電子出版はみんなのものだ、そう誰かが叫ぶべき

2012年6月27日
posted by 萩野正昭

電子出版の可能性が市場面から注目を集めている。経済的な成長性だ。しかし、一方で、コンテンツ創出という産業の主役が誰になっていくのかを考えねばならない。電子出版はある意味、産業構造の転換をもたらす大きなうねりを胚胎している。

米国でのebook端末の売上は着実に向上し、こうした読書専用端末(kindleとかnookとか)で本を読む人口は読書人口の25%にも達している(BISG調べ)。昨年末20%だったことを考えると、急激な伸長を示していると云えるだろう。

だから既存の出版産業は穏やかでいられない。構造転換が生じたら既得権益は無に帰す。あれほど電子を毛嫌いしてきた出版社がこぞってデジタル化に走り、読書が紙からebook端末へとシフトしていく中にあって、ビジネスの我田引水を大騒ぎしている。既存の出版業界である印刷会社、出版社が、端末メーカー、配信事業者と野合してことを進めようと画策しているのだ。

アップル、グーグル、アマゾンの意義

その中で徐々に大きな力が姿を現してきた。『電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命』のなかで津野海太郎は、デジタル時代へ突入する私たちと本の関係を大真面目に論じ、生じた3つの出来事を以下のように指摘している。

1.2003年 アップルのiTunesとiTunes Storeの出現
▶売り方が分からなかったデジタルデータ販売の方式が現実のものとして提示された。

2.2004年 グーグル・ブックス検索
▶本が片っ端からデジタル化され、インターネットに蓄積されていく。

3.2007年 アマゾンのebookデバイスKindle
▶電子本閲覧デバイスは、買い捨てを前提とした安価な日用品として定着していく。

すべて米国で起こったことだ。ebookが作られ、存在することを前提とした次なる世界が語られてる。圧倒的多数の本の電子化をすすめ、一気呵成にebookの基盤をつくりあげる力技と、その配信・販売への徹底した対処が考えぬかれているのだ。充実したサービスのはじまり。今まではよくわからなかった電子出版をめぐる世界が、理解可能な姿として私たちにはじめて姿を現してきた。

圧倒的な量のなかから検索を駆使することで見てとれる知の連携。一冊の本がもつ知識や理解を比較すること、関連づけることができる可能性。さらに備わる簡便性、即効性、低価格、軽量、表示の高品質………たくさんの利点をebookが具体的にやってのけた。新しい世界を切り開いてきた米国での開拓者の姿がそこにははっきりと見えてきたといえる。

こうした外国勢の動きに対して、日本国内では既存勢力が対抗のために手を組む状況が生まれた。市場を牛耳られたらどうするのか? 国内市場での成長の果実をことごとく外国勢力に吸い上げられてしまう、これでいいのか。彼らへの強力な対抗策として、国内勢力は手を組み連携するしかない。まあ一理ある考えだったとおもう。

けれど、日本がとか、我が国がとか、云ったところでもう手遅れもはなはだしい。OSも検索エンジンもネットワーク技術も、デバイスの液晶やepaperの製造も、すべて外国勢に主導権を握られている。そうした相手の手の内の技術を前提としてナショナリズムを叫んでみたところで何になるだろう。相手に首根っこを掴まれて悪態つく遠吠えにすぎない。勝負はもうついている。

しかし、外国勢の開拓者たちが必ずしも自国で歓迎されているわけではない。開拓者を生んだアメリカは、成功した開拓者の専横に対して更なる対抗の開拓者を生んでいる。占有・寡占に対して、新しいチャレンジ精神を育んでいるのだ。もし、とうに遅れてしまった日本が国策としてとれる有効手段があったというならば、こうした既存の占有・寡占の精神を撃ち叩く新しいチャレンジへの支援しかなかったであろうに、こうした抵抗精神を鼓舞するような姿勢は一貫してとってこなかった。

守るべきものが明確に見えていた時代は護送船団を組んで、それで徒党を組んでいさえばよかったのだろうが、基底はとうに崩れ去ってしまったのだ。相手から武器の供給を受けて、相手と戦う……一体何が守れるというのだろうか。

一縷の希望としての共通フォーマット

産業の主役が誰になっていくのか? それは何のためなのか、誰のためなのか? 電子出版はみんなのものだという考えを今こそ真剣に考えてみるべき時だ。新しい主役の創出を支援する以外に、成長し、巨大化する先行の開拓者に対抗できる道はない。いや、対抗などからもっと異次元に私たちは進んでいくべきなのだ。

一縷の希望としてあるのは、電子出版の基準フォーマットを世界の共通のものにしようという動きがあることだ。ものを創り出すうえで、私たちは自然や社会的な資産というものをもっている。材料を調達したり、手段を利用するうえで木や花や水を使うように、言語という手段を持っている。これらにいちいちお金を払うようなことはない。みんなのものとして与えられているものなのだ。

電子出版にはこれがない。市場に参入しようとする入り口で、僅かではあったとしても料金を取る構図が当たり前のものとされてきた。「取れるものならこのオレが独占したい」。そう思うのは誰しもだろう。そうしてお互いが角逐し合い、それは何のためなのか、誰のためなのか、電子出版はみんなのものだ、という考えを結果として足蹴にしてきた。自分が救われることだけを言ってきたのだ。

国際電子出版フォーラム(International Digital Publishing Forum=IDPF)は、EPUBとして電子出版の世界標準を考えてきた。ここで示される基準/ルールに従って電子出版のデータを製作することは、世界の共通性の上に立つことになる。世界には多くの言語が存在しており、元々共通性などはなく独自性じゃないのか、と云うかも知れない。

しかし、これを前提にしてなお、共通性を求めることの重要性は、すでにWWWに象徴されるWebの世界で私たちは実感してきた。世界のどこにいても、私たちは世界の共通基準に基づくWebブラウザを介して瞬時に情報へアクセスすることができるようになった。各国言語の独自性は、自動翻訳の進歩によって着実にその溝を埋める方向に向かっている。相互のコミュニケーションを可能にするために世界の共通性の上に立つことは、私たちに計り知れない多大な恩恵を与えているのだ。

電子出版はWeb上の情報とはいささか異なっている。まとまったコンテンツの凝縮されたパッケージというのが出版物であるから、Webの情報の散在とは別の集中・凝縮が重要な要素となる。けれどもこうした作品/コンテンツをWebブラウザに準じて閲覧する方法さえ採れるなら、私たちが電子出版の基準/ルールを世界の共通性に準拠していくメリットは途方もないものだろう。

誰のためにか……? みんなのために、である!みんなの意味するところは、先行する巨大な開拓者へも、既成の利権を守旧する者へも含んでいる。しかし同時に名もなき未来の開発者、作家、読者、庶民をも含む全てみんなのものとして、与えられる社会資本としての意味合いを持っていることを忘れるべきではない。

IDPFは少なくともこれを目指して来た。IDPFに参集する世界の企業、組織/団体が、粘り強い協議を経て、世界の共通性と互換性、既存勢力(もてる者)と新興勢力(もたざる者)の隔てなく誰もが出版に参加できる手段の提供という困難な課題に取り組んできた。そこに新たな共通フォーマットを導き、EPUB3として世界に問うている。

Readiumプロジェクトの活動

IDPFはまた、ebook活動に参加する人々のために、その制作基盤となる手段を提示しようとしてきた。これがReadiumプロジェクトと云われるものである。

簡単にその主旨を列記する。

(1)Readiumプロジェクトは、最新のEPUB3仕様に準拠したファイルの表示/動作の確認モデルとして「EPUBのレファレンスシステム」を公開する計画である。IDPFはReadiumの成果を、誰もが自由に利活用できる為に情報開示するオープンソースプロジェクトとして推進してきた。

(2)EPUB 3で作られた出版物(原文 EPUB 3 publications)の表示/動作の確認がReadium上で、誰にでも可能になる。

(3)Readiumの表示エンジンは、WebKitを使っている。WebKitは、ChromeやSafariという代表的なWebブラウザのエンジン部分を担うプログラムであり、EPUB2の時代から表示エンジンとして利用されてきた。

(4)相互運用性(interoperability)の確保を重要視している。Readium上での表示/動作のチェックによって、EPUB3準拠のファイル、リーダーであれば互換性を保つことが確認できることになる。

(5)EPUB3環境のもとでの制作基盤を確保することで、EPUB 3の採用を促進、加速させる。

以下、コメントとして補足しておきたい。

EPUB 2からEPUB 3へのバージョンアップは大きな機能拡張となった。この拡張の中に日本語をはじめとする多言語対応がなされてきた。

EPUB 2は(少なくとも米国では)かなり普及しており、各種のEPUBリーダーが存在している。そのためEPUB 2で作られた出版物は、動作確認も簡単に行なうことができ、EPUB 2の出版物は積極的に作られた。

EPUB 3はEPUB 2からの大幅なバージョンアップであり、現時点でまだ、表示や動作を正しく確認できるEPUB 3リーダーが存在していない。存在していたとしても限定的(Adobe Digital Editions Previewは、EPUB 2.5とでもいう実装)なので、作成したEPUB 3の出版物が、本当に正しいのか現状、確実にわからない。

そこで、EPUB 3がどのように動作するのが正しいのか、その確認を行なうことができるためのEPUBリーダーとしてIDPFが主導する形でReadiumを開発することになった。これにIDPF参加の企業/団体が協力した。

Readiumは、あくまでも「レファレンスシステム(表示/動作の確認モデル)」であり、商用のリーダーであることを目的としていない。オープンソースとして開発されている。全ての開発経過については、以下でみることができ、議論されている。
https://github.com/readium/readium

ReadiumはGoogle Chromeの拡張機能(エクステンション)として開発されている。なぜ、Chromeか? Chromeは、HTMLを解釈して表示するプログラム(HTMLレンダリングエンジン)にWebKitを使っているから。

WebKitは、EPUB 2のときから、EPUBリーダーの「HTMLを解釈して表示するプログラム」を担う部分として使われているEPUB 3がどのように見えるのが正しいのか、それが明確になることで、EPUB 3出版物を作りやすくなり、同時に、EPUB 3リーダーを開発する側にとっても、WebKitを使ったEPUBリーダー開発の参考になる。

岩波写真文庫100『本の話』

これはebook……電子出版のことを語っているのではあるが、電子出版は出版の未来でもあり、出版そのものの深刻な問題を引き受け、引きずることでもある。出版を私たちの重要な社会資本として確保するために、出版の未来を担うであろうebookに関する社会性を強く問い掛けるべきではないか。

1953年(昭和28年)発行の岩波写真文庫100号『本の話』に書かれている一文をあえて最後に引用しておきたいと思う。なぜ、50年も前の記述を取り上げるのか……私たちは、出版に対する深い反省と復活への挑戦を新しい土壌に試みたいと切に願うからである。

一冊の本は世界を動かす力をもっている。その恐るべき仕事に携わっているものが、自己の責任を考えずに自分の利益だけを追求したり、自分のやっていることの意義がわからなかったら、これほど厄介なことはない。毎日の新聞におびただしい数の書物の広告が掲載され、化粧品や薬品と争うように、大きなスペースが出版の仕事に使われている。それだけを見れば、いわゆる文運盛んなりと考えられているかも知れないが、独創性もなければ日本の現代や将来に対する深い考えもなく、人間の品性や趣味を高める役にも立たないものが多いとしたら嘆かわしい。

(復刻版 岩波写真文庫 田中長徳セレクション より)

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