デジタル時代に「出版=清貧」は通用しない

2012年12月13日
posted by 鎌田博樹

米出版大手5社の談合問題(司法省の独禁法提訴と消費者訴訟)は、あまりにもあっさりと出版社側の全面敗訴に終わった。数年がかりの訴訟を予想していた関係者の予想は大きく外れ、出版社は多額な賠償金を課された上に、アマゾンに対しても譲歩を余儀なくされ、何よりも社会的威信(公共性というブランド価値)を失った。おそらくこれが最大の損失といえるだろう。

今年最大の事件であった訴訟案件は、図書館のE-Book貸出問題とかなり深く関わっている。アマゾンだけを警戒しつつデジタルで儲けていた大出版社には、いま請求書が届き始めた。

ベストセラー本に3~5倍の“図書館プレミアム”

ALA(アメリカ図書館協会)と大手出版各社との交渉は昨年から1年あまり静かに続いてきたが、進捗ははかばかしくない。マクミランやペンギンが「パイロット・プログラム」と称する限定的な提供で止めているように、ALAが希望し、大手以外の多くの出版社が認めている、紙と同一条件(公正価格での販売、貸出無制限)が実現する方向には向かっていない。9月末の公開書簡は、当事者間の紳士的交渉では状況が打開できないと判断したことを示したものだった。

ALAは主張・要望の明確化、調査に基づく事実の公表という議論の社会化のための(民主主義社会では正規の)ステップを慎重に踏み出した。つまり出版社に対し(同じ世界の長年のパートナーとして尊重する姿勢を維持しつつも)、公衆(reading public)の利益の擁護者として、図書館の直接的スポンサー(公共政策に関わる連邦と州の政府と議会)と付き合っていくということだ。

とくに月間の購入図書価格のレポートはインパクトが大きかった。例えばコロラド州のダグラス郡図書館(DCL)では、全世界で4,000万部以上を売ったE.L.ジェームズの ‘Fifty Shades of Grey’について、アマゾン価格$9.99に対して5倍に近い$47.85、ローラ・ヒレンブランドの ‘Unbroken’ では同$12.99に対して$81(3M/OverDrive)といった具合だ。図書購入予算は減る一方なので、これでは他の本が買えなくなってしまう。DCLによれば、ベストセラー本がなかなか入手できない利用者からの苦情に答える意味で公表したのだという。

ちなみに、図書館の貸出期間は2週間なので、理論的には年間26回のサイクルが可能だが、図書館側の実績ではベストセラー本でも14回を超えることはないという。NY市立図書館が(貸出し回数を26回に制限している)ハーパーコリンズ社のE-Book(5,120点)について、今年初めの時点で調べたところ26回を超えたものはなかったという(The Digital Shift, 03/2/2012)。

ベストセラー本への需要は一時期に集中するので、希望者は(5,6人もの)待ち行列に並ばなければならない。しびれを切らした人は(かなりの確率で)書店に行くか、あるいは別の本に向かう。ALAの調査では、借りた人が同じ本を(紙または電子で)購入する確率は35%というから、心をとらえた本なら、読者は読み捨てにはしないということも言えそうだ。これらすべてのデータが、大手出版社の「強欲」を印象づけるためのものであることは言うまでもない。他方で、出版社は「万単位の図書館から無限に貸出しが続く」という妄想から離れていない。

これまで出版業界は、出版こそ世の光、地の塩の社会的・文化的・教育的事業で、リスクと薄利に耐え、関係者の熱意に支えられて細々と営んでいるという一面(のみ)を強調することで世論を操作することに成功してきたのだが、デジタルはそうした「現代の神話」の別の面を社会に教えてしまった。「金持ちの強欲」である。これはウォール街の企業マフィアに重なる。

デジタルならば経済的に著作権者が打撃を蒙るというのは妄想にすぎない。New York Times ベストセラーリストの半数あまりは、そもそも図書館には入手不能だ。’Hunger Games’はアマゾンのKindleライブラリではPrime会員向けに貸出されているが、どこの公共図書館でも読むことができない(アマゾンは出版社に購入と同額の代金を支払って出版社を潤している)。図書館を敵視する大手出版社の姿勢は、アマゾンを輝かせているといえないだろうか。アマゾンは「損して得取る」方法を知っているからやっているに過ぎないというのに。

出版はふつうの商売と見られるようになった

最近のベストセラー作家の多くは、莫大な広告に支えられた大家や、名編集者の薫陶を受けて世に出た無名の新人たちではなく、粗削りながら自分で作品を世に 問い、売り込み、話題をつくり、SNSを通じて固定ファンを持つ。彼らを発見し、励まし、育てたのは出版社ではなかった。大手出版社は巨大な成功を確信したからこそ、「たたき上げ」の人気作家と高額で契約し、大家と同じマーケティングで成功させたのだ。

アマチュアが自主出版で100万部売る時代に、大手出版社がローリスクで入手した版権で4,000万部を売って、なお清貧を装うことは賢明とは言えない。世間の怒りならまだしも嘲笑を買うからだ。デジタルによって時代は変わった。出版は儲かるビジネスと見做されるようになった。

アップルと5社の談合に対する司法省の独禁法調査、裁判での予想外の早い決着は、出版という社会的・経済的活動の性格の変化を司法界が認定したことを意味する。市場の機能を制限すること(つまりカルテル、再販価格維持)に社会的合理性はない、という欧米司法界の判断は、重要で歴史的なものだ。簡単に言えば、「商売したいのなら堂々とやれ!」ということ。

ALAはこの潮目の変化を正確に認識し、攻勢に出た。出版が私的経済活動でなく社会的なものであるとすれば、公共図書館の機能を制限してまで複製権(商業的権利)を社会が無制限に保護すべき理由はない。政府は少数の金持ちの味方であるべきではない、という世論を巧みに捉えたALAは、見事なまでに政治的であると言えよう。「健全な読書エコシステム」の確立に向けた動きが停滞している状況について指摘し、図書館は利用者のためにこれ以上は拱手しているわけにはいかない、とサリバン会長は述べたが、多くの共感を得るものだった。大手出版社との交渉に1年を空費していたわけではなかったのだ。

ALAが問題にしている「読書エコシステム」のデジタル化は、関係者の予想を超えた形で進んでおり、需要の多い大手出版社のタイトルが電子版で提供できない状態では、利用者が減り、公共予算は縮小し、やがては公共図書館の廃止に向かうという危機感が広がっている。多くの自治体が財政危機に苦しむ中で、図書館の廃止・縮小は現実問題であり、その理由にされているのが、デジタル時代には個々の図書館が本を購入する必要はないというものだ。E-Bookは図書館業務を効率化できるという点ではプラスだが、本を購入・蓄積するという公共図書館の伝統的役割に不要論が広がってもいる。時間はあまりないのだ。

図書館とのパートナーシップは出版社にアリバイを提供する

他方で、事情は出版社にとっても同じだ。図書館のない出版は、公共性のオーラが喪失することを意味し、これまで他のメディアに対して、あるいは本を扱う他の業態(取次、書店)に対して持っていた「知的・道徳的」優位のようなものが剥奪されてしまう。おそらくオーラなしでは21世紀の出版社はひとたまりもなく他のメディアに吸収されてしまうだろう。

出版社の歴史がたかだか300年程度なのに対して、図書館は3000年あまりの歴史を持っている。市民社会の誕生以前は、王侯貴族や寺社が主宰者、後援者だったが、彼らは「知は力なり」の信奉者であり、だからこそ自由な出版のない時代の「力の装置」としての図書館の意味を知っていたのだ。無知で強欲な出版社はいずれ淘汰されるだろうが、その前に図書館が潰されてはかなわない。

Ebook2.0 Weekly Magazine の前号(「図書館のE-Book貸出しは出版物の販促に貢献」)で、図書館には、マーケティング的にみて“サンプル効果”と“推薦効果”の二つがあることを指摘したが、これと中小出版社への“買支え効果”によってビジネスとしての出版のエコシステムが裨益するところは非常に大きい。経済価値というだけでなく、出版の社会性の多くは図書館の機能(アクセス/保存/知的権威)によって支えられている。

図書館のない社会は、新聞のない社会よりも悪いものとなるだろう。出版エコシステムは読書エコシステムと表裏の関係にある。そして後者は完全に市場化することはできない。後者はおそらく個人の購入と同等(もしかしたらそれ以上)に、図書館の貸出しや家族や友人どうしの貸し借りや贈与など非経済的交流によって成り立っているからだ。

タダで本を読むな(カネがなければ分相応に読め)ということを、出版社の人間が言わないのは、図書館の存在を暗黙の前提としているからだ。しかし図書館が滅びれば読書も滅びるし、読書を前提とした知識社会も滅びるだろう。もちろんGoogleやアマゾンの私設図書館は残り、“公共性”を誇ることになる。しかし、そんな社会に出版が存在を続けられるだろうか。

※この記事はEbook2.0 Weekly Magazine で2012年11月29日に掲載された記事「デジタル時代に「出版=清貧」は通用しないこと」を、著者に加筆をいただいたうえ改題・再編集して転載したものです。

■関連記事
図書館のための電子書籍ビジネスモデル
大手出版5社はEブック談合してたのか?
0円電子書籍端末から本の公共性を考える
電子図書館のことを、もう少し本気で考えよう

執筆者紹介

鎌田博樹
ITアナリスト、コンサルタントとして30年以上の経験を持つ。1985年以降、デジタル技術による経営情報システムや社会・経済の変容を複合的に考察してきた。ソフトウェア技術の標準化団体OMGの日本代表などを経て、2009年、デジタルメディアを多面的に考察するE-Book 2.0 プロジェクトに着手。2010年より週刊ニューズレターE-Book2.0 Magazineを発行している。著書に『電子出版』(オーム社)、『イントラネット』(JMA)、『米国デジタル奇人伝』(NHK出版)など。情報技術関係の訳書、論文多数。2013年、フランクフルト・ブックフェアで開催されたDigital Publishing Creative Ideas Contest (DPIC)で「グーテンベルク以前の書物のための仮想読書環境の創造」が優秀作として表彰された。