IDPFカンファレンスに見たEPUB 3の現状と課題

2012年8月9日
posted by まつもとあつし

さる7月4日に東京ビックサイトで行われた国際電子出版EXPOの基調講演「人々が求める書籍/出版に私たちはどう応えていくのか」には、7月19日に電子書籍サービスkoboのスタートを控えた楽天の代表取締役会長兼社長の三木谷浩史氏をはじめ、講談社代表取締役社長の野間省伸氏、丸善CHIホールディングス代表取締役社長の小城武彦氏、IDPF事務局長のビル・マッコイ氏といったキーパーソンが顔を揃え、会場には出版関係者を中心に2000人以上が詰めかけた。

国際電子出版EXPOで行われた基調講演には業界のキーパーソンが登壇。

壇上で野間氏が「打倒アマゾン」と大きくプリントされたTシャツが掲げるという一幕もあり、名指しはされないもののKindleを念頭に、それに対するkoboへの期待が講演では語られた。Amazonと異なり、出版社側に実質的な価格決定権(エージェンシー・モデル)を認めるkoboは、国内出版業界から見てもWIN-WINな関係を築くものと映ったはずだ。「読書革命」を標榜する三木谷氏の自信を支えているものは、こういった国内出版界からの支持と、買収したカナダkobo社が所有するグローバル版権(大原ケイさんによる記事「楽天、kobo買収の本当の意味」も参照)、そして日本語対応が進むEPUB 3の全面採用だ。

だが、読書端末kobo touchの発売から10日以上が経った現在も、koboのネット上の評価は決して良いとは言えない。端末そのもののアクティベーションが当初上手く行かないケースが頻発したこと、動作速度や使い勝手が良くないこと(たとえばこの記事を参照)、そういったユーザーからのレビューを「緊急処置」としてサイトから遮断したことに加え、肝心の書籍タイトル=コンテンツが不足しているのだ。

楽天は、当初約3万タイトルでサービスを開始するとしていたが、7月末時点でもそれに届かず、青空文庫をのぞくと有料タイトルは現在ようやく1万点に達したところだ(8月6日現在)。筆者はサービス開始前から、EPUB 3への書籍コンテンツの変換がスムースに行われるのか懸念していたが、残念ながらそれが現実のものとなってしまった形だ。

EPUB 3への期待と懸案

kobo発表会で、三木谷氏は「グローバルスタンダードでオープンなEPUB 3を採用」という点を繰り返し強調していた。たしかにEPUBをデファクトとして電子出版が進んでいた欧米市場に対し、特殊な組版が求められる日本でも、対応が織り込まれつつあるEPUB 3への期待値は高い。

スマートフォンシフトやタブレット端末の普及が進む中、XMDFや.bookのような国内独自のフォーマットだけでなく、koboをはじめとした海外製の端末やリーダーアプリが標準で採用するフォーマットに日本語コンテンツが対応することは、電子書籍市場の拡大に不可欠だからだ。

そうした背景もあり、基調講演の直後には、IDPF主催のEPUB 3をテーマにしたカンファレンスが行われた。有料かつ専門性の高い内容にも関わらず、350名以上の参加者が約半日のセッションに熱心に耳を傾けた。

Readiumには世界各国の企業や団体が参加している。

カンファレンスでは、HTMLレンダリングエンジンWebKitをEPUB 3のビューワの基盤として用い、そのレファレンス実装を進めているReadium計画を中心に各社、各団体の取り組みが紹介された(Readium計画についてはボイジャーの萩野正昭氏による「電子出版はみんなものものだ、そう誰かが叫ぶべき」も参照)。

冒頭、IDPF/DAISYコンソーシアムCTOのマーカス・ギリング氏は、「EPUB 3の仕様は決まったが、まだビューアの開発などが進んでいない」としたうえで、「そこで、ReadiumというEPUB 3のリファレンス実装を行うプロジェクトを進めている」とその概要を説明した。これはEPUB 3の仕様で作られたファイルが正しく表示される(=リファレンスとして使用できる)ことを目標としたもので、まだ完了しているものではないが、本カンファレンスでは現時点の成果や課題を紹介するとした。

このプロジェクトには、楽天/koboをはじめ、ACCESS、イースト、ソニー、ボイジャーが日本から参加している。オープンソースであるWebKitを用いることで、EPUB 3での日本語描画に不具合が生じた場合でも、その改善を比較的素早く行うことができる。

ボイジャーの小池利明氏は、EPUB 3で制作した電子書籍「木で軍艦を作った男」を例に、Readiumでの実装状況を解説した。現状、日本語表示にほとんど問題はないものの、開発途中の逸話として、例えば縦書き文章に含まれる記号の90度回転をタグで指定しているにも関わらず、WebKitのバグによりビューア上では表示に反映されないといった実装上の不具合があったことを紹介した(このバグはその後、修正された)。

EPUB 3を構成するCSSとHTML5は共に標準化機関W3Cの正式勧告を控えている状態だ。いまも残る不具合や細かな調整は、Readium計画に参加する企業が自主的に行い、リファレンスへの反映を働きかけている。

先の不具合を修正したACCESSの浅野貴史氏は、「WebKit側の修正を待っていられない」と語る。koboはもちろんのこと、先日、経産省「コンテンツ緊急電子化事業」(緊デジ)がEPUB 3版の書籍も受け入れると発表するなど、EPUB 3の普及を目指す動きが急速に進む中、日本語独自の問題とその解決の成果を、メインストリームである国際標準規格へのマージを随時働きかけている、というのがその実態だ。

フォーマット移行の痛みを越えて

新聞報道等ではEPUB 3にフォーマットが統一されることで、なかなか立ち上がりを見せない電子書籍市場を切り拓く存在であるかのように紹介されることもある。だが、これまでのタイトル数の蓄積から考えても、XMDFや.bookといった既存のフォーマットが一気にEPUB 3に置き換わるというものではない。さらに書籍ファイルは現実にはストアごとにDRMによるパッケージングが施される。DRMによる断片化を考慮しない考察はポイントを外していると言えるだろう。

また、海外の標準フォーマットであるが故に、国産の端末がその参入障壁を失い市場シェアを下げるのでは、という見立ても拙速に過ぎる。Readiumのような地道な努力がある一方で、現時点のEPUB 3が万能であるかのような取り上げ方や拙速な導入は、かえってユーザーの期待を削ぎ「今年こそ」とも言われる電子書籍元年の未来を暗くしてしまうことを筆者は懸念する。

特定の企業に依存せず、オープンな場で仕様が策定され、コミュニティによってその改善が図られるEPUB 3は、日本語のみならず中国語やアラビア語への対応も進む。カンファレンスではNPO法人ATDO(支援技術開発機構)が進めるメディアオーバーレイによるアクセシビリティの向上事例が紹介され、IDPF理事の小林龍生氏からはマイノリティ言語をネット時代に引き継いで行くことへの期待も語られた。

講演するエリザベス・カストロ氏

一方で、オープンな国際標準フォーマットであるが故に仕様の策定には、必然的に時間が掛かる。詳細な仕様が確定しないうちは、変換作業にも手間とコストが掛かるのは避けられない。

また、カンファレンスでEPUB 3の実装について解説を行ったエリザベス・カストロ氏は、「基調講演で野間さんが、複数のレイアウトをサポートするのは避けたいと言っていたが、EPUB 3でFixed Layoutを実現するためには、ツールだけでなく多くは手書きせざるを得ない」と語った。氏のプレゼンテーションは、固定レイアウトのコードを書くためのツールの解説であったが、EPUB 3の可能性を確認できると同時に、実装のための手間やコストも意識させるものであった。

カンファレンス後半では、集英社、ソニー、そしてkoboを展開する楽天がプレゼンテーションを行った。特にEPUBのみをサポートする楽天/koboの取り組みを紹介した安藤連氏(楽天 イーブックジャパン事業 プロダクト担当部長)は「フォーマット移行には痛みが伴う、その手伝いを行いたい」として、以下の4点をポイントとして挙げている。

①変換サポート
②信頼されるビューワ(専用端末だけでなくクロスプラットフォーム)
③相互互換運用性への努力(不完全、曖昧な部分への働きかけ・楽天/koboは独自仕様には興味なし)
④Readiumへの貢献

パネルディスカッションにはIDPFのビル・マッコイ氏も参加。

締めくくりとして行われたパネルディスカッションで、ビル・マッコイ氏(IDPF事務局長)は「EPUB 3は(ここに集った)アクティブなメンバーによる最も高度なHTML5活用」とした。

EPUBという「入れ物」に、HTML5・CSS3などの各種データや定義ファイルが入っていくオープンなフォーマット。オープン故にコミュニティを通じて同時並行的にアップデートしていけると同時に、そこで競争や「どの仕様を採用するか」といった争いも起こりうる。クローズドなフォーマットを採用するプラットフォーマーに対して、どうしても調整コストは高くなるオープン陣営ではあるが、今回プレゼンテーションを行ったような営利企業、とくにEPUBオンリーで国内電子書籍市場を開拓したい楽天/koboの参画によって、その調整も含めたスピードが向上することも期待したいところだ。

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執筆者紹介

まつもとあつし
ジャーナリスト/コンテンツプロデューサー。ITベンチャー・出版社・広告代理店などを経て、現在フリーランスのジャーナリスト・コンテンツプロデューサー。ASCII.JP、ITmedia、ダ・ヴィンチ、毎日新聞経済プレミアなどに寄稿、連載を持つ。著書に『知的生産の技術とセンス』(マイナビ/@mehoriとの共著)、『ソーシャルゲームのすごい仕組み』(アスキー新書)など多数。取材・執筆と並行して東京大学大学院博士課程でコンテンツやメディアの学際研究を進める。http://atsushi-matsumoto.jp