「魔法のような」からはほど遠い日本の電子読書の現実
ascii.jpで「メディア維新を行く」と銘打った連載を続けている。「メディア」といっても多種多様だが、インターネットというインフラと、その周辺のサービス、そしてユーザーの変化から逃れられるものはいない。ネットの登場以前は盤石に見えた分野もその例外ではない。
編集部の強い勧めもあり、連載では最初に出版分野を取り上げた。インタビューやイベント取材を通じていわゆる出版不況の実像や、デバイス・フォーマットを巡る現状やそこにある議論を順に追っていった。
今年4月の連載開始当初からもずいぶん電子出版を巡る状況は変化している。デバイスではiPadの発売、日本語表示にも対応したKindle3の登場、フォーマットではEPUBの日本表示を巡る環境の整備、そしてたくさんの業界団体が立ち上がった。恐れや迷い、あるいは様々な思惑が動いているのは外からもよくわかる、しかし、私たち消費者からすると電子書籍はまだまだ現実感の薄い存在だ。
限られた数のひどく使い勝手の悪いアプリで読書して気を紛らわせるか、あるいは、「自炊」と称して、本をバラバラに裁断し、スキャナで自ら電子化する――電子書籍を目当てにiPadを苦労して並んで手に入れた人たちを待っていたのは、そんな過酷な現実でもあった。
そんな中、9月27日にシャープから電子ブック端末が発表された。
ガラパゴスの衝撃
「え!マジですか」
混雑するUstreamをあきらめてTwitterの実況を眺めていた私も、思わずその名をみて、そうつぶやくしかなかった。「ガラパゴス化」などと批判、揶揄されるニュアンスで使われることの多いこの言葉を敢えて新商品に冠したことは、驚きを持って日本中に迎えられた。
Twitterでも発表されるや否や様々なコメントがTL(タイムライン)を埋め尽くした。告知効果としてはこれ以上ない成果を上げたのではないだろうか? 若者が勢いで作ったベンチャーではない、家電メーカーの老舗大手のシャープがこの名前を選んだということは、相当な議論と決意がその背景にはあったはずだ。
私はその時に感じた印象と簡単な考察を記事にもまとめている。
ガラパゴスの逆襲なるか? その目のつけどころを考える(ascii.jp)
全体的には、「なぜこの名前を選んだのか?」。そして、電子手帳Zaurus登場以来からの国産フォーマットXMDFにこだわり続けるのはなぜか、という疑問を呈する形でまとめた。ネット上の反応をみてもやはりこの2点に話題は集中していたと思う。本来の意味からすれば、「ガラパゴス」とは確かに環境適応への象徴だが、同時に、特殊な環境でしか生きられない種を指す言葉でもあるからだ。
とはいえ、そんなことはシャープの関係者はわかっていてやっているはずだ。確信犯の本音を確認しなければならない。直接担当者に話を聞いてみようと思い、CEATECへ向かった。
ガジェットに集まる注目、でも本質はそこじゃない。
だが、ガジェットよりも実はこのXMDFが鍵を握っている。日本のIT系のニュースはどうしてもガジェットとその機能に目を奪われがちだが、今回のXMDFはファイルフォーマットとプラットフォーム両方を抱え込んだ意欲的なキーワードだ。表舞台のお姉さんの撮影タイムは続いている。おかげで(?)プレゼンを終えた担当者とはマンツーマンで落ち着いて話をすることができた。以下質疑応答をまとめておく。
①XMDFは閉鎖的なフォーマットなのか?
まず、アゴラブックスを主催する経済評論家の池田信夫氏も猛烈に批判していたXMDFフォーマットの閉鎖性について。どうもここには誤解があったようだ。シャープ側の説明はこうだ。
「Kindleでも採用されているAZWフォーマットなどは、コンテンツ部分にはEPUBなどオープンなフォーマットを格納しています、それをDRM(デジタル著作権保護)でプロテクトをかけている。このDRMの部分の仕様はもちろん非公開です。実は我々のXMDFフォーマットも同じ構造をとっているんです。」
つまり、XMDFも書籍コンテンツの部分をどう記述するかといったフォーマットについては公開を予定しているというわけだ。日経BPで特集され、これはこれで議論を呼んでいるこちらの記事にある「国際標準の実現とその拡張」というのはそういう意図であるということらしい。
批判のもう一つのポイントになっている、XMDFファイルの利用に掛かるライセンス料もこのDRM部分に対して設定されており、これは映像配信の際に採用されている方法と同じだ。DRMを利用してコンテンツを配信する際には料金が発生する、というのはきわめて自然なビジネススキームだ。
②次世代XMDFってそもそも何?
もう一つ、XMDFをわかりにくくしているのが、それが上記のようなファイルフォーマットと、ガラパゴスの売りの一つでもある新聞・雑誌の自動配信のプラットフォームを指している場合の二通りがある点だ。どういうことか? 担当者に話を聞いたXMDFブースはプレゼンテーションスペースを挟んで、左右に展示テーマが分かれている。
ブースの左半分がいわゆる「日本語表示への最適化を繰り返し、今回三省懇談会(デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会)で中間フォーマットとして採用されたXMDF」についての展示。右半分が「これからは、デバイス毎に解像度が異なっても自動組版もされ、毎日決められた時間には自動的にコンテンツを届けてくれる配信プラットフォームも含めた次世代のXMDFソリューション」の紹介になっているのだ。
長くてわかりにくい方のために乱暴にまとめると、これまではXMDFといえばフォーマットを指していたけれど、これからはXMDFはソリューションを総称しますよという訳だ。
前述の日経BPの記事は、XMDFに対する様々な批判に応える形でまとめられており、たとえば中間フォーマットについては以下のような説明がされている。
公的な場での議論だったのだが、それほど大きく報じられなかったため、少人数で議論して電子書籍の方向性を勝手に決めた……という印象を持たれたかもしれない。しかし、話をしっかり聞けば、そんなことは一切なく、(中略)多くの業界関係者の賛同を得て電子書籍の普及に向けた大きな一歩を踏み出し、国としてもこの動きを支援するという結論に至ったのである。
残念ながら、消費者からしてみれば、たとえ業界団体関係者が加わっていようがいまいが、よくわからない議論であることに変わりない。意志決定の過程よりも、先ほどのDRMの話と同様、十把一絡に「XMDF」という言葉ですべてを総称しようとすると無理があり、あらぬ誤解を招いているといえそうだ。
とはいえ、言葉はその本質を覆い隠す機能も持つ。工害ではなく「公害」、地球熱帯化ではなく「温暖化」、合州国ではなく「合衆国」など、そんな例はいくらでもあげることはできる。純粋にファイルフォーマットを指していたXMDFという言葉が、電子出版を巡る一連の動きの中でソリューションの総体を表すかのように変化しているのは、なんだか意図を感じてしまうところもある。
よく私のTwitterにコメントをくれるの境真良氏(経済産業省国際戦略情報分析官)は、こんな風に私にリプライをくれた。
「フォーマットは法律同様「権力的」だということを、関係者は感じておいた方がいい。」
ロボットの上に乗ったイグアナ
AndroidはLinuxをベースにしたオープンソースプロジェクト。Googleに限らず有志によっても断続的に開発・カスタマイズが進められており機能面ではAppleのiOSと遜色ないレベルまで達している。ロイヤリティが発生しないことも相まって相次いでキャリアが採用し急速にそのシェアをのばしている。
iOSとの大きな違いは、仕様が公開されており、カスタマイズがかなり深いところまで行えることだ。今回IS03がスマートフォンとしては初めてワンセグ・オサイフケータイに対応できたのも、そのお陰だ。
Androidの上で動くGALAPAGOS。言葉の印象通り、ロボット的なものに生物的なものが掛け合わさった不思議な状態だ。ガラパゴスは今のところ、通常の操作ではユーザーがOSにさわることはできない。ホームボタンを押しても表示されるのは本棚のインターフェイスだけだ。ストイックな位「電子ブックビューワ」に特化していると言える。
この秋から日本でも多くのAndroidタブレットが登場する。たとえばCEATECでDocomoブースに展示されていたGALAXY Tabなどがそれだ。iPhoneやiPadと異なりFLASHファイルの再生を売りにすることの多いAndroid搭載端末だが、実は一部例外を除き標準状態で電子書籍ビューワも利用可能だ。
たとえばAdobeリーダーはAdobe製のDRMが掛かった電子書籍を読むためのアプリとしても用意され、GoogleはすでにGoogleブックサーチというサービスで話題を集めている。このサービスは出版業界からは反発を持って迎えられたが、その点にも配慮し出版社の商用利用の便宜を図ったグーグル・エディションも用意された。そしてAmazonもすでにAndroid用のアプリをリリースしている。
つまり、ガラパゴスがもしAndroidにさわれる状態、言い換えれば裸の状態で出荷されることになれば、その端末の中でも複数の電子書籍プラットフォームが存在しうることになり、競争が発生することになるわけだ。
コンテンツ調達の備えは十分か?
そう考えると、シャープやソリューションとしてのXMDFに期待を寄せる陣営に残された時間は実は多くはない。
Amazon.co.jpのKindleショップオープンは11月とも噂されている。開設当初はおそらく日本電子書籍出版社協会に加盟している大手出版社の文芸作品などはラインナップされないが、中堅の出版社や実用書の出版社は参加してくる可能性は高い。iPad/iPhoneの分野でもアプリ版書籍の企画・制作の話がとぎれることなく聞こえてくる。
企(くわだて)のクロサカ タツヤ氏は日経ビジネスオンラインに以下のような記事を寄せている。
シャープのガラパゴス(とソリューションとしてのXMDF)を海外展開したいという意気込みに応える形で、そのための要件を整理したきわめて質の高い論考だ。ここで提示された垂直統合・水平分業の論点は、私のメディア研究とも深く関わる分野なので、機会があれば改めて考えてみたい。
しかし、いずれにせよ国内で盛り上がらないことにはいくら優れた技術であっても、あるいは効率的なプラットフォームであったとしても海外展開などおぼつかない。キーボードのQWERTY配列を例に挙げるまでもなく、広く利用されることは多少の非合理など吹き飛ばしてしまうほどの威力を持つからだ。
広く利用されるための決め手は何か?
これは「コンテンツの充実」以外にないと考える。私は動画配信の仕事をしていた時期があるが、たとえ画質がよかろうが、再生ソフトが優れていようが、そんなことはユーザーにとっては二の次だったと断言できる。インターネットに依拠するサービスである以上、「そこに無いものがあってはならない」のである。
そしてコンテンツホルダーのプラットフォーム参加意欲を決定するのは、その参加条件だ。有利な料率設定、魅力的な集客キャンペーン、非独占的な参加要件、損失補填などコンテンツホルダーの求める条件は多岐にわたり、しかもどん欲だ。そして、これまで多くの家電メーカーがコンテンツ調達に失敗してきたのも、この参加条件を整えられなかったということにつきる。iメニューなどによる送客と、魅力的な決済代行条件でコンテンツプロバイダーを集めたiモードと対照的な図式でもある。
私自身もコンテンツ営業を受ける立場であった時期があるが、まるで部品を調達しにきたかのような条件提示に席を立ちそうになったことが何度もある。受注がある限り売り上げが入る部品メーカーとちがって、コンテンツは初動の山が過ぎればなかなか動くことはなく、そのリスクを理解した条件提示が求められるのだが……。
最初に紹介したアスキーの記事でも結論として書いたように、兎にも角にもタイトル数をそろえられるかどうかにガラパゴスの命運は掛かっていると言えるだろう。年末には端末発売と同時に、販売プラットフォームもオープンするという。書籍のカテゴリではいま発表されている3万点というのは非常に小さな数字だ。シャープがどのくらい本気で版元を説得し、コンテンツを集めることができるのか、その成否に注目しておきたい。
■関連記事
・ガラパゴスは日本語WPの栄光を見るか(Ebook2.0 Weekly Magazine)
・電子書籍ビジネスにおける「ものづくり」と「生態系」
執筆者紹介
- ジャーナリスト/コンテンツプロデューサー。ITベンチャー・出版社・広告代理店などを経て、現在フリーランスのジャーナリスト・コンテンツプロデューサー。ASCII.JP、ITmedia、ダ・ヴィンチ、毎日新聞経済プレミアなどに寄稿、連載を持つ。著書に『知的生産の技術とセンス』(マイナビ/@mehoriとの共著)、『ソーシャルゲームのすごい仕組み』(アスキー新書)など多数。取材・執筆と並行して東京大学大学院博士課程でコンテンツやメディアの学際研究を進める。http://atsushi-matsumoto.jp
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