カニバリズムは神話だった

2011年8月30日
posted by 鎌田博樹

米国出版社協会(AAP)とシンクタンクのBISGが始めた新しい包括的な出版統計サービスBookStatsの最初のレポート(有料)が8月9日発表され、主要な数字が明らかにされた。最も注目されたのは、米国の書籍出版が2008年以降、E-Bookの急速に拡大する中で、全体としてどうなったかということだったが、不況下の2年間で5.6%と低いながらも着実に成長していたことが示され、少なくともマクロではE-Bookが出版業界にとって貴重な商品であることが確認された形となった。

米国の電子書籍市場は実質2000億円規模

統計というものは市場観を反映し、調査対象と方法などにより「解釈」が必要な場合が少なくない。これまで米国の電子書籍市場の数字として使われてきた代表的なものは、米国出版社協会(AAP)が発表する「一般商業書籍の卸出荷額」の中の電子書籍分をカバーしたものだ。産業統計としては不完全で、トレンドが掴めたにすぎない。但し書はあったのだが、いつかこの数字が誤用され、さらに算定根拠の異なる日本の数字と比較され、事実認識に大きな狂いが生じていた。

米国出版社協会がBookStatsで採用した書籍市場の三次元モデル。

BookStatsは、調査対象を14社から約2000社(今回1963社)にまで拡大し、同時に市場の3次元モデル(上の図を参照)に従い、過去3年にさかのぼって可能な限り正確なデータで埋めている。2010年の卸販売額(つまり出版社の手取り額)は、3.1%伸びて279億ドル。一般商業図書の卸販売額は139.4億ドルで、うち電子書籍の売上が8億7800万ドル、構成比は2008年の0.5%から6.4%(13倍)と急伸した。予想通り、印刷書籍の落ち込みをE-Bookが補って、さらにお釣りがきたという形だ。

一般商業書籍以外を含む全カテゴリーまで広げてみると、デジタル出版は対前年比38.9%増の16億2000万ドル(1250億円)にもなる($=77円換算)。小売販売額としてみれば、2000億円に近いものと考えられる。これまでいかに勘違いされてきたかがお分かりいただけるだろう(下の付表を参照。AAPによるBookStatsのプレスリリースはこちら)。

「その他図書」まで加えるとE-Book市場は卸値でも16億ドルを超える。

データから言えることは5点。

  • 第1に、出版は持続的な成長が可能な産業であり、それは本の入手性、可用性、拡張性を飛躍的に高めたデジタル・フォーマットによってのみ実現されることが証明された。これは米国に限定されない。
  • 第2に、欧米の出版社がE-Bookに対する認識を完全に改めた背景が、精度を高めた統計によって明らかになった。E-Bookは出版社にとって、問題児どころか孝行息子であり、将来の希望を託し、積極的な投資を行う価値があるということだ。
  • 第3に、今回の発表は今年前半をカバーしていないが、成長はまったく減速することなく続いている。大手出版社の経営者は、この半年でE-Bookが今後の出版を牽引する存在となったことを明確に認識した。
  • 第4に、ニュースメディアと異なり、書籍出版はWebとの共存が最も容易で、しかもWebによって成長が可能であったこと。Webは本を21世紀の先進的メディアに変えた。
  • 第5に、いわゆるカニバリズム論の誤りが証明された。印刷書籍との共存は、デジタルと紙という単純かつ無意味な二分法ではなく、価格や発行時期、販売チャネルなどの要因を考慮した、ミクロな個別ケースで判断するほかはない。

アメリカの書籍市場は全体としても成長傾向に。

BookStatsは、AAP/BISGが1年半の準備期間をかけてスタートさせた。合計で153億ドルを売り上げる1963社からの回答データをもとに全体規模を推計するという方法を取っている。これでも完全なものとは言えないが、大きな誤差は生じない程度には厳密であると思われる。

繰り返しになるが、これまで日本で使われてきた米国の数字なるものは、米国の電子書籍出版の一部の数字を抽出したものだ。まして、600億円とも称される(しかもケータイで読まれるマンガを中心とする)日本の数字と直接比較できるものでもなかった。大きな誤解を生んできたが、この際誤用は訂正すべきだろう。米国の関係者が、新たにBookStatsをスタートさせたのは、従来の方法によっては現実が細くできないこと以上に、市場を構造的、動的に精密に把握するニーズが高まっていることによる。日本でも比較可能なデータを整備する必要がある。

※この記事はEbook2.0 Weekly Magazine 2011年8月11日号に掲載された記事「カニバリズムは神話だった:米国出版市場は持続的成長」を著者による加筆をくわえ転載したものです。

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執筆者紹介

鎌田博樹
ITアナリスト、コンサルタントとして30年以上の経験を持つ。1985年以降、デジタル技術による経営情報システムや社会・経済の変容を複合的に考察してきた。ソフトウェア技術の標準化団体OMGの日本代表などを経て、2009年、デジタルメディアを多面的に考察するE-Book 2.0 プロジェクトに着手。2010年より週刊ニューズレターE-Book2.0 Magazineを発行している。著書に『電子出版』(オーム社)、『イントラネット』(JMA)、『米国デジタル奇人伝』(NHK出版)など。情報技術関係の訳書、論文多数。2013年、フランクフルト・ブックフェアで開催されたDigital Publishing Creative Ideas Contest (DPIC)で「グーテンベルク以前の書物のための仮想読書環境の創造」が優秀作として表彰された。