文芸誌「新潮」の10月号から連載が始まった上田岳弘の『キュー』という長編小説を、スマートフォンのブラウザでも無料で読めるようにした実験的なプロジェクトが進行中だ。「新潮」とYahoo! JAPAN、そしてデザイン会社のtakramが共同で行うもので、特設サイト上では「純文学の体験を再設計する」と謳われている。
「再設計」とはどのようなことか。シンギュラリティー(人工知能が人間の知能を上まわる技術的特異点)以後の世界を描こうとする『キュー』という作品自体が、きわめて野心的な試みである。それをどのような読書体験として提供しようとしているのか、紙の雑誌とウェブ版を読み比べてみた。
「縦書き・縦スクロール」は再設計といえるか?
「スマホならではの読書体験のスタンダード」と高らかに謳われているのは、「縦書き・縦スクロール」というユーザーインターフェイスだ。アプリやブラウザ上で動く従来の電子書籍のなかにも、いわゆる「ページめくり」だけでなく、スクロール型の読書が可能なものは存在した。ただし縦書きであればスクロールは横向き、横書きであれば縦向きと、文字列の向きとスクロールの向きは異なるのが一般的だった。
そもそも「スクロール(scroll)」とは「巻き物(巻子本)」、つまりページめくり可能な「冊子本(codex)」以前の本のかたちである。『キュー』で採用された「縦書き・縦スクロール」という組み合わせは、書物史的にもほとんど類例がないものだ。
ただし昨今のウェブコミック(ウェブマンガ)の世界では、縦書きを前提とする「ページ」という単位を保ちつつ、縦スクロールで読む方式が優勢になっている。マンガと同様、小説の表現を1ページ単位にレイアウトされた図像と考えるならば、「縦スクロール」という考え方もありだろう。『キュー』の場合、私も最初は戸惑ったが、読みすすむうちに快適に読めるようになった。
このウェブ公開版は、文芸誌「新潮」での連載よりも小刻みに掲載される。全9章であることが明かされているこの作品は、「新潮」誌上では1号あたり1章ずつ進むが、ウェブ公開版は週2回の更新で、本日(10月3日)時点で「1-8」までが読める。この「1-8」といった区切りは雑誌連載版には打たれていないので、あくまでもウェブ版の便宜上のナンバリングだ。
無料で読めてしまう点を除けば、小説をウェブで連載するというのは、新聞や週刊誌における連載とさして変わらず、ここにもとくに「再設計」された部分はみられない。本文を読み終えたあとに生成・表示されるアニメーションや、「キューのQ」と名付けられた読者に投げかけられる「不思議な質問」は楽しいが、これらも読書体験の本質とは関係のないギミックにすぎない。
逆にいえばこれは「小説」が、電子書籍やウェブ(あるいは新聞や週刊誌やスマートフォン)などに象徴されるメディア環境の激変にも関わらず、自立した言語表現として持続可能であることの証明かもしれない。
繰り返すが、『キュー』はこうした技術をたえず生み出してきた人類の営みを、文明史的な視野から描いたきわめて野心的な作品であり、作品自体の力で(純)文学を「再設計」しようとしている。それに対して、ウェブ上での「読書」を支えるインターフェイス・デザインは、それほど斬新な「再設計」がなされたようには感じられない。あるいはそもそも「再設計」など不要なのかもしれない。私はそんな印象をもった。
「文学」における次の特異点とは何か
今回の『キュー』のプロジェクトは、著作権保護期間が切れたテキストを集めた「青空文庫」や、「小説家になろう」のようなウェブ投稿小説サイトのプロジェクトと対比すべきだろう。「青空文庫」にあるのは、日本近代文学の古典を中心とする作品である。対してウェブ投稿小説は(すくなくともいまのところは)日本の文学史からは切れており、むしろネット投稿文化の流れを継ぐものだ。今回の『キュー』のプロジェクトは、前者と後者の間のどのあたりに位置しているのだろう。
「私の恋人」という作品ですでに三島由紀夫賞を受賞し、芥川賞候補にも二度なっている上田岳弘は、いわゆる「純文学」の小説家といえる。だが同時に、彼はIT系のベンチャー企業の役員でもあるそうで、シンギュラリティ仮説を含む技術動向にも詳しいと思われる(私は上田さんの小説を読み、ケヴィン・ケリーの『テクニウム』のことを連想した)。
『キュー』に登場する謎の語り手によれば、人類は《予定された未来》までに、18の「パーミッションポイント」を通過するという。そしていま私たちが生きている21世紀初頭は、以下を通過した時代だとされる。
《言語の発生》、《文字の発生》、《鉄器の発生》、《法による統治》、《活版印刷》、《自律動力の発生》、《世界大戦》、《原子力の解放》、《インターネットの発生》、この九つです。これらはどのように歴史を刻んだとしても、必ず通過したしたはずのポイントです。
そしてこの先にはAIが人類の知能を上回る《一般シンギュラリティ》や、《個の廃止》《寿命の廃止》さえ待ち受けている。そんな遠い未来までを念頭に書かれるこの小説は、まさに「文学」の再設計を企図したものだ。
『キュー』が掲載される文芸誌「新潮」の編集長も、このプロジェクトの特設サイト上で次のようなコメントを発表している。
18XX年、日本文学に特異点が訪れました。鎖国が破られ、近代的自我に相応しい「言文一致」という文章意識が確立された時点です。1904年に創刊された文芸誌『新潮』は、その特異点から誕生しました。そして20XX年――。情報技術革命と巨大な社会変化のただなかで、上田岳弘「キュー」は、新しいデジタルの舞台を得て、文学の次の特異点に向けて動き始めます。
残念なことに、このプロジェクトにしても『キュー』という作品自体にしても、ウェブではまだあまり話題になっていない。しかし紙で小説を読者に届けるのも厳しい。「文芸誌」(エンタテインメント小説を掲載する「小説誌」とは区別される)の発行部数は軒並み落ち込み、日本雑誌協会の印刷部数公表のページをみると、文芸誌4誌(「新潮」「文學界」「群像」「すばる」)の印刷部数は各6000部から約1万部にとどまる。ここから作家や批評家への献本や図書館での購読、書店での返品などを差し引くと、一般読者の手に届くのはごくわずかだ。
文芸書の場合、単行本の刷り部数も数千からスタートがふつうであり、小さな書店には配本さえされないこともある。ようするに現代の「純文学」は、どんなに意欲的な作品であっても、そもそも世の中の大半の人の目に触れる機会がないのだ。
今回の『キュー』のプロジェクトで興味深いのは、インターフェイス・デザイン面での新規性より、Yahoo! JAPANというプラットフォームとのコラボレーションのほうだ。特設サイトで小刻みに更新するだけでなく、小説をニュースサイトやアプリを通じて届けてもいいのではないか。あるいはYahoo!の検索結果と小説が連動するような大胆な仕掛けだって、あってもいいのではないか。
ITは、純文学という小さな世界の外へ、この気宇壮大な作品を届けるためにこそ役立つべきである。かつて言文一致というプロジェクトの完成に長い時間がかかったように、「文学を再設計する」というこのプロジェクトも、まだ始まったばかりでしかない。
【追記とイベント開催のご案内】
この記事の公開後、上田岳弘さんをお招きしての下記イベントが決定しました。詳細はリンク先をご覧ください。
「文学とテクノロジーとシンギュラリティ〜三島賞作家・上田岳弘さん公開インタビュー by マガジン航」
開催日時:10月28日(土) 17:00~18:30
会場:TORANOMON BOOK PARADISE 内(虎ノ門ヒルズ アトリウムほか)
参加料:1500円(当日支払い・ワンドリンク付き)
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/016rtyz5wzvw.html
執筆者紹介
- フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。
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