幻の小説「風流夢譚」を電子書籍化した理由

2011年12月14日
posted by 京谷六二

電子書籍版「風流夢譚」

今から半世紀前、1960年12月号の雑誌「中央公論」に掲載された深沢七郎氏の短編小説「風流夢譚」は、以後、今日に至るまで海賊版を除けば活字化されたことはなく、いまやこの小説を読んだことのある人はほとんどいないどころか、そもそもその存在すら知らない人も多いことと思います。

その理由は、この小説での皇室表現がきっかけとなり、1961年2月、当時の中央公論社社長、嶋中鵬二氏宅に右翼が押し入り、お手伝いさんの女性が刺殺され、さらに夫人が重傷を負うという事件が起きたからです。

当時は、浅沼稲次郎社会党委員長の刺殺に次ぐテロとして大きなニュースになりましたが、結果的に、右翼の圧力に表現の自由の行使者であるはずの言論機関が負けてしまったこの事件は、以後のジャーナリズムのありように少なからぬ影響を与えました。そうしてこの小説も、二度と再び光を浴びることなく、50年前の「中央公論」に封印されてしまったわけです。

そういう、ある意味でタブーとも言える小説を今回、電子書籍化するに至った経緯を書くことが本稿に与えられた主なテーマですが、そのためにはなにゆえに私が電子書籍と関わるようになったかについても、少々、触れておきたいと思います。

電子書籍のラインナップに感じた“すき間”

最初に私の経歴について書きますと、1985年に光文社に入社し、2010年の5月に会社が募集した早期退職に応募して退社しました。社歴の内訳は入社から17年半が編集、残りの7年半は広告営業です。

編集キャリアのほとんどはカッパ・ブックスで(休刊前の10カ月間だけ「週刊宝石」に在籍したことがありますが)、ここでノンフィクション書籍作りのノウハウを学びました。また、広告では「女性自身」、「FLASH」という週刊誌が営業活動の中心でした(光文社の広告営業は媒体担当制を敷いていました)。

この広告時代は売上げのピークから、短期間でその数字が音をたてて崩れていくプロセスを営業現場で体験し、「4マス時代」の終焉とネット時代の到来を実感したのですが、同時にそれは、広告ビジネスが虚業から実業へと質的変化を遂げた瞬間でもあったと思います(参考リンク:誰も通らない裏道「マスメディアこそが虚業だった」)。

光文社退社後は、最初のうちこそ出版業に戻る気持ちは薄かったのですが、その後、ある制作会社からお声掛けをいただき、電子書籍の仕事を始めることになりました。

そこで最初にやったのはデータの検品です。つまり紙の本が電子書籍にきちんと落とし込まれているかをチェックするのですが、ご承知のように紙に比べると電子というのは制約があり紙と同じものを作ることはできません。そこを制作する方々が個々に判断して電子に落とし込むわけですが、そうやって出来あがったデータは編集の立場からすると「ちょっとおかしい、気になる」という部分も出てきます。そこで、検品報告書という形でそういう部分を指摘すると、これが意外にも制作の方にウケました。

というのも、制作側のみなさんは、当たり前の話ですが編集経験がありません。したがって、普段、編集がどういう部分を重視して書籍を作っているのかがわからなかったわけです。それがクリアになって、「なるほどと思った」というようなことを制作の方から言っていただきました(これは一方で、版元側も電子書籍に対する理解が浅く、制作会社に丸投げしている部分が少なからずあるということだとも思います)。

さて、そうやってデータを検品しているうちに次第に感じ始めたのは、「電子書籍のマーケットにはずいぶん隙き間があるんだな」ということでした。

出版社にとって電子書籍は当然、手がけなければならない事案です。が、どんなに出版不況であっても、まだ圧倒的に紙の利益が大きいことは事実で、電子は投資に対するリターンが少ない。そうしたなかで電子化の優先順位はどうしても最近の本、あるいは売れ線の本ということになります。これは出版社の経営が厳しき折、当たり前の帰結なのですが、結果的にそれがラインナップを偏らせているように私には見えました。

話を進めますと、検品に慣れてきた今年の初め、「制作もやってみないか?」と前述の制作会社の方から誘われました。といっても、この頃はまだ本気で電子書籍をやるかどうかの踏ん切りはついていなかったのですが、とにもかくにも制作を学ぶことは悪いことではありませんので、とりあえずお誘いに乗ることにしました。

3.11後にブログの電子書籍化に着手

そうして、教えを乞いつつデータ制作を始めた矢先にあの3・11が来ました(実際、私が東日本大震災に遭遇したのは、この制作会社での研修中でした)。

私は2006年からポツポツとブログを書いていたのですが、その少なからぬエントリーを原発問題が占めています。スタンスは反原発で、日本社会には少なからぬ原発の破局事故リスクがあるのではないかという危惧を、広告営業で得たメディアと電力会社の関係の知見も含め、ことあるごとに書いていたのです。

そういう私ですから、3・11後の数週間は相当にうろたえて仕事も手につきませんでしたが、少し落ち着いてきた頃、「そういえば原発についてはずいぶん書いてきたんだから、あの原稿にタグをつければ電子書籍ができるな」と思いつきました。

ブログの記事を元にした『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

そこで、早速、ブログからテキストを抜き出して整理、加筆し、タグをつけてみたのです。長らく編集現場を離れていましたが、前述のカッパ・ブックスのノウハウを辛うじて覚えていたこともあり、意外に簡単に電子書籍のデータは完成しました。

こうなると、売りたくなるのが人情というもの。私のデータはT-Timeで作成しました。そこでボイジャーさんへ持ち込んで(押しかけて?)みたところ、私個人のレーベルでの販売を了承していただくとともに、「せっかくだから、他にも電子書籍を出してみてはどうですか?」と言われました。

その時には、まったくもって想像外の提案だったこともあり、「そんなことできるかいな?」と思ったのですが、よくよく考えてみるとこれは自分で一つの出版社を持つようなものです。それは私のような人間にとっては少しく魅力的なことでした。

かつて出版社というのは、机と電話があればいつでも誰でもできる商売だと言われてきました。しかし実はそう簡単ではありません。本を出すには著者に原稿を書いてもらう以外に紙を買って印刷をし、取次を介して流通させなければなりません。しかも売れなければ返本になり在庫リスクを抱えます。この在庫は資産なので税金がかかります。それがイヤなら断裁しなければならないけれども、それにだってカネがかかります。

私はもともと大して売れる本を作れる編集者ではなかったので(多少、話題になった本は何冊かありますが)、そんな私にはとても紙の本の出版社を作ることはできないし、そもそもカネもありません。ですが、電子書籍ならば可能かもしれない……。

しかも、これまでヒラの編集者の時には編集長にお伺いをたてて了承を得なければならなかった企画も自分で通すことができます。そうしてもう一つ、多くの編集者を悩ませる「初版部数のくびき」がないのも魅力でした。

「風流夢譚」と現在の日本を結ぶ線

と、そんなことを考えているうちにまず思ったのは、「父親の本を電子化してやるのは悪くないな」ということでした。

私の父はその昔、中央公論社に在籍しており、「風流夢譚」事件の当事者の一人でした。そして事件のことを綴った『一九六一年冬』(晩聲社)という本を出版しています(その後、『一九六一年冬「風流夢譚」事件』に改題して平凡社より刊行、志木電子書籍より電子書籍版として刊行)。

とはいえその一冊では話になりません。

そこでもう少し考えてみると、父の中央公論社時代の同僚だった中村智子氏の『『風流夢譚』事件以後』という著書があることを思い出しました。父と中村氏は今でも交流があることもあり、この本は電子化できるのではないかと思いました(現在、電子書籍として刊行)。しかし、それでもまだ企画としては今ひとつひねりが足りません。

だとしたら――。あとは「風流夢譚」という小説そのものを電子化するしかないのではないかと思いました。そこまでやれば、他の2冊を含めて十分な企画性があると考えたのです。

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孤立した電子書籍から、本のネットワークへ

2011年12月9日
posted by 仲俣暁生

12月8日にボイジャーが新しい読書システム「BinB」をリリースしたので、さっそくいくつかの作品を試し読みしてみました。以下に述べるのは、その読書体験を通して感じたことです。

今回リリースされた「BinB」はウェブブラウザ上で電子書籍の閲読ができるしくみで、世界標準フォーマットであるHTML5とEPUB3に準拠しています。これまでの専用アプリや読書端末を介して読む電子書籍とことなり、HTML5に対応しているウェブブラウザ(Safari、Firefox、Google Chrome)さえあれば、PCでもMacでも、スマートフォンでも各種のタブレットでも同じように読むことができるのが特徴です。

BinB Storeにいくと、まずこのような映像が流れます。

「ブラウザの中に本がある」「インターネットが本の入り口」という言葉どおり、「BinB」をつかうと、自分の読んでいる本をインターネットを介して他の読者に直にオススメできます。twitterやFacebookで言及できるほか、ブログなどにページをそのまま埋め込むこともできる。いわゆる「ソーシャル・リーディング」(読書体験の共有)です。

実際にやってみましょう。上の画像をクリックすると、この本(浜野保樹著『解説「虎虎虎」』)が開き、数ページ分が立ち読みできます(無料版はログインすれば全文の閲読が可能)。「BinB」がただの電子書籍ではなく「読書システム」と名付けられているのは、このように読書体験を共有するしくみを備えているからでしょう。

「ウェブから本へ」の導線があるだけでなく、「BinB」では、「本からウェブへ」の導線もあります。本文からTumblrをチューニングしてつくった外部の解説ページへ飛び、関連する写真や図版をみることができるのです。

「ブラウザで読む本」への流れ

「BinB」をつかって、ウェブページからウェブページへとリンクをたどるように「本」を読んでいるうち、自分が読んでいるのが「ブラウザに表示された電子書籍」なのか、それともログイン状態で「縦書きウェブサイト」を読んでいるのか、よくわからなくなってきました。

ウェブブラウザで電子書籍を表示させる方式は、アマゾンもKindle Cloud Readerですでに導入しています。しかしこれは、キンドルのプラットフォーム上における電子書籍の閲読・購入方法の選択肢のひとつであり、「BinB」のように、オープンなウェブの世界に「本」のページを露出させてしまうことはありません。あくまでもブラウザはビューアにすぎず、外から特定のページへリンクすることはできません(中から外へのリンクはあり)。

一方、グーグルはすでに一部の本や雑誌をGoogle eブックストアで閲読できるようにしています。ディケンズの『荒涼館』やジェーン・オースティンの『高慢と偏見』など、著作権切れのコンテンツが無料で公開されており、本文中の特定ページへのリンクも可能です。

■ディケンズの『荒涼館』をGoogle eブックストアで読む

ボイジャーの萩野正昭氏が「BinB」の記者発表時に言及していたように、アメリカのインターネット・アーカイブやOpen Libraryでも「Books in Browsers」による電子書籍の閲読サービスを行なっています。

ためしに同じディケンズから、「青空文庫」に収録された森田草平による『クリスマス・カロル』の日本語訳のOPen Library版を表示してみましょう。

■ディケンズの『クリスマス・カロル』をOpen Libraryで読む

また、以前の記事(台湾の電子書籍プロジェクト「百年千書」)で紹介した台湾の「百年千書」のプロジェクトでも、「Books in Browsers」の考え方が取り入れられています。

ワールド・ワイド・ウェブに溶けだす「本」

このように、これまで「電子書籍」と呼ばれてきたものが、「Books in Browsers」という発想によって、広大なワールド・ワイド・ウェブの世界へと溶け出しつつあります。

いつでも、どこでも、どんなデバイスや環境からでも、有料・無料を問わず電子の本にアクセスできるしくみができたとき、それを「電子書籍」や「電子書店」と呼ぶのか、それとも「電子図書館」や「電子本棚」と呼ぶのか、「縦書きで読めるウェブサイト」と呼ぶのか。それはもはや、好みの問題でしかないような気がします。

いまの電子書籍はアプリやプラットフォームのなかで孤立しており、相互に結びつくことがありません。しかし、そもそも本は相互参照の道具であり、ワールド・ワイド・ウェブ自体もその考えのなかから生まれたはずです。にもかかわらず、いつのまにか「電子書籍」という孤塁のなかに、コンテンツは囲い込まれてしまいました。

電子書籍という孤塁から抜け出し、「本」がウェブに溶け出していくことによって、新しい「本のネットワーク」が生れる。ウェブに溶け出した「ブラウザの中の本」であれば、本同士が相互にリンクしあい、言及しあうことも可能になります。「BinB」が「ブック・イン・ブラウザー」ではなく、「ブックス・イン・ブラウザーズ(Books in Browsers)」という複数形であることから、そんな夢をみるのは私だけでしょうか。

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僕がDIYで本をつくる理由

2011年12月5日
posted by 荒木スミシ

DIYというのは、たとえば「ログハウスなどをひとりで全部つくっちゃう」という意味合いのことだ。Do It Yourselfの略。そう、このDIY精神で「小説」を作っちゃえ、というのが、僕、荒木スミシ(noncafe books)である。

とにかくなんでも自分たちでやる。まず小説を書き、自ら編集し、それをデータ化し、行数や文字の間隔を決め、表紙もデザインし、なんと小説家なのに時には表紙イラストまで描き、流通も、書店営業も、すべて自分たちでやる。外注もなし。noncafe booksはそんな僕の活動を妻の明子がささやかに支えているというほんとに小さな形態である。

最新刊の『僕は本をつくりたい。』

僕は過去に幻冬舎やメディア・ファクトリーから小説の本を出した経験があるものの、「本作り」というのは、まったくの素人同然。妻も広告カタログの会社にいた経験があるので、パソコンは使えるものの、「本作り」に関しては、なんの経験もない。いわばふたりとも「へなちょこ」である。

しかしである。
そんな、へなちょこな僕たちが完全、DIYでつくった小説『プラネタリウムに星がない』がTSUTAYA TOKYO ROPPNGIで文芸週間ランキングの1位を(2週に渡って)獲得したのだ。さらに発売後3ヶ月経っているのに、TSUTAYA三軒茶屋店では9位に!新作の『僕は本をつくりたい。』もTSUTAYA三軒茶屋店のノンフィクション部門で週間ランキングの1位になったばかりだ。

むむむ。
これはその制作体制の小ささを知っている者にとっては、かなり驚くべきことであるようだ。大手出版社の営業はこのランキングを見て、こんな少発行部数の本がランクインなんて聞いたことない、荒木スミシ/noncafe booksなんて聞いたことない、と思って首をひねっているのだろう。

「街」から「個人」へ、そして「DIY系」へ

場所は兵庫県加古川市というかなーり田舎の町にあります。営業も夜行バスを使って行き来し、ほんとにここと決めたところに直接交渉して、200店舗にだけ置いてあります。小さく、小さく、がんばっております。

今は、地方の方が面白い行動を起こす時、向いていると思います。東京のスピードから自由になってみたいところもあります。

僕はかつて大手出版社で小説を出しながら、強く思ったことは、もっといろんな成功があるだろう、ということ。たとえば金銭的な成功もあれば、実は内容的、そして小さいが長い時間かけて売れる、愛されるというような種類の成功もある。なんだか瞬間的に売れるものばかりになってしまい、小さなロングセラーなんて生まれにくくなっているんじゃないか。みんな「大ヒット」を目指すだけの方法に思えたんです。

それに違和感を感じて、もっと映画でいうところの「ミニシアターでしか出せない味わい」の佳作をつくって打破したくなったんです。そこから始まるものがあるんじゃないかって、期待して。

そう思い、ここ4年間くらいの間に、他の人の作品を含めて15冊くらい小さく出版していきました。やってみて、見えてきたのは、「既存のやり方に飽きている客層」ってこんなにいたんだ、ということです。そういう新しい客層が生まれている。そういう狙いを理解して、棚をつくってくれる書店員さんも増えています。小さいですが、確かに。

そういう意味でも、DIY方式でつくる(いろいろ下手な部分もありますが)、意味がでてきたし、いろんな種類、方向性を持った本があるほうがいいと思っています。

僕は思うに、このDIY精神って、いろんな分野に芽吹き始めているんじゃないだろうか。何も芸術の話だけではありません。震災後の生活スタイルを考えた時、僕たちはこのDIYに魅力/活路を感じているのかもしれません。

僕は「渋谷系」の音楽を聴いて育ちました。自分たちの感覚にフィットする音楽を外国や過去などからも探して、取り入れてしまうような街と音楽が重なったムーブメントだったように思えます。それが今は街から離れ「森ガール」や「山ガール」になっていっているように思えます。街角に置いてあるZINEも「渋谷系」の進化したもの、ではないのか。

「街」から「個人」へ、そして「DIY系」へ……といった流れが見えてくるのは僕だけでしょうか。

音楽業界は出版業界の5年先の姿である、といえると思います。今、アーティストたちはレコード会社を次々と離れ、自主レーベルをおこしたり、ダウンロードサイトで作品を販売するようになってきています。

僕は出版業界も同じようになってくると予測します。つまり作家は出版社から離れて、自分たちで売るようになる。そして、DIY精神で「自分ですべてつくってしまう」という作家も現れる。(僕です)。そしてそんなDIYで田舎で作った小説が、大都会、東京・六本木や三軒茶屋で文芸週間ランキング1位になってしまうということも起こってしまうのです。

この落差。この痛快さ。
さて、へなちょこたちの逆襲が始まるのです。

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青空文庫がインターネット・アーカイブに収録

2011年11月25日
posted by 仲俣暁生

日本を代表するオンライン・テキスト・アーカイブである「青空文庫」に集められた著作権保護期間を満了した日本語の文学作品テキストのうち、 約4000 タイトルがアメリカのインターネット・アーカイブに収録され、オンラインで「電子書籍」として閲読できるようになりました。

インターネット・アーカイブ内の「青空文庫」のページ。

今回の青空文庫の収録にさいして、ボイジャーが発表したプレスリリースには、以下のような文言があります。

今回 Internet Archive に提供されたのは PDF 形式のファイルですが、縦書きにも対応した EPUB3 での提供が引き続き進められています。これらのEPUB3データは近々公開される予定です。ボイジャーは、今後も Open Library における “Aozora Bunko 青空文庫” コレクションの拡充を図るとともに、世界中の電子書籍読者にとってよりオープンで、より使い易い読書環境作りを推進します。その一環として、国際標準をめざす EPUB3 日本語表示の基準を提案し、国内出版物の世界に向けた流通と表現の自由の確保のために Books in Browsers に基づいたWebブラウザによる読書システムのリリースを準備しています。

さらに今回のインターネット・アーカイブへの日本語作品の登録に関しても、

Internet Archive の Open Library を通じて多数の日本語作品が公開されたことは、電子書籍流通における地域的な隔たりが世界規模へと変化していくことを象徴しています。無償であるパブリックドメイン作品は、ただちにビジネスに影響を及ぼすものではありませんが、 Internet Archive は、有償作品の流通を活性化する書籍情報の取得について積極的に関与しており、なおかつ、電子書籍の読者に対してLending & Vending(貸出と販売)の両立を保証する姿勢を示しています。グローバルな電子書籍流通は、近い将来において日本の読者へも大きな影響をあたえるとともに、福音となるだろうとボイジャーは確信しています。

とコメントしています。さらにこのプレスリリースは、インターネット・アーカイブで「BookServer」プロジェクトを推進しているピーター・ブラントリー氏から、ボイジャーに対して次のようなメッセージが届いたことも伝えています。

Internet Archiveは、志を同じくするボイジャーの協力・支援によって、青空文庫の閲覧がOpen Libraryを介してより広範に利用可能になったことをうれしく思います。私たちは今後、数ヶ月にわたって更なる日本語作品を加えていきます。容易にアクセス可能な日本文学作品の収録は、PDF として、そして近い将来 EPUB3 として、ネイティブな日本語読者ばかりでなく、世界中の日本語を学ぶ人々にとって大きな助けとなることでしょう。

成長する書誌カタログ「オープン・ライブラリー」

今回インターネット・アーカイブに収録された「青空文庫」の作品は、オープン・ライブラリーにも登録されています。オープン・ライブラリーはインターネット上の総合書誌カタログであり、同時にその閲覧・貸出・購入(Read, Borrow, Buy)をサポートするシステムでもあります。

どんな具合に閲覧できるのかを確認するため、さっそく萩原朔太郎の「猫町」で検索してみました(以下はiPadで読んだときの表示画面)。

作品名あるいは著者名で検索。右下の「Read」をクリックすると電子書籍が立ち上がる。

ブラウザ上で「猫町」(PDF版)を表示したところ。

さて、このオープン・ライブラリーはただのオンライン・テキスト・アーカイブではありません。さきの「猫町」の画面の右上に、「edit」というボタンがあることに気づいたと思います。ここをクリックすることで、ウィキペディアと同様、だれもがこの作品の書誌情報を編集することができるのです。

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「目次録」は本との出会いを革新する

2011年11月11日
posted by まつもとあつし

東京丸の内オアゾにある丸善丸の内本店。総床面積は1,750坪・蔵書数約120万冊というこの大型書店に、「松丸本舗」はある。迷路のように書棚が並び、一般的な作家や出版社別ではなく、テーマごとにセレクトされた本が並ぶこの場所は、一種独特な雰囲気を放っている。

ユニークな陳列で本好きの支持を集める松丸本舗。約5万冊の本で構成されている。

陳列のユニークさは、実際、売上にも繋がっている。7月29日放送のワールドビジネスサテライトでは、客単価が約3500円、丸善の他の売り場の約1.5倍と紹介された。この「松丸本舗」は丸善CHIホールディングスと編集工学研究所が共同プロデュースしている。

ブックナビゲーションサイト「千夜千冊」で知られる松岡正剛氏が率いる編集工学研究所は、現在は大日本印刷グループの丸善CHIホールディングスの資本傘下にある。メディアに露出することの多い松岡氏に対して、編集工学研究所そのものが紹介される機会はまだ少ない。

わたし自身もその名は何度か耳にするも、正直その活動の詳細は把握できずにいた。そこで大日本印刷と共同開発しているという「知の探索型ナビシステム」を切り口に、編集工学研究所の大村厳専務取締役、土屋満郎取締役・経営戦略室長に話を聞いた。

アマゾンのリコメンデーションとは異なる仕組みを

土屋満郎氏(編集工学研究所取締役・経営戦略室長)。イシス編集学校の出身でもある。

来年の本格稼働を目指して開発が進む「知の探索型ナビシステム」について、土屋氏は、「アマゾンが備える自動化されたリコメンデーションとは異なるもの」と説明する。よく知られているように、アマゾンはユーザーの購買履歴を元に、関連商品を表示し、 アップセル(より高価格帯の商品の購入を促す)やクロスセル(関連商品の購入を促す)を図るが、この編集工学研究所が目指すのは、松岡正剛氏が「千夜千冊」などの長年の読書、書評経験を通じて構築した「目次録」をベースとしたシステムだ。

「知の探索ナビシステム」のベースとなる「目次録」。松岡正剛氏は「目次を読む」ことを本の構造を理解した読書の手がかりとして重視している。(編集工学研究所の資料より)

米国型の垂直統合モデルではなく、既存のバリューチェーンを維持したまま水平分業型での電子書籍市場を目指した結果、電子書店が乱立し、ユーザーが「どこでどの本を買えばいいのか/買ったのか」が分からなくなる、といった混乱が起こったのは否定できないだろう(ASCII.jp:ユーザー軽視?書店乱立 「日本型」に向かう電子書籍|まつもとあつしの「メディア維新を行く」を参照)。

書店ごとに異なる購入手続き、決済手段、蔵書の管理方法、対応端末など、「電子書籍元年」から1年経ち、各社の取り組みが加速した結果、皮肉にも混乱は拡がってしまった。

今年7月に開催された東京国際ブックフェアでは、各社・団体が「共通本棚」「共通ストア」の仕組みをこぞって展示していたのが印象的だった。このような状態を解決するために、書籍の販売、蔵書の管理のスタート地点となる本棚のUI(ユーザインタフェース)を共通化することによって、その混乱を少しでも軽減しようというアプローチと言える。また、楽天、Yahoo!も電子書籍販売サイトを立ち上げることを発表し、各社ごとの扱いタイトルの分断は集約の方向に向かいつつある。そこで次の課題として浮かび上がるのが、「リコメンデーション」のあり方だ。

編集工学研究所が大日本印刷と取り組むのは、ユーザーの購買履歴から類似する(≒購入される可能性の高い)作品を勧めるのではなく、「この本を読んだユーザーは、この分野に関心があるはずだ」あるいは「こういった分野にも読書の領域を広げていけるのではないか」といった、読書体験豊富な目利きによる人手を介したリコメンデーションシステムなのだ。冒頭に挙げた「松丸本舗」をインターネット空間に再現することで、豊かな読書体験を提供し、結果として客単価の向上と言った収益にもつなげていく取り組みとも言えるだろう。

2011年10月にリニューアルされたISISサイト内の「松岡正剛 千夜千冊」。これまでに取り上げられた本の総数は、すでに1400冊を超えている。

親・子・孫の3階層からなる「目次録」のコード体系。親コードは16個、孫コードは5000個にも至る。単なるカテゴライズではなく、それぞれがコンテクストを持っている。

「『目次録』とは、いわば目次の目次の目次なんです」と土屋氏は話す。

図をみても分かるように、「目次録」のコードは図書館でよく目にするもの(日本十進分類法)とは大きく異なっている。松岡正剛氏が「千夜千冊」を含めた読書体験で蓄積した本一冊一冊の目次がメタ化し、あるいは細分化され、1つのコードの中に、「何をどのように知るか、理解するか」といった文脈が含まれているのが大きな特徴だ。

これによって、たとえば『もしドラ』(岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』)の関連書籍としてドラッカーの書籍ばかりが並ぶのではなく、「商人の哲学」というコードから「渋沢家三代」がピックアップされるといった具合に、意外な本との出会いが生まれるというわけだ。図書分類法と異なり、複数のコードの配下に同じキーワードが登場したりする。そのため、ツリー状というよりも、全体を俯瞰すると蜘蛛の巣のようなネットワーク状になっているという。あるタイトルの本が一箇所ではなく、あちこちの本棚に同時に存在しているようなイメージと言ってもいいだろう。

土屋氏は

「原発についての本であれば、環境・テクノロジー・エネルギー、そして政治・経済に関連しています。現行の図書分類の場合、本をどの棚に配置するのかが特定されていいけれど、1冊の本を強制的に分類値の体系のなかに押し込むことになります。多角的な見方をするならば1冊の本がさまざまな棚にあってもいいはずです。それに応える仕組みはないかということで編み出されたコードです。」

と抱負を語る。

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