リトルマガジンのゆくえ

2009年11月5日
posted by 仲俣暁生

論創社のウェブサイトで連載されている、小田光雄氏の「出版状況クロニクル」が更新されていたのでさっそく読んでみました。小田氏は『出版社と書店はいかにして消えていくか』をはじめとする著作で、早くから日本の出版流通が抱える構造的な問題を指摘してこられた、在野の出版研究者です。

「出版状況クロニクル」は、2001年から07年にかけて出版界に起きた大きな出来事を逐次的にまとめた著作『出版業界の危機と社会構造』のあとを受け、日々報じられる出版関連のニュースや統計データを分析するなかから、出版業界が直面している危機の本質をネット上で随時報告するという貴重なレポートで、本や出版の問題に関心をもつ人は必読です。

10月の話題をまとめた最新回では、ビジネス誌やニュース誌が伝える新聞・出版業界の苦境や、成長を続けるグーグルの話題などにまじって、二つのリトルマガジンにまつわる記述が目につきました。ひとつは古書専門誌『彷書月刊』が、来年10月をもって休刊するという知らせ。1985年に創刊された同誌は2010年10月号で300号を迎えるそうで、これを区切りとして刊行を止めるというのです。

他方、いまやリトルマガジンと呼ぶには巨大になりすぎた観もありますが、1972年に創刊された音楽雑誌の『ロッキング・オン』が、今年の10月号で創刊から通巻500号を迎えたとのこと。小田氏はこの雑誌の創刊編集長である渋谷陽一が、1978年9月に述べた次の言葉を引用しています。

「書き出せばきりがないので結論的な事を言ってしまうと、メディアにかかわる人間の中で、巨大組織に所属している事に安住している者と、客観的な物の言いかたしかできない者は絶対許すまいという事。つまり受け手でもある自分を認識できない者は、メディアにかかわる資格はないという事である。(中略)メディアとはひとつのシステムなのだ。主役はメディア自身でも、そこに登場する有名人の何々でもなく、情報の流れ、つまり伝達、コミュニケーション、あるいは人間の持つ他者への基本的な意志そのものが主役なのである」

大手出版社の雑誌が相次いで休刊したことで、昨年から今年にかけては「雑誌休刊」がさかんに話題となりましたが、「受け手が送り手でもある」というところからスタートしたリトルマガジンの世界にまで目を向けると、雑誌というメディアがいま直面している問題が、よりいっそう、はっきりと見えてくる気がします。

これらのリトルマガジンが切り開いた、「受け手が送り手である」ようなメディアの可能性は、インターネットによってむしろ拡大しています。紙の雑誌がなくなるのは淋しいですが、それは「雑誌」の終焉ではなくて、変化あるいは進化かもしれないのです。

今年は東京の地域雑誌『谷中・根津・千駄木』が休刊し、福岡の地域情報誌『中州通信』も2010年2月号で休刊と報じられています。500号を越えたリトルマガジンもあれば、役割を終えてひっそりと歴史を閉じる雑誌もある。雑誌というメディアについて考えるには、大手出版社の雑誌ばかりではなく、これらリトルマガジンの動向まで目を向ける必要があることを、あらためて感じるこのごろです。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。