いまそこにある未来(1)

2009年9月29日
posted by 萩野正昭

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10年、一体なにをしてきたのか?
1992年、私は電子的な出版という新しいメディアをつくりだす夢を抱いた。技術革新がいくつかの示唆を与え、誰でも一人で「パブリッシュ」というコミュニケーションの原初形態を手に入れることができると確信した。ならば実践してみようということで志願してこの分野に我が身を進めた。なにをしてきたのかは、ここでなにが生まれたかということを通して語ることができる。これを解説し、来た道のなんたるかを話してみたい衝動に私は駆られる。夢とはなんだったのか。

なによりも大きかったのは、一人でやれるという希望だった。この言葉の中には万感の思いが込められている。いかに一人ではできないか思い知ってきたからだ。いまのメディア状況の中でインディペンデントに成立することの難しさは誰もが知るところだろう。情報でさえその流通経路を握られてきたことを考えれば、支配的に形成されたメディアに立ち向かうことはできないことだし、もし徒党が組めたとしてもインディペンデントという独自性を貫くことは多勢がゆえに翻弄される。小さいものであろうとも一人でまともな発信ができることは一つの夢の実現だった。

ボイジャー・ジャパン創立期のパンフレット詳細
エキスパンドブック発刊への宣言
『エキスパンドブック ガイドブック』前文

一人でやれることのなかにはいくつかの意味が含まれる。
作家が一人で創作するような、品質管理上の快適さがまずある。誰にも邪魔されず自分の力で対象にむかう集中ができるということ。一人なら費用的な負担を抑えられる。これは一番の根本問題だろう。品質管理ができ、費用的な抑制が利き、身軽に流浪し、時間・納期のコントロールをもって配信でき、読者をつかみ再生産のための集金力も備える、となれば一つの完結したメディアの体をなす。これらがすべて電子的な技術によって可能となるならば手を出さない方が愚かとしかいいようがないではないか。電子的な出版を実現させることは、まさに小さなメディアの必要をかなえさせる夢だったのだ。

電子本『小さなメディアの必要』

たった一人の術をみつける

私のシナリオには以下のような筋書きがたてられていた。
1. 自分一人でやる自覚をもつ
2. 術をみいだし身につける
3. 確立した方法を分かち与える
4. 流通を起こし対価を得る
5. 再生産の歯車を廻す

シナリオ通りにことが進まないのは世の常だ。だからうまくことが進まなかったとして感傷的になどなってはいけない。どのあたりでこのシナリオが狂ってきたのかは明らかで、3.の「確立した方法」とか、「方法を分かち与える」からだった。いうならばここは最初の山場なのであり、すんなり行くはずもない。
そう考えるなら、山場にさしかかる勾配の道で自分一人でやるということと、「術をみいだし」た、あたりまでをなんとか基準として定着させたのは大きな意味がある。これは電子的な出版が人の心の中に育ませた共有財産として誇るべき10年の成果だったろう。

Robert_Winter

私たちがやってきた例をもって説明する必要がある。もっとも初期の段階(1989年)に作られたとてもシンプルなものを紹介したい。

『ベートーベン第九交響曲』というオーディオCDがある。ロンドン・ジュビリーレーベルのもの、特別なものというより数多ある『第九』のうちの一つだといっていい。これをCDプレーヤーではなく、コンピュータのCDドライブに置くと、音の再生と解説の本が出現して、二つを強い関連のうちに示すことになる。私たちがやったのは解説部分を「本」としてモニター上に表示させ、CDとのリンクを取ることだった。これを『CDコンパニオン』といった。

CDコンパニオン
Videodisc Accessory

作曲された譜面があり、演奏の録音があり、それがCDとしてあり、研究論文や本があり‥‥‥というかたちで記録が別々の媒体に分けられて存在している。これらを一つのまとまりとして提示でき、相互に関連をもって文脈をつけるなど今までに考えることもできなかった。やれることは一人一人が各媒体から情報を取り出して、自分の脳の中で関連のリンクを張ることだった。そんなこと簡単には歯がたたない、誰もができることではない。

テレビがやってきたのは人々に成り代わって咀嚼してみせることだった。
『オーケストラがやってきた』という日曜日の朝の人気番組があった。山本直純や小沢征爾という指揮者が、身振り手振りでオーケストラによる音の再現をし、時には自ら語りかけて文脈をかたちづくり、テーマを解説した。これなど人に代わって、一ランクうえの専門家がリンクしてみせるという構図だったろう。おもしろおかしく誰もが楽しんで学ぶことができるエンターテイメントを仕立ててくれるのがテレビの力だった。

私はある意味でテレビ番組を敵視した。情報の流通を支配し、人材も資金も機械もとあらゆるパワーを放送局に集約させて、増大をはかる彼らの姿勢を良いものとは思わなかった。我慢ならないのはその大衆追随性だった。おもしろおかしく仕立てることに汲々としていることは、この先どこかに大きな破綻があるように私にはみえた。だからどんなにテレビ番組が上手にできていても、これが私たちみんなの将来と深くかかわりあうわけがないと思った。むしろ私たちが理解を得る方法は、私たち一人ができる術を追求することしかないという気持ちだった。

制作クレジット
CDコンパニオン どんなものか?
ボイジャー、勇躍サンタモニカへ

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