シンポジウム「電子書籍化の波紋」レポート

2014年3月3日
posted by 鷹野 凌

東京都写真美術館で行われていた恵比寿映像祭で、2月22日に「電子書籍化の波紋-デジタルコンテンツとしての書籍」と題したシンポジウムが開催されました。これは当日の昼間に放映された、Google Books にまつわる騒動を題材としたドキュメンタリー映画「電子書籍化の波紋《グーグルと知的財産》」と連動したプログラムで、グローバル化やデジタル化の波が「知的財産」や「電子書籍」にどのような影響をもたらすかについて、出版社・弁護士・哲学者・政治家などさまざまな立場から論じた内容です。

登壇者は、写真右から福井健策氏(弁護士)、神谷浩司氏(日本経済新聞文化部記者・討論司会)、角川歴彦氏(株式会社KADOKAWA取締役会長)、エルヴェ・ゲマール氏(政治家/前フランス経済・財務・産業大臣)、エリック・サダン氏(哲学者/エッセイスト)、ドミニク・チェン氏(株式会社ディヴィデュアル共同創業者/ NPO法人コモンスフィア理事)です。在日フランス大使館とアンスティチュ・フランセ日本の共催で、フランス語と日本語の同時通訳が用意されていました。

“All rights reserved.” ではないことの意思表示

シンポジウムはまず、ドミニク・チェン氏によるコモンスフィア(旧クリエイティブ・コモンズ・ジャパン)の活動についての説明から始まりました。従来は、著作権が全て保持(All rights reserved.)された状態か、自由に利用できるパブリック・ドメインのどちらかしかなかったところに、その中間の概念を用意したのがクリエイティブ・コモンズ・ライセンスです。著作権者の意思によって、第三者が自由に使える範囲を「表示」「継承」「改変禁止」「非営利」の組み合わせによって示すことができます。クリエイティブ・コモンズ・ライセンス v2.1 日本版がリリースされたのが2004年3月なので、日本で活動を始めてちょうど10年ということになります。ライセンスは動画投稿サイトのYouTubeや、写真共有サイトのFlickrなどさまざまな場所で利用されており、活動の輪はどんどん広がっています。

また、日本独自の活動として、漫画家の赤松健氏によって提唱された「同人マーク」が紹介されました。これは、現在交渉中のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で米国が要求している「著作権侵害の非親告罪化」が実現してしまうと、同人活動が萎縮してしまうという危機感から対抗策として生み出されたものです。クリエイティブ・コモンズ・ライセンスは日本における二次創作の同人活動に対する意思表示としてはあまり使い勝手が良くないことから、「第三者が二次創作同人誌の頒布を同人誌即売会で行うこと」を著者があらかじめ許諾するという、日本独自のライセンスを別途用意したのです。赤松氏が「週刊少年マガジン」で連載している「UQ HOLDER!」にはタイトルロゴのすぐそばに表示されていますが、現時点ではまだ試験運用中です。

チェン氏は、角川歴彦氏の著書『グーグル、アップルに負けない著作権法』から、ドワンゴ会長の川上量生氏による「ネット時代に作ったコンテンツの寿命を延ばそうと思うなら、二次創作を認めてソーシャルで広がっていく仕組みを作らないといけない」という発言を紹介しました。新しい作品は、何もないところから一人の天才が生みだすわけではなく、過去の様々な作品にインスピレーションを受けて生まれるものだとチェン氏はいいます。また、ソーシャルメディアの普及によって、読者と著者がフラットな立場で会話できるようになったことで「読者が編集者的になってきているのではないか?」という指摘は、私自身も実感するところであり共感できました。

デジタル化の波が著者に与える不安

続いてエリック・サダン氏から、著者の立場からの意見が述べられました。サダン氏は2001年に、デジタル化やグローバル化によって発生するさまざまな問題について討議するシンポジウムに参加したそうです。そのころはみな熱に浮かされたようになっていて、未来について楽観的だったといいます。しかし、例えば個人のプライバシーに関わる問題や、インターネット上での一部の企業による寡占化、出版社や新聞社の弱体化など、当時からすでに予見されていた問題が現実のものになっていくにつれ、だんだん不安になっていったそうです。

タブレットが普及して重い本を持ち運ぶ必要はなくなり、使いやすくなったのは間違いないとサダン氏はいいます。しかし作家の一人として、「タブレットのバーチャル性」や、知的所有権を容易に侵害できること、紙の本のように集中して読むことができないことなどを、果たして歓迎してもいいのかと疑問を持っているそうです。「電子書籍」はすでに後戻り不可能な領域まで拡大していることは理解しているし、「新たな知覚のゲーム」や使い方が生まれているのも分かっているが、同時に批判的な観察をすることも必要だとサダン氏は説きます。

サダン氏の発言は哲学者だけあってかなり難解で、同時通訳の方もかなり苦労していたようです。発言の趣旨を正確に把握できたかどうか分からないのですが、「本を書く行為がいろんな人の喜びのためになるには、著作権=既得権を保持しなければならない」ということを強く訴えかけていたようです。「ネットではみんな無料になってしまう」という発言があったので、創作者にちゃんと対価が還元できないと「文化」が衰退してしまうという危機感を表明していたのだと思われます。

プラットフォーマーとの対決姿勢

角川歴彦氏からは、事業者としての立場からのプレゼンが行われました。KADOKAWAは出版社であると同時に、ゲーム、アニメ、映画も出している会社です。直営電子書店「BOOK☆WALKER」のアプリは121万ダウンロードされており、185社8万7000点(うちKADOKAWAの本は約2万点)の電子書籍を配信しています。日本は電子書店の激戦区ですが、紙の出版市場としても大国だし、ネットもアメリカに次いで2番目だといいます。角川氏はコンテンツを創作する立場として、このままだとアメリカにコンテンツの付加価値を奪われてしまうという強い危機感を持っているそうです。そこで、コンテンツレイヤーの力を結集し、プラットフォーマーに対抗しようと提案します。

角川氏は、地方の駅前商店街が、デジタル化によってどんどん衰退しているといいます。ゲームセンター、時計店、CD・レコード店、映画館、カメラ・写真店、本屋などなど、文化伝達の担い手が衰退してしまったと。ただ、アメリカに比べれば日本はまだ頑張ってる方だとも感じているそうです。日本の出版界は本屋を大事にしており、アメリカの出版社が本屋を守れなかった教訓を活かしていると。そして、リアルとデジタルの融合をはかっていけるという自信をのぞかせます。具体的な言及はなかったのですが、恐らく昨年末に話題になった「電子書籍販売推進コンソーシアム」の実証実験のことを指しているのだと思われます。

フランスにおける書店保護施策

エルヴェ・ゲマール氏は、フランスにおいて著作権とその擁護のために行われたさまざまな施策や法制化について紹介しました。フランスでは個人書店を保護する目的で、1981年に書籍の定価販売を義務付ける法律が制定されています。近年でも、書籍がデジタル化されていく中でどのような法律が必要が検討され、さまざまな試行錯誤が行われたそうです。

パブリック・ドメインの文化遺産については、電子図書館「Europeana」で無償提供していくことになりました。デジタル書籍の付加価値税(通常20%)は、紙の本と同じ税率(5%)にしました。また、販売価格は、Amazonなどの販売プラットフォームではなく出版社が決められるようにしました。出版社と作家の関係においては、紙の本の出版契約と同時に、電子出版契約を結ぶ形にしていくそうです。

問題は、著作権保護期間中で、新刊はもう流通しておらず、デジタル化もされていない「グレーゾーン」領域にある本です。フランスの著作権保護期間は著者の死後70年と長く、20世紀に書かれた作品の80%はいまだ保護下にあります。フランスでは、ドキュメンタリー映画「電子書籍化の波紋《グーグルと知的財産》」の中でも描かれていたように、Google Books プロジェクトはこの「グレーゾーン」の本をデジタル化することにより市場の支配を試みた、というように受け止められています。

結局、2012年1月に制定された法律で、「グレーゾーン」の本をデジタル化するのは、作家と出版社の共同会社の役割ということになったそうです。著作権保護期間中にも関わらず紙では流通していない本を、デジタル化によって読むことができるようにするプロジェクトを、アメリカの一企業に委ねるのをよしとしなかったということでしょう。ゲマール氏がプレゼンを「グローバル世界に怯えてはならない」と締めくくったのが印象的でした。

ナショナル・デジタル・アーカイブ構想への提言

福井健策氏からは、日本におけるデジタル・アーカイブ構想と法的課題についてのプレゼンが行われました。日本では2009年に127億円という予算が計上されたことでデジタル化が一気に進み、国立国会図書館デジタルコレクションとして228万点がデジタル化され47万点が公開されています。これは欧州の Europeana に刺激を受けているのと同時に、Google Books プロジェクトに対するある種の危機感が共有されたことに依るものだと福井氏はいいます。

しかし、博物館や図書館の最大の課題は、予算不足、人員不足、著作権処理ができないことだそうです。特に大きいのは権利処理の壁で、問題なのは著作権使用料ではなく、権利者を探して交渉する手間と時間だといいます。例えばNHKには78万番組がアーカイブとして保存されているものの、10年間権利処理をし続け、NHKオンデマンドで公開できたのが8500番組。このままのペースでは、権利処理だけで1000年かかってしまうという状況だそうです。

権利者を探しても見つからないという「孤児作品(オーファン・ワークス)」問題は、さまざまなところで顕在化しています。例えば国立国会図書館のデジタル化では、明治期に書かれた著書の71%に権利者が見つかっていません。比較的新しい放送台本ですら、50%しか権利者が見つからないという状態です。孤児作品を利活用するため裁定制度があるのですが、厳格に運用され過ぎていてあまり使われていないという現状もあります。

そこで福井氏は、全国のデジタルアーカイブのネットワーク化と統一ゲートウェイ(横断検索)化、各国デジタルアーカイブとの相互接続の促進、孤児著作物相互利用協定の締結、デジタル化ラボ・字幕化ラボの設置、公的アーカイブはオープンデータ化を原則とすること、基本的にパブリックライセンスを付与すること、デジタルアーキビストの育成と研修の充実化、孤児作品や絶版作品のデジタル活用促進といった提案を行い、プレゼンを締めくくりました。

サダン氏、角川氏、ゲマール氏は、Google Booksに代表されるアメリカ企業のグローバル活動を文化侵略や脅威として捉え、いかに対決していくかという観点での発言が中心でした。チェン氏、福井氏は少し立場が異なり、権利を既得権としてただ保護するのではなく、文化資産として活用することにより輝きを増す方向での提案を行っていた、ということになるでしょう。

パネルディスカッションでの論点

このように、同じ「電子書籍化の波紋」というテーマでも、かなり角度の異なるプレゼンだったため、その後のパネルディスカッションは「ディスカッション」というよりは、それぞれの意見を補強するような形で進められました。正直、まとめようがないので、箇条書きにしておきます。

  • 本をスクリーンで読むことは、認識科学的にどのような影響があるのか。本を読むときはディープ・アテンション(深い注意)が必要になるが、スクリーンによる読書で文章への深い没入が可能なのか(サダン氏)
  • 理想的な形は、物理的な本とデータの本をセットで販売することだと思う。ただ、日本の住宅事情では「本の重さで床が抜ける」という問題があるので、物理的フェティシズムを感じるような本だけ物理的な形で残しておくという選択肢になるのではないか(チェン氏)
  • 自分は物理メディアとデジタルの両方を体験しているが、デジタルだけで育った世代にどんな影響があるのか。生身の体を持っている人間として、デジタルだけで育つのはよくないのではないか? という予感はある。デジタル・ディバイド(情報格差)という問題もある(チェン氏)
  • 実際に自社で電子書店を経営してみてわかったことは、たくさんある。システム投資が大きく人員も多く配置しているので、まだ収益は上がっていないが、大きなビジネスチャンスを得つつあるという実感がある。KADOKAWAでは現在7%が電子書籍の売上。紙の書籍市場は13年間下がり続けており、紙の本を大事にしすぎるあまり出版社全体がやせ細っていくような状況は放置できない、積極的に取り組むべき(角川氏)
  • フランスでは電子書籍市場の発展のために、税率を紙と同じにし、出版社に価格決定権があるようにした。この法律を施行したことで、Amazonのシェアは8割から5割に減少した。事実上の独占状態は市場として健全ではなく、Amazonは流通を独占している。だからこれは保護的な政策ではなく、同等の武器で戦わねばならないという公平性を確保するためのものだ(ゲマール氏)
  • 「紙の旅行ガイドや料理本はなくなる」という予言がなされたことがあるが、まだ生き残っている。分野によって、デジタル化率は変わるのだろう。そのいっぽうで、デジタル化の先取りをすることで大きく収益を上げている企業もある。デジタルと紙は交じり合う。例えば、本を1冊から出版できるオンデマンド印刷。既存の出版社では出版してくれないような本が、世に送り出されるようになる。いい意味での多様化が生まれる。これほど幅広い著者がいる時代は、これまでなかっただろう(ゲマール氏)
  • 一般的な新書は8万字だが、自分が先日「ミニッツブック」で出した本は2万字。本を書くことの敷居を下げることは、潜在的な作家を増やすこと。電子による新しい作家たちが次々と生まれている。紙のほうが表現しやすい場合もあれば、電子のほうがいい場合もある。例えば、料理のレシピコミュニティーサイト「クックパッド」には日本人が料理をする機会を増やす効果があり、結果的に紙の本の売上を増やしたのではないかと考えている。相乗効果やシナジーというのはあると思う(チェン氏)
  • 「売り方」がだいぶわかってきた。紙と電子を同時に売ると、双方に良い効果がある。紙でベストセラーだった本は、電子でもベストセラーになる。リアル書店は坪数で在庫量が決まってしまうため、「グレーゾーン」の本が置かれない。そこにGoogleが介入するスキがあった。電子書店は、すでにリアル書店で置かれなくなってしまった本に、再び命を吹き込むことができる(角川氏)
  • ボーンデジタルの出版物や大衆から発信されるコンテンツに対し、著作権法は冷淡なのではないかと考えている。いまの著作権法は知識人を守ろうとするもので、大衆が自ら発信していくことが考慮されていない(角川氏)
  • 出版社に価格決定権があるというのは一般的には評判が悪いが、流通側に価格決定権があると、従来は4000社がそれぞれ決めていた価格を数社で決めてしまうことになる。プラットフォーマーはコンテンツ売上だけに依存したビジネスモデルではないので、流通側に価格決定権があると販売価格は確実に低下する。価格が下がっても素晴らしい作品が生み出され続けるのであれば、問題はないが……(福井氏)
  • コピーの流通をコントロールするのが著作権(コピーライト)。流通経路が紙の書籍のように限定されているときには向いているモデルだが、デジタル化によってコピーの流通を止めることは難しくなっている。つまり、コピーを抑えて収益を上げるモデルが限界にきている。コピーコントロールを諦めて、流通は止められないという前提にたち、そこからどうやって収益を上げるかを議論していかねばならない(福井氏)
  • デジタルでの読書データが収集されていることに不安を感じている。どの本をどのように読んだかという情報を、他の情報と交差されることで商業的な目的に利用されてしまうかもしれない(サダン氏)
  • グローバル企業と対抗するには、まず税の回避問題と戦わねばならない。また、Amazonの責任者と話をすると驚くが、彼らにクリエイションに対する報酬という考え方はない。もう出ている本なのだから、なるべく安く消費者へ提供するという考えしかない。創作行為に対する報酬は重要だ(ゲマール氏)
  • フランスの法律では、4つの書店に置いてなかったら絶版状態であると認定され、作家は出版社との出版契約を破棄できるようになっている。しかし、デジタルの場合は事実上絶版状態がないので、出版契約をデジタル化に合わせていかねばならない(ゲマール氏)
  • 出版社を通していない作品の権利保護に関しては、例えば国会図書館のような公的機関に登録(納本)するようなシステムがいいのではないか(ゲマール氏)

会場からの質疑応答では、「出版することの敷居が下がることで、文化水準が下がるのでは?」という危惧に対し、チェン氏からは「正当な対価があれば、文化水準が下がることはない」という回答が、角川氏からは「トップレベルのものが低くなってくる危惧はあるが、同時に底辺が上がっていくだろう」という見解が述べられました。

学術書の出版環境が悪くなっていることに関し、角川氏が「それは電子書籍が生まれたからではない」と断言したこと、「アカデミックな本が刊行されなくなるのを放置してはならないから、出版事業者が学術書を存続させるために血の滲むような努力をしなければならない」という強い意志が述べられたことは非常に印象的でした。また、「出版の民主化が始まっている」という言葉が角川氏から発せられたことには、少し驚きました。出版社が、これまでと同じ役割を果たしていてはダメだという意識を強く持っているということなのでしょう。

また、福井氏とはシンポジウムの前後に、個人的に少し話をする機会があったのですが、ちょうど当日の朝に日本経済新聞から出ていた「(TPPで)日米を含む複数国は映画や音楽などの著作権を守る期間を権利者の死後70年に延ばす案を支持という記事に対する強い憤りを表明されていたことが、シンポジウムで語られていたことより印象的でした。結局、25日まで行われていたTPP交渉は大筋合意に至らなかったわけですが、ではこの報道は結局何だったのか。どこからの情報によって、このような報道がなされたのか。「電子書籍化の波紋」はアメリカのグローバル企業によって発生したわけですが、もっと大きな波紋がアメリカ政府によって引き起こされようとしていることも注視しておかねばならないでしょう。

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Editor’s Note

2014年2月28日
posted by 仲俣暁生

「数学ガール」シリーズなどで知られる結城浩さんの短期集中連載、「私と有料メルマガ」が始まりました。結城さんいわく、「短期集中連載ということで、以下の三回に分けます。主に時系列に沿って書いていくことになります」とのこと。具体的には、

  • 第一回 皮算用編では、私が「結城メルマガ」を始めようとした経緯と、始めたばかりの頃に起きたことについて書きます。
  • 第二回 転換編では、初期の体験から自分が考えたこと、そしてそれを踏まえて行った「結城メルマガ」の方針変更を書きます。
  • 第三回 継続編では、現在の私が考えていることを中心に、メルマガ執筆を継続させることの意味、継続させるために工夫していることなどを書きます。

という、全三回の連載となります。有料メルマガを自分でもやってみようという方、あるいはすでに始めているが、いろいろ悩んでいるという方、あるいは読者としてメルマガを講読している方、そして「メルマガなんてやる意味ない」という否定派の方、どなたにとっても面白い、具体的で実践的な内容になりそうです。どうぞお楽しみに。

公共空間としての図書館を守るためにできること

もう一つ、この気の重い話題について、やはり書かなければなりません。すでに多くのメディアで報道されているのでご存知の方が多いと思いますが、『アンネの日記』をはじめとするアンネ・フランクやホロコーストの関連本300冊以上が、昨年から今年にかけて、東京都内の杉並、中野、練馬、新宿、豊島の5区と、武蔵野、東久留米、西東京の3市の公立図書館(分館を含めて少なくとも38館)で損壊されていたことが判明し、警視庁が捜査に入っています。

この事件については、以前の記事で紹介した『つながる図書館〜コミュニティの核をめざす試み』の著者でもある、ハフィントンポスト記者の猪谷千香さんが継続的に取材して記事にしています。その第一報はこの記事でした。

「アンネの日記」 都内の公立図書館で250冊以上が破られる被害

また、この事態を受けて2月25日には、公益社団法人日本図書館協会が、理事長である森茜氏の名で、以下のような声明を出しました。

公立図書館における「アンネの日記」破損事件について(声明)

最近の報道によると、東京都内の複数の公立図書館で、蔵書の「アンネの日記」及び関連図書が、複数ページにわたって破り取られるという事件が起きている。その被害状況は都市部の3市5区に及び冊数は300冊に上るとの報道もある。

図書館の蔵書は、単に公の物理的財産というにとどまらず、人類共有の知的・文化的な財産である。公立図書館は、そのような人類共有の知的・文化的財産を市民が共有し、広く市民の読書に提供し、次の世代に伝えていくことを任務としている。

どのような理由があれ、このような貴重な図書館の蔵書を破損させることは、市民の読書活動を阻害するものであり極めて遺憾なことである。今回の事件について日本図書館協会は、図書館の所蔵する文化資産が広く市民に提供されることを願うものとして、非常に残念に思っている。

どのような動機や目的でこうした行為が行われたのかについては、さしあたり捜査の進展を待つしかありません。しかし図書館や書店という、誰もが自由に出入りできる公共空間を舞台にこのような事件が起きたことに、私自身はつよい衝撃を受けました。そして一読者、一利用者として、図書館や書店といった、多くの本が無防備に置かれ、そこに人が自由に出入りできる空間を守るために、なにができるかを考えたいと思いました。

正直にいって、これは難問です。今回のように特定のテーマの本が大量かつ同時に破損されるケースはまれでしょうが、図書館ではこれまでにも、本の損壊はつねに一定程度は起きていたことなのかもしれません。また書店では、(ある意味では)本の破壊よりも迷惑な万引き被害が絶えません。しかし、こうした事件を防ぐために書店や図書館への出入りの自由を制限し、セキュリティを高めてしまえば、これらの場所の意味は一変してしまいます。

本はまた仕入れればいい、だから大げさに騒ぐことはない、という意見もあるでしょう。図書館や書店の現場にとっては、新しい本と交換し、事件が再発しなければ、大きな問題ではないのかもしれません。しかし、利用する側としては、もやもやする気持ちを抑えることができません。

図書館や書店では、多くの本が置かれる広い空間をごく少ない人員で管理・維持しています。利用者への一定の信頼がなければ、そうした場の維持はますます難しくなってしまいます。こうした事件が起きたことで、図書館や書店という公共空間のイメージが悪化したり、現実に不穏な場所になることを、私はなによりも危惧します。

そこで、公立図書館や書店に直接的に働きかけるのではなく、この事件をきっかけに、利用者である私たち自身が、図書館や書店との関係を考えるため、ささやかなプロジェクトを立ち上げる準備をしています。今回の事件で被害にあった本にちなんで、「アンネ・フランク・ライブラリー」と名づけたこのプロジェクトは、たとえば『アンネの日記』を地元の図書館で借りたり書店で購入し、身のまわりの人と一緒に読んだり話題にすることで、本とそれらの置かれる場所に対する今回の攻撃を、犯人探しや事件の背景に対する裏読みではなく、本を使ったコミュニケーションの契機にしよう、という試みです。

このプロジェクトは「マガジン航」の編集人である仲俣が個人で発案し、インターネットを使った図書共有システム「リブライズ」を開発している河村奨さんの協力を得て、数日前に立ち上げたばかりです。さしあたり、発案者として2月26日に以下のような文章を書きました。

アンネ・フランク・ライブラリーをつくる
https://medium.com/p/aadc88f1b944

一緒にこの問題を考えてくれる人たちと、Facebookグループを立ち上げて話を始めたばかりですが、本と、それらが置かれる公共空間への攻撃を許さないためにも、多くの人がそのことについて話をすることが、何よりも大事ではないかと考えます。関心のある方はぜひ、Facebookでこちらまでコンタクトをください。

第1回 皮算用編

2014年2月26日
posted by 結城 浩

 

はじめに

こんにちは、結城浩と申します。

「数学ガール」シリーズという数学物語や、プログラミング技術に関する書籍を書いています。

今回は「私と有料メルマガ」というタイトルで、私が運営している有料メールマガジンについての記事を書きます。

想定している読者として、自分で有料メルマガを運営したいと思っている方はもちろんのこと、文章やコンテンツ作成に関心のある方全般を考えています。

有料メルマガに対しては、ときどきこのような意見を聞くことがあります。それは、

  • 有料メルマガはWebに比べてクローズドで、読者は広がらない。
  • 有料メルマガの著者は少ない人数のために力を割かなくてはいけない。

というものです。私もその意見は理解できるのですが、自分が有料メルマガを運営しているときに感じていることとはずいぶんずれがあるように思います。

そこで私は、自分の有料メルマガの運営経験を文章にまとめてみようと思いました。それがこの短期集中連載「私と有料メルマガ」を書き始めた主な動機です。

短期集中連載ということで、以下の三回に分けます。主に時系列に沿って書いていくことになります。

  • 第一回 皮算用編では、私が「結城メルマガ」を始めようとした経緯と、始めたばかりの頃に起きたことについて書きます。
  • 第二回 転換編では、初期の体験から自分が考えたこと、そしてそれを踏まえて行った「結城メルマガ」の方針変更を書きます。
  • 第三回 継続編では、現在の私が考えていることを中心に、メルマガ執筆を継続させることの意味、継続させるために工夫していることなどを書きます。

私が経験している有料メルマガはたった一つですから、「有料メルマガはかくあるべきだ」のような大風呂敷を広げるつもりはありません。あくまでも私一人が体験したことを文章として整理し、読者のみなさんにお伝えしたいと思います。

そして、この短期集中連載で、

  • 「結城メルマガ」を通して、私がいかに多くのはげましを読者からもらっているか
  • 「結城メルマガ」が、自分の仕事全体にどれだけよい影響を及ぼしているか

をお伝えしたいと思っています。

お読みいただければ感謝です。

自己紹介

「結城浩って、誰?」という読者のために、簡単に自己紹介をします。

私はフリーランスの物書きで、本を執筆して生活しています。数学物語「数学ガール」シリーズや、プログラミング言語入門書、暗号技術入門書などを執筆しています。CakesでWeb連載を行ったり、CodeIQでアルゴリズムの問題を出題することもあります。

処女作『C言語プログラミングのエッセンス』が刊行されたのが1993年ですから、およそ20年に渡って本を書いてきたことになります。実際、今回紹介する「結城メルマガ」は《結城浩 書籍執筆20年 特別企画》と銘打って始めたものです。

実は、私はこれまでメールマガジンをいくつか発行していたことがあります。「Java言語Q&A」や「結城浩の『Perlクイズ』」というプログラミング言語を楽しむメールマガジンです。ただし、そのすべては無料メールマガジンでした。後ほど書きますが、無料メルマガと有料メルマガでは、発行するときの心持ちがまったく違います。

「結城メルマガ」について

さて「結城メルマガ」は、正式なタイトルを「結城浩の「コミュニケーションの心がけ」といいます。

「結城メルマガ」の運営スタッフは私(結城浩)一人です。何を書くかを考える「企画」、実際に文章を書く「執筆」、原稿整理を行う「編集」、そしてメルマガ発行サイトを経由して購読者にメールを送る「発行」のすべてを私が一人で行っています。

「結城メルマガ」を読者に配送するメルマガ発行サイトは、初めのころ「まぐまぐ」だけを利用していましたが、2012年末から「まぐまぐ」だけではなく「ニコニコチャンネル(ブロマガ)」も利用するようになりました。多少フォーマットを変えていますが、どちらにも同じ内容を発行しています。

「結城メルマガ」の内容は、便宜上いくつかのコーナーに分かれており、

  • 「文章を書く心がけ」や「本を書く心がけ」といった書き物についてのコーナー、
  • 「コミュニケーションの心がけ」や「教えるときの心がけ」といったコミュニケーションのコーナー、
  • 「数学文章作法」「数学ガールの特別授業」「フロー・ライティング」など、執筆している本のプレビュー版提供のコーナー、
  • 「Q&A」などのコーナー、

などになっています。オムニバス形式のメールマガジンということですね。

価格は消費税込みで毎月840円、発行頻度は毎週一回、火曜日になります。年末年始にも休みはなく、毎週欠かさずに発行しています。病気で一度たいへん短い号になってしまったことがありますが、そのときにはおわびに読者プレゼント企画を行いました。

記事の分量は変化するのでいちがいにいえませんが、これまでに発行した100回の記事の文字数平均を取ってみると、1メールあたり約9000文字です。ただし、メール以外にもPDFの形式で記事の一部を提供する場合がありますので、メールの長さは増減します。記事の構成についてはまた別の回に書きます。

発行部数は、2012年4月3日に発行した第1回目が107部、2014年2月25日に発行した第100回目は344部です。

以上の情報で「結城メルマガ」の様子や、規模感はおおよそわかってもらえると思います。

有料メルマガをなぜ始めたか

そもそも私がどうして有料メルマガを始めたかといいますと、実はあまり深い理由はありません。

本格的に有料メルマガの発行を考え始めた時期は2012年の3月頃ですが、すでに堀江貴文さんを初めとして多くの方が有料メルマガを発行していました。文章を書いて生活している身として、私も「有料メルマガ」というメディアの動きを注目していました。

「まぐまぐ」の営業さんと話す機会があり、そこで有料メルマガ発行について詳しくお聞きしているうちに、「おもしろそうだから、自分もやってみたい」という気持ちが強くなりました。

ええと、正直に書きますと、堀江さんの有料メルマガの購読者数を耳にしたとき、「うわ、これはもしかすると、とても大きな収入になるのではないか!」と思いました。典型的な「取らぬ狸の皮算用」ですね。いうまでもありませんが、購読部数の桁がまったく違うので皮算用だけで終わりました。

しかし、執筆者が自分で有料メルマガを運営するというのは、収入とは別の大きなメリットを生みます。それは、実際に「結城メルマガ」を運営してしばらくして実感したことです。それについては「第二回転換編」で詳しく書きましょう。

発行前に考えたこと

さて「おもしろそうだから、私も有料メルマガを発行してみよう」と思った私は、発行のための具体的な作業を進めました。

内容を考える

では「結城メルマガ」をどんな内容にしましょうか。

私は有料メルマガの発行を「新しい仕事」として位置づけ、これまでの自分の「本を書く仕事」とは少し違うものにしようと考えました。

ふだん私が書いているのは「数学ガール」シリーズや『プログラマの数学』という数学入門書や、「プログラミングレッスン」シリーズやデザインパターンの本などのプログラミング技術書です。それとは違う内容として「コミュニケーションの話」や「文章を書く話」を読み物として提供しようと考えました。(これは後に方向転換します)。

「コミュニケーションの話」は以前、Yahoo!オフィシャルブログで「コミュニケーションのヒント」という連載をしていたことがあります。また「文章を書く話」は自サイトで「文章を書く心がけ」や「文章教室」というページを公開しています。

つまり私は「結城メルマガ」のコンテンツとして、「紙の書籍」とは別の「ネット向けのコンテンツ」としてこの二つの話を提供しようと考えたのです(この「考え」は後に転換することになります)。

普段からコンピュータで文章を大量に書いていますし、無料のメールマガジンを発行した経験もあり、また自分のWebページを運営している経験もありますから、有料メルマガを発行するための技術的な心配はありませんでした。

価格を考える

もっとも悩んだのが「結城メルマガ」の価格です。

価格は発行者が自由に決定できる「言い値」です。当然のことながら、価格が高ければ収入は多くなりますが、価格が高ければユーザ数に影響があるでしょう。では、いくらがいいのか。結局のところ、税込み840円にしました。多くの有料メルマガで設定されていた価格というのが理由です。ですからこの価格には特別なメッセージはこめられていません。

しかし、いくらにしようかと考えているうちに、有料メルマガが「有料」である重みを改めて感じ始めました。

つまり、こういうことです。

無料メルマガなら、どんな内容をどんな品質で書いても「まあ無料だし」という言い訳が立ちます(実はそうではないのですが……)。さらに無料メルマガをがんばって書けば「無料なのにこんな内容が読めるんだ」というプラスの印象を与えられます。

でも有料メルマガは違います。執筆者が自分で値段を付けて発行しているわけですから、読者に「こんなに高い値段にして、この内容でこの品質か……」と思われたくないという気持ちが強く働くのです。

価格に対する考え方もしばらくして転換した部分があります。これも次回に詳しくお話ししましょう。

発行サイトと発行頻度を考える

メルマガ発行サイトは、「まぐまぐ」を利用しようと思いました。一つの理由は基本となるユーザ数が多いこと。それから無料メルマガを「まぐまぐ」で発行していて様子がよく分かっていたからです。(ここもまたしばらくして方針を考え直すことになります)。

「結城メルマガ」の発行頻度は週一回にしました。週一回ならばペースもつかみやすいと思ったからです。これはあまり悩みませんでした。

実際に始めて起こったこと

意外に購読者が伸びない有料メルマガ

いよいよ「結城メルマガ」の発行です。

私が「結城メルマガ」を発行開始したのは2012年4月3日。これに先だって2012年3月23日にサンプル用の第0号を用意し、「まぐまぐ」のWebページで購読者を募りました。また、自分のWebサイトに結城メルマガ用の専用ページを作り、また自分のTwitterアカウントを使って、アナウンスを行いました。

要するに、自分がアナウンスできるチャンネルをすべて使って「結城メルマガの宣伝」を行ったわけです。こんなツイートを流しました。

当時のフォロワー数は、13000人ほどでした。当時のメモによると、購読者数がフォロワー数の5%(650人)だったら……、10%(1300人)だったら……という、文字通りの「皮算用」をしていますね。

しかし、「結城メルマガ」のアナウンスをして、約一週間経ったところでの購読者数は75名に留まりました。

これはちょっとまずいかもしれない、と初めて思いました。「メルマガを始めます」とアナウンスしてすぐに「ごめんなさい人数少ないのでやっぱりやめます」とはなかなか言えませんから。

人数が少ないということは収入も少なくなり、メルマガに掛けた時間と労力というコストをどう回収するかという問題が起きます。(これについては大きな発想の転換が起きました。これは次回の転換編で)

宣伝しにくい有料メルマガ

「購読者数を増やしたい」と切実に思いました。できることはまずは宣伝をするくらいしかありません。しかしながら、有料メルマガは非常に宣伝しにくいものだということも実感しました。

私はふだんWebで活動をしています。日記を書いたり、有用そうな情報を自サイトで無料で公開しています。そのWebサイトを宣伝するのには何も抵抗がありません。しかし、有料メルマガを宣伝するというのは抵抗があります。「いつもならネットに書いて無料で見せていたものを有料にしますから買ってください」というメッセージに取られかねないと感じたからです。宣伝をためらってしまう。そのままネットで無料公開すればいいことを、わざわざ有料メルマガにして「見せない」とは何ごとかというわけです。

また、Twitterなどで頻繁に「メルマガ購読してね」というアナウンスを流すのもためらわれました。自分が個人としてふだん使っているアカウントで、お金が絡む話をするのに抵抗を感じたのです。自分の書いた書籍の宣伝ならばいいのですが、有料メルマガの宣伝は難しい。私は「無料のWeb」対「有料のメルマガ」という対比の発想から離れられなかったのです。

以上の悩みは「読者に私が提供する価値は何か」また「結城メルマガを読者が購読してくれるのはなぜか」を考えることで発想が転換することになります。

題材を選びにくい有料メルマガ

とはいうものの、宣伝が功を奏したのか、第1回目を発行するときにはぎりぎり100部を越えた107部となりました(そのうち1部は自分自身ですけれど)。

堀江さんのメルマガと部数を比べることはとうにやめていました。ちゃんと現実を見て、せっかく「結城メルマガ」を購読してくださる読者さんがいるのだから、全力でそれに応えなくてはと思いました。

「結城メルマガ」はいくつかのコーナーに分かれていて、それぞれオリジナルの文章を書いていきます。毎回題材を考え、書き進めるわけですが、それ自体はそれほど苦痛ではありませんでした。ただ、時間がかかるのは確かです。

毎週毎週書いていて、スムーズに書けているときは問題ないのですが、うまく書けない回もあります。文章を書く人ならばよくわかると思うのですが、書けるときはあっという間に書ける文章でも、ちょっとひっかかると時間がいくらあっても書けない事態になります。これはなかなかつらいものがありました。

数週間経って「結城メルマガに載せる題材はよく考えなくてはいけない」と考えるようになりました。ふだん私は「数学ガール」シリーズのような書籍を書いています。これは大切な収入源で、生活の基となっています。コンスタントに品質の高いものを作る必要があります。そして、それには時間がかかります。

「有料メルマガもおもしろそうだ」と思って始めたのはいいけれど、「書籍を割く時間を圧迫し始めたらまずい」と考えるようになりました。その一方で、有料メルマガの品質を落とす訳にはいきません。というのは、お金をわざわざ払って有料メルマガという新しいチャレンジを応援してくれる読者さんの期待を裏切るのは私の信用に関わるからです。

つまり、有料メルマガは時間と労力がかかるけれど、それほど多くの読者に届くわけではない。しかし、しっかり時間と労力を労力をかけないと品質の高いものはできないし、品質の低いメルマガを出していたら大切な読者さんの期待を裏切ることになる……ということです。

三つの要素のバランスをどう考えるか。これが有料メルマガ運営の最大の問題です。

  • 「有料メルマガにかける時間と労力」
  • 「有料メルマガの読者数」
  • 「有料メルマガの品質と読者の期待(自己の信用)」

有料メルマガの「有料」の重みをしみじみと味わうことになりました。

転換点に向かって

そんなふうに、悩みつつも有料メルマガである「結城メルマガ」を続けていて、次第にわかってきたことがありました。「購読者の姿」と「私にとっての有料メルマガの持つ意味」が見えてきて、「結城メルマガ」は私にとって非常に重要なメディアに育っていったのです。

どのような発見があったのか、そして何を考えてどう転換していったのかについては、第二回の転換編で詳しく書きたいと思います。

(短期集中連載「私と有料メルマガ」第二回 転換編へ続く)

※結城浩さんの「結城メルマガ」の購読はこちらからどうぞ。 http://www.hyuki.com/mm/

関連リンク
「結城メルマガ」
『数学文章作法』
『フロー・ライティング』
『再発見の発想法』
『数学ガールの誕生』
『数学ガールの特別授業』

第10回 なぜ人は書庫を作ってまで本を持ちたがるのか

2014年2月26日
posted by 西牟田靖

前回は電子化という方法で蔵書問題を解決したケースをみてきた。

武田徹さんと大野更紗さん。二人に共通しているのは、電子本よりも紙の本の方が読みやすいという考えだ。大量に電子化してしまったことを武田さんは後悔していた。日常的に電子化をくり返し、電子化した本を後もちゃんと読むと言った大野さんにしても「リーダビリティは紙が上」「日本語の本は紙で手に入れたい」と言ったことを話していた。

全ての蔵書を電子化してしまうのは味気ないと僕も思う。iPadなどのタブレットの出現、読みやすさを劇的に良くするアプリの開発という二点によって、「電子化された書棚」というものの活用が可能になってきた。だけれども、それは、武田さんのような尖った人の新しいことへの挑戦か、場所がないけど本をたくさん所有したいという矛盾を解決するための打開策として実践するか、どちらかでしかやる価値がないのではないだろうか。

物体としての本を増やしつつ、しっかりと維持・管理していくという方法は、財力に余裕があればやはりそれに越したことはない。僕だってそうしたい。本がまぐれ当たりして高額所得者にでもなれば、そうした方法で解決することも可能だろう。だけど数千万円というお金がいきなり入って来たら、生活費や取材費に使いたいと思うはずで、おそらく書庫建設にまでお金を回すことなど今後もずっと夢の夢なんだろう。

知人の書庫とのひょんな出会い

一昨年の床抜け騒動以後、問題の根本は何ら解決していない。置けるのは妻子と住む家とアパートだけしかないというのに、どんどんと本は増えていく。床抜けアパートから避難させた大きな二つの本棚には入りきらないようになり、本棚のまわりに本や書類を床置きして何とかしのいでいるという体たらくだ。

そんな状態なので本棚の下の段はすっかり見えなくなり、取り出すのにすら一苦労するようになってしまった。増えていく本の数に家族もあまりいい気はしていない。というか「はやくどこか持っていって」と言って嫌がっている。物としての本をこれ以上増やすのは無理があるのだろうか。だけどできれば電子化はしたくない。いったいどうしたらいいのだろうか。

そんな風にして、増え続ける蔵書や資料の多さに悩んでいた年末、ひょんな出会いがあった。杉並区の阿佐ヶ谷で用事を済ませた後、原付バイクを中野方面へ走らせているときのことだ。早稲田通り沿いに四角くてほとんど窓のない風変わりな建物を沿道に見つけた。今まで気がつかなかったのは阪急電車の客車に似た小豆色という落ち着いた色で全体が塗られているからなのかもしれない。

連載の第二回でお話をうかがった松原隆一郎さんの書庫が完成していた。

建物が気になって、徐行したところ、その建物の前を掃き掃除している一人の男性をお見かけした。立ち姿の美しいガシッとした体形には見覚えがある。さっそく僕はその男性に話しかけた。

「松原先生ですか」
「あっ、西牟田くん。こんにちは。なんでこんなところにいるの」

松原隆一郎さん。彼は東大大学院で社会経済学を教えている教授で、多数の著書を持っている。武道家としての一面を持っていたり、前衛ジャズに造詣が深かったりという多才な人だ。

この連載の二回目でも、松原さんに蔵書の話をうかがったことがある。そのときは書庫建設が着工される直前の時期であった。その後、どうなったのか気になっていたが、無事に着工、そして竣工していたらしい。

「たまたま通りがかったんです。おっしゃってた書庫、これなんですね」
「今、時間ある? 中見ていく?」

松原さんは掃除をやめ、書庫を案内してくれた。ドアを開けて中に入るとそこは別世界。中には丸い吹き抜けが上から下まで空いていた。書棚は吹き抜けのまわりの壁すべて。書棚から垂直に段違いでステップがせり出している。本棚とらせん階段は一体化していて、登ってみると絵巻物のように背表紙が展開し、登っているという実感や時間の概念が吹っ飛びそうになる。階段を登ったり降りたりしながら内壁と一体化した書棚の本を見ることができるのだ。これはすごい。

松原さんの書庫を一階から見上げたところ。天井まで吹き抜けになっている。

「壁が書棚になっているというつくりはけっこうあるんです。だけど普通は四角。外側が台形で中が丸というのは珍しいんです」

そう言って松原さんは静かに胸を張った。でもなんで中も四角にしたりとか、外も中も円形にしなかったのだろうか。床が抜けずたくさん本を置くためにはどのような工夫がなされているのだろうか。書庫という空間の居住性はどうなっているのだろうか。

建物の構造ににわかに興味がわいた僕は、建築家が来るタイミングに合わせて、後日出直すことにして、松原さんの書庫を後にした。

草森紳一の「崩れた本」の行方

実はこの年の春、似たようなタイプの書庫を先に見ていた。それは、松原さんのいう「けっこうある」というタイプの四角い書庫であった。

連載の3回目4回目で紹介した故・草森紳一が1977年に建てた「任梟盧(にんきょうろ)」である。草森紳一は博覧強記の評論家であった。ナチスや毛沢東によるプロパガンダ、中国の古典にマンガに野球とあらゆるジャンルに精通し変幻自在の評論活動を続けた。彼の活動を支えたのは3、4回で紹介したとおり、2DKのマンションに所蔵する約3万2000冊の蔵書であった。

2008年に亡くなったとき、あまりに本が多すぎて発見が遅れた。そうした逸話があるほどに、生前の草森さんは本を溜めていた。それが彼の蔵書全てだと思っていたら、彼の長年のパートナーであった東海晴美さんによると、帯広市の近郊に位置する彼の故郷・音更町には3万冊を所蔵する書庫があるという。それが「任梟盧」だ。

その話を聞いたときあまりの本の多さに「えっまだあるのかよ」と呆れて一瞬ものが言えなかった。そして連載の第4回に記したとおり、草森氏が自宅に溜めていた約3万2000冊の書籍はその後、故郷にある帯広大谷短期大学が受け入れている。現在は2000冊が短大で公開され、残りの約3万冊は廃校になった小学校に非公開で保管されているとのこと。

昨年のゴールデンウィークに家族で北海道旅行に出かけたついでに、草森さんの遺した本の行方を見てきた。向かったのは、約3万冊の蔵書が所蔵された書庫「任梟盧」、そして帯広大谷短大が受け入れた約3万2000冊である。

草森紳一の蔵書が保管されている東中音更小学校。

その旅で最初に訪れた草森蔵書の保管場所は、旧東中音更(ひがしなかおとふけ)小学校というところ。帯広大谷短大が引き受けた3万2000冊のうち、原則非公開の約3万冊が所蔵されている。牧場と畑と針葉樹林が交互に続く人口密度が少ない荒涼とした風景、その一角にぽつんとその建物はあった。平屋の旧校舎は2010年に廃校になったばかり。水洗トイレに放送室、図工室に保健室、校長室、職員室と各部屋の入口が脇にある板張りの薄暗い廊下を歩くと、建て増しされたとおぼしき新しい建物へつながっていた。1999年に改築したというから新しい部分は10年あまりしか使われなかったことになる。

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ボイジャーが進むべき「電子の道」

2014年2月19日
posted by まつもとあつし

ボイジャーは筆者がこれまで取材を続けてきた電子書籍の世界の中でも、独特の存在感を醸し出す会社だ。それは出版社ともIT企業とも異なる。幾度となく訪れ、泡のように消えていった電子書籍の狂騒とは一線を画す、独特の考えをもった会社としか表現しようのないものだ。

1992年の設立以来、そんなボイジャーを率いてきた代表取締役の萩野正昭氏が社長の座を譲ると知ったとき、驚きと一種の感慨を覚えた関係者は多いはずだ。そこにどんな思いがあったのか、また新社長の鎌田純子氏はボイジャーの舵をどこに向かって切ろうとしているのか。社長交代にあたり、お二人に話をうかがった。

ボイジャーの新社長に就任した鎌田純子氏(右)と、創業社長の萩野正昭氏(左)。

「生涯一兵卒でやっていきます」

――やはりまず、萩野さんが社長を交代しようと考えられた理由を教えてください。

萩野:包み隠さず言えば、そこに何か大それた思いがあるわけではありません。46歳の時にボイジャーを立ち上げ、21年が経ちました。歳を取ってから起業したこともあり、僕ももう67歳です。肉体的な限界は感じていません。ただ扱っているのが書籍というコンテンツですから、現代の風俗や風潮を敏感に感じ取っていかなければならない。そこはやはり若い世代にそろそろ任せた方が良いと考えたのは事実です。

社長業で大事なことは、船の針路を決めることです。今足元で起こっていることだけじゃなくて、先を見越してビジョンを示さなければならない。67歳プラス5年、10年先を見越すって、ちょっと難しいですよね。ここで選手交代をしてボイジャー自体もリフレッシュしようと思ったんです。

でも僕自身は電子出版の仕事から足を洗うつもりは全くありません。死ぬまで、生涯一兵卒でやっていきますよ。

萩野氏は今後は取締役として主に「ロマンサー」など電子出版事業に携わる。

――なるほど。それで会長ではなく、代表権のない取締役になられた、ということですね。

萩野:本当はもう少し早く交代を、という気持ちもありました。でも、大手出版社などと違って、ボイジャーは電子本専業の言わば職人集団です。会社の規模も決して大きくありませんし、経営状態も常に安定しているわけではありません。資金調達の際には中小・中堅企業と同じく個人保証も求められますから、その重責・負荷を簡単に誰かに委ねるということはできない、という思いでここまで来たのです。

ここ最近、電子出版についての議論や理想が熱く語られる中で、「俺だったらこうする」というのを正面切ってやりたかった。でも、社長の仕事というのは、まず社員の給料を確保することなんですよ(笑)。その上で、なんとか捻出した利益で新しい仕組みやクリエイティブなものを生み出していくわけです。僕自身はずっとホントはそっちの方をやりたかったし、たぶんそっちの方が得意なんです。起業する前も映画や当時ニューメディアと呼ばれたレーザーディスクの仕事もしました。そしてインタラクティブから電子出版の仕事へ、という具合にメディアの興亡を見てきて、そこで何が起こるかということも知っている。今後はそれを伝えていきたい。

『季刊・本とコンピュータ』誌に寄稿した「二〇〇一年、ついに人は電子の本を読む」。

僕はずっと「人は電子で本を読むようになる」と信じてやってきた。ボイジャーをはじめた当時は、そんなのあり得ないと批判されたりもしました。たとえていえば、「江戸に行くには駕籠で行く」、だったら「東京になっても駕篭で行く」のか?みたいな議論がされていたわけです。いま上京するのに新幹線を使うのは当たり前で、Twitterだ、Facebookだという時代に、紙でしか本を読まないというのは一種の贅沢ですよね。

日本版キンドルのサービス開始もあって、電子書籍の市場がようやく大きくなってきて、その利益の部分がやっと確保できるようになってきた。だから、あとわずかの間かもしれませんが、僕としてはそこの原点に戻るという感じですね。

――発表のタイミングが青空文庫の呼びかけ人、富田倫生さんが亡くなられて少し後でした。収益の追求というところから離れて電子書籍の、ある種の理想を追求されていた富田さんが去られたことは、何か影響を与えていますか?

萩野:社長の交代については、7、8年くらい前から鎌田と話しあっていたので、直接的な関係はありません。ただ、追悼イベントでもお話ししたように、僕はビジネスを成立させていかなければならなかった。でも歩く道は違えども、電子書籍の理想――端末に何十冊も入るので本屋に行かなくて良いとかそういう次元ではなくて――彼が唱えていたようなインターネットと融合していつでも、誰もがアクセスできる本の世界、という目指す理想は同じだったと思っています。そこに求められる出版という行為もきっとあるだろうと。

彼や青空文庫のこと、そしてボイジャーの歩みを振り返っても、つくづく中身に尽きるということを痛感します。ツールがいくら整っても、中身がつまらなければ全く意味がない。一方で、ボイジャーはまずそのツールを創るのに一所懸命でもあらなければならなかった。その上で、中身を魅力的なものにしなければならなかったので、これは至難の業だったんです。

電子書籍の技術と文化について語り合える場を作る

新社長に就任した鎌田純子氏が今後は経営の全体をみることに。

――いま、そのツールがEPUBやその周辺の環境によって整備されつつあります。一方で、ボイジャーはこれまでエキスパンドブック、そして.bookといった電子書籍のフォーマットを開発し、それを擁していることが事業の柱でした。いま出版というお話しがありましたが、今後ボイジャー全体としてはどういう方向に進んでいくのでしょうか?

鎌田:これまで21年間ボイジャーがなぜ生き延びて来られたのか、という点からお話ししたいと思います。それは「必要以上のものを刈り取ろうとしなかった(Don’t take more than you need.)」からだと考えています。萩野と小さな部屋で起業をしたときに、よく通っていた居酒屋のおかみさんから、「寝床がある、というのが儲かっているということよ」とよく言って聞かされていたのを、いまも座右の銘にしているんです(笑)。

いまその収益を生む道具がボイジャーにはいくつかあります。ひとつはYahoo! JAPANさんはじめ各所で採用いただいているBinBです。BinBを使っていろいろな商売をしていただく、そしてそこでおカネをいただきすぎず、儲けすぎないかたちで利益を確保した上で、ボイジャーが進むべき「電子の道」を突き詰めていくというのが基本です。


(ボイジャーの提供するサービス一覧-DOTPLACEより)

客観視すれば、私たちは小さな会社です。そんな私たちができることはなんだろう、と考えた結果生まれたのが「ロマンサー」です。これはボイジャーがかつてエキスパンドブックで目指した「個人が発言できる環境を育てる」という理想の追求でもあります。

萩野:創業の言葉にも、一行目に「ボイジャーは出版社です」と宣言しています。僕も能天気だったのかもしれない、電子化の道具を使えば出版社たり得ると思っていたんだから(笑)。実際にはそんな簡単には物事は進まなかった。でも創業の精神はそこにあって、時代が進み、自分たちも本――それも電子ならではと呼べるような――を出すということがわずかながらできるようになってきた。

鎌田:ようやくここまで来た。では、これをどうやって継続して蓄積していくことができるのだろう? おカネを稼ぐ「だけ」を目的とするならば、ビューワやそれに向けたコンテンツの変換・制作業務「だけ」を請け負うというという選択肢もあるわけです。でも、私たちの目的や志と、それは少し違うなと。

そこで立ち止まって周りを見渡してみると、日本の電子書籍関係者のなかで、たとえば「デジタルのもたらす文化の是非について討論しよう」となったときに、そこに参加しようという人は数多くはいないんですよね。そんな時に萩野が招かれたサンフランシスコのBooks in Browsersというカンファレンス――これはオライリーがスポンサードしていたTools of Change for Publishingという一連のプログラムの中のひとつだったのですが――に参加し、もの凄い刺激を受けたんですね。それが現在、我々が展開するBinBのきっかけになっています。

このカンファレンスに参加している人たちが何を考えて動いているのかもっと知りたい、と思い、たまたまお声がけした方がその内容をまとめた本を出すらしいと知り、版元となるオライリーに問い合わせをしたんですね。そうしたらこの種の本の権利は独占していないということが分かり、「では日本での出版について契約しましょう」と、トントン拍子に話が進んだんです。

出版社を目指すボイジャーですが、実際そのための経験やノウハウが豊富なわけではありません。でも、拙いながらも慣れない翻訳や編集を進めていく中で、我々じゃないと出せない本、それを読みたい読者というのがいるはずだ、という確信を深めていきました。これらの本(『マニフェスト 本の未来』『ツール・オブ・チェンジ 本の未来をつくる12の戦略』)を出すことをきっかけに、電子書籍の技術と文化について語り合える場を作って行こうと。単に本を出すということだけでなく、そういった活動全体が出版であるという捉え方をしています。

個人向け電子出版ツール「ロマンサー」

BinBをつかった個人向け電子出版サービス「ロマンサー」で出版された本。

――電子書籍市場が立ち上がりつつある中で、個人出版の本格化への期待も集まっています。いまうかがったボイジャーの動きは、そういった環境とも一致する取り組みだと思います。一方で、ボイジャーが主に手がけてきた制作受託や変換業務と比べると、出版はリスクの高い取り組みにも思えますが。

鎌田:経営者としては、どちらかだけに注力するということはあり得ません。B2Bの分野はボイジャーにとっての基盤とも言える存在です。一方で出版事業を進めていく際には、売れた本からの収入というよりも、本を作る環境への対価を頂くという方が成立すると考えています。それがBinBの個人向けツール「ロマンサー」の位置づけです(正式公開前のテストサイトはこちら)。

問題は、どういう環境を用意しどのようなタイミングでおカネをいただくのが、我々と著者にとって最も合理的かという点で、エキスパンドブックでの経験も踏まえながら、検討しているところですね。

萩野:出版については、1000部というのがひとつの基準になると考えています。いままで電子本を1000部売るというのはなかなか難しかった。 ボイジャーの理想書店などで扱ってもがっかりすることも多かったんです。 でも、フォーマットが曲がりなりにもEPUBやその周辺で整い、電子書店が増え、市場が拡がったことによってだんだんその採算ラインが見えてきた。1000部を越えれば、その先に3000部、5000部という世界が拓けてくる。実際『ツール・オブ・チェンジ』は1000部を達成しています。たとえKDP――アマゾンという閉じた世界で展開されている本であっても、 まだ伸び代がある。 ウチでもやってみないか、と声が掛けられる状況になってきたんです。

鎌田:推測ですが、電子出版を主たるテーマとして捉えている人たちというのは、せいぜい国内で3000人くらいじゃないかなと。その中の1000人くらいの方が読む、つまり現状はかなり専門的な出版事業だと捉えていますが、無料配付も含めていまモニターとしての電子出版を増やしています。

EPUBでゼロから出版物を作るのは大変ですが、ロマンサーであればWordやテキストファイルからすぐ変換・配付が可能です。実際、ロマンサーで作られた作品の中には無料ながら2000人が本のURLにアクセスし読んだものもあります。もちろんマルチメディア要素を組込むにはオーサリング作業が必要ですし、我々も別のツールも準備していますが、そうではない文字と画像が組み合わさったコンテンツであれば、ロマンサーでとても簡単に、技術者でなくとも、著者や編集者が直接電子書籍を発行することができるわけです。そういった環境をご用意して、使っていただく中で、先ほど申し上げたように「必要以上には刈り取らない」精神で対価をいただければ、と思っています。

萩野:ボイジャーの規模では、アマゾンや紀伊國屋のような電子書店は展開できません。でも、一方でネットの時代になっても僕たちはなお「書店」に足を運ばなければならないのか、という疑問もあるわけです。

青空文庫をBinBですぐ読めるようにした「青空 in Browsers」

――富田倫生さんが理想とされていた「青空の本」にも通じるものがありますね。

萩野:そうですね。ネット上のあちこちに本が遍在していて、面白そうだなと思ったら手にとって読んだり、買ったりすることができる。そういう形でも良いと思うんですよね。アマゾンに対抗しようといったようなプラットフォームでの競争とはまるで別の出版のあり方を追求する意味で、また一兵卒で頑張ろうと思っているわけです(笑)。

鎌田:どんどんコンテンツが生まれて、気軽にアクセスして読むことができるという電子書籍の良さを実現したいという思いがあります。富田さんは青空文庫でそれを示した。ほんの10年前からの取り組みであるにも関わらず、すでにそれは1万数千冊という規模になっています。

――主に著作権切れの書籍を扱う青空文庫の場合は、決済の仕組みは用意されていないわけですが、ロマンサーは商業作品を展開する際の選択肢となるわけですね。具体的な価格体系も気になるところですが。

鎌田:検討中ではありますが、当分の間は無料ですし、売上に対する何%という仕組みにするつもりもありません。基本的には登録するコンテンツの容量が一定範囲を超えた時点でサーバーの場所代をいただくという、他のクラウドサービスが採用しているような料金体系になっていくという考えでいます。

萩野:ロマンサーを使ってコンテンツをEPUBに書き出すこともできますが、そういった機能は将来的にはプレミア会員向けという形をとるかもしれませんね。いずれにしても、ロマンサーはいわば「広場」のような存在として捉えているので、自由にそこに参加して出版に取り組めるようにしたいと思っています。

諦めて続けていくことが大事

――今日のお話を通じて、萩野さんがますます電子出版に精力的に取り組まれるということがよくわかりました。

萩野:僕はこれまでボイジャーがやって来られたのは、「諦め」があったからだと思ってるんです。この業界の人間というのは、「デジタルで何でも、簡単にできる」と盛んに言ってきたじゃないですか。でも、実際は何もできないし、全然ヒトに優しくなかった。それに何よりもそういうところから生まれたサービスは短命だったわけです。だから逆説的なんですが、アレもコレもじゃなくて、これはやっちゃいけない・やらないといった「諦め」が重要で、その中から自分たちができることに自信と誇りを持って注力して、何よりも続けていくべきだと。

――ある意味「引き算型」かもしれませんね。

萩野:そういうところから生まれてくるものって、地味なんだけどね。でも、紙の本ってもともとそういうものでしょう。あれほど何もできないパッケージが、何世紀も親しまれてきたのは、ひとえに中身が優れていたから――それに尽きる。BinBやロマンサーはその本質を突き詰めた答えのひとつです。

鎌田:諦めて続けていくこと、大事です(笑)。今年度、ボイジャーは新卒採用も行いました。社長という立場を離れた萩野のノウハウや考え方を、仕事を通じて若い彼らに継承してもらいたいと思います。また、逆に彼らが持っているデジタルネイティブとしての感覚や、いま電子出版に関心を持っている若い著者のみなさんの感覚を、ロマンサーを通じてボイジャーの中にも組み込んでいきたいですね。

*    *    *

筆者がはじめて萩野氏に取材を行ったのは、2010年のことだ。iPadが登場し、世間は「電子書籍元年」に浮かれていた。ascii.jpで連載を始めたばかりの筆者にとって、EPUBやDRM、表現と審査の問題などについて示唆を与えてくれたのが氏だった。そこから4年、電子書籍ビジネスから撤退する企業も現われるなか、萩野氏が現場に復帰してノウハウを伝え、鎌田氏が経営の舵を取るボイジャーがどのような世界を切り拓くことになるのか、引き続き注目していきたい。

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