東京カフェムーブメントと図書館カフェ

2015年11月7日
posted by 李 明喜

盛り上がる図書館カフェ

図書館のカフェが注目されている。利用者としての印象もあるが、アカデミック・リソース・ガイドのスタッフとして関わっている公共図書館づくりにおける現場での実感としてより強く感じる。『ライブラリー・リソース・ガイド』12号の特集「カフェ✕図書館」冒頭のエッセイ「図書館でコーヒーを飲んでもいいの?」にも書かれているが、図書館のカフェが注目される契機となったのは、やはり武雄市図書館のスターバックスコーヒーだろう[*1]。「いやいや、武雄市図書館の前から図書館にカフェはあったよ」とおっしゃる方もいると思う。それはその通りなのだが、それまで図書館に関心がなかったような人びとにも「スタバのある図書館」として認知されたことは、図書館におけるカフェムーブメントの新たな扉を開く大きな出来事であった。

武雄市図書館の企画段階で市民を対象にしたアンケートを行った時に、今後図書館に増えたらうれしいサービスについて質問したところ、圧倒的に多くの人が「カフェ」と回答していた。「スタバのある図書館」が実際につくられる上で、大きな推進力が働いたのは間違いないが、それは樋渡啓祐前・武雄市長が力ずくで進めたということではなかったし、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が自分たちのスタイルを押し付けたということでもなかった。そういったところも部分的にはあったと思われるが、一番大きく働いたのは、「図書館にカフェがほしい!」という市民の思いであった。

いずれにしても、武雄市図書館によって可視化されることとなった図書館におけるカフェムーブメントは、今後ますます盛り上がっていくだろう。

デイズキッチン(佐賀県立図書館)撮影:李明喜(ARG)

カフェジャーナル(一関市立一関図書館)撮影:野原海明(ARG)

上の写真はともに『ライブラリー・リソース・ガイド』12号の特集「図書館✕カフェ」より。

さて、本記事は、現在の図書館におけるカフェムーブメントが、2000年前後に起こった「東京カフェムーブメント」の延長にあり、この文脈を捉えることが今後の図書館におけるカフェづくりを考えるにあたり、必要不可欠であると主張するものである。そのことを「公共性」に触れつつ、「デザイン」の観点から考えてみたい。

書かれなかった東京カフェムーブメント

ジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之は、著書『カフェと日本人』[*2]の中で以下のように記している。

なお、現在に続くカフェブームは、2000年頃に始まったとされる。カフェ業界の専門誌である『月刊カフェ&レストラン』(旭屋出版刊)編集長の前田和彦氏は、「東京・駒沢にある『バワリーキッチン』や、中目黒にあった『オーガニックカフェ』(現在は閉店)といった、おしゃれ感のある個性的な店を『ブルータス』のようなマガジンハウス系の雑誌や女性誌が積極的に取り上げて“東京カフェブーム”が起きたのが、ブレイクしたきっかけ」と語る。

『カフェと日本人』は、「人類とコーヒーとの出合い」から文壇カフェやメイドカフェなどのカフェの変遷、そしてドトールとスタバの比較まで、日本におけるカフェ・喫茶店の歴史を広くカバーした本なのだが、現在に続くカフェブームの始まりとされている“東京カフェブーム”については上記以外には言及されていない。

大正から昭和にかけての喫茶店の歴史や、ドトール、スターバックスについて書かれた本はそれなりにあるのだが、東京カフェについて書かれた本はほとんどない。見つかるのは当時の『ブルータス』などのカルチャー系、ファッション系雑誌か、『アリガット』(IMAGICAパブリッシング、2004年休刊)のような飲食系雑誌の特集くらいしかない。

そんな中で、東京カフェについてフォローし続けている書き手に、ライター/エッセイストの川口葉子がいる。川口は東京に続々と新しいカフェが生まれつつあった1999年末に個人サイト「東京カフェマニア」をスタートし、以来様々な雑誌やウェブサイトでカフェに関するエッセイやレシピなどを書き続けている。カフェに関する書籍も多数出しており、『東京カフェを旅する――街と時間をめぐる57の散歩』[*3]には東京カフェ年表を掲載し、その中で東京カフェの始まりの一軒として1997 年にオープンした「バワリーキッチン」を紹介している。当時の東京カフェの全てではないが、東京カフェの歴史をまとめたものとしてはほぼ唯一なので、関心のある方はぜひ手に取っていただきたい。

教科書には載らない東京カフェの歴史メモ

本をゆっくり読む時間がない方のために、東京カフェの歴史を簡単にまとめてみよう。まずは東京カフェ以前の歴史を、メニューの頼み方の変遷で追ってみたいと思う。

●ホット(またはブレンド)、一つ

街の個人経営の喫茶店から都市部のコーヒー専門のチェーン店、そして1980年代にドトールコーヒーによって確立されたセルフカフェスタイルのカフェまでが、大体これで通る。乱暴にまとめるとおじさん文化としてのカフェの時代と言える。

●カフェオレ、シルブプレ

1989年に渋谷Bunkamuraにオープンしたドゥ マゴ パリに始まるフレンチスタイルカフェの隆盛。多くの人がクロワッサンの美味しさとギャルソンという言葉の意味をこの時代に知った。ドゥ マゴ パリの他に、原宿のオーバカナルや広尾のカフェ・デ・プレなどが、パリの再現に徹底的にこだわった店づくりと運営を行っていた。

●トールラテ、ワン

1996年にシアトルからスターバックスコーヒーが上陸し、エスプレッソベースのアレンジコーヒーをテイクアウトで持ち歩きながら飲むという、新しいスタイルを定着させた。2015年5月に唯一未出店だった鳥取県に進出し、全国47都道府県に店舗が展開されることとなった。東京カフェムーブメント以降も、TSUTAYAとの融合によるBOOK&CAFÉや、冒頭の武雄市図書館のような公共図書館内への展開など、カフェカルチャーにおける一つの核となっている。

次に、東京カフェムーブメントを代表するカフェを年代順に紹介する。これらのカフェの簡単な解説だけで、ある程度の概略は追えると思う。

●フリーペーパーはカフェの教科書

カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ(鎌倉、1994年オープン)
筆者は東京カフェの始まりは「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」だと考えている。正確には東京ではなく鎌倉だが、まあ首都圏ということでお許しいただきたい。「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」のマスター堀内隆志は自著『鎌倉のカフェで君を笑顔にするのが僕の仕事』[*4]の中で、「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」が発行していたフリーペーパー「ディモンシュ」のエッセイ面がカフェの経営、レコード紹介面が音楽の教科書だったと書いている。フレンチスタイルにおけるパリのカフェのようなお手本がない中で、フリーペーパーを媒介に東京カフェの要素となっていくコーヒーやフード、それからブラジル音楽など、メニューからコンテンツ、グッズまでを学びながら独自につくってきた。

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カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ(鎌倉)撮影:野原海明(ARG)

●駒沢公園にできた東京の食堂

バワリーキッチン(駒沢、1997年オープン)
ダイナーカフェ流行のきっかけとなり、「東京カフェの熱気を全国に知らしめた発火点」(川口葉子)となったカフェ。

●モダンデザイン×キャラクター=中目黒的ガチャガチャ空間

オーガニックカフェ(中目黒、1998年オープン)
「オーガニック・デザイン」というモダンデザイン家具のショップがそのままカフェになった。「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」にいるチャッピー(デザインスタジオ・グルーヴィジョンズが製作したキャラクター)のマネキンバージョンがここにもいた。

●音楽の街に生まれたラウンジ系

カフェ・アプレミディ(渋谷、1999年オープン)
オーナーは音楽プロデューサーの橋本徹。音楽の街渋谷で音楽にこだわり、コンピレーションCDをリリース。大ヒットとなりカフェミュージックというジャンルを開拓した。

●和みの家系カフェでまったりと

ヌフ・カフェ(恵比寿、1999年オープン)
元祖「家系」カフェのroom roomが閉店した後に、次のお店としてオープンした正統な家系カフェ。山手線沿いのビルの9Fにあったので「ヌフ(9)・カフェ」。

●カフェで遊ぶように仕事をする

オフィス(外苑前、2001年オープン)
「ファッション、建築、音楽、デザイン、アート、食をコンテンツに“遊び場”を創造する」会社、トランジットジェネラルオフィスによる最初の店舗。コワーキングを始め、現在に続く様々な文化ムーブメントに影響を与えた。

外苑OFFICE_2

OFFICE(外苑前)

●待ち合わせはあのピンクのサインで

サイン外苑前(外苑前、2002年オープン)
「街の目印――すべては待ち合わせを快適なものにするために」というコンセプトでつくられた、上記「オフィス」に続く、トランジットジェネラルオフィスによる2番目のカフェ。現在は都内で5店舗展開している。

Sign外苑前(外苑前)

浮き沈みの激しい飲食業界でありながら、上記に挙げたカフェは「オーガニックカフェ」以外、全て現在も人気のカフェとして営業を続けているということは特筆に値する。これらのカフェはいずれも現役にして伝説、テニス界で言うロジャー・フェデラーのような存在である。

世界中の文化が次々と流入し、多様な文化の中から好きなものを選ぶことができる環境が日常となった1990年代。これまでの世代のように既に確立したスタイルを丸ごと利用するのではなく、前例に頼らずに自身の判断でつくっていく創造性と覚悟を持ったオーナーが、東京カフェムーブメントを牽引していくのである。

もう一つこの東京カフェの歴史を振り返る時、抑えておかなければならないのは、スターバックスのスタイルが定着していく時期と、東京カフェのムーブメントは重なっているということだ。この2つの流れは文化現象としては別の区分でありながら、同時代的な相互関係にあった。例えば、東京カフェのオーナーはお店をつくる時に、スターバックスとの差別化を意識しただろうし、一方でスターバックスによって広まったエスプレッソベースのコーヒーメニューは、顧客ニーズから前提としてメニューに組み込まれた。文化に限らず、「現象」は新しい世代が生まれた時に前世代から入れ替わるのではなく、しばらくは並存していく。その並存において2つの世代間には相互作用があるということは、見落としてはならない。

スターバックスのトイレから考える公共性とデザイン

スターバックスと公共サービスの関わりとしてよく挙げられるのがトイレだ。ブライアン・サイモン著『お望みなのは、コーヒーですか? スターバックスコーヒーからアメリカを知る』[*5]にもスターバックスのトイレの話が出てくる。ニューヨークに公衆トイレが少ない理由を尋ねられた当時のニューヨーク市長マイケル・ブルームバーグは、スターバックスがたくさんあってトイレを使わせてもらえるから必要ない、と答えたらしい。ブライアン・サイモンは、スターバックスは公共空間と呼べる場所ではなくトイレを利用できる人はコーヒーを注文した人間だけであり、「公共サービスが不十分なことに乗じて、一企業としての売り上げ増加の機とする」と批判する。

しかし、人が汚いトイレより、きれいなトイレを求めるのは自然な欲求だ。多くの人は、汚物が付着して悪臭を発し犯罪のリスクもありそうなトイレより、掃除が行き届いてハンドソープも補充されていて大きな鏡のあるゆったりしたトイレの方を好む。スターバックスのトイレは、公共サービスが不十分な部分を民間サービスが部分的にではあるが補完している一例だと言える。アメリカや日本のスターバックスでは基本的には注文した人しかトイレは使えないが、ドイツ(ベルリン)のスターバックスでは注文していない人でもスターバックスのトイレを使うことができた。

個人と共同体の社会的意味が書き換えられ続けてきた現代においては、十全を満たす公共の場所などはありえない。「官VS民」にしても、「官から民へ」にしても、このような二項対立は既に通用しない。哲学者の山脇直司は『公共哲学とは何か』[*6]の中で、「政府の公」「民の公共」「私的領域」3つの相互作用を考察するようなパラダイムの必要性を書いているが、空間デザインを「都市」「建築」「インテリア」「情報」といった区分で捉えるのではなく、「あいだの空間のデザイン」という概念から捉えることで、このパラダイムは前提となる。

カフェでも、図書館でも、これからの施設計画において、それが公共空間であってもつくる場面においては人間の消費欲求に対峙する必要がある。また、商業(民間)空間をつくる場面でも公共政策に向き合わなければならない。

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政治参加の多様性とメディア

2015年11月5日
posted by 工藤郁子

今年はいつになく「政治」に注目が集まった。そこで散見されたのは、直接参加への過剰な期待か、免罪符としての民意の利用か、現状への諦念だった。しかし、社会学者の高原基彰氏の言葉を借りれば、「『大衆の直接的政治参加』と『選挙がすべて論』の間に存在する『多様性』こそが論点になってきた」はずである。署名、ロビイング、世論喚起など、選挙とデモの間にある「多様性」を生業の場としてきた者として、その豊かさと厳しさを描き出してみたい。

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「今の”隷属”は小選挙区制とネットにより生まれた」。ジャーナリスト田原総一朗氏によるこの挑発的な帯文とは裏腹に、西田亮介氏の『メディアと自民党』は、自由民主党の「意図」を読み解くことで、政治に緊張感をもたらす方法を提案する穏当な著作だ。議論の穏当さは、知的刺激を全く損なわない。ありがちな感情論や規範論という「落とし穴」にはまり込むことなく、メディアと政治の「戦後レジーム」の再構築をしようとしている。

自民党・ネット・電通

自民党とメディアについては、すでに数多くの分析がある。本書の独自性は、自民党と関係をもった「民間企業への注目」と「歴史的文脈とその前提」を踏まえたところにある。特に、前者については、自民党から(主として選挙での)広告・広報業務を請け負った広告代理店の株式会社電通、さらに、PR代理店やIT企業などにも西田氏が自ら取材をしており、貴重な内部資料も入手している。例えば、自民党のネット選挙を支援する分析組織「トゥルース・チーム(T2)」が、2013年の参議院議員選ですべての候補者に配信していた日々のレポートなどは、PR業界にいても入手は難しいだろう。

資料から伺える内情も面白い。「今日の打ち手」と題されたT2のレポートでは、「原発の再稼働問題は安全確認が第一で、原子力規制委員会の判断を尊重することを強調」するよう候補者に勧めていたことがうかがえる。また「自民党のメディア露出量と政党別露出量シェア」もレポートしており、テレビ番組やウェブメディアなどで、自民党への言及がどれくらいあったかグラフで直感的に把握できるようになっている。「今日の世の中キーワード」では「これでつかみはOK!演説ネタ」という小見出しがついているとおり、「猛暑」や「日銀判断」などの時事のトピックが使用例と解説付きで一覧化されていた。コンパクトでわかりやすく、多忙な選挙対策本部でも遊説や会見で活用できるように配慮されていることが見てとれる。こうした部分だけでも、資料的価値がとても高い。

それだけでなく、本書は「ときにスリリングで、ときに惰性的で辟易とするような状況」を資料と証言から析出している。その手つきが丁寧で、推理物のような面白さがある。西田氏の導きだした「蓋然性の高い推論」が妥当かどうかは、どうかご自身で読んで判断してほしい。

属人的な関係から、データによるマネージメントへ

素晴らしいミステリーは「犯人」が分かっていても面白い。だから、本書における推論をここで少しだけ種明かしをしておこう。

西田氏は、メディアと自民党の関係を「慣れ親しみの時代」(2000年代以前)、「移行と試行錯誤の時代」(2000年代以降)、「対立・コントロール期」(2012年以降)の3つに区分する。

「慣れ親しみの時代」には、べったりとした長期的な人間関係のなかで「政治はメディアの求めるところを斟酌し、メディアも政治(家)の望むところを慮った」。インサイダーだからこそ得られる情報から権力批判が行われていたのだ。他方で、日本のジャーナリズムの「因習」が生じたのも、この時期だ。

しかし、メディア環境が複雑になり、人々の価値観が多様化した。また、小選挙区制が導入されて、目先の当選が最優先されるようになり、政治家に対する政党の影響力が強くなった。こうした変化に応じて、「移行と試行錯誤の時代」では、マーケティングやPR、パブリックアフェアーズの技法を政治側が取り込みはじめた。勘による選挙からデータによる選挙に移行しようとしたのである。PR会社の協力を得て、世論調査の結果などをもとに、イメージを徹底的にコントロールしようとした。「ワンフレーズ・ポリティクス」の「劇場型政治」によりメディアを席巻した小泉政治も、元総理本人のキャラクターだけでなく、自民党内における戦略と組織能力も発揮された事例だと西田氏は指摘する。

「試行錯誤」とあるとおり、問題も存在した。その一例が、PR会社が郵政民営化のプロモーションを提案した際に登場した「B層」というコンセプトに対する批判である。「B層」は、小泉内閣の支持基盤であるとされ、「(政治について)具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層」とされていた。有権者を侮蔑しているようにみえる表現だったため、野党やメディアから激しく追及されることになった。さらに、タウンミーティングの「やらせ」が発覚するなどの事態も生じた。(なお、折しもPR代理店のステルス・マーケティング問題が話題になっている現在、自民党が自身でも検証を行い、広報戦略の行き過ぎを認めている点は銘記しておきたい。)

駆使されるイメージ政治と、圧倒されるメディア

「対立・コントロール期」である現在、バラマキ型の広告・広報は鳴りを潜め、手法が洗練化・精緻化されている。「現代政治のメディア戦略は、あくまで形式的合法性の範疇にある」のだ。プロパガンダでも捏造でもなく、「事実」を効果的なアングルと適切なタイミングで提供・発信することで、特定の政治的主題について有権者の関心と自発的な政治行動の選択を動機づける。

このような文脈のなかに、本書は自民党のネット戦略を位置づけており、前述したT2やJ-NSC(自民党ネットサポーターズクラブ)などについて検討をしている。自民党は「メディア・パワーを最適にコントロールするべく、硬軟の手法を取り交ぜながら、絶妙にハンドリングしている」のだ。(お気づきの方もいらっしゃると思うが、これは高木徹氏の『ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア戦争』で描かれた世界の延長線上にある。当該書籍を興味深く読んだ方は、きっと本書も面白く読めるはずだ。)

自民党側がメディア戦略を変更していった一方で、メディアの側は環境の変化を適切に把握できず、昔と同じ報道手法(「速報、取材、告発」)をとりつづけていると西田氏は批判する。政局や政策に議論を進める前の、認知と好悪の段階で勝敗の大部分は決している以上、その誘導を分析・整理するのがジャーナリズムに期待される役割である(「整理、分析、啓蒙」)というのが西田氏の指摘だ。

政治参加という空白

ところで、本書は「書かれていること」だけでなく「書かれていないこと」でも雄弁な物語を紡いでいる。

例えば自民党の広報戦略に焦点を絞ったために、資源動員論が前景化されており、政治参加が後景に退いている。SEALDs やロビーイングなどへの言及もあるが、添え物程度だ。「メディアと政治」の全体構造を分析することが目的であるならば、不十分な印象を受けるかもしれない。

しかし、これは情報の非対称性の暗示でもある。「政府、政党、政治家」「有権者」「メディア」という3種類のステークホルダーのうち、自民党のみがポピュリズムを刺激する方法を知悉し、戦略をもってガバナンスを構築し長期的な取り組みをしている。人々の世論とデータ分析を主戦場とする「新しいゲーム」に対して、メディアも、有権者も、(そして、野党も)いまだ習熟しているとはいいがたい。本書は、政治参加にあえて言及しないことで、そのような構造的な課題を浮き彫りにする。「政策形成に間接的でありながら大きな影響を与えうるメディア戦略や手法の改革、組織能力の向上が自民党に一極集中している」ことで、イメージや印象によって政治が駆動される「イメージ政治」を過剰に促進することが懸念されているのだ。

「自由への道」と喧伝された主義主張が、実は「隷属への道」であると喝破したのはハイエクだった。今は、(好悪による選択が増えるばかりでなく)主義主張で選んでいるつもりでも、好悪の問題に帰着するような構造が設計されているのではないだろうか。

「理の政治」のプラットフォーム

また、本書で西田氏は、動員システムと社会システムの輪郭を塗りつぶすことで、空白地帯を明らかにしている。(たとえ「年金選挙」「郵政選挙」などと称されていても)政策に関する議論と「理」のゲームが不足していたことが示されているのである。

もちろんこれは政策的争点が不透明だったという社会的要因が大きい。諸外国と比較すると、2000年代に入るまで、日本では労働、福祉、移民があまり争点にならなかった。また、地方と都市の問題も、開発と政治改革により曖昧になった。しかし、今では前記の課題に直面しており、短期間での軟着陸を迫られている。

政治の機能不全は、政治内の問題ではなく、外に原因がある。政治システム外の制約要素である公共圏の不存在と、それに起因する政治不在。解消する鍵は「理の政治」のプラットフォームにあるだろう。しかし、それを営むという「明らかに労多くして、そしてかつてよりは果実の少ない仕事を担う」のは誰なのだろうかという問いを、本書は私たちの喉元に突きつけている。

京都の「街の本屋」が独立した理由
〜堀部篤史さんに聞く【前編】

2015年10月31日
posted by 櫻井一哉

「レコードはビニールがいい」「本は紙がいい」というアナログ信仰の話題には食傷気味だが、事態はさらに一歩進み、いまや作品や資料は物理的に所有するのではなくクラウド上に保存、あるいはネットの情報を参照することが一般的となった。データ化された作品や資料は最安値で、場合によっては無償で、即座に手元のPCやスマートフォンなどのデバイスに届けられる。

そうしたなか、地域に密着して本屋やレコード屋などを営んできた個人店は次々と姿を消していった。高効率なネット流通や高度なマーケティング戦略を前に、昔ながらの対面販売は歯が立たないようにみえる。

だがその一方で、この状況を逆手にとって健闘し、高い評価を得ている店舗も少なくない。豊富な品揃えと独自の棚作り、趣ある店作りで多くのファンを持つ京都の書店、恵文社一乗寺店もそのひとつだ。京都のカルチャースポットとして多くのメディアで紹介され、店長の堀部篤史さんは自らも『街を変える小さな店 京都のはしっこ、個人店に学ぶこれからの商いのかたち。』(京阪神エルマガジン社)という本を上梓するなど、出版不況のムードに反して独自の存在感を示してきた。

デジタル化の副作用によってそぎ落とされてしまった、本や店舗といったモノのもつ価値について、さらには音楽などもふくめたパッケージ商品について、恵文社一乗寺店の在り方を通じて考えたいと思った私は、堀部さんに昨年から色々とお話を聞いていた。

ところが、この記事をまとめようとした9月の中旬、堀部さんがまさかの独立宣言。恵文社を辞めて自ら書店を作るという話をうかがい、急遽、追加取材を行った。

そこでこの記事は前後編に分け、前半では恵文社一乗寺店の店長としての堀部さんのこれまでの取り組みを紹介することとし、後半では誠光社という新しい店舗を構える堀部さんの独立にまつわる奮闘、そして今後の展開について紹介したい。

恵文社一乗寺店という新しい書店のかたち

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恵文社一乗寺店の入り口。横に広い店構えが特徴的。

京都のターミナルといえばJR京都駅か阪急河原町界隈だが、恵文社一乗寺店はそうした都心部からは程遠く、決して地の利が良いとはいえない、叡山電鉄一乗寺駅から歩いて3分のところにある。しかし、近隣に京都精華大学や京都造形芸術大学などのキャンパスがあるため、店内は学生や学者、研究者風の人々、知的好奇心の高い人々、アートやデザインに傾倒する人たち、あるいは『Ku:nel』等の雑誌を好む、簡素で上質な暮らしを求める志向の女性たちで賑わう。遠方から、恵文社目的で京都を訪れる人々も少なくない。私もその一人で、ことあるごとにこの店を訪れていた。

静かな街並みに、どこか懐かしさを漂わせて佇むその店構えは特徴的だ。大型チェーンでも個人書店でもない微妙な規模の平屋の古風な設えには、書店のアーキタイプ(原型)とでもいうべき風情が漂う。玄関、と思わず呼びたくなる店の入り口からのぞくと、店内で静かに本を手に取る人たちは、ガラス越しに見ているせいか、精霊のような不可思議な存在感を纏って見える。そして、その冥界に自分も迷い込みたいという衝動に駆られるのだ。

そんな私の個人的な思い入れはともかく、京都市内でも多くの書店が姿を消すなか、恵文社一乗寺店は盛況を博している。2006年にはさらに店舗規模を拡大し、書籍のみならず生活雑貨などの商品も販売しはじめた。2008年にはイギリスの「ガーディアン」紙のウェブサイトでSean Dodson氏による「The world’s 10 best bookshops」の中の1軒として選出され、海外にもその名が知られるようになった。

恵文社一乗寺店の特徴はなんといっても独自性ある品揃え、本棚のあり方だが、ギャラリー空間である「アンフェール」、雑貨販売エリアの「生活館」など、敷地内に広がる書店以外のスペースもその魅力のひとつだ。なかでも注目すべきは2014年にオープンした、敷地内の中庭の一角に佇む、山小屋風の設えの「コテージ」というイベントスペースだ。

イベントスペース「コテージ」の内観。

イベント・スペースを擁する書店は少なくないが、コテージは恵文社一乗寺店の付加価値やブランドイメージを高める空間として機能している。しかし、堀部さんとしてはそうした効果を狙って戦略的にコテージを作ったわけではなかった。

堀部篤史(以下、堀部) もともと、ここには旧ギャラリーがありました。耐震強度も怪しい製材置き場のような造りだったので、「店の隣にマンションを新築したのでギャラリーを移してほしい」という建物の大家の意向もあり、残された敷地が結果的にコテージとなりました。

ビジネス的に考えれば、敷地が広がるとなれば、売場面積を増やすという発想が順当なところだ。しかし、恵文社一乗寺店では専用のイベントスペースを設けた。

堀部 これ以上、この店に売場は必要ないと考えました。一方、出版社からは以前より、出版記念イベントやトークイベントの需要がありました。でも、レンタルギャラリーの中で、そこで行われている展示と関係のないイベントを行うことは、ギャラリーに展示している作家さんに失礼です。本に関わるイベントができるスペースがいちばん求められていたので、必然的にこうなったんです。

「コテージ」は何か楽しいことが起きる場所

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堀部篤史さん。取材時は夏だった。

こうしてイベント専用スペースとして誕生したコテージは、出版社が主宰するイベントや作家を招いてのトークショー、あるいはフィルム上映会や音楽ライブなど、書店の粋を超えたユニークなイベントを展開する場となった。さらにワークショップや不定期であるがカフェとして営業するなど「恵文社に行けば何か楽しいことがある」という期待感が新たに加わった。

堀部 音楽も聞けて映像も観られる。カルチャー的な話も聞けて、そのまま買い物もできる。そうしたミックスメディア的なスペースのありかたが理想でした。情報はネットでも手に入りますが、それだけでは物足りないという人に向けて、自分では経験できない体験が味わえる空間を目指していたんです。

オープン時にはあえてレンタルスペースと謳ったコテージだが、単に空間を貸し出すだけではない。オーガナイザーやDJとパーティを企画することでクラブが空間に「文脈」を作るように、恵文社自らがイベントをディレクションすることで、空間としてのカラーを打ち出した。

堀部 ここでは、本や映画についてのトークショーや音楽イベントもあれば、京大生が語るアカデミックなイベントや手作り作家さんの即売会もあります。ただ、月間スケジュールを見たときほっこりしたワークショップやマーケットがメインと思われてしまうような偏りは避けています。スケジュール全体がさまざまなジャンルを横断している、そんな恵文社的なバランスの良さを心がけました。

来店客が作品やカルチャーを立体的に理解できるようになるきっかけ作りにもコテージは貢献している。その取り組みの根底には、作品との出会い方、そして関わり方に対する堀部さんの考えがある。

堀部 音楽ソフトの売上が低迷する一方で、野外フェスやイベントの動員が増え、会場でのTシャツやグッズなどの販売が重要な収入になっていることを耳にしていました。音楽業界ではパッケージから再生ソフトのあり方まで、メディアやシステム全体のかたちが変わり、パッケージを所有することから、ライブに参加し、感動を共有するということに価値があると人々が感じる方向に変わっています。かつて物語消費という言葉がありましたが、音楽マーケットにおけるソフトから体験への変化はまさにこの言葉を連想させるものでした。ダウンロードできるデータには物語が介在する余地がないんです。

1980年代に評論家の大塚英志が、ビックリマンシールやシルバニアファミリーなどに見られる消費のあり方を例に「物語消費論」という概念を提唱した。商品そのものではなく、商品を通じてその背後にある世界観や設定といった「物語」が消費されているのだと大塚は指摘し、こうした消費形態を「物語消費」と呼んだのだ。

堀部 メルヴィルの『白鯨』のストーリーを知りたければ、Wikipediaなどでだいたいの粗筋はわかりますが、そもそも小説を読むという行為は、あらすじを知るという読む前に理解できる結果とは別種の体験です。そこには時間があり、その時のシチュエーションや手触りなど、情報以上のものが付随しています。さらには解説や批評、同じ著者の別の作品を読むことでその小説世界は奥行きを増すでしょう。コテージでは、その付随する部分をフォローできればという想いもありました。

少し前の話になるが、2014年2月、コテージにて独立研究者・森田真生による「数学ブックトーク」というイベントが行われた。「数学を通して、未知なる本への扉、未知なる世界への扉を開く」という、彼がウェブ連載をしているミシマ社主催による試みだ。

堀部 このときのトークショーでは数学という専門分野を専門言語で語るのではなく、哲学や情緒、世界史に至るまで、森田真生氏自身の解釈を交え、さまざまな話題が展開されました。彼が小林秀雄と数学者の岡潔の対談である『人間の建設』という本を取り上げたときは、この本をすでに読んでいた人でも、数学研究者である森田さんの語りによって、まったく違った内容の本であるように聞こえたようです。[*1]

含蓄のある言葉でも、人生の深みのある人とそうでない人が語った場合では「響き方」が違うということは往々にしてある。そうした意味ではコテージは「響き方」を変え、認識を深める場所なのだろう。

堀部 こうしたトークショーの日は、専門的な内容の硬い関連書籍が20冊も売れるという、うちの規模のお店では通常ありえないことが起こります。貸しスペースとしての収益は、恵文社一乗寺店にとっていちばん効率がいい純利益です。本の粗利を売上の2割とすると、使用料という1万円の純利益は、5万円分の本を売ったのと同じなんです。

コテージでのトークイベントは来客から好評を博しただけではなく、店の収益にも貢献しているのだ。

「言葉によらない体験」で批評精神を育む

2014年6月、京都みなみ会館とのタイアップで行わったイベント『ジャック・タチ映画祭』も、映像作品を新たな視点で鑑賞するきっかけを提供したイベントだった。

ジャック・タチは50年代、60年代を中心にフランスで活躍した映画監督、俳優だ。細野晴臣や小西康陽、いとうせいこうといったミュージシャンが支持を表明し、映画マニアやフレンチカルチャーに造詣の深い人たちからも圧倒的な人気を誇るが、ともすれば、カワイくてオシャレな映画として回収されてしまう。ジャック・タチという人物やその作品を立体的、多面的に捉え、本質を捉える上で重要なアイテムとして、堀部さんたちが注目したのは『ぼくの伯父さんの休暇』という作品に登場するお菓子ベニエだった。

堀部 ジャック・タチの『ぼくの伯父さんの休暇』を観ても、作品中に登場する揚げパン、「ベニエ」に気にとめる人は少ないと思うんです。でも、フレンチ狂でもある京都のパン屋さん「ル・プチメック」の西山シェフに聞けば『作中に登場するベニエは駄菓子的な存在で、ベタベタした甘ったるいもの』とおっしゃるんです。それを実際に再現してもらい、集まったお客様に食べていただくことで、ベニエのシーンは、下町で粗末な食べ物を子どもたちが泥まみれになって食べている状況であるということを体験的に理解できるかもしれません。

そこで、西山シェフに実際にそういうコンセプトでベニエの味を再現してもらい、コテージで販売した。そうした展開のためにも、コテージには厨房があらかじめ整えられていた。視覚に加え、五感を通じて人々は作品に新しい表情を見ることができると、堀部さんは信じているのだ。

作品を立体的に捉え、深く関わり、自らの視点と考えを築くこと、つまり「批評すること」は、より深く小説、あるいは音楽や映画を理解しようという人にとって大きな意味を持つ。こうして、来店者が批評精神を育めるように啓蒙し、作品や作家との関わりを高みにあげることが恵文社のメッセージであり、その生命線になっているのかもしれない。

堀部 ジャック・タチを批評するとしても、本を読むだけだと、いわゆる批評言語でしか語ることができません。でも、恵文社のイベントでなら、もっとカジュアルなかたちで語れるのだということが解るし、言葉では伝わらない部分も、関連映像やレコードを聞くことで伝えることができます。『ぼくの伯父さんの休暇』はカルト映画という感じで捉えられがちですけど、じつは決してマニアックな作品ではなく、普通にヒットしたポピュラーな作品です。テーマ曲が多くの音楽家にカバーされるくらい、ヒットした映画だった。そうした事実を知ることからも、この映画の見方が変わります。

そうした「言葉によらない体験」に対するニーズに応えるようなイベントが、コテージでは継続的におこなわれている。『ビッグ・ウェンズデー』という、「YOUNG PERSONS’ GUIDE TO…(若い読者のための〜ガイド)」的な位置づけの、水曜日に不定期でおこなわれるイベントだ。

たとえば2014年4月には、「タモリさんについて知っていることをもっと話そう。」と題し、タモリというタレントがもつ存在感とその人脈について掘り下げるイベントが行われた。

堀部 「タモリのことを知りたい人が、タモリのことを知る」という直線的な目的ではなく、タモリさんという多面的な存在を通じて、「モノの見方を変えたり広げる」ことに主軸をおいたイベントでした。タモリを理解する上で欠かせないジャズについての話や、筒井康隆という作家を中心とした人間関係など、タモリさんという存在を、あらためて捉え直してみました。そうすることで伝えたかったのは、非常に遠大な話ですが、「ものの面白がり方」なんです。

カルチャーに触れる敷居を低くし、面白い本に出会う場としてコテージが役立てばいい、と堀部さんは言う。読むだけ、聞くだけ、確認するだけでは抜け落ちる部分をフォローする役割を、コテージという空間、そして恵文社一乗寺店という書店は担っているのだ。

そうした役割は恵文社一乗寺店だけではなく、多くの書店や、レコード店、楽器屋やスタジオ、あるいは喫茶店やバーなど、とくに個人商店が果たしてきた。本やレコードについて懇切丁寧に教えてくれる店もあるかもしれないが、大抵の場合、沈黙したまま本棚の作りやレコードの見せ方などによって語りかけている。

堀部 単に商品を買う以上のものを求めるなら、学びの姿勢で書店に通うことが大切です。インターネットなら必要な本もゼロ秒で見つかります。しかし、お店では必要な本は自分で見つけなくてはならない。そうすると探す途中に、必要ではない本にも自ずと目が触れます。すると、それらの本との位置関係によって、必要な本の位置付けがわかる。自分が欲している本がどういうコーナーに置いてあり、どういう扱いをされているのか、その棚に他にどんな本があるかということもわかる。いまどういう傾向のものが出版されているかということまでが、見渡せるようになります。

書店は世の中の流れを映すメディアの役割も果たしており、「消費」とは別のベクトルが働く学びの場所でもあるのだ。書店を彷徨い、時には途方に暮れ、そして気づきを得ることから、一種の批評が始まる。

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堀部さん自身も『街を変える小さな店』の「本屋は街の先生だった」というページのなかで、自身の本屋にまつわる原体験を綴っている。

堀部さんにとっての先達は、京都の寺町二条界隈にある三月書房という書店だった。三月書房は「未知の存在に出合うことができる、リアルな学びの場であり先生だった」と堀部さんは語る。三月書房は恵文社一乗寺店とは異なり、京都市の中心部に近い骨董街の外れに佇む。中央に大きな本棚の島があり、両サイドに通路があり書棚が並ぶという、かつて、どの街にもあったような小さな書店だ。ただし、普通の「街の本屋」であれば、週刊誌や学習書、売れ筋や実用書が並ぶところだが、三月書房の本棚を目にすると、その濃厚さに圧倒される。

単行本、文庫、新書の境はなく、作家や分野ごと、あるいはテーマごとの関係性で本が並んでおり、決して大きくない店舗の中に知の体系が築かれている。それぞれの本の周辺には、こちらの思考を見透かすように分脈にのっとった本が並んでいるのだ。そして店の奥には、大型店舗でも棚の一段分程度しか置かれていないであろうシュタイナーの専門書が、なぜか棚全面を支配していて驚かされた。

堀部さんは同書で、「sumus」という同人誌に掲載された三月書房の二代目店主・宍戸恭一氏のインタビュー記事を引用している。その一部を、ここでも孫引きさせていただくことにする。

「本ていうのは生活の糧であり、生き物ですからね、魂を持っている。一冊だけポツンとあったんではダメです。関連させて初めて活きてくる」

「客は編集された本棚を追うことによって、興味や知識の幅を自然に広げられる」、その可能性を宍戸氏は三月書房という店で表現している、と堀部さんはこの本のなかで語っている。彼自身も、そうした場に足繁く通い、感度を高めて本と本棚の関係性を読み取り、新たな出会いを果たしながら知性を深めていったのだ。

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グーグル勝訴で浮き彫りになるフェア・ユースと著作権の問題

2015年10月29日
posted by 大原ケイ

googlebools

「グーグルの書籍電子化、著作権法に違反せず=NY連邦高裁」(ロイター)、「米高裁も書籍電子化認める著作権裁判、グーグル勝訴」(共同)といった見出しで第一報が伝えられていますが、グーグルの「ライブラリー・ブックスキャン」の上訴審で初審の判決を認める判決が10月16日に下りました。以下、判決文を読んだので詳細を説明してみます。

これはもともと2004年頃から、グーグルが国内外の複数の図書館と合意の上で蔵書をスキャンし、電子化されたデータを図書館側に渡す一方で、グーグル利用者がキーワード検索するとその言葉が載っている本が全文検索で探せて、一部閲覧できる、Google Books Library Projectというサービスを始めたところから起きました。

2007年にこのプロジェクトに慶應義塾大学図書館が加わり、日本語の本も対象になったこと、そして一方で、図書館ではなく、出版社とパートナーを組んだ電子書籍提供サービスである「パートナーズ・プロジェクト」も「opt out オプト・アウト」(自ら「うちはけっこうです、私の本は入れないでください、と意思表示すること)しない限りどんな本も片っ端からスキャンの対象になるということがわかり、日本でも「黒船が〜」とさんざん騒ぎになりましたよね。

The Authors Guild vs. Googleというこの訴訟は、このスキャンの対象となった著者3名が代表として原告になり、著者の同意を得ずにグーグルが本をデジタル化するのは著作権の侵害であり、このサービスによって自分たちの本が売れなくなる可能性を「実害」としてグーグルにスキャン停止を求めた2005年の裁判でした。グーグル側の主張は、本をスキャンするのは「フェア・ユース」に当たるので著作権の侵害ではないということ。絶版になった本でも全文検索して探せるのでむしろ著者にとってもプラスだということ、などでした。

「フェア・ユース」というのは、著作権のある作品のうち、どのくらいをどういう場合だったら著者の許可を取らずに使用していいかを決めた法律上の指針で、過去の判例を元に以下の4つの視点から判断されています(羅列しただけでは抽象的でわかりにくいかもしれませんが、後で判決文と照らしあわせてあります)。

 1.利用の目的や本質
 2.原作品の本質
 3.抜粋の量や実質性
 4.原作品の価値への影響

この裁判はつまり「本をデジタル化する」という、今までになかった新しい行為を、これまでの法律でどう捉えるか、印税で食べていく著者の将来に実際にどういう影響があるのか、というのが焦点だったわけです。初審は著者協会の事務所が置かれているニューヨークの地方裁判所で行われ、担当したのがデニー・チン判事。何年もなかなか判決が降りないんで、グズグズしている間に彼は昇進して、高等裁判官になったのですが、グーグル裁判の判決はon designationという「宿題」として彼がそのまま引き継いで決定することになっていました。

そして2013年にようやく発表された判決は、著者協会側の言い分を全面的に却下、本をスキャンしてデジタル化するのはフェア・ユースの範囲内なので、グーグルは無罪、というもの。電子書籍黎明期にあって、原告が主張するように、心配されていたことも多々あったけれど、とりあえずこれだけの時間が経ってようやく、デジタル化された本のデータが実際にどう使われるかが見えてきたところで、グーグルのプロジェクトは「フェア・ユース」の範囲内であり、著作権侵害に当たらないという判断が下せるようになった、ということでしょう。

2013年のこの判決文でデニー・チン判事は「グーグル検索のおかげで便利になった、みんな恩恵を受けたことは否定できないよね」ってことを主張してました。これに著者協会は納得せず、上訴。第二巡回区控訴裁判所(=高等裁判所)の3人の判事がさらに吟味することになりました。

フェア・ユースの4つの判断基準

今回の控訴審の判決文を読んで、なるほどなぁ、と思わされたのが「なぜ著作権というものがあって、それを法律で保護するのか」を憲法に基いて再確認しているところ。もちろん、一義的には、「何かしらクリエイティブなものを生み出した人(=本を書いた人)が、それを広めるときにそれなりの見返りが得られるようにして、そのクリエイティブな活動を奨励するため」なのですが、広義的・根本的には「すべての人々が知の恩恵を受けられるように、何かを生み出した当人の著作権を認めてその知を広める」ということで、あくまでも「公益」を守るためなんだなぁということがわかります。

The ultimate goal of copyright is to expand public knowledge and understanding, which copyright seeks to achieve by giving potential creators exclusive control over copying of their works, thus giving them a financial incentive to create informative, intellectually enriching works for public consumption.

さて、これを高等裁判所が「フェア・ユース」の4つの判断基準に照らし合わせてどうなのか、ってところですが、

1.利用の目的や本質

もちろん、高等裁判所でも、グーグルが著作権保持者の許可を得ずに何十万冊もの本をスキャンしたのは事実とした上で、そのデジタルデータを元に検索可能なサービスを作った行為は、単なる違法コピーではなく、そこに全く新しいプラスアルファのサービスが加わっているので、transformative(変容的、という訳語があるけどイマイチわかりにくい)なものだ、としています。

もう少し説明すると、今まで著作権で守られてきた副次権(transformativeではなくてderivative、つまり派生的な行為)、例えば本を原作に映画を作るとか、マンガ版を発行する、といった場合は既にある他のフォーマットに原作を移す行為だから派生的。その場合はもちろん著者に許可を得て、著者に上がりの一部を渡さなければならないわけです。一方で、例えば原作を元にしたパロディー作品は、主旨が全く違う新しいものを生み出したと捉えられ、フェア・ユースで守られた表現方法となります。

この場合グーグルは、本をまるまるスキャンしたけれど、それで検索すれば、本が全文読めるのではなく、どういう本があるのかがわかる、つまり、コンテキストをそのまま違うフォーマットに変えたのではなく、その本「についての情報」が得られるようにした、という判断なわけです。

電子化は本の「transformative」な使用だと言えるかどうか。本をまるまるデジタル化して無料で全文提供するわけではない、紙の本の蔵書ではできない全文検索をできるようにした、などなど、画期的なサービスとしてのグーグル・ブックスはやはりtransformativeな使用である、というのが一貫した見解です。

(ここにはもう一つ、フェア・ユース内の著作権を利用するのが図書館みたいな非営利団体なのか、グーグルのような儲けてナンボの私企業かで違ってくる「公益」の考え方があるのですが、実はこの裁判に先駆けて、同じデジタル化された書籍データでアーカイブを作ったHathi Trustという非営利団体も訴訟を起こされていて、そっちはすんなりフェア・ユース認定されている、という前例もありました。だから「グーグルは私企業だからダメ」という話ではないんだよ、ってことですね。)

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2.原作品の本質

一般的に事実やアイディアに著作権は認められないので、原作品がニュース記事だったり、ノンフィクションの作品はフェア・ユースに含まれるという考え方もありますが、事実を伝える「文章」には著作権があります。原告の著者の作品はいずれもノンフィクションだったけれど、本のジャンルによって著作権が認められたり、認められなかったりという議論はこのケースでは関係ないよというのが高裁の判断。

3.抜粋の量や実質性

試しにグーグル・ブックスで知りたいことをキーワードで検索するとわかりますが、キーワードがハイライトされ、さらにその前後の文章が出てくるので、調べ物をしているときは、その本がどのぐらい役に立ちそうかわかるので、便利です。でもグーグルも、それだけで調べ物が済んでしまうほどには情報はくれず、全文スキャンされていても、タダで読ませてくれるのは最大で全体の78%までとか、1ページ内のsnippetは3つまでとか、いろいろシバリがかかっています。短すぎて、数行表示されただけで用が済んでしまうコンテンツ、例えば料理のレシピとか、辞書とか、詩歌や俳句などはブックスキャンのsnippetサービスから除外されています。

だけど、全文検索をして一部を見せるサービスを構築するためには全文をスキャンしなければならないのだから、その行為をもって違法コピーを作ったというのはおかしいでしょ、というのが高裁の判断。

4.原作品の価値への影響

つまり、グーグルで検索できることで、調べ物をするのにこの本は要らないや、という判断になることもあり、その分、著者の儲けが減るという可能性もあるだろうけど、全体的に見れば、一部閲覧という形でその本についての情報が得られれば、その情報に基いて本を買う、という判断もあるわけで、原告が主張するように、グーグルで見られるから買わなくなるとばかりは言えないよね、という判断。

ということで初審と同じく、原告側の言い分はすべて却下され、グーグル全面勝訴という判決になりました。それでも(いちおう)原告は最高裁の判断を仰ぐ気でいるようです。

でも米最高裁判所が、このケースを取り上げることはほとんどないでしょう。というのも憲法修正第一条に関わるような、つまり言論の自由が脅かされるようなケースだと可能性は高くなるのですが、これは逆にデジタル化されたデータの流通を妨げよう、縛ろうという訴訟ですからね。地元のマスコミや出版業界の人たちは、これでこの話はおしまい、という風に考えているようです。

グーグル側は今回の勝訴で、自分たちはデジタル時代にふさわしい新しい図書カードシステムを作ったのだ、と考えていることがわかります。

Today’s decision underlines what people who use the service tell us: Google Books gives them a useful and easy way to find books they want to read and buy, while at the same time benefiting copyright holders. We’re pleased the court has confirmed that the project is fair use, acting like a card catalog for the digital age.


※この記事は2015年10月18日に大原ケイさんのnoteに公開された記事「グーグル勝訴で浮き彫りになる「フェア・ユース」と著作権(とたぶんTPP)の問題」を、著者の了解を得て再編集のうえ転載したものです。

新人(賞)の方法

2015年10月13日
posted by 荒木優太

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このたび、拙作「反偶然の共生空間――愛と正義のジョン・ロールズ」が第59回群像新人評論賞優秀作に選ばれた。関係者のみなさんに感謝しつつ、こういう経験は(少なくとも私の人生のなかでは)あまりないものだから、記念のため、ワザというかテクというか、賞をとるための方法について、自分の書き方を中心に考えてみた。

100%の我流なので、あまり参考にならないかもしれないが、まぁ、軽い読み物として読んで欲しい。

「反偶然の共生空間」要約

拙作「反偶然の共生空間」は、ジョン・ロールズの『正義論』という有名な政治哲学のテクストを、偶然性を排除する想像力についての観点から読み直してみると色々発見があるかもよ、という論旨で読解したものである。

たまたま目が見えない体に生まれてきたよ。たまたま貧乏な家で育ったから満足な教育を受けられないよ。たまたま事故に遭って全身麻痺状態になっちゃったよ。偶然は人々を無根拠に不幸に陥れる。ただ、それを見た他人であるはずの我々はなぜか「流石にアイツらのことを誰か助けろよ」と思うことがある。社会的な保障はこうして正当化される。平たく言えば、保障の正当化を結実させる思いの根拠はどういうカラクリで成り立っているのか――成り立たせるべきだとロールズは考えたのか――、というのが拙論の基本的骨格である。

そこに、ベネディクト・アンダーソンとかオルテガとか、高橋たか子とか九鬼周造とか、既存の学術論文では余り組み合わされない固有名同士を組んで化学的反応を起こそうという企図に拙論のひとつの大きな特徴があるだろう。ただし、こういうアクロバットをやりすぎると「不格好な不整合」(大澤真幸、p.124)とか「繋がりがまったく見えない」(熊野純彦、p.126)などと評価されるので、繋ぎ方には細心の注意を払うべきだ。

その1 アイディアを列挙する

私は近代文学の研究者なので、政治哲学については門外漢のひとりにすぎない。本来、私が考えていたのは、昭和10年代に中河与一が中心になって論議された〈偶然文学論争〉(純文学やプロレタリア文学には偶然という要素がないからダメ?論争)から翻って、戦前の近代文学と偶然性のテーマとの関係を調べてみる、ということだった。

しかし研究を重ねるにつれ、多少、偶然性という概念に関して抽象度を上げて考え出すと、自然、様々なところにその視点を応用するようになる。そんななか、はたと思い立ったのが、学生のころに読んだロールズ『正義論』を偶然嫌いの本として読むことができるのではないか、ということだった。基本となるアイディアの核はこれだ。

あとは、長年メモしていた連接可能なサブテーマ群をそこにくっつけ、細かく調整してけば、研究論文でも小説でもない謎の文章――なにをもって評論という文章が成立するのか私には未だによく分かっていない――がそれなりにできる。できないときはあがいても無駄なので諦めて映画でも観よう。

メモしていたサブテーマは次のようなものだ。

  • 高橋たか子の短編『共生空間』は『正義論』と同じ1971年に発表されている。
  • アンダーソンは偶然性の回収システムとして宗教とナショナリズムを考えていた。
  • アンダーソンのいう「想像の共同体」など、オルテガが既に述べていたこと。
  • 『正義論』第86節の「愛」についての議論がアツい。
  • 『正義論』はニーチェ的「運命愛」を密輸している。
  • 偶然を愛そうと思っても、どうしても愛せない偶然ってあるよね。

だいたい、これくらいのことを前後のつながりを工夫して体系的なかたちにまとめようとすると原稿用紙で70枚くらいになる。私は引用が多いので(引用したいから文章書いてるようなもんだ)、同じテーマでも人が違えばもっと圧縮したものになるかもしれない。

ちなみに、テーマのほとんどは、Twitterで呟いたものを自分で「お気に入り」登録し、ストックしていたものを掘り起こしてきた。それ故、私のTwitterアカウントをフォローしている人にとっては、体系化の仕方は別にして、個々の指摘自体に斬新なところはないと感じるかもしれない。わりといつも言っていることだからだ。

その2 必殺フレーズを考える

執筆期間はだいたい1ヶ月くらいで、あとは部分を付け足したり削ったり順番を変えたりするのに大体3ヶ月くらいかけただろうか。私個人はこの細々した作業が文章をチューンナップしてる感じがして一番好きだ。けれども、この工程に時間をかけすぎると、いいかげん自分の文章に飽きてきて全てが駄文に見えてくるので、やりすぎは禁物だろう。

細部へのこだわりは、できた文章を品詞別に分けてみるとやりやすい。一般的に形容詞より名詞の方が意味の比重が重いから、大事な言葉は名詞、説明や修飾は形容詞にできるかぎり任せる。長文センテンスだと、いったん形容詞や副詞を剥ぎ取り名詞と動詞から成る単純構文に還元してみると、軸になる主張が確認できて、文の整理整頓がはかどる。

また、この文章といえばあのフレーズ、といった文全体を代表するような記憶に残る必殺フレーズがあるとカッコいい。拙論でも引用した、清水幾太郎『倫理学ノート』の「人間は神に似る。しかし、神がリアリティの世界の王であるならば、人間はフィクションの世界の王である」(p.86)などは、読み手をぐいと論のなかに引き込む力をもつ。素晴らしい。

拙論のオリジナルでいえば、「生には〈一度〉しかないが、思考には〈何度も〉がある」(p.72)とか、「正義が必然を偶然に変える力だとすれば、愛は偶然を必然に変える力だ」(p.92)とかは、とてもキャッチーだ(自分で言う)。

こういうのは要約としても使えるから、言ってることが段々複雑になってきたなと思ったら、コピーライターになったつもりで、短くも切れ味の鋭い一文を混ぜておくと、読み手が挫けずについてきてくれる……はずだ。

その3 接続詞を活用する

ところで、私は接続詞が好きである。接続詞は体の骨格を支える関節のようなもので、接続詞をきちんと配置すると、文と文の関係性が明確になって全体がクリアになる気がするからだ(接続詞を書きたいから文章書いてるようなもんだ)。

接続詞は一語で順接/逆接に代表される文の流れを知らせる符牒になるから、難文を読むときも便宜であるように思う。どうでもいいことだが、フランス語を勉強したときも私は第一に常用される接続詞を暗記した。要所となる「mais」(しかし)や、「parceque」(なぜならば)を掴んでしまえば、著者が何に肯定的であり、また否定的であるのかが理解でき、その分別の軸を頼りに他のセンテンスもそれのバリエーションとして読むことができるからだ(……といっても、私の現在のフランス語能力から察するに、こんなことばかりやってたから低レベルに留まっているのではないかという疑惑もあるのだが)。

そんな私が愛用している接続詞は、「言い換えれば」(換言すれば、別言すれば)だ。これはあるテーゼをさらに説明するときに重宝する。同一主張を別のターミノロジーに変換してやると、説明が深まるだけでなく、論の展開の選択肢自体が豊富になる。話題の持ち札が減ってきたなと思ったら、書いてきた文章の換言を考えてみることを勧める。意外な発見があるはずだ。

また、「ともかく」(ともあれ、とまれ)も好きだ。「ともかく」は、学問的には不確かな感想、勝手な思いつき、奇抜なレトリックといった〈正しくないかもしれないけど書きたい逸脱〉を、既定路線の〈正しい筋〉に戻すのに役立つ。「ともかく」の安心感があればこそ、ちょっとした冒険ができるというものだ。

常に既に新人である

さて、長々と愚にもつかないことを書いてきたようにも思うが、根本的なソモソモ論として、新人賞をとったからといって一体だから何なんだ、という気もしないでもない。

無論、賞金として12万5千円もらえるらしいので(受賞作は50万だが、優秀作は25万で、今回は二人いたので等分されるのだ!)、それはとても嬉しいし、ウェブ上で文学研究を細々と発表している身としては別のタイプの媒体に書ける機会は貴重なものだな、とも思う。専門の校閲係に文章を細かく読まれるという経験も稀有なものだった。ちなみに、拙作には「ユスティーティア」という言葉が二度使われるが、これは「ユースティティア」が正しい。校閲の方が見つけてくれ、私の方も修正の指示を出したはずなのだが、赤の付け方が悪かったせいか訂正されずそのままになっている(校閲のサインも勉強せねばならない)。

ただ、当然のことながら新人になったところで筆で飯が食えるようになるわけではないし、また『群像』誌に自分の研究論文を自由に書けるようになるわけでもない。どうやら新人は書評から始まって、下積みをつまねばならないようだ。

いや、そもそも――それが直ちに悪いと言っているのではないが――『群像』をはじめ文芸誌など誰も読んでいないし、読まれたところでTwitterや2ちゃんねるで悪口を言われるに決まっているし、そしてなにより、女性にモテるわけでもないし……と、よくよく考えてみるとどんなメリットが生じるのかよく分からない。直感的にいえばこれは新人小説家についても同様だろう。

私の認識としては、もはや、誰が賞を取ったとか取らなかったとか、誰が誰と論戦して勝ったとか負けたとか、ある意味で呑気なコミュニケーションを楽しむ牧歌的な時代は過ぎ去っている。いまや、人文系の知の世界は、アカデミズムであれジャーナリズムであれ、地盤沈下を起こしているのであって、もしその世界を惜しむのなら、個々人が独立したエージェントとして各々の現場で働かなくてはいけないはずだ。

やるべきことは山ほどある。そして、今日、やるべきことをやるために、自分以外の誰かや何かに認めてもらう必要などほとんどない。戦前の近代文学は、『我楽多文庫』にしろ『新思潮』にしろ『白樺』にしろ、基本的に同人誌文化に等しかった。歴史をつくってきた数々の名作と呼ばれているものは、元々は、暇を持て余した若者らが適当な仲間と一緒に勝手に書き散らしていた作物にすぎない。

条件は彼らとなにも変わらない。知をめぐる攻防戦はイマココから始まっている。常に既に新人である。

当たり前のことだが、念のため、あらためて確認しておこう。人は新人賞をとったから批評家や小説家に成る、のではない。批評や小説を書き続けるからこそ批評家や小説家に成り続けるのだ。継続だけが力である。