フランスからの声、エジプトからの声

2009年10月27日
posted by 岡本 真

2009年秋。9月中旬と10月上旬に「本と出版の未来」を考える上で世界的に重要な人物が2人、国立国会図書館で講演した。一人は9月15日と17日に国立国会図書館の東京本館と関西館で「インターネットと文化:チャンスか危機か」と題して講演したジャン-ノエル・ジャンヌネー氏(前フランス国立図書館長、ユーロパルトネール所長)、もう一人は10月2日に東京本館で「パピルスからPDFへ:よみがえるアレクサンドリア図書館」と題して講演したイスマイル・セラゲルディン氏(アレクサンドリア図書館長)である。すでに両氏の講演については、ニュースサイトやブログで報じられているので、ここでは都合3回の講演を聴いて考えさせられた彼我の差を記しておく。

ジャンヌネー氏

ジャン-ノエル・ジャンヌネー氏

両氏、特に『Googleとの闘い』(岩波書店、2007年)と日本語訳された書籍の著者であるジャンヌネー氏の姿勢は、おそらくは聴衆の一部の期待に反して、デジタル化に代表される技術の進歩、そして、その最先端を行くグーグルを真っ向から否定するものではなかった。これまでその発言が注目されることが多くはなかったセラゲルディン氏にしても、技術の進歩を果敢にリードするグーグル創業者らを讃える言葉をスピーチに交えたのである。グーグルに象徴されるデジタル化の波への感情的な反発を抱えて会場に足を運んだ聴衆がいたとすれば、さぞかし落胆したことだろう。

だが、もし残念な思いを抱えたまま会場を後にした参加者がいたとすれば、非常に残念なことだ。それほどに両氏の講演は日本における「本と出版の未来」を考える上での示唆に満ちていたのだから。

三つの進路-出版社にとって

たとえば、フランスやエジプトにおける出版社の動きである。ジャンヌネー氏が語ったフランス出版業界の反応は、ほんの少しだけ時間差をおいてデジタル化の衝撃を味わいつつある日本の出版業界にも大いに参考になるものだ。ジャンヌネー氏によれば、フランスでは、当初衝撃の大きさの余りか、デジタル化を自らの存在を脅かすものととらえていたという。

しかし、やがてデジタル化自体は時代の趨勢ととらえるのと同時に、むしろそこに可能性を見出す方向へと転化しつつある。ここで、ジャンヌネー氏が語ったフランスにおける出版社の3類型、

(1)不安を抱きつつも何もしていない出版社
(2)グーグルとの連携を打ち出す出版社
(3)グーグルと断固闘う出版社

は、日本の出版社がこれからとりうる選択肢そのものだろう(念のために述べておくが、ここで言う「グーグル」は、グーグルという企業の問題であるのと同時に、一企業の問題に矮小化されるものではなく、デジタル化という波と解すべきと考える)。ジャンヌネー氏は(1)のようなタイプの出版社は、そう多くはないと語ったが、さて、日本ではどうなるだろうか。

この点では、セラゲルディン氏が語ったアラビア語圏の出版社のほうが実は一歩先を行っているのかもしれない。すでに12万冊のアラビア語書籍のデジタル化を終えているアレクサンドリア図書館では、出版社と合意に達した書籍については、著作権残存期間であってもインターネットでの公開はおろか、特に教育利用を想定したオンデマンド出版も許容されているという。その言語圏に属する人間の実数とは別に、欧米言語に対するプレゼンスが相対的に低いアラビア語圏ならではの柔軟な取り組みと言うべきだろうか。言語圏としてのプレゼンスは、欧米よりはアラビアに近いアジアの中で日本語圏を形成する日本にとって、実は学ぶべきより身近な先行例は、エジプトなのかもしれない。

二つで一つの役割-図書館にとって

彼我の差を感じさせられたもう一つは、出版社と並んでこれまで知識や情報を司る働きをしてきた図書館の役割である。ジャンヌネー氏は、膨大なスケールでのデジタル化の進展は情報の氾濫をもたらし、そこでは情報を整理するライブラリアンの役割が、むしろ必然的に重みを増す、と自信を持って語っていた。セラゲルディン氏も同様に、情報の増加は、むしろ図書館が知識や情報の伝達者になる機会であるという認識を示している。

ここで両者に共通するのは、図書館とその担い手たるライブラリアンの本質的な役割に対する圧倒的な信頼感である。置かれた環境や抱える前提が少なからず異なる以上、彼らの主張をそのまま日本の図書館やライブラリアンにあてはめることには慎重でなくてはならないが、普遍的な概念レベルの意味では図書館とライブラリアンの重要性は、やはり変わることがないだろう。

さて、両氏の発言は、それぞれ別個のものとして理解するべきではない。ジャンヌネー氏の言う検索エンジンによるページランクアルゴリズムを超える「整理」や「分類」を果たせば、セラゲルディン氏が思い描く知識や情報のプロバイダーとしての図書館が成立するという一連の二段階の議論でとらえるべきだ。

東京での講演の後、ごく短い時間だが、ジャンヌネー氏に氏の考える「整理」や「分類」のイメージを尋ねことができた。必ずしも明確な答えは得られなかったが、その際のやりとりから察するに、従来の図書館分類の価値は認めつつも、それだけで十分と考えているわけではないのだろう。ここで図書館やライブラリアンがデジタル時代に見合った方法での「整理」「分類」を世に問うことができるか、これは依然として大きな宿題である。日本の図書館とライブラリアンは、フランスやエジプト、そして世界の図書館やライブラリアンと共に、この問題に取り組み答えを出していけるだろうか。

声に応えて

以上、フランスとエジプトの碩学が日本で発した声に潜む問いかけを抜き出してみたが、日本の出版業界と図書館業界は、これらの声にどう応えていくだろうか。むろん、彼らの問いに応答できるのは両業界の人間に限られるわけではない。むしろ、地位も所属も年齢も関係ない。「本と出版の未来」にコミットしようという意思があれば、誰もが発言できる問いかけである。一人ひとりの発言がやがて大河の流れとなる日には、そこにはおのずと「本と出版の未来」が訪れているだろう。

イスマイル・セラゲルディン氏(右)とジャンヌネー氏

イスマイル・セラゲルディン氏(右)とジャンヌネー氏

補記

筆者自身は、この8月に第1回ARGフォーラム「この先にある本のかたち-我々が描く本の未来のビジョンとスキーム」として、議論の場をつくったが、11月に横浜で開催される図書館総合展でも「“グーグル文化と日本”-研究者、図書館の立場からグーグル・ブック構想を評価する」と題して、この問題を考える予定だ。

私はコーディネーターであり、基本的には講師である高宮利行氏(慶應義塾大学名誉教授)と和田敦彦氏(早稲田大学教授)の発言を引き出す役回りとなる。書物史とリテラシー史の専門家を招くこのフォーラムでは、グーグル単体の話題に終始することが多かったこれまでの議論とは一線を画すものと考えている。ご関心をお持ちの方は、早めにお申し込みいただきたい。

「“グーグル文化と日本”-研究者、図書館の立場からグーグル・ブック構想を評価する」 (申込先はこちら
ACADEMIC RESOURCE GUIDE(ARG):http://d.hatena.ne.jp/arg/

執筆者紹介

岡本 真
ヤフー株式会社でのYahoo!知恵袋の立ち上げ等を経て、1998年に創刊したメールマガジンACADEMIC RESOURCE GUIDE(ARG)(週刊/5000部)を母体に、アカデミック・リソース・ガイド株式会社を設立。「学問を生かす社会へ」をビジョンに掲げ、文化施設の整備に関わりつつ、ウェブ業界を中心とした産官学連携に従事。著書『未来の図書館、はじめませんか?』(青弓社)『これからホームページをつくる研究者のために』(築地書館)『ウェブでの<伝わる>文章の書き方』(講談社現代新書)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)ほか。