第4回 本でも音楽でも、“文化”を使い回そう!

2013年6月27日
posted by アサダワタル

本連載を開始して4回目。読者の方々からは「面白い!笑える!」(別に笑かすために書いているわけではないが…)とか「これまでの本に関係した文章では出会えない世界がある」とか、嬉しい意見がありつつも、「謎…」とか「そもそもなんでミュージシャンが『マガジン航』で書いてるの?」とか、まぁ様々な感想をいただいているわけです。

第1回目の時に、自分の活動の背景を少しばかり取り上げながら、この連載のテーマを「日常生活における本との付き合い方」、「人と人をつなぐメディアとしての本のあり方」と書きました。今日は、そのあたりをもう少し紐解きながら、自分の活動、そして友人の事例紹介も交えながら展開していきたく思います。

いきなりですが、“音楽”の話から

僕は、そもそもなんの仕事をしているかと言うと、音楽であったり、様々な文化プロジェクトの企画演出であったり、それらを本やWebや雑誌に執筆する、あるいは大学で教える、といったことをまるっとひっくるめてやりつつ、生計を立てています。

中でも音楽には長いこと関わっていて、バンドのドラマーという立場から、映画やCM音楽でのドラム演奏業、歌の作詞作曲と実演など、まぁ仕事という意味ではお金にちゃんと繋がるものから、なかなか繋がらないものまで色々やってきたわけです。

でも、音楽に限らず、美術家の方や映画監督など、いろんなクリエイターとコラボしながら仕事をし、時としてライブハウスや美術館や映画館などの外に(それは街中という意味でもあるし、“芸術”という限られた分野の外へと繋がっていくという意味でも)出て行くプロセスで、予期せぬたくさんの出会いがあったんですね。

例えば商店街の老舗のおじさんたち、障害のある方の作業所を運営する団体、まちづくりに関わる団体やお役所の方、小中学校の先生などなど。そういった人たちと手を変え品を変え、自分が持っている音楽や、ひろく「文化」という武器を使って、如何にちょっとヘンテコでオモシロ楽しめる社会活動を作り上げられるかをなんだかんだとやってきたんですよ。

そうこうしているうちにいつしか僕の中で、音楽そのものに対する捉え方がかなり変化しちゃった。それは、だいぶ雑駁に極論めいたことを言えば…、「もう演奏とか作曲とか自分でせんでええやん」といったパラダイムチェンジ!だったんです。

はい。そこで僕が最近やっているのは、「既存の音楽を使い直す“音楽”」を作ること。そのことによって、「日常生活における音楽との付き合い方」、「人と人をつなぐメディアとしての音楽のあり方」を問うような取り組みです。では、僕が音楽家として招待され作り上げた“音楽”の具体例をあげてみましょうか。

個人記録を保存した音楽を“解凍”する

音楽を作るのではなく、音楽を使った遊び方、音楽を介した対話の在り方、音楽から音楽性を除いた個人記憶の保存媒体として使ってみるワークショッププログラム。会場には様々な社会的背景(中には社会的マイノリティな立場に置かれている人も)を持った人々が参加。以下のような手順で進めました。

『あなたの音楽を傾聴します』
開催日:2012年2月17日(金)
開催地:渋谷キャラリールデコ
主催:津田塾大学ソーシャル・メディア・センター

●参加者に自分の思い出深い音楽(CD等)を持参してもらう
●持参したCDの流したい曲を付箋にメモし、机の上に置く
●机のまわりに全員で円になって座る。アサダの隣には一席空いている椅子を用意
●まず最初にアサダが机の上にある曲を選ぶ。選ばれた曲を持参した参加者が空席に移動
●曲(話)が終わるとその参加者が次の曲を選曲。全員がリレー形式で選曲(指名)され続いていく
●最後に、流された曲順通りに収録されたコンピレーションCD-Rを全員にプレゼント

会場の様子。真ん中にて物知り顔で「なるほど」ってなっているのが筆者。

この日完成した、参加者選曲による記憶のプレイリスト。(クリックで拡大)

集まった曲はポップスからクラシックギター、モダンジャズからミニマルミュージックまで多種多様。各々のエピソードも、故郷を懐かしむ話から失恋話、学生時代の記憶から旅行の思い出まで。参加者は本名や所属や年齢などは語る必要はなく、ただ音楽だけがその人を表現するツールとなるよう心がけました。

僕がこの取り組みで意図したのは、音楽を“人のプライベートな記憶を保存するメディア”と捉えてそれを解凍し、肩書きや容姿から生まれるその人のイメージを可能な限り取っ払った状態でお互いに出会うこと。つながりを生み出すキーとフックの掛け方を変えてみること。決して名刺交換だけでは発見できない、思わぬところに存在する相手のフックにそっとキーを差し込むこと。

参加者同士がどのようなつながりを感じてくれたのか。それはこの会が終わった後に、渡されたコンピレーションCD-Rをじっくり聴き返す時にふと気づかされる何かに期待したいことろです。音楽のライナーノートは音楽評論家が書くような内容だけでなく、個人の日常生活の記憶の中にも存在するのではないでしょうか。
……どう?
なんとなく僕の“音楽”活動。理解してくださったかしら? 「それで?」って感じなるのはまだ早い。もうひとつ、例を出すことにします。

コピーバンドが秘めた、関係性の再構築

トヨタ自動社のCSRの一環で行われている「子ども・アーティストの出会い事業」にお招きいただき、高知県の小学校にて音楽のワークショップを実施。舞台となった四万十市立西土佐小学校は、2012年に再編されたばかり。過疎化のため周辺地域6校が統廃合され、新たに生まれたのだ。

この小学校の放課後学習に集まる小学校4年生~6年生の総勢60名の児童を対象にビッグバンドを結成したのですが、テーマは「コピーバンド」。まずこの地域には元々バンド活動をやっていた地元の大人たちがたくさんおり、いまでも定期的に公民館などで練習をしたり、子どもたちに指導をしたりしているという事実。そして時はおりしもアニメ『けいおん!』が大ブレイク。そういった状況が化学反応を起こし、西土佐では空前の「バンドブーム」(47ニュース「西土佐にバンドブーム」参照)が訪れていたのです。そりゃ、地域の大人たちの知恵と技術を借りない手はない!

『コピーバンド・プレゼントバンド』
開催地:高知県四万十市立西土佐小学校
開催日:2012年10月10日(水)〜2013年3月3日(日)
主催:トヨタ・子どもとアーティストの出会い in 高知 実行委員会
共催:トヨタ自動車株式会社

右はワークショップの説明会、アサダが児童に向けて内容を説明中。

そして、小学校といえば必ずあるのが授業参観。こうなったら、親御さんにもただ参観するだけでなく何かしらワークに参加してもらおうと。そこで思いついたのが、子どもたちが親御さんに音楽に関する「家庭内アンケート」をとってリサーチしてくること。調査項目は以下の通りだ(クリックで拡大)。

計27枚が回収されたうち、もっとも多かった回答はプリンセス・プリンセスの「M」。

アンケートに書かれた楽曲から、2曲をセレクト。それを必死にコピーし、最終発表会では親御さんに楽曲をプレゼントする。これが「コピーバンド・プレゼントバンド」の概要だ。

僕は半年間、関西から高知まで月1回のペースで通い、実質的な練習は地域でX JAPANのコピーバンドで腕をならすドラマーで仕出し屋のカズさんが中心となって指導。同時に、すでにバンドを始めている高学年の子ども数名が中心となって、友人たちに楽器を教えてくれた。放課後クラブのお母さん方も太鼓やダンスなどで参加してくれたり。こういったあれやこれやが絡み合い、演奏チーム以外には、照明、音響、舞台美術、撮影、PR制作、司会などが動き、ひとつのコンサート企画が進められて無事開催。

このワークでは、作曲といったオリジナルな楽曲を重視するのでもなく、かつ楽器がうまくなることを目標にするのでもなく(もちろんカズさんのおかげもあって見違えるほど上手くなった子もいたり)、既存の音楽を使って、子どもたちが音楽に対する関心とアクションを深めていくプロセスに、地域の大人たちみんなが“動かされていく”、そのことを企図して行われたのです。

“文化”を”リサイクル”&“リユース”すること

だいぶクドく “  ” で強調しちゃいましたが、このことが本稿で最も伝えたいメッセージです。これは、別に音楽でも、美術でも、映画でも、本でも、どんな“文化”を使っても実行できます。(こういった事例は挙げればキリがないのですが、例えば、ミシェル・ゴンドリーの『僕らのミライへ逆回転』やヴォルフガング・ベッカーの『グッバイ、レーニン! 』などの映画は、まさしく“文化”の”リサイクル” & “リユース”によって、社会の見方をフィクショナルに変えつつも、そのことによって現実がある“理想”に向かってリアルに引っぱられていく様が見られ、本稿のテーマをよく表している作品です)

音楽美学者の渡辺裕氏は、東京大学にて文化資源学(まさしくな学問名!)なるものを教えてらっしゃるのですが、彼の書籍からいくつか気になるテクストを引用します。少し長いがざっと目を通していただきたい。

音楽に限らず文化というものは、共有財産として皆が自由に使える形で常に身の回りにあってこそ発展するという面をもつ。

西洋の近代文化は、作者個人の独創性をことさら重視する文化には違いないが、それが「文化」である限り、その独創性は決して作者一人のものではありえない。バッハやモーツァルトなど、多くの先達たちの残した「遺産」に取り囲まれ、それらを模倣したり換骨奪胎したりして摂取する一方で、それらと対峙しのりこえることを通して、音楽文化は育まれてきた。

「保護」して勝手に使わせないようにするだけでは文化は育たない。それらを共有財産として皆で分かち合い、余すことなく使い回すための公共の場が確保されていることは、文化を生み出す土壌には不可欠なのである。著作物の保護年限がどんどん延ばされてゆく今日の風潮の中で、著者の「権利」に目を奪われるあまり、文化のそういう側面が忘れられてはいまいか。

日本にはもともと強固な「替え歌」の伝統があった。というよりそもそも、「替え歌」に対して特権的な位置を占める「オリジナル」が存在するという考え方自体がなかった。民謡や俗曲には一つの旋律に対して山ほど歌詞があるのが常であり、「オリジナル」は何もありはしない。人々は臨機応変に時代に応じた内容を織り込んだ新しい歌詞で歌うことを楽しんだのである。

渡辺裕『考える耳〜記憶の場、批評の眼』より)

うーん、なるほど。僕としては心から同感。しかし、こういった引用に触れ出すと、間違いなく著作権の問題や、「とは言え、“産業”の話としてどうなん?」という議論になるので、今日はそこまでは踏み込まない。しかし、本連載を進めるうちに、徐々に「マガジン航」としても取り上げ続けている電子書籍も含めた昨今の出版産業のあり方そのものに対して、何かしら思うことはふら〜っと迂回しつつも書いていくことなるんだろうなぁとは思いますけどね。

ひとまず今回においては、「産業」や「それで食っていく」ことの“その後”で、“プロでない人たち”を中心に使い回す・使い直す実践が、いかに人々の日常生活を豊かに彩り、ふだん繋がらなかった人たち同士が新しい価値観によってその関係性が素敵に変えられていくか、そこに焦点を絞れればと思うわけです

ワークショップ「本屋でこんな妄想は可能か!?」

3月23日(土)に大阪のスタンダードブックストア心斎橋にて、スタンダードブックストア×マガジン航 presents「本屋でこんな妄想は実現可能か!?」というトーク&ワークショップが開催されたことを、ご記憶の読者もいることでしょう。そこで語られたことも、大きくはこの“文化のリサイクル・リユース”というテーマと絡むところ。なんせ僕が企画したんだから、その問題意識がないわけがない。そのテーマを、本屋という場と本という文化に絞って考えていく会だったわけで、ここでも素晴らしいアイデアがプレゼンされたのですね。本稿の締めくくりとして、とりわけ僕が以前から気になっている2人がこの日に披露してくれたアイデアのさわりだけを紹介します。

「mogu book」発案者:サトウアヤコ)

「ひとりで読む。みんなで読む。またひとりで読む。」 本を使った対話の会。「1冊の本がすごく気に入った時に、この本を読んだ人と話したいなと思うことがあります」と発案者のサトウさんは言う。“mogu”とは“よく噛む”という意味。その本をより深く噛みしめるために、誰かと本について話す。そしてまた読む。でも他者と思いを共有することはそんなに簡単なことではない。だから彼女が用いている手法は「引用の共有」。これまで言語化できなかった自分の考えが、引用文を通して立ち上がり、更に他の人とその「引用の共有」をすることでいろんな角度から考えることができ、また自分で再度考え直すことができるらしい。

じっくり“mogu”するためにも、4人前後の少人数で開催されることが多い。彼女はこの取り組みを通じて、人が自身の考えを言語化することへの関心をより深めつつあるようだ。そしてスタンダードブックストアでは新たな展開として、個人の歴史が凝縮されたメディアとしての「背景本」というコンセプトを披露しつつ、書店の棚群を街に見立てて周遊する「本棚ツアー」なるプログラムもプレゼンしてくれた(上の図はクリックで拡大)。



「まわしよみ新聞」(発案者:むつさとし)

参加者数名が新聞を持ち寄りまわし読み。そして気になる記事をスクラップし、発表。それらが切り抜かれた各記事を再編集して一枚の新聞に仕立てるワークショップ。普段絶対自分では気づかない視点や関心を持ち得ない記事が、他者のプレゼンによって伝えられることで、世の中を毎日いち早く編集してお届けしているこの新聞というメディアから広がる価値観を、複数人で楽しみ合える。

そう言えば、そもそも映画や音楽と違って、活字メディアって「一緒に」とか「みんなで」読むってことは滅多にない。発案者のむつさんはこの取り組みを、「コモンズ・デザインによる新しい市民メディア」と語っている。ここから拡張させて彼はいま「教科書読み比べ」というアイデアを考えているらしく。それ、教育現場の方々に向けたワークショップとしても是非やってほしい。



サトウさんにしても、むつさんにしても、まさしく本を使い回す・使い直すことによる、日常生活への新たな気づきと新たな人間関係を生み出している。二人の活動はいずれ詳細をお届けするとして、本稿は本連載「本屋はブギーバック」のガイドラインを少しでも多くの読者に伝えようと、やや熱く恥ずかしながら、僕の活動背景、とりわけ音楽活動を皮切りに筆を進めてみました。

今後、「マガジン航」プレゼンツでさらに面白いイベントをする予定なので、どうぞ引き続きお見逃しなく!

(次回につづく)

執筆者紹介

アサダワタル
日常編集家/作家、ミュージシャン、プロジェクトディレクター、大学講師。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『コミュニティ難民のススメ 表現と仕事のハザマに』(木楽舎)など。サウンドメディアプロジェクト「SjQ(++)」メンバーとしてHEADZからのリリースや、アルスエレクトロニカ2013デジタルミュージック部門準グランプリ受賞。2015年11月末に新著『表現のたね』(モ*クシュラ)と10年ぶりのソロCD『歌景、記譜、大和川レコード』(路地と暮らし社)をリリース予定。京都精華大学非常勤講師。http://kotoami.org