キンドル・ストアが日本でもオープン

2012年10月27日
posted by 仲俣暁生

10月25日にアマゾンがついに日本でもキンドル・ストアをオープンし、Kindle端末の予約受け付けと、Kindle版電子書籍の発売を開始しました。

アメリカですでに発売されているKindle FireやKindle Paperwhiteといった端末の日本での発売に話題が集中したため、これらの専用端末がなくても、電子書籍の購入が可能であることをまだ知らない人も多いようです。しかし10月25日のストアのオープンにあわせてiOSとAndroid向けのKindleアプリが公開されており、これらをインストールすればKindle用の日本語や英語の電子書籍を読むことが可能です(ダウンロードはここから)。

紙の本とKindle版の価格差はまちまち

私もさっそく、いくつかの本を買ってAndroid端末のNexus7と、iPhoneやiPadで読んでみました。アマゾンのプレスリリースで明らかにされているとおり、開店時点でのキンドルストアの品ぞろえは、期待されたほど多くはありません。青空文庫などの無料コンテンツが約1万、マンガが約1万5000(ただし同一タイトルのコミックス各巻を合計した数)、その他の一般書籍が約2万5000、あわせて約5万というタイトル数だけをみれば、あれほど畏れられていた「黒船」とは思えぬほどの、ささやかな船出です。

ただし、キンドル・ストアはあくまでもアマゾンの巨大な通販サイト全体の一部門であり、紙の本とKindle版が同列に扱われています。とくに電子書籍を読みたいわけではないけれど、ある本をアマゾンで探してみたら、紙の本だけでなく、たまたまKindle版もあった。じゃあこっちで読んでみよう、という出会いが可能なところが、すでに紙の本で圧倒的な強みをもつアマゾンの、「電子書籍ストア」としてのアドバンテージです。しかもその場合、読者はべつにKindle専用端末をもっている必要はなく、AndroidかiOSか、どちらかのスマートフォンかタブレットさえあればいいというわけです。

さて、ある本を紙と電子書籍のどちらで買うか。その際の判断の鍵を握るのは、やはり「価格」でしょう。すでにオープンしている日本の電子書籍ストアに比べ、アマゾンがとりわけ安いわけではありません。私が買ったなかで、紙と電子書籍の価格差がいちばん大きかったのは、ゲーム・デザイナーのジェイン・マクゴニガルの『幸せな未来は「ゲーム」が創る』(早川書房)という本でした(彼女のことは以前、「Gamificationがもたらす読書の変化」という記事でも紹介したことがあります)。この本の場合、紙版の価格が2940円に対し、Kindle版は1714円とかなりの価格差があります。しかし、この本はhontoの電子書籍ストアでも1800円で売られており、Kindle版との差はわずかにすぎません。

Kindle版と単行本(紙版)、中古品の値段が一目で比較できる。

hontoとアマゾンの違いがどこにあるかといえば、hontoの場合もページの下の方に、「この著者・アーティストの他の商品」という一覧があり、そこを見れば紙の本と電子書籍の価格差がわかるのですが、直感的ではありません。しかしアマゾンは上の画像のように、どちらのランディングページでも両者の価格(さらに「中古品」も)を並べて簡単に比較可能にしています。しかも電子書籍のほうをご丁寧に「OFF ¥1226(42%)」と表示するという念の入れよう。このあたりは憎いほど商売上手であることを感じます。

「出版社により設定された価格です」

日本でキンドル・ストアの開店がここまで遅れ、また当初の品ぞろえも貧弱になった理由のひとつに、電子書籍の価格決定権を出版社とアマゾンのどちらがもつか、というせめぎあいがあったと言われています。いわゆる、エージェンシー・モデル(前者)とホールセール・モデル(後者)をめぐる意見の相違です。

紙の本は著作物再販適用除外制度(いわゆる「再販制」。エージェンシー・モデルの一種)によって、出版社が定価販売できる(=小売店が自由な値段で売ることができない)という特殊な商品です。しかし電子書籍は紙の本とことなり、再販制が適用されないことを公正取引委員会が表明しているため、本来ならば「小売店」である電子書籍ストアの側が、自由に値付けしていいはずです。しかしアマゾンが大幅な安売り競争をしかけ、圧倒的に強いプレイヤーになっては、既存の出版業界の秩序が破壊され、困る人が出てきます(大原ケイさんが2年前に書いた「本の値引き競争で笑うのは誰?」という記事も参照)。そうした事情をアマゾン側が呑み込んだためか、せっかくオープンしたキンドル・ストアには、あっと驚く目玉商品が(端末以外に)なにもない、という状況でのスタートとなったわけです。

しかし、そうした状況がアマゾンにとって望ましいことであるわけはなく、キンドル・ストアにはこっそりとしたイヤミ(?)な仕掛けがほどこされています。たとえばこの本の価格表示を見てください。これはベストセラーとなった貴志祐介『悪の教典』上巻(文藝春秋)のKindle版の値段です。この本の場合、文庫本とKindle版では価格差がありません。Kindle版と単行本の価格差をディスカウントであるかのように表示しているのはいただけませんが、ここはすぐに修正されたようです。それ以上に注目してほしいのは、そのあとの「出版社により設定された価格です。」というフレーズです。

「出版社により設定された価格です」という表示に注目。

さきほどのマクゴニガルの本のKindle版には、このような表示はされておらず、販売も出版社ではなく、Amazon Services International, Inc.となっており、どうやらこの表示がある電子書籍とないものとがあるようです。気になって他の本もいろいろ見てみると、Kindle版が紙の本よりも安い場合でも、同様に「出版社により設定された価格です。」と表示されているケースがありました。いずれにせよ、この表示がある電子書籍は、紙の本と同様、出版社が「価格決定権」をもっているということだと思われます。文藝春秋のほかに、大手出版社では講談社や集英社、小学館にはこの表示があります。また早川書房のほか、新潮社、幻冬舎、角川書店、東京創元社などのKindle版には、この表示がありませんでした。ちなみに紙の本とKindle版の価格差は、この表示の有無とはあまり関係ないようです。

上の大原ケイさんの記事によれば、アマゾンがアメリカでキンドル・ストアをオープンしたときは、「ハードカバーで定価20ドル以上もするような売れ筋の本のキンドル版を9.99ドルで売り始めた」そうです。日本では9.99ドルといえばほぼ文庫や新書の値段。さすがにそこまでの安売りはいまのところ見られませんが、出版社が価格決定権をもっていない本の場合は、そうしたことがありうるかもしれません。また逆に、日本でキンドル・ストアがオープンしたことで、それまでよりアマゾンで買うときの洋書のKindle版の値段が値上がりした、という話もあります。これもその本を出している海外の出版社がエージェンシー・モデルで価格決定権を行使した結果とのことです。

Kindle FireやKindle Paperwhiteの発売を首を長くして待つ間、キンドル・ストアで売られている本の価格の推移を注目していくのがよさそうです。

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執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。