第8回 「明るい」時代と山田太一ドラマ

2017年6月29日
posted by 清田麻衣子

幼い頃、我が家でテレビは「NHK」と「民放」に二分されており、うちでは民放を観ることが許されなかった。バラエティ番組が隆盛を極めた80年代に幼少期を過ごした兄と私は、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」や「天才・たけしの元気がでるテレビ!!」「とんねるずのみなさんのおかげです」などの当時の人気バラエティ番組を観たことがない。放送翌日、テレビの話題で持ちきりの友だちの輪のなかでは、発言を控え、うすら笑いでごまかした。

従順な子どもではなかったはずの私がなぜテレビに関しては親の言いつけを守っていたのかといえば、それだけ両親の「民放バラエティ嫌悪」が激しかったからだ。たまに親の目を盗んでNHKからチャンネルをひねると、不快感に満ちた表情で、「うるさいッ」とか「バカ騒ぎしてッ」などという反応が間髪入れず返ってきた。だからビクッとなってすぐにNHKに戻した。

バブルのとば口にあった1985年、我が家は父親の転勤で福岡市から横浜市郊外の住宅地に引っ越した。私たちが住んでいた地域は企業戦士を東京に送り込むための典型的なベッドタウンで、毎年、昨年比の地価の伸び率全国一位としてニュースで報じられた。しかし、母曰く「とにかくセンスがない」父の独断により中古で買った当時築二十年の我が家は、モデルルームのように整然と新しい家が並ぶ景色のなかにあって、際立ってみすぼらしく見えた。

映画と本を愛する人だった父は、朝、満員電車で出社し、深夜、赤坂の会社から横浜の自宅までタクシーで帰宅することも多くなり、増していく精神的肉体的疲労は家族への当たりをきつくさせ、ごくたまに家族揃ってご飯を食べていても、大抵誰かが怒っているか泣いているかで、それ以外のときは無言だった。知り合いのいない土地で苛立ちや不安をひとりで抱え込んでいた母が泣いていたり放心していたりするのを、よく見かけるようになった。

現実と地続きに感じられたドラマ

経済成長最盛期の只中、自分の周りの美しい家に住む人たちが、明るく楽しいテレビを観ながら笑いの絶えない生活を送っていて、そこには光が充満しているように見えた。一方我が家だけポッカリと空いた暗い穴の底に落っこちているような気がしていた。

その当時、母が楽しみにしていたのが、山田太一ドラマだった。テレビは基本的に「悪」だった我が家にあって、山田太一ドラマは私も一緒に観ることを奨励される数少ない番組だった。いちばん記憶にあるのは、これも結局NHKなのだが、何度も再放送していた『ながらえば』『冬構え』『今朝の秋』、いわゆる「笠智衆三部作」だ。主演の笠智衆はほとんどセリフがないのにたまのセリフは棒読みのようで、「このおじいさんのどこがいいんだろうね」と言って母のほうを振り向くと、そっと涙を拭っていて、見なかったフリをした。

明るく騒ぐのがテレビの「ふつう」であるとしたら、行き場のない老人や、仲の冷え切った夫婦や、仕事に疲れたサラリーマンが登場する山田太一ドラマは重くて暗くて、だがフィクションであるはずのこのドラマの中の世界だけが、自分の家と地続きにあるような現実味を感じていた。小学生には理解できない内容が大半だったはずなのに、食い入るようにテレビを見つめる母の集中度に私まで惹きつけられ、ドラマが終わった後の室内には、カタルシスとも少し違う、凜とした静かな興奮が満ちているような気がした。

その後、父は会社を独立して自分で小さな会社を興し、大好きなミニシアター通いとともに、冗談も増えた。現在、同じ町内のもう少しだけ見ばえのいい家に引っ越した我が家は、父と母と柴犬の3人暮らしになり、父はリタイアしてスポーツジムと映画館と本屋通いに勤しみ、母は絵画や登山にと趣味に忙しい日々を送っている。だがテレビは二人とも、相変わらずNHKのままだ。

私は大学を卒業したのち本をつくる仕事を始め、13年間社員編集者として働いて、5年前に独立してひとりで版元を興した。

大人になってわかったのは、影はどの家にもあったということ。そして、人生の暗部をじっくり見つめるドラマを、高度経済成長期の軽躁状態の日本で、テレビというもっとも大衆的なメディアを通じて世に放ち続けた山田太一という人の巨大さだった。しかし、気づけばDVDもシナリオ本も絶版ばかりになっていた。そこで、版元第4弾目のプロジェクトとして選んだのが、山田太一ドラマのシナリオを復刊することだった。

手始めに、山田ドラマの中でも名作中の名作であり、かつ、人気作にもかかわらず手に入れにくい『早春スケッチブック』『想い出づくり』『男たちの旅路』から、本という形で再度世に投げてみたいと思った。

山田太一ドラマのセリフは日常に分け入ってくるアフォリズムだ。『早春スケッチブック』の安定を善とする家庭人に向けられる「ありきたりなことを言うな!」という叱咤、『想い出づくり』で結婚に邁進する適齢期の女性に放たれる「結婚以外にお前ら何にもないのかよ!」という軽蔑、そして『男たちの旅路』で車イスの青年に向けられる「迷惑をかけてもいいじゃないか」という激励。どれも「もっともっと明るい豊かな生活を」と先を急ぐ日本人の足を立ち止まらせる。これらのセリフがテレビで流れただけで、消えていくのはあまりに惜しいと思った。そこで手元に置いて、手軽に持ち運べるペーパーバックのスタイルで刊行していくことにした。

うまくいけば続けて出していきたいと思っている。それもすべて、いまの世の中次第ではあるのだが。

(次回につづく)


山田太一セレクションの第一弾として刊行した「早春スケッチブック」。

『早春スケッチブック』1,800円+税
『想い出づくり』2,000円+税
『男たちの旅路』2,200円+税
(すべて里山社より発売中)
※お近くの書店にない場合はkiyota@satoyamasha.comまで