールでの意思疎通はたいへんだったのに、ボランティアで翻訳や通訳をしてくれた、ヤンさんの妹分ソンさんも連日、遠回りになるのに親切に送ってくれたり…。そんな不思議がソウルには、まだまだいっぱいありました。

後編につづく)

■関連記事
本のジャム・セッションは電子書籍でも続く
百年の一念
ソーシャルメディア時代に言説のハブを作る
〈ミニコミ2.0〉とはなにか?

執筆者紹介

中山亜弓
東京・中野にある書店タコシェ店主。国内外のジン、リトルプレスを見るのが好き。訳書にエミール・シャズランとガエル・スパール作『ふたりのパパとヴィオレット』(ポット出版)がある。