第3信(仲俣暁生から藤谷治へ)
藤谷治様
お返事をしそこねている間に、すっかり秋になりました。先のメールで藤谷さんからは小説をめぐる「消費側の保守化」、そして僕が以前についSNSでつぶやいてしまった「ド文学」という言葉についての問いかけをいただきました。
その返事を書きあぐねている間に、出版業界では実にうんざりするような事件が起きてしまいました。日本を代表する文芸出版社である新潮社が、筆禍事件により「新潮45」という雑誌をほぼ即時に休刊にした。この雑誌は「文芸誌」でも「小説誌」でもありませんが、この茶番劇の中心人物は「文藝評論家」を名乗る人物でした。そういえば今年の初めには、やはり「文芸評論家」が起こしたセクハラ事件が話題になりました。文芸にまじめに取り組もうとする者にとり、今年は受難の年といえそうです。
ところで僕ははじめ、この往復書簡を「作家」と「編集者」という立場での意見交換と考えていました。でも先の書簡で藤谷さんは「文芸批評家」としての僕の仕事に言及してくれた。僕は「批評家」であるよりは「評論家」でありたいと思っているので、いまやすっかり価値が低落してしまった「文芸評論家」という肩書をあらためて受け入れようと思います。
さて、なぜ文学に対する人々のイメージがひどく古風であることと、限られた作品への一極集中が同時に起きるのか、という問いに戻りましょうか。逆にいえば、「創作現場における多様性」がなぜ、「消費における多様性」にそのままつながらないのか。そのことを少し考えてみました。
このことを考えるにはまず、いま小説の読者のなかで起きている「一般文芸」と「それ以外」との間の断絶に触れなければなりません。「え、一般文芸って何?」と思いましたか。この言葉は十年くらい前からネット上で見かけるようになり、いまでは書店や出版社でさえ取り入れている言葉です。いやな言葉だなあと思ううち、あれよあれよという間に流布してしまいました。
この「一般文芸」という言葉に含まれるのは、国内外の純文学、エンターテインメント小説、SF、ミステリー、ホラー小説、時代小説……。ようするに僕たちが「小説」と読んでいるものすべてです。「一般文芸」というそっけない言葉が与える印象とは裏腹に、ここにはきわめて多様な作品が含まれている。ところがその多様な小説を名指す言葉は、もはや「一般文芸」しかない。その結果、この言葉にしか頼れない読者には、小説の多様さが見えなくなってしまったのではないか。
では「一般文芸」ならぬ「特殊文芸」とは何か。これらには「ライトノベル」とか「ケータイ小説」とか「ウェブ小説」といった暫定的な名前がその都度つけられてきました。これらすべてを包含する言葉は、いまのところありません。ビールと発泡酒と第三のビールの関係みたいだなと思ったりするものの、そういうことでもなさそうです。
ここで不思議なのが、そのように呼ばれた側が「自分たちも一般文芸の側である」と主張しないことです。
僕らが若い頃には、「純文学」と呼ばれる主流文学に対して、SFやミステリー、その他のジャンル小説が「反主流」として存在し、両者がある種の緊張関係を保ちながら、相互に影響を与え合ってきました。その結果、いまでは「純文学」と「エンターテインメント小説」との間に――掲載される雑誌の性質や担当する出版社の部署以外で――明確な一線を引くことは難しくなりました。そのことを僕らの世代は、おおむね肯定的に受け止めてきたと思います。
僕らよりさらに前の時代の作家、たとえば三島由紀夫は、みずからの文学的営為の中核を為すべき「純文学」作品のほかに、「中間小説」(いまの言葉でいえばエンタメ小説)であることを自身も認めた作品を残しています。つまり三島はそれらを明確に「書きわける」意識をもっていた。さらに遡れば、坂口安吾、福永武彦、谷崎潤一郎、大岡昇平ら、多くの「純文学」作家が手遊びでミステリーを書きました。でもそれは彼らの「本業」ではありませんでした。
藤谷さんはどうでしょう。もちろん読者対象(女性向けだったり、子ども向けだったり)を意識する局面はあるでしょうが、小説のジャンルをどれほど意識しますか? でもいま読者の側で起きているのは、おそらくもっとドラスティックな「分離」です。藤谷さんのいう「消費における保守化」を推し進め、多様な作品にふれる機会を阻んでいるのはこの「分離」だと僕は考えています。
多くの人がいま「一般文芸」と呼ぶものは、ようするに「現役の小説家が書く小説すべて」のことです。そしてその外に「ライトノベル」や「ウェブ小説」や(かつての)「ケータイ小説」といった「特殊小説」がある。さらに、すでに亡くなった小説家――とりわけ文学史に名を残し、国語の教科書にも出てくる「文豪」と呼ばれるような作家たち――は別枠として特権化されている。それは「保守化」というよりも、「文豪」と「特殊小説」の間にある「一般文芸」の存在が、一般の人々からは見えなくなっている、ということではないでしょうか。
これはある意味で当然のことです。名だたる「文豪」の作品は公共図書館に文学全集として置かれていたり、インターネット上の「青空文庫」などで無料で読めたりします。とくに本屋に行かなくても、読者がそれらにふれる機会は他にいくらでも用意されている。「文豪」が残した古典(評価が定まった作品)と、ライトノベルほかの「特殊文芸」(とりわけいま読まれているのは「ウェブ小説」です)が活況を呈する一方、現役作家がものする「一般小説」が急激に落ち込んでいる。藤谷さんが『新刊小説の滅亡』で書いたとおりのことが進んでいるように思えます。
しかしこれではあまりに救いがない。いままさに書かれている小説は、たしかに「テレビタレントが薦め、インフルエンサーがブログに載せ、アマゾンのレビュー数が多い文学」しか読まれない。芥川賞か直木賞か本屋大賞でもとらない限り、「一般文芸」には目が向かわない。でもそれは、ようするに現代小説についての見晴らしや遠近法を与える仕組み、つまり歴史記述がなされていない以上、仕方がないことだと思います。若い人が存外、現代史を知らないのと同じです。
ところで大正から昭和へと改元された1926年からの数年間は、当時「円本」と呼ばれた文学全集が乱立し、異常なほど売れた時代として出版史に記録されています。文学全集とは、それまできちんと体系化されていなかった当時の「現代文学(明治・大正文学)」にパースペクティブを与え、序列化する営みでした。藤谷さんが「近代文学」と呼ぶものは、概ねこの「円本」時代に序列化が済んだ文学作品のことであり、「文豪」とはそこに収められることに成功した一握りの文学者のことです。
これと同じ作業が、そろそろ僕らの「現代文学」にも必要なのだと思います。
しかしその作業は誰が担うのか。おそらく「平成文学全集」は、これまでのようなかたちでは編まれないでしょう。しかし、多様でありながら未整理のままで置かれている現代小説、つまり「一般文芸」に必要なのは、書店の棚(あるいはブックオフの棚)やアマゾンのサイトとは異なる、それを必要とする様々な読者に向けた、いくつもの「体系」ではないでしょうか。僕らがミステリーやSFに出会ったとき、そして藤谷さんの新著『小説は君のためにある――よくわかる文学案内』(ちくまプリマー新書)で挙げておられる小説と、若い頃の藤谷さんが出会ったときに力を添えてくれたはずの、さまざまな「文学全集」や「文庫」のような。
この「体系」のことを「教養」――昨今またこの言葉が復活してきたのは不思議ですが――と言い換えてもいいかもしれません。「文芸評論家」という肩書を背負う以上、そして同時代の小説を少なからず読んできた以上、僕もそのような「体系」をつくる仕事を担いたいと願っています。でもそれはどうすれば可能なのか。あまりにも手がかりがなすぎて立ち尽くすばかりです。
執筆者紹介
- フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。
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