南阿蘇村の駅舎の本屋さん「ひなた文庫」訪問記

2016年10月18日
posted by 和氣正幸

「ひなた文庫」は熊本県南阿蘇村にある小さな本屋だ。中尾友治さんと竹下恵美さんの二人によって運営されている。「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」という日本一名前の長い、南阿蘇鉄道高森線の無人駅舎を店舗として使っていて、営業時間は週末のみ。平日は別の仕事をしているそうだ。

ひなた文庫遠景。

ひなた文庫遠景。

名前を聞いたことない人がほとんどだと思うが、ぼくも9月3日に下北沢の本屋B&Bで行われた「伽鹿舎とひなた文庫 九州で本を売るということ」というイベントで、その存在を初めて知った。九州でしか売らない本を出版している伽鹿舎という出版社とひなた文庫が、「九州で本を売るということ」について語るイベントだったのだが、出会ってまず驚いたのがその若さだ。二人とも20代らしい。本屋をはじめたい若者がジワジワと増えているのだろうか。

「出版業界の未来は厳しいけれど本の未来は明るい」と内沼晋太郎氏が『本の逆襲』に書いていたけれど、本当にそうなのかもしれないと嬉しくなってしまう。 面白い本屋を見つけたと浮かれながら話を聴いていると、9月の3連休にひなた文庫で宿泊イベントがあるというので、勢いで「参加します!」と約束してしまった。これが九州縦断弾丸ツアーの始まりだった。

9月17日。前日発の夜行バスに乗って福岡に到着し、ひととおり本屋をめぐったあと、熊本に着いたのが夜の11時。翌日は5時起きで早朝から始まる藤崎宮例大祭を見物後、伽鹿舎の加地さんと合流して熊本市内の本屋めぐりをした。

熊本といえば今年の4月に起きた地震の影響が気になる。聞いてみると、見た目は問題なさそうに見えるが、まだ人が入れない建物も多いようで、やはり影響はまだまだ残っているとのこと。たとえば河童の像で有名な「金龍堂まるぶん店」や「長崎次郎書店」の2階カフェ部分、「橙書店/orange」の書店スペースは地震の影響により閉鎖されてしまっていた。だが、考えてみればまだ地震から半年ほどしか経っていないのだ。そんな中で年に一度のお祭を盛り上げようと多くの人が参加している。熊本市民の芯の強さみたいなものを感じた。

 地震の影響で閉鎖されてしまった金龍堂まるぶん店。シャッターにはお客様からの応援の声が貼られている。

地震の影響で閉鎖されてしまった金龍堂まるぶん店。シャッターにはお客様からの応援の声が貼られている。

長崎次郎書店。1階の書店スペースは開店しているが2階のカフェ部分は地震の影響で休業中である。

長崎次郎書店。1階の書店スペースは開店しているが2階のカフェ部分は地震の影響で休業中である。

時刻は夕方。いよいよ、ひなた文庫に向かおう。

熊本市内からひなた文庫まで車で1時間ちょっとだ。阿蘇の方まで来ると地震の影響は未だ色濃く残っているのがわかる。通れない道。崩れた家。観光客として訪れるぶんにはいいが、生活している方々はまだまだ大変だろう。そんな景色をしばらく進むと見えてきた。かわいらしい木製の無人駅がひなた文庫だ。

遠くに見える阿蘇の山々。聞こえる虫の声。満天の星空。八角形の駅舎の中には本棚の数はそれほど多くない。だが、並べられた本は宇宙の本や自然の本、文学などこの場所だから読みたい・選びたい本ばかりだ。本棚のほかには宿泊イベントのために用意されたドリンクとなんと自作の即席テント風ベッド。聞いてみると水道も自作らしい。「ものづくり」はこのあとでひなた文庫の二人に聞いた話でもキーワードになってくる。

 夜のひなた文庫。

夜のひなた文庫。

何かを始めるキッカケになるような本屋にしたい

約束していたとはいえ、東京からわざわざ来たのには理由がある。出版業界がこれだけ厳しいと言われている状況で、かつ、都会でもない場所でどうして本屋を始めようとしたのかを聴きたかったのだ。熊本地震の影響も気になる。もっとゆっくり、二人に話を聴きたいと思った。東京でのイベントで写真を見せてもらったこの店は、どんな雰囲気なのか、どんな空気感なのか、実際に自分の身をひなた文庫に置いて感じてみたかった。

まず、二人に聴いたのはそもそもなぜ本屋をやろうと思ったのか? ということだ。

なにより不思議だったのは、中尾さんの活動理由である。竹下さんのほうは学生時代から書店員として働いており、就職先も出版営業。家業(本屋とは別)を継ぐことになった中尾さんについて南阿蘇に行ったが、本にずっと携わっていきたい気持ちがあったということだし、厳しい状況ながらも自分で本屋をやろうと思う気持ちは理解できる。根っからの本好きなのだ。

だが、中尾さんの話を聴いていると、根っからの本好きとも少し違う気がする。家業もあるのだから、わざわざ本屋をやる必要なんてない。ひなた文庫は、本好きの竹下さんだけでやっていてもおかしくないように思えるのだ。ところが、中尾さんは積極的にひなた文庫に参加し、イベントの企画をするのはもっぱら彼なのだという。なぜなのか。

中尾さんはこう言う。「本はかけがえのないものだと思うからです。」

中尾:南阿蘇村には気軽に行ける本屋がなかったこともあり、自分自身、大学に入るまで本をそんなに読んでいませんでした。いまでも本好きというほど読んでいるわけではありません。ですが、本を読まない生活より、読む生活のほうが絶対に面白いと思うんです。

というのも、自分は「ものづくりをする人」だと思っています。ものづくりにはアイデアが必要ですが、そのアイデアはゼロからは生まれない。必ず何かと何かの組み合わせで生まれる。いろいろな知識が詰まっている本という存在は、アイデアを生むためにかけがえのないものなんです。

本に囲まれた空間って、アイデアが生まれやすいじゃないですか。南阿蘇村にもそういった場所をつくりたくて、ひなた文庫を始めることにしました。続けていく中で、来てくださったお客様が何かを始めようと思うキッカケになれればと思っています。

ひなた文庫と出会ったことがキッカケで、自家用車を使って移動本屋「310ブックス」という活動をはじめた方がいる。本屋をやりたいと思っていたときにひなた文庫に来店。情報交換をしているうちに移動本屋を開くことにしたそうだ。

とはいえ、移動本屋とひなた文庫のような実店舗では何もかもが違うだろう。「やる」と思ってもすぐにできるわけではない。中尾さんたちの場合、キッカケは何だったのだろうか?

中尾:家業を継ぐために南阿蘇に帰ることになり、恵美もついてくるとなったときに、本に携わる何かをやろうとは決めていました。そんなときに南阿蘇鉄道の駅舎が格安で借りられることを知りました。そこで、すぐに企画書をつくって持ち込んだところ、運良くすぐにOKをもらうことができ、そこからはトントン拍子でした。開店したのは2015年5月から。平日は実家の仕事があるので、おもに週末に開店しています。

選書はどうしているのか?

中尾:開店当初は自分たちの蔵書が半分、開店が決まってから揃えた本が半分でした。開店後はお客様が寄贈してくださることも増えましたが、主にせどりで仕入れています。ごくふつうの「町の本屋」でもありたいと思っているので、ジャンルが偏らないよう、南阿蘇に旅行に来て立ち寄ってくださった方が帰り道に読んでくれそうな旅やエッセイ、熊本についての本に加え、地域のお客様のための本も揃えています。

本を買ってくださるのは旅行で来てくださった方が多いので、そこで得た売上で地域のお客様のための本を仕入れる、というスタイルでやっています。ひなた文庫の目標の一つは、“いまはまだ小さい子供たちが、自分で本屋に来られるようになるまでは続けたい”。自分たちがそれまで長く続けられるためのスタイルをさぐるうち、いまのようなかたちになりました。

 本棚の一部。雑誌、本の本、文学、エッセイ、色の本と幅広い品揃えだ。

本棚の一部。雑誌、本の本、文学、エッセイ、色の本と幅広い品揃えだ。

今年の4月に熊本では大きな地震があったが、震源に近いひなた文庫は大丈夫だったのだろうか?

中尾:地震の影響で、南阿蘇鉄道がひなた文庫のある駅まで来られなくなりました(10月18日現在も断線中)。地震の直後は、橋が落ちてしまったので村から出られず、お店を開くこともできませんでした。生活には困りませんでしたが、何もしないでいると落ち着かない。早く日常のサイクルに戻したいと思って、一週間後には、家業をしている商店の駐車場の空きスペースで、ひなた文庫を再開しました。雨風もしのげない小さな店舗ですが、嬉しいことに、駅舎に来ていただいていたお客様が、閉めてしまうのではないかと心配して、わざわざ仮店舗に来てくれたんですね。これには気が引き締まりました。

実は、開店から1年近く経ち、マンネリというわけではないですが、良くも悪くも慣れてきてしまっていた時期だったんです。それに、もともと駅自体がかなり有名なこともあり、ひなた文庫自体を目あてに訪れるお客様がどれだけいるのかも、よく分からなかった。そんなときに地震が起きて、自分たちも大変なのに、店のことを心配してくださるお客様がたくさんいたんです。自分たちがやってきたことが、考えていた以上に、南阿蘇村の人たちにとってかけがえのないものなのだと実感しました。

駅舎での開店はしばらくできなさそうだったので、求めてくれるお客様がいるなら、と駐車場の仮店舗をパワーアップ。手作りで小屋をつくって雨風をしのげるようにしたんです。このときには同じ熊本在住のアーティスト、坂口恭平氏による「0円ハウス」の発想に背中を押されました。本にとって雨風は大敵です。でも、店舗を借りるのは難しい。なら作っちゃえばいいじゃんって (笑)。

ひなた文庫の小屋。取材当時は台風が上陸していたため厳重に保管されていた。

ひなた文庫の小屋。取材当時は台風が上陸していたため厳重に保管されていた。

ものづくりへのフットワークの軽さに驚いた。ぼくが同じ状況だったら「どこか空き家がないか?」とか「軒先でやらせてもらえないか」とかを考えてしまうだろうに、小屋とはいえ、まさか自分で作ってしまうとは。こういった身軽さは、お店の場所が駅舎に戻ってからも発揮されている。簡単な造りだが、手作りのベッドや水道も自分たちでどんどん作ってしまうところは、ぼくにはとても真似できない。

南阿蘇村に移住する人が増えてほしい

左から、真ん中の絵をライブペインティングしてくれた手嶋勇気さん、ひなた文庫の竹下恵美さん・中尾友治さん。

左から、真ん中の絵をライブペインティングしてくれた手嶋勇気さん、ひなた文庫の竹下恵美さん・中尾友治さん。

ぼくたちが訪れた9月18日には、駅舎での開店も不定期ながら復活していた。宿泊イベントの当日は、地域のお客様やコーディネートしてくださった伽鹿舎・加地さん(とそのメンバー)、東京から同行した知人らと手作りのベッドに座って、夜遅くまで語り明かした(ぼくが寝てしまった後も、残りの皆は朝方まで話し込んでいたらしい)。

ひなた文庫の目標は、「ひなた文庫がキッカケになって南阿蘇村に移住する人ができること」だそうだ。これを聞いて、この目標は近いうちに達成されるに違いない、と素直に思った。なにせ「また訪れたい」と、この村にはじめて来たぼくが思っているのだから。

ひなた文庫は、11月までは不定期営業。12月から第2、第4金曜日の営業となる。秋の夜長に静かに読書したり、語らったり、手作りベッドでウトウトしたり。贅沢な時間を過ごすのにこんなに良い場所はない。きっとかけがえのない時間を得ることができるはずなので、ぜひ訪れてみてほしい。

最後に。この記事の前半部で「出版業界の未来は厳しいけれど本の未来は明るい」という言葉を、内沼晋太郎氏の『本の逆襲』から引用した。ここまで書いてきて、あらためて本の未来は明るいとぼくは思い直している。ひなた文庫だけであれば、「そういう人もいる」という一例に過ぎない。だが、彼らに影響を受けて行動を起こした310ブックスがいる。ひなた文庫は少なくとも一つは本の活動を広めたのだ。

こうした動きが積もり積もって、10年後には、もしかしたら南阿蘇村が「本の村」になっているかもしれない。ここ南阿蘇村に、ひなた文庫という本屋がある。そのことにぼくは希望を感じずにはいられないのである。

ひなた文庫
http://www.hinatabunko.jp/

執筆者紹介

和氣正幸
「本屋をもっと楽しむポータルサイト BOOKSHOP LOVER」を中心に、ウェブサイト運営やライティング、イベント開催など小さな本屋を応援するための幅広い活動を行うフリーランス。手掛けたイベントは「小さな本屋のつくり方」、「本屋入門」など。