2011年3月11日に起きた東日本大震災以降、国内、国外を問わず被災地に対する援助を目的にしたチャリティーの動きがさまざまな場所で動き出している。
ミュージシャンの西川貴教はチャリティー目的のライブコンサートやオークションをおこなうためのプロジェクト「STAND UP! JAPAN 中央共同募金会」を立ち上げ、ファッションブランド「BEAMS」はTwitterでマンガ家の井上雄彦が描き続けた笑顔のイラストをフィーチャーしたオリジナルTシャツをチャリティー目的で発売することを発表した。
国内では他にも企業から個人まで復興支援の動きが活発化しているが、海外からも21億円を集めた台湾のチャリティー番組をはじめとして、日本に対する支援のニュースが毎日のように届けられている。
いっぽうで震災直後から国内、国外を問わず義援金詐欺事件も多発しており、被災地へのチャリティーを巡って善意と利己が綯い交ぜになった混乱した状況があちこちに存在しているのも現状である。
たとえばイギリスのオンライン広告代理店「Firebrand」が主催する「Social Media Library」では英国のNPO「Comic Relief」によるTwitterでおこなった日本への義援金募集の呼びかけが他のユーザーから辛辣な批判を受けている事例を紹介している。
詐欺は論外だが、たとえ善意からの行動であっても寄付という行為が金銭がかかわるものである以上、他者に対してその行為を強要することはコンフリクトの原因となるし、また寄付そのものに対する無知もトラブルの元となり得る。このようなトラブルを避けるために寄付をおこなう側も日本赤十字社など関係機関で詳細を確認したうえでおこなったほうがいいだろう。
以上のようなチャリティーの動きと問題点を見たうえで、海外からの興味深い動きとしてフランスのチャリティー企画「Tsunami Project」をここでは紹介する。
このプロジェクトに関しては、日本で出版されているフレンチコミックス(BD)の専門誌誌、『ユーロマンガ』がすでに報じているが、これはネットを使ったアーティストによるチャリティーの試みとして興味深い可能性を持つものだと思う。
もともとこのプロジェクトは、日本でいえば「pixiv」のようなオンライン・アートコミュニティー「Cafe’ Sale’」のユーザー同士のやり取りから自然発生的に起こったもので、これにコミュニティーに参加していた『Le Petit Monde』(集英社)など日本でも作品を発表している脚本家のジャン-ダヴィット・モルヴァン(Jean-David Morvan)、今年1月に発表された外務省主催による第4回国際漫画賞の受賞者のひとり、シルヴァン・ロンベール(Sylvain Runberg)といったプロの作家が賛同することで具体化したものだ。
主催者である「Cafe’ Sale’」はこのプロジェクトについて、オンラインでユーザーから作品を公募し、集まった作品でまず4月末にギャラリーでオークションをおこない、秋を目処にフランスの出版社から作品集も出版、巡回展をおこなうなどして、それらから得られた収益をNPO「Give2Asia」を通じて寄付すると発表している。
復興を祈る無数の声
ただ、はっきりいえば現段階でのこの企画には疑問を抱かざるを得ない点もいくつかある(プロジェクト名自体いかがなものかという気はするが、それは置く)。
まずデジタル作品での公募であるため、そこには「オリジナルアート」という概念は存在していない。おそらくプリントアウトを売ることになるのだろうが、だったらオークションではなく、グッズ販売にすべきではないのか。オークション販売する以上、購買者がオリジナルの所有権を主張する可能性があり、そこでは下手をすると著作権問題が発生する。
現在日本向けにも作品公募がなされているが、フランス側での言語対応の問題など不明確な部分が多く、応募した作品の著作権的な取り扱いもはっきりしないことから、正直にいえば日本のクリエイターの参加自体は慎重に検討したほうがいいだろうと思う。
しかし、同じような日本の復興を祈るビジュアル表現はアメリカのオンラインアートコミュニティー「deviantART」でも日本の「pixiv」にも集まっている。米日仏で各社がそれぞれ個々にキャンペーンをおこない、これらを集約して電子書籍などのかたちで出版すれば、案外無理のないかたちで具体的なチャリティープロジェクトが成立してしまうようにも思う。
コミックアーティストのアート・スピーゲルマンは、アメリカでの同時多発テロでの自身の体験を描いた自伝的作品『消えたタワーの影のなかで』(岩波書店)には「911」直後にアメリカで一時詩を読み、詠むことが流行していたことが書かれている。社会全体がパニックに陥る中でひとびとは言葉での表現でなんとか落ち着きを取り戻そうとした。スピーゲルマン自身は自分にとってそのための手段はマンガなんだと述べる。
おそらく井上雄彦の無数の笑顔もそのような動機で描かれたものだろう。
国内にも海外にも今回の日本で起きた災害に心を痛め、復興を祈る無数の声がある。有名無名のそうしたひとたちの表現はまず「自分のために」描かれたものだ。もちろんそれはエゴイスティックな行為ではない。
今回の震災以降、言葉や表現への無力感を語る声をすでにいくつか見た。だが、言葉もビジュアルも、本来は、ひとびとの不安や恐怖を煽るためだけにあるものでも、根拠のない無責任な希望を煽るためだけにあるものでもない。
静かに立ち止まって落ち着いて考える、そういう時間も、言葉を綴り、筆をはしらせる行為はもたらすはずだ。そして、そのような表現がそれを読んだひと、観たひとに同じように落ち着け、考え込ませる。それは現在のような状況下ではむしろ必要とされることだろうと思う。
井上が個人として発した表現に触発され、企業である「BEAMS」がそれを商品化することでより直接的な支援に結び付けようとしている。この「Cafe’ Sale’」のプロジェクトもそれと同様な意味で、より幅広い、アマチュアも含めたオンラインユーザーの「表現」を直接的な支援に結びつけられる可能性を秘めている。
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執筆者紹介
- フリーライター。著書『誰もが表現できる時代のクリエイターたち』、『戦争はいかに「マンガ」を変えるか:アメリカンコミックスの変貌』(いずれもNTT出版)、『キャラクターとは何か』(ちくま新書)、共編著『アメリカンコミックス最前線』(トランスアート)。明治大学米沢嘉博記念図書館スタッフ。
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