あらゆる知識にユニバーサル・アクセスを

2011年6月2日
posted by 仲俣暁生

アメリカの非営利団体インターネット・アーカイブ(Internet Archive)の創設者であるブリュースター・ケール氏が国立国会図書館の招聘で5月末に来日し、「あらゆる知識へのユニバーサルアクセス――誰もが自由に情報アクセスできることを目指して」という演題での講演と、国立国会図書館館長・長尾真氏、愛知大学教授の時実象一氏を交えた鼎談が行われました。

国立国会図書館で講演中のブリュースター・ケール氏。

国立国会図書館で講演中のブリュースター・ケール氏。

すでにご存知の方も多いと思いますが、インターネット・アーカイブは書物から映像、音楽、コンピュータプログラム、ウェブサイトにいたるあらゆるコンテンツを集積し、無償公開しているインターネット上の巨大なアーカイブです。

ケール氏はMITを卒業後、並列コンピュータで知られたシンキング・マシーンズ社に参加。ここでWWW登場以前のインターネットで重用されたWAIS (Wide Area Information Server)という情報検索システムを開発します。ここからスピンアウトして創業したWAIS社を1995年にAOL(アメリカ・オンライン)に売却し、翌96年に非営利団体インターネット・アーカイブを設立。同時に営利企業として設立したアレクサ・インターネットではウェブのアクセス解析をするツールを開発し、こちらはやがてアマゾンに売却されました。

こうした来歴からも分かるとおり、ケール氏は筋金入りのコンピュータ・エンジニアですが、同時にライブラリアンとしての顔ももっています。アレクサというプログラム名は、古代エジプトのアレキサンドリアにあったとされる大図書館へのオマージュだといいます。かつてのアレキサンドリア図書館のように、インターネット上にデジタルな「図書館=アーカイブ」を創り上げることが、若い頃からのケール氏の夢でした。そしてその夢をかなえつつあるのが、インターネット・アーカイブの活動なのです。

独自に設計・開発された、Scribeと呼ばれる本のスキャン作業専用マシン。

独自に設計・開発された、Scribeと呼ばれる本のスキャン作業専用マシン。

インターネット・アーカイブには、現時点ですでに250万もの無料で読める電子書籍が保存・公開されており、1日に1000冊のペースで本のスキャニング作業が行われています。インターネット・アーカイブでは本だけでなく、映像や音楽、ウェブサイトなど、あらゆるメディアのコレクションを広げていますが、ことに「ウェイバック・マシン(Wayback Machine)」と呼ばれるWWWのアーカイブでは、1996年以後の世界中のウェブページが保存されており、URLを入力するだけでタイムマシンのように、当時のサイトを見ることができます(たとえば1996年の橋本内閣当時の首相官邸ホームページなど)。

ケール氏の講演ではインターネット・アーカイブの運営方法が具体的に紹介され、そこでの経験から得た数字をもとに、「あらゆる知識に、誰もがアクセスできる」アーカイブが決して遠い未来の夢ではないというプレゼンテーションがなされました。とくに強調していたのは、「あらゆる知識」をアーカイブするためのコストと時間は、多くの人が想像するほど天文学的なものではないということです。ケール氏によれば、それは「2億ドルから5億ドル(約160億円から400億円)」「5年以内」で可能だというのです。

この投稿の続きを読む »

大きな写真集を売る小さな本屋さん

2011年5月30日
posted by 大原ケイ

このところの電子書籍の台頭のせいで、アメリカではさぞかしたくさんの小さな街角の本屋さんがつぶれているだろうと思われがちだが、実態は少し違う。拙ブログでも何度も触れているが、「インディペンデント」と呼ばれる零細書店は既に大型チェーン店だの、オンライン書店だのという「敵」との歴戦をくぐり抜けてきたしぶとさを持ち合わせているところが多い。

もちろん、こっちでも毎日のようにどこかの町でずっと続いてきた書店がクローズ、というニュースは聞く。だが実際には、書店が会員となる全米書店協会(ABA=American Booksellers Association)に新規登録した書店がここ2年ほどでは増えており、特に今年度は100店を超える新たな書店が参加したという。

ヴァン・アレン・ブックスの外観。

ヴァン・アレン・ブックスの外観。

我が町ニューヨークでは、経済的なトレンドがブルックリンに向いているので、新しいお店ができたと聞いてもブルックリンばかりだったのだが、ここマンハッタンでもちらほらと新しい店がオープンしたという話を聞く。

マンハッタンと言えば、2008年のリーマンショックの後も家賃、特に商業用賃貸物件の値段は全く下がらず、強気にリース料をふっかけてくる大家に対し、ついに息絶える店がいくつもあった。それでも薄利多売の本を売って商売してやろうというアントレプレナーが現れるのは頼もしいことだ。

そんな店のひとつ、ヴァン・アレン・ブックス(Van Alen Books)を紹介しよう。

近くのもっと地の利のいい場所にあったバーンズ&ノーブルが閉店し、居抜きで借りる店も現れず、店舗の半分だけが「トレジョー」になっている厳しいショッピングエリアで、こういうアート系のお店ができたことに少し驚いた。

ヴァン・アレン・ブックスのウェブサイト。イメージカラーはイエロー。

ヴァン・アレン・ブックスのウェブサイト。イメージカラーはイエロー。

この投稿の続きを読む »

新潮社の「電子書籍基本宣言」に思うこと

2011年5月22日
posted by 仲俣暁生

これから紙の本とデジタルの本とは、どういう関係になるのか。その問題を考えるにあたって格好のたたき台となりそうな「基本宣言」が、新潮社のウェブサイトに公開されています。4月28日にオープンした新潮社の電子書籍ポータルサイト「Shincho Live!」「新潮社電子書籍基本宣言」がそれです。

まず、その全文を以下に引用します。

一、 電子書籍は、情報が氾濫するネット環境においても「作品」であり、長い年月に耐えうるものを目指さなければならない。

一、 電子書籍は、人々の豊かな知的生活に貢献するものであり、ネット習熟度の高低や機器の差異がそれを妨げるものであってはならない。

一、 電子書籍は、人々と書籍の偶然かつ幸福な出会いをもたらす書店とも共存共栄を図らなくてはならない。

一、 電子書籍は、紙の書籍と同様に、作品を生み、広め、読む人々の環の中で育まれるべきものであり、外部の論理に左右されてはならない。

一、 電子書籍は、紙の書籍と相和し、時に切磋琢磨して互いの向上を図るべきものであり、けっして対立したり侵食しあったりするものではない。

新潮社電子書籍基本宣言。テキストではなく、なぜか画像で公開。

新潮社電子書籍基本宣言。テキストではなく、なぜか画像で公開。

紙の本とデジタルの本の「共存共栄」「切磋琢磨」を謳うこの基本宣言を読んで、かつてSF作家のアイザック・アシモフが人間とロボットの関係を定義した、「ロボット工学三原則」を思い出した人も多いはずです。

こちらも引用してみましょう(訳文はWikipediaより)。

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

いかがでしょう? ちょっと似ていると思いませんか?

電子書籍は「ロボット」なのか?

電子書籍を「工学的なもの」の象徴としてとらえ、紙の本を、それに対する「人間的なもの」の象徴として位置づけるならば、「電子書籍基本宣言」と「ロボット工学三原則」が似てしまうのは当然です。しかし、この考え方は正しいのでしょうか。

ロボットに対して上のような「三原則」が求められたのは、ロボットがいずれ自意識をもち、人間に対して反乱を起こすような事態が(もちろん創作上の話ですが)懸念されたからです。ロボットに対するこうした考え方の根底には、人種差別や奴隷制度といった西洋文明の歴史的経験が投影されていると考えるべきでしょう。

しかし、電子書籍はいまのところ、ロボットとはかなり異なる存在です。少なくとも、電子書籍が人間に反乱を起こすなどということは(短期的には)考えられません。では、この基本宣言を「ロボット三原則」に似ていると思った私が、単によけいな早とちりをしただけなのでしょうか。

電子書籍基本宣言は、見たところごく穏当なことを言っているだけのように思えます。デジタルデバイドへの配慮、リアル書店との共存、幅広い知的活動の一環であることの必要など、賛成できるポイントもあります。しかし、よく読むと疑問点もやまほど出てきます。

まず、各項の主語が「電子書籍は」となっていることの意味です。新潮社電子書籍宣言のバナーには、「私たちはこう考えています」という副題がついているわけですから、本来ならばこれらは、以下のように書かれるべきです。

一、 私たちは電子書籍が、情報が氾濫するネット環境においても「作品」であり、長い年月に耐えうるものとなることを目指す。

一、 私たちは電子書籍が、人々の豊かな知的生活に貢献するものとなり、ネット習熟度の高低や機器の差異がそれを妨げるものとならないことを目指す。

一、 私たちは電子書籍が、人々と書籍の偶然かつ幸福な出会いをもたらす書店とも共存共栄を図れることを目指す。

一、 私たちは、電子書籍が紙の書籍と同様に、作品を生み、広め、読む人々の環の中で育まれ、外部の論理に左右されないことを目指す。

一、 私たちは電子書籍を、紙の書籍と相和し、時に切磋琢磨して互いに向上するようなものとし、けっして対立したり侵食しあったりするものとならないよう目指す。

つまり、これらの「宣言」で言われていることは、電子書籍に課せられた責務ではなく、出版社(つまり人間)側に課せられた責務であるべきなのです。「電子書籍はかくあらねばならない」というのであれば、そのように電子書籍というものを考え、作り、広めていくという、彼ら自身の任務を宣言すべきでしょう。しかし、この「宣言」は主語が曖昧で、そのように明瞭には書かれていません。意地悪な解釈をすれば、「電子書籍がそういうものにならない限り、私たちは電子書籍を事業として本気では行わない」という言い訳であるようにも読めてしまうのです。

この投稿の続きを読む »

「湘南電書鼎談」について

2011年5月12日
posted by 古田アダム有

2010年、電子書籍元年と世間は大きく騒ぎましたが、その内容はAppleのiPadをきっかけに、AmazonやGoogle、もちろんAppleといった、主にアメリカの電子書籍の興隆を受けて、日本にもまた電子書籍の時代が来るのではないかとい う、IT系企業を頂点とした上からのムーブメントでした。

実際に蓋を開けてみれば、騒ぎの元となった各アメリカ系企業の日本での電子書籍に関する活動はほとんどなく、熱に浮かれたように出版界、印刷界といった関連業界が踊っていた、そんな1年であったように思います。

2010年の電子書籍に関する実質的な評価としては、プラットフォームが幾つも立ちあがることで電子書籍への関心が業界外へも(多少は)拡がったこと、業界全体が「動かなければならないのではないか」という関心をもったこと、そして実は、既にパーソナルな出版が可能になったという、揺るがしがたい事実であるかもしれません。

そして迎えた2011年3月11日。年明けからなんとなく静かになっていた電子書籍周りですが、今度は出版界・印刷界自体が揺すぶられることになりました。

東北には多くの製紙工場が存在していますが、その多くが東日本大震災で被災し、2011年5月現在、ほとんどの工場は運転を再開できるようにはなっていません。東京湾の有明付近に多く存在した用紙倉庫も、その内部で大きな荷崩れを起したり、建物の底面が液状化を起し、出荷に制限がかかりました。

印刷に使用するインキもまた、その原材料を扱っていた業者が被災したことで、供給に障害が発生しています。ペットボトルの原料が不足しているのと同様、書籍のカバーなどに使用するポリプロピレンのシートもまた、供給難となっています。

このような状況下で、出版社は雑誌等の出版制限をはじめました。今後、用紙の在庫が薄くなって来るであろう初夏〜夏にかけては、新刊の書籍、重版なども、影響をうけることが予想されます。

出版社にとって、出版点数を絞らざるをえない状況は、社業に直接関わる大変な出来事でありますが、同時に出版社が執筆を依頼していた執筆陣にとっては、その多くが自由業であることを考えても分かるように、喫緊の大問題なのです。

まず影響を受けるであろうエンターテイメント系の作家、同ライターの抱える不安は並大抵のものではありません。個々何年も出版不況とされて、以前であれば単行本として出版されたであろう様な企画もなかなか通らなくなっていたところへの震災の打撃は、大きすぎる不安を与えるものでした。

ボトムアップの電子書籍元年となる可能性

さて、そこで改めて、昨年の電子書籍元年という狂騒を振り返れば、今年こそが、実質的な元年になるのではないか、と思われるのです。従来の出版のラインがだんだんと硬直して働かなくなってきている中、実は電子出版は、クリエイターたちにとって、新しい可能性たりうるのではないか。

旧来のチャンネルが狭まるならば、新しいチャンネルを、今であれば開拓しつくる上げるチャンスがある。今年は、上からのムーブメントでなく、各クリエイターが持ち上げていく、ボトムアップの電子書籍元年となる可能性があるのではないか。

となれば、印刷会社もまた、紙にインキを定着させるという意味では明らかに仕事がなくなってきであろう今、その原点に立ち返り、情報加工産業の雄としての立場を再確認し、何事かをなしていかなければならない、そういう側面も見えてきているのではないか。外資系のプラットフォーム、IT系のプラットフォームが次々と立ち現れる今、単なる情報変換業者の立ち位置に追い込まれる前に、なにか新しいチャンネルを開くことを模索できないか。

「湘南電書鼎談」はそのような状況の中から、電子書籍に関心を持つライター、印刷屋が集まって語りあい、未来を探り合う場として企画されました。構成メンバーのうちふたり、@tekigiと@arithが三浦半島に住まいを持ち、最初の鼎談を鎌倉で行おうと企画したことで、湘南と冠するようになりましたが、それ以上に湘南に深い意味はありません。しいて言えば、東京の中央集権的なあり方から、湘南の、個人が中心になった自由な雰囲気へのシフトを、空気としてまとっているというようなことでしょうか。

今後回数を重ね、議論を深めていくのか、あるいは異なる形へ変化、進化してさらに進化・深化していくのか。さきのことは見えませんが、まずは一歩、踏み出してみたいと思います。

第1回湘南電書鼎談@鎌倉

日時:2011年5月13日(金)17時30分〜(19:00頃まで予定)
場所どんぶりカフェBowls鎌倉本店(当日現地での視聴は基本的に募りません。Ustreamにてご覧ください。録画もあるよ!)
放送:Ustreamによる完全中継 http://ustream.tv/channel/shonandensho/
Twitter公式アカウントhttp://twitter.com/shonandensho
公式サイトhttp://shonandensho.posterous.com/


ニューヨークで日本人作家の話を聞く

2011年5月10日
posted by 大原ケイ

毎年この時期、ニューヨークでは「世界の声」と題されたペン協会アメリカンセンターのイベントが催され、世界中から活躍中の作家が集まる。毎日毎晩、市内のあちこちで様々なイベントが企画され、本好きにはたまらない季節である。ちょうど今年はゴールデンウィークの最初に引っかかったこともあって、日本からの来場者も多いようだ。

そして日本人と日本文学愛読者(←こちらはどのぐらいいるのかわからないが)にとってはさらに嬉しいことに、柴田元幸氏が責任編集を務める文芸誌『モンキービジネス』がこっちの文芸誌A PUBLIC SPACEと共同でモンキービジネスの英語版を特別号として出すはこびとなったこともあり、川上弘美や古川日出男も一連のイベントの一部に出席した。

このモンキービジネス英語版には他にも小川洋子や岸本佐知子らの文章もある。日本からも1冊22ドルで買えるようだ。

英語版には他に小川洋子や岸本佐知子らの文章も。日本からも1冊22ドルで買えるよう。

まずはアジア・ソサエティーにて行われたイベントを覗いてみた。ウェブキャストされているので、リンクはこちら(何日かすると録画がアップされると思います)。第1部は川上弘美とレベッカ・ブラウンがお互いの作品の翻訳バージョンを読み合いっこするもの。作品の中で「日常に基づいたリアリズムと、非現実的なシュールレアリズムが交差する」点が共通しているとの柴田先生の指摘。

イベントのウェブサイトにはおなじみ柴田元幸さんのイラストも。

イベントのウェブサイトにはおなじみ柴田元幸さんのイラストも。

個人的には、両者の作品には登場人物がけっこううわべとは違う、もっと腹黒いことを考えていたりする点も似ているんだが、そういうところに共感している私だけの感想でしょうかね、それは。でも実際はかなりまじめないい人なんだよーん、と自分では思っているのだが。

笑ったのは川上さんが翻訳ものを読んでいてちょっと違うな、と感じたのがヘミングウェイの主人公の「揺らぎのなさ」と言った点。なるほど、そうだろうね。くすくす。ここんとこ、もっと通訳の人がso sure of himselfとか、full of himselfとかって言ってくれてれば、もっと非日本人の人の笑いもとれたと思うけど。オドロキの新事実は、川上さんは最初にハマった翻訳文学がSFだったということと、彼女の実年齢。2つとも「そうは見えない」ところに驚愕。

……すみません。話がそれました。で、第2部では詩歌の鉄人対決(違うって)ことで、俳人の小澤實と詩人のジョシュア・ベックマン。詩歌はハッキリ言いまして門外漢なのでなにをか言わんや。でも、2人とも芭蕉が原点、みたいな共通点があるのはさすがに面白いかも。

贅沢を言えば、もう少しQ&Aの時間をとってもらいたかったけれど、そうなると通訳の人が大変だというのがわかるし、時間も限られていたので、こんなものでしょうか。

この投稿の続きを読む »