10月13日に東京で開催された、第103回全国図書館大会東京大会の第21分科会(テーマ:公共図書館の役割と蔵書、出版文化維持のために)において、文藝春秋の松井清人社長が行った「公共図書館は文庫本を貸さないでほしい」との趣旨の発言が波紋を呼んでいる。
この分科会報告はネット上で資料が公開されており、PDFで読むことができる。そこで、私もさっそく手に入れ目を通してみた。上の言葉に相当する部分を引用する。
出版文化を共に支えてくださる公共図書館にお願いします。どうか文庫の貸し出しをやめてください。それによって文庫の売上げが大幅に回復するなどとは思っていません。図書館では文庫は扱っていない、それなら本屋で買うしかない、文庫くらいは自分で買おう。そんな空気が醸成されていくことが何より重要なのです。最後に本と図書館を愛する読者の皆さまへ。文庫は借りずに買ってください!
この分科会では松井氏のほかに、みすず書房の持谷寿夫氏(日本書籍出版協会 図書館委員会委員長)、慶應義塾大学文学部教授の根本彰氏、岩波書店社長の岡本厚氏も、それぞれの立場からの報告を行った。
とくに根本氏の報告では「図書館は出版物販売に負の影響を与えていない」という学術的な調査研究が紹介されている。これは、「近年、文庫を積極的に貸し出す図書館が増えています。それが文庫市場低迷の原因などと言うつもりは毛頭ありませんが、まったく無関係ではないだろう、少なからぬ影響があるのではないかと、私は考えています」という松井氏の主張への回答にもなっている。
根本氏もいうとおり、そもそもこの問題は十年以上前から幾度も蒸し返されてきた。2003年にはいわゆる「複本」問題をめぐって日本図書館協会と日本書籍出版協会が共同で「公立図書館貸出実態調査」を行い、一定の結論が出ている(報告書はこちら)。今回の松井氏の発言はベストセラーの複本から「文庫本」へと話題をシフトしての、あらためての公共図書館バッシングと言われても仕方ない。
松井氏はその後も「弁護士ドットコムニュース」のインタビューに答え、同様の発言を続けている。出版社側のホンネは、以下のような松井氏の発言からうかがうことができる。
少し前からデジタル化の波が押し寄せてきて、全てがフリー(無料)で手に入るという社会になってきています。コミックもゲームも今や無料で楽しめます。一方で、利用者は「無料で当然」「もっと便利なものを」とエスカレートしているような気がします。文庫本を大量に揃えている図書館は、利用者の要求に応えているのかもしれませんが、そうしたフリーの風潮に流されてしまっていないか、とも思います。図書館はとても読書に対して影響力がありますから、その役割をもう一度、考えていただきたいのです。
このくだりを読んで、私はうーむと考え込んでしまった。そもそも「文庫」とはなんだったのだろうか、と。
文庫本は「ライブラリー」か「換金装置」か
ところで、「文庫」と「文庫本」とは区別して議論する必要がある。文庫は〈library〉に相当する日本語として近世以前から使われてきた言葉だ。足利文庫、金沢文庫など、起源を中世にまで遡る文庫も多い。この「文庫」という言葉を日本の出版界が「小型本のシリーズ名」として使い始めたのは、新潮社の「新潮文庫」(1914年創刊)が最初だと言われている。さらに今年で創刊90周年となる「岩波文庫」(1927年創刊)が大きな成功をおさめたことで、A6判サイズの小型本を「文庫本」と呼ぶ現在に至る習慣が定着した。
岩波文庫の巻末にいまも必ず置かれている「読書子に寄す」については、以前にこのエディターズノートでも触れたことがある(〈文庫〉の思想と「読書運動」)。岩波茂雄の名で発表されたこの文は思想家の三木清の手が加えられており、彼の「文庫」観が反映している。岩波文庫創刊の際の事実上のブレーンである三木の「文庫」観について、私は上の記事で「書物の倫理」から以下の一文を引いた。
本は自分に使えるように、最もよく使えるように集めなければならない。そうすることによって文庫は性格的なものになる。そしてそれはいわば一定のスタイルを得て来る。自分の文庫にはその隅々に至るまで自分の息がかかっていなければならない。このような文庫は、丁度立派な庭作りのつくった庭園のように、それ自身が一個の芸術品でもある。(「書物の倫理」)
ここで三木が言っている「文庫」とは個人蔵書のことである。レクラム文庫に範をとった新潮文庫や岩波文庫は、誰もが良書を個人蔵書としてもてるよう東西の古典を廉価で提供しよう、という出版プロジェクトだった。「文庫本」の原点にはたしかに、「自分で買おう」という考え方を後押しするものがあった。裏返せば、本を買うことはそれまで、大衆にとってはきわめて稀な行動だったということだ。
しかし現状の「文庫本」は、書物のコモディティ化やデフレ化の象徴でこそあれ、古典を収める輝かしい器ではない。先の報告でも文藝春秋の松井社長自らがそのことを告白している。
「文庫」は文芸系出版社を支える屋台骨です。多くの版元にとって収益の大きな柱となっている。わが文藝春秋でも最大の収益部門は文庫であり、収益全体の30%強を占めています。これは、「週刊文春」「文藝春秋」という、長く部数トップの座を保っている雑誌をも上回る数字なのです。
(中略)
良書を刊行し続け、作家を守り、そして版元の疲弊に歯止めをかける。そのために必要なのが、文庫が生み出す収益といっても過言ではありません。文庫は廉価ですが、だからこそ購入しやすい。発行部数も桁違いに多いし、販売期間は長期に及ぶ。読みたい作品が単行本から文庫化されるのを待つ読者も沢山いるのです。
ほぼ同様のことを、2015年に行われた第101回の同大会・第13分科会で新潮社の佐藤隆信社長が、以下のように発言していた(同大会の報告書はこちら)。
文庫はいちど単行本で刊行した作品を、形を変えて安価にし、より多くの人に読んでもらい、お金に換えて著者に還元し、出版社も明日の出版に繋げていくための原資を得る、そういう装置として開発された商品だ。その文庫が図書館で充実し、貸出によって多くの人を回っていくのはせつない。
佐藤氏の「そういう装置として開発された商品」という言葉は強烈だ。ここで新潮社や文藝春秋の社長が言っているのは、「文庫本」は重要な「換金装置」だから貸出してくれるな、ということに尽きる。
「文庫」とは本来、時の試練に耐えて生き残ってきた古典をはじめとする良書の器のことだった。そのような意味での「文庫」であれば、公共図書館に置かれることは当然ではあっても、批判されることではない。公共図書館が良質なlibrary(蔵書)をもつことは当然であり、それが「文庫本」と呼ばれる小型の本であっても、そこにはいかなる矛盾もない。
しかしいまや、「文庫本」は出版社にとっての単なるマネタイズのための「装置」なのだ。だからこそ「貸出してくれるな」ということなのだろうが、それは図書館に対して言うべきことだろうか?
文庫本の売上は、松井氏の言うとおり「出版科学研究所によれば、販売金額で(2014年には―編集部注)前年比6.2%、販売部数では7.6%の減少。15年には金額で6.0%、部数で7.0%の減少。16年には金額6.2%減、部数7.2%減と、まさに減少の一途」を辿っている。
こうした事実を前に、科学的な因果関係を示すことなく図書館をあげつらい、世間に向けて情緒的に「文庫は借りずに買ってください!」と叫ぶしかないところにまで、文芸系の出版社は経営的に追い詰められているということなのか。
松井氏の発言でもっとも問題なのは、「文庫くらいは自分で買おう。そんな空気が醸成されていくこと」という部分だ。「空気の醸成」とは出版社が抗うべき反知性主義にもっとも棹さす態度ではないか。情けないとはこのことである。
創設20年を迎えた「青空文庫」
ところで、なぜ私がさきほど「うーむ」と唸ったかといえば、今年が「青空文庫」がスタートして20周年の節目の年でもあるからだ。
1997年に始まった青空文庫の活動は、インターネット上にパブリックドメインの電子テキストを置くことで、本来の意味での「文庫 library」の役割を実現しつつある。だからこそ青空文庫はみずから「電子図書館」と名乗っている。
いまから90年前に岩波茂雄が(あるいは三木清が)志したことと、20年前に青空文庫が志したことには、共通の根がある。文字が読まれる媒体が紙かデジタルであるか、作品が共有されるか私有されるかは問題ではなく、公共性をもったlibraryとしての役割を自覚的に担おうとしているかどうかが重要である。
出版社の苦境を前に、公共図書館の側が何もしなくてよいとは思わない。出版界と図書館界の対話が進むことは歓迎する。しかし、この問題の根本は「文庫本」貸出しの是非ではない。「文庫」とは何か、これからの時代に求められる「ライブラリー」とは何かということを、90年前、20年前の人たちと同様、出版界も図書館界も一から考えてみてもいいのではないか。
インターネットがもたらしたのは、たんなる「フリーの風潮」などではない。「風潮」や「空気」だけで世の中が動くと、影響力のある出版社の経営者が思っているとしたら、それは大きな間違いである。「文庫」と「文庫本」をめぐる議論の混乱は、いまこそ書物がもつ公共性を根本から問い直すべきときであることを示している。
執筆者紹介
- フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。
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