「日の丸プラットフォーム」の本質を見誤るな

2014年5月18日
posted by まつもとあつし

5月14日、KADOKAWAとDWANGOが経営統合を発表した。この合同発表会はニコニコ生放送にアーカイブされており、その概要も既報なので割愛するが、日本経済新聞が「サブカルコンテンツをクールジャパンとして海外に発信」と報じたことに大きな違和感を覚えた(5月15日付「グーグルに挑む角川ドワンゴ連合 世界制覇の勝算 」)。クールジャパン推進会議の委員にも名を連ねた角川歴彦氏が、メディアに対して「日の丸プラットフォーム」を目指すと語ったことによる連想だと推測するが、正直ひどい誤解だと思う。

もちろん、そういった挑戦も今後取り組まれることの一端にはあるはずだが、今回の統合を「クールジャパンを発信」というキーワードで括ってしまっては本質を大きく見誤ることになる。

DWANGOとの経営統合の意図を語るKADOKAWAの角川歴彦会長。

この経営統合は、スマートフォンの普及に端を発した出版環境の激変に対する、出版「社」としての最適解だったと捉えるべきだ(社に括弧を付けている点にご留意いただきたい)。コンテンツメーカー(KADOKAWA)と、コンテンツプラットフォーム(DWANGO)が「結婚」を決めるという、世界的に見てもあまり例のない事件を私たちは目の当たりにしたのだ(正式には両社での株主総会決議を経ての経営統合であり、人気ブラウザゲーム「艦これ」の「ケッコンカッコカリ」と言ったところか)。

逆に言えば、このような解答を持ち合わせない他の大手出版社、さらにいえばジャンルを問わずコンテンツメーカーにとって「なぜ彼らにできて、自分たちにはそのような機会がもたらされていないのか? 残された機会は果たしてあるのか?」と、自問すべき出来事だったと言えるだろう。順を追って考えていきたい。

「垂直統合」へ向かう両社

AppleやAmazonのように商品調達から販売流通までを1社で手がける態様を「垂直統合」と呼ぶ。そのメリットは小売や卸といった中間業者を排することによって、価格や配達・伝送のコストやタイムラグを圧縮できる点にある。電子書籍のようなデジタル財の登場と、誰もがインターネットに常時アクセス可能なスマートフォンの普及とによって、そのパフォーマンスはこれまでになく高まっている。

「顧客第一」を標榜するAmazonのような巨大IT企業にとって、流通コストを圧縮し、商品を素早く、安価に届けることができる垂直統合は、消費者も支持する「正義」そのものと言えるだろう。

一方で、これまで出版物の流通や販売を担ってきた取次や書店といった中間事業者にとっては自らの存在意義を問われる事態になっている。コンテンツメーカーである出版社にとっても、製造・在庫リスクを吸収してくれていた彼らにバリューチェーンから退場されてしまっては、これまでのようなコンテンツ(作品)を生み出すための原資が失われてしまう。中長期でみれば、消費者にとっても、多様なコンテンツを享受する環境が失われることになるだろう(そもそもコンテンツが過剰供給であったのではないか、という議論はいったん措く)。

会見で角川氏は川上氏を指して「若い経営者をついに手にした」と述べた。KADOKAWAというコンテンツメーカーが、DWANGOというコンテンツプラットフォームを手に入れるということは、単純に考えれば、コンテンツのデジタル流通網を組み込む=垂直統合を果たす、ということを意味する。

経営統合後の持株会社で会長就任が予定されるDWANGO会長の川上量生氏。

これまでも資本提携を通じて、KADOKAWAコンテンツをDWANGOのニコニコ(動画・静画)で配信するということは行われていた。会見後の質疑応答でも「それでは不十分だったのか? そもそもDWANGOにとって提携にどんなメリットがあるのか?」という質問が続いた。すでにコンテンツプラットフォームとして日本では随一の地位を築いているニコニコにとって、(昨年の9社合併で多様なコンテンツを保持することになったとはいえ)KADOKAWAという一つの出版社と一緒になるということは、他の出版社との関係を考えても微妙な問題を抱えることになりかねないからだ。

常識的に考える経営者であれば、この選択は取り得ない。各社と(少なくとも見た目の上では)フラットに付き合って、取引機会を保持しておこうというのが、Apple、Amazon、Googleのような一般的なプラットフォームが通常採る選択だ。

あえての「結婚」

それでもなお「結婚」を選んだのはなぜか? その背景には二つの面があると筆者は考えている。一つは経済的な側面、そしてもう一つがより重要だが、コンテンツ産業全体の「理想」を求めた結果という面だ。

2010年に黒字化を果たしたニコニコ動画だが、その収入の大部分はプレミアム会員からの利用料で占められている。彼らを満足させるには、魅力的なコンテンツの調達・製作が不可欠だ(後に述べるようにユーザー自らによるコンテンツ生産が活発なのもニコニコの大きな特徴だが、それを誘発するための投資はやはり欠かせない)。そして、プレミアム会員の伸びは鈍化している(注1)。「一般化」を目指してそのユーザー層の拡大を図ってきたが、ニコニコならではの尖ったコンテンツという魅力と、一般化は相容れない部分も大きい。そして尖ったコンテンツは、大手広告主からすれば出稿の際のリスクになる。

(注1)財務情報|IR情報|株式会社ドワンゴ

日経が報じたクールジャパン=海外展開にその伸びしろを求めた時期もあった。アメリカ版・ドイツ版・スペイン版・台湾版のニコニコ動画が用意されたが、一時的な盛り上がりはあったものの、大きな成功を収めたとは言えない。現在は、日本版サイトにアクセスし言語を中文か英語に切替える方向に整理されている。ニコニコ超会議を始めとするライブイベントも認知度向上には寄与しているが、現在のところ赤字事業だ。

会見でKADOKAWAとの統合の意義を問われた川上氏は、「コンテンツが自分たちのものとして扱える点」を挙げていた。つまり、KADOKAWAの著作物を同じグループ内で扱うことで、調達コストを更に圧縮できるというわけだ。純粋に金額という面もあれば、契約・交渉に掛る手間を減らせるという面もあるだろう。実際、昨年の統合以来、KADOKAWAは電子書店BOOK WALKERや、多言語に対応した電子雑誌ComicWalkerの展開を加速させている。そこにニコニコが加わるのは確かに双方に取って経済的なメリットがあるとは言えそうだ。とはいえ、先に述べたように他社との関係を考えると、これは微妙な問題もはらむ。

やはり、それ以上に競合他社も含めたコンテンツ産業全体の理想を求めた結果であった、と見るのが今回の「結婚」を理解するためのポイントだと筆者は考える。

出版「社」が組織として存在する意義

出版に限らず、コンテンツ産業はデジタル化の波にさらされている。水平分業というエコシステムを維持するのが困難なことに加え、クラウド化=定額化が進むとコンテンツの廉売は避けられない。クラウド・定額型サービス同士で価格競争が起こると同時に、調達コンテンツの拡充を図るためだ。全体のパイがそれほど大きくならないところに、わり算の分母が増えては当然の帰結である。

実際、音楽定額配信サービスSpotifyはユーザーに利便性を提供する一方で、権利者の元にもたらされる1曲あたりの利益は減少することが分かっている。だが逆に、アーティストがそこで出版「社」を介さず直販を行えば、利益を増やすことができるはず、という主張もある。国内でもAmazonのKDP(Kindleダイレクト・パプリッシング)で大きな利益を得た作家も現われている。コンテンツのバリューチェーンにおける組織としての出版「社」の存在意義が、待ったなしで問われているのが現状だ。筆者は2011年から電子書籍をめぐり、さまざまな取り組みを追い関係者に話を聞いてきたが、立場の違いはあれども、彼らのなかには常にこの問いが中心にあった。

コンテンツのジャンルを問わず、出版「社」が組織として存在する意義は、多様な商品への投資によるポートフォリオの形成=リスク分散が第一にあり、そこで生まれたヒットを原資として、新たなクリエイターの発掘とその育成を図るというものだ。すでに顧客を抱えているクリエイターであれば、ダイレクト販売によって手元の利益をかさ上げできる可能性はあるが、コンテンツ産業全体を見れば、その利益が新人発掘や育成に再投資される余地は小さくなってしまう。これが行えるのはデジタル化の時代にあっても、組織としての出版「社」を措いてほかにない。

この問いに対する理論上の完全解を、今回の KADOKAWA×DOWANGOの統合は示した、と筆者は考える。両社の動向を見てきた者からすれば、いつかはいずれ、とのイメージはあったものの、株式会社に課せられた株主利益の最大化の追求という一種の制約を超えて、実際にここに至ったのは感慨深いものがある。

「複雑系」な垂直統合

会見中、角川氏はDWANGOの川上氏を指して「複雑系」と評した。今回の経営統合は、まさに「複雑系な垂直統合」と呼ぶべきものだ。これはAppleや Amazon、Googleが構築してきた垂直統合とは大きく異なるものなのだ。彼らが持っていないものとは何か? それはユーザーコミュニティだ。デジタルなバリューチェーンが従来のそれと大きく異なるのは、バリューチェーンの各所においてプロだけでなくコンシューマーが介在でき、そうすることで、コンテンツへの参加意識=共感が生まれ、作品のヒットにつながる可能性が高まる点だ。

クラウドファンディングは資金調達だけでなく、企画段階からこの参加意識をユーザーに喚起させる役目が大きい。ニコニコ動画ではクリエイター奨励プログラムが用意され、資金の分配が行われている。「初音ミク」はニコニコ動画でユーザーによって楽曲が発表され、映像とのミックスによりファン層を多様なものにした。すでに音声合成ソフトウェアという出自を越えて、経済圏を確立させているのは周知のとおりだ。

テレビアニメの配信でも大きな成果を上げている。いわゆる深夜アニメは放送で全国をカバーしているわけではない。ニコニコ動画であれば時間・場所の制約から解放されるだけでなく、コメント投稿によってコンテンツの楽しみ方が多様なものになる。

つまり、ニコニコ動画ではバリューチェーンの各局面において、ユーザーが介在することによって新たな価値が生まれ、それがヒットに繋がっている。それは角川氏が著書(『グーグル、アップルに負けない著作権法』)で「エコシステム2.0」と呼んだ新しい生態系そのものだと言えるだろう。

これまでのような生産→流通までが一本の直線で結ばれるものではなく、ユーザーの介在によって各所で枝分かれし、交わりあい、化学変化が起こっている。個別の事象だけを見ても全体の把握が難しい、まさに複雑系そのものとも言える(ちなみにそれをリアルで体感できる場が「ニコニコ超会議」だ)。

ユーザーコミュニティの重要性

進化するIT環境とそれに応じて変化するユーザーの嗜好にあわせて、エコシステムそのものも適宜変化しなければならない。DWANGOがその変化に必要な技術力を持ち合わせていることも大きい。外注して納品されるシステムでは、このようなエコシステムとしての特性を持ち得ない。

Appleは音楽を核としたユーザーコミュニティ「Ping」の形成に挑戦するも失敗した。Amazonもユーザーレビューの仕組みは持つが、日本での読者コミュニティ形成にはさほど関心が無いようにも見える(米Amazonは昨年、読者コミュニティサイトのGoodreadsを買収した)。GoogleはGoogle+をどう確立させるのか、まだ模索が続いている状況だ。各社とも世界最高レベルの技術力と資本力を持っていることは議論の余地がないが、それだけではユーザーコミュニティによるエコシステムの形成には至らないのだ。

では国内の出版社はどうか? 電子書籍ブームの中、各社は通常の書籍にくわえ、従来の「週刊誌」「月刊誌」というメタファーでそのまま雑誌をデジタル化し、自社著作物をパッケージしたコンテンツの販売に取り組んできた。それはこれまで見てきたような複雑系な垂直統合とはまったく異なり、単に紙を電子に置き換えただけに過ぎない。自社コンテンツを集約しただけではユーザーの「参加」を促すには足りない(ユーザーは他社のコンテンツも参照し、言及し、ミックスしたいのだ)。マンガボックスのような各社相乗りのプラットフォームはその端緒と言えるが、それは果たして今後どんな姿になっていくだろうか?

今回の統合を「クールジャパンの輸出」とあさっての方向に報じた日本経済新聞をはじめとする報道メディアも、同様の課題に直面している。市民記者によるコンテンツ調達という取り組みは、編集リソースの不足(=原価の高い人的リソースを満足させるマネタイズが確立されていなかった)によって一度破綻を見ている。やはりそこで起こっているのもGunosyのようなコンテンツの相乗りプラットフォームへの否応なき移行だ。

記者会見では両社のシナジーによるプラットフォーム形成がうたわれた。

「日の丸プラットフォーム」の本質

デジタル化されたコンテンツは、物理的なパッケージのような「希少性」を持ち得ない。希少性が薄い財の価格は必然的に低くなり、ユーザーとの接点を持つものが価格決定など市場における主導権を握る。できるだけ安く仕入れ、利益を確保して販売するのが商売の基本だ。工業製品のようにデジタルコンテンツを一つの完成品として卸し、販売を委ねるかたちを取る限りは、この縛りから逃れることはできない。クラウド化→定額化→廉価販売→利益の低下という負のスパイラルから抜け出すには、ユーザー参加による付加価値の創出を可能とする「場」作りを自ら行える体制になるほかないのだ。

それは、短期的に見れば出版社、IT企業双方にとって必ずしもメリットばかりではない、というのはこれまで見てきたとおりである。世代は違えども、そのハードルを越えることによる理想像を共有できた二人のビジョナリーの邂逅あってこその、「日本型プラットフォーム」なのだ。

冒頭に挙げた問いを改めて提示したい。

「なぜ彼らにできて、自分たちにはそのような機会がもたらされていないのか? 残された機会は果たしてあるのか?」

今回の統合は、ユニークな企業同士がたまたま結合したものではない。デジタル流通がもたらすインパクトから誰もが逃れられないなか、国内外のプレイヤーがプラットフォームをめぐる戦いを繰り広げている。単にコンテンツの掲載、販売を委ねていたはずが、いつの間にかエコシステムそのものの主導権を握られていた、ということも起こりうる。今回の統合から何を本質として抽出し、自社の戦略と照らし合わせることができるか、コンテンツに係わる当事者たちの感性が問われている。

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執筆者紹介

まつもとあつし
ジャーナリスト/コンテンツプロデューサー。ITベンチャー・出版社・広告代理店などを経て、現在フリーランスのジャーナリスト・コンテンツプロデューサー。ASCII.JP、ITmedia、ダ・ヴィンチ、毎日新聞経済プレミアなどに寄稿、連載を持つ。著書に『知的生産の技術とセンス』(マイナビ/@mehoriとの共著)、『ソーシャルゲームのすごい仕組み』(アスキー新書)など多数。取材・執筆と並行して東京大学大学院博士課程でコンテンツやメディアの学際研究を進める。http://atsushi-matsumoto.jp