第6回 電子コミック時代はマンガ・エージェントが活躍する!?

2017年11月21日
posted by 中野晴行

印刷されたマンガから電子コミックへのシフトが確実に進む中で、注目されているのが「エージェント」という仕事だ。

エージェントという職業はこれまで日本の出版界にはほとんど定着していない。しかし、欧米の出版界では古くから「リテラリー・エージェント」という職業があるのだ。

「作家の代理人」とでも訳せばいいのか。作家に代わって出版社への売り込みや契約、二次使用権の管理、プロモーション、テレビ化や映画化などのメディアミックス、シリーズやキャラクターの長期的なセールス・プランニングなどを行う専門職のことである。

欧米ではリテラリー・エージェントが欠かせない存在に

前回も書いたように作家・クリエーターには売り込みやお金の管理、交渉事が苦手という人が多い。そこで、苦手な部分をそっくり専門家に任せてしまうのだ。税金のことなら税理士、法律なら弁護士、といったぐあいに出版関係の専門家が存在すると思ってもらえばいい。

リテラリー・エージェントは作家から委託を受けた業務をこなすことで、作家が受け取る原稿料や印税から一定割合の報酬を受け取る。かつては、印税や版権収入の10%が相場だったので、リテラリー・エージェントのことを「テンパーセンター」と呼んだこともあった。

今日のようにテレビ化・映画化が重要なプロモーションにつながり、版権収入にもなる時代では、エージェントの報酬の料率は複雑になっているが、どのエージェントと契約するのかが作家にとって成功の鍵になっていることは間違いない。

リテラリー・エージェントが登場する小説に、アメリカの女性推理作家ヘレン・マクロイの代表作『幽霊の2/3』がある。

あらすじはこうだ。過去にアルコール中毒で苦しんだが、いまはすっかり克服した人気作家のエイモス・コットル。しかし、別居していた妻が戻って来るという知らせを受けたエージェントは慌てる。妻の存在がエイモスのアルコール中毒を再発させ、小説が書けなくなるかもしれないからだ。そして、事件は出版社の社長の家で行われたパーティの中で起きる。泥酔した状態でパーティにやってきたエイモスが「幽霊の2/3」というゲームの最中に殺されてしまうのだ。

エージェントの仕事についてとりあえず知りたいという方にはぜひ読んでいただきたいミステリーだ。アメリカの出版界におけるエージェントのポジションも概ね理解してもらえる内容になっている。

日本ではなぜエージェントの仕事が目立たないのか

欧米では当たり前になっているこの職業が、日本ではこれまであまり注目されなかったのはなぜだろう。それは、出版社、とくに編集者がリテラリー・エージェントの仕事をほぼ引き受けていたという特殊な事情があるからだ。

二次使用権の管理、プロモーション、テレビ化や映画化などのメディアミックス、長期的なセールス・プランニングはみな、作家を抱えている出版社の仕事だ。さすがに売り込みと契約を代行することはないが、編集者の仕事とリテラリー・エージェントの仕事とはほぼ重なっている。

マンガの場合はもっと徹底している。第4回にも書いたように、新人を発掘し、デビューさせる段階でマンガ家と編集者はほとんど二人三脚状態になる。二次使用権の管理にしても、編集部や担当編集者の権限は強い。

私は、仕事関連でマンガ・カットの使用許諾を取る機会が多いが、担当編集者が締切までに捕まらずにカットを使うのを断念することは珍しくない。うっかり、マンガ家本人に連絡して許諾を受けたら、担当編集者から怒られた、という例もある。こういうことがあると、次にお願いするときに「NG」になることが多いので気を遣う。

TV番組や講演会へのマンガ家の出演依頼や、コメントの執筆依頼などがあっても、多くの場合は編集がいったんブロックして、そこから取捨選択する。

マンガ家にとっても、執筆以外の雑事から解放されるのはありがたいことだ。編集者がブロックしてくれるおかげで、雑音からシャットアウトされた状態で原稿に専念できる。出演料のギャラ交渉なども任せておけばいい。

これは素晴らしいシステムに見える。

しかし、マンガ雑誌の売れ行きに陰りが見え始めた頃から、出版社がエージェントも兼ねているという仕組みは少しずつ歪みを見せるようになった。

雑誌の売上が減ったために出版社は編集者の数を減らし、編集者は複数の作家を掛け持ちすることになり、エージェント部分に手がまわらなくなったのだ。さらに、出版社は社員編集者からフリー編集者などへの置き換えをはじめた。現在、編集プロダクションからの派遣編集者やフリー編集者はもちろん熱心にエージェント的な仕事もこなしているが、社員編集者に比べれば権限は限られている。そのために、どうしてもレスポンスに時間がかかるようになるのだ。

たとえば、映像化の話が持ち込まれたが、担当編集者のもとでペンディングになっているうちに時期を逸した、というような事例もあった。出版社は、権利関係の窓口を一本化させるために「ライツ事業部」など専門の窓口をつくったが、作家との直接のパイプにはなっていない。そのため、版権管理はするが版権ビジネスはできない、という不思議なシステムになっているのが実情だ。

一部の大手出版社では、事務の効率化を図って、申請書類の書式や使用料まできちんと規定して、手続き通りにすれば大丈夫、というところもある。ただ、その場合でも作家によって直接依頼しなければならないケースがある。困るのは、いったん申請してからでないと、どのマンガ家が直接交渉の対象なのかがわからない、ということだ。

こうしたシステム上のキシミによって、作者の利益を損なったり、不信感を与える事例が出てきたことが問題なのだ。最近増えているマンガ家と出版社の間のトラブルの原因は、当事者間の直接の原因とは別に、こうした不信感の蓄積があって、それがある事件が元になって爆発したというケースが少なくないと考えられる。

クリエーター・エージェンシー「コルク」

そんな日本の出版界で、エージェントの存在にスポットライトが当たるきっかけをつくったのが、2012年10月に設立されたクリエーター・エージェンシーの「コルク」だ。

コルクは、元講談社「週刊モーニング」編集部の佐渡島庸平と同「群像」編集部の三枝亮介が講談社を退社して立ち上げたエージェント会社だ(三枝は現在、コルクを退社して新たなエージェント会社「CTB」を設立し、伊坂幸太郎らの海外版権を扱う他、大日本印刷などが運営するハイブリッド書店「honto」のオフィシャルマガジン「honto+」の編集などを行っている)。

設立当初、コルクがエージェント契約をしたのは、マンガ家では小山宙哉、安野モヨコ、小説家では阿部和重、山崎ナオコーラ、文芸評論家の山城むつみらだった。

私は、設立後間もないコルクとその周辺を取材したが、興味を持ったのはスタート後にコルクにコンタクトをとってきた会社や個人のほとんどが、出版社や電子書店以外の「ネットとコンテンツの結びつきに新しい可能性を感じている人たち」ということだった。出版社の反応は、当の講談社にしても様子見という感じだったのだ。

出版社にしてみればエージェントの仕事は自社の編集者に任せておけばいいわけで、ある意味で余計な存在だ。電子書店にとっては、出版社が持っているコンテンツを配信することが主な業務なのだから、許諾の相手は出版社になる。おそらくその当時は講談社も、コルクの存在は自社出身の編集プロダクションくらいにしか認識していなかったのではないか、と思われるフシがある。

一方で、コンテンツビジネスを考えるIT系の起業家などにとって、エージェントの登場は待ちわびたものだった。

日本の古いシステムでは、映像コンテンツを使おうとすれば映画会社やテレビ会社の高いハードルがあり、マンガや小説を使おうとすれば出版社の高いハードルがあった。IT系の起業家の多くは、ビジネスや技術的なノウハウには長けていてもクリエイティブな方面にはネットワークがない。クリエイティブなアイディアや才能を求めようとしても、旧メディアの壁が阻んでくる。エージェントが生まれたことで、エージェントを通してクリエーターたちと結びつくことができれば、自社が持つ技術を使ってコンテンツに新たな展開を考えることもできるわけだ。

これはマンガ家にとっても新しい創造のチャンスに繋がる。

ましてや、出版不況で原稿料が低く抑えられ、単行本の発行部数も減ってくる中では、マンガ家は生き延びるために、出版社だけに頼るのではない道を模索せざるを得ない。電子化や映像化、商品化などの案件に関わるのが苦手なマンガ家にとって、エージェントは頼りになる味方だ。

こうしたニーズに応えるように、コルクのスタッフには編集経験者のほかに、プランナーやウェブ系のエンジニアなど幅広い人材が在籍している。

出版不況とデジタル化の波の中で、日本に従来のリテラリー・エージェントとは違う新しい姿が生まれつつあると考えてもいいだろう。

〈通訳〉であり〈代弁者〉

第4回で「編集者であると同時に出版エージェントの仕事にも極めて近い」と紹介したオンライン・コミック・マガジン「電脳マヴォ」編集部の小形克宏にもエージェントと編集のことを再びきいてみた。

実はこのときの記事について、小形からは「エージェント業務の部分で記事は大切な部分を漏らしている」という指摘を受けた。漏らしたというよりは、編集業務とエージェント業務の境界は今のところ曖昧で、編集者について書いた章に並べて記述することで、読者に混同されないかとおそれたのだ。

小形が考えるエージェントと編集者の違いはどこにあるのだろうか。

「編集者もエージェントも才能と資本の仲立ちをするという点では同じです。違っているのは、編集者は出版社という資本から給料をもらうのに対して、エージェントは作家という才能がもらう利益を作家と分け合うということです。世間的には編集者は作家の代弁者だと考えられているかもしれませんが、最終的には給料を払ってくれる出版社の代弁者にならざるを得ません。ところが、エージェントは報酬を作家と配分しますから、作家と同じ立場で出版社やウェブ配信元といったクライアントと交渉することになるのです」

――つまり、作家の味方ということですね?

「ただ、作家の代弁者だというだけではエージェントの仕事は成立しないのです。僕たちのクライアントはIT企業が多いのですが、彼らとマンガ家では話す言葉がまるで違う言語なんです。『締切』と言えば、彼らには守るべき『納期』ですけど、マンガ家にとっては原稿を仕上げる『目標』であって、必要なら変更がきくものです。言語の違う両者の間に立って、通訳としてクライアントに伝えるのも大事に仕事になります。その意味では〈通訳〉であり〈代弁者〉ですね」

小形の言う〈通訳〉であり〈代弁者〉という表現は非常にわかりやすい。欧米にあった作家の代理人という従来型のリテラリー・エージェントとも、従来の日本のように出版社がエージェントを兼ねるシステムとも違う、ウェブ時代のエージェントの姿を的確に表現している。ウェブ時代の日本のエージェントは作家の代理人・交渉人に留まらず、仕事全体に対してもより踏み込んだ立場になるはずだ。

ここで現在の「電脳マヴォ」のエージェント業務を整理しておきたい。

「エージェントの仕事はもちろんマンガ家と契約してマンガ家のために働くことです。その報酬としては、原稿料、配信料などマンガ家への支払いをいったんマヴォの口座に振り込んでもらって、そこから描き下ろしで30%、すでに発表された既発表作品で平均40%(10~60%)のコミッションを差し引いてマンガ家さんに渡すシステムです。いろいろ調べたんですが、これはかなり低いパーセンテージだと思います。出版社が自社で扱う作品を電子化する場合だと半分以上をコミッションにしてしまうこともあるようです。マヴォのエージェント業務の配分率や作家向け契約説明書はコーポレートサイトに公開しています。この種の情報を公開しているエージェントは僕たちだけだと思います」

その上で、〈通訳〉であり〈代弁者〉として働くわけだが、まったく土壌が違うクライアントとマンガ家の調整は容易ではない。先ほどの「締切」一つをとっても、クライアントにとっては納期が大切になるが、マンガ家にとっては納期を遅らせてでもよりよい作品を作り上げたいという思いがある。へたをすれば平行線になって、プロジェクトそのものが頓挫してしまう。エージェントの役目は極めて大きいものになる。

コスト面でも、クライアントは少しでもコストを下げようと考えるが、エージェントとしてはマンガ家の利益を第一に考えるのが当然の責務だ。

「そこで鍵になるのが著作権なんです。日本の著作権法は著作者人格権が規定されているので、描いた本人がダメだと言えば、第三者が出版したり、デジタル化することはできません。これまで、出版社や電子書店がマンガの単行本を出版したりデジタル配信する場合、作家が持っている著作権のうち、単行本の出版やネット配信に関する権利だけを『許諾』してもらう契約を結んでいました。

ところが、僕たちはエージェントとしてマンガ家の著作権のうち著作者人格権をのぞく財産権としての著作権の全部を、期間を限定して管理するために『譲渡』してもらう信託契約を結んでいます。だから、僕たちは著作権を持つ権利者として、クライアントにはこれまでより強い立場で話ができますし、なにかある毎になにもかもマンガ家に伺いを立てて、という必要がなくなる。もちろん、作者の意向に反したことは絶対にできませんが、より早い判断ができるわけです」

扱う作品の大半が新人マンガ家という「電脳マヴォ」の特殊性もあるかもしれないが、財産権としての著作権の信託という考え方は、これから出てくるであろうエージェントにとっては、ひとつの指針になる可能性がある。

最後に、これからエージェントとしてやっていこうとする人たちの適性についてもきいてみた。

「マンガの知識はもちろんですけど、コンピュータの知識、法律の知識が大切だと思っています。マヴォの場合、編集長の竹熊健太郎がおもにマンガ表現に関する部分をジャッジして、僕がおもにコンピュータや法律の部分を担当しているんです。もともと僕の資質がエージェント部分をやるようにできていたのかもしれません」

第4回にも、『ナナのリテラシー』の中で作者の鈴木みそが、「編集者は出版社を離れてエージェントとして別会社を設立し、完全にマンガ家側に立ってサポートしてはどうか」という提言をしたことを紹介したが、エージェントは、編集者よりもむしろマンガに興味があるIT技術者や法律を勉強した人たちに適性がある仕事になるのかもしれない。

Twitterは言論プラットフォームたりうるか?

2017年11月15日
posted by まつもとあつし

政治から身の回りに関わることまで、私たちは日々議論を通じてさまざまな意思決定を行っている。歴史を遡れば、時代背景や技術環境に応じてその基盤(プラットフォーム)となるべきメディアも変化し続けてきたことがわかる。

21世紀初頭はTwitterが突如、私たちの意思決定に大きな影響を及ぼすメディアとして存在感を増した時代と記録されるはずだ。2006年に「140文字の短文を投稿する」という極めてシンプルな仕組みで生まれたTwitterは、2017年現在、世界で3億人がアクティブに利用するソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)となっている。

筆者も2007年からTwitterを使っている。私ごとではあるが、フリージャーナリストとして独立したのがちょうどその頃だったので、ブログを書くような手間もかからず、素早く情報が拡散されるTwitterはありがたい存在だった。大きな発表や事件が起こったときに、その場にいなくともリアルタイムに情報を受け取れるTwitterは取材源としてもそれまでにない価値があった。

Twitterは社会を拙い方に変えた

Twitterが日本でもサービスを開始したころには、「Twitterが社会を変える」といった論調の書籍も数多く刊行された。誰もが気軽に情報を発信でき、有益な情報は素早く拡散される仕組みを備えたTwitterは非常に好意的に受止められていたと思う。

「アラブの春」などに見られるように、たしかにTwitterは社会を変えた。しかし、Twitterは多くの人が望んでいたポジティブな方向ではなく、混乱と分断を生む装置として社会にネガティブな影響を与え続けているように見える。一体なぜそうなってしまったのか。

Twitterは攻撃的な文章を投稿・拡散するのに極めて効率がよい場所となってしまっている。140文字という短文は、込み入ったロジックを表現するには(特に英語のような1バイト文字圏では)不向きで、人々の感情に訴えかけるデマやアジテーションの方が、より広く・早く拡散されていく。それを訂正したり、取り消したりする仕組みも十分には備わってない。

今年10月、Twitterはルールを改定し、ようやく攻撃的な発言を行うアカウントをロックしたり、永久凍結することを明記した。裏を返せば、これまで規約上はそのような発言を行うアカウントを規制する姿勢を明示していなかったわけだが、ではこれで状況が改善されるかと言えば心許ないのが現実だ。

ユーザーの声に応えてTwitter社はルール改定を行った。

この規約改定以前から、ユーザーによる「突然アカウントがロック・凍結された」という報告が相次いでいた。例えば「蚊を殺す」といった過去の投稿を探し出してTwitter社に通報すれば、気に入らないアカウントを凍結させることができる、といった噂も流れた。

Twitter社はこれを否定しているが、凍結・ロックされたユーザーに対して、どの投稿を問題ありと見做したのかを示さないため、ユーザーの疑念は拭えていない。従業員数4000人弱のIT企業が、果たしてどこまで様々な国・地域の文化・文脈に即した対応ができるのか、純粋にキャパシティの観点からも疑問を持たざるを得ない。

他のグローバルIT企業、たとえばマイクロソフトの12万人以上、Facebookの2万人以上と比べても、Twitter社の企業規模はきわめて小さい。筆者は1年ほど前、Twitter日本法人にサポート体制や機能改善の取り組みについて聞いたことがあるが、原則として米国本社のサポートチームや開発チームが主導しており、それぞれの国・地域の言語・政治状況や文化にあわせたきめ細かい対応が機動的に取れるようにはなっていない。

また、北朝鮮への挑発など攻撃的な投稿を続けるトランプ大統領について、なぜアカウントがロック・凍結されないのかという問い合わせに対してTwitter社は、「報道価値や公共の関心」という観点から、配慮を行っていると回答している

ある意味、米国大統領を「特別扱い」していることを認めたことになるが、どのようなアカウントをそういった配慮の対象にしているのかという基準は示されていない。「特別扱いされているアカウントが、ヘイトやデマをまき散らしている問題」よりも、「報道的価値・公共の関心を優先して良いのか」といったそもそもの論点の検討も必要であるはずだ。

特別扱いの対象となるような有力アカウントは、Twitterへのアクセス、ひいては広告収益に多大な貢献をしている。「プラットフォーム」にとっては魅力的な存在だ。しかし、かつてマスメディアが「第四の権力」とも呼ばれたように、人々の意思決定に大きな影響を与える「メディア」としてTwitterを捉えると、広告主ですら眉をひそめるような投稿を行うアカウントを放置することは、結局ユーザー(が所属する社会・コミュニティ)への悪影響だけでなく、Twitter社自身の利益を損ね続けている。

Twitter共同創設者のジャック・ドーシー氏は、様々な批判を受けてTwitterの規約や運用ポリシーをさらに改善するとTwitterに投稿しているが、これまでの経緯を見ると、果たしてどの程度状況が改善されるのかは不透明だと言わざるを得ない。たとえば、連続殺人事件をうけて、自殺に関するTweetの取り扱いもルールに追加されているが、求められているのはそのような付け焼き刃的な対処ではなく、投稿内容の確認や投稿者とのコミュニケーションを図れるだけの運営リソースの確保であることは、他のネットサービスが採ってきた対応方法からして明らかだ。

「言論プロレス」の場と化したTwitter

7千人強のフォロワーを抱えている私のTwitterアカウントにも、時折、攻撃的な投稿が寄せられることがある。主にそれは、数万〜数十万単位のより多くのフォロワーを擁するアカウントとの議論に発展したときに起こる。論争相手から「馬鹿」といった言葉が出たときには、それ以上の議論は成立しないと判断して、相手をブロックして終わりにするようにしているが、その後もその周辺から「卑怯者」といったメンションが届いたりもする。有力アカウントのいわば応援団から、議論の本筋と関係ない罵声が浴びせられるのだ。

トランプ大統領のアカウントの扱いでもしばしば指摘されるが、Twitterでの発言が公式なものか、それともプライベートなものなのかが曖昧なまま投稿が行われることも多い。先に述べたように、短文投稿を前提としたTwitterはアジテーションが好まれる(拡散される)傾向にあり、RTの数を競うかのように過激な発言を繰り返す著名アカウントも多い。

筆者は言論におけるプロレス自体を否定するものではない。ジャーナリストの田原総一朗氏は、自身が司会を務める「朝まで生テレビ」を“(論客同士を競わせる)動物園である”と喝破したことがある。あの番組のように、エンターテインメントとして消費されること自体に価値のある議論の場もたしかにある。しかし、たとえエンターテインメントであったとしても、そこで司会者や編集者といったファシリテーターがいかにうまく差配するかは、「試合」の質を左右する重要な要素だ。現状のTwitter社が十分な役割を果たしているとは残念ながらとても言えない。これはプラットフォームの運営事業者としては致命的だ。

10年余りで急拡大したにも関わらず未成熟なTwitterというプラットフォームは、ルールが整備されないまま選手と観客が異様に増えた試合場のようなものだ。審判たるべき運営側は右往左往し、罵声と数の力に任せた無粋なパワープレイが展開されているのが現状だろう。エンタメとしてはありだが、ここ「だけ」で言論が構築されてしまえば、この先に待つのはディストピアにほかならない。事実、ここ数年ですでに私たちはその端緒を目撃している。

フェアな論争の場をどこに生み出すか

現代は、良質な言論を戦わせる場としてのプラットフォームが失われている時代でもある。偏向やネットへの対応では問題も抱えるが、新聞や雑誌といったマスメディアは、現状のTwitterと比較すればまだましなプラットフォームだった。だがマスメディアがその存在感を薄くしていく中、論者同士が読者の前で論戦を繰り広げる場もほとんどなくなっている(後述するようにウェブメディアへの人材や広告費の移転も進んではいるがまだ道半ばだ)。フェアな格闘技のような論戦が行われる場所がいまは存在しないのだ。

かつて筆者が大いに影響を受けた紙上での論争がある。日中戦争時にあったとされる「百人斬り」の真偽をめぐって、朝日新聞記者の本多勝一氏と、「イザヤ・ベンダサン」というユダヤ人風ペンネームで論考を発表していた山本七平氏が繰り広げた論争だ。この論争は、1971年に本多氏が朝日新聞紙上に発表した中国ルポ(1972年に『中国の旅』として刊行)に対し、山本氏が雑誌『諸君』で批判を行ったことで始まった。両者の討論は本多氏の『殺す側の論理』にも収録されている。

題材が題材なだけに、この論争に対してはいまなお意見が分かれる。本稿ではこの論争で展開された論旨の是非は扱わない。しかし、引用のルールに則りながら、ファクトで相手の脆弱な主張を潰していく様子は、まだ中学生のときにこの論争の存在を知った筆者にとって大いに刺激的だった。実際、当時の目撃証言や研究者も議論に加わることによって、紙上での論争が進むと同時に論点が整理されていった観がある。

本来であれば、今後はウェブメディアがそのような場となるのが自然なのだろう。だが、広告費や優秀な編集者といったリソースの移転が、既存メディアからまだ十分には進んでおらず、言論を戦わせる場が整っていない。ブログのような個人メディアやWikipediaのような集合知を活かしたサービスに期待がかけられたこともあったが、必ずしも議論に向いた仕様になっていない。マネタイズの観点からも、ネット上に息の長い議論を続ける場を維持することは難しい。

そのすき間に、言論プロレスの場しか提供できていないTwitterが不安定な状態で収まってしまい、建設的な議論が生まれなくなっている。言論プロレスだけに強い論者ばかりが増長した結果、民主主義さえもが危機に晒されている。この状況を生んでしまったTwitterの責任は重い。自ら改善を図れるか、またこれに変わる言論プラットフォームを私たちは生み出すことができるのか、その動きを注意して見守りたいと思う。

文庫とライブラリーの間で

2017年11月1日
posted by 仲俣暁生

10月13日に東京で開催された、第103回全国図書館大会東京大会の第21分科会(テーマ:公共図書館の役割と蔵書、出版文化維持のために)において、文藝春秋の松井清人社長が行った「公共図書館は文庫本を貸さないでほしい」との趣旨の発言が波紋を呼んでいる。

この分科会報告はネット上で資料が公開されており、PDFで読むことができる。そこで、私もさっそく手に入れ目を通してみた。上の言葉に相当する部分を引用する。

 出版文化を共に支えてくださる公共図書館にお願いします。どうか文庫の貸し出しをやめてください。それによって文庫の売上げが大幅に回復するなどとは思っていません。図書館では文庫は扱っていない、それなら本屋で買うしかない、文庫くらいは自分で買おう。そんな空気が醸成されていくことが何より重要なのです。
 最後に本と図書館を愛する読者の皆さまへ。
 文庫は借りずに買ってください!

この分科会では松井氏のほかに、みすず書房の持谷寿夫氏(日本書籍出版協会 図書館委員会委員長)、慶應義塾大学文学部教授の根本彰氏、岩波書店社長の岡本厚氏も、それぞれの立場からの報告を行った。

とくに根本氏の報告では「図書館は出版物販売に負の影響を与えていない」という学術的な調査研究が紹介されている。これは、「近年、文庫を積極的に貸し出す図書館が増えています。それが文庫市場低迷の原因などと言うつもりは毛頭ありませんが、まったく無関係ではないだろう、少なからぬ影響があるのではないかと、私は考えています」という松井氏の主張への回答にもなっている。

根本氏もいうとおり、そもそもこの問題は十年以上前から幾度も蒸し返されてきた。2003年にはいわゆる「複本」問題をめぐって日本図書館協会と日本書籍出版協会が共同で「公立図書館貸出実態調査」を行い、一定の結論が出ている(報告書はこちら)。今回の松井氏の発言はベストセラーの複本から「文庫本」へと話題をシフトしての、あらためての公共図書館バッシングと言われても仕方ない。

松井氏はその後も「弁護士ドットコムニュース」のインタビューに答え、同様の発言を続けている。出版社側のホンネは、以下のような松井氏の発言からうかがうことができる。

少し前からデジタル化の波が押し寄せてきて、全てがフリー(無料)で手に入るという社会になってきています。コミックもゲームも今や無料で楽しめます。一方で、利用者は「無料で当然」「もっと便利なものを」とエスカレートしているような気がします。文庫本を大量に揃えている図書館は、利用者の要求に応えているのかもしれませんが、そうしたフリーの風潮に流されてしまっていないか、とも思います。図書館はとても読書に対して影響力がありますから、その役割をもう一度、考えていただきたいのです。

このくだりを読んで、私はうーむと考え込んでしまった。そもそも「文庫」とはなんだったのだろうか、と。

文庫本は「ライブラリー」か「換金装置」か

ところで、「文庫」と「文庫本」とは区別して議論する必要がある。文庫は〈library〉に相当する日本語として近世以前から使われてきた言葉だ。足利文庫、金沢文庫など、起源を中世にまで遡る文庫も多い。この「文庫」という言葉を日本の出版界が「小型本のシリーズ名」として使い始めたのは、新潮社の「新潮文庫」(1914年創刊)が最初だと言われている。さらに今年で創刊90周年となる「岩波文庫」(1927年創刊)が大きな成功をおさめたことで、A6判サイズの小型本を「文庫本」と呼ぶ現在に至る習慣が定着した。

岩波文庫の巻末にいまも必ず置かれている「読書子に寄す」については、以前にこのエディターズノートでも触れたことがある(〈文庫〉の思想と「読書運動」)。岩波茂雄の名で発表されたこの文は思想家の三木清の手が加えられており、彼の「文庫」観が反映している。岩波文庫創刊の際の事実上のブレーンである三木の「文庫」観について、私は上の記事で「書物の倫理」から以下の一文を引いた。

本は自分に使えるように、最もよく使えるように集めなければならない。そうすることによって文庫は性格的なものになる。そしてそれはいわば一定のスタイルを得て来る。自分の文庫にはその隅々に至るまで自分の息がかかっていなければならない。このような文庫は、丁度立派な庭作りのつくった庭園のように、それ自身が一個の芸術品でもある。(「書物の倫理」

ここで三木が言っている「文庫」とは個人蔵書のことである。レクラム文庫に範をとった新潮文庫や岩波文庫は、誰もが良書を個人蔵書としてもてるよう東西の古典を廉価で提供しよう、という出版プロジェクトだった。「文庫本」の原点にはたしかに、「自分で買おう」という考え方を後押しするものがあった。裏返せば、本を買うことはそれまで、大衆にとってはきわめて稀な行動だったということだ。

しかし現状の「文庫本」は、書物のコモディティ化やデフレ化の象徴でこそあれ、古典を収める輝かしい器ではない。先の報告でも文藝春秋の松井社長自らがそのことを告白している。

「文庫」は文芸系出版社を支える屋台骨です。多くの版元にとって収益の大きな柱となっている。わが文藝春秋でも最大の収益部門は文庫であり、収益全体の30%強を占めています。これは、「週刊文春」「文藝春秋」という、長く部数トップの座を保っている雑誌をも上回る数字なのです。
(中略)
良書を刊行し続け、作家を守り、そして版元の疲弊に歯止めをかける。そのために必要なのが、文庫が生み出す収益といっても過言ではありません。文庫は廉価ですが、だからこそ購入しやすい。発行部数も桁違いに多いし、販売期間は長期に及ぶ。読みたい作品が単行本から文庫化されるのを待つ読者も沢山いるのです。

ほぼ同様のことを、2015年に行われた第101回の同大会・第13分科会で新潮社の佐藤隆信社長が、以下のように発言していた(同大会の報告書はこちら)。

文庫はいちど単行本で刊行した作品を、形を変えて安価にし、より多くの人に読んでもらい、お金に換えて著者に還元し、出版社も明日の出版に繋げていくための原資を得る、そういう装置として開発された商品だ。その文庫が図書館で充実し、貸出によって多くの人を回っていくのはせつない。

佐藤氏の「そういう装置として開発された商品」という言葉は強烈だ。ここで新潮社や文藝春秋の社長が言っているのは、「文庫本」は重要な「換金装置」だから貸出してくれるな、ということに尽きる。

「文庫」とは本来、時の試練に耐えて生き残ってきた古典をはじめとする良書の器のことだった。そのような意味での「文庫」であれば、公共図書館に置かれることは当然ではあっても、批判されることではない。公共図書館が良質なlibrary(蔵書)をもつことは当然であり、それが「文庫本」と呼ばれる小型の本であっても、そこにはいかなる矛盾もない。

しかしいまや、「文庫本」は出版社にとっての単なるマネタイズのための「装置」なのだ。だからこそ「貸出してくれるな」ということなのだろうが、それは図書館に対して言うべきことだろうか?

文庫本の売上は、松井氏の言うとおり「出版科学研究所によれば、販売金額で(2014年には―編集部注)前年比6.2%、販売部数では7.6%の減少。15年には金額で6.0%、部数で7.0%の減少。16年には金額6.2%減、部数7.2%減と、まさに減少の一途」を辿っている。

こうした事実を前に、科学的な因果関係を示すことなく図書館をあげつらい、世間に向けて情緒的に「文庫は借りずに買ってください!」と叫ぶしかないところにまで、文芸系の出版社は経営的に追い詰められているということなのか。

松井氏の発言でもっとも問題なのは、「文庫くらいは自分で買おう。そんな空気が醸成されていくこと」という部分だ。「空気の醸成」とは出版社が抗うべき反知性主義にもっとも棹さす態度ではないか。情けないとはこのことである。

創設20年を迎えた「青空文庫」

ところで、なぜ私がさきほど「うーむ」と唸ったかといえば、今年が「青空文庫」がスタートして20周年の節目の年でもあるからだ。

1997年に始まった青空文庫の活動は、インターネット上にパブリックドメインの電子テキストを置くことで、本来の意味での「文庫 library」の役割を実現しつつある。だからこそ青空文庫はみずから「電子図書館」と名乗っている。

いまから90年前に岩波茂雄が(あるいは三木清が)志したことと、20年前に青空文庫が志したことには、共通の根がある。文字が読まれる媒体が紙かデジタルであるか、作品が共有されるか私有されるかは問題ではなく、公共性をもったlibraryとしての役割を自覚的に担おうとしているかどうかが重要である。

出版社の苦境を前に、公共図書館の側が何もしなくてよいとは思わない。出版界と図書館界の対話が進むことは歓迎する。しかし、この問題の根本は「文庫本」貸出しの是非ではない。「文庫」とは何か、これからの時代に求められる「ライブラリー」とは何かということを、90年前、20年前の人たちと同様、出版界も図書館界も一から考えてみてもいいのではないか。

インターネットがもたらしたのは、たんなる「フリーの風潮」などではない。「風潮」や「空気」だけで世の中が動くと、影響力のある出版社の経営者が思っているとしたら、それは大きな間違いである。「文庫」と「文庫本」をめぐる議論の混乱は、いまこそ書物がもつ公共性を根本から問い直すべきときであることを示している。

第7回 地域のクリエイティブはどこにある?

2017年10月18日
posted by 影山裕樹

現在、京都で開催中のローカルメディアワークショップCIRCULATION KYOTOは、8月に開催された公開プレゼンテーションを終えて、本格的に各チームがメディアを制作する段階に入った(プレゼン映像が公開されているので、こちらのHPを参照のこと)。

約一ヶ月半かけて、異なるバックグラウンドを持つ参加者たちが、自らの役割とスキルを持ち寄って、非常に完成度の高いプレゼンを行った。観覧に来てくださった地域の企業や団体の方々からも概ね好評で、各プランに具体的に支援を買って出てくださるところも現れ始めた。

ワークショップはよく、アイデアを発表して終わりになることが多いけれど、こうして実現性の高いプランを目にすると、それが不可逆なうねりとなって、市民をまきこみ活動として残っていく。それは今すぐに地域の課題を解決するには役に立たないかもしれないけれど、5年後、10年後には確実にその地域に足跡を残すことになると思う。本プロジェクトでディレクターチームの僕たちは、参加者に「地域における必然性」「発想の斬新性」「運営の継続性」「資金の調達方法」という四つの高いハードルを課した。自治体予算でメディアづくりのワークショップやライター講座が各地でさかんに行われているけれど、そこでは根本的な問題、つまり「本当に、メディアをつくる必要があるのか」を考えさせられることはない。「地元情報を発信するウェブメディアをつくりたい」というだけの理由で開催されるワークショップは、「そもそもウェブメディアをつくる必要があるのか」を考える時間を与えてくれない。

カードを使ったワークショップの様子。

公開プレゼンテーションを終えて。(撮影: Kai Maetani)

メディアの「かたち」を再発明する新しいアリーナ

もし、地域の課題を解決するためにメディアが必要だとしたら? そんなことを、メディアの概念を拡張しながら、参加者と一緒になって考え続けた一ヶ月半。あらためて思うけれど、メディアというのは「情報発信媒体」としての性格にとどまるものではない。M・マクルーハンの「メディアはメッセージである」という有名な言葉を引き合いに出すまでもなく、地上波テレビや新聞などのマスメディアが衰退し、出版流通の仕組みが岐路に立たされている今、出版やメディアに携わる者は、素朴にメディアの「コンテンツ」をつくる競争に明け暮れるのではなく、メディアの「かたち」そのものを一から発明する、新しいアリーナが生まれつつあることに自覚的でなくてはならないと思う。

メッセージを内包するメディアのかたちそのものが、伝えたい主体者の覚悟や本気度を暗に示している。地上波か、インターネットTVか。雑誌かウェブメディアか。届けるメッセージに合わせて、メディアのかたちを選ぶ時代なのだ。

その最たるものがローカルメディアだ。読者も資金も人材も不足している課題先進地域の地方でメディアを立ち上げ継続的に運営していくためには、普段、マスメディアや商業出版の外にいる読者を獲得しなければいけない。この連載でもこれまで紹介してきたように、流通先の意外な開拓方法(みやぎシルバーネット)、出版流通の仕組みを逆手に取った地域限定本(本と温泉)など、コンテンツそのもののクオリティ以上に、メディアのかたち(流通形態)そのものを発明しているローカルメディアこそが、これからのメディアや出版のフロンティアを指し示してくれる。

また、地域を元気にするのは、何も観光収入などによる経済的な効果だけではない。それほどお金が回っていなくても、自分たちが暮らす地域にプライドを持つことや、かけがえのない仲間がいること、つまり、文化とコミュニティが根付いているかどうかが重要だ。2014年に出版した『大人が作る秘密基地』(DU BOOKS)でも取材した、いわきで活動するヘキレキ舎代表の小松理虔さんは、娯楽の少ない地方では、休日の過ごし方が単調になる。そんな地域でアフターファイブに自分たちの好きなことがしたいと思って、仲間たちとオルタナティブスペースUDOK.を立ち上げた、と語ってくれた。

都市部のような文化娯楽の選択肢が少ない地元だからこそ、自分たちで遊び場や仲間をつくる。そういう気概のある若い力が結集し、経済的成功だけではない地域文化を育むことこそが、5年後、10年後の地域の未来を考える上でもっとも重要なことだと思う。

メディアのクライテリアの複数化を

一方、地域における「クリエイティブ」の現状を鑑みるに、そう悠長なことも言っていられない。都市部の価値観が地域に押し付けられ、東京で発行される雑誌のカタログの一片に、ビジュアルセンスや流行などの一面的な共通点だけで、地方発のデザインプロダクトやメディアが、まるで「見本帳」のように一様に並べられる状況がいまだに続いているからだ。「なんとなくオシャレ」だとか、「なんとなく今っぽい」という評価軸だけで、地域のクリエイティブのアウトプットが評価される状況はなんとかしなくてはいけない。じゃあ、どうすればいいのか?

それは、単一のクライテリア(評価基準)に囚われる受け手(読者、消費者、購買層)のマインドセットを変えることから始まるように思う。たとえば、デザインセンスはないけれど、文章がものすごく面白いメディアがあったとして、ビジュアルでは伝えられない場合、どうやって評価するか? わら半紙のような手軽なものに印刷されているけれど、熱狂的なファンを抱え込んでいる媒体はどうやって評価するか? デザインが洗練されたプロダクトやメディアの見本帳では、機能的に優れた(機能美というよりももっと別な)プロダクトやメディアの本当の魅力を伝えることはできないだろう。

東京にほとんどの出版社が存在し、デザイナーや編集者、ライターやイラストレーターなどのクリエイティブ職が集積していたこれまでと違って、いまや出版やメディアのフィールドが地方にゆるやかに広がり、クリエイティブ人材が各地に分散している。そんな時代に突入しているにも関わらず、「地域×クリエイティブ」という新しいマーケットが生まれると、結局は都市部の価値基準(クライテリア)に集約・搾取されてしまう制作物を、別の基準で評価する必要が生まれているように思う。

「EDIT LOCAL」のトップページ。

そんな意図もあって、最近僕は、「EDIT LOCAL」というウェブメディアを立ち上げた。「ソーシャル」や「コミュニティ」というバズワードに踊らされ、都市部の一面的な評価軸に乗ることを目的とするのではなく、地域の文化・コミュニティを醸成することを第一に考え、とにもかくにも自分たちの問題は自分たちで考えぬくこと。地域に根ざし、その地域ならではのクリエイティブ(ヴァナキュラーなデザイン・編集と言ってもいい)を開発することに勤しんでいる人々のスキルを正確に読み解き、記録しておくこと。つまり、「クライテリアを複数化」すること。それが「EDIT LOCAL」を発行した目的のひとつだ。

大量生産メディア時代の終わり

複雑なものを、複雑なまま評価すること。こんな当たり前のことが、ようやくできる時代になった。安価かつ大量生産されるメディアを一般大衆に届けることで成り立っていた出版産業(週刊誌、文庫、新書など)の全盛時代は、終わったと言ってもいいと思う。これからは「限られた人に、限られた情報を届け」、メディアを媒介に人や情報の多様な流れをつくる時代ではないか。

商業出版に携わる編集者がこれまでやってきたことは、専門分野の著者の言葉を、大量生産メディアを通じてより多くの人々(大衆)に届けるという仕事だった。しかし、これからの時代の編集者の仕事は、ある限定されたコミュニティで交わされる情報の流路やメディアのかたちを戦略的に生み出していくことだと思う。

本誌編集発行人の仲俣暁生さんと一緒に、昨年よりローカルメディアにまつわる講座を続けてきたが、その流れの中で、地域デザイン学会でローカルメディアフォーラムというものを立ち上げることになった。12月2日には、荻窪・6次元で第一回目のフォーラムが開催されるので、ご興味ある方はぜひ参加してもらいたい。

ローカルメディアの隆盛は、一過性のブームではなく、マスメディア研究の枠内を超えて、「人間の感覚を拡張する技術」としてのメディアの本質を指し示してくれるものだと思う。僕たちは、情報を一方的に大衆に届けるマスメディアを前提とした「メディア」の考え方を捨てて、人と人が相互に情報を交わし、異なるコミュニティをつなぐ広義の「メディア」を考えるフェーズに立ち会っている。「ローカルメディア」のブームは、メディアの価値観を新たにするためのきっかけにすぎない。ツイッターか、インスタグラムか、などなど、1〜2年で覇権が入れ替わるソーシャルメディアの勢力図に右往左往している場合ではない。

群雄割拠のメディア戦国時代を楽しく乗りこなしていく、そんなツワモノが各地で生まれては消えていく、それらの生を看取り、場合によってはプレイヤーとしてアリーナに参戦する、そういう、編集や出版の仕事にこれからも携わっていきたい。


【ローカルメディアフォーラム開催のお知らせ】

以下の日程で、地域デザイン学会主催の「第1回ローカルメディアフォーラム」を開催します。学会員以外の参加も可能です。

日時:2017年12月2日(土)15:00~18:30 ※終了後、懇親会を行います(18:40~20:00)
場所:6次元(東京都杉並区上荻1丁目10-3)※最寄り駅はJR荻窪駅
http://www.6jigen.com/map.html
定員:30名(先着順)
参加費:フォーラム=1000円,懇親会=2,000円(当日受付にて集金)

テーマ:「〈コミュニティ×メディア〉世代を超えたコミュニティが集う場づくりと、地方におけるクリエイティブの役割」
出演:小松理虔(ヘキレキ舎代表)、ナカムラクニオ(6次元代表)、影山裕樹(『ローカルメディアのつくりかた』著者)、仲俣暁生(「マガジン航」編集発行人)、原田保(一般社団法人 地域デザイン学会理事長)

※詳細なスケジュールと参加申し込みはこちらから。
地域デザイン学会
http://zone-design.org/forum/localmedia.html

第5回 デジタルで変わるマンガ家の仕事

2017年10月11日
posted by 中野晴行

前回はデジタル化が編集者に及ぼす影響について考察したが、今回はマンガ家がデジタル化によってどう変わったのか、変わるのかについて考察してみたいと思う。一部、これまでとかぶる部分もあるが、ご容赦いただきたい。

制作支援ソフトがマンガ家を救う

1990年代半ばからのコンピュータの高性能化やネット通信インフラの整備は、マンガ家の仕事にも大きな影響を与えた。ひとつには、マンガの執筆道具としてコンピュータが使われるようになったことがあげられる。

奥浩哉が、2000年から「週刊ヤングジャンプ」に連載した『GANTZ』の背景にデジタル処理を用いるなどしたことが草分けとされているが、最大のエポックといえるのは、第3回でも触れたように、2001年にセルシスがマンガ原稿制作支援ソフト「コミックスタジオ」を発売したことだ。

それまで使われていたアドビの「フォトショップ」や「イラストレーター」などと比較して、使い方を覚えやすく、筆やスクリーントーンを使うのと同感覚で高度な表現が可能になる「コミックスタジオ」の登場で、紙ではなくパソコンの画面上で作品を仕上げるマンガ家が急増したのだ。現在はさらにスペックが上がった「クリップスタジオ」というソフトに主流が移り始めている。

これらのマンガ制作支援ソフトを使えば、これまで複数のアシスタントを必要としたベタ塗りや仕上げもモニターの画面上で手早くできるようになり、場合によってはマンガ家一人でも作品を完成できるようになったのだ。

さらに、紙にペンで描くのと同じような感覚でデジタル執筆が可能な「液晶ペンタブレット(液タブ)」が登場すると、デジタル制作への流れはさらに加速された。紙に鉛筆描きした下描きをスキャナーで取り込んで、液タブを使って仕上げていくという手法は若手だけでなく、ベテランにも受け入れられるようになった。

ベテランにとっていちばん大きな問題は体力の衰えである。視力が落ちる、利き腕が腱鞘炎になる、腰痛に悩まされる……。1989年に60歳の若さで没した手塚治虫も、亡くなる3年前に放送されたNHKの番組『手塚治虫創作の秘密』の中で「丸が描けなくなった」と告白している。指や腕に若いときのように力が入らないので一筆で丸を閉じることが難しくなるのだ。まっすぐな線を引くのも辛くなり、微妙に震えたような線になる。マンガを描くために体を酷使してきた長年のツケがきているのだ。制作支援ソフトは彼らの痛みを和らげることはできないまでも、描けなくなるという事態は回避させてくれる。

たとえば、とあるベテランは視力が著しく落ちて細かな線が描けなくなったため、鉛筆でざっくりとした下絵を描き、これをスキャナで取り込んだものをアシスタントが制作支援ソフトを使って細かく仕上げ、出力したものに赤字(修正の指示)を入れながら、完成させていくという手法をとっている。

ペンで紙に描くのと比較して、液タブを使ったときの腕の消耗は少ない。セリフと下絵を入れたら、あとはオペレーター任せという大家もいる。マンガ家の高齢化が進む昨今、マンガ制作支援ソフトの活躍の場はますます増えていくだろう。

ただし、技術の進歩は両刃の剣だ。制作支援ソフトの導入には、マンガ家の負担を増す、というマイナスの側面もある。最大の負担は導入にかかるコストだ。それになりのスペックを備えたパソコンや周辺機器を用意しなければならず、ハードやソフトのトラブルにも備えなくてはならない。そもそもあらたに操作を覚えること自体が負担というマンガ家もいるだろう。

技術の進化で、読者の要求するハードルも上がる。制作支援ソフトが普及したために、細かな表現が可能になり、それによって読者の目が肥えて、より複雑で精緻な表現が求められるようにもなっているのだ。

「楽になったかと言われると、そうとも言い切れない」と、あるマンガ家は言う。

それでもなお、制作現場のデジタル化は、福音であったと思いたい。

デジタル時代のマンガ家は地方に

マンガ制作支援ソフトの登場は、地方で仕事をするマンガ家にも役立っている。

中部地方を拠点にマンガを描いているIに取材してみた。Iは、1990年前半にかけて青年誌を中心に活躍したが、90年代後半に出身地でもある現在の住所に転居した。

「はじめのうちは、ネーム原稿をFAXで編集とやりとりし、仕上がったものを宅配便で東京の編集部に送る、というずいぶん面倒なやり方でした。いちばん困ったのはアシスタント。マンガ家の卵が集まり、専業のアシスタントもたくさんいる東京とは違って、地方で仕事のできるアシスタントを探すのは至難の技です。地元の専門学校に頼んだりもしましたが、帯に短し…といった状態で、家内や高校の漫研時代の仲間に手伝ってもらってようやく締め切りに間に合わせるといった状態。せっかく来た仕事がなくなるのは困るので、東京に戻ろうかと何度も考えました」

そんなIを救ったのが、制作現場のデジタル化とネット環境の変化だった。マンガ作成支援ソフトによってアシスタントなしでもなんとかこなせるようになり、デジタルで仕上げた原稿はデータとして東京の編集部に送ればよくなったのだ。

「週刊誌(連載)じゃないからできたのかもしれませんが、住み慣れた地元で仕事ができるというのがいちばんです。たまに東京に行くときは、打ち合わせのほかに、資料を探したり、昔の仕事仲間に会ったりですかね」

かつて、プロのマンガ家になるためには上京するのが当たり前だった。新人がデビューして少し描けるようになると、編集部が上京を勧めたのだ。前回にも書いたように、アパートを探しアシスタントを揃えるところまで、編集部や担当編集が世話をすることも多かった。昭和20年代後半から30年代まで、石森章太郎(当時)、藤子不二雄(当時)、赤塚不二夫ら若手マンガ家が住み「マンガ家アパート」と呼ばれたトキワ荘など、原稿取りに便利なアパートに新人をまとめるというようなこともあった。

同じ頃、上京して本郷三丁目の下宿に入った松本零士の場合は、隣がマンガ家を「カン詰め」するための旅館だった。編集部にとってもマンガ家はさっさと上京させたほうが何かと便利だったのだ。マンガ少年やマンガ少女たちにも「東京へ行ってなんぼ」という意識があった。

ところが、今世紀になってからはIのように地元に戻ったり、そもそも地元から動かない、というマンガ家が増えている。中には「東京にいると編集者がうるさいので」と地方に引っ越すマンガ家もいるほどだ。

作品の発表場所は増えたが

デジタル化の波は、マンガ家にとって作品を発表する場が増えるというメリットも生み出している。紙の発表媒体は、老舗雑誌の休刊などで年々数を減らしているが、それ以上に電子マガジンや電子コミックアプリ、マンガ配信のポータルサイトが増えているからだ。大手の出版社も、雑誌の休刊で単行本化するコンテンツが減ったのを埋めるために無料で読めるウェブマガジンに力を入れている。「紙だけだった時代よりも、作品を描く場所は増えています。デビューを目指す人たちにとってもチャンスは大きくなった」と語る関係者は多い。

大阪在住のHもそのひとりだ。Hは1980年代にデビュー、現在は青年向け週刊誌の連載1本のほかにウェブ連載も1本抱えている。

「ウェブ連載は2015年からです。出版社系のマンガ・サイトがスタートすることになって、声がかかったんです。月産は平均すると2作で46ページくらい。アシスタントを使わずに100%電子ツールで描いているので、これくらいがちょうどいい分量です」

ウェブでの連載ということに抵抗はなかったのだろうか。

「ウェブ連載といっても、スマホ向けの縦スクロールではなく、紙と同じように見開き単位で掲載されていますから違和感はないです。描いていても、とくにウェブ向けを意識するようなことはありません」

もうひとり、東京在住のKのケースも見てみよう。1990年にデビュー。青年誌を中心に仕事をしてきたが、今年春からは、出版社系の無料ウェブマガジンで連載がスタート。妻とアシスタント2名が協力して月産35〜40枚だという。キャラや背景はペンで仕上げて、それ以外を「コミックスタジオ」で仕上げている。

「紙の連載とウェブ連載の比較ですか? 紙を使わないという以外に大きな違いはないと思います。現在の仕事はこれ1本ですから、紙であれ、電子であれ、描ける場所があるというのはありがたいです」

紙から電子へという流れはふたりにとって、描ける場所が増えたという点でプラスになっている。「何が何でも紙」という執着よりも、「描ける」「読んでもらえる」ことがマンガ家には重要なのだ。「作品の電子化はNG。掲載誌が電子版を出すなら自分の作品は外してほしい」というマンガ家もたしかにいるが、ほかのマンガ家の話を聞いても、紙へのこだわりはずいぶん薄くなってきたように感じる。

ただし、ふたりにギャラのことを訊ねてみると、必ずしもいいことばかりではないようだ。ウェブ連載の原稿料は紙よりも安いというのだ。

同じ出版社からの依頼でもウェブ連載は紙よりも安い。Kの場合はページ単価が半分以下になったという。

「コミスタ(コミックスタジオ)を使ってアシスタントを減らすなど、企業努力をしているのでなんとかカバーできています」とは言うが、厳しいことには違いがない。ギャラが安くても仕事があることがうれしい、というのはある意味でクリエーターの本音かもしれないが、せっかく発表場所が増えても、それで食べていくことができないのであれば、問題ありと言わざるを得ない。

ギャラは原稿料+ロイヤリティ

ウェブからデビューした、いわゆる「ウェブ専業マンガ家」も増えている。

Aは、ウェブ専業としてはベテラン組だ。月産はカラー数点を含む60枚前後。一日の半分を執筆に当てており、執筆は100%デジタル。スクリーントーンやモブシーンを担当するアシスタント1名を使っている。

「ペンで描くのはサイン本や色紙くらいです。紙であれデジタルであれ、マンガはマンガなので創作上のかわりはないと思います。売り方とか発表場所の広さは違うかもしれませんが……」

原稿料はどうだろうか?

「有料配信(サイト)で描いていることもありますが、ページ8000〜1万円です。ただ、電子コミックの場合は原稿料よりもロイヤリティが大切です。紙のマンガの印税みたいなもので、ダウンロードに応じて支払われるものです。たとえば1話100円で15%のロイヤリティが発生すれば、(1ダウンロードあたり)マンガ家に15円が支払われます。もちろん、会社によってパーセンテージは違いますが、原稿料とロイヤリティできちんと計算してもらえる会社と付き合っている限りは、赤字になることはないと思います」

ギャラの計算は、配信会社や配信会社から仕事を請け負っている編集プロダクションによってまちまちだ。たとえば、無料漫画アプリ配信サイト「comico」の公式ホームページによれば新人の原稿料は1話5万円の基本原稿料と人気に比例したインセンティブとなっている。

「comico」の場合、配信される作品は縦スクロール形式なので、ページ単価という考え方がない。あくまでも配信1話についてギャラが計算される。ページに換算すると、およそ5000円くらいだと考えられる。インセンティブは、Aの説明するロイヤリティのようなもので、ダウンロード数などによって独自に計算されるもの。無料配信では1話いくらという基準がないので一種のブラックボックスになっている。広告収入が収益源になっている無料配信サイトでは、広告収入の一定割合をマンガ家に支払うという契約になっているところもある。

一方で、出版社系のウェブ連載では、ロイヤリティやインセンティブという考え方がないところがほとんどだ。原稿料を紙よりも安く設定するなら、ダウンロードやPV(ページ閲覧数)に応じたロイヤリティを支払ってはどうか、とも思う。

ところが、ロイヤリティやインセンティブなるものが意外に曲者であることもわかってきた。Aはこう訴える。

「有料配信サイト、無料配信サイトに関わらず、作家に印税を払わない会社が結構あります。有料で配信して読者からお金を受け取っているにも関わらず、作家さんに印税を渡さないところも多いのです。自分たちは儲けているのに、作家には還元しない」

さらに、ロイヤリティやインセンティブの支払いに、会社にとっては有利だが作家には不利な条件をつけてくる配信会社や編集プロダクションも少なくない。

たとえば、ロイヤリティが発生するのは30万ダウンロードを超えてからといった付帯条件を会社側が一方的に出してくることがあるのだ。あるいは、配信後2ヶ月経過しないとロイヤリティは発生しない、とか、ロイヤリティの金額が支払われた原稿料の金額を超えてはじめて支払われるといったものもある。

「マンガ配信が儲かりそうだ」と考えて参入してきた配信会社や編集プロダクションの中には、はっきり口には出さないものの「原稿料を払うのは無駄」と考えている会社さえある。会社側にすれば、利益を最大化するためには、コンテンツに係る経費を削減しなければならない、ということなのだろうが、マンガ家にとってはたまったものではない。

また、ウェブに発表した作品を紙で単行本化する場合に、連載媒体を運営する会社側が印税を要求するケースも多い。たとえば著者印税10%+配信会社の印税5%を要求されたといったケースがある。印刷版の版元はコスト上の理由から10%以上の印税契約を受けることができないので、このときは著者印税が5%に下げられたという。

これから電子コミックでのデビューを目指す若い描き手に、Aはこうアドバイスする。

「配信会社もマンガ家も、紙のマンガより電子コミックの方が儲かるはずなんです。電子だから安いというのはおかしいと思います。必ず、原稿料+ロイヤリティで契約してほしいですね。おかしな付帯条件をつけたり、原稿料だけというような会社は避けたほうがいいです」

ブラック企業と同じで、マンガ家が怪しげな会社をスルーするようになれば、悪質な配信会社や編集プロダクションは淘汰されるはずなのだが……。

明日のマンガ家たち

最後に、未来のマンガ家がどうなるのか、をI、H、K、Aの4氏それぞれに訊いてみた。

「わかりません。困ったときに新しい技術が出てきて助けてくれる、というのが理想です。どんなスタイルになるにしても、マンガは残ると思いますけど……」(I)

「スマホの画面で読むのが主流になるのかもしれませんが、私個人としては大きな画面で読んでほしいというのが本音です。いまは、SNSのように私たちが直接読者の皆さんに情報を伝えるメディアがありますから、自分の作品について少しでも拡散して知ってもらうことが大切なのかな、と考えています」(H)

「電子コミックの時代になると若い人たちにはチャンスが増えるはずです。そして、僕たちのようなアナログで描くという経験をもたない描き手も増えるでしょう。でも、アナログでも描けるというのは大事なことなんだとあえて伝えたいですね」(K)

「いま、若い読者はマンガは無料で読むものと考えるようになっているんじゃないでしょうか。お金を払ってマンガを読んでくれる人が減って、みんながタダでマンガを読む時代も容易に想像できます。マンガ配信は伸びるかもしれませんが、マンガ家はどうなるんでしょう。有料配信されるマンガが生き残っているいまは、マンガ家にとってラッキーな時代なのかもしれません」(A)

マンガ家に限らず、クリエーターはお金のことを考えるのが苦手だ。お金のことを考えるのは恥ずかしい行為だ、とまで言い切る人も少なくない。

マンガ家を目指す学生さんたちを相手に「マンガ産業論」について講義すると、必ずこんな意見が出てくる。

「自分たちは好きなことを仕事にできれば幸せなので、お金のことは考えたくない。お金にならなくても好きなマンガを描いていたい。先生の話は汚い」

若さゆえの無垢として褒めてやりたい気もするが、それだけでは生きていけない。とはいえ、無理して自己マネジメントしなさいというわけではない。できないことはアウトソーシングすればすむことだ。

次回では、マンガをサポートする新しい仕事であるエージェントについて考察してみたい。


※敬称は略させていただきます。また、取材したマンガ家さんの名前も本人の希望ですべてイニシアル表記としました(筆者)。