「本のアプリ化」をめぐる攻防を妄想する

2010年8月31日
posted by yomoyomo

旧聞に属する話ですが、7月末に米著作権局よりデジタルミレニアム著作権法(Digital Millennium Copyright Act、以下DMCA)の新たな適用除外項目が明らかにされました。見直し内容については TechCrunch の記事が分かりやすいのでそのまま引用させてもらいます。

1. 教育上の目的ないし批評のために必要な公正な利用とみなされる範囲で複製を行うため、合法的に所有するDVDの暗号化を無効化すること。

2. ユーザーが合法的に所有するソフトウェアを携帯電話上で実行させることができない場合、そのソフトウェアが実行できるように携帯電話の機能を変更するプログラムを実行すること。(つまりiPhoneを脱獄(Jailbreaking)させてGoogle Voiceを走らせるなど)

3. 携帯電話を予め設定されたネットワークとは別のネットワークに接続させることを可能にするようなプログラムを実行すること。(つまりiPhoneを脱獄させてAT&TではなくT-Mobileに接続させるなど)

4. セキュリティーに関する合理的な試験ないし調査のためにビデオゲームの暗号化 (DRM)を無効にすること。

5. ハードウェア・ドングルによって保護されているソフトウェアについて、そのドングルが製造中止になるなど老朽化した場合に、当該のソフトウェアにドングルの機能を無効にするような改変を加えること。

6. 電子書籍に機械による読み上げを妨げる機能が組み込まれている場合に、その機能を無効化して内容を読み上げること。

DMCAは元々、著作権保持者であるコンテンツ産業の意向が色濃く反映されたもので、著作権保護技術を回避、無効化する手段の公表を禁じるなど著作権法を強化するものであっただけに、適用除外条項の見直し自体はおよそ3年に一度行われていることとはいえ、今回の発表は驚きをもって迎えられました。

DRMは実質的に無効化へ

今回の見直しで最も影響が大きいのは、JailbreakとSIMロック解除の合法化に直面する携帯電話業界、具体的にはアップル製品になります。

電子書籍の分野で直接的に影響があるのは6番目の項目だけで、Jailbreak合法化のようなインパクトに欠けますが、今回の見直しから見える方向性について考えてみます。

まず、今回適用除外条項の対象となった電子書籍のテキスト読み上げ機能ですが、これについては昨年、アマゾンが米作家協会(Authors Guild)からの非難を受け、Kindle 2に新規に追加されたテキスト読み上げ機能を書籍ごとに有効にするかどうか決められるよう譲歩したことが記憶に新しいです。

今回の見直しにより、Kindle 2をハックして、無効にされたテキスト読み上げ機能を復活させることが可能になりましたし、これはテキスト読み上げ機能は著作権法に反しないというアマゾンの主張を後押しするものです。

また個人的には、今回の適用除外項目に研究用や調査目的でDVDやビデオゲームの暗号化を解除すること、つまりDRM(デジタル著作権管理)の無効化を許容する内容が入っていることも重要だと思います。

これは大げさな話ではなく、例えば音楽の世界では、データを再生することしか許さないDRMが、この分野の研究者にとって障害となることが以前から言われています。デジタル化の面で音楽業界とのアナロジーで語られることが多い電子書籍分野で同種の事態が起こるのは避けたいところです。

以前「マガジン航」に寄稿した「電子書籍にDRMは本当に有効か?」において、筆者は以下のように書きました。

DRMの最大の問題は、それがユーザーの利便性、コンテンツの正当な利用さえも損なうことです。特定の動作環境への依存を強いられ、その技術の恒久的な利用が保証されない問題もあります。

ただ利用者にとっての利便性、コンテンツの正当な利用を損なうのは、実はDRMだけではありません。ここからは今回のDMCA見直しの話から離れ、妄想の領域に入ることをお断りした上で話を進めさせてもらいます。

本の「アプリ化」は何をもたらすか

少し前に筆者はボブ・スタインの「appの未来」という文章を訳しました。これは、スタインがしばらくメディア体験の大半をiPadを通して行ったことに思い当たったとき、これから「本」にとって代わる言葉は「app(アプリ)」ではないかとひらめいたことに端を発する文章です。

なぜ「アプリ」が「本」にとって代わるのでしょう。ここで岡本真、仲俣暁生編著『ブックビジネス2.0』に収録された金正勲氏の「「コンテンツ2.0」時代の政策と制度設計」から引用します。

いままでは紙の本(=メディア)とその中に含まれる内容(=コンテンツ)が一体化し、完結した一つのサービスとして提供されていたわけですが、技術の変化やビジネスモデルの革新が進展するに伴い、コンテンツは紙の本という特定のメディアから解放され、さまざまなメディア(デバイスやサービス)と結合できるようになった。つまり(中略)ブックビジネスが、これからは複数のメディアとのさまざまな創造的な組み合わせが可能となり、コンテンツが潜在的にもっている可能性を存分に具現化できる「コンテンツ優位」の時代に突入したと言えます。

ボブ・スタインが「アプリ」が「本」にとって代わると見るのは、金正勲氏が書く「コンテンツ優位」の時代において、かつて紙の本に縛られていたコンテンツに画像や音声や動画を組み合わせることで「本」よりも魅力的な「アプリ」が実現可能と考えるからでしょう。

筆者もこの「コンテンツ優位」の時代になったという認識には同意しますし、既にアマゾンがKindle Appストアを開く予定であることを表明していること、また英ペンギン・ブックスの本というより書籍化されたアプリというべきデモ動画から鑑みるに、「app(アプリ)」という言葉がメディア体験全般を指すようになる日が来ることも想像できなくはありません。

ただ個人的には、ボブ・スタインの見立てに疑問を感じるところもいくつかあります。まず第一点に、複数の種類のコンテンツを組み合わせることがすなわち優れたメディア体験につながるわけではないことです。文字コンテンツと音声や動画の複合というだけなら、それこそ今からおよそ15年前にボイジャー社のCD-ROMマルチメディアコンテンツがあったわけで、あの程度(と書くと叱られそうですが)で「本の未来」とは言えません。

前述のペンギン・ブックスのiPad向け電子書籍のデモ動画について(最近『ネット・バカ』という下品な邦題で新刊が出てしまった)ニコラス・カーは「当たり前のようにおもちゃっぽい」と断じていましたし、電子書籍の未来を感じさせてくれるという触れ込みのAlice for the iPadをみても、一見面白そうですがギミックはすぐに飽きてしまう気がします。

そして二点目に、「本のアプリ化」に出版社が期待することと、読者が電子書籍に期待することに距離があるのではないかという懸念です。

WIRED誌の最新号は「ウェブの死」を特集。

WIRED誌の最新号は「ウェブの死」を特集。

先ごろWired MagazineのThe Web Is Dead. Long Live the Internetという特集が話題になりました。「ウェブは死んだ」というキャッチフレーズがあまりに強烈だったため、その点に釣られた反論が多く見られましたが、クリス・アンダーソン編集長の真意はインターネットの更なる産業化、そしてそれに伴う大企業による囲い込みと半閉鎖的なプラットフォームへのシフトへの警鐘だと筆者は解釈しています。

ボブ・スタインの真意とは異なるでしょうが、アメリカの出版社(特に新聞社や雑誌社)のiPadへの過剰な期待や本のアプリ化の流れも、この「囲い込みと半閉鎖的なプラットフォームへのシフト」と軌を一にするものであり、自由でオープンなウェブの終焉に乗じて復活をもくろむ伝統的なメディア産業という構図が見えます。

現実にはウェブのトラフィックは低迷するどころかずっと伸びており、そう簡単にウェブが死ぬわけもないのですが、それはともかく、問題は出版社が「囲い込みと半閉鎖的なプラットフォームへのシフト」で実現する電子書籍(アプリ)が、読者が期待する電子書籍像と合致するかどうかです。

電子書籍でも「脱獄」が合法化されるかも

ここで再び『ブックビジネス2.0』に収録された津田大介氏の「電子書籍で著者と出版社の関係はどう変わるか」から引用します。

デジタル時代にはどんな本に対して読者が「所有感」を感じるかといえば、それは間違いなく、「検索できる」ということに対してでしょう。「これ、たしかあの本に書いてあったな」と、自分のなかでは曖昧だったものが、検索するとパッと出てくる。その利便性をビジネスと提供することが、デジタル時代に本の「所有感」を提供することだと思います。

筆者もこの検索性の重視に同意する者ですが、ここまで紹介してきた出版社の取り組みは、どうもこの価値観を尊重しているようには見えないのです。

この「マガジン航」でも深沢英次氏が「電子書籍についての私的考察メモ」において、「特に最近の「電子書籍」に関する話題は、「出版印刷配本ビジネス」としての経済的な側面と「読書のあり方」という文化的事象としての側面が同時に語られてしまい、この話をわかりにくいものにしているとも思う」と書かれていますが、今後「経済的な側面」と電子書籍によって変化する読書のあり方、我々読者の電子書籍への期待といった「文化的事象としての側面」の齟齬が明らかになるにつれ、両者の摩擦は激しくなるでしょう。具体的には出版社の「囲い込みと半閉鎖的なプラットフォーム」をハッキングし、自分たちの望む機能を実現しようとする動きが出てくると筆者は予測します。

そして冒頭のDMCAの話に戻るわけですが、今からおよそ3年後に再度DMCAの適用除外項目が見直しされる際、電子書籍の分野での「脱獄」にあたるものが合法化されるかも、と考えると面白いですね。

■関連記事
電子書籍にDRMは本当に有効か?
appの未来
電子書籍についての私的考察メモ