ガラパゴスからトランス・ローカルへ

2017年5月1日
posted by 仲俣暁生

先日でた鹿島茂の『神田神保町書肆街考』(筑摩書房)は、世界的にもユニークな「本の街」である神田神保町の地誌と歴史を綴ったモノグラフィーとして、とても面白い本だった。

この浩瀚な著作が伝えてくれることの一つは、神田神保町がいまのような「本の街」となった来歴と、東京大学(帝国大学)の存在がきわめて深く結びついている、ということだ。古書店街だけではない。岩波書店を筆頭に、日本の著名な出版社の大半は、東京大学のある本郷台地の裾野にあたるこの界隈にいまも集中している。まさに「ローカル」の最たるものである。

大学と書店、そして出版社が深い結び付きをもつのは当然といえば当然だが、いま多くの大学では生協の書店も教科書以外は品揃えが薄くなっており、複数の大学がキャンパスを構えるような場所でも、近隣に学生の多様な関心に訴えるような適切な規模の書店が存在しなかったりする。つまり大学と書店の関係性は、ローカルな結びつきとしてはほぼ消えつつある。

日本各地における書店(とくに地域の老舗書店)の苦境も、それを支えてきた大学を始めとするローカルな知識コミュニティとの断絶が大きいのではないか。

鹿島茂『神田神保町書肆街考』(筑摩書房)

東京一極集中の出版こそ“ローカル産業”である

私にとって目下最大の関心は、なぜ日本のメディア(とくに出版)はこれほどまでに東京一極発信なのか? ということだ。歴史的に、いつどのようにそうなったのか。いつまでもずっとそうなのか。現状、そうであることでうまくいっているのか。

「ローカル」という言葉の定義をはじめるとまどろこしいので、ここではあえて「地方」と言おう。地方とは、ようするに「東京(=中央)以外」のことだ。こういう表現が存在すること自体が、日本の知的風土の特殊性でもあるだろう。

いまもあい変わらず「出版不況」という言い方がなされるが、ようするにそれは「東京で、東京の編集者によって、東京の問題意識でつくられた本が、東京の読者(しかもそのごく一部)にしか届かなくなっているから」ではないか。初版部数が2,000部程度の本の場合、読者は果たして日本中にいるのか。議論そのものが東京および限られた大都市だけで流通しているのではないか、という疑いをどうしても拭えない。

日本の(つまり東京の)出版社が出す本の大半は、国内市場(その大半はやはり東京)に向けて書かれ、読まれる。往時にくらべ衰えたりとはいえ、7,000億円以上の自国語による書籍市場をもつおかげで、日本の出版社は海外市場に目を向ける必要が乏しかった。自国語市場が大きいことは素晴らしいことだから、それがただちに悪いとは言わない。

だが、東京中心主義の出版業界そのものが、世界的に見ればローカルそのものであるという事実は、一度くらい直視したほうがいい。日本の出版産業は、地方に対しても世界に対しても、あまりにも閉じてはいないか。

小豆島にある出版社・瀬戸内人の淺野卓夫さんが、台湾のアートブックフェアに参加した感想を綴った先日の「マガジン航」の記事でこう書いておられた。

代表のArgi Changさんから手渡されたカードには、ArtQpie の設立趣意書が英文で記されている。「(われわれは)地域コミュニティに対して、異なる見方・パースペクティブを共有する機会を提供し、都市と都市、街と街のあいだで多様なコミュニケーションが生まれるよう協同する」

ここで気づかされるのだが、いま台湾で「ローカル」の熱が高まっているのだとしたら、それは「トランス・ローカル」な思考や感性に根ざしているということだ。

このあとでも淺野さんは、日本の「ひとり出版社」や「ローカル出版社」と呼ばれる零細版元の活動について、トランス・ローカルとの対比として「ガラバゴス・ローカル」という言葉で懸念を表明している。だがトランス・ローカルなアクターになりえていないのは、なにも「ひとり出版社」や「ローカル出版社」だけではない。東京の出版社こそが、そもそもガラバゴス的なのだ。

まずは日本国内でトランス・ローカルな交流を

先月、東京の高円寺で不定期で行われている勉強会に招かれ、「オルタナティブとしてのローカルメディアは可能か?」という題で話をさせていただく機会があった。昨年「マガジン航」主催で行ったローカルメディアのセミナーを踏まえての報告を期待されてのことだったが、やや個人的な話に終始してしまった。その会では消化不良だったことを、ここであらためて話題にしたい。

両親とも東京生まれで、自分自身も東京に生まれ落ち、現在まで東京都内と千葉県西部でしか暮らしたことのない私にとって、その他の土地は旅行などで訪れる以外、生活上の実体験がほとんどない場所だ。だから、いま「ローカルメディア」と呼ばれているものへの共感的な眼差しが、サイードのいうオリエンタリズムに陥りかねない危険性はわかっているつもりである。

また、ローカルメディアが活況を呈している(ように見える)状況を面白がるのではなく、もっと具体的に「どのローカルメディアの、どのコンテンツが、どのように面白いのか」を語るべきだ、というある参加者からの問いかけも、ストレートに心に響いた。たしかに、個別のコンテンツについて語ることなく、状況や大枠の話ばかりが先行していたかもしれない。だが、それは上記のような個人的理由があるからだ。

東京もまたローカルの一つである。ローカルを「中央」対「地方」の構図の後者として位置づけるのではなく、「地域」あるいは「近隣」としてみたとき、その意味での「ローカルメディア」の象徴的な成功例は、1984年から2009年まで25年続いた『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』だろう(いまも「谷根千ネット」でその活動の概要を知ることができる)。

『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』の最終号(うしろ)と、同じこの地域で創刊された「青鞜」を特集した初期の号(手前)。

「谷根千(やねせん)」の愛称で親しまれ、行政区を超えた近隣地域一体に生活に密着したアイデンティティを与えた点で、『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』の活動は、東京北部における小さな「トランス・ローカル」の試みでもあった。だが、同種の試みが日本中の各地に広がらなかった(あるいは、広がってもここまで続かず、多くの人に知られなかった)ことも確かである。

もしかしたら「谷根千」のような活動は、東京のこの地域で、しかも1980年代から2000年代の始めにかけての時代にしか成り立たない、特殊なものだったのかもしれない。そもそも谷中・根津・千駄木地域は東京大学の後背地であり、文化資源にも歴史資源に恵まれている。その意味では、鹿島茂の本が詳細に描き出した神田神保町と同じく、首都・東京のローカリティを深く刻印された場所だ。だが、どちらの地域の経験も、その場所や時代という特殊性のなかにとどめておくだけはいかにも惜しい。

幸い、いまはインターネットをはじめ、印刷媒体以外のさまざまな手段がある。「谷根千」の活動や過去のアーカイブも、いまはネットで参照できる。台北のArtQpieの代表が語った「地域コミュニティに対して、異なる見方・パースペクティブを共有する機会を提供し、都市と都市、街と街のあいだで多様なコミュニケーションが生まれるよう協同する」というトランス・ローカルなアクションを、まず日本国内の各地の間ではじめることは、いまからでも十分に可能なはずだ。

「マガジン航」はそのためのプラットフォームになれたらと思う。各地域でローカルメディアにかかわる方(「東京」という地域からの視点も含め)の寄稿を歓迎します。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。