小高の本屋、フルハウスに行ってきた

2019年6月6日
posted by 仲俣暁生

昨年の4月9日、小説家・劇作家の柳美里さんが福島県南相馬市の小高区内に「フルハウス」という小さな本屋を開業した。〈旧「警戒区域」を「世界一美しい場所」へ〉と呼び掛けたクラウドファンディングによって得た資金(約890万円)などで、小高駅近くの自宅を改装してオープンした「フルハウス」は、作家や書評家たちによる選書や、定期的なトークイベントの開催で話題となった。このイベント運営に携わっている「いわき経済新聞」の山根麻衣子さんによるレポートを「マガジン航」でも掲載したことがある。

被災地の本屋さんにブックカフェを拡張する

この「フルハウス」を拡張してブックカフェをつくるため、今年の6月末を期限とするあらたなクラウドファンディングが始まっている。来る6月9日(日)には、東京の日比谷図書文化館でこのプロジェクトへの支援を呼びかける柳美里さんのトークイベントが行われ、私が聞き手を務めさせていただくことになっている。さいわい定員60人はすぐに埋まり、被災地に小説家が開いた本屋に対する関心の高さが伺える。そうなると私自身、一度はこのお店を見ておかなくてはという気持ちになった。お店だけではない。「フルハウス」をとりまく小高の町の様子も見てみたい。

柳美里さんとはこれまでインタビュー取材を通じて面識はあったが、小高をはじめとする南相馬地域の状況については詳細を知らずにいた。柳さんは昨年、自らの劇団「青春五月党」を復活させ、被災地の高校が合併してできたふたば未来学園高等学校の演劇部の学生と『静物画』という演目を上演した。その公演が今年3月に東京・北千住で行われた際にご招待いただき、柳さんとも久しぶりに話をすることができた。この公演はじつに素晴らしく、一流の劇作家がかかわることで高校演劇の水準がここまで高まるのかと感嘆した。そして被災地に文化人が定住し、活動することの重要性を感じた。

ふたば未来学園高等学校演劇部の学生が演じた青春五月党の『静物画』東京公演のビジュアルイメージ(撮影:新井卓)。

私がはじめて震災後に福島入りしたのは、一昨年の6月にいわき市内で行われた『たたみかた』という雑誌のイベントに登壇したときだ(それ以前となると中学時代の会津への修学旅行まで遡る)。このときも山根さんの案内で、いわきから国道6号線を北上して広野町、楢葉町などを経て、富岡町(一部が未だに帰還困難区域)まで行くことができた。すでに震災から6年を経ていたが、そのときに見た国道沿いの風景は忘れがたいものだった。

小高へ

小高駅前から市街地を望む。「フルハウス」は右手にあり、駅から徒歩でもすぐ到着する。

今回の目的地である小高までは、いったん東北新幹線で仙台まで行き、再開した常磐線で南下するのが早いという。だが、あのときの国道6号線沿いの風景をもう一度見てみたい気持ちもある。無理をいって山根さんに車を出していただき、今回もいわきから北上した。都内を朝9時に出たが、フルハウス到着は午後1時半過ぎ。天気は気持ちのいい五月晴れで、遠く阿武隈山地がよく見えた。

小高は現在は南相馬市の一部となっているが、かつては独立した町だった。小高川を渡った集落の北方には、この地を治めた相馬氏の居城・小高城址に建つ相馬神社があり、有名な相馬野馬追祭りの際に奉納の「野馬懸」が行われる場所として知られている。

また小高は近代文学にゆかりのある町でもある。私がこの町の名前を知ったのは、写真家の島尾伸三のエッセイ集『小高へ』という本によってである。『死の棘』『魚雷艇学生』などで知られる小説家の島尾敏雄は伸三の父であり、小高は島尾家の父祖の地なのだ。また『死霊』の著者、埴谷雄高も小高にゆかりのある作家で、本籍は小高にある。そうした縁から、小高には埴谷・島尾記念文学資料館という施設もある。

「フルハウス」の外観。手前の駐車場スペースに「ブックカフェ」を増築する予定。

小劇場「La MaMa ODAKA」には青春五月党の公演『町の形見』のセットが残されていた。

柳美里さんの自宅でもある「フルハウス」は、小高駅の西側に広がる中心市街地にあり、駅からも至近距離だ。外観はごくふつうの戸建て住宅だが、一階の二間が小さな「本屋」になっている。そして裏手が小劇場「La MaMa ODAKA」だ。こちらも常設の劇場というよりは、まだまだ仮設の芝居小屋という感じだ。すべてがまだ「進行中」のように思える。

この日は9日のトークの打ち合わせをすることが目的だったが、クラウドファンディング盛り上げのための映像素材も撮影するとのことで、柳美里さんのほかに、副店長の柳朝晴さん、クラウドファンディング担当の堺亮裕さん、そして山根さんと、おもだった運営スタッフが揃った。この日は店は閉めていたのに、お客さんが次々にやってくる。なかにははるばる仙台から来たという方もいた。

左から山根さん、副店長の柳朝晴さん、柳美里さん、堺さん。

玄関から入って左手がメインの「本屋」コーナー。

「フルハウス」は十数人も入れば一杯になってしまう小さな本屋だ。通りに面した窓にカウンターテーブルが設置されており、本を読んだり勉強や作業もできる。今回のクラウドファンディングは、この窓の向こう側にさらに「ブックカフェ」を拡張するためのものだ。完成予想図や模型をみせていただいたが、本格的な「カフェ」というよりは、コーヒーも飲める多目的空間という印象を受けた。いまは手狭なフルハウスにこの空間ができることで、学生や住民のたまり場にもしたいそうだ。

駐車場に面した窓にはカウンターテーブルと椅子があり、現状でも勉強や作業ができるようになっている。

ブックカフェ・コーナーを増築した後の「フルハウス」のイメージが柳さんの近著の装丁に使われている。

新たな息吹のなかで

小高を含む南相馬市は、2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けた。さらに福島第一原発事故により、20キロ圏内にあたる小高区内の大半が警戒地域となり、住民に避難指示が出た。震災以前は約1万3000人が住んでいた小高は、完全に無人の町になってしまった。

避難指示が解除されたのは、震災から5年を経た2016年7月12日。以後、小高にも少しずつ人が戻りはじめている。市街地にはいまも更地が目立つが、若い世代による動きもさまざまに起きている。「フルハウス」の近くには昨年8月に「Odaka Micro Stand Bar(オムスビ)」の実店舗がオープン。キッチンカーでスペシャルティ・コーヒーを提供するところからはじまった、30代の若い世代によるプロジェクトだというが、この日も店には大勢のお客さんがいた。

小高の市街地にはこのほかにも、老舗ガラスメーカー・ハリオのアクセサリー工房が出来、あらたな雇用も生まれている。歴史的・文化的な風土があり、町には本屋と劇場、そしてカフェがある小高には、一種の「都会的」といってもいい雰囲気がある。

「フルハウス」の近所には本格的なドリップコーヒーが飲めるカフェスタンドも。

この日はあいにく休みだったが、小高にはこんなガラスアクセサリー工房もできた。

今回のクラウドファンディングにより、「フルハウス」にあらたなスペースができることは、小高の町のこうした動きにも、刺激を与えるに違いない。さらに南相馬市全域、あるいは常磐線沿線の浜通りの被災地全域にとっても、小高の町が文化の力で再生していくことは、ひとつの希望になると思う。

学校や仕事が終わったあと、ふらっと本屋に立ち寄り、本を片手にコーヒーを飲む。そして仲間と語り合う。都会に暮らしていると、ごく当たり前のように思えるそうした時間をもつ権利を、決して都会に住む者だけの特権にしてはならない。小高に居を移し、「フルハウス」を創作活動の拠点とした柳美里さんには、そのあたりの話もぜひうかがってみたい。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。