「知の赤十字社」にむけて 

2012年6月20日
posted by 前田邦宏

避難所となる大学やメディアそのものも被災した

震災後、初めて被災地を訪れたのは、2011年5月に東北大学医学部で行われた科学技術コミュニケーションの研究会に参加するためで、それは10年前に開館した日本で最も先進的な図書館・メディアセンターとして名高い「せんだいメディアテーク」での講演以来のことであった。

同大学の被災状況は、本江正茂准教授たちから説明を受けても、現場を見ずに理解するには困難なほど深刻であった。数字だけ言えば、まず建て替えが必要になった28棟と実験機器約7000台の損壊の被害総額だけで770億円。特に高台である青葉山にあった工学部や建築学部の高層校舎の揺れは凄まじく、コンクリートに打ちつけた本棚のワイヤーは1G近い横揺れのためちぎれ、スチール製の机もひしゃげ、研究室内には、左右に揺さぶられた鉄筋コンクリートの内部が吹き出すように散乱した。

当然ながら、それらの校舎は立ち入り禁止となり、資料の持ち出しもできず、新入生を受け入れるどころか、学部生も他大学で授業を受けさせ、追って単位を与えるという非常措置を取らざるを得なくなった。何とか地震を耐えた新築の講堂やカフェテリアは、当面青葉山キャンパスの教師や学生1000名の居住空間となったのであった。

その後、長神風二准教授の先導で、津波に襲われた地域に車で近づくにつれ、テレビを通じて伝わっていた倒壊した工場やひしゃげた車、がれきの山が面前に広がり始めた。そして、運命の分かれ目であり、津波の防波堤の役割を果たした高速道路の土手を越えると、一般人立ち入り禁止区域に入った。かつての農地や住宅地が砂漠のような砂地となり、強い潮風によって黄色の砂塵が舞う荒涼とした風景が遠くに見える松林がある海岸線まで続いていた。そして、ところどころで作業をしている消防団員や警察らしき集団は遺体の捜索を続けているのであった。

医学部は市街地なので倒壊を免れたものの、長時間の電源喪失により非常用バッテリーも使えなくなり、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者の人工心肺を家族が手で24時間ポンプを押し続けたという。冷蔵管理が必須であった貴重なサンプルなども、もう少し非常用電源に近い場所にあればと悔やまれたことが多々あったという。また、自衛隊や緊急用のヘリコプターが到着してから、機種によっては医療機器のために必要な長時間の電源を備えていないことが分かるなど、想定外の電源喪失に脆弱な現代の医療現場の課題も垣間見られた。

今、生き延びるためのメディアが必要とされている

世界的に著名なフランスの経済・政治学者ジャック・アタリは、ルールなき市場経済が無秩序と格差をもたらしている現状に対して、「国家なき市場経済」が「世界のソマリア化」となることを危惧している。私的解釈では、世界は第3次世界大戦ならぬ「第1次世界内戦」へと突入しており、局所分散型のテロ活動に加え、政治的・経済的無秩序がもたらす不幸のグローバル化を、ソマリアに例えたのだと思う。

残念ながら、その危惧はどんどん現実化し始めた。チュニジアのジャスミン革命を発端とし、エジプトでクーデターが起き、リビアへの軍事介入へと続いた。そして、今、EUのギリシャの債務問題の悪化、米国債のデフォルト危機、また中国におけるバブル経済の破綻の恐れなど、経済の国境なきリスクの現実感が増している。そうした中、東日本大震災は起こり、現在も進行中である。日本は国家債務危機だけでなく、世界が“生き延びる”ためにどうしたら良いかを考える象徴的な場所になったのだった。

東日本大震災は日本を窮地に追い込んだものの、顕在化した課題は決して想定外ではなかった。つまり、近い将来予期された不幸が凝縮した形で押し寄せたのであって、それも始まりに過ぎないというのが厳しい現実である。しかしながら、あえてこの見たくない現実と対峙するにあたって、決して絶望する必要はないというのが、今回の提言の趣旨であり、印刷業界やメディア業界の決断と強い意志によって革新が生まれるチャンスなのだと信じている。

まず、あらゆるメディアは日本の経済規模と比例して成長をし、それが下降すると同時に収縮し始める。内需もまた人口やその構成比率から縮小せざるを得ず、一次産業だけでなく二次産業、三次産業においてもグローバル化の中でどのように業態を維持するかは、簡単には解けない難問として顕在化していた。その上、デフレが続く中で高付加価値サービスを提供するイノベイティブな土壌が今の日本にあるかと言われると、本来的に日本人にその資質が備わっていても、その資質が発揮され、形にする支援を今の教育システムや社会的環境がしているかというとそうでないと言わざるを得ない。つまり震災は東日本だけでなく、日本全体の再構築を迫っているのである。

新聞は何を報じたか、何を報じるべきか

被災した新聞社がそれでも新聞発行を続けたことは、石巻日日新聞の手書きの壁新聞で世界的にも有名になった。大規模な停電の影響で3月12日付朝刊の発行に甚大な被害が出たが、被災した新聞社は災害援助協定を結んでいる近隣県などの新聞社に組み版や印刷を委託したり、予備電源を使ったり、ページ数を圧縮するなどの特別発行態勢で新聞発行を継続した。

ある知り合いが新聞に関する面白い所見を披露してくれたことがある。「多くの人が毎朝新聞を読むのは、どの事件も自分とは直接関係がなかったことを確認し、安心してその日を始めるための行為だ」と。確かにそう考えると、今読む新聞や雑誌は読むに耐えられない記事が多い。なぜなら自分や家族の死活問題に関わる政治的動向に対して怒りを感じざるを得ない内容が多い上、その記事を掲載しているメディアにさえ不信感を抱いており、読んだからと言って安心が得られるどころか不安が増すばかりだ。そうかと言って、無理に安全を強調したコンテンツを提供しようとしようものなら、読者との不信の連鎖に陥り、御用新聞やら御用記者呼ばわりされてしまう始末だ。

被災地の印刷会社や関係者を取材した中で、自らも被災した笹氣印刷出版の笹氣義幸取締役が「自分たちの仕事は『事実を正確に広く伝えること』が本質なので、そのための手段や媒体が変化することに疑問は持たない」と語っていたことに、ある種の安心と希望を感じた。この言葉にはもともと日本人が持つ公共性への前向きな姿勢が感じられる。特に被災地の当初の不安は、自らに関わる事実を正確に知ることができないことにあり、3.11から数カ月以上経った今、被災地の書店で一番で売れているものは、何と東日本大震災の特集雑誌なのである。つまり、ようやく自らの体験を冷静に認識し、俯瞰することができる状況になったということなのである。

安心と安全を安価に提供する方法

では具体論に入ろう。我々はいまだ福島第一原発に関する情報を正確に得られていないと感じざるを得ない。また被災地の細かな復興状況の進捗やニーズについても同様に不明である。それは状況が複雑であると同時にそれらを俯瞰する術を得ていないからである。

公共交通機関やインフラの復旧状況はおおよそ見えてきたかもしれない。例えば、公共機関や大学の物理的損壊は数字で発表されている。それはパソコンやサーバー、高額な実験機器や建物が壊れた金額であって、例えば貴重な医療用のサンプルやハードディスクの中にあったデータの価値は含まれていないだろう。

16年前の阪神淡路大震災の頃と今とでは、印刷会社のコンピューター化の浸透は全く違っている。印刷データの大半はデジタルデータとしてハードディスクに格納されていたはずである。またハードディスクの大容量化によって、それらのデータのバックアップができていたかどうかによって被害の大きさも違ってくる。このようにデジタルデータの復旧対応が放置される状況は<デジタル・ジェノサイド>と呼ばれている。

石巻の松弘堂の本社社屋は地震と津波で大きな被害を受けたが、現在は石巻日日新聞社の会議室に仮事務所を設けて業務を再開している。松本俊彦社長は、事業継続を決心した理由の一つとして、防火用金庫にデジタルデータが残されていたことを挙げている。

被災した七星社のコンピュータ(現地では、被災者向けの書類申請をするためのコンピューターすらない状況であり、使っていない中古製品があればぜひ提供して欲しいとのこと)。[出展:『印刷白書2011』(日本印刷技術協会)]

そもそも印刷会社には、大量のパソコンやサーバーがありながら、水没したハードディスクを救済する技術的方法があることを知っている人が何人いただろうか。ハードディスクも早期に適切な処置をすればデータの回復は可能なのである(図表1-1)。

[出展:『印刷白書2011』(日本印刷技術協会)]

全国ブランドのメーカーは、機を見て多重性の確保やクラウド化をこぞって提案しているが、そもそもこれまで売ったハードウェアの中に含まれるデータの喪失にメーカーが復旧支援をしている様子が見えない中、新しい方策を提案されても、どこまで何をすれば安全かを保証しないメーカーに信頼を寄せられるだろうか。それは原子力発電所の産業構造と同じである。ここで言いたいのは、売った機器の性能しか保証しないメーカーは、企業活動の生命線を維持するための信頼ネットワークの中にないということである。

これからのメーカーは、自分のブランドを冠したステークホルダーの信頼ネットワークに対する責任の範囲を、積極的に明言することで多大なブランディング効果が得られる。つまり、企業の生命線となるバイタル・レコード(組織の存続に必要不可欠な財務上、法律上、事業運営上の記録や文書)の復旧や、互換機を持つ別の印刷会社への仲介、中古機器の所在の把握などが、メンテナンスも含めて、メーカーの責任範囲となる。これらの社会的責任を無償で果たすのではなく、継続的ビジネスとして行えば良い。

“知”の赤十字社設立の提案

SF作家として名高いH.G.ウェルズは、かつて「人類の歴史はますます教育と破滅(大惨事)との間の競争になってきている」と述べた。確かに教育(過去の知恵の共有とイノベーションの創出)が未来をより良くする最も重要な手段である。

そこで、今回、印刷業界を通じた国家再生事業として提案したいのは、まず2011年4月に試行された公文書管理法に基づいた重要文書のデジタル化事業を被災地の雇用促進のために東北エリアに集約することだ(松岡資明著『アーカイブズが社会を変える-公文書管理法と情報革命』(平凡社新書)をぜひご一読いただきたい)。

事業仕分けによりその進捗が遅れている国立国会図書館の長尾館長私案の電子書籍配信構想を後押するのはどうか。また、単に文書のスキャニングだけでなく、太平洋戦争前の公文書でも崩し字で書かれた日本語の現代語への変換作業を、高齢者やリタイアした有識者にも協力を求めるなどして一気にデジタル化を進め、電子図書館の事業化や東北エリアでの電子教科書の普及を推進するのはどうかと考えた。

日本で初めての公共図書館は、江戸時代に設立された青柳文庫(仙台市青葉区一番町)だということは案外知られていないかもしれない。また、海外では図書館は危機対策の役割を担っている。ニューヨークの図書館が9.11の直後、関連情報をWebサイトへアップロードし、市民の疑問や不安に応えるための機能を果たしたと聞いている。

今回、震災関連情報のポータルを誰がいつ作るのかが事前には決まっていなかった。また、その情報の正確性や中立性を誰がチェックし、領域横断的に情報をつなげる専門性、編集スキルが十分に果たせなかった。日本から発信する情報の多言語化や原子力発電所事故関連の論文の和訳についても、いまだ様々な障壁があり、重要な情報を市民が得られているとは言い難い。

実際、多くの人が政府の「すぐには健康に影響がない(残念ながらこの表現はとても科学的なのである)」という公式声明に従う以外の、次善の策を知りたいと考え、放射能汚染に関する情報収集に途方もない時間を費やしたと思われる。もし、図書館がエビデンスベースの情報集約システムを持っており、どのような方法やコストで身の安全を確保できるかを記す術があったなら、風評を防ぎ、情報共有コストを下げ、パニックもなく、深刻な被災地への援助に集中することができたに違いない。

そして、その状況は3.11から改善されておらず、首都圏直下型大地震、東海大地震、原子力発電所へのテロ攻撃など、あらゆる大惨事に対して、知の共有が求められているのだ。

印刷業界は、第1に、これまでの「正確な情報を多くの人に伝達する」という社会的ミッションを高度化させて、個別適合性の高いメディアビジネスの展開を考えるべきである。

第2に、超高品質高付加価値、生産性効率の向上というこれまでのジャパン・クォリティーとは別に、グローバルなニーズを満たす中庸な品質(洗練されたBOPビジネスや自衛隊や在日米軍の余剰装備の活用、企業間を超えた効率の良いロジスティックス)について研究すべきである。

第3は、知のアーカイブスを活用した大惨事への即時対応能力を向上させること。政府だけでなく、個が複雑な世界を前向きに受け止められるリテラシーと高度な信頼ネットワークの構築をし、日本だけでなく、宇宙船地球号のコンティジェンシーマニュアル(想定外危機対応マニュアル)、すなわち“知の赤十字”を世界に提供する事業を開始すべきでないだろうか。これは新しいクロスメディアであり、これからも常に起こり得る災害と社会不安に対する大きなニーズとなるに違いない。

追記:「人間の安全保障」へ

上記の論文を寄稿後、「知の赤十字(Information of Red Cross)」という言葉は、Wikipediaの創業者ジミー・ウェルズも目標として掲げている言葉であることを知った。しかしながら、Wikipediaは止血方法について記述はしてはいても、「ウィキペディアは医学的助言を提供しません。免責事項もお読みください。」と表示している。すなわち、市民が社会から見放された時、その扶助を約束しているわけでも、相談に乗ってくれるわけでもない。つまり単なる辞書に過ぎないのだ。それに、間違った情報をボランティアに相互チェックさせるといった信頼度では、人生の選択をするには不十分だ。

私がイメージした“知の赤十字(Wisdom of Red Cross)”は、ある種の相互扶助組織もしくは共済組合であり、かつプロフェッショナルな情報の精度を想定している。さらに目の前にいる人が、心身の危機を国際法によって保護したり、現代医学が治癒できないとしても、生きる望みをつなぐコミュニケーションのチャネルもしくはメディアでなくてはならないと考えている。つまり、人間の安全保障を下支えするプラットフォームというイメージだ。

それは、これまでの国家や国際機関の人道的緊急援助ではなく、地球上において尊厳ある人間として豊かに生きる権利の行使を保全する、地球における「人間の安全保障理事会(Human Security Council)」、もしくは国境を超えた「情報協同組合(Intelligence Co-operative)」設立を要求するものであり、国際連合軍や世界連邦が存在しない今、武装なき市民の自衛組織として高度な信頼ネットワークが必要だと考えるからだ。

あるハリウッド映画のように、もし5年後に大きな地殻変動が起きて世界が全滅するかもしれない、という時に、ある一部の市民だけを救い英雄気取りになる結末は、ある種、独善的で、虚しいシナリオだと思わないだろうか。必要ならば宇宙船地球号を新たにつくることすら可能にする能力が人類にあると信じてはいけないだろうか。

そうでなくとも自国政府に迫害を受け、国際社会にも見放された人々が逃げる場所がないという現状、国連が起草した「人間の安全保障」は、いまだ何かを約束するサービスとは言えない。であるならば、我々はすでにそのニーズが切実な市民に対して新しい「人間の安全保障」のサービス提供の準備を始めなくてはならないのではないか。そもそも敵は人間の価値観や人種、国家間の争いだけとは限らない、天変地異から謎の感染症、宇宙人の襲来に至るまで、人類は分け隔てなく互いを助け合える関係でありたいと願う。

そのためにも火事が起こってから消防車を買いに行くような組織であってはならない。あらゆる未来の危機を想定する想像力とその解決法を生み、合意形成を行う予行演習が必要だろう。“知の赤十字”は、保険会社ではなく、予知的・予防的な抑止力を持つ人類のためのインテリジェンス機関であるべきだと考えている。

本寄稿から一年を経過し、私はこの構想を具体化する準備に入っている。その内容については、いずれ順を追ってご紹介したい。そこには皆さんの智慧や全く違う視野や視点も必要だからである。

※本稿は日本印刷技術協会(JAGAT)が刊行する『印刷白書2011』に掲載された著者の論文「生き延びるためのメディアと信頼ネットワークの再構築」を再編集のうえ、『「人間の安全保障」へ』と題された追記を加えて改題し転載したものです。(編集部)

執筆者紹介

前田邦宏
(株式会社クォンタムアイディ代表取締役)※当時