震災の後に印刷屋が考えたこと

2011年3月29日
posted by 古田アダム有

3月11日に発生した大きな地震を、僕はオフィスで迎えた。

僕のオフィスはもともと活版印刷機を回していたビルなので、古いが大変に頑丈な作りをしている。ゆっくりと増幅しながら粘る揺れは、最初は水平方向に縦横に、次いで垂直方向を混ぜた立体的な揺れに変化して、オフィスを気持ち悪く揺さぶった。

僕のすぐ後ろの棚はシート(断裁等していない刷ったままの印刷物)を吐き出し続け、書棚は不恰好なダンスを踊っては壁にぶつかって音をたてた。重い原本棚が摺り足でせり出してくる。上司が「ついに来たか!」と叫んだ。

幸い社屋の損傷は軽微で、けが人も出ることはなかったが、総務部の判断で16時をもって社員は解散ということになった。その一方営業に出たきり連絡の取れない社員もあり、また顧客に呼ばれて出て行くものもあった。こんな時に営業にきたと得意先でアイドルになった営業もいる。

後に聞いたところでは東京西部と埼玉にある印刷現場では、印刷機に問題がなかったので夜遅くまで機械を回し続けていたそうだ。どうも印刷屋は、こういう時に最期までラッパを離せないクチらしい。もっと大きな災害があっても、多分ギリギリまで仕事を続けるだろう。

落ち着かない週末を過ごして迎えた月曜日、僕が利用する路線は終日運休するという。ならば休んでしまえばいいのだが、そこは印刷屋、なんとか出社しようとするのはむしろ日本人の悪い性か。幸か不幸か社用車で帰宅していたので、帰路の為に自転車を積んで出社した。

なぜかがらがらの道を走って無事到着したが、首都圏の列車の運行状態は最悪で、出社できない者、遅刻する者、途中で諦めて帰宅する者などが多く、事務所は閑散としていた。さらに原子力発電所の事故が拡大しており、影響を重く見て午後を待たず休業に切り替える得意先が出てきた。

紙がない、電気がない

用紙が入ってこないという連絡も現場から届き始めた。同様に、現場を出た納品の車も、でたきりいつ帰ってくるか見当もつかないという。東京の西の方や埼玉は相当に混乱していたようだ。こうなると、だんだん開店休業といった雰囲気になってくる。仕事にならない。

さらにそこに輪番停電が追い打ちをかけた。紙がない、電気がない。責了絡みの進行も、地震で先方の動きがめちゃくちゃで止まってしまっている。現場は予定を立てられず、以後、場当たり的な対応を続けることになる。

用紙は配送でなく倉庫に問題があった。東京の用紙倉庫は江東区の有明に集中している。揺れによる荷崩れがひどく、倉庫への立ち入りができない状態になっており、仮に入れたとしても損傷がひどいのでどこまで利用出来るかが分からない。さらには床が液状化現象を起こしているケースもある。

印刷に使う用紙は、輪転機で使用するロール状の「巻き取り」と、平台印刷機で使用する定形のシートに断裁した「枚葉」がある。巻き取りは一つ1トン弱、枚葉も数十キロから数百キロの塊になって梱包されている。これらの固まりは巨大な倉庫内で天井近くまで平積みになっていて、それが崩れた。

簡単に言うと紙とは均質化された樹木だ。一枚一枚は軽いが、固まりになればそれはもう樹木と等しい。それが暴れた。崩れた山を整理するにも、安全を確保すること自体が困難を極める作業だと想像できる。

以来、紙の確保に向けて業界が動いている。入荷しなくなった用紙を、無事な倉庫を持つ用紙店に向けて振替え発注するのだが、注文が殺到する分すんなりとは入らない。特に小口の顧客である印刷業からの発注には対応が遅い印象がある。

しかしこれらは倉庫の問題に過ぎない。問題は在庫が無くなってさらに深刻化するはずだ。というのも、東北の太平洋岸には製紙工場が集中しているからだ。特に日本製紙、三菱製紙の主力工場が壊滅的な被害を受けた。

各製紙会社のHPを参照していたただければ被害の大きさは容易に分かるが、現地で出版製作のお仕事をなさっている真羊舎の日下羊一氏のBlog「石巻・女川の震災被害」をぜひともご覧頂きたい(なお、日下氏はTwitterでも情報を発信されている。アカウントはsheepbook)。

僕はこのBlogを「マガジン航」編集長の仲俣さんに紹介されて目を通し、強いショックを受けた。津波の映像や火災の映像は見ていたはずなのに、その後の街の姿はほとんど見ていなかった。原発事故に気を取られていたこともある。恥ずかしく思った。その途方も無い破壊の跡に言葉を失った。

まず参照していただきたいのは3月24日にアップされた「日本製紙の工場と、周辺の被災状況」だ。工場の主力製紙機N6自体は大きな損傷をうけなかったというが、周囲の損傷を見ると復旧がなまなかなことでないことが分かる。許可をいただいたので、写真を転載する。

日本製紙の工場と、周辺の被災状況。©日下羊一

3月27日付のオンライン版「石巻日日新聞」Hibi-netでは、日本製紙の社長が現地を訪れ、工場の再建を明言したことが報じられている(「まち復興に明るい光」…日本製紙 芳賀社長が来石)。決して容易なことでないはずだが、街の復興のためにも工場の再建は大きな役割を持つ。

このような状況下で、今後しばらくは製紙業界全体として紙の順調な供給が難しくなるだろう。印刷生産規模の縮小はさけられないことに思える。

さらに追って入ってきた情報によると、印刷に使用するインキも危ないという。インキ材料の主な成分にフェノール樹脂があるが、そのプラントが火災で大きな被害を受けている。印刷インキ工業連合会からは「危機的な状況」とアナウンスが出された。

印刷屋は「空気と水以外何にでも印刷する」と日頃冗談のように言うのだが、紙もインキもなければ刷るという行為自体を封じられたようなものだ。いっそ空気か水に印刷をしたいくらいだ。

そして計画停電にも泣かされている。東電より停電のスケジュール表は出されたが、実施するかどうかは当日の予定時刻の2時間前にならないと分からない。その分残業して手当てするか、あるいは翌日早出をするか、結局地震の翌週末の3連休は丸々稼動して不足分を補うことになった。

あまりに先が見えないので、工場は今週から計画停電の時間帯を避けたシフト制を組んで対応することを決めた。早い日は6時から、遅い日は22時までのスケジュールを組み、仕事にあたる。今月が期末の顧客も多い。仕事を止めるわけにはいかないのだ。

出版倉庫・取次倉庫にも混乱が

この他に、顧客の倉庫にも影響が出ている。例えば3月15日付のPOT出版スタッフブログが状況をよく知らせてくれる。

出版社は取次を経て書籍を各書店へと配本していくが、取次に渡す前の書籍は自社倉庫に保管しているのが普通だ。その在庫がぐちゃぐちゃになってしまっている。この書籍の山をより分け、良品と不良品を分けなければならない。日本の読者も書店も厳しいから、相当数が不良品になるだろう。

また、計画停電の対象地区にあたっている倉庫は、停電の間受注することも出品することも出来なくなる。これもまた、配本を遅らせることになり、一日二日といったタイミングで売れ方の決まる出版業界では致命的な打撃になる可能性もある。

さらに取次倉庫の不安も聞いた。こちらは東北の書店に配本されるべき書籍が倉庫どまりになっていて、それが日に日に倉庫を圧迫しつつあるというもの。昨年出版業界に対して入品の総量規制がありニュースになったが、今度は異なった理由で本をとってくれなくなるのではないか。

このあたりはぜひ情報が欲しいのだが、イマイチよく分からない。ガセ・デマの類であってくれれば嬉しい。

印刷組合や青年会もいち早く動き始めた。全日本印刷工業組合連合会・全国青年印刷人協議会が立ち上げたFaceBookの掲示板にはいち早く関連情報が流れてくる。仕事を助けあうケースも散見される(日本の印刷 印刷関連業災害対策情報サイトにリンクが貼ってあります)。

とにかく、材料、生産、流通と、業界はあらゆる面で打撃を受け、それぞれの職場で右往左往する、そんな2週間だった。僕も不具合を顧客に謝りつつ状況報告をして、なんとか調整をしている間に地震のあとの2週間が終わってしまった。

この間、忙しいようで毎日が定まらずに不安定で、仕事も心配ならば家族の健康も心配で、精神的にずいぶん疲れた。就業中は周りの心配をし続けているのでやたらとアドレナリンがでて、夕方辺りにそれが切れるというのを繰り返し、深いところに疲労が溜まってしまった。被災地ではさぞやと思う。

飲食店、エンターテインメント、楽しいことは自粛ムードが強く続いているが、それでも、被災地以外で経済を回していかなければ被災地を助けることも出来ない。しっかり経済を回し、日常をキープする強さもまた、必要に思う。うつむいてばかりもいられない。

なお、関係業界のことをもう少し書くと、イベントのパンフやポスター等を手がけていた同業者が苦戦を強いられている。この状況下で多くのイベントが中止になり、当然関係する印刷物も大量のキャンセルが出た。また、飛び込みの顧客があっても、紙が無いので受注できないケースもある。

地震で機械がずれた、狂いが出た、そんな仲間も沢山あるが、どこも何とか修理・調整して、どっこい印刷業は回っている。しかし、顧客が離れてしまったり、材料がなかったりと、周辺から事業が厳しくなってきた。

用紙不足がこれ以上厳しくなると、出版でも売れ筋をすこし離れる重版や新刊も予定から外されることになるだろう。その結果として出版企画の縮小を予想する声も出てきた(たとえばtogetter「震災が出版業界に与える影響」を参照ください)。

地震の少し前、知り合いのライターさんと、出版業界の業績が厳しくなって本にしてもらうことが難しくなった今、電子書籍はその助けになるかもしれないなどと話をしていたのだが、それどころでは無くなってしまった感がある。

そもそも地震当日は、東京の印刷業の青年会で、電子書籍のセミナーを開く予定だったのだ。当日基調講演をする予定で張り切っていたことも、なんだかもう遠い話になってしまった。

印刷業界もまた必然的に、そして逃げ場もなく、縮小せざるを得ないのだろうか。毎日そんな漠然とした不安を同僚とシェアしながら仕事をしている。なにせ、印刷以外つぶしの効かない身だ。営業もさることながら、現場はなおさらだ。なんとか生き残らないとならない。

そうした悲観の反面、東北自動車道の復旧などのニュースを見ていると、そのスピードと意欲に力も湧いてくる。先日神戸に行くチャンスがあったが、神戸の復興も見事だった。今度もまた、しっかりと立ち直ってくるだろうと、どこか楽観している自分もいる。

日本人の災害へに対する強さは桁外れに思う。とにかく、まずは明日、出来ることをしよう。そうした一歩一歩が、着実に先に繋がっていくと信じて。

■関連サイト
・真羊舎の日下羊一氏のBlog「石巻・女川の震災被害」
「まち復興に明るい光」…日本製紙 芳賀社長が来石(石巻日日新聞Hibi-net)
日本の印刷 印刷関連業災害対策情報サイト
日本印刷新聞