新刊小説は滅亡について考えた方がいい

2015年12月4日
posted by 藤谷 治

雑誌「ダ・ヴィンチ」から「本をめぐる物語」を依頼された時、僕のよくない癖が出た。

依頼を逆手に取って、おそらくは先方の望んでいないであろう小説を書いてしまったのだ。前にも「卒業をめぐる物語」を依頼されて、いつまでたっても卒業しない「高校三十三年生」という落語を書いてしまったことがある。あれも「ダ・ヴィンチ」の仕事だった。なんか、すみません。

今回もその発想でやった。大手出版社が新刊小説を刊行しなくなる、という話を書いた。題して「新刊小説の滅亡」(ダ・ヴィンチ編集部編『本をめぐる物語〜小説よ、永遠に』に収録)。

hon-wo-meguru発想は悪ふざけみたいなものだけれど、そしてこれは、タイトルありきで中身を考えていったような小説ではあるけれど、書き進むにしたがって、どんどん自分が真面目に、というより、冗談で済まないことを書いているのに気がついた。

新刊小説の一斉刊行停止という、架空の事態に説得力を持たせるのに、努力する必要がなかったのだ。出版社が新刊小説を出さなくなる理由が、すらすらといくらでも出てくるのである。新刊小説というのは、出さなくても痛痒ないどころか、出して有害なのではないか。書き進めながら肌に粟を生じたといっても過言ではない。

日本の商業出版社は、もちろん、小説を売るだけで商売をしているわけではない。しかし小説を売っている出版社はどこも、口を揃えて「新刊が売れないんですよ」と嘆く。

今年はついに、図書館を仮想敵にするかのごとき言説や要請まで現れた。

読書家で図書館を使わない人はいない。そんなことは誰でも知っているのだから、図書館の新刊貸し出しが売上に響くと、出版社の社長が公言するのは、これはよほどの緊急事態と考えざるを得ないのだろう。

(この件に関して、詳しくはこのURLを参照してください。)

「石にかじりついてでも本は買わない」人たち

僕のところにやってきて、「藤谷さんの新刊、図書館で借りて読みました!」とか「すみません、貸し出しの順番が回ってこなくてまだ読んでないんです」などといってくる人も、たまにいる。著者であるこちらが売文稼業で食いつないでいることと、読者である自分が本を買わないことの間に、相関関係があるということにさえ気づかない読者が、とにかく存在するんだと思う。

しかしまあこれは僕がたまたま、そういう鈍感な人間に出会ってしまったというだけの話で、これをもって「今時の風潮」などと主張するつもりは毛頭ない。

けれども図書館という公共サーヴィスの役割ないし目的が、市民にタダで本を読ませることだと、ごく自然に捉えている人間がいるのは確かだ。本に出す金もないし(酒に出す金はある)、本を置く場所もないが(ワンルームマンションにひとつだけある本棚は、DVDとアニメのフィギュアで満杯だ)、読みたいは読みたい、だから読ませるのが政府なり地方自治体の務めだろうという「論理」なのかもしれない。

それは少なくとも我々売文の側から見れば、石にかじりついてでも本は買わない、といっているのも同然である。絶版本や資料といった、入手困難であったり、公共の知に供するための本に限らず、とにかく、何がなんでも、本は買わないのだ。駅前の本屋に山積みになっている本を、ふた駅先の図書館まで借りに行く。もし制度なり法律なりが変わって、図書館がある種の本を所蔵しないということになったら、そういう人たちは、単に読まなくなるだけである。どっちにしても、買わない。

そして、ここでいう「駅前の本屋に山積みの本」「ある種の本」とは、おおむね、新刊小説のことである。

ある種の人々が、なぜかたくなに新刊小説を買わないのか。そんなことを考えても、どうしようもないと僕は思う。僕がなぜアニメのフィギュアを買わないのかを考えたってしょうがないのと同じだ。僕にとってアニメのフィギュアは、意味がない。ある種の人々にとって、新刊小説の存在には、意味がない。それだけのことである。今に始まったことでもなければ、「嘆かわしい」ことでもない。

図書館が新刊を何冊も買い入れて貸し出す「複本」が問題なら、レンタル向けのDVDみたいに、紙や表紙を丈夫なものにして、図書館が買う本だけを一冊十万円にすればいい。そうするくらいの権利を、出版社は主張できるはずだし、そんなアイディアはとっくに出ているに違いない。それができないということは、何か法律の壁とか社会制度の規制があるのだろう。もしくはそういう提案をする勇気が、出版社側にないとか。いずれにしてもそうであればそれは、「新刊小説が売れない」という問題の本質ではない。

問題の本質は、「とにかく買わない消費者層」にはない。

買って手元に置いておこうか、どうしようか、見定めたい、という種類の人たちが、結局は買わない、ということ。これが本質である。(これとは別に、「買うも買わないも、新刊小説の存在を知らない」という人たちが存在することも、大きな問題だが、ここでは取り上げない)

新刊小説は、買わない方がいい?

小説のような嗜好性の高い商品について、なぜ買わないかを包括的に考えても無駄なように思われるかもしれない。僕はそうは考えない。それどころか、これこそ最重要課題だと考えている。ビジネスとしての出版にとどまらない、新刊小説の、ひいては現代文学の根本に関わることだ。

といっても、「興味は持っている消費者が新刊小説を買わないのはなぜか」という問題の「解答」が重要なわけではない。こんな問題に答えるのは簡単なことだ。

消費者にとって、新刊小説を買わないことには、メリットがあるからである。

新刊小説は、買わない方がいいからである。

なぜ買わない方がいいのか。どんなメリットがあるのか。それは「新刊小説の滅亡」に書いた。これほどヴィヴィッドで、喫緊の問題を、あからさまに書いたことは一度もない。時事的な、一過性のトピックスを扱うと、小説はすぐに古びてしまうが、これは現代文学の本質に関わることだと信じて書いた。

僕はつまらない、味もそっけもないことしか考えられない人間だ。東日本大震災は僕に、自分の足元を支えているのは「文学」や「愛」や「民主主義」などではなく、「地面」であることを認識させた。

それと同じように、出版不況や図書館問題、そして自分の小説の売れ行きが思わしくないという事実は、僕に文学の本質が「表現」や「認識」や「自己主張」にあるのではなく、「読む・読まれる」という営為の強度にあることを突きつけたのである。有体にいえば、一回読んだら置き場所に困るような文学など、買わない方がいい、ということだ。

新刊小説を売る仕事に関わっている人たち――著者に限らない。編集者も、出版営業者も、流通も、批評家も、そして読者も――は、いっぺん歩みを止めて、考えた方がいい。新刊小説が滅亡したら、自分はどうなるのかを。現代文学を取りまく状況は、それくらいのところまで来ている。

「滅亡してはいけない」と思うなら、「なぜ」という問いに答えなければならない。僕は、あの程度の小説を書いているくせに、これまでもこれからも、この「なぜ」に答えられるだけの小説でなければならない、と覚悟して書いている。

「滅亡してもいいのかもしれない」と思うなら、そんな人は、今すぐあっちに行ってくれ。


【イベントのお知らせ】

藤谷治さんが主宰する「文学の教室」の番外編が12月20日(日)に下北沢の「本屋B&B」にて開催されます。この作品のことも話題になると思いますので、ふるってご参加ください。

「フィクショネス文学の教室 in B&B〜年末番外編〜」
2015年12月20日(日)19:00~21:00(開場18:30)
会場:本屋B&B(世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F)
入場料:1500円+drink
http://bookandbeer.com/event/20151220_ficciones/

出演:藤谷治(作家)、田中和生(文芸評論家)、瀧井朝世(ライター) 、仲俣暁生(編集者・文芸評論家。「マガジン航」編集発行人)

ライター・イン・レジデンスで地方を発信する

2015年12月2日
posted by 磯木淳寛
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ライター・イン・レジデンス『地方で書いて暮らす4日間』の様子。撮影:笹倉奈津美

出かけるときに傘を持っていくかどうかを天気予報で判断するように、人は誰でも日々当たり前に、なんらかの情報を行動の指針にしています。

人が情報によって行動を変化させる生き物である以上、それらを形作る言葉そのものの重要性は、ぼくがここであらためて説明するまでもありません。

では、言葉によって紡がれた文章の可能性は、いまどこまで広がっているのでしょうか。

ぼくは千葉県の外房に位置するいすみ市で、食や地域といった分野で文章を書いたり、地域資源を編集することを生業としている磯木淳寛(いそき あつひろ)といいます。はじめて寄稿の機会をいただいたので、2015年2月から始めた、言葉・文章・地域にフォーカスしたライター・イン・レジデンスについて紹介したいと思います。

ライター・イン・レジデンスを始めた理由

ライター・イン・レジデンスとは「一定期間ライターに滞在場所を提供し、その創作活動を支援する制度」のこと。聞いたことのない人がほとんどだと思いますが、各地の芸術祭などで行われるようになったアーティスト・イン・レジデンスのライター版と言うとわかりやすいかもしれません。

海外では自治体などが主催者となることが多く、小説家やプロのライターを対象にその地域を題材に書いてもらうことで、地域の魅力を外部に発信するということを目的としているようですが、ぼくはこれを自分なりに解釈して、プログラムに『地方で書いて暮らす4日間』と名前を付けて、ライター志望者や発信力を身につけたい人を対象とした合宿スタイルの実践講座を行ってきました。

ライター・イン・レジデンスを始めた大きな動機のひとつはごく単純で、インタビューをして文章を書くという経験を多くの人にしてもらいたかったからです。

経験者なら心当たりがあるかと思いますが。実際にあらゆる人に話を聞く機会を持つと、インタビュー相手の活動の土台となっている、社会に対する前向きな態度と愛すべき人間的魅力に触れることはとても多いものです。

インタビュアーでなくても、人の話を聞いてわくわくしたり、興奮したり、うれしい気持ちになった経験は誰しもあるのではないでしょうか。

そういった出会いを繰り返していくと、触れる情報によって世の中の見え方が変わるということにも気付き、自らの思考も深まり、やがて自分自身の可能性にも信頼を置けるようになってきます。言葉にするとちょっと大げさかもしれませんが、これは概ね事実じゃないかとぼくは思います。

ライター・イン・レジデンスの参加者を選考する際になるべく若年層を選んでいるのも、若い人にこうした前向きさを感じられる機会をもっと作っていけたらと考えているからでもあります。

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京都の里山で開催したときには、川のせせらぎをすぐ隣に感じながら取材を行った。

ライター・イン・レジデンスを始めたもうひとつの理由は、以前、とある人の口から「文筆業は虚業」という言葉を聞いたことです。

「ずいぶん乱暴な物言いをするなあ」とそのときは感じたものですが、あとから考えると、webなどで誰もが書き手となった結果、玉石混交の文章が氾濫するようになり、丁寧に編まれた文章を目にする機会が減ってしまったことを嘆く言葉だったのではないでしょうか。

この体験によって、自分自身が書く文章に対する責任の重さをあらためて感じたのとともに、よい文章を書くことに対してより自覚的な書き手が増えていく必要があると感じさせられたのです。

寝台列車で執筆? 財政破綻の町を執筆で再生?

さて、そもそもぼくがライター・イン・レジデンスというものを初めて知ったきっかけは、全米鉄道旅客公社Amtrack(アムトラック)の取り組みを、たまたまwebで見つけたことでした。

Amtrackはアメリカ合衆国を東西に横断する長距離鉄道なのですが、航空便の価格が下がってきたこともあり、乗客の減少が顕著だったそうです。そこで、広く募って集めたライターを寝台列車に乗せ、2日間から5日間の乗車時間を鉄道旅行の魅力を発信するための執筆に充ててもらうというアイデアで集客を図ろうとしました。

その名も「Amtrak Residency」。数日間も列車に乗りながら執筆するというのは、新幹線の中での数十分の執筆さえままならないぼくにとっては目眩がしてしまいそうです。

次に目にしたライター・イン・レジデンスも同じくアメリカ、デトロイトで行われた「Write A House」。これは財政破綻したデトロイト市が、増えすぎてしまった空家に借り手を増やすために打った作戦で、内容はいたってシンプル。空家にライターをほぼ無料で住まわせ、町の情報を発信させることで地域を活性化させようというものでした。

このプログラムにさらに驚かされたのは、ライターが2年間そこで成果を出すと、住まいとなっていた空家そのものがプレゼントされるということ。その発想の奇抜さも秀逸ですが、地域外のライターによる当該地域の課題解決事例であることに感心しました。

Amtrak Residency」と「Write A House」は、どちらもライターを一定期間滞在させて執筆してもらうという、ライター・イン・レジデンスの枠組みに沿ったものです。通常の場合、ライターは物理的にも精神的にも客観的な立場から仕事することが多いものですが、ライター自身が現場に入り込み、自らも当事者となっていく構図にとても興味を引かれました。

宿泊と食事付き農作業支援プログラム『WWOOF(ウーフ)』

そんなふたつの事例を知り、ぼくがすぐにライター・イン・レジデンスを始めたかというとそうではなく、遠因となったのは、都内から2013年に引っ越した先の千葉県いすみ市で、カフェ兼農園「ブラウンズフィールド」の運営に携わったことでした。

カフェの前に田んぼが広がり、ヤギが昼寝し、子どもたちが走り回り、畑では旬の野菜が収穫されるこの農園には癒しを求めて足を運ぶお客さんも多く、都心での仕事や暮らしにひと呼吸置きたい人たちにとって格好の場所です。土と自然に触れる農園の仕事も魅力的に映るでしょう。

農園部門では以前よりWWOOF(ウーフ)と呼ばれる、宿泊と食事付き農作業支援の受け入れプログラムを取り入れていました。期間は2週間以上。作業の対価は農作物との交換であり、お金のやりとりはありません。来ていたのは主に海外からの長期滞在者や、転職の合間などの社会人、そして長期休み中の学生たちでした。

WWOOFでやってくる人々それぞれには人生のストーリーがあり、楽しい交流のおかげで気の合う友人も多くできました。しかし、いくつかの事情が絡み、WWOOFを継続するにはなかなか困難な状況もありました。

そこで、来てくれる人、受け入れるスタッフ、運営側の持続可能性の三方のバランスをどのように取ったらよいかと思案した挙句、WWOOFのシステムを「有償の1週間体験プログラム」へと変えてみたところ、受け入れ側に余裕ができたのと同時に、定職についている社会人の方にも多く参加してもらえるようになりました。

思わぬきっかけから始まったライター・イン・レジデンス

募集するごとに定員枠もすぐに埋まるようになり、ひとつの理想的な形ができたのですが、やがてぼくの中である思いが芽生えてきました。

外から来た人を施設内だけに留めてしまうのではなく、外から来てくれる人を媒介にして、施設と地域との境界線を曖昧にしていけないか。なにより、いすみ市には面白い人や場所がもっとたくさんあるのに、ほとんど何も紹介してあげられていないことがもったいないと感じていました。

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いすみ市の開催地。つまり、ぼくの家です。

そんなことを知人に話したことがきっかけで、あるご縁から一軒家を借りることになりました。また、ちょうどその頃カフェ兼農園の運営からも離れることになりました。

借りた家は、我が家の夫婦ふたりの居住空間を考慮しても充分に余裕があります。

「外から人を招いて、ここの場所でできることはなんだろう…?」

カフェ兼農園を離れたことで、あらためて「一軒家を使った外の人と地域とを繋ぐ企画」をフラットに考えるうちに思い出したのが、ライター・イン・レジデンスでした。

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クール・ジャパンはどこがイケ(て)ないのか?

2015年11月16日
posted by 大原ケイ

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私はどうやらSNS上では、「日本の悪口を書きまくっている人」のように見られているようです。でもニューヨークにいるときだって、その大雑把すぎるサービスや、大きくて甘すぎるスイーツや、地下鉄ホームに溢れるゴミや、お行儀の悪いニューヨーカーの文句を言いまくってます。日本の悪口ばかりを言っているわけではありません。

またその一方で、ニューヨークの編集者たちと打ち合わせをするときも、気の利いた日本製のノートやペンなどの文房具を褒められたり(そもそも「シャープペンシル」というものを彼らは知らない)、日本製「猫グッズ」の猫が可愛いと羨ましがられたり(どうしてアメリカ人は可愛くない猫を商品化するのか不思議)、ネイルアートをしげしげと見ては「アンビリーバボー!」と言われたりする機会も多く、そういうなかで「日本」という国を誇らしいと感じることも多いのです。

それなのに、日本政府が推し進める「クール・ジャパン」政策がここまでコケ続ける原因はなんでしょう? いったいどこがイケ(て)ないせいで、上手くいかないのでしょうか?

アドバタイジングからマーケティングへ

その理由の一つは、「マーケティングがきちんとできていない」ことだと私は思います。経済産業省から丸投げされた広告代理店がやっているのは、マーケティングではなく、たんなる「アドバタイジング(広告)」です。大枚はたいて立派なキャンペーンを張り、一方的に日本が海外に「売りたい」と思っているモノを宣伝しているに過ぎません。

国際的に「クール」だとされている日本のモノやコンテンツの中に、成熟した文化ならではのエッジの効いた素晴らしいものがあることには、私もまったく異論はありません。日本のマンガはたしかに面白いし、和食も美味しい。でも、「自分がいいと思うもの」をあれこれ並べ、「試してもらえばわかる」といっているだけではダメです。

ところで、「マーケティング」は、取り引き相手となる諸外国の人たちが、何を求めていて、何をクールだと感じ、何にならお金を出して手に入れたいと思うのか、といったことを調べるところから始まります。もちろん、それが「何」かは各国で違うでしょうし、こちらが「クール」だと思うものの全てを受け入れる土壌があるべくもなく、いくら日本が一方的に押し付けても、「ありがた迷惑」にしかならない場合もあるでしょう。

それなのに経済産業省の役人は、国民の税金を湯水のごとく使ってカンヌの映画祭に遊びに行って「くまモン」を踊らせたり、「コップのフチ子」を飾ってみたり、ミラノの万博に出かけて行っては「サンプルという名のタダ飯」を配って、「ふだんは並ばないミラノっ子たちが、行列を作った。わーい」などと喜んでいるわけです。

出版物で言えば、以前の記事でも少し触れた村上春樹の小説が世界中でもてはやされていることを鼻にかけ、なんだかんだと分析本を出し、あげくの果てにはノーベル賞をとってもらって更にあやかろうと毎年喧しい騒ぎになりますが、彼に続くべき作家を送り出せずにいます。そして村上春樹は政府の後押しなしで、世界中で読まれる小説家になりました。

もちろん彼に匹敵する、あるいは全く似ても似つかない素晴らしいストーリーは生まれているのです。小説だけではありません。ノンフィクションでも、ビジネス書でも、ハウツーものでも、SFでも、専門書でも、日本のコンテンツが求められていないわけではないのです。副次権利用を怠るのは、著者に対しても、読者に対しても申し訳ない残念なことです。

「相手にも分かる言葉」でもっと説明を

日本に帰国してしばらくすると、TVコマーシャルから「日本の〜」「日本は〜」というフレーズばかりが聞こえてきます。つまり、それらの商品を海外でも売っていこうという気なんて、端っからないことが伺えるのです。TV番組をみても、「世界の人も、日本はこんなにスゴイと言っている」といった内容ばかり。この国は、いつからこんなに自画自賛が大好きになっちゃんたんでしょう?

「これはどういう風に作られていて、作った人のどんな思いが込められているか。どこが斬新で、なにが日本の伝統に基づくものなのか。どうすれば、海外の人でも同じようにそれを楽しめるのか。その国に既にあるものと、どこがどう違っているから、こちらに価値があるのか」……。こうしたことを、きちんと相手に説明するのが、本来の「マーケティング」です。

その場合も、相手が日本語を解さない限り、こちらの側が「相手にも分かる言葉」で説明しないとなにも伝わりません。現代においてその「言葉」とは、useful intermediaryと言われる英語です。アメリカやイギリスといった国が現在もっている政治的優位性とこのことは、直接の関係はありません、世界中の人がビジネスをするようになったとき、使われたのはエスペラントではなく、英語だったというだけのことです。

World Book Sales Share

ここしばらくは日本で過ごす時間が増え、この機会にぜひ多くの出版社の人とお会いして、そうすれば少しでも「翻訳版権を売る」ことによって、せっかく作りあげた本をひとりでも多くの人の元へ届けられるか、いっしょに考えたいと思うようになりました。

その一環としてはじめるコンサルティング・サービスの立ち上げを兼ねて、今週の11月19日(木)に「その本の版権、海外でも売りませんか?」というイベントを行うことになりました。

その本の版権、海外でも売りませんか?

この場でお会いして、まず最初のステップにしていただければ幸いです。

第17回図書館総合展が今日からスタート

2015年11月10日
posted by 「マガジン航」編集部

本日11月10日(火)より12日(木)まで、横浜市みなとみらいのパシフィコ横浜を会場に第17回図書館総合展が開催されます。夏の東京国際ブックフェアと国際電子出版EXPOが出版社と電子書籍関連の祭典だとすれば、こちらはまさに「ライブラリー」の祭典。今年も例年どおり、多くのフォーラムやイベントが会場内で行われます。

各日のフォーラムのスケジュールは以下を御覧ください。http://www.libraryfair.jp/forum

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今年も「Library of the Year」が開催

図書館総合展の恒例イベントの一つに、〈よい図書館を「よい」と言う〉を合い言葉にした「Library of the Year」があります。これは、特定非営利活動法人 知的資源イニシアティブ(IRI)が、〈これからの日本の公共図書館のあり方を示唆する、先進的な活動を行っている機関(図書館に限らない)〉に対して毎年授与している賞で、今年で10回目を迎えます。

今年の最終候補は以下の4つです(最終候補以外も含めたすべての優秀賞候補期間の一覧はこちら)。11月12日の15:30~17:00に、パシフィコ横浜にて公開の最終選考会が開催され、大賞が決定します。

くまもと森都心プラザ図書館 :プレゼンター 渋田勝(獨協大学)
塩尻市立図書館/えんぱーく :プレゼンター 平賀研也(県立長野図書館長)
多治見市図書館:プレゼンター 小嶋智美(Independent Librarian)
B&B:プレゼンター 仲俣暁生(編集者)

なお、候補の一つとなっている東京・下北沢の本屋B&Bのプレゼンターは、「マガジン航」編集発行人の仲俣がつとめることになりました。

「未来の図書館、はじめませんか?」

また今年の図書館総合展では、この春から「マガジン航」の発行支援元に加わったアカデミック・リソース・ガイド(ARG)のブース《ブース番号19》にて、 ARGスタジオ「未来の図書館、はじめませんか?」が連日開催。12日には「マガジン航」編集発行人の仲俣も終日出演いたします(タイムテープルは以下のとおり)。

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【ブース内イベントタイムテーブル】※一部変更となる場合があります

◆11月10日(火)

[11:30~12:30]
LRG12号刊行!みんなで編集後記 図書館×カフェ
・ゲスト:熊谷雅子(多治見市図書館)、早苗忍(鯖江市文化の館)
・MC:岡本真、野原海明、李明喜(以上、ARG)

[13:00~15:00]
特別鼎談 図書館は地方を救うか
・ゲスト:猪谷千香(文筆家/ハフィントン・ポスト・ジャパン記者)、鎌倉幸子(シャンティ国際ボランティア会)
・MC:岡本真(ARG)

[17:00~18:00]
近刊『図書館100連発のつくり方』(仮題)公開編集会議
・ゲスト:森旭彦(ライター、『未来の図書館、はじめませんか?』共著者)、矢野未知生(青弓社、『未来の図書館、はじめませんか?』『図書館100連発のつくり方』(仮題)担当編集者)
・MC:岡本真(ARG)

◆11月11日(水)

[10:00~11:30]
ARGの図書館づくり
・ゲスト:呉屋美奈子(恩納村文化情報センター)、瀬口敦子(富山市立図書館)
・MC:岡本真(ARG)

[11:45~12:15]
特別レクチャー「大学レベルの講座を図書館でも-先進的生涯学習『gacco』」
・ゲスト:伊能美和子(株式会社ドコモgacco)、野口貴裕(中央大学法学部/JMOOC学生代表)
・MC:岡本真(ARG)

[13:00~15:00]
これからの図書館建築を考える公開会議
・ゲスト:畝森泰行(畝森泰行建築設計事務所)
・MC:岡本真、李明喜(以上、ARG)

[15:00~15:45]
オープンデータ化がもたらす図書館の未来
・ゲスト:大向一輝(国立情報学研究所)
・MC:鎌倉幸子(シャンティ国際ボランティア会)

[16:00~17:30]
図書館づくり・まちづくり大相談室
・コンサルタント:岡本真(ARG)

◆11月12日(木)

[10:00~11:30]
まちの本屋と、まちの図書館と、そしてデザインと
・ゲスト:市川紀子(有隣堂社長室)、仲俣暁生(マガジン航)
・MC:李明喜(ARG)

[11:30~12:30]
図書館100連発ライブ@図書館総合展
・MC:岡本真(ARG)、 仲俣暁生(マガジン航)

[13:00~14:30]
Library of the Year2015直前スペシャル トークセッション
・ゲスト:河瀬裕子(くまもと森都心プラザ図書館)、熊谷雅子(多治見市図書館)、伊東直登(塩尻市立図書館)、内沼晋太郎(B&B)
・MC:岡本真(ARG)、 仲俣暁生(マガジン航)

[14:30~15:30]
図書館づくり・まちづくり大相談室
・コンサルタント:岡本真(ARG)

[16:00~17:30]
LRG14号 みんなで編集会議
・ゲスト:仲俣暁生(マガジン航)
・MC:大谷薫子(本のモ・クシュラ)、佐藤理樹(アルファ デザイン)、岡本真(ARG)、ふじたまさえ(ARG)

■展示:
・図書館100連発 特別編集版
・ARGプロジェクトの紹介

あわせてフォーラムもお楽しみください!
11/10(火)開催:第17回図書館総合展フォーラム:第3回ARGフォーラム「これからの図書館のつくりかた-図書館をプロデュースする仕事から」
https://www.facebook.com/events/477618025752768/

その本の版権、海外でも売りませんか?

2015年11月9日
posted by 「マガジン航」編集部

「マガジン航」およびスタイル株式会社は、文芸エージェントの大原ケイさん(Lingual Literal Agency)とのコラボレーションにより、この秋から会員制の海外向け版権輸出コンサルティング・サービスを開始することになりました。そのオープニングイベントとして、11月19日に以下の催しを行います。

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・日時:11月19日(木)19時30分〜21時30分
・会場:devcafe@INFOCITY(渋谷区神宮前5-52-2 青山オーバルビル16F)
・アクセス:東京メトロ「表参道」B2出口より徒歩5分、JR「渋谷駅」宮益坂口より徒歩10分
・参加費:1500円(peatix にて事前購入可)

http://peatix.com/event/125528/

この日は新サービスのご案内にくわえ、「マガジン航」の常連寄稿者として海外の出版動向をつねにみてきたLingual Literal Agencyの大原ケイさんが、海外への版権輸出に関する現状と課題についてレクチャーします。すでに版権取引の経験のある出版社だけでなく、版権輸出の経験がまったくない出版社や、出版以外のコンテンツ・ビジネスにかかわる方の受講も大いに歓迎します。

以下は、大原ケイからいただいたミッションステートメントです。

Lingual Literal Agency Mission Statement

「うちで作った本を英語に翻訳してもっと多くの人に読んでもらいたい」
そんな相談にいくつものってきた。

ニューヨークの出版社や海外のブックフェアで出会う編集者に聞かれる。
「So, where’s the next Haruki Murakami?(次なる村上春樹はいないの?)」

海外出版を望む日本の著作と、海外からそれを求める声があるのはわかっていても、そのつなぎ方はこの上なくむずかしい。英語版を“作る”ことなら誰にでも、どんな本でもできる。翻訳代を支払って製本すればいいだけだ。だが、それだけではいくら作っても1冊も売れない、つまり、読者には届かない。売れなければ、翻訳の手間ひまをかけたコストの分だけ損をする。著者のもとに一銭も印税が入らない。そしてそれは誰のためにもならない。

そんな思いで数年エージェントとしてできる限りのことをしてきたが、昨今は韓国や中国も自国のコンテンツ輸出に国力を注いでいることもあり、ひとりでは限界があることも思い知らされた。海外出版にこぎつけるために何が必要とされているのか、より多くの人に知ってもらいたい。

そのための次なる取り組みを、リンガル・リテラリー・エージェンシーのミッション・ステートメントとして以下のようにまとめた。

■版権輸出のメリット

この5〜6年、日本でも電子書籍の出現で「本の読まれ方」が多少変わったものの、出版産業全体で見れば、あいかわらず出版不況から脱出できていないのが現状であり、これ以上いくら本をたくさん上梓しても、自転車操業の車輪がさらに早く回るだけで、出版社が潤うこともなければ、著者が印税で食べていけるようにはならないだろうという不安がある。ここへ来て取次や版元の倒産ニュースが聞かれ、長らく親しまれてきた書店が次々クローズするなど、産業の構造そのものが疲弊している兆候と捉えることができるだろう。

高齢化・少子化による人口減により、紙に刷ろうが、デジタル化してネットにアップしようが、今後も本を読む人の総数はますます減っていくだろう。ならば、同じ本を1冊作るのでも、国内(つまりは日本語)の読者だけを対象にして終わるのではなく「他の言語権に版権を売る」という形でコンテンツを輸出するのがひとつのオプションになると考えるのは当然ではないだろうか。

政府主導の「クール・ジャパン」活動に(一応)本が含まれるとして、税金を使って海外ではなんの力もコネもない役人がカンヌ映画祭に出かけて行き、 パーティーで寿司を振るまい、パビリオンで「くまモン」を踊らせたところで日本製映画の海外 distribution rights が売れるわけでもなければ、海外映画のクルーを国内ロケ誘致できるわけでもなかろう。本とて同じことだ。

湯水のように税金を使い、豪華な資料を作って海外のブックフェアに出かけて行き、本を紹介するブースを作っても、それはただ店を出したのと同じであって、それだけではダメで、そこに客を呼び込み、興味を持ってもらえる資料を渡し、あるいはアポを取ってカタログを見せ、どういう本があるのか、どういう読者なら楽しんで貰えそうなのかを伝えなければ、何も売れはしない。

■なぜ、英語で出すことにこだわるのか

国際出版社協会(International Publishers Association)の2012年の調査では、世界の書籍マーケットでの総売上額は約14兆円、日本のシェアは第4位で7%となっている(20年ぐらい前までは10数%で第2位だった)。トップは相変わらずアメリカで、4分の1強を占める26%。「その他」に含まれる国には、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなど英語が公共語の国が多い。「英語圏」の国の他にも、欧州各国は第二言語として英語で本を読める人が多く、ヨーロッパ以外にもシンガポール、インドなど、英語の本であれば流通する国々が多い。

フランクフルトやロンドンの国際ブックフェアでも版権取引の際に商談に使われるのは英語だし、翻訳書のコンテンツを探している編集者は英語なら読める人がほとんどだ。彼らは英語を ”Useful intermediary” つまり、便宜上、言語のバリアを超えるためのツールとして英語を使っているに過ぎない。言い換えれば、英語をツールとして同じ土俵に上がらねば、そこから他の言語圏で勝負することはできない。アメリカ文化への追従だとか、帝国主義のスキームとは何ら関係ないのである。


※あわせてこの記事もぜひお読みください。

村上春樹『職業としての小説家』への賛辞 (「マガジン航」2015年9月28日掲載)

「マガジン航」での大原ケイさんの記事一覧はこちらです。