共同通信英語版は12月27日、アマゾンが日本でのKindleストアの年内開設を断念し、来春に延期したと報じた(以下英文毎日の記事による)。業界関係者によれば、小売価格の決定権を巡る出版社との交渉が難航しているのが理由という。現状では十分な日本語タイトルを揃えられず、来年春が次のターゲットとなるようだが、“原理的対立”があるとすれば、決着はさらに延びる可能性もある。出版社にとって、時間が無限にあるわけではない。相手のほうが選択肢が多いからだ。
日本で「最大の書店」としての存在感を発揮しているアマゾンは、E-Bookについても1年以上前から交渉を始めているが、今年も空振りになることがはっきりした。アップルiBooks、Googleもまだ参入しておらず、ガラパゴス状態は続く。
紙と電子のリンケージは不合理である
記事によると、アマゾンは、出版社が求める「固定価格による委託販売制」ではなく、「書店が小売価格を決定する卸販売制」に固執しているものとみられる。前者はiPad発売時に、欧米のビッグシックスがアップルと組んで強行した、いわくのあるもので、EUと米国で独禁法上の調査を受け、消費者からは集団訴訟を起こされているが、米国市場では約半分がこの方式で販売されている。その結果、E-Bookの平均価格は、印刷本の価格に接近し、かなり高くなった。後者は、書店が卸値で仕入れ、売上を最大化する競争価格で販売する。
当然ながら、交渉の具体的内容は伝わっておらず、アマゾンが日本の出版社に対して後者を主張する理由は定かではない。出版社が想定する「適正」価格が、絶えず変化する市場において売上を最大化する水準ではなく、印刷本(取次制)に影響を与えない水準(印刷版定価の8割以上)に固定される限り、市場として魅力がないということだと思われる。読者も著者も、この「電子ファイル」にはさほど魅力を感じないので、何も変わらない。しかし、アマゾンとしてもストアが開店できないことにはスタートラインに立てず、市場経済に不慣れな出版業界にマーケティング意識を持たせることもできない。
アマゾンが最近ヨーロッパで開設したストアでは、多くのタイトルが固定価格で販売されている。だから原理的に拒否しているわけではない。日本においては出版市場が活性化しない価格で扱っても無意味という判断をしていると見られる。卸制と委託制の比率が半々くらいであればよいのだろうが、日本の業界の横並び意識は容易に変えられるものではない。
共同/毎日の記事は、「こうした方式が採用されれば、紙の書籍の価格が下落し、出版業が崩壊する」という関係者の発言を伝えている。こうした認識は日本の出版関係者に共通したものと思われるが、これは前提とすべき自明の事実ではない。
・デジタルの価格が紙の価格破壊につながるという根拠
・紙の価格の崩壊が出版業の崩壊につながるという根拠
はまったく証明されていない。商品としての性質が異なり、コスト構造が異質なる2つの商品の価格を一致させなければならないのは不合理だ。出版の生き残りのために本当に必要なら、E-Bookを高価格にすることも(現に米国でも、技術書などには紙より高いものがある)、需要があっても出さないことも理解できるが、それはない。その不合理のつけを消費者が許容してくれる時代ではない。逆に言えば、デジタルという新しい機会を利用できないならば、出版ビジネスは緩慢な(時に急速な)死を迎えるしかない。
現在の印刷本は、「定価×販売部数×返本率」をもとに商品性が検討される。平均返本率は4割に近いので、採算が取れる定価と価格の組合せは制限される。過去15年間、業界が一貫して縮小を続けてきたことは、この組合せの幅がますます狭くなり、想定販売部数がますます見込みの薄いものとなってきたことを示している。新書と文庫が書店に溢れるようになったのは、その結果であり、じつはすでに「紙の価格破壊」は起きているのだ。手応えのある本は書店から減り続けている。意欲的な新刊の企画は「採算性の天井」が下がれば減っていく。社会をリードすべき知識産業、というあるべき姿からはかけ離れている。
売れない本はすぐに店頭から消え、別の本で埋められる。多くの本は生鮮食料品化しているのだが、コンビニの弁当のように、売れる価格まで下げることはできず、そのまま資源ゴミとしてのリサイクルに回される。これによって採算性は大幅に悪化する。店頭から消えた本を注文する消費者は2週間以上も待たされる。まともな流通があればあり得ないことだ。そのギャップを埋めて顧客を増やしてきたのがアマゾンだ。
アマゾンには多くの選択肢がある
要するに、出版の危機は日本的現象であり、それは戦後の印刷本流通システムに起因する。システムの欠陥は、マンガと雑誌広告で覆い隠されてきた。雑誌が絶滅を危惧される状態ではマンガしか頼るものがないが、そのマンガの現場も疲弊している。奇しくも日本の「電子書籍」で唯一最大の市場がマンガである。これもケータイからスマートフォンへの移行という困難な局面に差し掛かっている。おそらく、アマゾンが日本で最も注目しているコンテンツはマンガだろう。「雑誌→単行本」というマンガのライフサイクルは、現在の姿では長期的に維持困難だ。アマゾンは多くの選択肢を持っており、著者に有利な条件を提示することができる。仮に日本でマンガ出版ブランドを始めれば、大手出版社に大きな脅威を与える。不採算のツケを負担しているマンガが、その役を果たさなくなるからだ。
アマゾンはKindle Fireを先行させることができる。アレルギーの強い「書籍」を迂回し、マンガ、ゲーム、ショート、それにショッピングなどにフォーカスして消費者に浸透をはかる。価格が安いので数十万台を販売することはそう難しくない。そしてFireをメディアとして広げる中で書籍の扱いを拡大していくのは合理的な選択肢だろう。現に、アップルはそうしたアプローチをとっている。
あまり時間はない。出版界が長期的に持続可能なシステムを構築するには、デジタル技術をベースとするほかはない。紙の本と心中する気はたぶんないだろうから、消費者を握るアマゾン(その他のオンラインビジネス)とうまく付き合うしか選択肢はない。米国の出版人が言っていたが「アマゾンを憎むというのは戦略とはいえない」のだ。2012年は出版の再生のための残り少ない機会だ。束の間に成立する最後のアナログビジネスである「自炊業者」などを相手にする暇があるとは思われない。
※この記事はEbook2.o Weekly Magazine で2011年12月29日に掲載された同題の記事を、著者に了解を得て転載したものです。
■関連記事
・Kindleは「本らしさ」を殺すのか?
・電子書籍戦争は終結、勝者はアマゾン
・楽天、kobo買収の本当の意味
執筆者紹介
- ITアナリスト、コンサルタントとして30年以上の経験を持つ。1985年以降、デジタル技術による経営情報システムや社会・経済の変容を複合的に考察してきた。ソフトウェア技術の標準化団体OMGの日本代表などを経て、2009年、デジタルメディアを多面的に考察するE-Book 2.0 プロジェクトに着手。2010年より週刊ニューズレターE-Book2.0 Magazineを発行している。著書に『電子出版』(オーム社)、『イントラネット』(JMA)、『米国デジタル奇人伝』(NHK出版)など。情報技術関係の訳書、論文多数。2013年、フランクフルト・ブックフェアで開催されたDigital Publishing Creative Ideas Contest (DPIC)で「グーテンベルク以前の書物のための仮想読書環境の創造」が優秀作として表彰された。
最近投稿された記事
- 2015.05.27コラムチーム・パブリッシングの可能性
- 2013.04.02コラム出版未来派のデジタル革命宣言
- 2012.12.13コラムデジタル時代に「出版=清貧」は通用しない
- 2012.08.31コラムPrime+Fire 2で次のステージを狙うアマゾン