新年に考える〜『21世紀の資本』を読んで

2015年1月4日
posted by 仲俣暁生

あけましておめでとうございます。今年も「マガジン航」をよろしくお願いいたします。さっそく新年最初のエディターズ・ノートをお送りします。

今年に入って私がはじめて買った本は、トマ・ピケティの『21世紀の資本』(みすず書房)でした。すでにアメリカではベストセラーになっており、昨年12月に日本版が刊行されると国内でも大きな話題となりました。定価が5940円(本体5500円)もする高額な本であるにもかかわらず、アマゾンでも本日時点でランキング総合一位となるなど好調で、さっそく重版がかかったようです。

海外でベストセラーになったからといって、日本でも同じように売れるとは限らないのが出版ビジネスの難しいところですが、『21世紀の資本』の翻訳版は日本でも同様に成功しそうです。事前にさまざまな雑誌が特集を組んだり、解説記事が書かれたこともありますが、そうしたことがなされた理由の一つとして、ウェブサイトでの著者および出版社の積極的な情報開示が挙げられるのではないでしょうか。新年最初のコラムは、そのことについて書いてみたいと思います。

図表など関連データもネットで公開

『21世紀の資本』の日本語版は、「はじめに」の大半と原注がアマゾンの「なか見!検索」で読めます。またみすず書房のサイトでは詳細な目次と「はじめに」の一部が公開されており、書評掲載情報やTEDで行われた著者ピケティの講演の様子を伝える下記の映像も紹介されています(リンクはこちら)。

本書に限らず、みすず書房はウェブサイト上で自社の本をきわめて丁寧に宣伝・告知しており、人文書・専門書の出版社として理想的なかたちだとかねがね思っていました。出版社が自社の本を、他のどこよりも丁寧にウェブで紹介するのは当然のことです。

ピケティの『21世紀の資本』に関して言えば、英語版の版元であるHarvard University Pressも自前でプロモーション映像を用意し、introductionの全文を公開したりしています(これはKindleのサンプル版でも読めます)。こうしたウェブ上での本の宣伝・告知のスタイルが、他の日本の出版社でも当たり前になることを期待したいところです。

図表など関連データもネットで公開

『21世紀の資本』では、著者のピケティ自身が同書で使用した図表や統計データ、本文の一部、プレゼンテーション用のデータや販促のための素材を公式サイトで公開しています(英語版フランス語版)。そして今回の日本版でも、訳者のひとりである山形浩生氏がこれら英仏語版のサイトと相互リンクを張るかたちで、同じ体裁のサポートページを用意しています。これがじつに素晴らしい。

この本が重要なのは、帯にも刷られた「資本収益率(r)が産出と所得の成長率(g)を上回るとき、資本主義は自動的に、恣意的で持続不可能な格差を生み出す」という結論部分だけでなく、その結論を導き出すために著者(ら)が収集・分析した長期間分にわたる統計データの積み重ねです。

ピケティは公式サイトでこれらのデータを公開することで、本書が投げかけた問題提起に対する、反論もふくめた議論を喚起しようとしているわけです。日本語版においてもこうしたネット上での情報公開までが踏襲されたことは、本書の価値をさらに高めることでしょう。

知識人の(そして出版社の)果たすべき役割

『21世紀の資本』の「はじめに」には、こんな一文があります(p3-4)。

社会科学研究は、一時的なもので不完全なものだし、それは今後も変わらない。経済学、社会学、歴史学を厳密な科学にするなどとは主張しない。でも事実やパターンを辛抱強く探し、それを説明できそうな経済、社会、政治メカニズムを落ち着いて分析すれば、民主的な論争の役には立つし、正しい質問に注目させることはできる。論争の条件を見直す役にも立つし、いくつか暗黙の想定やまちがった想定を明らかにすることもできるし、あらゆる立場を絶えず批判的な検討にかけることもできる。私の見解では、これこそが社会科学者を含む知識人の果たすべき役割だ。知識人は他の市民と同じ立場だが、でも研究に没頭する時間を他の人よりも持っているという幸運な立場に置かれた(そしてそれに対して報酬を得られる――これは顕著な特権だ)人々なのだから。

ここで言われている「知識人の果たすべき役割」を実行するためにこそ、この本は書かれたわけですから、図表や統計データのネット上での公開も、そうした「役割」から導かれた当然の義務ということなのでしょう。

長引く景気低迷と、それに輪をかけて悪化する「出版不況」の弊害として、日本ではお手軽で内容の乏しい本が量産されています。日本社会には課題が山積していますが、そうした本の多くはここでピケティが述べているような「正しい質問」や「民主的な論争」を導くどころか、偏った立場から一方的な主張を述べ、その結論を快く受け取る読者のみが快哉を叫ぶという構図を固定化させるばかりで、いっこうに開かれた議論につながりません。

すべての本(少なくとも文芸書以外)は、その結論を伝えるためだけでなく、著者の思考の過程を読者が共有し、そこからあらたに建設的な思考や議論が生まれるために刊行(パブリッシュ)されるはずです。であるならば、その本が伝えようとしているメッセージの一部や、社会において果たそうとしている機能を、本を手に取る以前の読者に出版社が的確に伝えることは、ネットワーク時代において、たんに本を「電子書籍化」すること以上に必要ではないか。そうすることが結果的に、本を(紙であれ電子であれ)売り伸ばすことにつながるのではないか。

ピケティのこの大冊が日本でも好意的に受け止められているのは、著者のみならず、訳者と出版社がその思いを共有し、実践したからではないでしょうか。ピケティは今月末に来日し、日本でも講演を行うようです。この講演の内容が公開され、そこからさらに議論が活発になされることを期待しながら、『21世紀の資本』の続きを読もうと思います。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。