「読む」「書く」「編む」の未来

2017年1月4日
posted by 仲俣暁生

新年あけましておめでとうございます。おかげさまで「マガジン航」は今年で創刊から8年目を迎えます。本の未来を模索するささやかなメディアをここまで長く続けられたのも、寄稿者および読者の皆様のおかげです。あらためてこの場を借りて御礼申し上げます。

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この年末年始に読んだ本で印象深かったのは、町本会や『本屋図鑑』などの仕事で知られる空犬太郎さんが、東京創元社の編集者として長く活躍された戸川安宣さんの個人史をオーラル・ヒストリーとして聞き取りまとめた『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会刊)でした。1947年生まれの戸川さんが幼少時からの読書史を語った「読む」の章、1970年に東京創元社に入社して以後の編集者人生が語られる「編む」の章、そして吉祥寺にあったミステリ専門書店「TRICK + TRAP(トリック・トラップ)」に関わった日々を綴った「売る」の章、それぞれ読み応えがあり、思わず自分自身の読書史・編集者人生(どちらも逆立ちしても敵わないほど貧しいですが…)を振り返ってしまいました。

読者共同体が作家を生み出す

戸川安宣さんの功績は、なんといっても日本の推理小説の世界に、宮部みゆきや北村薫、有栖川有栖といった新しい風を吹き込んだことでしょう。彼が世に出した作家の多くの愛読者だった私にとって、『ぼくのミステリ・クロニクル』の「編む」の章における仕事リストは、そのまま自分の読書史と重なります。その意味で私は、この本のもっとも幸福な読者の一人かもしれません。

『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)は東京創元社の編集者として長く活躍した戸川安宣さんのオーラル・ヒストリーを空犬太郎さんがまとめたもので、戦後出版史の秘話が数多く語られる。「ミステリ」とあえて音引きをつけない表記にもこだわりが。

東京創元社は、はじめから推理小説(ミステリ)やSFの専門出版社だったわけではありません。本書によれば、小林秀雄が編集顧問を務めていた大阪の版元・創元社の東京支社が戦後に同名別会社となり、同社倒産後に「東京創元社」として再生しました。海外ミステリを含む古典の全集や叢書の出版に力を入れたものの、間もなく二度目の倒産。その後、現在のような国内外のミステリやSFに軸足を置く出版社へと変わっていったといいます。全集出版で培ったバックカタログを文庫に再利用しつつ、海外ミステリーの良書を翻訳していく同社のラインナップに、良質な国産ミステリを加えていくことが戸川さんのライフワークとなりました。

編集者として本と関わってきた1970年から2015年までの45年間に「出版界は大きな変革に見舞われました」と戸川さんは述べています。その「変革」は多岐にわたりますが、それらを俯瞰的に業界動向として語るのではなく、個別の出版企画の成り立ちやディテールを通して語るという態度が本書では一貫しています(聞き手である空犬太郎さんの功績も大きいと思われます)。おかげで「あの企画はこういう節目で生まれたのか、この出来事にはこうした背景があったのか」と膝を打つことしきりでした。

ところで、いまこの本が読まれることに意味があるのは、たんに出版産業が(あるいはミステリ業界が)好況だった「黄金時代」をノスタルジックに懐かしむためではありません。もちろん往時と現在を比べると、出版業界の苦境はあきらかですが、私はむしろこの本から未来に向けたメッセージを読み取りました。

戸川さんがすぐれた新進作家を幾人も手がけることができたのは、彼が入社する前後から全国の大学に生まれはじめていたミステリ研究会や、伝説の雑誌『幻影城』周辺をはじめとする、作家予備軍を含むファンコミュニティ、つまり読者共同体とのつながりがあったからだということが、この本を読むとよくわかります。1990年代の国産ミステリーの充実を支えたのはこの時代の「強者(ツワモノ)読者」であり、昼間の顔は「学校の先生」だったり「会社員」だったり「書店員」だったりする市井の人々の中から、次々に優れた作家が生まれてきたのです。

彼ら彼女らの登場を促したのは、「もっと面白い(日本人による)ミステリが読みたい」という読者共同体の欲求です。その期待に応えうる力量をもった作家が相次いで誕生し得たのは、ファンコミュニティにそれだけの分厚い人材の層があったからです。その厚みを生んだのは、戦前から戦後にかけて長い時間をかけて形成されてきたジャンルとしての「探偵小説/推理小説/ミステリ」の力であり、それを支えてきた出版社や書店(ここには貸本屋も含まれるべきかもしれません)、図書館といった一時的ではない、持続する社会のしくみの力でしょう。

インターネットの普及以後、読者共同体は可視化しやすくなったともいえれば、かつての雑誌のような核を失い拡散してしまったともいえます。いずれにせよ、読者の分厚い層がなければ、次代の書き手は生まれません。逆にいえば、読者さえ枯渇しなければ、そこから必ず、新たな才能は生まれてくるはず。そのためにいま、私たちは何をすべきか――そんな問いかけを、私は本書から受け止めたのです。

「読む」「書く」の循環を生み出す場はどこに

この本の最終章である「売る」の意味も、そう考えると、違った角度から読み取ることができそうです。この章のおもな話題は、2003年から2007年まで東京・吉祥寺にあったミステリ専門書店「TRICK + TRAP」をめぐる逸話ですが、この店の開業から閉店までの顛末を経営面からのみとらえても、あまり意味があることだとは思えません。理想主義的すぎたジャンル専門書店の挫折の例にとどまらない、このエピソードのもつ意味はなんでしょうか。

この章は、書店という「場」をつかったイベント開催の話題から、さらに大学や図書館といった「場」の話につながっていきます。戸川さんは、深い交流のあった推理作家の故・鮎川哲也氏が所蔵していたSPレコードのコレクションが寄贈されている野村胡堂・あらえびす記念館のある岩手県紫波町を訪れた際、新しい町立図書館の存在を知ります。最近、猪谷千香さんによるすぐれたルポルタージュ『町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト』(幻冬舎)で紹介された紫波町図書館です。館長や「熱心な北村薫ファンである」司書の方との出会いを経て、図書館ホールでの100人を超えるお客さんを集めたミステリー作家を招聘したトークイベントの開催に至る、というエピソードが本書の最後に添えられています。

この逸話が本書の最後に置かれている意味はなんだろう、と考えました。それは本書の冒頭で語られていた、戸川さん自身の子ども時代の読書経験のような幸せな体験を、いかにして次代の子どもたちにも繋げていくか、ということではないでしょうか。本を「編む」ことをめぐる面白いエピソードの数々を中心に置いた本書は、その前後に置かれた二つの比較的短い章によって、ぐるりとめぐって、ひとつの円環をなしているように思えます。

「読む」ことは「書く」ことに繋がり、「読む」ことは「編む」ことにも繋がる。「編む」人も「書く」人も、かつては「読む」人だった。その循環が起きるための場所をつくり、維持し、人を育てていくことがもっとも重要である――私が『ぼくのミステリ・クロニクル』という本から受け止めたいちばん大きなメッセージはこれです。

「マガジン航」もまた、本の未来――つまり「読む」「書く」「編む」の未来と、コミュニティや「場」とを結びつけて考え、人を育て、行動するメディアでありたいと願っています。昨年来、電子書籍や出版業界の動向をめぐる話題にとどまらず、ローカルメディアや地方の図書館をテーマにした連載をはじめたり(「地方の図書館とその夜」「ローカルメディアというフロンティアへ」)、連続セミナー「ローカルメディアで〈地域〉を変える」を企画しているのも、メディアとしての役割をそのように再定義したいと考えたからです。

場をつくり、人を集め、そこから知恵を出し、世の中を変える。「マガジン航」は今年も、そのための小さな船=メディアでありつづけます。

第5回 紙やウェブに捉われない新しいメディアのかたち

2016年12月26日
posted by 影山裕樹

YCAMで開催されたローカルメディアWS

RADLOCAL 2の風景(提供:山口情報芸術センター)

先日、山口情報芸術センター(以下、YCAM)の企画で、同施設にて「RADLOCAL 2」という3泊4日の集中ワークショップが開催された。テーマは「データマイニング×ローカルメディア」。日常の様々なデータ(身体のデータ、環境のデータ)をセンシングして、そこから見えてきた知見をローカルメディアに落とし込むという企画だ。

YCAMはこれまで、子供向けの遊び場「コロガルパビリオン」を始めとして、テクノロジーを用いたアート作品やプログラムを多数展開し国際的に注目を浴びてきたが、近年のYCAMは、瀬戸内国際芸術祭で発表された「Creator in Residence 「ei」」での取り組みのように、インターネットやデバイスのテクノロジーのみならずバイオテクノロジーに着目したり、YCAMが根ざす山口市周辺地域へのアウトリーチ活動など、施設内の技術者のリソースをこれまでとは違うフィールドへ活かそうと様々なプログラムを模索・展開している。

そんななか、僕が講師として参加した「RADLOCAL 2」はまさに地域へのアウトリーチを目指したプログラム。正直、テクノロジーとは無縁だった僕にとって、どことなく場違いな感覚があった。だが、ビッグデータやセンシングツールを用いることで、紙やウェブにとらわれない新しいローカルメディアのアイデアが生まれることを期待してもいた。

ワークショップはまず、YCAMのスタッフによるプレゼンと、ソフトウェアエンジニアの山田興生さんによるプログラミングの授業から始まった。その後、デザイン・リサーチャーの水野大二郎さんがワークショップのメソッドを語り、僕がひととおりローカルメディアの様々なバリエーションを紹介した。そして、残りの時間で受講生がひたすらローカルメディアのプランを練り上げ、それぞれ発表した。

紙やウェブに限らないメディアの捉え方

ワークショップでは3チームずつ計6チームで、YCAM近辺の山口市中心商店街と湯田温泉に分かれて、それぞれの地域で「どんなデータが取れるか」を探るフィールドワークを行なった。雑踏の音、お店の会話、気温などの環境データから、人の体温などの身体データまで様々なデータを検証し、そこから得られる情報を持ってどんなメディアを作るかを、昼夜問わず行われたディスカッションを通して、最終的に1チーム15分のプレゼン資料にまとめ上げた。

ここで焦点となったのは、「ローカルメディア」という概念の捉え方だった。メディアというだけで、人はどうしても紙メディア(フリーペーパー、雑誌)やウェブメディアを想像しがちだ。しかし、ローカルメディアが最大の効果を発揮するのは、作り手から受け手に向けて、情報が一方的に届けられる時ではなく、受け手と発信者が相互にコミュニケーションを始める瞬間だ。そう考えれば、紙やウェブでの発表という先入観を超えて、いかに”つながるためのメディア”を作るかという視点が生まれる。

例えば、湯田温泉チームが発表した「かべぽ」というプランでは、地元の人へのヒアリングの段階で、湯田温泉に引かれている温泉の泉源が余っているという話を聞いた(地域課題の発見)。その泉源を再利用する方法はないか。目を付けたのは温泉街の様々なところにある足湯(地域資源の発見)。ここまで聞くと着眼点はありきたりだが、彼らのプランがユニークだったのは、泉源から引かれるお湯を管に通して、まちじゅうに設置された(と仮定した)壁を温めるということ。

湯田温泉街にある壁の一例。壁に寄りかかって待ち合わせをしたり。(撮影:髙橋茉莉)

その壁は暖かいので、近所の猫が集まってきたり、あるいは寒さをしのげるので待ち合わせに最適だ。靴と靴下を脱がないといけない足湯の煩わしさを排除できるのと同時に、まちの風景を変え、新しい観光資源を生み出すことができる。そこで取れる会話や熱量をセンシングすれば、地域内の人の移動経路を可視化することも可能だ。

他にも湯田温泉チームからは、足湯をモバイル化して持ち歩く「たためる足湯」、人感センサーを用い、スナックが多い裏通りに観光客が来るとライトが光る「夜のオレンジ計画」、山口市中心商店街チームからは、夜のシャッター商店街をテクノロジーを使ったスポーツイベントのために開く「夜の運動会」、いたるところに置いてある休憩用ベンチに2人以上の人が座るとサプライズイベントが起こる「で会いましょうベンチ」などのプランが発表された。

“壁”という“面”をメディアにする

グループワークの様子(撮影:萱野孝幸 提供:山口情報芸術センター)

これらのプランが一体なぜ「ローカルメディア」なのか? という向きもあるだろう。しかし、ローカルメディアとは、これまで語ってきたように、まるで井戸端会議のように、人と人との交流や会話を生み出す“場”そのものだ、という考え方がある。そしてメディアとは、普段異なるクラスタに属する人々を集わせる“面”として機能すべきものだ。「かべぽ」はまさに“壁”という“面”であると同時に、タイトル自体が親しみやすく、プランの本質を言い当てていて分かりやすい。さらに、年代やコミュニティにとらわれず、観光客や地元の人にも分け隔てなく利用されうる動機(寒さの回避という普遍的な欲求)を備えている。そういう意味でこれは紛れもなく地域の人と人をつなぐ「ローカルメディア」と呼んでいいと思う(ちなみに、「壁に寄りかかって集う」というアイデアはエルサレムにある「嘆きの壁」から着想したそうだ)。

さいたまの浦和で始めた「裏輪呑み」。

僕は最近、「途中でやめる」という服のデザイナーの山下陽光と、アーティストで写真家の下道基行とともに「新しい骨董」というユニットを始めたのだが、そのなかで、100円ショップで売っている300円の強力マグネット付きのカゴを裏返して、まちなかの金属に貼り付ければ、あっという間に立ち飲み屋になる「裏輪呑み」という活動を行なっている。このカゴを脇に抱えてまちを歩くと、まるでスケーターが路上の起伏を見るように、金属が貼れる壁を探している自分に気づく。シャッターや電柱、工事現場の白い衝立やトラックの荷台……お酒が売っている自動販売機に貼り付ければエンドレスにビールが飲める。シャッター商店街でやればまちが活気付く。そうやって想像しているうちに、まちの見え方が180度変わっていることに気づいた。

この裏輪呑みの活動をブログで紹介すると、関西を起点に全国各地で真似する人が現れ始めた。心斎橋のアップルストア前や、京都の河原町のど真ん中で、大勢で裏輪呑みをしている人々の様子をツイッターなどで見るにつけ、裏輪呑みもローカルメディアなんじゃないか、と思うようになっていた。ネットニュースにも取り上げられ、見ず知らずの参加者が、「誰のものでもない場所を誰のものでもある場所にする、裏輪呑みの真髄を体験できた」ともっともらしいことを語ってくれている。

路上の立ち飲み実践・裏輪呑みも「ローカルメディア」である

信号待ちしながら呑んでみる。

裏輪呑みをしていると、近くを通るサラリーマンや外国人が寄ってきて、会話が生まれる。普段関わらない人と新しい関係を結ぶツールになっている。それだけではなく、様々な地域で裏輪呑みを行うと、そのまちの特徴がおぼろげながら見えてくる。田舎の田んぼのど真ん中でやっても人は集まらない。都会でやったほうがいいだろう、とか。東京や埼玉の都市部で行うと警察が寄ってきたり、白い目で見られたりする。一方、関西は都市部においても相対的にやりやすい。よくよく大阪のまちを注目していると、コンビニでお酒を買ったサラリーマンが、脇にたまって呑んでいる風景にちらほらと出会う。「路上が自分たちのものである」という感覚が東京に比べて未だに強いのかもしれない。

買い物や仕事のため効率的に移動するのではなく、その場に止まってお酒を呑むので、ジェントリフィケーションや再開発という都市の欲望みたいなものから一歩引いた目でまちを眺めることができる。東北食べる通信の編集長・高橋博之さんが、食材付き雑誌「食べる通信」の仕組みについて、あらゆる地域に落とし込みやすい“にがり”のようなものだ、と言っていたことを思い出す。その言葉を証明するように、現在、日本各地で37の食べる通信が創刊・運営されている。同様に100円ショップはどこにでもあるし、持ち歩くのも容易い。だから裏輪呑みも、自分たちだけの“遊び”ではなく、汎用性のある遊び=“にがりとしてのメディア”になりうると思っている。

メディアのテクノロジーが民主化し、新しいアイデアが生まれる可能性

地方での一人出版社や、メディア企業やクリエイティブ産業に従事していた若い世代のUターン・Iターン、地元企業によるユニークな自社メディアの誕生が、地域メディアの“今”を支えている。都市と地方によって確実に格差のあった出版・メディア産業とそのテクノロジーが民主化し、広がりつつある風景に僕らは立ち会っている。インターネットの登場によって誰もが同じ情報にアクセスできる時代が生まれた。印刷やDTPなどのテクノロジーも安価に、手軽に使えるようになった。だから、都市と地方のメディア産業の従事者の格差を縮めることが、これからのメディアのフロンティアになる(しかしそれは昨今話題になっている、キュレーションメディアによるライター業の民主化とは違うだろう)。

ただ一方で、出来上がったもののクオリティではなく、人と人がつながるプロセス、メディアを通してまちが劇的に変わったエピソードなどは、東京に集まってくる「話題のローカルメディア」を手にとっているだけでは見えてこない。大衆や不特定多数の読者のために生み出されるメディアと違って、ローカルメディアは限られた顔の見える人たちとつながるために作られているからだ。デザインがいまいちかもしれない。有名人ではなく、そのへんにいるおじさんが原稿を書いているだけかもしれない。でも、ローカルメディアの受け手にとっては、有名作家が語るよりもそのへんのおじさんが語るまちのほうにリアリティがあるかもしれない。

いわゆる「良い雑誌を作ろう」という業界のサーキットに始めから乗ってないローカルメディアの価値に気づき始めると、今度は紙やウェブといった従来のメディアのフォーマットを疑うことができる。日本中の地方自治体が毎月予算をつぎ込んでいる広報誌の多くは、当然このメディア産業の枠組みを縮小再生産しているにすぎないだろう。

こういうときこそ、金脈を探り当てるように、メディアの本質的な意義に光を当て、新しいアイデアを生み出していってみてはどうだろうか。そのためには、よそ者と地元の人が膝を付き合わせて、人的資源や地域資源を発掘しながら、常識のベールを一枚づつ剥ぎ取っていく機会を各地で設けることが重要なのだ。


【お知らせ】
11月の開催が順延となっていた連続セミナー「ローカルメディアで〈地域〉を変える」の第3回(最終回)の日程が決定しました。

ローカルメディアで〈地域〉を変える【第3回/最終回】
「メディア+場」が地域を変える:瀬戸内、近江八幡、鎌倉の事例から

登壇者は、以前に告知したお二人に加え、第二部に合同会社アタシ社のミネシンゴさんもお迎えしてディスカッションも行います。これまでにご参加になった方も、今回が初めての方も、ご来場を歓迎いたします。

日時:2017年2月13日(月)14:00-18:00(開場は13:30)
会場:devcafe@INFOCITY
渋谷区神宮前5-52-2 青山オーバルビル16F
http://devcafe.org/access/
(最寄り駅:東京メトロ・表参道駅)
定員:30名
受講料:8,000円(交流会込み)

講師:
・磯田周佑(小豆島ヘルシーランド(株)マネージャー/MeiPAM代表 /(株)瀬戸内人会長)
・田中朝子(たねやグループ社会部広報室室長)
・ミネシンゴ(編集者・合同会社アタシ社代表)

※チケットの申込み、登壇者の詳細なプロフィルなどはこちらを御覧ください。
http://peatix.com/event/223768/view

「一匹狼」フリーランス編集者たちの互助組織

2016年12月15日
posted by 大原ケイ

先々月、たまたまボストンで一晩だけポコっと時間が空いたときに目についた「Working with Independent Authors」という集まりを覗いてみたので報告します。

ボストンの書店風景。

フリーランス編集者協会のセミナーに参加してみた

ボストンの中心部にほど近い、羽振りの良さそうな若者だらけのIT企業の会議室をアフター5に借りて行われたそのイベントは、全米組織のEditorial Freelancers Association(フリーランス編集者協会)のボストン支部が自主的に開いたネットワーキングとセミナー。協会メンバーのベテランが2人、これからインディー(自己出版)作家と仕事をしていく上でのコツを伝授するという内容でした。

各自が自分の飲み物と、みんなでつまめるおやつを一品持ち寄る「ポトラック」スタイルでカジュアルな雰囲気。集まったフリーランス編集者がたった一人の年配男性を除いて、みんな様々な年齢の女性、というのは私が知るアメリカの出版業界のデモグラフィック(人口構成)と酷似している。これは別に男性をdisって言ってるんじゃなくて、編集こそ男女で能力に差のないスキルだし、在宅でやれるフリーランス編集者という仕事は、子育てや家庭のパートナーの都合などと合わせやすい、というのもあるかと思います。

自己紹介で、ニューヨークから、というより日本から飛び入り参加です、日本でも日本独立作家同盟という非営利団体の理事をしてます、と言うと「わお、ウェルカム!」という反応。他の皆さんも、もともと出版社で編集者をやっていたけれど、なんらかの理由で会社を辞めてフリーになった人がほとんどのようでした。

会議前の風景。女性が多く、和やかな雰囲気。

その日の講師はスーザン・マティソン、ターニャ・ゴールドという30〜40代の女性2人。マティソンさんはノンフィクションの仕事が多く、ゴールドさんはどちらかというとフィクションの「お直し」(キャラクター設定、プロットの穴埋め、gender neutralな言い回しに変えるなど)が専門とか。2人とも出版社に勤めた経験あり。これまでそういった出版社を通して編集の仕事をもらっていたが、最近はインディー作家からの依頼で仕事をすることが増え、相手が業界については素人であることも多いため、一緒に仕事をする上で留意すべき点などを自身の経験から紹介してくれました。

フリーランス編集者のための十二カ条

その日のセミナーで話されたことの中で、ふ〜ん、なるほどと思った点をいくつか箇条書きにしてみます。

  • 出版社を通した仕事と比べると、インディー作家の場合、書き手の思いがこもった原稿を直接扱う機会が多い。そのことによるメリットとデメリットがある。まずメリットは、出版社を通した仕事だとその出版社の歯車のひとつに過ぎないと感じたり、臨時雇いの便利屋の一人になってしまうが、インディー作家相手だと、よりやりがいがある。
  • デメリットとしては、実際の仕事は「編集」というよりも、素人著者相手の「コーチング」になりがち。公私にわたるインディー作家のお守り役になってしまわないよう、対策が必要。
  • 自分ができる仕事のジャンルや種類は、思っているよりも幅広い。そのために門戸を広く掲げ、どんな仕事に対してもどういうことができて、どういうことはできないのか、あらかじめポイントを押さえた対応が望ましい。
  • 出版社から受注してする仕事ではないので、著者には出版社を紹介する仲介業ではないことを明確にしておく。
  • 「口コミ」の力はバカにできない。ツテによる推薦(referral)は大事。一度でも一緒に仕事した人からは、推薦の言葉をもらうのを忘れないようにする。
  • 依頼人からの突然の電話や、メールでの問い合わせにどこまで対応するかは、自分で事前に線引きしないと際限がない。そのためにも、仕事内容や条件などは口頭ではなく、ウェブサイトなどにあらかじめ細かく書いておくとよい。
  • 依頼仕事のたびに同じことをやるところはなるべくそのプロセスを、アプリやソフトを使い、自動メール返信や、書式のテンプレートを用意するなどしてオートマ化する。
  • Red Flag(危険人物)の見分け方
    ・やたら値切る人、やたら急ぐ人(一回の対応では終わらないことが多い)。
    ・他の人の悪口を言う人(その後、必ず言われる立場になる)。
    ・Exit Strategy(出口戦略。どこでやめても、支払いが生じるように契約しておくなど)を決めておく。
    ・追加料金が発生する時点をきちんと伝え、依頼人の決断を仰ぐ。
  • 契約書を交わすのは、依頼人にとってもプラス(プロの作家としての自信につながるようだ)。
  • 支払いは、予約(=時間的拘束)が生じた時点で前払いを要求する(50%を契約時に、50%を仕上げ時に、など)。
  • 直した原稿を依頼人に戻すだけでなく、Editorial Letterをつけるといい(直したのはどこか、だけでなく、編集を通してどういうことをやったのかを書く)。そのほうが赤字だらけの原稿よりポジティブ。中には真っ赤に直されたプルーフを見ると萎える著者もいるので、クリーンなプルーフも合わせて送ると喜ばれる。
  • プルーフを戻すときに請求書もつけちゃう!

やはり皆さん、自分が遭遇した困ったシチュエーションの相談をしたいらしく、質疑応答も活発。自分のの体験を話しつつ、他の人の話も聞けるのが良かったようです。ふだん一人で黙々と仕事をしている分、同業者と繋がりたい気持ちもあるのでしょうね。

フリーランスのいる業種には必ず「互助組織」あり

さて、このイベントを主催したEditorial Freelancers Association(EFA)についても少し説明します。

  • ニューヨークに(いちおう)本部を置く非営利団体で、1971年設立。ただし、メンバーの4分の3はニューヨークエリア以外に住んでいて、海外にいるメンバーもいる。活動はほとんどメンバーのボランティアによって運営されている。会合はテレビ会議を使い、地方でのイベントをやったりと、基本的にオンラインで活動。2ヶ月に1回発行のニュースレターや、SNSを通してメンバーと連絡を取っている。使用しているオンライン会議室はなぜかYahoo! グループ(始めた時期が時期だからでしょうか)。
  • 運営スタッフは会を代表するエグゼクティブ・ディレクターが2人、秘書、経理担当のみ。有償で雇われているのはニューヨーク・オフィスで事務処理と電話番をするアドミニストレーター(総務係)が1人だけ。
  • メンバーになるには編集者としての経験が必要で、年間15,000円相当の会員費を支払う。慢性的に資金不足なのか、会員の申し込みページに「協会運営上、緊急に何かしらの理由で資金が必要になって会員から寄付を募る場合、コンタクトしていいですか?(寄付をお願いしてもいいですか?)」という項目がある。メンバーになると会員名簿にアクセスできる。
  • EFAの「仕事リスト」には、外部の誰もが無料で仕事を頼みたいときに告知できる。告知が載ると、全メンバーに通知がいく。メンバーは現在約2,000人。職種はリライター、編集者、校正者、コピーエディター、インデックス(索引)作成者、リサーチャーと幅広く、どんなジャンルにも対応できる。企業として人材を探しているところも、ここで募集できる。
  • Rate Chart(こういう仕事の相場はこのぐらい、という詳しいガイドライン)を明確にしていて、仕事を頼む側も、引き受ける側も参考にできる。これはEFA会員のギャランティや、業界での実際のレートを参考にしている。日本のそれより数段高い金額がスタンダードである。
  • 契約書のサンプルや、請求書のヒナ型なども用意されており、メンバーがそれぞれ加工して自由に使える。
  • 会員が守るべきスタンダードや、仕事の質に関するガイドライン、不文律の禁止事項などモラルハザードを避けるための、Code of Fair Practiceという決まりごとを提言している。

アメリカではどんな分野に仕事でも、フリーランスの人たちで結成するこういったTrade Association(いわゆる互助組織)がある。EFAはかなり小規模なほうで、恥ずかしながら私もその存在を知りませんでした。

こういった互助組織があれば、おたがいにギャラを報告してブラック企業をリストアップしたり、皆でボイコットするなり、公表するなりできるだろうし、仕事をお願いする側にしても、ギャラの相場がすぐに検索できれば、安く買い叩くことを躊躇するようになると思うわけです。

あるいはスケジュール的、技術的に自分には無理そうな仕事を協会のメンバーに振るとか、こんなアプリやソフトが便利だよ!と紹介するとか、Give & Takeのいい関係を作ることがこういう互助会の秘訣でしょうね。私もこのセミナーに飛び入り参加させてもらって面白い話を聞けたので、「文中に日本語のフレーズが出てきた場合は手伝うよ!」とメンバーが見られるフォーラムに一言入れてもらいました。

日本だと、正社員の人だけが労働組合に入っていて、契約社員は正社員より過酷な労働条件でガマンしているように見受けられますが、契約社員やフリーランスの人たちこそ、労働者としての権利を守る組合や互助会が必要だと思うのです。

1円ライターから見た、キュレーションサイト「炎上」の現場

2016年12月8日
posted by コグチスミカ

はじめまして。コグチスミカです。普段は別名義で、小説家、ライターとしてほそぼそと活動しています。現在、1歳児の子育てに奔走中の主婦です。

今回、どうしてもこの件について書かずにはおれず、だれかに知ってほしくて筆を取りました。

この記事を読んだ友人知人は、私がだれだか気づくかも知れませんが、どうか言及しないでいただきたいのです。あなたたちに正体がバレることはなんの問題もなく、むしろ喜ばしくすらあるのですが、クライアントにバレたら失職するかもしれないのです!

キュレーションサイト「炎上」を生き延びたライターとして

2016年11月末、DeNAの運営する医療情報サイト「WELQ(ウェルク)」が、炎上し、公開停止しました。例えば「胃痛 原因」などのキーワードで検索すると、Google検索で必ず上位に表示されていた大手のサイトでした。ですが、その記事の内容は、私たちのような単価の低いライターによって書かれた、信憑性のない文章だったそうです。

「WELQ」の非公開化を伝える2016年11月29日の案内文。

サイトが「非公開」となる直前の11月29日の「WELQ」のトップページ。

私自身は、幸いといっていいのか、DeNAの運営するサイトには関わっていませんでした。今回の「WELQ」問題で、キュレーションサイト(インターネット上の情報を収集しまとめたサイトのこと)が軒並み叩かれ、公開停止したり案件停止したりする中、私のライティングの仕事はむしろ増えているほどです。

私は昔から、直感の働くたちで、
「このシノギはやばい匂いがするぜ……っ」
といった感じのものからは、うまいこと逃げてきました。今回も私は生き延びました。だけどそれで本当に良かったのかと、ここ数日ずっともやもやとしています。

「私は大丈夫だった」
と自分を元気づけようとしているけれど、大丈夫じゃなかった仲間たちが、たくさんいるのです。

クラウドソーシングの現場にいる人たち

クラウドソーシングでは、インターネットのウェブサイトで仕事が発注され、そこに登録しているライターやデザイナーやプログラマーが、仕事を受注します。まれに出社を必要とする案件もありますが、ほとんどは、家にいながら納品や支払いなど仕事の全てが完結します。「ランサーズ」「クラウドワークス」が有名なクラウドソーシングのサイトです。

私が、クラウドソーシングでライティングの仕事を始めたのは、2016年後半、今からほんの数ヶ月前のことでした。若い頃に、出版社でライターをしていた経験がある私は、すぐに仕事を取れるようになり、開始後1ヶ月で、某クラウドソーシングサイトの認定ランサーになりました。そのサイトで「上位20%の収入」を得られ、評価も高いと、認定ランサーの称号を得ることができます。その月の収入は、10万円にも達していませんでした。

「たった数万円で、このサイトの上位20%の月収なのか」
と複雑な思いがしたものです。

クラウドソーシングサイトには、1文字1円以下という、低単価のブログ記事のライティングが山ほどあります。そんな安い仕事でも、文字を入力するのが早い人なら、近所のコンビニやスーパーにアルバイトに行くより、よほどましな稼ぎになるのです。小さな子供を育てながら、主婦が外に働きに出るのは現実的ではありません。かといって現代は夫の収入だけで暮らしていけるような時代でもなく、私と似たような境遇の主婦が、クラウドソーシングの現場ではたくさん働いていました。

大手キュレーションサイトは、どのように仕事を割り振っているのか

大手サイトの継続ライターは、インターネット上のクラウド会議室に集められます。クラウド会議室とは、文字通りインターネット上にある仮想の会議室で、そこでメッセージのやりとりや、仕事の納品などが行われます。

大手サイトの会議室には、何十人、案件によっては百人を超えるライターが所属しています。そこから、
「今週は何本の記事執筆ができますか」
と仕事を割り振られるのです。大手サイトは週に数百件もの記事を必要とするので、
「私は20本書けます」
「今週は忙しいから私は2本で」
などという風に、それぞれのライターが手を上げるのです。

中には、いったん仕事を請けたけれど、
「すみません、子供が熱を出して」
などと、執筆を辞退するライターもいます。そんなときには、
「私、手持ちの執筆が終わったので追加で書けますよ」
と、必ずだれかが手を挙げてくれます。

そんな環境にいて、私は、
「ここには理想の未来がある」
と思いました。仕事の内容はさておき、働きたいときに、働きたいだけ働ける職場。いつ休んでも、だれにも怒られない。頑張れば頑張っただけ収入が増える、家で子供を背負いながら働ける、そんな夢のような職場です。

中には、どうしても不器用な人もいます。
「ドキュメントにコピーペーストをする方法が分からない」
といったレベルの人すらもいます。だけど、よほど悪態をつくような人でなければ、ディレクターが辛抱強く指導してくれます。土日でディレクターが不在の場合は、クラウド会議室に居合わせた他のライターが、親切に教えてくれたりもします。

私は想像するのです。子供を産んだばかりで、体もまだ回復しておらず、頭もろくに働かず、中古のパソコンで慣れないキーボードを一生懸命叩く、若いお母さんの姿を。

グレーな案件は方針変更のために自主停止に

私はいくつかのサイトの記事制作に関わっていたのですが、そのほとんどは、パクリや剽窃などといったこととはあまり関係のないサイトでした。ただ1件、若干グレーゾーンだと思われるサイトにも関わっていました。

そのサイトのライターマニュアルには、「Twitterから感想を引用すること」「Instagramから画像を引用すること」などと、書かれていました。引用は法的に問題がないとしても、あまり気分の良いものではないし、私はできるだけ引用を避けていました。

ですが、その案件のクラウド会議室には、言われた通り真面目に、TwitterなどのSNSから引用するライターが多かったのです。

「この件についての感想が見つかりませんでした。どう対応しますか」
と、真摯にディレクターに相談し、本当に真面目に仕事をするのです。

「この案件、あんまり好きじゃないな。単価も低いし、近いうちに切り捨てよう」
私がそう思っていた矢先、「WELQ」の炎上事件が起こり、その「引用推奨案件」も、方針変更のため、いったん公開停止となってしまいました。

私自身は、つまらない仕事が向こうから自滅してくれてせいせいした、と思っていました。
「単価の高い仕事ばかり選り好みしていて良かった。自分の判断は間違っていなかった」
そう自分に言い聞かせていました。

だけど数日が経過しても、心のもやもやが晴れることがないのです。自分は大丈夫なのに。的確な判断ができていたのに。だけど、あの優しい場所にいた仲間たちはどうなってしまうのだろうと。

「高級ライター」を目指したい私のもやもや

原稿用紙1枚で、数千〜数万円もの報酬を得るような「高級ライター」が、私たち1文字1円ライターの仕事を馬鹿にします。

「そんな仕事を請ける方が悪い」
「お前たちの書いたものがインターネットを汚している」
「滅びろ」
「死ね」
と罵ります。

だけど、私たちが1円の仕事を辞退すれば、高級ライターが仕事を回してくれるわけではありません。仕事ができる人たちは、ますますぬくぬくと肥え太り、仕事のできない人たちは、

「仕事ができない方が悪い」
「自己責任だ」
と切り捨てられるのです。

私は、自分のことを筆力のある人間だと思っています。真剣に努力すれば、高級ライターになれるだろうと信じています。私だけが肥え太ることは可能です。切実に、あっち側に行きたいと思っているし、そうなれるように努力しています。だけど、そのことを思うと、胸に砂袋を詰め込まれたような気持ちになるのです。

案件停止してしまったクラウド会議室には、まだ優しさが満ちています。先行きの不安を訴える人はいますが、案件停止についてディレクターが罵られるようなことはありません。ディレクターは、私たちのことを心配し、似たような他の案件を回してくれたり、一件数百円(!)の校正の仕事を回してくれたりします。だれも、会議室から離脱しません。私も「せいせいした」なんて思いながら、まだその会議室に居座り続けているのです。

「作家」を育てるのは誰か?

2016年12月1日
posted by 仲俣暁生

先月は「読書」についての話題だったので、今月は本を「書く」側の話をしようと思う。まず、先日に記者会見が行われたばかりの、日本独立作家同盟による「NovelJam」という試みについて触れたい。

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作家と編集者がタッグを組み、短期間に執筆・編集・電子書籍の制作までを行う、いわば「合宿形式」(泊まり込みではないが)の短期集中型の企画としては前例のないものだと思う。

具体的な企画内容は、公式サイトや、すでに詳細な紹介記事が掲載されている他媒体(Internet Watchのこの記事がよくまとまっている)を参考にしてほしいが、今回の試みでもっとも重要なのは「編集者」の存在だろう。

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「マガジン航」でも何度か紹介してきたが、日本独立作家同盟では「月刊群雛」という投稿型の文芸誌を2014年1月から2016年8月まで刊行してきた。2015年2月に特定非営利活動法人となった際、私も理事の一員として日本独立作家同盟に参加した。

このときに、次のようなことを「マガジン航」に書いた(「日本独立作家同盟がNPO法人化へ」)。

「新人賞」という選考システムは、大学受験や入社試験におけるそれとは根本的に違います。採用すべき人員数に対して、応募者の上位から相対評価で決めていくわけにはいきません。存在しているかどうかわからない才能ある書き手との、偶然の出会いを待つしかない、そのような出会いがなければ「該当作なし」が続いても仕方ない、絶対評価の世界なのです(コルク新人賞が3回続けて「受賞作なし」だったのは、その意味では健全でしょう)。

たった一人の書き手との「出会い」のために、数千から万に及ぶ対象に対して、人力でフィルターをかけるのが、これまでの「新人賞」でした。それと比べるなら、自己出版等によってネット上にすでに公開されている作品のなかから、有望な書き手をみつけるやり方は「ヘッドハンティング」に近いでしょうか。

ますます膨れあがっていく作家予備軍のなかから、優れた書き手(「作家」の卵)を発掘する仕組みとして、「新人賞」というフィルタリング以外の方法が、そろそろ出てきてよいはずです。いまはまだ過渡期ですが、ウェブを介した作品のディスカバラビリティー(被発見性)が、フィルタリングによるそれを凌駕するとき、「自己出版」>「新人賞」という不等式が成り立つようになるのかもしれません。

作家がデビューするための回路が「新人賞」だけに限られていた時代から、ネット上あるいは同人誌・インディ雑誌などで活動する才能ある新人が「発見」される時代へと、文芸の世界は少しずつシフトしている。その基本的認識に変わりはないものの、単純にクローズドな「新人賞」が半公開型の「ネット上のバトルロワイアル」にとって代わられたからといって、それだけで有望な新人作家が見つかるというものでもない。

すぐれた「作家」は、すぐれた「編集者」だった

なぜなら新人とは、たんに埋もれているところを発掘されるだけでなく、「育成」されなければならない存在だからだ。そのための仕組みとして、たとえば「同人誌」がある。これはいわば「新人以前の作家」が相互鍛錬するための場だ。作家つまり「ものを作る者」同士が互いを意識し、切磋琢磨しあうことで結果的に「育って」いく(中島敦の「山月記」を想起されたし)。それは文芸に限らず、他のジャンルの表現でも同じだろう。

考えてみれば当たり前のことだが、出版社に勤める「専業編集者」だけが編集者ではない。日本近代文学史をみても、すぐれた作家は同時にすぐれた編集者だった、というのが常識である。

「文藝春秋」を創刊したのが「作家」の菊池寛だったことはあまりにも有名だ。またロンドン帰りの英文学者・夏目漱石に「小説を書く」ことを促したのは俳人の高浜虚子だった。漱石自身がすぐれた「編集者」でもあったことも、長谷川郁夫氏が「新潮」の2016年10月号から始めた「編集者 漱石」という連載で明らかにしている。批評家の小林秀雄も戦前は雑誌「文學界」、戦後は創元社で編集に携わり、多くのすぐれた「新人」を世に出している。

そもそも、日本の近代文学史に名を残す「文芸誌」のほとんどは、大手出版社が刊行したものではなく(たとえ現在にその名が受け継がれていようと)、もともと作家自身による同人誌だった。現在、大手出版社から刊行されている文芸誌や小説誌は、文芸が産業化した後になってから、「文学作品という商品」をシステマチックに製造するための装置として生まれたものだ(それは現在のマンガ産業において、雑誌連載が「コミックス」という商品を生み出すための装置であるのと似ている)。

現状に限っていえば、文芸誌や小説誌はデビューした後の作家が作品を継続的に発表するための仕組みではあっても、力のある「作家を生み出す」仕組みとしては、それほどうまく機能していない(それどころか、文芸出版そのものが存亡の危機にあることを、小説家の藤谷治氏は「新刊小説の滅亡」という作品で、やや戯画的にだが、リアルに書いている)。出版社が刊行する文芸誌や、それらが主催する新人賞に代わる仕組みが、そろそろ必要なのだ。

その意味で、今回のNovelJamにどんな人たちが「編集者」として参加するか、ということに私は関心がある。「作家」枠で参加する人も、どんな「編集者」とタッグを組むことになるのかに、期待と不安があるだろう。もちろん、NovelJamにはフリーランスの編集者や、出版社に所属する専業編集者が参加してもいい。それを期待する「作家」予備軍も大いに違いない。

でも、もしかしたら出版社でふだんは営業をしている人、あるいは書店で働いている人、それどころかまったく異業種の人が「編集」するというのも、ありではないか。ふだんは「作家」として活動している人に、意外と編集者としての才能があるかもしれない。いずれにしても、文芸作品を生み出すうえでの「編集」という仕事は、たんなる事務作業ではなく、きわめて「人間的」な営みだと私は考えている。

町の本屋が創刊した「文芸誌」

もう一つ、「マガジン航」の周辺では、文芸に関わる新しい動きがあった。赤坂にある書店、双子のライオン堂文芸誌『草獅子(そう・しし)』を創刊した。私も寄稿を求められ、「『文学館』の危機から『文学』の未来をかんがえる」という30枚ほどの文章を寄稿した。

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双子のライオン堂は「選書」専門の本屋としてスタートし、そのセレクションを作家や批評家といった文芸関係者に依頼してきた。『草獅子』の寄稿者は、その顔ぶれとも重なる。すでに一定の人脈があったことが、この雑誌の創刊を可能にしたことがわかる。

とはいえ、一介の小さな町の本屋が創刊する文芸誌に辻原登氏、室井光広氏、絲山秋子氏といった芥川賞作家が原稿を寄せ、それが双子のライオン堂の周辺に集まる若い人たちの作品と並んで誌面を飾るさまを見ると、文芸の未来にも光が射してくるように思える。

文芸誌を創刊することも、書店を経営することも、どちらも「場」づくりであり、メディアをつくることだ。ビジネスとして成り立たせていくのは困難だけれど、そもそも文学というのは、誰かに頼まれてやるものではないし、ビジネスでもない。どうしてもやりたい人間が、やりかたを工夫して、なんとかしてやるものだ。

NovelJamという企画に集まる人たちと、『草獅子』のまわりに集まった人たちとでは、小説や文学に対する趣味は、ずいぶん違うかもしれない。けれども、自分たちで率先して動き、必要な「場」や「メディア」を生み出していくという姿勢においてはまったく同じだ。こうした新しい動きに、ささやかながら参加できたことは、私自身とても光栄である。願わくは、この二つのプロジェクトが継続的に行われることを期待する。