今年の3月18日から台湾の学生によって続けられている国会(立法院)議場の占拠は、1980年代後半にはじまった台湾民主化(軍政から民政への転換)以来の大事件です。これには経済的な、そして政治的な理由がいくつかあります、出版業の視点から、簡単に説明してみます。
この事件の原因としては、おおよそ以下の三点が挙げられます。
- 国民党議員により強制的に行われた、台・中サービス貿易協定を批准する法案の国会での不投票通過という手段への反対。
- 中国の統戦(台湾統合に向けた経済・情報戦略)と自由貿易が繋がることによる弊害に対する懸念。
- WTO加盟(2002年)以来つづいている、経済自由化そのものへの反対。
国会占拠事件の発端
台湾と中国の関係は特別です。台湾海峡をはさんだ双方の間では、各事項の協議が代理機関を経由して進行します(台湾の「財團法人海峽交流基金會」と中国の「海峽兩岸關係協會」)。2010年に両岸経済協力枠組協議(ECFA、台湾・中国間のFTA)が発効したのち、物品とサービス貿易協定についても同時に協議が続けられました。
問題はこの協議の中で、台湾政府が民間から意見聴取を行わず、国会への相談もなかったことです。こうした「ブラックボックス化」も、今回の貿易協定にたいして台湾の学生が反対する理由の一つになりました。
去年7月、この貿易協定に双方が合意し、契約がサインされるまえに、台湾総統府国策顧問で、著名な出版者である郝明義(レックス・ハウ)さんは「我們剩不到二十四小時了(わたしたちにはあと24時間しか残されていない)」という公開状を発表しました。これは、台湾と中国の出版状況をめぐって、今回のサービス貿易協定への最初の反対意見でした。
出版から台・中サービス貿易協定の問題を見る
今回の協定では、台・中の双方とも出版業(書籍、雑誌など)自体は開放しません、しかし、それ以外に協定の対象となる出版関連の分野として、印刷、卸売・流通(取次)、小売があります。郝さんの考えは、
- 台湾では1999年に出版法が撤廃されて以来、実質的に出版統制がなかった。誰もが自由に出版できる状況のなかで、印刷、取次、流通・小売のすべてを中国に向けて開放すれば、出版業を全面的に開放するのと同然になる。
- 台湾の印刷、卸売・流通(取次)、小売は、ほぼ全部が中小業者である。対して中国は国家統制による「一条龍」(垂直統合)の業者が多く、資本面で対等でない。
- このまま開放すれば、台湾の出版産業だけでなく、読書環境や言論の自由にまで、かなり大きな影響が出る(中国が国内で発禁にしている著者、たとえば芸術家の艾未未(アイ・ウェイウェイ)や、チベット独立作家である唯色(ツェリン・オーセル)の著作は、中国資本の取次や小売業者により、台湾でも実質的に発禁になりかねない)。(注1)
- 中国の印刷業者は「書刊准印證(書籍印刷許可証)」を持っている限りにおいて、書籍と雑誌を印刷できる。いまは持たずに印刷すると違法行為になるが、対等開放となれば、中国政府は書刊准印證の発行を承諾するだろう。
そこで郝さんは、協定を一旦止めて、再協議することを求めています。
この半年の間に、政府と民間の間で意見聴取会が何回あったことでしょう。郝さんは出版、印刷、広告業といった民間を対象とした意見聴取会に一度参加しています。また国会主催の意見聴取会も、各業界を相手に12回行われました。しかし政府は協定の批准を中止する気などないようです。もちろん出版業だけでなく、他の産業(医療、ゲーム、コンテンツなど)にもこの協定の影響は及びます。反対の声は集まり続けており、3月18日の国会での批准法案の不投票通過は、爆発への導火線に過ぎません。
(注1)米国のリーダーズ・ダイジェスト社は、オーストラリア人作家LA Larkinのスリラー小説、Thirst(インド、豪州、ニュージーランド、マレーシアなど向けの英語版)を中国で印刷した。この作品には法輪功のメンバーを母親にもち、弾圧を避けて中国から亡命した科学者が登場するが、そのくだりは印刷段階ですべて削除され、事実上の検閲を受けた(2014年3月29日付の英オブザーバー紙のコラム、”How Reader’s Digest became a Chinese stooge” より)。
出版・印刷業からの、もう一つの考え
郝さんのシナリオは正しいのでしょうか。別の考えもあります。台湾城邦グループ、貓頭鷹(オウル)出版社の元社長陳穎青さんは、「台湾の出版文化には、自由による強さがある。読者は良いコンテンツを選択できるから、中国資本は簡単に市場を独占できない」と発言しています(「服貿會摧毀台灣的出版自由嗎?(サービス貿易協定は台湾の出版自由を壊すのか?)」)。
じつは、台湾には中国本土に向けて発行される新聞があります。国民党による統制下にあった時代からの古参新聞社「中国時報(ChinaTimes)」です。同紙は2009年、旺旺という食品グループ(注2)と合弁しました。旺旺グループは中国市場で拡張した資金で、台湾と香港のメディアを買収しました。しかし、合弁後の「中国時報」は記事が完全に中国寄りへ傾いたため、信頼感も売上も落ちています。
一方、台湾から中国へ進出する印刷業者にとっては、書籍を印刷しなくても、ほかに儲かる分野があります。2012年にアップルからサプライヤーリストが公表され、台湾の製紙・印刷会社はFOXCONN(鴻海科技集團)のパートナーとして、携帯やタブレットのパッケージ制作や印刷でも、月間3000万〜5000万人民元の売上があったという報告がありました(1人民元は約16.7円)。
これほどまでに両極端な意見がある上に、サービス貿易協定は簡単にイエス・ノーで答えられる問題ではありません。いまの要望は一旦止めて、現実の産業状況や政治状況を見直したうえでの再協議を私は求めたいと思います。
(注2)旺旺グループのプレジデントである蔡衍明氏は、2012年にFOXCONNの郭台銘氏を越えて、台湾一の富豪となっている。
中国ではなく、世界へ向けての自由貿易を
今度の事件は、もっと広い問題へ繋がります。台湾は日本と同じ島国です。したがって対外貿易は国家経済の命脈同然で、自由貿易に反対する声はつねに小さく、WTOに反対する農民くらいしかいません。しかしこの事件を受けて、ネット上の論議では自由貿易を見直そう、という呼びかけ声もありました。
台・中サービス貿易協定はECFAによる、具体な産業開放協定です。これは中国中心の「東アジア地域包括的経済連携(RCEP)」、そしてアメリカ中心の「環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)」へ繋がります。
サービス貿易協定による台湾への弊害は、中国の統戦という要素を除けば、TPPにしても、RCEPにしても、「産業振興と文化保護のどちらを優先するか」という問題を喚起するのではないでしょうか? これは今後、台湾が直面しなければならない問題です。
「欠席」だった電子書籍
残念ながら、出版業者によるサービス貿易協定をめぐる議論では、電子書籍にまったく触れられませんでした。サービス貿易協定の内容は、私から見ると、中国に対して台湾での組版・校正・デザインなどをすべて開放するという点に問題があります。
中国の電子書籍制作技術は高くありませんが、中国ではアマゾンが去年には早くも利益を出している上に、市場はどんどん広がっています。技術もそのうちに向上するでしょう。もし紙の書籍と電子書籍の制作が、協定によってどちらも中国へ移行すると、台湾の繁体字書籍や、組版文化にはかならず衝撃がやって来ます。(注3)
一方、電子書籍は流通を封鎖されても、突破できる出版手段です。いま台湾の出版業界は、電子書籍をただの未熟な商品に過ぎないとみなしており、これも残念なことです。
私は事件発生後、すぐに「台・中サービス貿易協定」をEPUBに変換し、各電子書店へ提供しました。反対とか、賛成とかいう前に、まずその内容を読むことを求めたのです。協定の文面は、難しいかもしれません、しかし、これが読めないのなら、何に反対しているのかも理解できないはずです。民主主義というものはそのくらい難しく、時間のかかるものなのですから。
(注3)中国では、電子書籍の出版はいまだに統制されている。中国のアマゾンで電子書籍を販売したいなら、中国政府発行のISBNが必要となる。ISBNは限定された出版社しか取れないため、本を出したい民間の出版者は、これらの出版社からISBNを買い、審査を通過してはじめて出版できる。
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