電子書籍ビジネスにおけるものづくりと生態系

2010年12月13日
posted by まつもとあつし

乖離するハードとソフト

それは奇妙な光景だった。
NHKスペシャル「メイド・イン・ジャパンの命運」(2010年1月24日放送)は、東芝が社運をかけて開発したCELL REGZAの開発から出荷までを丹念に追ったドキュメンタリーだった。そこにあったのは、ハード開発チームと、ソフト開発チームのいわば「乖離」だった。そもそも開発場所からして違う。ハードは埼玉県の工場で作り、ソフトウェア部隊は神奈川県のオフィスビルで制御系のファームウェアを開発する。

ソフト部隊が完成させたファームウェアは、ネット経由で工場に送られ、USBメモリでハードにインストールされる。繰り返される動作不具合、その都度工場から電話でソフト部隊に問い合わせる、その繰り返し。お披露目の場となるCEATEC会場でも、会期中に全く映像が映らなくなるトラブルにも見舞われる。極めつけは、出荷風景。ようやく製品となったCELLレグザの初出荷のトラックを見送ったのは、ハードウェアのチーム。完成品を送り出す栄誉はソフト部隊には与えられていない。

なぜ同じ場所で開発しないのだろう? そして、工場からソフトウェアチームにまるで発注がなされているような開発の進め方への違和感。ソフト部隊はいったいどこに達成感を求めれば良いのか、番組を見るだけでは理解することはできなかった。

ソフト開発に焦点を当てたNHKスペシャル「新・電子立国」の放送が1995年。しかし、結局、2010年に至ってもハード主導でのものづくりが未だに日本では続いている。なぜテレビの話から入ったのか、それは国産電子書籍端末とプラットフォームが立ち上がったこのタイミングで、改めて、ソフト・ハードの関係について考えさせられたからだ。

キンドルとは端末の名前ではなく、アプリによる読書も可能な、アマゾンの電子書籍プラットフォーム全体をさす。

Kindleは端末の名前ではなく、アマゾンの電子書籍プラットフォーム戦略の全体をさす。

AmazonというEコマースプラットフォームは、もちろんソフトウェアで構築されている。商品データベース、決済システム、そしてAmazonをもっとも特徴付けるリコメンデーションシステム…。1995年のAmazonスタート以来ソフトウェアは練り上げられ、改良を続けられてきた。いまや、Amazonはそのシステムやインフラの一部をサードパーティに間貸しするビジネスすら開始している。

AmazonにとってのKindleはどういう位置づけだろうか? 私たちがKindleと聞いてすぐ想像するのは、電子ペーパーを搭載したスレート端末だが、すでによく知られているようにAmazonはKindleアプリをiPhone、iPad、Android、Windowsモバイルなどあらゆるプラットフォームに提供している。つい先日はGoogle eBooksに対抗して、Webベースでも書籍の閲覧を可能にしたところだ。つまり、Amazonにとって、ハードウェアとしてのKindleは道具の1つに過ぎない。自社のEコマースプラットフォームでの購入ルートさえ確保できれば、閲覧の環境はなんでも良いわけだ。

GALAPAGOSとSony Readerの命運

そこで、12月10日に発売となった国産電子書籍端末とプラットフォームをみてみよう。

GALAPAGOSは前回の記事(ガラパゴスの夜明けはやってくるのか)でまとめたように、電子書籍配信プラットフォームとしてのXMDFを全面に押しだし、新聞雑誌など購読型のコンテンツの自動配信も可能となっている。CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)と提携し、書籍以外にも音楽や映像、ゲームなどの提供も行うとしている。端末はAndroidをベースとするが、ユーザーがAndroid端末として利用することはできない。あくまで専用端末という位置づけだ。

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ソニーはリーダーで日本市場に再参入。

SONY Reader(日本版)は、3GやWiFiといった米国版には備わっている通信機能が削られたことが、ユーザーの不評を買った。Amazonはソニーがリブリエから撤退した後に、米国E-INK社に残された電子ペーパーの技術をKindleに活かしている(このあたりの経緯は西田宗千佳氏の『iPad vs. Kindle』に詳しい)が、ソニーは再びこのEインクの新世代バージョンを採用した。

純粋にハードウェアとしてみたときに、両方の端末とも一定の「モノ」としてのレベルはクリアしているようにも見える。GALAPAGOSはいわゆる「中華Pad」にありがちな作りの悪さとは無縁だし、XMDFによる自動組み版(リフロー)やKindleに先駆けてリリースした自動購読システムは本来もっと評価されてもいいはずだ。SONY Readerも通信機能の割愛やWindowsのみへの対応は大不評であったが、端末としての質感や機能はKindleの上を行く。

だが、多くの読者が感じているように、このままでは早晩、リブリエやシグマブック、Words Gearのように失敗への道を歩むことになるだろう。プラットフォームとそこでの品揃えがあまりにも貧弱だからだ。GALAPAGOSストア、リーダーストアとも立ち上げ時の品揃えは約2~3万点だ。前回の記事をまとめた時点ではそこからの増加に淡い期待を寄せていたが、発表時からその点数が増えることは無かった。新宿の紀伊國屋書店は120万冊(重複含む)、そしてGoogle eBooksは、日本からアクセスできる著作権の切れた書籍だけでも300万タイトルを超える。

リーダーストアにおける「プレゼン」というキーワードでの検索結果。

一例:リーダーストアで「プレゼン」で検索した結果。検索結果は9件。そのうちビジネス向けのプレゼン術を扱うモノはわずかに2冊だ。(2010.12.10現在)

書籍がアトムの状態からビットに変換される、ということは、検索性やアクセス可能性が高まり、本の世界を自由に泳げるような体験が提供されているというのが本来の姿だと筆者は考える。KindleやGoogleはすでにそこを目指して着実に歩んでいると言えるだろう。

2~3万点の品揃えでは、到底そんな楽しみ方はできない。話題の新刊と雑誌、あとは売れ筋マンガを扱う、駅前の本屋さん、あるいは神田の専門書のお店という位の規模だろうか。それにしてはGALAPAGOS Store、Reader Storeともカテゴリが多岐にわたり過ぎていて、1カテゴリあたりの本の数は微々たるものだ。

この品揃えの問題をなんとかクリアしようとしているのが、角川グループのBOOK☆WALKERだ。角川が得意とするライトノベルにまず注力した品揃えにすることにより、たとえ扱い点数が少なくても、アクセスしてきたお客さんが求める作品が存在する可能性を上げることができる。ライトノベルにまず範囲を絞れば、市場の8割近くを角川グループが提供しているからだ。

これに仮に2番手のメディアファクトリーが参加すれば、ほぼこのカテゴリは網羅することができる。サービスプラットフォームを標榜するBOOK☆WALKERは、iPad、iPhone、に加えAndroidやPCにも展開を予定している。それによってAppleの審査を回避することも戦略に含めている。角川がこの作戦をとれるのも、自社でハードウェアを開発・製造するリスクを負わず、コンテンツ、その中でも注力すべきカテゴリに集中することができるからだ。シャープやソニーにはこの手法はとれない、まず、普及台数を稼がなければならないのが、彼らのいま置かれた状況だ。

Show me the money!

シャープは提携するCCCのコンテンツラインナップに期待を寄せるが、TSUTAYAに書籍などを卸している日販は、あくまでも紙の本を卸しているわけであって、電子書籍の提供はまた別の話だ。個別に出版社に営業して諸条件を詰め、許諾の降りたものから順次提供する、というのではラインナップの拡充は漸進的にしか進まないだろう。

ソニーのReader Storeも同様の課題を抱えるが、共同出資により設立されたブックリスタからの供給に本来であれば期待したいところだ。だが、「マガジン航」のこの記事でも言及されているように、ブックリスタはSony Readerだけでなく他の電子書籍プラットフォームとも等距離外交を取るようだ。また、ブックリスタ自体の資本準備金はわずかに3000万円であり、強力にラインナップを押さえられる根拠には乏しい。

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まつもと氏の新著『生き残るメディア、死ぬメディア』(アスキー新書)

電子書籍コンテンツの調達については、既存の取次による商流の存在を無視することはできない。拙著『生き残るメディア 死ぬメディア』では文化通信の星野編集長に詳しくその仕組みと課題を聞いたが、一部大手の出版社は、本を取次に介すことによって、運転資金を得ている面(いわゆる「取次金融」といわれるゆえんだ)があるし、また他の出版社にとっても返品分を相殺する新刊の刊行により一種の自転車操業をしているという現実がある。

電子書籍が新たなコスト要因になるだけでは、新しいチャンネルができたからと言って、おいそれとは乗れるものではない。仮にコンテンツアグリゲーターとして一般書籍を調達するのであれば、取次が果たしてきた金融機能の一部でもなんらかの提案があること、それがまずもってラインアップの充実には不可欠なのだ。私が共同出資会社の資本金に着目しているのはそのためだ。

トム・クルーズ主演の映画「ザ・エージェント」(1996)では、契約を迫る代理人に対して、選手が「Show me the money!」と叫ぶシーンが印象的だ。売れる才能を欲しがるのなら、まずはその根拠を示せという訳だ。iPad/iPhone向けの電子書籍では、せいぜい紙の書籍の10分の1程度が売れれば御の字というのが現実であり、制作・管理コストに見合うメリットがなければ、出版社は本気にはならないだろう。

Amazonに対して流通させる際にも、間に取次が入ることで同様の金融システムが機能している。果たして、家電メーカーが中心となってそこまで出版社を支える仕組みを構築できるのか、少なくともオンデマンド映像調達の現状を見るに筆者は悲観的である。

ガラパゴスには独自の生態系が根付いた。ハードとソフト、プラットフォーム、そしてコンテンツ、これらのいわば生命体が共存するために必要なものは、おカネを軸とした食物連鎖、エコシステムである。プラットフォーム事業者はハードの設計よりも、より高度なその設計に対する主導権と責任を負う。

ソフトウェアに徹底的に回帰するか、ハードに徹するか?

ここまで見てきたように、2010年の電子書籍ブームの最後を締めくくる形で登場した、国産電子書籍プラットフォーム(敢えて端末とは呼ばない)は、予想をしていたものの、中途半端なスタートを切ることになったと言わざるを得ない。

冒頭に挙げたように、日本発のAmazon/Kindleが生まれるためには、まず「ものづくり」のプロセスの中でのハード偏重を改め、ソフトウェア開発者がもっと精神的・経済的にも報われる仕組みを再構築する必要がある。ITをベースにしたサービスとプラットフォームの構築には、優秀なソフトウェア開発者が求められるからだ。そして、後に指摘した魅力的なコンテンツを数多くラインナップするには、優れたプラットフォームの存在が前提となる。

ことこれは電子書籍に限った話ではなく、国としての取り組みも求められるなど、極めてスケールの大きな話だ。5年、10年といった中長期のスパンの中で解決が図られるべき問題で、電子書籍プラットフォームについては、残念ながらその間にもう勝負はついてしまうだろう。

では、短期的にはどうメーカーは取り組めば良いのか? ここでまたテレビの事例が参考になる。夏野剛氏も評価するソニーのGoogle TVへの取り組みが1つの例となるだろう。ソニーがGoogle TVを採用した背景には、ある意味、自社独自でのプラットフォーム構築を断念し、YouTubeやGoogleの配信・認証・広告システムなどの上に、ハードウェアとしての優位性を確保しようとする戦略だと夏野氏は分析する。

日本に残されたお家芸とも言える「優れたものづくり」を活かして、プラットフォームからの収益を少しでも確保するには、自社プラットフォームへのこだわりを捨て、ハードウェア技術に優位性があるうちに――つまり交渉力のあるうちに――これらのプラットフォーマーとの提携を模索するべきではないだろうか? 実は筆者はソニーが今回通信機能をReaderに搭載しなかった背景には、こういったGoogle TV同様の選択肢を残しておく狙いもあったのではないかと推察している。

マネージャクラスのみならず国内創業後初となる新卒採用もはじめたAmazon.jp。そのKindle展開もまもなくと予想されている。Google eBooksの日本展開も11年中にリリースが予定されている。今回、もしこの電子出版の立ち上がりの機会を、適切にとられることができなければ、電子書籍「端末」の分野でも日本のメーカーが占めることができるポジションが残されることはないはずだ。

勝つための戦いよりも、完敗せず次の戦いに備える力を残す戦い方のほうが、より高度で難しい舵取りを求められる。夏野氏がインタビューに答えてくれたように経営層の高次な決断が求められる局面だと言えるだろう。

※本コラムに登場する夏野剛氏・角川コンテンツゲート安本取締役・文化通信星野編集長へのインタビューは拙著『生き残るメディア 死ぬメディア』に収録されている。ご関心あればそちらもご一読頂ければ幸いである。

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執筆者紹介

まつもとあつし
ジャーナリスト/コンテンツプロデューサー。ITベンチャー・出版社・広告代理店などを経て、現在フリーランスのジャーナリスト・コンテンツプロデューサー。ASCII.JP、ITmedia、ダ・ヴィンチ、毎日新聞経済プレミアなどに寄稿、連載を持つ。著書に『知的生産の技術とセンス』(マイナビ/@mehoriとの共著)、『ソーシャルゲームのすごい仕組み』(アスキー新書)など多数。取材・執筆と並行して東京大学大学院博士課程でコンテンツやメディアの学際研究を進める。http://atsushi-matsumoto.jp