印刷屋アメリカへ行く

2011年6月24日
posted by 古田アダム有

VIZ Media社訪問

4月14日、晴れ。同室の後輩からインスタント味噌汁を分けてもらう。味噌汁など、数日だからいらないやと軽んじていたのだが、二日酔い気味の身体にこれが沁みる。3日目になってちょっと疲れが溜まってきたので、この日は朝の散歩を中止。

すでに「いつもの店」になったダイナーで朝食をとり、またしても満腹状態でホテル発。タクシーに分乗し10時前にVIZ Mediaに到着した。同社はこの数日で訪問した企業の中で唯一、サンフランシスコ市内に存在していて移動が大変に楽だ。レンガ造りの倉庫か古い工場を思わせる外見の建物に、映画館の上映案内を模した看板で社の広告が記されていてPOPだ。

VIZ Media社の外観。映画館のような看板に注目。

VIZ Mediaは日本のマンガの翻訳・出版と、ジャパニメーションの映像販売を行う企業だ。今回取材した中で、唯一の出版社である。小学館集英社プロダクションの関連会社でもあり、同社が版権を管理する人気マンガを中心に、幅広く日本のマンガをアメリカに紹介してきた。扱うのは単行本だけでなく、『少年ジャンプ』の英語版、月刊 “Shonen Jump”(そのままだ)などの雑誌や、小説やライトノベルなども手がけてきた。最近は日本SFの翻訳レーベル “Haikasoru” も立ち上げ、ジャンルの幅を広げつつある。ちなみに “Haikasoru” は、P.K.ディックの『高い城の男』(原題 “The Man in the High Castle”)からとったらしい。なんでディックなんだろう。ブレードランナー繋がりか?

受付には日系の女性(あるいは日本人だったのかもしれない)がいて、日本語で対応していただいた。サンフランシスコは日本人街もあり、もともと日本人は多い街だが、VIZ Mediaの場合はそれ以上に日本の出版社と取引することもあり、日本語の能力を求められているのだろう。

なんとなくホッとしつつ、会議室に通される。チラリと見えたオフィススペースは、これまでに訪れた会社のオフィスほど個性的でなく、日本的には「普通」。どんなオフィスだろうかと期待していたのだが、ちょっと残念。今回対応してくださったのは制作部門の責任者の方たちで、東南アジア系の部門責任者と、日系(というより多分日本人)の方。向こうも、こちらが何を聞きに来たのか戸惑っている様子で、事前の打ち合わせが緩いことを確認。またも西海岸流か。

制作の過程や悩みをメインにうかがったが、WebNativeの使い方は極めて一般的で、メディア交換のゲートウェイとして、また、その後のファイル管理用として使用しているといい、それ以上踏み込んだ話は伺えなかった。ちなみにWebNativeとは、写真やレイアウト済みのデータ等を扱う印刷・出版に特化したデジタル資産管理システムだ。パンフレットや書籍のレイアウトデータから自動的にPDFを作成、出力できるなど、アメリカの出版業界でのデファクト・スタンダードになっている。

むしろ、マンガをローカライズするにあたり、「縦組文化」と「横組文化」の問題を解決するために、「逆版」にして見開きを製作するなどの苦労話のほうが面白い。日本のマンガは縦組準拠で頁は右開きとなり、コマ割(マンガのコマの流れ方)も右上から左下へ向けて構成することが普通だ。しかしセリフを横組に翻訳すると、コマの流れと文字の流れが相反するようになってしまう。これを解消するために、紙面を鏡像にして左右を入れ替えるというのだ。印刷の現場でポジの表裏を間違えて(逆版とは、版の表裏がひっくり返っていることを言う)刷ってしまったりすれば大事故だが、ここではあえて逆版にして利用するという工夫があった。

また、マンガはスクリーントーンを多用するので、これの製版的な再現方法が難しいなど、日本と変わらない話に急に現場に戻ったような気持ちになった(スクリーントーンを印刷用にスキャンすると、モアレが発生しやすい。ごまかしきれないことなどもあり、製版・印刷業者の腕の見せ所なのだ。スクリーントーンにかかる製版トラブルの話もちょくちょく聞くので生々しい)。日本から来るコンテンツも、印刷用にレイアウトした無加工のデータ(生データ、などと言う)だったり、同じく印刷用のポジのデュープ(デュプリケート、つまり複製)だったりと定まらないという。これも確かに、面倒な点であるなぁ。

VIZ Mediaは電子書籍にも積極的に挑戦しており、専用のアプリをApp Storeで配布している。それだけに周辺事情にも詳しいだろうと、いくつか質問をさせていただいた。気になっていたのは、「本当にアメリカでは電子書籍が流行っているのか?』ということ。たしかにサンフランシスコの街中でiPadを使っている人はたくさん見たけど、実際どうなのだろう? たずねてみると次のような答えが返ってきた。

「Kindleはそこそこ売れているが、iPadは高価なのでそれほど普及はしていない。現時点では電子書籍を読む人間はまだまだ限られており『スペシャルだ』」

2009年以来、煽りに煽られてきた日本の電子書籍ブームだが、その背後には「アメリカではKindleやiPadで電子書籍を読むことがメインストリームになりつつあり、一般書籍は衰退の一歩を辿っている」という伝聞があった。しかし、実際の現場の感想は少し異なるようだ。若干拍子抜けしたような気持ちでいると、さらに次のようなコメントをいただいた。

「これまでの流れを見ていると、紙の書籍は業績を落とし続け、電子書籍は成長を急角度で続けている。紙の書籍がこれからもシュリンクし続けていくのは間違いない。私たちとしては、今後も電子書籍に力を入れていく」

今のところ紙の書籍はそこそこの市場をもっているが、今後も減少の傾向が続くという分析は、出版社の方から聞くだけに重い。

その他、「日本のように携帯電話向けにコミック配信をする計画はあるか?」という問いもでたが、「アメリカでの携帯電話はあくまでも会話のためのツールであって、他のコンテンツを載せるプラットフォームとしてはまったく考えることができない」という返答で、市場自体に開拓の余地がなさそうな口調であった。

書籍と電子書籍

VIZ Mediaでうかがった書籍・電子書籍業界の展望はなかなかにインパクトがあった。サンフランシスコに到着した後、毎日のように散歩をして街のあちこちに行ったが、書店をほとんど見なかった。一度は大手書店を探してわざわざ訪ねてみたが、昨年店を閉じたということで、もはや跡形もなかった。

CDショップが潰れているのも数軒見たが、こちらは看板を残して店が閉じられているといった風で、まだ営業の痕跡があった。書店は消滅した痕跡すらない。すでに電子書籍市場に移行しているのか、Amazonなどオンラインの書店にシフトしたのか、そもそも街で書店に入る習慣自体がないのか。あるいは単に僕が書店のあるところをかすめなかっただけなのか。

アメリカの読書習慣は、休暇にあわせ大量の本を買い込んで、旅行先で消費して捨ててくるような形になっていると聞く。となれば、確かに日常的に書店に通うことはないのかもしれない。しかしそれにしても書店が少な過ぎはしないか。

話を伺いながら、そんな街の様子を思い出していた。ユーザーへの接触機会がない状態で、一体どうやって本を売るのだろう。読者だって、書店の棚がないところで、どうやって本を選ぶのだろう。本の文化が大きく違うのではないか。そんな気がする。

アメリカの膨大な国土事情から、通販が発達したという、日本からすれば特殊事情もあるから、単純にアメリカの事例を日本に持ち込むことはできない。

それに、日本の地方都市ではブックオフやTSUTAYAが、単なる小売店舗ではなく一つのレジャーの場として機能しているという話もある。単純な消費の場ではなく、コンテンツを核としたその場を、一人で、カップルで、家族で楽しむという。それはそれで十分納得の行く話であり、今後もそうした場が独自発達していきそうな雰囲気がある。だから単純に、アメリカのように地方=ネット通販の成功という式は成り立たない。

でも、都市型の生活を送る我々は、すでにネットで多くを購入するような、そんな生活をはじめつつあったりはしないか? 僕は多くの本やCDを、実際にAmazonで買う。やっぱり便利なのだ。

アメリカでこれだけ電子書籍が普及してくると、今後は最初から電子書籍向けに書かれるコンテンツが増えてくるかもしれない。電子書籍でなければ再現できないような表現形式もあるだろう。そうしたコンテンツの登場は、やがて日本のコンテンツにも何らかの影響を与えると考えるのは自然なことだと思う。新しい酒をどの器に入れるか、用意しておく必要がある。

そしてそのAmazonやApple、Googleは最近楽曲をクラウドで提供するサービスを始めている。これまでローカルに保存していた楽曲だが、今後はネットにさえつながれば、いつでもどこにいても楽しむことができるようになる。

となれば、いずれ書籍も、と考えてしまうことも不自然ではないだろう。買う、所有するということの意味が大きく変わり始めている。モノを持つことでなく、コンテンツへのアクセス権が「所有」の意味に加わってくる。

アメリカの現場での電子書籍市場への期待度、あるいは紙の書籍市場へのマイナスの期待度はリアルだ。日本ではまだまだ電子書籍の今後については半信半疑といった感じだが、むこうではすでに書籍の未来として考えられ、そこに向かって出版社も舵を切っている。

さて、僕たち印刷屋はどう対応すべきだろうか。

※本稿は「印刷屋アメリカへ行く:IT業界訪問日記」として公開された著者のブログ記事から一部を抜粋し、「マガジン航」編集部の責任で編集を加えて転載させていただいたものです。ロングバージョンは上のリンク先をご覧ください(「マガジン航」編集部)。

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