TPP大筋合意との報に際して

2015年10月10日
posted by 青空文庫

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10月5日より各種報道にて、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)について参加各国が大筋合意したとのニュースが流れております。

青空文庫では、これまで著作権保護期間のさらなる延長について反対し、またTPPに関しましても、文化に大きく影響を与えるにもかかわらず、国民不在のまま進められる議論に強く憂慮して、「TPP著作権条項に関する緊急声明」にも賛同するとともに、日々パブリックドメイン作品のデジタルアーカイヴを推進することによって、著作権の失効した本が社会で自由に活用されることの重要性を訴えて参りました。

青空文庫に関わるボランティアは、その多くが作家や作品のファンであり、また少なからぬメンバーが、自分たちの好きな本がいつまでも読み継がれ、世界じゅ うで自由に分かち合われ、これから先も公有財産として大切にされてゆくことを強く願うだけでなく、共有された知や文化が社会に循環され、次の新しい創作物 が生まれて未来の文化が育まれてゆくことを心から祈って、日々の作業に取り組んでおります。

その立場から見て、著作権保護期間がさらに20年延びることによって、これまで産み落とされてきた無数の本に、そして将来の世界の文化に、いったいどれだけ資することがあるのか、疑問を抱かざるを得ません。

もちろん、青空文庫は法律を遵守して活動することを旨とし、公正な利用と保護によって文化の発展を目指す著作権法の理念に基づいて、保護期間の満了した本を「青空の本」として、読む人にお金や資格を求めず、これからも豊かな本の数々を集めていきたいと考えております。さらに著作権者本人が公開を希望する本もまた、一定の条件のもとで継続的に受け入れていく方針です。

また報道以来、青空文庫へのご心配が数々寄せられておりますが、TPPの大筋合意のために明日すぐ当文庫が閉鎖されるとか、保護期間延長によって青空文庫の活動そのものがなくなるといったことはございませんので、その点はひとまずご安心ください。

TPPに関して今後、条約の締結や国内法の整備などが進められていくことでしょう。とはいえそのなかで、ひとりひとりが粘り強く声を上げ、自分たちの文化がどうあるべきなのか、あきらめずに議論を続けることも必要です。

今ようやく芽生えてきたパブリックドメインによる豊かで多様な共有文化が損なわれないような、柔軟な著作権のあり方を切に望みます。

※この記事は2015年10月7日に青空文庫の「そらもよう」に掲載された同題の文章をそのまま転載したものです。

電子書籍の「失われた◯◯年」に終止符を 〜続・「電書再販論」に思うこと

2015年10月5日
posted by 林 智彦

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これまでの経緯

こんにちは。この「マガジン航」で以前、電子書籍への再販制度導入について、書かせていただいたことがあります(リンク)。

その時は、再販導入を主張する鈴木藤男氏(NPO法人わたくし、つまりNobody副理事長)、落合早苗氏(hon.jp代表取締役)の主張を、主に経済学的な観点から、分析しました。

紙幅の関係で、「電書再販論」のもう一人の主張者である、高須次郎氏(日本出版者協議会会長、緑風出版代表)の所論については、「後編」に回すことにしたのですが、その「後編」を書きあぐねているうちに時間がたってしまいました。すみません。

今回、「後編」として、「電書再販論」について、さらに詳しく書かせていただきます。

そもそも「再販制度」とは?

はじめに、出版物の「再販制度」とは何かについて、ちょっと整理しておきます。

独占禁止法では、商品の生産者や供給者(この場合は出版社や取次)が販売者(この場合は書店)に対して一般消費者に対する(最終)販売価格を(拘束)強制することを禁じています(法第2条第9項)。

ところが新聞、雑誌、書籍などの商品(著作物)については、法第23条第4項によって対象外とされています。これが「再販制度」と呼ばれるものです。

ただし、「制度」と名前はついていますが、

「著作物はすべて出版社の決めた価格で売らなければ違法!」

という法律があるわけではありません。

あくまでも原則は、「生産者が最終販売価格を決める契約は違法」ですが、著作物に限り、この規定の対象外としますよ、としているにすぎません。いわばお目こぼしです。

このあたりを誤解して、本や雑誌が安売りされていると聞くと、即、

「再販制度に違反している!」

とまるで犯罪でも見つけたかのように脊髄反射する人がいますが、間違っています。本の安売りは犯罪ではありません。

当事者が合意すれば原則、どのような契約でも結ぶことができる。これは「契約自由の原則」あるいは「私的自治の原則」と呼ばれる近代私法の大原則の一つです。

つまり著作物については、

生産者が最終価格を決める契約(再販契約)を結んでもいいし、
結ばなくてもいい(最終価格を決めない契約=非再販契約を結んでもいい)

というのが正確な理解です。

さて、紙の書籍や雑誌については、このように出版社が決めた価格(定価)での販売が広く行われ、それは合法なわけですが、電子書籍は現在、対象外となっています。

つまり、電子書籍については、生産者が最終価格を決める契約は、他のほとんどの商品と同じように「違法」とされるのです(実は抜け道があるのですが、これについては後述します)。

これに対して、独禁法の第23条第4項を改正するなどして、電子書籍も第2条第9項の対象から除外し、「再販制度」の適用対象とするとする動きがあります。これが「電書再販論」です。

前編のおさらい

前回、筆者は、業界誌「出版ニュース」に掲載された、二つの「電書再販論」(鈴木藤男氏、落合早苗氏)を取り上げ、それぞれの問題点を指摘しました。

鈴木氏の主張は、煎じ詰めれば、次のような内容になります。

著作物は通常の商品と異なり、自由競争になじまない。そのため、再販制度が設けられた。電子書籍も紙の書籍と同様、著作物なのだから、同じ扱いにすべきだ。

それに対して筆者は、まず、前段について、著作物が本質的に他の商品と異なる、というのは言い過ぎではないかと示唆しました。

ついでにいうなら、木下修「書籍再販と流通寡占」(アルメディア)によると、著作物に再販制度が導入されたとき(1953年)に、このような「本質論」を出版界が主張した形跡はありません。

それどころか、同書には、「文化保護のために再販を導入した、というのは後付けでつけられた理屈ではなないか」と疑わせる証言が、複数紹介されています。

とはいえ、再販導入後数十年にもわたる日本の出版の発展に、再販制度が、少なくとも、ある程度の寄与を果たした可能性は、否定できないかもしれません。

ただし、1900年から1997年まで再販制度を実施していたイギリスでは、再販廃止後、書籍の刊行点数、出版社の売上、国民の書籍の購入額、新規参入の出版社数のいずれもが、成長を続けていることにも留意すべきです(この点は前回も紹介しました)。

さらに、百歩譲って、紙の出版物ではプラスの効果があったとしても、ただ「似ている」というだけで同じ仕組みを電子書籍にも適用すべきかどうかは、別問題です。

このような理由で、鈴木氏の「電書再販論」に、筆者はあまり説得力を感じなかった、ということを書きました。

次に落合早苗氏です。同氏の主張をまとめますと、次のようになります。

電子書籍の価格は競争が激しく、下落傾向にある。米国では価格競争のせいで大手書店チェーンが倒産した。行き過ぎた価格競争はアマゾン一人勝ちの状況を生む。書籍や電子書籍は売れればいいというものではない。「電子図書」という新しいジャンルを創設し、再販制度の適用の可否について議論すべき。

これに対して筆者は、米国で苦境に立っているのは、主に金太郎飴のような大手書店チェーンであって、中小書店は健闘しているという事実を指摘しました。

また、このときは書きませんでしたが、これら書店チェーンは、オンライン書店の隆盛と並行して衰退しているのは事実ですが、それが行き過ぎた価格競争のため、という証拠はありません。

リテールの中心が、リアルからオンラインへ移行しているのは、出版物だけでありません。一般消費財、アパレル、家電、食料品など、すべての商品で起きていることです。人々がリアル店舗でなく、オンラインで購入するのは、価格が安い、ということもありますが、便利、というのがいちばんの理由でしょう。

価格競争だけで「アマゾン一人勝ち」になっているかのような言い方は牽強付会ですし、「電子図書」という別のカテゴリーを設けると、なぜそこではアマゾン一人勝ちにならないのか(価格でなく利便性が「一人勝ち」の原因だとしたら、何も変わらないでしょう)、説得力ある議論が展開されているようには思えません。

そもそも現在、再販制度下にある紙の本は、アマゾンも定価で販売しておりますが、そのことが、アマゾンがオンライン書店ビジネスで優位に立つことを防いでいるでしょうか?

「出版物販売額の実態2014」(日販)によりますと、インターネットルートによる書籍の販売額は2013年の時点で約1600億円。このうちのかなりの部分が、アマゾンジャパンによるものと見られています。

CCCの書籍・雑誌の売上高が1130億円(2014年3月時点)、紀伊國屋書店の売上が約1070億円(2014年11月期)です。アマゾンが日本での出版物売上を公表していないので、確実なことは言えませんが、日本最大の書店はアマゾン、という説は、この数字を見る限り否定できないと考えられます。

アマゾンの独占的な台頭を防ぎたいのであれば、それを可能にしている、再販制度を含む現行の出版ビジネスのやり方がまずいのではないか? と考えるのが普通の思考法でしょう。逆に、「アマゾン一人勝ち」になっている現在の紙の本の出版慣行を電子書籍にも適用すれば「アマゾン一人勝ち」を抑えられる、と考えるのは、通常の論理では、ちょっと理解ができない超展開です。普通に考えて、紙書籍で起きたことが電子書籍でも再現されるだけではないでしょうか?

価格競争のある世界で何が起きているか

ところで、世の中のほとんどの商品では、価格競争があります。たとえば、先日、筆者は冷蔵庫を買い換えたのですが、パナソニック、日立、シャープ、ハイアールなどを比較して、結局、日立のものを買いました。同等の性能の製品の中で、割安だったからです。

価格競争があるために、冷蔵庫業界では「一人勝ち」が起きているでしょうか? 日経トレンディが引用しているデータによると、2013年時点の冷蔵庫国内シェアは、パナソニックがトップで約22.6%、シャープ約21.8%、日立アプライアンス約18.5%、三菱電機約12.6%……だそうです。

同じく激しい価格競争のあるビール業界では、周知のとおり十数年にわたってキリンビールが圧倒的なシェアを持っていましたが、1987年の「スーパードライ」の登場以降この構図が崩れ、アサヒビールが首位を奪還、その後、取ったり取り返したりのシーソーゲームが続いております。ロイターによりますと、2014年時点では、アサヒが38.2%でトップ、2位のキリンが33.2%、サントリーが15.4%のシェアを獲得したそうです。

要するに、(極めて常識的な話ですが)価格競争があっても、「一人勝ち」になっている業界と、なっていない業界があるわけです。そして、価格競争以外の原因で、長年続いた「一人勝ち」が崩れることもあります。

従って、論理的に考えれば、「価格競争をなくせば『一人勝ち』がなくなる」という結論は出せないはずです。

となれば、単に、「一人勝ち」が起きている、と指摘するだけでは、制度の導入を合理化する理屈としては、あまりも弱いとしか言いようがありません。

というわけで、鈴木氏、落合氏ともに、「紙の本が再販なのだから、電子書籍も再販に」となんとなく単純に類推しているに過ぎないのではないか、というのが筆者の印象でした。

価格決定と紙への影響

鈴木氏の本質論、落合氏の競争政策論に対し、高須次郎氏は、やや違ったアプローチで「電書再販論」を主張します(「出版ニュース」2014年1月上・中旬号)。

高須氏は、中小零細出版社は電子書籍をいつでも発行できる体制にあるが、慎重姿勢をとっているとし、その理由として、電子出版物に対する出版社の権利が確保されていないこと、そして電子書籍に再販制度が適用されていないことをあげています。

(このうち、前者に関しては、2014年4月に成立し、2015年1月に施行された改正著作権法で、いわゆる「電子出版権」が導入されたことで解消されたはずです)

そのうえで、次のように主張します。

  • 「(電子書籍は非再販なので)出版社が価格決定権を持てず、電子配信業者による安売りが蔓延すれば紙の書籍の売れ行きに影響がでて、出版社の電子書籍発行への意欲は阻害される」。
  • 「紙と電子の出版物を一体的に再販商品と認めさせ、あるいは価格拘束を可能とさせるための議論と運動が、 出版業界に求められているのではないか」

ここでは、「出版社が価格決定権を握ることが必要」という主張と、「安価な電子書籍が紙書籍の売上を阻害する」という主張の二つが提示されています。後者はいわゆるカニバリズム論(電子書籍が紙の書籍の売上を食い荒らす)ですが、こちらは後回しにして、まずは前者について見てみます。

一般論として、製造者が価格決定権を持つことが、売上を伸ばすことになるかどうかは、条件による、としかいえないはずです。

出版界は1997年をピークに、18年連続で売上が落ちています。だからこそ、システムの改革が求められているのですが、その「システム」には、再販制度も含まれています。

前項で述べたように、現在の制度がうまくいっているのであれば、それを電子書籍に適用すべき、というのも理解できるのですが、うまくいっていないことが明らかなのに、あえて援用しようとする意味がよくわかりません。

より一般化してみましょう。生産者の価格決定権について考える際、参考になりそうなエピソードがいくつか思い浮かびます。ここではその中で、「ダイエー・松下戦争」について取り上げてみましょう。

生産者が価格決定することはいいことなのか?

「ダイエー・松下戦争」、俗に「30年戦争」とも呼ばれるこの争いは、1964年、松下電器(現パナソニック)の製品を流通大手(当時)のダイエーが安売りしようとしたことから始まります。ダイエーが希望小売価格の2割引で販売しようとしたところ、松下電器が抗議、出荷を取りやめたことから始まり、30年にもわたってダイエーの店頭に松下の製品が並ばなかった、という事件です。

「流通革命」を掲げ、価格は消費者が決めるべき、と主張するダイエーに対して、松下電器側は、価格決定権はメーカー側にあると主張、ダイエーが松下を独禁法違反で提訴する騒ぎにもなりました。

ちなみに冒頭に説明したように、生産者が最終小売価格を小売店に強制することは独禁法違反ですが、「この価格で売ってほしい」という目安を提示するのは合法で、この価格を「希望小売価格」といい、こうした商習慣を「建値制」と呼びます。

この対立、今からみると、なかなか示唆に富んでいます。

パナソニックは、この一件で、一時は流通最大手だったダイエーという販路を失いました。しかし、だからといって、企業経営がこのことから直接的に、甚大な被害を受けたかというと、筆者の調べた限り、そういうことはなかったようです。

一方、ダイエーは、バブル崩壊後、阪神淡路大震災という不幸な出来事もきっかけとして、急速に経営不振に陥ります。しかし、メーカーとのこうした対立が、主要因ではありませんでした。過大投資と、「カテゴリーキラー」と呼ばれる、特定商品に特化した量販店の伸長、単に安ければいい、という価値観から実質的なお得感へと、消費者の嗜好が変化したことが理由として挙げられています。

つまり価格決定権のありかは、両社の経営にそれほどのインパクトを及ぼさなかったと考えられます。

少なくとも、高須氏の危惧するような、「生産者が価格決定権を失えば、果てしない安売り競争が始まり、生産者のビジネスが成り立たなくなる」ということには、なっていないことは明らかです。

定価(希望小売価格)こそが安売りを招く

その後、1990年頃から多くの家電メーカーは、希望小売価格の表示自体をやめてしまい、小売店に価格を任せる「オープン価格制」に移行しました。

直接のきっかけは、量販店の一般化で、希望小売価格と実際の販売価格の乖離が激しくなり、消費者に誤解を与えるとして、公正取引委員会が問題視したこと、もう一点は(驚くなかれ)希望小売価格の提示が、「安売り」を招く、という理由によるものです(小本恵照「オープン価格制の普及と取引制度の変化に関する経済分析」ニッセイ総合研究所、2006による)。

希望小売価格がある商品では、「希望小売価格から◯割引!」という形で、小売店が安売りしやすくなるからです。

大事なことなのでもう一度繰り返しますが、

メーカーが販売価格を提示すると安売りを招く

ということも理由の一つとして、家電等ではオープン価格制に移行したのです。

さらに付言するなら、建値制のもとでは希望小売価格を守る販売者に対して生産者からリベートを払う必要があり、このリベートが不明朗な取引関係を生み経営も圧迫する、ということも前掲資料で理由として挙げられています。

高須氏は別のところで、出版業界には不明朗な取引が多すぎると苦言を呈しています。

栗田出版販売の民事再生が意味するものリンク

まず「現在の正味体系」を中心とした取引条件の問題点に踏み込むことなしに、取次店の再生はないのではないか。ご承知のように出版社が販売価格を決定できる再販制度を前提に、定価の何掛けという形で現行の正味体系はできている。この正味が今や1割以上の格差になっていることである。大手・老舗版元、医書などの正味は一般に限りなく高く、中小零細・新規版元は限りなく低いのだ。高い正味では7.5掛けなどはざらで8掛けなどというのもある。

次に、歩戻しと呼ばれるバックマージンである。新刊委託をはじめとして、長期委託、常備寄託などさまざまな名目での販売協力金であるが、中小零細、新規版元ほど多くのパーセンテージを強いられている。

また、販売代金の支払い条件である。中小零細、新規版元は、新刊は6カ月精算、原則翌月払いの注文品にも、納品額の3割が6カ月間支払い保留されるなどの注文品支払い保留が強いられる。一方、大手・老舗版元には、原則6カ月精算の新刊が翌月に全額ないし一定割合が支払われる内払い、条件払いが適用される。

「正味」とは出版用語で、仕入れ値のことです。出版社から取次会社に卸す金額を「入り正味(または版元出し正味)」、取次会社から書店に支払う金額を「出し正味」などといいます。

高須氏が指摘するとおり、出版流通にはさまざまな形でバックマージン(リベート)があり、取引条件にも格差があります。そして前掲資料を見ると、家電や化粧品、その他あまたの業界で、同様の問題があり、その問題の解決のために、建値制の撤廃、オープン価格制の導入が図られた、とあります。

電子書籍に再販制を適用すれば、高須氏のいう、こうした不明朗な取引が、そのまま電子書籍にも持ち込まれてしまう恐れがあるのではないでしょうか?

紙の出版流通での不明朗な取引をやめさせたいのであれば、まずは建値(定価)、つまり再販制度をやめるべきだと、高須氏は主張すべきではないでしょうか?

建値(定価)のデメリットについてさらに付け加えましょう。現在、再販制度のもとで、新刊本には定価が表示されており、全国どこに行っても同じ値段で売っています。

そしてブックオフ等の新古書店や古書店に行くと、定価の横に販売価格のシールが貼ってあり、ひと目で割引率がわかるようになっています。

しかしこの「定価(の表示)」がなくなれば、どうなるでしょうか?

新刊書店も新古書店も独自に価格をつけるようになり、新古書店のメリットは、非常にわかりにくくなります。

誰だって古い本よりは新しい本がいいに決まっています。新刊書店でも安売りが行われ、メリットがわかりにくくなれば、新古書店に足を運ぶ人は確実に減るでしょう。

ブックオフを台頭させたのは、再販制度なのです。

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日本十進分類法のオープンデータ化に向けて

2015年10月3日
posted by 吉本龍司

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図書館の本は、分類番号順に本棚に整理されています。このとき使われる分類規則、日本十進分類法(NDC)は、国内の図書館の事実上の標準となっています。

しかし、二次利用やデータ公開が公益社団法人である日本図書館協会により大幅に制限されており、検索精度の向上や様々な分野での図書館データベース活用の大きな障害となっています。また、カーリルのような新しい事業者には多額のライセンス料とデータの再配布を制限する契約を要求する一方、従来からNDCを活用している事業者はライセンス料を一切負担していません。このような運用は公益社団法人としてふさわしいものではありません。

NDCは公共性の極めて高いプロトコルであり、だれでも、いつでも活用できるようにするべきです。これまでカーリルでは日本図書館協会に対して再三にわたりオープンデータ化を要請してまいりましたが未だ実現しておりません。現在、図書館関係者有志によりNDCのオープンデータ化に向けた署名活動が始まっており、当社もこれを全面的に支持します。

2015年9月21日
株式会社カーリル
代表取締役 吉本龍司

詳しくはNDCオープンデータ化への要望について(署名集めのお願い)をご参照ください。 http://ndclod.in.coocan.jp/

呼びかけ文の内容

本年、日本図書館協会から日本十進分類法(以下、NDC)10版が公開されました。日本十進分類法の20年ぶりの改訂ということで各地で注目されています。NDC10版をまとめた日本図書館協会は公益社団法人として公共の利益のためにつくすことが求められる団体であります。そこで作成されたデータは、それを社会に対してオープンにすることが公共の利益・社会の発展に直接的に寄与するものである場合には特に、公共データに準ずる存在であることが期待されているともいえるでしょう。

公共データの公開については、総務省なども広く自由に(二次利用可能な形で)公開することを提案しており、近年では多くの自治体でもデータをオープン化する動きが進んできています。また、オープンデータを利用するための活動も各地で活発化してきました。オープンデータを利用しようとする人々へのアンケートでは常に上位に日本十進分類法があげられるという状況もあります。

しかし、日本図書館協会(以下、JLA)は現在のところNDC8版および9版のLinked Data化についての研究を国立国会図書館(以下、NDL)との共同で始めたにとどまっており、この研究成果をオープンにするかどうかも「未定」とされています

言うまでもなく、NDCは図書館の資料組織の中心的なツールであり、日本中の図書館で利用されているだけではなく、図書館外も含めて図書の管理を行うさまざまな局面での利用も広がっています。このように社会的にも大きな意味がある基本的なデータを社会の基盤とするためには、自由に利用できる(オープンに公開される)環境を整えることが極めて重要であると思われます。 そこで、少なくともJLAとNDLが共同で行っているNDCのLinked Data化の成果をオープン化することを要望すべく、署名を集めることといたしました。別紙に示す「NDCの利用促進およびLOD化に関する要望書」(Web公開もしております) に賛同いただける方からいただいた署名を集約し、本年末を目処にJLA理事長に提出したいと考えております。本提案の趣旨にご賛同いただき署名いただくとともに,皆様のまわりで賛同いただける方の署名を集めていただければ幸いです。お集めいただいた署名は、以下にお送りください。よろしくお願いいたします。

●署名とりまとめ窓口
〒305-8550 茨城県つくば市 春日1-2
筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕研究室内
NDCオープン化署名取りまとめ窓口

NDCは有償でライセンスされているのですか?

日本図書館協会はNDCのデジタルデータをライセンス販売しています。これをMRDFといいます。NDC第9版のデジタルデータ版であるMRDF9は図書館40万円(税別)、企業100万円(税別)とされています。カーリルでは、契約書のひな型の提供を受け、契約に向けて検討しましたが、図書館と企業の基準や、許諾範囲などに曖昧な点が多く契約締結には至っておりません。

多くの図書館のウェブサイトでNDCを活用したサービスが公開されていますが?

ライセンス契約を締結したうえで、別途日本図書館協会が許諾した場合は掲載することができるとされています。そのため基本的には各図書館がライセンス料を負担した上で、別途許諾を受けていると考えられます。例えば市川市立図書館や、高知県立図書館京都府立図書館など一部の図書館ではNDCを活用した絞り込み検索が可能です。しかし一般的に図書館に対しては「第三次区分表」までしかウェブに掲載することはできないとの見解が示されており、これにより多くの図書館システムでは分類検索の選択肢が第三次区分表までしか選択支援機能をサポートしていません。

また、ライセンス契約を締結していない図書館はOPACの書誌ページ等に分類記号は表示できても、それがどういう意味であるかを示すことができません。

ライセンス契約し、許諾を受ければいいのでは?

カーリルが内部的に利用するだけではあればその通りです。
今後、各図書館が自らの所蔵データや書誌データ、あるいは配架図などのデータをオープンデータとして活用する際、これらのデータと密接に関わるNDCが必須となります。しかしNDCのライセンス契約は利用者ごとに締結しなければならないため、図書館の公開するオープンデータの活用が大幅に制限されることになります。これらのオープンデータは、もちろんカーリルだけではなく個人や法人、営利目的や非営利目的にかかわらず自由に利用できるようにするべきです(なお2014年10月時点で、”MRDF9のライセンス契約を締結した民間企業はこれまでにない”との見解を日本図書館協会より伺っております)。

なお、本件についてのTwitter上での反応は以下にまとめてられています。
http://togetter.com/li/877162

※この記事は、「カーリルのブログ」に9月21日に掲載された「日本十進分類法(NDC)のオープンデータ化に向けて」と、同月22日に加筆された追記分を合わせ、さらに「呼びかけ文」の内容を転載して「マガジン航」編集部にて再編集したものです。

第7回 出版と巡業

2015年9月29日
posted by アサダワタル

作家が本を携えて人に会いにゆくことの意味

昨年12月に『コミュニティ難民のススメ―表現と仕事のハザマにあること―』(木楽舎)という本を上梓した。音楽やメディアアート、障害者福祉やコミュニティデザインなど、僕がこれまで携わってきたさまざまなコミュニティ(専門分野や業界)における試行錯誤の履歴を半自伝的に書いたもので、あわせて領域横断的に多様な生き方・働き方を実践している6人の仲間たち(銀行員、建築士、元DJの宿主、福祉施設で働く美術家、職業訓練コーディネーターやアートディレクター)も紹介するといった内容だ。

僕はこれまで仕事をする上で、ひとつの「これ!」といったコミュニティに属さず(っていうよりは属することができず)、かつその時々に応じて表現手法・アウトプットも特定していないことによって、周りから「結局、あの人は一体、何屋さんなの……?」と思われるような日々を過ごしてきた。ときに周囲から「あいつは根無し草だ」とか「結局、一体何がやりたい人なんだろう?」って言われたりしながら、特定の分野や目に見えやすいアウトプットに縛られず、自分の「表現」したい「根っこ」を掘り下げるようにして、自分なりに「仕事」を作り、「日常編集家」という謎の肩書きをでっちあげてなんとか家族も養っている。

しかし、これは決して「器用」とか「マルチ」の一言で綺麗に片付く話ではなく、やはりそれなりに自分のアイデンティティの置き場所につねづね悩んできたのだ。僕はその定まりきらないことで苦労も伴うけど、でも定まりきらないからこそ多様な職種の人々とのコラボレーションを果しながらいろんなコミュニティ間を創造的に架橋する存在を、「現代に生きるクリエイティブな漂泊の民=コミュニティ難民」として描ききろうということで、本書の執筆に時間を費やしてきた。

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僕はここ数年、ありがたいことに「本を出す」という機会に恵まれ、また本連載も含めて複数のメディアに寄稿する仕事もいただけるようになった。もともとライターでもなく、どちらかと言うと人前にでて「実演」(演奏とかワークショップとか)をするのが僕の仕事だ。だから、生身の体を曝して多数の人々に出会い、ときにパフォーマンスをしたり、ときに直接語りかけたり、そういった場づくりを企画することにはそれなりに精通してきたつもりだ。そして否応なしに体得してきたこの「現場感」あるいは「ドサ回り感」が、どうも以下のような「出版ツアー」の敢行に反映されてしまったらしい。

出版ツアー全容

まずは全容を記そう。11月下旬の先行販売から始まったこのツアーでは、東京はもちろんのこと、横浜、京都、大阪、名古屋、福岡、仙台などの都市圏や、さらに八戸(青森)、猪苗代(福島)、甲府(山梨)、浜松(静岡)、富山(富山)、彦根(滋賀)、岡山(岡山)、須崎(高知)、今治(愛媛)など、ざっと半年間で23回の出版トークイベントを展開した。

このツアースケジュールの一部を、アサダのホームページやTwitter上で発表したとき、周囲から多かった反応はずばり、「それって完全にミュージシャンのレコ発ツアーじゃないか!」といったもの。僕は性根がミュージシャンなのか、実際に「レコ発ツアー」なるものも何度か経験してきた立場として、扱うメディアが「CD」から「本」に変わったとしても、同じようなスタイルでツアーを敢行してしまったようだ。以下はそのリスト(共演者敬称略)である。

2014年

• 11月21日(金) @愛知・名古屋 新栄パルル
• 11月22日(土) @静岡・浜松 黒板とキッチン × 鈴木一郎太(株式会社大と小とレフ)
• 11月23日(日) @山梨・甲府 Naturalia × 荒井慶悟(富士吉田市役所政策企画課、富士吉田市みんなの貯金箱財団)、浅川裕介(北杜市役所)
• 11月24日(祝) @福島・猪苗代 はじまりの美術館 × 岡武明(漆jah、御もてなしの宿悠ゆ亭)、千葉真利(はじまりの美術館)
• 11月25日(火) @神奈川・横浜 さくらWORKS × 岡本真(アカデミック・リソース・ガイド)
• 12月10日(水) @福岡・箱崎 ブックスキューブリック × 大澤寅雄(ニッセイ基礎研究所)、山内泰(NPO法人ドネルモ)
• 12月12日(金) @東京・神楽坂 かもめブックス × 太刀川英輔(NOSIGNER)、小倉ヒラク(発酵デザイナー)
• 12月23日(祝) @大阪・心斎橋 スタンダードブックストア× 釈徹宗(僧侶)、KumeMari(DIYer)、三原美奈子(パッケージデザイナー)、松村貴樹(IN/SECTS)

2015年

• 1月9日(金) @京都・東山 アーティストプレイスメンツ(HAPS)  × 遠藤水城(インディペンデント・キュレーター)、タミヤリョウコ(ガールズヘルスラボフォーワーカーズ)、佐藤知久(文化人類学車)
• 1月17日(土)@富山・富山 紀伊國屋書店富山店 × トムスマ・オルタナティブ(美術家)
• 1月18日(日)@東京・新宿 紀伊國屋新宿本店 × 佐々木敦(批評家)
• 1月27日(火)@東京・池袋 リブロ池袋コミュニティカレッジ × 家入一真(連続起業家・活動家)
• 2月13日(金)@滋賀・彦根 彦根半月舎 × 細馬宏通(人間行動学者)、近藤隆二郎(NPO法人五環生活・滋賀県立大学教授)
• 2月15日(日)@大阪・心斎橋 スタンダードブックストア × 津村記久子(作家)、藤原明(りそな銀行)、梅山晃佑(二畳大学・A’ワーク創造館)、櫨畑敦子(のびしろ主宰)、松本典子(ヨガインストラクター、占い師)、松村貴樹(IN/SECTS)
• 2月16日(月)@東京・中延 インスト―ルの途中だビル × 今村ひろゆき(ドラマチック代表)
• 2月20日(金)@宮城・仙台 SENDAI KOFFEE CO.
• 2月21日(土)@青森・八戸 八戸酒造株式会社
• 2月28日(土)@大阪・心斎橋 スタンダードブックストア × 家成俊勝(建築家・dot architects代表)、乾聰一郎(奈良県立図書情報館)、山納洋(大阪ガス(株)近畿圏部)、中川和彦(スタンダードブックストア)、松村貴樹(IN/SECTS)
• 4月4日(土)京都・二条 ART HOSTEL kumagusuku × 金島隆弘(アートフェア東京 プログラムディレクター)、矢津吉隆(kumagusuku)、田中英行(Antenna)
• 4月11日(土) 高知・須崎 すさきSATまちかどギャラリー × ヒビノケイコ(4コマエッセイスト)、川浪千鶴(高知県立美術館学芸課長)
• 4月12日(日) 愛媛・今治 ほんからどんどん × 田中謙(村上水軍博物館学芸員)
• 5月10日(日) 岡山・奉還町 NAWATE
• 5月23日(日) 東京・下北沢 B&B × 内沼晋太郎(B&B、ブックコーディネーター)、仲俣暁生(フリー編集者・文筆家)

先行販売は東京“以外”で

本書は2014年12月10日が正式な出版日だったが、11月下旬には印刷会社から版元への納品がされていたので、「先行販売ツアー」と称して、まずは11月21日(金)@名古屋〜11月25日(火)@横浜までの5会場を回ることから始まった。ここでのポイントは東京を敢えて会場から外したことだ。あらゆる情報発信のお膝元である東京ではなく、都市の規模の差こそあれ、各都市の直接つながりのあるキーパーソンとともに、この先行販売ツアーを企画した。

名古屋は、新しい働き方や社会教育についての活動を行う仲間たちが。浜松は、本書でも紹介した障害福祉現場で様々な企画コーディネートを行なっていた親友の美術家が。甲府は、筆者が以前、甲府の街中で行なわれた芸術祭に出演した際につながった、まちづくりに励む若手の銀行マンが。猪苗代では、障害福祉分野とまちづくり分野からも注目される開館したばかりの美術館の学芸員が。そして横浜では、筆者の執筆活動を常に支え続けてくださっている独立系出版社の編集者が。共通するのは、各々が世間的にはかなり広範・雑多な領域で仕事・活動を展開している、まさに「コミュニティ難民」的な要素を多分に持ち得ている人たちであることだ。

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村上春樹『職業としての小説家』への賛辞

2015年9月28日
posted by 大原ケイ

murakami-haruki

季刊誌「マグナカルタ」Vol. 02(2013年 春号)で、なぜ数多いる日本人作家の中で村上春樹だけが突出して海外でも読まれているのか、というお題をいただいたことがあります。引き受ける際に「論と呼べるような持論は特になにもありませんが、なぜなのかを彼の人脈という点から種明かしをする形でなら書けます」とお答えして、それでもオーケーだということだったので、書きました(その時の原稿は『新・日本人論』というアンソロジーに加えられました)。

村上春樹の小説だけが、海外で飛び抜けて売れるわけ

その種明かしとは、「村上春樹の本がこれだけ海外で、とくに欧米で売れるようになったのは、彼のバックに業界屈指のリテラリー・エージェントと、ランダムハウス傘下のクノップフという文芸の一流出版社と、村上春樹が翻訳を手がけたレイモンド・カーヴァーらの担当編集者がついているから」という、「論」とはおよそかけはなれたものでした。小説の中身やその良し悪しについては一切言及せず、彼をとりまく人脈図を紹介し、その人脈が開拓できたのは、彼に英語力があって自分から働きかけることができたからだという、身も蓋もない理由づけだったわけです。

でも、村上さんがそうだからといって、私は「英語ができない日本人作家には道が閉ざされている、だから英語を身につけろ、あるいは英語で書け」などと、本末転倒でめちゃくちゃなことを言うつもりは毛頭ありません。作家を生業とする方々には、これからも母国語で精進してほしいものであります。つまりは個人の英語力の問題ではなく、「英語圏」への壁を乗り越えさえできれば、他の作家にも十分、世界中で認知されるチャンスはありますよ、ということが言いたかったのです。

その村上さんの新刊『職業としての小説家』では、初めて本人の口からアメリカ進出の経緯が詳細に語られています。この本を読み、私が書いたことがおおかた間違った推測ではなかったことがわかって「えっへん」という気持ちと同時に、やっぱり村上さんはスゴイ人だという思いを強くしました。私は「マグナカルタ」の原稿で彼がつかみとったその人脈を、「幸運」という舌足らずな書き方をしてしまったことを謝りたいです。降って湧いたような棚ボタの “luck” ではなく、彼が自分の力で手繰り寄せた「縁」だったのだということがよくわかりました。

その村上さんが90年代前半にアメリカのタフツ大学やプリンストン大学で教鞭をとっていた頃、私はニューヨークにあった講談社アメリカにいたこともあって、時折オフィスに寄ってはスタッフの人と会ったり、自著にサインをしていた彼の姿を見かけたものです。こうして『羊をめぐる冒険』や『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の英語版は重たくて立派なハードカバーの本になりましたが、今回の本で村上さん自身が仰っているとおり、売れ行きという点ではそれなりというか、まだまだでした。

残念ながら、アメリカの書籍流通システムでは出版社の規模や知名度よりも、「本を売ってきた実績」がモノを言うのです。たとえば全米の書店で平積みにされている本にはすべて「コアップ」広告費というお金が動いていることは、日本ではあまり知られていません。そしてそのコアップにかけられるマーケティング費、つまり平積みの目立つ棚においてもらえるかどうかは、その版元の本の前年度の売上げ額で決まります。いかに講談社が日本最大手の出版社であろうとも、アメリカではまだまだ平台には並べてもらえない程度の売上しかない出版社だということなのです。

日本で売れているものが、海外で売れるとは限らない

6月に日本独立作家同盟の招きで「日本の作家よ、世界に羽ばたけ!」という講演をしましたが、その時にも村上さんのことは「特例」として紹介しました。「日本ではほとんど(公共の場やマスコミに)姿を現しませんが、アメリカでは他の著者と同様、作品を出すごとに、朗読会やサイン会もこなしています。アメリカ人の著者なら誰でも当たり前にやることをやっているわけです」と(この講演録はボイジャーから小冊子と電子書籍になっています)。

今回の『職業としての小説家』でも、村上さんは「……僕が海外でできるだけ人前に出るように努めているのは、『日本人作家としての責務』をある程度進んで引き受けなくてはならないという自覚をそれなりに持っているからです」と述べています。この本では国内に向けて自分の読者と、小説家を目指す次世代の人たちへの、その責務が果たされていると感じました。

彼はまた、欧米でも読まれる作家となったもうひとつの要因として、こう書いています。

僕が「日本人の作家」であるという事実をテクニカルな意味合いで棚上げし、アメリカ人の作家と同じ土俵に立ってやっていこうと、最初に決心したことにあるのではないかと思います。(中略)つまり外国語で小説を書く外国人作家としてではなく、アメリカの作家たちと同じグラウンドに立ち、彼らと同じルールでプレイするわけです。まずそういうシステムをこちらでしっかり設定しました。

海外の書籍マーケットを日本のそれの延長上にあるものと同じと捉え、日本で売れてるんだから海外でも売れるはず、というのは半分アタリで、半分はハズレです。どの国でどんなジャンルの本がよく読まれているのか? というのは文芸エージェントとして私がつねに追ってきたトピックです。時間をかけて各国のベストセラー・チャートをにらみつつ、現地の編集者の人たちと話をすると、当然のように文化の違いからくる温度差があることがわかります。国内で栄えある文学賞をとったから、著者が有名人だから、日本では人気があるから……という理由だけでは不十分なのです。

そろそろ戦略的な体制を整えることが必要

日本のコンテンツを海外に向けて発信する場合も同じことが言えます。「クール・ジャパン」と称してこっちが消費してもらいたいコンテンツを、大枚はたいて一様に、一方的に送り出しても、たいした効果はありません。考えてみれば「日本が好きだから日本のものならアニメも、歌舞伎も、ラーメンも、富士山も、メイド喫茶も、京都散策も、コスプレも、あんこも好き」という人はいないでしょうから。日本にしかない独特のコンテンツだから、それが珍しくて、ニッチにぴったり収まることもあるでしょうし、SFやファンタジーなど、すでに親しまれているジャンルに入るけれど、日本発のストーリーであるというヒネリが入ったために、すんなり受け入れられながらも新鮮味が加わるコンテンツもあるでしょう。

どのテリトリー(海外翻訳版権は国別ではなく、英語圏、スペイン語圏という風に、言語範囲が単位になることが多いのでこういう言い方をします)で、どういうジャンルなら、日本の作品が新鮮に感じられるのか、あるいは読者が慣れ親しんでいるカテゴリーなので日本の作品でも抵抗が少ないのか、さらには、どの出版社にどんな編集者がいて、どんな作品を出しているのかを知ることが、海外に版権を売るための着実なステップとなります。

いくらグローバルだ、海外だと大きなことを言っても「この本は面白い。自分たちの国でも出してみたい」と思うのは編集者個人の「眼力」によるところが大きく、それを伝えるのは送り手側にいるエージェントの個人的な「熱意」であることも真実なのです。ただ、海外には日本語で作品を評価できるエージェントも編集者もいないので、その部分をこちらで「底上げ」して同じ土俵に立たせないと、どうしても広がっていかないのです。

これまで機会があるごとに欧米編集者からの視点で「海外のマーケットではこういうものが売れます。こういう本が求められています」と訴えてきました。今後はさらに、海外に版権を売っていくために戦略的にどういう体制を整えればよいのかを、発信側である日本のコンテンツ業界の人たちといっしょに考えていきたいと思っています。