Twitter私論

2010年1月31日
posted by 橘川幸夫

TwitterをしつつTwitterについて考える。まだ何も概念措定されていない「動き」について、その只中で思考出来ることは快楽だ。そこには定かならざる可能性の大きなうねりだけがある。自分自身の「つぶやき」を「ふぁぼったー」して、更に思考をブーストしてみる。

1. 「なう」でっせ。

◇物理的な位置情報確認のなう情報から始まって、時代の中の主体性確認の情報装置へと変容しつつある。ていうか変容させたい。
metakit/橘川幸夫 posted at 2010-01-20 09:37:57 2 favs bynaoyaabhimaitsme

◇なう=私がここにいるというのは物理的な空間にいるというのと同時に大きな時間の流れの中にいるということ。メメントモリ。
metakit/橘川幸夫 posted at 2010-01-20 09:44:27

Twitterの「なう」には2種類ある。それは「渋谷なう」「実家なう」などという具体的な位置情報である。初めてTwitterに入った頃は、この「なう」がうっとおしく感じる人もいるだろう。Twitterというかネットワーク環境は、リアルな社会の完成にともない、孤立感を深めた人同士がつながるためのものだ。一見、リア充しているような人でも、潜在意識の奥底で自らの存在に対して不安がなければ、わざわざネットでコミュニケーションする必要はない。「なう」は、分断化され、疎外され、孤立を深める現代人の「いま、ここにいるよ」という、魂の叫びである(ホントか)(笑)。

さて、「なう」には、もう一種類ある。それは「晩飯なう」とか「プロポーズなう」というように、行為に対する「なう」情報である。物理的な位置情報の「なう」が「もの」としての情報だとすれば、こちらの行為情報は「こと」としての情報である。人や社会は「ものごと」で成立している。どちらが優位ということではなくて、ものごとのトータルな融合が自らの主体性の確立において必要なのである。

2. 歓迎する自分。

◇Twitterのつぶやきは自分自身への手紙。のぞき見歓迎、干渉コメント歓迎。
metakit/橘川幸夫 posted at 2010-01-20 06:05:52

Twitterの役割は多様である。自分自身へのメッセージでもあるし、他者への情報提供であったりアピールであったりもする。多様性は整理されずに混濁のカオスのままでこそ、威力を発揮する。コミュニケーションしたければ、干渉すべし。ディスコミュニケーションしたければ、ひたすら無視を続けることもよし。

3. いざ、本質へ。

◇あるオールド出版人は「テレビの時はテレビガイドのような出版にも恩恵のある商品を作れたが、インターネットでは作れてない」と言った。そうではない、新しい潮流のガイドブックを作るという発想自体がインターネット的ではないのだ。友よ、いざ、本質へ。
metakit/橘川幸夫 posted at 2009-12-27 07:55:01

文化でも産業でも、新しい潮流が生まれると、すくせに解説本や指南書で一儲けを企む出版人やコンサルタントが増えた。本来は、自分たちが潮流を作りだす主体であるはずの役割の人たちなのに、他人の情報や動きの尻馬に乗ることが仕事だと思っている。それは、サーフィンが普及して頃からではないか。この波乗り野郎が、たまには自分で波を作ってみろや。Twitterは、それ自体が新しい情報伝達手段であり、新しいジャーナリズムである。古い文化の視点で、外側からなぞったところで、本質の輝きは理解できないさ。

4. テキスト文化のテレビ化。

◇フォローする人が100人でも1万人でも、僕が読めるTLは一定である。であるなら、そのTLを見ることによって、より広大な他者の広がりを感じられた方がよいのではないか。ほんの断片からでも時代を想像することは出来る。
metakit/橘川幸夫 posted at 2010-01-26 11:10:02

これは僕も最初、勘違いしていたところである。フォローした人とは個別に付き合うことだから、その人の発言はすべて読まなければならない、と。しかし、進めていけば分かることだが、フォロー数は確実に増える。ちょっとした発言でも「面白いな」と思ったら、すぐにフォローしてしまうから。無論、「うるせえな」と思ったら、同じようにフォローをはずす。そうして理解したことは、すべての個人のつぶやきを読む必要はないということだ。Twitterの凄いところは、TL(いま、ここ)に表示される言葉だけがすべてで、時間の激流がどんどん書かれた言葉を過去に押し流してしまうところである。いわばテキスト文化が、はじめてテレビ的なシステムの中で機能をはじめたといえる。しかも、参加型である! 僕の長年の夢だ。

5. さざなみの無限連鎖。

◇大きな広場ではなく、小さな広場が重なりあって連鎖していく。原理的には、個人の発言が全体に広がっていくことは出来る。情報に力があれば。
metakit/橘川幸夫 posted at 2010-01-17 05:49:40

TL上で言葉は、どんどん過去に流されいく。しかし、生命力あふれる言葉や情報があれば、それは、RTという機能で、まるでシャケの川上りのように、TLの激流を遡って、いつまでも「いまここ」に存在する。それは、自分をフォローしてくれる人だけではなく、フォローアーたちのフォロワーへと、湖に投げされた小石の波紋のように、さざなみが広がっていく。

6. 魂のメーリングリスト。

◇Twitterは魂のメーリングリスト。言葉や情報のSNSである。
metakit/橘川幸夫 posted at 2010-01-27 09:29:40

Twitterが旧来のSNSというと違うのは、MixiやGreeが、人間関係のつながりでコミュニティを拡大していくものだとしたら、Twitterには基本コミュニティはない。ただ、誰かが発した言葉に意味と異議を感じた別の個人が、それを手つなぎ鬼のようにつなげていくだけ。情報の伝達は、関係が濃密であるかアカの他人であるかは問われない。情報のコミュニティなのである。

そのことで、一番、すっきりするのが、これまでのネットコミュニティは、ニフティだろうとFacebookだろうと、運営者によるネットワーカーの囲い込み戦略が見えてしまう。会員が増大してうまくいけばいくほど、露骨になっていく。Twitterの運営者が、今後どう出るのか分からないが、少なくとも僕の感覚的には「Twitterはコミュニティではなくて、通信のための交換機だな」と思えること。ようするに、これは、不特定多数の人間が同時に会話出来る「おしゃべり電話」なのだ。

1980年代の当初、当時の電電公社の電話交換機がアナログからデジタルに変換になった。デジタルになるということは、コンピュータになるということであり、ソフトを開発すれば、これまでの単なるAポイントとBポイントをつなぐだけの交換機ではなくなることを意味した。そこで試作機として開発されたのが「おしゃべり電話」である。僕は、情報通信総合研究所に呼ばれて、開発メンバーのブレーンとして参加した。100人が同時に通話出来る「電話の広場」みたいな構想で、実験は青森と山口だったかで行われた。

その発展がダイヤルQ2の「パーティライン」や「パーティフォン」などになっていくのだが、世界中で同じ開発が進められていて、不特定多数の同時通話という実証実験が行われていた。

時代状況は、複雑な伏流の道を経て突然、地上に現出する。「不特定多数のタイムライン上のコミュニケーション」は、世界がデジタル社会化したことによって、ますます役割の意味を増すだろう。旧来の作法や矜持が、陳腐に思えるほど、時代の疾走は速度をあげている。

執筆者紹介

橘川幸夫
(デジタルメディア研究所/オンブック代表)
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