第3回 オルタナティブなメディアはどこにある?

2016年8月22日
posted by 影山裕樹

ノンフィクション作家・佐野眞一の『業界紙諸君!』(筑摩書房)という本がある。ここで紹介されている業界紙が高度経済成長期の日本のあらゆるマーケットを支えていたんだなぁ、と感慨深く読んだ。自身もタウン誌や業界紙での編集者経験があるためか、金融業界誌、玩具業界誌、ホテル業界誌など目の付けどころが幅広い。

この本を手にとってみて、メジャー誌以外に、世の中にはこうも多様でニッチな業界紙が溢れており、それらが強固な読者層を保持しており、安定した体制で何年も何十年も発行され続けていること、そしてそんな限られた世界のことを黙々と編集し続ける人がいることに強い興味を抱いたのを覚えている。佐野氏は業界紙を取材しようと思った動機について、こう語っている。

今までほとんど光があてられてこなかった業界紙の世界に興味をひかれた理由の一つは、(中略)その茫漠たる広がりの裏側に、驚き以上の世界が横たわっているのではないかとの予感をもったことの方が大きい。(同書「プロローグ」より)

『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)を書こうと思った動機も、そんな業界紙を追うモチベーションと近いところがあるかもしれない。本連載のタイトルにもなっているように、出版・メディアのフィールドを、不況にあえぐ首都圏の出版業界の圏域から離れて俯瞰して、各地にあるメディアを渉猟しながら、まちの人々の話を聞くことで、どんな風景が見えるだろうかという好奇心に突き動かされたところがある。

まちに根ざす信用金庫の職員が作るフリーペーパー

先日、荻窪の本屋Titleにて同書の刊行記念トークショーを行った際に、お客さんから紹介されたローカルメディアがある。石川県北部の能登半島の中央に位置する七尾市に根ざす「のと共栄信用金庫」が発行するフリーペーパー『にんじん』だ。

『にんじん』各号の表紙。(撮影:影山裕樹)

この『にんじん』の仕掛け人は、同金庫の職員でもある谷口良則さん。カメラが趣味で、まちに出かけては風景や人をシャッターに収め続けており、地元の人たちからは親しみを込めて「ターニ」という愛称で呼ばれているそうだ。

写真も文章もほぼ谷口さんが一人で撮って書いている。商店街のお年寄りを捕まえては、世間話をしながらパシャり。小学生のグループを見つけては、並んでもらってパシャり。そういう、まちの人々のポートレート写真が誌面の大半を占めており、もはや谷口さんの写真集と言っていい造りになっている。しかも、写真の端に短く添えられたキャプションがいい。

通りかかるとアオキ種苗店の春枝さんが、大きな虫眼鏡で指先を見ていた。どうやら指にトゲが刺さったらしい。しばらくするといつのまにかご主人の政治さんが奥さんの前に立って、やさしくトゲ抜きを手伝っていた。(第7号より)

谷口さんは地元の人たちの名前も把握しているし、彼らのバックグラウンドもよく知っている。だから、谷口さんしか知らないエピソードを書けるし、谷口さんしか撮れない表情が撮れる。さすがまちに根ざす信用金庫の職員が作るフリーペーパーだ。

『にんじん』7号より。被写体は顔見知りばかり。(撮影:影山裕樹)

それにしても、ページ数も多く(第7号は304ページ)、フルカラー。決して制作費は安くないはずだ。にもかかわらず、これほど自由な誌面づくりがどうして許されるのだろうか。同じ金庫内から不満や疑問は上がらないものだろうか。谷口さんに話を聞いてみた。

私たちの金庫の理事長が、とても懐の深い方で、私が好き勝手やるのを見て見ぬ振りしてくれて(笑)。評判が悪ければ自分で払うくらいのつもりで始めました。でも実際作ってみたら、すぐになくなっちゃうんですよ。お客さんからも『にんじん』ありませんかって声かけられることも多かったし、「綺麗に撮ってくれてありがとう」とお手紙をもらうこともありました。(谷口さん)

2001年にリニューアル創刊して年に1、2回発行し続け、2007年まで続けられた同誌は惜しくも休刊してしまったが、コンセプトは毎年発行している広報誌『にんじん通信』に引き継がれている。のと共栄信用金庫の100周年目に出された2015年号からは「能登耕作」というどこかで聞いたような名前の主人公が出てきて、能登の産業創出を支援する官民複合の活動を特集し、まちの創業者たちに話を訊くという体裁になっている。もちろん、能登耕作は谷口さんの分身そのものである。

谷口さんは、『谷中・根津・千駄木』(通称:谷根千)を始めとする全国の地域雑誌に影響を受けた一人。信用金庫に勤めながら、せっかく広報誌を作るなら、地元に溶け込む地域誌のような冊子を作りたい、と常日頃考えていたそうだ。

信用金庫の職員って、昔みたいに取引先に足繁く通わなくなった。インターネットが登場してからか、効率優先になってしまい、地域とのつながりや、地域の 人々への関心が薄れていってしまってないかという問題意識があったんです。しかも、職員を紹介する社内報なんてつまらないでしょう。むしろ、地元の人々を 登場人物にしたほうが、地域密着という信用金庫の理念を体現できるのではないか、と考えたんです。(同)

『にんじん通信』(左)と「谷根千」の森まゆみさんがライターとして参加した、七尾市の商店街が発行したミニコミ(右)。谷口さんはカメラマンとして参加。

ローカルメディアのプレイヤーはどこにいる?

『ローカルメディアのつくりかた』の中で紹介したメディアは、行政、民間団体、地元企業など、その発行元のバリエーションが豊かだった。なかでも全国各地にネットワークを持ち、その土地土地に密着して活動する信用金庫のような存在が、ローカルメディアのプレイヤーにふさわしいのかもしれないと、今回の取材で気づいた。

一般社団法人全国信用金庫協会(全信協)は、社会貢献賞を平成9年に創設している。ユニークな社会貢献活動を行う各地の信用金庫の取り組みを奨励するものだ。例えば、第19回の「地域活性化・しんきん運動 優秀賞」を受賞したのは、いわき市のひまわり信用金庫が地域産業の復興支援を目指し、同市平字作町に開設した街なか野菜工場「ひまわり ふれあい農園」。同信金の空き店舗を活用した農園で、水耕栽培施設のモデルハウスとして見学者を受け入れ、空き工場や空き店舗の活用例として提案している。

信用金庫の起こりについて、全信協が発行するパンフレットにはこう書かれている。

明治維新を契機として資本の集中が強まり、農民や中小商工業者が貧窮に陥ったことから、経済的弱者に金融の円滑を図ることを目的に、明治33年(1900年)に産業組合法が制定され、同法による信用組合が誕生しました。(「信用金庫のご案内 しんきんプロフィール2016」より)

その後、第二次大戦後の高度成長期を経て昭和26年(1951年)に「信用金庫」が誕生。現在、全国の店舗数は7398(「同」より)。「大都市に住んでいると目にすることは少ないかもしれないが、地方に行けば行くほど信用金庫の存在感は大きい」と、全信協広報部長の小曽根浩孝さんは語る。

メガバンクの地方支店、地方銀行の職員もみな、信用金庫の(地元の)情報網にはかなわないと言います。それくらい、私たちは地元の小さな商店主や中小企業に寄り添っているんです。むしろ、地域に受け入れられなければ存在できない。そういう、それぞれの地場を生かした営業・広報戦略は今後の私たちの強みになるでしょうね。(小曽根さん)

地域の「にがり」としてのメディア

これまで、様々なメディアの作り手たちと出会ってきて、おぼろげながら、ローカルメディアの共通点のようなものが見えてきた。

一つは、「地元を”面白い”と思える感覚があるかどうか」

そもそも「うちの地元なんて何にもない」と思っている人は面白いメディアを作れない。

二つ目は、「成果物よりも、制作プロセスを大事にしている」

できあがったものそのもののクオリティにこだわるより、読者と活発に情報交換したり、コミュニティを作るための“手段”としてメディアを捉えている。信用金庫の職員が、地元の人を登場人物にする『にんじん』がまさにそうだ。

三つ目は、「地域に特化した流通の仕組みを発明している」

観光地なら、地域限定販売という手もあるし(「本と温泉」)、全国各地に店舗を持つ企業なら、その店舗で配布することだってできる(「La Collina」)。全国に均一に配本される出版流通の仕組みから解き放たれたとき、ローカルメディアの可能性が広がる。

各地の「食べる通信」。(写真提供:日本食べる通信リーグ)

“食べ物付き情報誌”の「食べる通信」は現在、リーグ制という仕組みを取っており、全国各地に様々な「食べる通信」を生んでいる。それらは「日本食べる通信リーグ」としてゆるやかなプラットフォームでつながり、それぞれの地域の「食べる通信」のノウハウやアイデアを活発に交換している。

詳しいメディアづくりのノウハウは『ローカルメディア〜』で紹介しているのでそちらを読んでもらうとして、この「食べる通信」、実は地域ごとに発行元が異なる。漁協が発行元になれば、NPO、企業が発行元になることもある。大事なのは、ある程度の期間、発行し続ける体力がある団体かどうか。その体力の見定めを含めて「日本食べる通信リーグ」は、「食べる通信」を作りたい人々にアドバイスをしながら、各地に「食べる通信」を誕生させるお手伝いをしているという。

「食べる通信」が面白いのは、会員制によって読者の上限を決めていること、それから食材の通販の流通を、メディアの流通と掛け合わせている点である。その代わり、「食べる通信」は全国各地に様々な食べる通信を生み出すことで、「世直しは食直し」という理念を広めようと考えた。『東北食べる通信』の編集長で、「食べる通信」という仕組みを生み出した張本人の高橋博之さんはこう語る。

普通、食の宅配サービスって、食材と一緒に生産者の情報が書かれた紙切れが一枚入っていますよね。僕らはそれをひっくり返したんですよ。この紙切れのほうがメイン。食の生産に携わっている人の生き様が“商品”で、食べ物は付録っていう発想の転換をしたんです。(『ローカルメディアのつくりかた』より)

そして、会員制によって読者の数を限定することで、Facebookなどを通して読者と生産者のダイレクトな会話が生まれるようにしている。すると何が起こるか。読者は時化の時に台風が東京を通ることよりも、現地の漁師の安否を心配する。農家の苦悩に手を差し伸べたいと考えるようになる。商品が期日どおりに届かないことに対してクレームを入れるどころか、励ましのメッセージを送る。すると、生産者は顔の見える読者のために、いい商品を届けようと努力する。作り手と受け手の間に信頼が生まれる。

これこそ、本来の「食の物流」のありかただったはずだ。届けられる人と、作る人の間が分断され、口にするものの責任を生産者も取らないし、食べるほうも、生産者のことを考えないで食べている。そういう食の分断を改善しようとするのが、「食べる通信」の「世直しは食直し」というコンセプトなのだ。

直接口にするものだけではなく、つねにメディアの発信者と受け手の間には深い溝があって、実は、その間をつなぐ時にこそローカルメディアは役にたつ。高橋さんはそれを、「誰でも真似しやすい“にがり”のようなモデル」だと語る。まさに、「食べる通信」は地域の“にがり”としての役割を存分に発揮しているように思う。漠然と「メディアを作りたい」という自治体や企業、NPOは多いが、自分たちが「地域の中でどんな役割を担うべきか」という本来の目的を見失うことなく、そのために メディアを“使う”というスタンスをとることが大事だと思う。

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第1回《気仙沼》「仙人」館長の図書館は遥か海へひらく

2016年8月19日
posted by 野原海明

山に囲まれた街は、海の彼方とつながっている

気仙沼へ赴く日の朝は早い。おれの住んでいる鎌倉からは、新幹線を使っても5時間。午後の会議に出席するには、始発で鎌倉駅を発たねばならない。まずは岩手県の一ノ関駅まで出て、そこから大船渡線で沿岸部へ向かう。龍のようにうねるその線形から、大船渡線は「ドラゴンレール」とも呼ばれている。車両はいわゆる「電車」ではなく、ハイブリッド車だ。大きく迂回するのは地形のためではなく、有力者による我田引鉄のためである。

宮城県の北東の端。盲腸のように岩手県の中へ飛び出している。なるほど、戊辰戦争の前は、今は岩手県南部の大船渡市、陸前高田市を含む気仙郡も、伊達藩の一部であったが、本吉郡であった気仙沼は、たまたま宮城県に線引きされたのだ。

平安時代に編纂された歴史書『日本三代実録』では「計仙麻(ケセマ)」と記されており、その由来には諸説ある。アイヌ語の「ケセモイ(kese=末端、moi=入り江で、“南端の入り江”)」から来ているだとか、古語で船を岸に繋ぎ留めておくための「かせ」が訛ったものであるとか。どちらにしても、ここは港の町だ。気仙沼漁港は、沿岸漁業に養殖漁業、沖合漁業から遠洋漁業まで、あらゆる漁業の基地であり、街には造船から水産加工まで、ありとあらゆる水産業が発展している。

2015年2月の気仙沼漁港(撮影:野原海明)

2015年2月の気仙沼漁港(撮影:野原海明)

山に囲まれた陸の孤島でありながら、鰹を追って北上する千葉県、高知県、宮崎県の漁船や、秋刀魚を追って南下する北海道の漁船など日本各地の船、さらには世界中の漁船までが行き交う。山に閉ざされているようでいて、海に向かって開けているのだ。

陸に切り込むような湾の内側にある大島が、天然の防波堤となって波を和らげる。世界屈指の良港である。しかしその地形のために、東日本大震災では増幅した津波が街を襲い、大変な被害を受けた。

気仙沼市図書館は、そんな街を見渡せる高台にある。そのために津波の被害には合わなかったが、揺れを耐え切ようとした柱には亀裂が入った。1968(昭和 43)年に落成した1階部分と、その後、1981(昭和56)年に増築された2階部分。その繋目が特に大きく被害を受け、崩れる恐れのある2階には立ち入 れなくなった。震災後も亀裂の入った建物を使い、開館を続けていたが、さすがにこのままでは危険である。古く手狭になっていた児童館と合わせた複合施設として、同じ場所に建て替えられることが決まった。

2015年3月に閉館した気仙沼図書館(撮影:野原海明)

障子が用いられていた旧図書館の閲覧室(撮影:岡本真)

揺れの凄まじさを物語る亀裂(撮影:野原海明)

揺れの凄まじさを物語る亀裂(撮影:野原海明)

「気仙沼図書館災害復旧事業及び(仮称)気仙沼児童センター整備事業」の設計者として公募型プロポーザルに勝ち抜いたのは、これまでも多くの図書館建設を手がけてきた岡田新一設計事務所だ。おれはアカデミック・リソース・ガイド株式会社(ARG)という、情報系コンサル会社のスタッフとして、この整備事業に加わることになった。図書館や行政の職員と建築家の間をつなぎ、専門知識でサポートするという仕事である。

およそ月に一度のペースで、鎌倉から気仙沼へ向かう。片道5時間という長時間移動だが、日帰りすることも少なくない。そんなときでも、会議の後に街へ呑みに繰り出すのは欠かさない。飲み屋街では、その街の素顔がちらりほらりと垣間見える。清も濁もある混沌とした飲み屋の灯りの下で、その街に生きる人々の顔を見るのが好きだ。

元新聞記者、菅野青願館長の手で世界の気仙沼図書館へ

気仙沼の図書館は、東洋一とも称されていたと聞く。小さな街の図書館でありながらそのように讃えられたのは、8代目館長である菅野青顔(1903~1990)の功績と言える。青顔は1941(昭和16)年、地域の新聞社であった大気新聞社から、事務嘱託職員として図書館へ入職した。気仙沼では初めての、専任の図書館長である。現在の気仙沼市本吉図書館長に言わせれば、白髪何千丈と喩えたくなる髭をたくわえた、眼光鋭くおっかない「初代仙人館長」ということになる(おやじギャグか)。三陸新報のコラム欄「萬有流転」に1953(昭和28)年から34年間連載を続け、それらは本として出版もされている。

館長室に飾られた菅野青顔の肖像(撮影:野原海明)

青顔は記者であった時代から、自分が図書館長になればより良い図書館にできると熱意を燃やし、新聞記事にもそのように書いていたらしい。孔子が晩年、詩書などの整理をして生活をしていたのに憧れていたようでもある。戦時下でも資料を守りぬき、言論や出版の統制や、戦後の図書廃棄命令にも抵抗した。「図書館の自由に関する宣言」が採択されたのは1954年であるから、その前からこうした姿勢を守り抜いていたことになる。

さらに、図書購入費が充分ではない中、「企業文庫」を創設している(下の写真はその一部)。現在、さまざまな図書館が取り組み始めている「雑誌スポンサー制度」の先駆けのようなものか。豊かな漁港を持つ街には裕福な旦那が多い。そんな旦那たちが、自分らの商売に関連する資料を図書館に寄贈する。そしてそんな仕組みは、現在の図書館にも引き継がれた。たとえば、地元で酒蔵を営む会社は、酒に関する資料を寄贈している。もう閉館してしまった映画館も、芸術に関する資料を寄贈し続けていた。この他にも、遠洋漁業の漁師らが海外で買い付けて来た洋書が図書館に持ち込まれることもある。

気仙沼商会文庫(撮影:岡本真)

気仙沼商会文庫(撮影:岡本真)

あさひ鮨文庫(撮影:岡本真)

あさひ鮨文庫(撮影:岡本真)

角星文庫(撮影:岡本真)

角星文庫(撮影:岡本真)

青顔は、辻潤や稲垣足穂、南方熊楠の研究者でもあった。青顔自身が寄贈した研究資料も多い。館長室には、盟友であった通称「大空詩人」、永井叔(1896~1977)の揮毫が飾られている。彼はバイオリンやマンドリンを奏でて歌い、喜捨を求め、行乞をして生きていた詩人だった。揮毫を元にした石碑は、1961(昭和36)年に気仙沼図書館の前庭に建てられた。

図書館へ行く道をきいている あのおじさんはきっと 好い人にちがいない!

気仙沼と全世界の図書館様へ   大空詩人・永井叔

なんとのびのびと、すっきりとした言葉だろう。図書館まで続く急な坂。その高台は桜の古木に覆われている。その道をのんびりと歩いていく「おじさん」の姿が目に浮かぶ。仙人のような専任館長によってこの図書館は、気仙沼の文化的な蓄え、知への好奇心を提供し続け、世界にも胸を張れる館となっていた。

永井叔の碑(撮影:◯◯)

永井叔の碑(撮影:野原海明)

横に連なる桜のように、縦に伸びゆく鈴懸のように

1968年に建てられた図書館も、ユニークな造りをしていた。小学校と中学校に隣接しており、子どもたちは授業が終わると、そのだだっ広い校庭を駆け抜けて、ランドセル を背負ったまま図書館にやってくる。一般閲覧室と渡り廊下でつながった、円形の建物が子どもたちのための図書館だ。その中にはドーナッツ型の本棚が並び、 多くの物語や知識が詰まっている。この街で育った者にとっては、思い出深い場所なのだ。そんな児童向けの別館も、震災の被害が大きく、使えなくなってしまった。利用の多い本を選び出し、一般閲覧室の片隅に児童コーナーを作ったが、どうしたって狭いし、賑やかに絵本をめくりたい子どもたちと、静かに調べものをしたい大人たちの居場所があまりにも接近してしまっていて使いづらい。

新しく建てられる図書館であり、児童センターでもある建物は、これまでにない複合施設となる。図書館と児童館がひとつの建物の中にあるというケースは、他の自治体でも見られるものだが、気仙沼のこの新しい館の場合は、図書館と児童館がゆるやかに融合している。「ヨコに連なるサクラのように」「タテにのびゆくスズカケノキのように」。建築家が描いたプロポーザルの提案書は、そんな言葉で始められている。坂を埋め尽くしてひろがる桜と、高く天空へ向けて背を伸ばす鈴懸の木。図書館を取り巻く緑をできるだけ残すかたちで、新しい館は建てられる。つながりと成長の象徴のように。

現地調査で気仙沼を訪れた建築家は、ホテルの窓からその高台にあるという図書館の姿を探した。季節は春。咲き誇った桜はたなびく霞のように高台を覆い、その向こうに鈴懸の木のまん丸い頭がぽこんと四つ飛び出している。そのとき、淡い色の霞の中にちらりとのぞき、陽光を反射させてきらりと光る新しい館の姿が、建築家の目にはもう見えていたのだろう。

被災した図書館は惜しまれながらも、2015年4月に閉館した。閉館前日にはお別れ会が開かれ、さよならコンサートも催された。その後、5月の連休明けに、教育委員会の入った中央公民館の小部屋を借りて、21万ほどの資料の中から新刊を中心に約5千冊が選び出され、限られた冊数の中で仮設開館をする。置いてある本は同じものなのに、司書の目で厳選されたことで「こんな本もあったのね」と、新しい発見をしていく人が増えたらしい。

土俵の上に立つ現在の仮設図書館(撮影:野原海明)

2016年1月、仮設の図書館はもう一度場所を移した。今度は、震災後に下水道課が事務室として使っていた公民館の分館へ。こちらはスペースは広いが、部屋の真ん中にはなんと土俵がある。新館ができて最後の引越しを済ませた後に、再び土俵として使えるように、丈夫な基礎を組んで床が貼られ、その上に本棚が運びこまれた。世にも珍しい、土俵の上にある図書館である。ここでの稽古はしばらくできなくなってしまったが、力士会から別の場所に新しい土俵が寄贈された。白鵬関と鶴竜関が清めを行った新しい土俵で、子どもたちは今も稽古を続けている。

実施設計も終わり、古い館から資料が運びだされた。いよいよ取り壊しの作業を迎え、新館の建設が始まろうとしている。長く続いた設計の会議も、これでひとまず収束する。

気仙沼自由芸術派と「福よし」へ

「ご無沙汰しています。久しぶりに気仙沼へ行きますが、呑みませんか?」

気仙沼図書館と本吉図書館の館長へ声をかけた(本吉町は、2009年に気仙沼市に合併されている)。長く続いた会議の後にも、時折一緒に呑みに行くことはあったが、なにしろ気仙沼発の終電が19時台だ。復興商店街のそばにある居酒屋「ぴんぽん」は、料理が早くてお手頃で、しょっちゅう足を運んでいた。カウンター席にはなぜか男性器を象った木彫の彫刻が何体か並び、メニューに並ぶ料理名もどことなく卑猥に(考え過ぎか)感じられるのだが、それも港町のご愛嬌である。しかし、今日は宿も取ったし、館長のおすすめの「福よし」で、贅沢にも海の幸を味わうこととする。南三陸町を経由して、BRT(もともと線路だったところを道路にして走るバス。一般車道も走る)で気仙沼を目指す。おっと、予定よりも遅刻気味。それでは、ごーへー。

「ごーへー」は気仙沼で使われる方言だが、もともとは船乗りの言葉だ。漁師ばかりの港街では、船乗り用語が漁師でない人にとっても方言として定着している。「ごーへー」とは「Go ahead」から来ていると教えてくれたのは、まん丸い眼鏡の気仙沼館長だ。館長が案内してくださった「福よし」は、マンガ『美味しんぼ』にも登場し、日本一焼き魚のうまい店として紹介されている。

福よしのメニュー(撮影:野原海明)

さて、板長の目の前という贅沢なカウンター席でメニューを眺める。単品もあるが、おまかせコースの「今日の魚のいいところをみつくろってお出しいたします 遠方よりの方にはなるべく地元の魚を そしてめずらしい物をと心がけております」という心意気に惚れる。3千円から6千円までの幅があるが、これは品数が変わるわけではなく、供される魚の種類が変わるのだという。せっかくならば、焼き魚の頂点として名高い喜知次(キンキ)をいただきたい。が、しかし、この日は他の座敷で注文が殺到したらしく、売り切れとのこと。おとなしく3千円のコースを選ぶ。

下戸の気仙沼館長の横で申し訳ないが、次から次へと並ぶ海の幸に酒が進むこと進むこと。さばいたばかりのホヤには感動すら覚える。臭みもなく、果実のように、口の中でするんとほどける。目の前では板長が、華麗な包丁さばきで皿から溢れんばかりの刺盛りを用意している。

盛り合わせのお刺身の味は絶品(撮影:野原)

そうこうしているうちに、遅番を終えた本吉の館長もやってきた。聞けば、板長と本吉館長は同級生で、気仙沼館長がその先輩に当たるんだそうだ。包丁の手を止めた板長が、カウンターの奥にあった古い冊子を見せてくださった。それは気仙沼で事業を始めた会社の社長がまとめた社史で、港街のかつての姿をおさめた写真がいくつも載っていた。とりわけ目を引くのは、見開きに掲載された、台風が行くのを待つ日の漁港の写真である。普段なら時間差で沖合に出ていて揃うことのない大小さまざまな漁船が、港街にぎっしりと整列する。その壮観たる様といったら。

「おー、そうそう、嵐が来る日っつったら、こんな具合だったなあ」

気仙沼館長が覗き込んで言う。復興に向かいながらも、港には深い傷跡が残っている。あの日のままに残された廃墟も少なくない。台風は難儀だろうが、賑やかさを取り戻した港で、すべての漁船が一堂に会する様を自分の目で見てみたい。

お名前を出して良いものか迷ったが、まもなく定年を迎え(まったくそんなふうには見えないのだが)、これからよりいっそう創作に打ち込んでいくのであろう本吉の館長について、やはりご紹介しておきたい。本吉図書館長として震災を迎え、2014年度には気仙沼図書館長を務めて、再び本吉に戻られた館長は、千田基嗣(ちだ・もとつぐ)氏という。先出の菅野青顔を「仙人館長」と紹介していたのはこの方である。おやじギャグにならなくて残念だが、彼にそのような愛称を与えるとしたら「詩人館長」か。

若き日から詩誌『霧笛』の同人となり、宮城県詩人会や宮城県芸術協会の会員でもある。これまでに詩集を4冊出版し、自作の詩「半分はもとのまま」で第49回宮城県芸術祭2012年度文芸部門宮城県知事賞、「船」で第15回白鳥省吾優秀賞を受賞している。気仙沼演劇塾「うを座」のスタッフでもあり、時にはバンドのボーカルとしても歌う。菅野青顔と詩人・熊谷龍平の「気仙沼自由芸術協会」の後裔として、「気仙沼自由芸術派」を名乗る館長は、会議でも時折セクシー発言のある陽気でチャーミングなロマンス・グレーだが、その詩はぐっと腹に沈み込むような静けさを湛えている。

そこに異物がある
そこに異物がある
異物になり果てた禍禍しい遺物がある
風景に溶け込むことのない異物がある
かつてはこのまちを養った鉄の塊が居座る

祈れ言祝げ鎮魂せよ
現存する形のある記憶として
手をあわせよ

「船」から一部抜粋
千田基嗣『詩集 湾 III 2011~14』気仙沼自由芸術派、2015、p.26

鹿折地区に打ち上げられた第18共徳丸を歌った詩だ。この詩は、詩集の挿画を手掛ける常山俊明氏のスケッチとともに絵葉書として印刷され、被災後の気仙沼を訪れた人々に手渡された。

2011年の春。鎌倉のぼろアパートで、収束の見えない非日常と無力さを抱えて鬱々として暮らしていたおれも、ある意味では被災者だろうが、惨劇に直面した街の心情を真から理解することはできそうにない。

失われだごど
押し流されだごど
むがし有ったのに
もう無ぐなったもの

記憶を消しだい
のに
思い出して
思い出されで

思い出されでわがんね

「ながったごどのように」から一部抜粋
千田基嗣『詩集 湾 III 2011~14』気仙沼自由芸術派、2015、p.32

「ながったごどのように」月日は過ぎる。しかし、なかったことには決してならない。ただ、あんなことがなければ、おれは気仙沼という街を訪れることなく暮らしていただろうし、千田館長にも、現気仙沼館長にも会えなかっただろう。

鯛のお頭のあら煮を堪能(撮影:野原海明)

「今日はやたら鯛が上がったもんで」

終盤に板長が出してきたのは、一人まるごと一皿の、鯛のお頭のあら煮だった。なんと贅沢な3千円コースなんだろうか。ぷるんぷるんの目玉をつつき、「鯛の鯛」が出てくるまで脂がのった身をいただく。もう立ち上がるのも億劫なほど腹いっぱいだ。

外に出ると、漁火に照らされた海面がゆらゆらと光っていた。また、呑みましょう。次はぜひとも、ご案内させてくださいね。

(つづく)

都市と土着〜「ローカルメディアで〈地域〉を変える」に参加して

2016年8月9日
posted by 藤谷 治

「都会的なもの」と「土着的なもの」の軋轢を、探偵小説の形で書けないだろうかと、あれこれ考えている。

土地に根付いて生きる、というのがどういうことか、僕にはよく判らない。悪い意味での都会人(先祖代々の継承は何もなく、個人主義者なのに洗練されていない)である僕には、故郷と呼べる土地はないし、子供の頃の思い出のつまった土地さえ、実際そこに住まったのは十数年ほどで、現在そこに我が一族の家はない。土着という感覚が、自分の中にない。

「あそこには、何もない」

だが平成になろうが二十一世紀になろうが、土地に根の生えた人間はいるし、その土地からどんなに離れても根を断ち切らない、絶ち切れない、絶ち切るつもりのない人間は少なくない。少なくないどころか、そういう人間の方が僕のような根なし草より、はるかに多いのである。土着というものが理解できなければ、人間は理解できない。土着が肌で感じられないのは僕の小説家としての、根本的な欠陥だ。

しかしだからといって、肌で感じられないものをあたかも感じているかのように(小説上で)振る舞うのは嘘だから、しかたなく僕はそういう自分の目で人間を見ていくしかない。故郷に根のある人々を見て、話を聞く。すると地方から上京した人が、必ずといっていいほど口にする言葉がある。

「あそこには何もない」

僕だって地方を旅したことくらいはあるから、彼らのいわんとすることは理解できる。要するに自分のふるさとには、田んぼと国道とショッピングセンターしかないという意味だ。故郷には仕事も楽しみも刺激もなく、結婚相手も、話相手すらもいない。ふるさとを嫌うわけではないが、あそこでは生きていかれない、もしくは、生きている甲斐がない。そうはっきりいった人に、僕は何人か会った。自分の里については、どんなに罵倒しても構わないという不文律が、土着的な人にはあるらしいのである。

といってそれなら彼らは東京に骨をうずめるつもりなのかというと、どうもそうでもない人がいる。あれもないこれもない、最寄りの本屋に行くには車で四十分かかると、さんざん地元の悪口をいってから、しばらくするとこれまた決まって彼らの口をつくのが、

「いつかは帰るだろう」

というひと言だ。これがにくい。老後に向かって人生は先細っていくに決まっている僕から見ると、帰るところのある彼らは不公平なほど強靭に見える。それはそれで僕の色眼鏡なのだろうけれど。

出身者から「何もない」と描写を回避された土地の側は、ではどうすればいいのか。高齢化と人口減少にさらされて朽ちていくに任せるのか。気力が失われていく土地を、年月をかけて哀しく看取っていくことしかできないのか。

そんなことは決してない、という話を聞く機会を得た。去る7月28日、表参道で行われた連続セミナー「ローカルメディアで〈地域〉を変える」の初回、「持続可能なまちづくりにメディアを活かす」がそれである。

対照的な取り組み〜城崎温泉と嬬恋村

登壇した二人は、ともに地域の活性化に大きな貢献をしている人物だったが、出自も動機も、また取り組んでいる活動も、レクチャーに取り上げられた地域の特色も、きわめて対照的だった。

左から田口幹也さん、小管隆太さん、影山裕樹さん、「マガジン航」編集発行人。

田口幹也氏は兵庫豊岡市の城崎温泉にある「城崎国際アートセンター」の館長である。出身も豊岡だそうだが、東日本大震災が起こるまでは東京にいた(のちに思い出したが僕がやっていた「フィクショネス」という本屋のお客さんでもあった)。帰郷して城崎の良さを改めて感じ、この温泉街を活性化させるべく、自称「おせっかい」を買って出てこんにちに至るのである。昔なじみのよしみで大袈裟にいわせて貰うが、まさに立志伝中の人といってもいいくらいだ。

城崎温泉はすでにして名のある観光地だ。観光資源は充分にある。しかし活かしきっているとはいえない。とりわけ観光協会が標榜している「歴史と文学といで湯のまち」のうち「文学」が充分でない。志賀直哉の「城崎にて」は、日本近代温泉文学の傑作だが、この小品を、なお観光に活用する方法はないか。また「文学のまち」としてなお進展させるにはどうしたらいいか。田口氏は頼もしい協力者とアイディアを得てこれを実践した。

「地産地読」を掲げた地域限定出版プロジェクト「本と温泉」。

「地産地読」を掲げた地域限定出版プロジェクト「本と温泉」。

その詳細は田口氏自身の言葉に譲るが、「本と温泉」だけでなく、肝心のアートセンター創設の経緯を聞いても、かつての箱モノ行政の遺物に悩まされている地方自治にとって、氏の活躍は参考になるのではないか。

一方で小管隆太氏は、群馬県嬬恋村の観光大使だが、出身は川崎で、嬬恋村だけでなく、多くの地方のローカルメディアに関わっている。これだけでも田口氏と、事情はだいぶ違う。

のみならず小菅氏が取り組んでいる嬬恋村には、城崎温泉と違ってこれといった観光資源がない。「目玉のない場所への観光誘致」は、小菅氏の仕事のメイン・テーマであるらしく、各地で実践しているらしい。嬬恋村での成功例を弾丸トークで語り倒す氏の話術は見事なものだった。

群馬県嬬恋村の地域おこしとして「日本愛妻家協会」というプロジェクトが発案された。

群馬県嬬恋村の地域おこしとして「日本愛妻家協会」というプロジェクトが発案された。

数十名の参加者は、文字通り全国各地から集まっていて、職種も地方行政や地方紙の出版、建築やマスコミ、図書館員など、立場も、たずさわっている地域の特色や事情も、それぞれに異なる人々だった。しかしそのいずれもが、自分の取り組んでいる課題に対して、少なからぬヒントを得られたのではないだろうか。講演後の分科会は、時間が足りないほど対話が白熱した。

「土着的なもの」がすこやかに進化しているとは思わない。むしろ問題山積だろう(そこに探偵小説の入りこむスキもあるわけである)。進化を阻むものも「土着的なもの」は含んでいる。しかしそれでもなお、地方の可能性を追求する新しい人たちの苦闘に挑戦する姿が、僕にはなんだか、うらやましいような気さえした。

* * *

閉会後に登壇者と主催者を中心に、表参道で打ち上げ会をすることになった。いまも東京に戻ると田口さんがよく使うという、安くて雰囲気のいい居酒屋に入った。

じつは表参道は、僕の生まれたところなのである。記憶もなければ思い入れもない。ましてや「老後はここに帰りたい」などと、感慨を込めて振り返れるような場所ではない。もとより馴染みの居酒屋など一軒もない。

それでもここへ来るたびに、僕はこっそり、あの交差点を少し入ったら、もしかしたら今も両親が新婚時代に暮らしたアパートが……、などと一瞬、思ってしまうのだ。そんなものが今の表参道に、あるわけがないのは判っているけれど。


【お知らせ】

この記事でレポートされている連続セミナー「ローカルメディアで〈地域〉を変える」の第3回を、2017年2月13日に東京・表参道で下記の要領にて開催いたします。ふるってご参加ください。

ローカルメディアで〈地域〉を変える【第3回/最終回】
「メディア+場」が地域を変える:瀬戸内、近江八幡、鎌倉の事例から

日時:2017年2月13日(月)14:00-18:00(開場は13:30)
会場:devcafe@INFOCITY
渋谷区神宮前5-52-2 青山オーバルビル16F
http://devcafe.org/access/
(最寄り駅:東京メトロ・表参道駅)
定員:30名
受講料:8,000円(交流会込み)

講師:

・磯田周佑(小豆島ヘルシーランド(株)マネージャー/MeiPAM代表 /(株)瀬戸内人会長)
・田中朝子(たねやグループ社会部広報室室長)
・ミネシンゴ(編集者・合同会社アタシ社代表)※講師のプロフィールなど詳しい情報と前売り券はこちらから。
http://peatix.com/event/223768/view

ローカルメディアで〈地域〉を変える【第2回】を開講します。

2016年8月8日
posted by 「マガジン航」編集部

不特定多数のマスマーケットに向けた中央発信型のメディアが機能しなくなりつつある一方で、地域やコミュニティに根ざした”ローカルメディア”が各 地で活況を呈しています。こうしたローカルメディアはたんにコンテンツが魅力的であるだけでなく、その存在が新たな人の交流や、新しい地域ビジネスを生み つつあります。

「マガジン航」ではこうした動きに積極的にかかわる人を支援・育成するため、連続セミナー「ローカルメディアで〈地域〉を変える」を2016年7月より全3回の予定で開催します。


ローカルメディアで〈地域〉を変える(全3回)

《本セミナーのポイント》
・ローカルメディアが「問題解決のツール」であることを知る。
・メディアをつくることで、コミュニティのアイデンティティを強化する。
・地域文化を醸成し、東京中心の文化のあり方を相対化する。
・成功例から得られる教訓・方法論を共有し、「教材化」する。

《本セミナーに参加していただきたい方》
・地方自治体の首長、まちづくり事業担当職員
・地域に根ざした中小企業の経営者、広報担当者
・まちおこしや地域活性化、地域ブランディングにかかわる実務者
・ローカルメディアの制作・編集にかかわる実務者

このセミナーでは日本各地でローカルメディアの実践に関わる方を講師に迎え、テーマごとに具体的な方法論をうかがいます。全三回を通して受講いただくことで、ローカルメディアを運営する上でのノウハウが学べます。モデレーターは『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)の著者・影山裕樹と「マガジン航」編集発行人の仲俣暁生がつとめます。

今回開催するのは、この連続セミナーの第二回です。

第二回「メディアが地域にビジネスを産み出す」

今回のセミナーでは、『東北食べる通信』をはじめとする各地の特産の食べ物と情報誌を組み合わせたメディア、「食べる通信」の全国展開をてがける一般社団法人 日本食べる通信リーグのゼネラルマネージャー江守敦史氏と、地域ニュースメディアの草分け「みんなの経済新聞ネットワーク」のなかでも最初期に立ち上げられた「ヨコハマ経済新聞」編集長の杉浦裕樹氏を講師にお迎えします。

日時:9月9日(金)14:00-18:00(開場は13:30)
会場:devcafe@INFOCITY
渋谷区神宮前5-52-2 青山オーバルビル16F
http://devcafe.org/access/
(最寄り駅:東京メトロ・表参道駅)
定員:40名
受講料:8,000円(分科会・交流会への参加費込み)

【前売り券のお申し込みはpeatixにて】
http://peatix.com/event/187998/view


講師:

・江守敦史氏(一般社団法人日本食べる通信リーグ ゼネラルマネージャー)
・杉浦裕樹氏(NPO法人横浜コミニティデザイン・ラボ代表理事、「ヨコハマ経済新聞」編集長

《当日のタイムテーブル》
◎各登壇者による講演(各45分)
14:15〜15:00 江守敦史さん講演
15:05〜15:50 杉浦裕樹さん講演
15:50〜16:20 モデレーターを交えたディスカッション
(休憩)

◎分科会〜交流会
16:30〜17:15 分科会
17:15〜18:00 交流会

◎登壇者プロフィール

emori
江守敦史(えもり・あつし)

1972年、兵庫県西宮市生まれ、宝塚市育ち。首都圏在住。阪神淡路大震災後の96年に上京し、リクルート、アスキー、メディアファクトリーを経てKADOKAWAで編集長を務める。編集者としてのキャリアは雑誌9年、書籍10年。旅や食、新書、写真集、実用書など編集した本は百数十冊以上。仕事を通して様々な地域を巡るなか、その現状を目の当たりにし、そこに自身の「編集力」を生かしたく2015年4月退職。一般社団法人日本食べる通信リーグのゼネラルマネージャーとして、食べもの付き情報誌「食べる通信」を全国に広める活動を行っている。

「日本食べる通信リーグ」

「日本食べる通信リーグ」

「東北食べる通信」

「東北食べる通信」


杉浦裕樹(すぎうら・ひろき)
NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ代表理事、「ヨコハマ経済新聞」編集長。 学習院大学理学部を卒業後、音楽・ダンス・演劇やイベントの舞台監督を務める。2003年にICTを活用してまちづくりに取り組むNPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボを設立し、2004年にWebメディア「ヨコハマ経済新聞」を創刊。2011年にシェアオフィス「さくらWORKS<関内>」、2013年に市民ものづくり工房「ファブラボ関内」、2014年にメディア・データ可視化・スキルマッチング・クラウドファンディング機能を備える参加型WEBプラットフォーム「LOCAL GOOD YOKOHAMA」の運営を始めた。

「ヨコハマ経済新聞」

「ヨコハマ経済新聞」

「LOCAL GOOD YOKOHAMA」

「LOCAL GOOD YOKOHAMA」

◎モデレーター・プロフィール

5508

影山裕樹(かげやま・ゆうき)
1982年生まれ。編集者、プランニング・エディター。「スタジオボイス」、フィルムアート社編集部などを経て独立。アート/カルチャー書のプロデュース・編集、ウェブサイトや広報誌の編集のほか、各地の芸術祭やアートプロジェクトに編集者/ディレクターとして関わる。著書に『大人が作る秘密基地』(DU BOOKS)、『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)。「NPO法人 芸術公社」メンバー。「マガジン航」にて「ローカルメディアというフロンティアへ」を連載中。

reboot

仲俣暁生(なかまたあきお)
1964年生まれ。編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。

第三回目のセミナーは以下のテーマを予定しています。
■第三回 テーマ「地域に根ざした中小企業のメディアづくり」
(登壇者は決定次第、お知らせいたします)

なお、初回は以下の要領ですでに開催いたしました。

第一回「持続可能なまちづくりにメディアを活かす」
/2016/06/21/local-media-seminar-01/


※このセミナーは「マガジン航」が新たにはじめる、次世代メディアのあり方を探るための実践的な取り組み、通称「メディア塾」の第一弾です。

media-seminar

巨大プラットフォームから遠く離れて

2016年8月1日
posted by 仲俣暁生

インプレス総合研究所が7月28日に『電子書籍ビジネス報告書2016』を発売し、2015年の電子書籍市場の様相が明らかとなった。4月に刊行された出版科学研究所の『2016年版 出版指標年報』も昨年の電子書籍市場の概要を伝えているが、過去の統計データとの連続性を鑑みると『電子書籍ビジネス報告書』の存在意義はいまなお大きい。そこで、今月はまず、この数字をみるところから話をはじめたい。

同報告書によると、2015年の「電子書籍」の市場規模は前年比25.1%増の1,584億円(出版科学研究所では同年の電子出版市場規模を1,502億円と推計している)。「電子雑誌」の市場規模は前年より大きく伸びて66.9%増の242億円で、両者をあわせた電子出版市場は1,826億円だった。

もっとも、電子書籍市場の大半(81%)を占めるのは引き続きマンガ(コミック)であり、前年度から254億円増加の1,277億円。それ以外の「文芸・実用書・写真集等」は、65億円増加の308億円にとどまった。全体として市場は順調に伸びているものの、マンガ以外の書籍に限れば、2015年の書籍市場規模7419億円(出版科学研究所による)に対し、4.15%に過ぎないことになる。

ちなみに『2016年版 出版指標年報」では、2015年の紙のマンガ市場(単行本のみ)は2,120億円、同年の電子コミック市場を1,149億円と推計していた。『電子書籍ビジネス報告書』が示している1,277億円という数字もこの推計を裏付けるものだ。紙の出版統計では「コミックス(マンガ単行本)」は基本的に「雑誌」扱いとされてきたため、「電子化されたコミックス」を「電子書籍」と呼ぶべきかどうかについて議論はわかれるかもしれない。だが、それをどのように呼ぶにせよ、「電子化されたマンガ」はすでに定着しているどころか、無料で読める各種のオンラインコミックスを含めれば、読書体験の本流になりつつある。

以上を要約するなら、「電子書籍は普及しているか」という問いへの答えは、マンガを含めた本全体でみれば「かなり普及している」となり、活字本を読書の中心とする読者からは「まだまだ普及していない」ということになる。英米でのe-bookの普及が紙質の悪いペーパーバックや、読み捨てのロマンス小説から始まったことを考えれば、日本での電子書籍市場の形成がマンガからはじまったことに不思議はない。問題は、この先である。

日本でも「キンドル・アンリミテッド」がスタート?

7月のもう一つの大きな話題は、アマゾンが日本でも電子書籍の読み放題サービス、キンドル・アンリミテッドをこの8月に開始するのではないか、という噂だった。これは6月27日付の「文化通信」が「複数出版社への取材」にもとづいて記事にしたことで広まった。この記事によると、日本での同サービスの開始時期は8月の初旬と予想され(8月1日時点では日本のアマゾンは正式のプレスリリースを出していない)、月額は980円。すでに2014年にアメリカでAmazon.comが開始している同サービスは月額9.99ドルなので、ほぼ同価格に揃えたことになる。

Amazon.comですでに開始されているKindle Unlimitedのサイトより。

Amazon.comですでに開始されているKindle Unlimitedのサイトより。

ところで、ちょうど2年前にアメリカで「キンドル・アンリミテッド」が開始されたときに、「マガジン航」では大原ケイさんにこのような解説記事を書いていただいたことがある。

/2014/07/30/kindle-unlimited/

日本からはアメリカの「Kindle Unlimited」にアクセスできないので現時点での状況は未確認だが、2年前のアメリカでのサービス開始段階で、大原さんは次のように書いている。

いまのところ、キンドル・アンリミテッドが提供する60万タイトルのうち、50万タイトルは「KDPセレクト」のものだ。これはKDPの自己出版か、アマゾン出版によるEブックで、いわゆるアマゾンがすでに自ら構築したコンテンツで成り立ったエコシステムということができるだろう。

日本の場合、自己出版の広がりは現時点ではアメリカほどではなく、また「アマゾン出版」も存在していない。そのため、日本でははたしてどの程度の規模でこのサービスをスタートするのか、現時点ではまったく想像がつかない。

ところで大原さんは先の記事で、続けてこのようにも書いている。

キンドル・アンリミテッドはいろいろな本を「読み散らす」のが好きな人にとっては価値のあるサービスだろう。ただし、それは今まで以上に「どの本をどこまで読んでいるか」といった読書パターン=個人情報をアマゾンに明け渡す、という条件付きなわけだが。

本を「読み散らす」のはけっして悪いことでも恥ずかしいことでもないが、安価でこのサービスを受けるかわりに、当然ながら読者は自らの個人情報をアマゾンに提供することになる。また出版社の側も、これまでの紙の出版物においても稼ぎ頭だった「読み散らす」タイプの本にまつわるビジネス戦略を、電子書籍向けに組み立てなおさなければならなくなる。

読書体験として「読み散らす」パターンが多い(もちろん、これは作品の質の良し悪しとは関係ない)ジャンルはマンガであり、エンターテイメントの小説であり、出版形態とすれば雑誌もそうだろう。紙を中心とした日本の出版ビジネスにおいて、これらはいずれも収益の大きな柱となってきたジャンルであり、この分野で「電子化」と「読み放題」の組み合わせが確立・定着していくと、アマゾンのようなすでに寡占的になりつつあるプラットフォームが、さらに大きな力をもつのは必至である。

自己出版の独立プラットフォームへ?〜「月刊群雛」の休刊

先に触れた大原ケイさんの記事にもあるとおり、アメリカの電子書籍ビジネスにおいて、「自己出版(セルフ・パブリッシング)」の存在感は無視できないほど大きい。また日本でも、草創期から電子書籍の普及を牽引してきたのは、「電子書籍で本を早く、安く、簡単に読みたい」というニーズをもつ読者よりも、「電子書籍で本を早く、安く、簡単に出版したい」と願う、アマチュア作者たちだったといってもいい。

日本独立作家同盟は、電子書籍をもちいて自己出版を行う作家たちの互助組織として2013年に創立され、2015年に特定非営利活動法人(NPO法人)化された(私も理事を務めている)。その活動の大きな柱の一つとして、2014年1月からは「月刊群雛」という電子雑誌を毎月刊行しつづけてきた。

「月刊群雛」の休刊を発表した「群雛ポータル」の記事。

「月刊群雛」の休刊が発表された「群雛ポータル」の記事。

日本独立作家同盟はこの「月刊群雛」を、2016年08月号をもって休刊することに決定した。この決定を伝えた7月21日付の「『月刊群雛』休刊のお知らせ」(群雛ポータル)という記事で、理事長の鷹野凌さんはその理由を次のように説明している。

「インディーズ出版」を盛り上げる目的のために、取り得る手段は電子雑誌というパッケージ に限りません。そして、KADOKAWAの「カクヨム」が誕生するなど、自らの手で作品発表する「場」と機会は広がり続けています。

『月刊 群雛』を休刊する代わりに何をするか? 私たちは「マガジン」を刊行する「出版社」というより、インディーズ作家、そしてそれを支えて可能性を広げていくみなさまの活動を支援する「場」=「プ ラットフォーム」であるべきだと考えました。そして、正会員のみなさまにはもっと交流や情報交換を超えた実質的なメリットがあるようにし、特定非営利活動 法人として事業の拡大を図り、インディーズ出版をもっと盛り上げる「場」へとステップアップを図っていきたいと思います。

ここでいう「プラットフォーム」とは、アマゾンやグーグル、アップルやフェイスブックといった、グローバルな巨大プラットフォームのことではなく、ここでも名を挙げられている「カクヨム」をはじめ、「小説家になろう」「エブリスタ」なども念頭に置いた書き手と読者の共同体、いわば「独立系プラットフォーム」とでもいうべきものだろう。あえて「雑誌(マガジン)」ではなく、ウェブにより即した生態系として「プラットフォーム」という表現を使わざるを得ないところに、電子出版をめぐる本質的な難しさがある。つまり、そもそもこれは「出版」なのだろうか?という問いである。

「電子書籍」あるいは「電子出版」という夢が語られてから、もう四半世紀近い歳月が経っている。その間に電子ネットワーク環境は爆発的に普及し、制作・発行・流通コストは劇的に下がった。変わらないのは、作品を生み出すまでの才能や努力の部分であり、「発表した作品が見いだされる」確率に至っては、どちらに変化したのかまだよくわからない。

まつもとあつしさんが「マンナビ」を取材した記事でも触れられているとおり、マンガであれ小説であれ、従来の雑誌などが主催する「新人賞」やその他の登竜門を経てのデビューと、ネットという生態系のなかでのデビューという、二つの大きなルートが現在は混在している。新人賞の権威付けも、小説であればいまなお芥川賞・直木賞が一定の力をもっているが、「アマゾンで◯位」という宣伝文句が一時期、紙の本の出版広告で用いられたように、プラットフォームがマーケティングにおいて付与する力が、今後はますます強くなるだろう。

そうした時代に、巨大プラットフォームから離れたところでオルタナティブな出版の生態系を創りだすことは可能なのか? そもそも、そのような生態系に意味はあるのか? 「月刊群雛」の休刊と「プラットフォーム」への転身は、そのような問いをどうしても抱かせるものだ。

「ローカルメディア」というオルタナティブな生態系

実は、「マガジン航」がローカルメディアという、デジタルとはあまり関係のなさそうな分野に注目しているのも、この問いを深いところで考えたいからだ。従来の出版流通システムに負ってきた出版社の多くは、それをある分野で代替しつつあるアマゾンを筆頭とする、ネット上の巨大プラットフォームとの関係を断ち切ることはむずかしい。彼らとなんとか折り合いをつけつつ、新しい出版ビジネスを組み立てなければならない。

巨大プラットフォームの外側にオルタナティブな出版の生態系が確保されるとしたら――それを「ローカルメディア」と呼ぶかどうかは別として――地域なりその他の条件によって生み出された、自立性をもったコミュニティに根ざしたものであるはずだ。私にとっての「ローカルメディア」への関心はそこにある。

おかげさまで7月28日に開催した「ローカルメディアで〈地域〉を変える」の第一回は盛況のうちに終わり、9月9日には第二回を開催することがすでに決まっている。

「ローカルメディアが〈地域〉を変える」第2回は9月9日に開催が決定。

「ローカルメディアが〈地域〉を変える」第2回は9月9日に開催が決定。

ローカルメディアで〈地域〉を変える【第2回】
「メディアが地域にビジネスを産み出す」
http://peatix.com/event/187998/view

巨大プラットフォームの存在を否定するわけでも、単純に批判するわけでもないが、それだけでは十分ではないということを示すためにも、さまざまな「ローカルメディア」に対して「マガジン航」は今後も注目していきたい。ぜひ、上記のセミナーをはじめ、今後の活動にご注目ください。