学術コミュニケーションと本の未来

2009年11月3日
posted by 仲俣暁生
李明喜氏のプレゼンテーション。向かって左から、江渡氏、折田氏、長尾氏、野家氏、李氏、長神氏。

向かって左から、江渡氏、折田氏、長尾氏、野家氏、李氏、長神氏。

昨日、サイエンスアゴラ2009の催しの一つとして日本科学未来館みらいCANホールで行われた、「“ツタエルコト”はどこにある!?-科学コミュニケーションと学術コミュニケーション」というシンポジウムを聴いてきました。

あいにく冒頭の野家啓一(東北大学理事・副学長・附属図書館長)氏の基調講演には間に合わなかったのですが、古代アレクサンドリアから説き起こした「学術情報と市民社会」と題された野家氏の講演は、活字印刷がもたらした「グーテンベルク銀河系」の終焉を見据えたうえで、インターネット時代における「公共圏」のあり方を問う、きわめて示唆に富むものだったようです。

基調講演には、このところ各種シンポジウムや対談イベントに精力的に出演している国立国会図書館長の長尾真氏も登壇。学術・科学情報の保存や流通過程における専門家と市民、それぞれの役割を説いたうえで、SNSのような方法をもちいて科学・学術研究に市民が参加・協力することの可能性を語っていたのが印象的でした。

第二部の登壇者はメディアアーティストの江渡浩一郎氏、中央大学でインターネットの匿名性と「名乗り」の問題を研究している折田明子氏、pingpongプロジェクトなどでも知られるスペースデザイナーの李明喜氏(matt)、サイエンスコミュニケーターの長神風二氏といった、かなり異色の顔合わせでしたが、各氏の刺激的なプレゼンテーションと討論のなかで、「専門家」と「市民」あるいは「研究者」と「現場」の役割分担、学術研究と社会との関係が問い直されていきました。

商業出版の世界が、急速に変化していく「電子ネットワーク化社会」への対応に手間取っているあいだに、学術・科学研究の世界では、すでに多くの大胆な提案や取り組みが行われています。もともとインターネットは互恵的な学術情報の世界で発展してきた、という事情もあるのでしょうが、強く印象に残ったのは、WikiやSNS、twitterといったインターネット上の各種ソーシャルサービスが知識や情報の流通過程だけでなく、その生産過程にも大きく関わってくるだろう、ということを多くのパネラーが異口同音に語っていたことです。

ことに野家氏が最後に語った「オーサーシップが変わる」という話が象徴的でした。学術研究の目的が「好奇心駆動型」から「プロジェクト達成型」に変わってきたことで、「著者(オーサー)」の意味が変わってきたというのです。これは商業出版の世界でも、今後は間違いなく起きてくることではないでしょうか。if:bookから翻訳転載した「ネットワーク時代における出版の統一場理論」でボブ・スタイン氏も、「本の著者の関心が読者のために特定の主題に取り組むことであったなら、ネットワーク時代にはそれが特定のテーマについて読者と協働することへの関心にシフトする」と指摘しています。

商業出版の世界では「雑誌が売れない」「本が読まれない」といった嘆き節か、グーグルやアマゾン、アップルといったIT企業が出版の世界にもたらしたインパクトを「黒船」のようにとらえる議論ばかりが繰り返されています。しかし、「そもそも”本”とはなんだったのか」「知の共有や流通のあり方はどうあるべきか」「著者と読者の関係はこれからどうなるか」といった一段深い議論をするためには、学術・科学情報の世界や、図書館・電子アーカイブの世界で起きている動きに、一般書の編集者も注意を払うべきだと思います。

「マガジン航」では、商業出版での電子書籍の動きとともに、今後も学術情報や図書館の問題を取り上げていこうと考えています。読者からの情報提供や寄稿を歓迎します。

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執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。