非日常としての本屋、日常としての本屋

2019年1月9日
posted by 伊川 佐保子

年末年始に旅をした。日本列島を西に向かったその移動の意味の半分くらいは本屋を訪ねることにあったから、本屋へ向かう旅だったということもできなくはない(あと半分は、足の悪い祖母に会いに行くことである)。ここ最近、遠出が決まると、道すがら本屋を探し訪ねる生活が続いていた。

この旅では、岐阜・恵那の庭文庫と広島・尾道の弐拾dBのふたつの本屋に行った。どちらもその場所にあるよさをしんみりと感じることのできる、優しい店だ。もっと家の近くにあったらいいのにと、わがままな気持ちを抱かないわけでもないが、それは、また出かけようという言葉に置き換えられる。

旅の目的のひとつはこの店を訪れることだった。

思い出の中には、本と本屋にまつわる風景がいくらでもある。それらはいつも、駅前には小さな新刊書店とBOOKOFFがあり、立ち読みをしては、お小遣いで100円の文庫本や漫画を買った。足りなければTSUTAYAもあった。同級生の親戚がやっていた近所の駄菓子屋では、月末から早売りしている「りぼん」を買い、小学生も高学年になると、自転車で15分ほどのところにある大きな新刊書店に通った(そこでは大学時代、一度アルバイトもした)。もっとさかのぼれば、幼稚園時代に住んでいた場所の近くには、絵本専門店があって、わたしは読み聞かせ会に連れて行ってもらっていたらしい。

思い返せば、いくらでも本と本屋にまつわる風景が浮かぶ。それはいつも、幸せな景色としてわたしの中に存在している。

近ごろ、本屋に行くことは非日常になっているという。確かにそうなのかもしれない。必要な本があればAmazonで買えばいいのだから、わざわざ本屋に行くことは趣味のひとつにすぎない。いわれてみれば、わたしにとってもそうだ。多くの人々にとって本屋が当たり前のものだったのは、わたしのこども時代、あるいはそれよりさらに前の時代であって、そちらの方が特別だったといえるのだろう。

本屋のたしなみ

旅の前々日、自分の店の開店準備の工事がどうにかこうにか始まった日。大工さんの一挙手一投足を眺め続けているわけにもいかないので、青山ブックセンター六本木店跡地にできた文喫へ足を延ばしてみた。わたしの店ほんやのほからは、東京メトロ日比谷線の小伝馬町駅から電車に乗って10駅目が六本木駅。近いというほどではないが、行くこと自体はむずかしくない。

六本木を歩くのは久しぶりだったので、きょろきょろしながら店内に入る。平日の朝10時すぎ、オープンから1時間後。客の姿は少なく、黒いジャケットを羽織った店員が掃除をしていた。暖房が効いていたが、眠気を誘うほどではない。内装は本屋というより、上品なホテルのラウンジという雰囲気だ。一般人を寄せ付けないように見えて、中に入ってしまえばくつろぐための工夫がされている。

その配慮された空間に、それでもまだ恐る恐る入場料を支払うと、店員から手渡されたバッジを身につけた。雑誌の入った棚を開けたり、階段を上って本を眺めてみる。カウンターで煎茶をもらって机のある席に着き、横の席に座る人を真似てパソコンを出してみる。立体的な店内の一番上にある席からは店内をちょうどよく見渡せて、そわそわしていた気持ちが落ち着いてきた。

コートを脱いで椅子に掛けると、また本棚の方へ行ってみた。すべて1冊ずつ、同じ本はひとつもないのだという。工夫されているという噂を聞いていた平台には、文脈を感じさせる本が並べられていた。

文喫の書棚。

見ているうちに、わたしのスイッチが入った。手に取ってみたい、この本を読んでみたい、買って帰りたい。そう思ってしまうだけの楽しさがここにはあった。企みが隠されている。その企みが客の動きによってまた変化していくならば、来るたびに楽しめるだろうという予感が胸に残った。

本棚から数冊を手に取り、席に戻る。本を机に置いて、入り口でもらったパンフレットをめくると、「文喫のたしなみ方」としていくつかのルールが書かれていた。なるほど、この場はたしなむものなのか。いや、あるいは本屋自体がそうなのかもしれない。

一般的な本屋に「たしなみ方」があるとすれば、どうだろう。まずその中に「入場料を支払う」とは書かれていないはずだ。たいていは、「ふらりと立ち寄れて、お金を使わずに出ることができる」とされているように思う。

従来の本屋の常識からとらえるなら、文喫は非常識な本屋だ。でもわたしのような本好き、あるいは少なくとも本に嫌悪感は持たない人が、気分転換に作業するしたりのんびりくつろいだりする空間だとすれば、聞いていたよりも日常的な場所かもしれないと感じた。

たしかに部屋着で訪れるような場所ではない。でも例えば、どこか街に出かけて、急に刺激がほしくなったとき。どうせ面倒な仕事を片付けるなら、たまに息抜きのできる本のある空間で過ごしたいと思ったとき。その人にとっては、選択肢の上位に入ってくる場所かもしれない。そして思うに、日本には本屋の常識を気にする人よりも、「ちょっとした本好き」の方が多いのではないだろうか。

文喫は入場料を取ることで、本屋としては当たり前だった「ふらりと立ち寄れて、お金を使わずに出ることができる」ことに例外を示し、それがひとつのあり方にすぎないと明らかにした。どちらのあり方がいいかを語るよりむしろ、そのどちらもが本屋として許容されうることがわたしにはうれしい。

文喫では数時間くつろぎ、すぐに買いたかった雑誌と、どこかで出会えば買いたかった本と、はじめて触れて気になった本の合計3冊を購入した。また行くと思う。

まだ見ぬ本が勝手にうごめいている場所

この数年、車に乗る機会が増えた。それまで徒歩、自転車、電車がわたしの移動のほとんどすべてだったところに、突然、車が加わったのだ。すると、自分の中の地図がまるで変わってしまった。よく行く場所は「自転車か電車で近いところ」から「車で行きやすいところ」に替わり、今までとは違う風景を見るようになったのだ。かんたんに行けると思っていた紀伊國屋書店新宿本店は駐車しづらい場所になり、その代わり、なかなか行けないと思っていた遠い町の書店にも立ち寄れるようになった。人間とはなんと他のものに左右されやすい存在なのだろうと驚く。でもだからこそ、行こうと思えばどこにでも行ける現代に、わたしたちは好きなように移動し、本屋を発見することができる。

わたしが始めようとしているほんやのほにしても、オフィス街のビルの2階にあり、「どこでもドア」のない時代では、たいていの人にとって非日常的な本屋だろう。でも、誰かの日常の中に組み込まれることもあり得ないとはいえない。

わたしは、自宅のとなりに本屋があればいいと空想し続けている。自分の部屋の本棚もいいが、それだけでは足りない。それはあくまで、一度は自分の把握したものであり、覚えのない本を発掘してそれがいかに新鮮に感じられたとしても、本は動いていないのだから。わたしが思う本屋とは「わたしのあずかり知らぬうちに、まだ見ぬ本が勝手にうごめいている場所」であるようだ。

本の生きている音がする場所。そのためには、自分ひとりだけではない何者かの手が入っていなくてはいけない。そういう本屋が、家のとなりになぜないのだろうか。週によって、日によって、時間によって違う本屋がかんたんに行ける場所にあればいい。なんならすべての本屋がとなりにあればいい。つい、「どこでもドア」の発明を願ってしまう(もちろん、向かうまでの景色や思い出も含めて本屋の思い出になるのだから、それが失われるのは悲しいことでもあるが)。

本が動き続け、わたしがそれらに出会い続けるために、わたし以外の誰かもすぐにさまざまな本屋に出かけられ、その本屋でそれぞれに本を手に取ればいいと願う。それもおっかなびっくりではなく、ただ当然のこととして手に取ってほしい。買って帰って、読むなり、眺めるなり、触れるなり、本棚に並べるなりすればいい。わたしはすべての本屋の中に制御不能な動きを見続けたい。それがさまざまであればいい。なんとも利己的な願いだ。そんな途方もない願いを抱きながら、わたしは小さなひとつの本屋を作る。

本を動かしていくもの

旅の中、岐阜・恵那で訪れた庭文庫では、開店してからずっと行きたいと思っていた本屋だというだけでなく、休みの予定だったところわざわざ開けてもらったという事情もあり、少し緊張をしていた。

庭文庫の店内。

それでもゆったりした時間の中で、並ぶ本を手に取り、広がる景色を眺め、お茶をいただきながらストーブの前にのんびりしていると、店主の百瀬さんが「弁当を買ってきて、一緒に食べませんか」とさそってくれた。弁当屋が年末休暇に入っていたため、それは実現しなかったのだが、わたしは彼の優しさと、あまりの自然さにほっと息をついた。いいな、いいなとくり返し思う。こうやって旅の中ででも、今までに気付かなかった本屋との日常の芽は生まれていくのだろう。それはきっと、本を動かしていくものだ。

東京に帰ってみると、店の工事は難航し停滞していた。開店するにあたり準備不足なあれやこれやにも、徐々に気がついてきている。それでもきっと、2019年の2月1日に本屋「ほんやのほ」はオープンする。

本屋「ほんやのほ」は2月1日のオープンに向けて着々と工事中。

はやく、誰かの日常の発見になりうる本屋を試してみたい。本屋として、多くの人にたしなまれてほしい。そうすることで、多くの人々の手によって本が動き続けられますように。日本橋大伝馬町からはずいぶん遠い旅先の地で、そう願ったことを、忘れないようにしたい。

執筆者紹介

伊川 佐保子
2019年2月、日本橋大伝馬町に小さな本屋「ほんやのほ」開店予定。1992年東京都杉並区生まれ。気になった言葉をころころ転がして遊ぶ「回文庫」活動中。
ほんやのほサイト: https://books-ho.tokyo
Twitter: https://twitter.com/ho_bo_po
note: https://note.mu/ho_bo_po