ケヴィン・ケリー来日雑感

2014年10月20日
posted by 堺屋七左衛門

米国の雑誌「WIRED」の創刊編集長ケヴィン・ケリーが日本を訪問して、2014年10月9日から10月11日にかけていくつか講演をしました。私はそのうち10月10日と11日の講演を聴講する機会を得ましたので、思いつくままにその感想を書いてみます。最初にお断りしておきますが、詳細なイベントレポートではありませんので、その点はご了承ください。

今回のケヴィン・ケリー来日は、今年の6月に『テクニウム』がみすず書房から出版されたことがきっかけです。この本は、2010年に刊行された『What Technology Wants』を服部桂さんが翻訳したものです。その出版を記念して、服部さんがケヴィン・ケリーを日本に呼んだそうです。

本題に入る前に、ケヴィン・ケリーと私のかかわりを簡単に説明しておきましょう。私、堺屋七左衛門は、ケヴィン・ケリーがブログ「The Technium」で発表したエッセイを翻訳して、「七左衛門のメモ帳」というサイトで公開しています。

ケヴィン・ケリーの文章は、技術に対してきわめて肯定的かつ楽観的な立場をとっていることが大きな特徴です。文章を読んだり講演を聴いたりした方はお気づきだと思いますが、ケヴィン・ケリーのような考え方をする人は、なかなか日本にはいません。そのユニークな発想に触発されて、新しいことを考えたり行動したりする人が日本に出現することを期待して、私はエッセイを翻訳しています。

今までケヴィン・ケリーとは何度もメールをやりとりしているのに、本人と会う機会がありませんでした。この来日のおかげで、ついに念願がかなって本人に会うことができました。ケヴィン・ケリーの文章は、独自の発想でぶっ飛んだ内容であることが多いので、なんとなく気むずかしい人なのかと想像していましたが、実際に会ってみると、とても親しみやすい人でした。すっかり安心した私は『テクニウム』と拙訳『ケヴィン・ケリー著作選集 1』にサインしてもらいました(写真下)。このサイン入りの2冊は私の宝物です。

2014年10月9日には、下北沢のB&Bで「ケヴィン・ケリー×若林恵×服部桂×内沼晋太郎「テクノロジーはどこに向かうのか?」『テクニウム』(みすず書房)刊行記念」というイベントがありましたが、残念ながら私は行けませんでした。参加した人の話を聞くと、非常に盛り上がって活発な質疑応答があったようです。

このB&Bでのイベントについては、安藤幸央さんが講演内容を書いていらっしゃいます(下の写真はB&Bのイベント風景:編集部撮影)。

安藤日記 [&] the technium – Kevin Kelly

[追記]
この日のイベントレポートがDOTPLACEでも公開されました。
前半:レクチャー編
後半:Q&A編

「技術は可能性や選択肢を増やす」

10月10日には、虎ノ門ヒルズで「WIRED CONFERENCE 2014 未来の都市を考える TOKYOを再インストールせよ」という大きなイベントが開催され、その中でケヴィン・ケリーの講演と対談がありました(写真下)。

このWIRED CONFERENCE 2014には幅広い年代の人が来ていましたが、とくに30代くらいの若い人が多いように見受けられました。18,000円もの高額な参加料を払ってこれだけ多くの人が集まるとは、WIRED CONFERENCEというイベントの持つ力に感心します。

このイベントは平日開催なので、私は参加を見送るつもりでした。ところが、私の翻訳したケヴィン・ケリーのエッセイ「今からでも遅くはない」をWIRED.jpに転載してもらったご縁で、WIRED編集部から招待していただき、聴講することになりました。

WIRED CONFERENCE 2014全体の様子については、【WIRED CONFERENCE】「都市の未来を考える」実況まとめ(2014/10/10) #wiredcon が参考になると思います。

また、後日、WIRED.jpや雑誌『WIRED』にもレポートが掲載されるそうです。

ケヴィン・ケリーの講演は、基本的には3日とも同じテーマで同じスライドを使ったものだったようです。したがって、このWIRED CONFERENCE 2014での講演の内容は、前述の安藤さんのログにあるB&Bでの講演とほぼ同様でした。

講演の次に行われた対談では、どこにいてもネットが使えるのに都市に住む必要があるか、子供のテクノロジー利用を制限するべきか、将来の技術はすばらしいものになるか、などが話題になりました。その質問に対する答えは、先のまとめをご覧ください。

講演も対談も、ウェブや本で読んだことがある話題ばかりですが、直接本人から話を聞くことで、より強い印象をもって受け止めることができました。私の印象に残っているのは、「技術は可能性や選択肢を増やすものである。未来のモーツァルトや未来のゴッホがその才能を開花させるために、私たちは新しい技術を発明していく義務がある」という話です。

適切な技術が用意されていれば、誰かの才能が埋もれずにすむ。そして、その才能によって新しい技術が生まれて、さらに次の世代の才能を開花させる。言われてみれば、その好循環が繰り返されるといいなあとは思いますが、そんな発想はなかなか出てきません。しかも、ケヴィン・ケリーはそのための発明を「義務」とまで言い切ってしまいます。発想にも表現にも独特なものがあります。

WIRED CONFERENCE 2014は都市がテーマということで、ケヴィン・ケリー以外の登壇者は建築系の人が多かったです。齋藤精一、ビャルケ・インゲルス、豊田啓介、エリック・ハウェラー、重松象平。私は専門外なので知りませんでしたが、建築の世界では有名な人たちらしいです。懇親会で何人かの参加者に聞いたところ、この建築系の人たちの話を目当てに参加した人も結構いたようです。

ちなみに、エリック・ハウェラーについてはWIRED.jpに次のような記事が掲載されています。

「所有」ではなく「アクセス」:ボストンの建築事務所が提案する、交通と都市の未来

この「所有ではなくアクセス」という主張は、ケヴィン・ケリーの考え方と似ているではありませんか!

所有するよりも都合が良い 七左衛門のメモ帳

ケヴィン・ケリーとエリック・ハウェラー、両者の考え方のどこが同じでどこが違うのか、とても気になります。いつかどこかで、この二人の対談企画があると面白そうです。

WIRED CONFERENCE 2014の話に戻りますが、会場ではロビーに販売コーナーを設けて、新刊書『テクニウム』を売っていました。昼休みにはケヴィン・ケリーが販売コーナーでサインをしていて、行列ができるほどの人気でした。後でWIREDの人から聞いたところでは、この日、会場で数十冊も売れたそうです。

この高価な本(定価4,500円)が会場で売れたということは、今までケヴィン・ケリーを知らなかったけれど、講演を聴いてケヴィン・ケリーに興味を持った人が多かったのではないでしょうか。もともとケヴィン・ケリーのファンだという人は、すでにこの本を買っているはずだからです。既存のファン以外の層にもケヴィン・ケリーの考えを広めることができたとしたら、このイベントの意義は大きいと言えるでしょう。

ケリーの著作は無料の電子書籍でも閲読可

10月11日には、日本科学未来館で「地球合宿2014」の一環として、ケヴィン・ケリーの講演がありました。科学未来館のシンボルであるジオ・コスモスの下に約300人が集まった講演会でした。

講演時間は昨日のWIRED CONFERENCEよりも長かったので、内容は同じであるものの昨日よりも落ち着いたペースで話が進行し、じっくりと聴くことができました。無料でこの講演が聴けるのは、非常に価値があったと思います。

しかし、その後の質疑応答が残念なものでした。質問を会場から受けるのではなく、あらかじめ主催者が五つの質問を用意していましたが、それが講演内容と直接には関係のない抽象的な質問だったので、議論が深まることもなく、つまらない時間になってしまいました。何らかの事情で会場の聴講者から質問してもらうことができないのであれば、いっそのこと講演だけにしておけば良かったのではないでしょうか。

なお、日本科学未来館のtwitterでの発表によれば「本日記録した英語音声の映像は、後日Youtubeへアップされる予定です」とのこと。

この記事でケヴィン・ケリーに興味を持たれた方は、『テクニウム』や『ケヴィン・ケリー著作選集 1』を読んでみてはいかがでしょうか。また、興味はあるけれど有料の本を買うのは躊躇するという方には、無料の電子書籍をおすすめします。達人出版会から『ケヴィン・ケリー著作選集 1』『ケヴィン・ケリー著作選集 2』『ケヴィン・ケリー著作選集 3』が刊行されており、クリエイティブコモンズ 表示-非営利-継承(CC BY-NC-SA)ライセンスにより無料で入手できます。

最後に感想をもう少し。今回の一連のケヴィン・ケリー来日イベントもそうですが、面白そうなイベントが東京で多いのは、東京から離れた所に住む者としていつも残念に思っているところです。わざわざ東京まで出て行かなければ、面白そうなイベントに参加できませんし、面白そうな人に会うことができません。ケヴィン・ケリーをはじめとして多くの素敵な方々とお会いしてうれしいと思う一方で、寂しい気分にもなる東京訪問でした。

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