第2回 続・本で床は抜けるのか

2012年5月31日
posted by 西牟田靖

友人たちと4人で住んでいた三階建ての一軒家から、木造二階建てのボロアパートへ、2000冊近くの蔵書を移したところ、床が完全に本で埋まってしまった。その様子を写真に撮り、ネット上に公開したところ、まったく違う意見を同時に寄せられた。「床が抜ける」というものと「それぐらいじゃ抜けない」というものだ。

いったいどちらが正しいのだろうか。「本で床が抜ける」という話はときどき噂話として聞くことがあるが、都市伝説ではなく、ほんとうに抜けたりするのだろうか。三面記事を探ったり、専門家に話を聞いたりして、真相を探ってみた――というのが、前回の記事(「本で床は抜けるのか」)のあらすじである。続編の今回は床抜け問題について、さらなる実例や、床が抜けないようにする方法について考えてみたい。

恐ろしい話

軍事ジャーナリスト加藤健二郎さんが話してくれた「本で床が抜けた」知り合いの連絡先を見つけ出した。加藤さんと僕が共通して仕事をしている雑誌編集部、そのルートをたどったのだ。

加藤さんの知り合いとはマスコミ出演が数多い軍事評論家、小山優(仮名)さんであった。突然の電話であるにもかかわらず、小山さんは快く取材に応じてくれた。

床が崩れたのは1997年です。練馬区の中村橋近くの木造アパートに住んで6年がたっていました。ふた間と台所がそれぞれ6畳の2DKという間取りで風呂とトイレ付きです。一つの部屋には机を置き、もう一つの部屋は本だけの部屋としていました。一人で暮らすには十分すぎる広さでしたが、蔵書を5000−6000冊所有しておりまして、本の隙間にやっと暮らしているような、そんな感じでした。利用している本棚はどこにでもある普通のものです。大家の許可を得て、大工さんに作り付けの本棚を壁に固定してもらい、そこに資料を収めていました。洋書や写真集など重い書籍がかなりを占めていました。本の置き方ですが、基本は壁際、一部は床置きという状態でした。

床が抜けたきっかけは地震でした。小さく揺れた後、その5分後にミシミシと音がして、床置きしているところがみるみる崩れていきました…。大型の洋書を重ねてたんです。2冊膝の上に置けば、昔の刑罰になるというぐらいの重い本です。1冊2キロぐらいはあったでしょうか。本棚のある壁際から離しておいていました。崩れたところの床下は木材が弱っていました。ネズミがかじって穴を空けて、一階と二階を行ったり来たりしていたのです。部屋からは見えなかったんですが、あとで一階から見ると、ネズミがおしっこをかけたシミがあったそうです。崩れた後、二人で手分けして本を取り出しました。すぐに出ていかなくてはなりません。引っ越し先は練馬区内に適当なところが見つからなかったので、中野区に引っ越しました。

前回にお伝えした「明日中に全てもって出て行くか、損害賠償を払え」という大家とのやりとりは床が崩れた後の修羅場の中で交わされたのだろうか。

借りていた家に大変な迷惑をかけました。全てが私の原因ではないにせよ。弁護士を通して、交渉し、弁済金を支払いました。建て直すのである程度のまとまった額は払わなくちゃならなかった。おかげでものすごく貧乏になりました。貯金は全てはたきました。だって何百万という大金ですよ。その後、蔵書は実家の物置に置くことができたんですが、背表紙を一望できないじゃないですか。使いづらくなりました。そのころ親の介護も重なっていましたし、大変でした――。

数百万という弁済金を支払わねばならなかったのは、アパートが崩壊し、建て直しを余儀なくされたからなのだろうか。本を持ち出せたのだから、一気に崩れたりはせず、時間をかけてゆっくりと崩壊していったのではないか。部屋は二階だったのか。建物は全壊したのか。自身は怪我をしなかったのか。本は全て取り出せたのか。本を取り出すのを手伝ってくれたのはいったい誰なのか。また、弁済金は立て直しの費用の全額なのか。どうやってすぐにアパートを見つけたのか――。

話を聞いて、様々な疑問がわいてきた。

「お聞きして疑問に思ったことがあります。例えば弁済金の具体的な額ですが、結局のところいくらだったんですか。それは修繕費用の全額だったのですか」
「……」
「もしもし」
「……この話そろそろやめてもいいですか。名前? 匿名にしてくれれば何を書いてもいいです。……ガチャ」

立板に水の如く、しゃべり続けた小山さんだったが、この一件については今も引きずっているようだった。僕が追加で質問しようとすると、途端に口ごもり、電話が途切れてしまった。お目にかかった上で、ゆっくりと話をお聞きするつもりだったのだが、これ以上の話は難しそうだ。

弁護士が入ったというから、この記事が明るみになることで、余計な問題が起こることを恐れているのかもしれない。自分から話すのはまだしも、他人から質問を受け、思い出して詳しく語るほどに、この体験をご自身の中で消化されていないのだろう。

それにしても人の噂はいい加減なものである。結局、小山さんは賠償額を払ったのだ。

正反対のアドバイス

1万冊強の蔵書を持つ東京大学大学院の教授、松原隆一郎さんからいただいたアドバイスは前回話を伺った一級建築士とは正反対であった。

松原さんの活動範囲は実に広い。専門分野である社会経済学、相関社会科学の研究、学生の指導といった本業以外に新聞での書評の仕事、論壇での提言などに加え、フリージャズコンサートの製作に関わったり、格闘家としての顔を持っていたりもする。先生には拙著が文庫化されたときに解説を書いていただいたこともあり、以前から懇意にしていただいている。

床抜けの話を書いてあったけど、抜ける理由は壁に置いているからですよ。壁の回りに本棚を置くと部屋の真ん中がゆがむ。床が上がるんです。そうしたケースがいちばん床が抜けやすいし危険です。そうならないためには真ん中に重いものを置かなくてはならない。全体の重さで床が抜けないのであれば、真ん中にも置いた方がいい。よっぽど強い造りじゃない限り、真ん中を外すのは危険です。木造だったら床の真ん中がボーンとあがる可能性がある。実際、僕の家(書庫にしている木造の一軒家)は真ん中が上がってきている。今は父親の遺品である1000枚以上のCDコレクションを置いているから平気なんだけど、その前はなんとなく、真ん中が上がってきていた。

現に、僕の友達で床が抜けた人がいる。本の重さというものはだいたい分かっていたつもりだけど、自分の家も床が上がってきてたからね。これやばいなあって危機感を持ちました。

前回の一級建築士が話してくれた、梁の上に載せた方がいいという話と食い違う。建築士のアドバイスに従い、強度のありそうな部屋の端に本棚を並べたというのに、その方法こそが問題で、いちばん危険だなんて。いったいどれが本当なのだろうか。

しかし、小山さんのケースも壁に沿って本棚を並べていたという点では、松原さんの説に従うと危険だった、ということになる。反りかえった床にネズミが悪さしたところを小さな地震がとどめを刺した、ということであれば、確かにその通りなのかもしれない。

なお、松原さんには三つの拠点がある。駒場にある東大大学院の研究室、阿佐ヶ谷にある自宅、そして書庫専用に借りている築50年の木造の一軒家である。

書庫にしている一軒家は日の当たらないじめじめしたところなんです。風呂なし、家賃4万5000円、9畳半。そこには学生が使うような普通の本棚が17箱置いてあります。

彼が危惧している、床が上がっている家とは書庫にしている古い木造家屋のことである。

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レッド・スパインを追う旅

2012年5月24日
posted by 川崎大助

どこにでもある。必ず、とは言えないまでも、かなりのところは、どの地域にでも店舗がある。そして、安い。うまくすると、きわめて安価に、意外なものが手に入ることもある。これが、いまさら言うまでもない、ブックオフ・チェーンの特徴だ。そして僕は、ここのところずっと、暇さえあればブックオフを覗いている。

どこのブックオフ店舗なのか、というと、「どこでも」と言うほかない。基本としているのは、自宅から徒歩圏内だ。数年前、世田谷の外れに越してきてから、馴染みがないこの周辺をよく知るために、ぐるっと歩き回っていて、そこでまず一軒二軒、とブックオフを発見した。世田谷の西端から、東は渋谷まで、北は調布飛行場から、南は二子玉川あたりまでが僕の徒歩圏だ。このなかに、かなりの数のブックオフがあることを、ほどなくして僕は知った。

出先でも、ブックオフに立ち寄る。仕事の打ち合わせ、パーティーの帰り、映画の上映時間まで余裕があるとき――その街にあるブックオフを、僕は覗く。

もっとも、用もないのに立ち入りたい場所ではない。たいていの店舗では、ひどいスピーカーでJ-POPが流されていて、それは僕にとって拷問に等しい。しかし、そこに見るべき本やレコードがあるならば、床じゅうを蛇が這っていたとしても、行かねばならない。これは世界中、どこの街に行っても変わらない僕の行動規範だ。そして、ブックオフにおいて僕がチェックするものは、「レッド・スパイン」、つまり、「赤背」と一般的には呼ばれる、角川文庫から発行された片岡義男の著作である。

赤い背表紙のこの文庫シリーズが刊行されはじめたのは、1974年。当時ほんの子供だった僕は、同年に発行されたツル・コミックの『うでずもう選手権スヌーピー』巻末の解説文で、片岡義男の文章を知った。そこから継続して、彼のいろいろな著作を読んできた。とはいえ、ひじょうに多作な人なので、すべてを読みました、とはとても言えない。僕の網羅率は、いいところ7割前後ぐらいではないか。

* * *

そんな僕が、片岡義男さんと直接仕事のやりとりをするようになったのが、二年ほど前だった。ビームスが発行する文芸誌『インザシティ』の創刊プロジェクトに僕はかかわっていたのだが、そこに片岡さんも参加することになった。そんな流れから、今年ビームスから刊行された片岡さんの最新写真集『この夢の出来ばえ』では、編集とデザインを僕が担当した。

こうした日々の出来事が、僕の足をブックオフに向けることになった。なぜならば、僕はこう思ったからだ。「片岡義男の著作を、ある程度の量読んでもいない者が、ご本人に相対するというのは、これは礼を失しているのではないか」と。「ある程度」というのが、どれほどの量を指すのかは、よくわからない。だがしかし、あの「赤背」のすべてを自分が読んではいない、ということに、僕はまず忸怩たる思いを抱いた。

そこから、僕の「レッド・スパインを追う旅」が始まった。持っていなかった赤背のすべてを蒐集する、という目標が生まれた。しかし、オンライン書店で一気に買い集める、というのは、なにか違うような気がした。過ぎ去った時間のなかで、取り逃がしていたものがあったのだから、いまこれからの時間のなかで、かくあるべき「出会い」を経たのちに手に入れるということが、もっとも正当な手順であるかのように感じていた、のかもしれない。

かくして、古書店が目に入ったならば、必ずそこで「赤背」を探す、という日々が始まったのだが、そこで気づいたのが、書店の傾向によっては、片岡義男の赤背がかなり冷遇されている、という事実だった。その傾向は、きっちりと値付けをおこなっている書店ほど強い。冷遇ならば、安く買えるのでまだいいのだが、「まったく置いていない」という店すら、よくある。赤背について「あれは量販品だから、うちには置かないね」とでも、言っているかのように。

たしかに、片岡義男の赤背シリーズは、当時大量に出回っていた。一説によると、『スローなブギにしてくれ』一冊だけで、500万部を発行したという。1980年と81年は、それぞれの年に8タイトルも出版されて、その多くが重版につぐ重版をかさねた。多少発行タイトル数がすくない年もあったのだが、ほぼ同様のペースが94年までつづいた。短篇集、長篇小説、エッセイなど多彩な内容で、その数、なんと91冊をかぞえる。これが「赤背」の全貌だ。

であるならば、と僕は考えた。量販品だから、と一部で冷遇されているのであれば、そもそも量販品の古書が数多く流れている場所をあたればいい――今日の日本において、それはまずブックオフだろう。まるで、あらかじめそれが定められていたかのように、街になくてはならないインフラストラクチャーであるかのように、ブックオフはいたるところにある。そして、どこのブックオフにも、必ず「赤背」はあった。

著者名「か」行の文庫本の棚に、それはある。「100円均一」の「か」行のほうにこそ、赤背はある。オンライン古書店なら数千円の値が付いているものでも、100円だ。赤背のカバー・デザインの基本形をつくったのは石岡瑛子さんだ。長方形と正方形の写真を縦二段組みにした、あの特徴的なデザインは、1982年までに発行された赤背シリーズにて起用されていた。もっともプレミアが付きやすい赤背アイテムは、この時期に集中している。しかし、これらの発行年は「とても古い」ので、ブックオフの基準では自動的に100円となっているようだった。

これを僕は、買い集めていった。いま現在、手元にあるものを数えてみたところ、72冊あった。およそ8割は買ったということだ。この過程で目に付いた、新潮文庫の片岡義男著作は、あと1冊というところまで漕ぎ着けている。集英社のコバルト文庫ものが、出るようで、なかなか出ない。また、僕が直感的にかんじているのは、いま現在、僕と同様に「赤背を追っている者」がすくなからずいる、ということだ。ブックオフの棚の推移を観察していると、赤背については、供給を需要が上回っている状況にある、と見ていい。ゆえに、なかなか気を抜くことができない。

* * *

こうした行動律を、やぶることもたまにある。オンライン古書店で買うこともある。『BRUTUS』誌の1981年4月15日号、これを僕はネットで買った。「片岡義男と一緒に作ったブルータス」と題されたこの号は、ハワイ取材も含めて、カラーおよびモノクロ・ページで大特集が組まれていたもので、ブックオフではほぼ絶対に見つけることは不可能な一冊だ。ネット書店に入荷したのを発見した瞬間に注文して、2000円ほどだった。

という例外的な行動もあるにはあるのだが、できるかぎりは基本原則を守りつつ、これからも僕はこつこつと集めていこうと思っている。赤背が終われば、そのほかのものも追うことになるだろう。いちばんの問題かもしれないものは、片岡さんがいまもなお、つぎからつぎに著作を発表しつづけているので、集めなければならないものがどんどん増えていく、ということだ。願わくば、僕の一生が終わるまでには、コンプリートを果たしたい、と考え、そのとおりをご本人につたえたところ、笑ってもらうことはできた。

片岡さんのエッセイでは、アメリカン・ペーパーバックへの愛情について、たびたび触れられている。古書店をめぐり、とにかく買って、部屋に積み上げる。眺める。写真に撮る。もちろん、読む。ペーパーバックという物体と、そのなかに入っているものごとと、片岡義男という人物の交歓について、何度も何度も、名文によってつまびらかに語られている。

そんな文章が印刷されている赤い背表紙の文庫本を、かつて片岡さんがペーパーバックに対してそうしたように、僕は古書で買い集めているというわけだ。であるならば、この意味においても、ブックオフで100円で買うことが、もっとも正しい。

日本には再販委託制度がある。本とレコードは、いくらでも作って流通にながしてしまえばいい、という時代があった。無駄きわまりないこのシステムによって、ある種の豊かさも、副産物として生じた。その証拠となっているのが、ブックオフの存在だ。仕入れるものがなければ、ブックオフは成り立たない。大量のタイトルを、大量に作って、そして、「それを買った人がいた」からこそ、第二次流通としてのブックオフが今日ある。

「かぎりなく豊かだった時代」があったからこそ、中古品のマーケットが充実する――こんな現象を見ることは、僕は初めてではない。たとえば、アメリカの古着、中古レコード、中古ペーパーバック、それぞれの市場。これらはすべて、60年代までのかの国が「とにかく膨大な商品」を生産した結果として生じた。日本製のレコードやCDの生産量とその質にはかなり疑問符が付くが、すくなくとも「本」だけは、アメリカの大量生産時代にすら匹敵するほどのなにごとかを、この日本でも成し遂げていた、ということは言えるのではないか。

ブックオフのドアをくぐって、「か」行の棚まで歩いてゆくあいだ、いつも僕が感じるのは、そんなことだ。

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ブックデザインの鬼才チップ・キッド

2012年5月23日
posted by 大原ケイ

チップ・キッドと最初に会った(というか、見た)のはいつだったろう? 有名な装丁家と言えば真っ先に挙がる名前だし、出版記念パーティーやランダムハウスの社内で見かけると「うぉっ、チップ・キッドいたー」というくらい、スーパーノヴァなオーラ出してる人だった。

そのチップ・キッドがTEDに登場しているので、まぁ、自分の仕事についてはともかく、アメリカで着々と進みつつある書籍のデジタル化についてはどう思ってるんだろうと知りたくなって見てみた。マジでこんなカッコしてて、ついでにこのビデオ(TEDでの講演「笑い事ではないけど笑える本のデザインの話」)で披露しているタコ踊り(クラゲ踊り?)をやってるところもパーティーで見たことある。


チップ・キッドがデザインした本の表紙と聞いて、何も浮かんでこない人のために彼の経歴や代表作をかいつまんで書くと、彼は泣く子も黙る老舗文芸出版インプリントであるアルフレッド・クノップフのデザイナー。文学の薫り高い作品にアバンギャルドな斬新なデザインで、例えばバーンズ&ノーブルにふらっと寄って平台を眺めていて、「うわっ、ナニコレ?」と思わず手に取ってしまう本はチップ・キッドの手によるクノップフ刊の本であることが多いわけですな。

私が個人的に「うわナニコレ」をやられた最初の本がセダリスの Naked だったか、MITメディアラボのネグロポンテ所長の Being Digital だったか。最近の自信作は村上春樹の『1Q84』のようですね。TEDでは Naked や他の代表作を解説入りで紹介しているので見てみてやって。

でもね、天の邪鬼のアタシだから、もちろんチップ・キッドの裏の顔についてもちょいと書いておきたかったりして。TEDのビデオでは終始ゴキゲンでひょーきんに見えるチップ。実はけっこう恐い人でもある。もちろんそこは彼もアーティストなので、自分の作品に対する思い入れはハンパないだろうし、頑固なところもあるわけで。クノップフでは著者を怒らせ、編集長とケンカし、一時期ちょっと干されていたというか、ヘソを曲げて対立していたこともある。

日本文学との相性には「???」も

だから日本の作品を英訳して出すヴァーティカルという出版社の専属デザイナーになったと聞いたときは椅子から転がり落ちそうになったもんです(そういえば2003年7月号の「ダヴィンチ」に登場しているようです)。

日本の作品を米で出版するヴァーティカル社は専属デザイナーにチップ・キッドを起用。

チップは世界有数のバットマン・フリークで、キャラクターグッズのコレクションはすごいらしいし、日本のマンガも大好きで、かなーりオタクな人。そんなこともあって、なんだかあっさりとヴァーティカルのアートディレクターも兼任することになった。

でも、それは業界内ではけっこう「???」な反応だった。だってね、いくらクノップフといえどもたった一人の人にデザインを全て任せることはしないわけだし、彼のあのデザインは、出版社側の力、つまり、人気のある著者や、文学賞をとるような作品、そして何よりも親会社ランダムハウスの販売力をもってして釣り合う才能だと思うワケね。

それが、海外ではほとんど無名の著者による著作で、たいして売れない作品がチップのデザインしたカバーで覆われていると、やっぱりどこか「表紙負け」している気がしてしょうがない。例えばさ、東野圭吾の Naoko っていうのみてやってよ。日本じゃ絶大な人気の著者だけど、アメリカ人には Naoko っていうのが人名かどうかもわからないんだよね。ヴァーティカルには新作をいちいち全国のバーンズ&ノーブルの平台に乗せる力はないしさ。

しかも日本人が Naoko って聞いても「???」でしょうよ。原題は『秘密』なんだから。灰谷健次郎の『兎の目』にも驚くと思うよ(Rabbit’s Eyesで検索してみてくだされ)。

本ってのはやっぱり著者や編集者やデザイナーやセールスの人に至るまで、チームのコラボレーションで生まれ、読まれていくものだと思うわけ。その過程でどこかが勝手に暴走しないようにお互いに牽制するためにも何度も打ち合わせしていくわけだしね。でもチップみたいなパワフルなデザイナーが暴走したときに、クノップフぐらいのところじゃないととても「どうどう、ちょっと待て、チップ。いくらなんでもこのデザインじゃダメ。やり直して」って言えないんじゃないの?

チップがやり始めた装丁デザインの一つに acetate overlay ってのがあった。これは透明カバーをかけた本で、当時はわからなかったけど、これが劣化するのがわかって、昔はスゲー!としか思わなかった Being Digital やドナ・タートの The Secret History なんて、やっぱり私のクローゼットの中で溶けていたしなー。今ではほとんど使われなくなっている。当時この表紙デザインが考え出されたときに、誰も何も言わなかったんだろうか。

TEDでは電子書籍に関して、けっこう辛辣なことも言ってましたね。「これ、キンドルじゃ、できないでしょ?」「電子化によって得られるものも確かにあるが、失われるものもある」「Page turner(思わずページをめくっちゃう)って表現さえできない」ってことで、彼にとってはやっぱり『1Q84』みたいな分厚いどっしりした質感のあるものこそが「本」だってことが言いたかったようで。

いつか、怒られるのを覚悟で色々と訊いてみたいことがあるチップさんなのでした。

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「ニコニコ静画」で読書に新たな価値を

2012年5月22日
posted by まつもとあつし

ニコニコ動画を知らない人はもういないはずだ。動画の上にユーザーがコメントを付与して楽しめるこのサービスは、2006年に開始、YouTubeから接続を遮断されたり、テレビ局などから投稿の削除を求められたり、という長い困難の時期を経て、2010年に黒字化を果たしている。先日(4月28日-29日)に9万2384人が幕張メッセを訪れたイベント「ニコニコ超会議」も注目を集めた。

そのニコニコ動画を運営するドワンゴ社がいま力を入れているものの1つが電子書籍だ。「ニコニコ静画」(動画ではないことにご注意いただきたい)と銘打って、イラスト投稿を起点に、漫画、ライトノベルなどへとその守備範囲を広げつつある。

動画と同じく、ユーザー投稿だけでなく、角川書店との提携により商業作品の充実を図っているのも注目すべき動きだ。Kindle日本版の開始もまもなくと言われるなか、商業作品の品揃えを競う国内電子書店とどう戦略が異なるのか、出版社とはどのように向き合って行くのかなど、「ニコニコ静画」を統括する伴龍一郎氏に話を聞いた。

※この取材はニコニコ超会議前に行ったが、その後ドワンゴからの情報提供により内容はアップデートしている。また「ニコニコ静画」の基本的な内容については、私が連載を持つ「ダ・ヴィンチ電子ナビ」でインタビューを行っている。本稿の導入として合わせてご一読頂ければ幸いだ。

 「ニコニコ静画」と電子書籍の関係

――「ニコニコ静画」について概要を教えてください。

 もともと、ユーザーからのイラスト投稿や、そこから発展したニコニコ漫画というサービスがあり、それがベースになっています。ニコニコ漫画は、ニコニコ動画と同様のインターフェイスを備え、イラストが順にスライドショーとして流れ、BGMもついています。その上にユーザーが投稿したコメントが流れる、というスタイルも同じですね。

このニコニコ漫画は、「ブラウザ上で楽しまれることを前提として作られたコンテンツ」が、そこで読まれることを想定したものです。そして、もう一つの方向性が、昨年11月にスタートした「ニコニコ静画(電子書籍)」です。こちらは、「すでに出版されていたり、紙面に載せることを前提として作られた作品」をニコニコ動画的に楽しむことをめざしています。

トップ画面は商業作品とユーザー投稿作品がひとところに集まる独特の雰囲気だ。

ニコニコ漫画のPCブラウザでの本文表示。 ©茶麻 ©niwango, inc. All rights reserved.

――電子書籍としてオリジナルなものをつくるというよりも、紙の出版物をデジタルでもっと楽しむことをめざしているということですね?

 そうです。動画サービスとしてはおかげさまで国内屈指の規模に成長したニコニコ動画ですが、このプラットフォームを使ってできるだけ多くの方にビジネスの機会を提供できればと考えています。動画では映画やアニメの公式配信や、有料配信の場を提供していますが、それを書籍でも、ということですね。

とくにアニメは、書籍やマンガが原作となっているものが多いと思います。ニコニコ動画で映像を楽しんだユーザーがその原作も「ニコニコ静画」で知る機会になればと。

取材に応じるドワンゴ企画開発部長、伴龍一郎氏。

――原作書籍やマンガすべてを「ニコニコ静画(電子書籍)」で読めるようにする、というわけではない?

 そうですね。現在、角川書店さんとは『角川ニコニコエース』という電子雑誌を展開していますが、基本的には無料の試し読み版として、作品の一部を「ニコニコ静画(電子書籍)」で読んでもらい、気に入ったらそれぞれの電子書店に誘導してそこで有料版を買ってもらったり、アマゾンさんなどで紙の本を買ってもらうという形です。

「ニコニコ静画(電子書籍)」がめざすのは「ソーシャルリーディング」ではない

無料の電子雑誌『角川ニコニコエース』(iPad版)。角川書店から作品の提供を受け、毎週火曜日に更新される。©Shinichi KIMURA,KOBUICHI,MURIRIN 2011 ©Ryo HASEMI 2011

――「ニコニコ静画(電子書籍)」の大きな特徴が、書籍や漫画の上にニコニコ動画と同様にコメントが流れる点ですね。Kindleでユーザーが入力したコメントが共有されたりするのを想起させます。いわゆるソーシャルリーディング的な環境をめざしているのでしょうか?

 そこは、ちょっと違うかもしれません。個人的にはソーシャルリーディングというとちょっと賢いイメージをもってしまうのですが、「ニコニコ静画(電子書籍)」がめざしているのは、もっと揮発的な感情の共有なんですね。

――ニコニコ動画で見られるコメントの「弾幕」のようなイメージですね。

 そうですね。サービス開始から最近までは、ボタンを押したときにしかコメントが流れない(注:3/7以降にページが開いたタイミングでコメントが表示されるようになった)ということもあって、コメントに気がつかない方も多かったため、まだそれほど投稿はそれほど多くないというのが実情です。

当初、このコメントをどう表示させるかについては議論がありましたが、まずは作品そのものを楽しんでもらうことからスタートし、現在も作品、コメント双方を楽しんでいただけるように改良をつづけています。

ニコニコ漫画(スクロール形式)では、漫画を上下にスクロールして読む。ユーザーコメントは吹き出しの下を「すり抜ける」ため、読む妨げになりにくい。

「ニコニコ静画(電子書籍)」をPC画面で見た場合のコメント付き画像。まおゆう魔王勇者 「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」(1) /©AkiraISHIDA 2011 ©2011 Touno Mamare/PUBLISHED BY ENTERBRAIN,INC.

余談にはなってしまいますが、僕は「紙というのはイケすぎている」と感じています。絵が中心のマンガも、文字中心の小説も、どちらも存在する新聞や 雑誌のようなものも、「本」というフォーマットで吸収できています。まず超高解像度で表現力が高い。好きなところに書き込めたり、パラパラめくっての一覧 性も高く、折り目を付ければ二度目以降その場所をすぐに見つけられる。なにより電源が不要です。

解像度のことだけを考えても、単純にPCの画面に紙面を出すだけだとかなり読みにくいものになってしまいます。やはりマンガ、小説、雑誌といったコンテンツの種別毎に特化したビューワが必要なのかもしれません。

紙にない利点を付与するという意味では、 現在でも書籍に対してつけたコメントをTwitterに投稿し、共有するという仕組みは備わっていますが、もう少しユーザーがつけるコメントが増え れば次の展開も考えたいと思います。そこでも、いわゆるソーシャルリーディングというよりも、「ニコニコ的」なものを考えて行きたいかなと。

「ソー シャルグラフ」(SNSなどにおける人と人とのつながり)が、ニコニコにはないんです。どちらかというとパブリックビューイングに近いものがあると思って います。「誰がどう言った」ということよりは「みんなこう思っている」という感情の共有がニコニコには向いているんじゃないでしょうか。

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本のジャム・セッションは電子書籍でも続く

2012年5月12日
posted by 秦 隆司

「アメリカン・ブックジャム」。僕が編集長となり1996年から2006年の間に合計11号まで出した雑誌だ。体裁は洋書を読むひとのためのガイドブックだったが、この雑誌で僕がやろうとしたことは、アメリカ文化、それも主にニューヨークのダウンタウン文化を誌面で展開することだった。

アメリカの有名雑誌編集長の「自分の個性の延長として雑誌を出す」「自分と読者の間に雑誌を置く」という考えかたに刺激を受けて出した雑誌だった。

「アメリカン・ブック・ジャム」の全バックナンバー。

「プロセス・チーズ」にならないこと

「アメリカン・ブックジャム」では、ニューヨーカー誌のリテラリー・エディター、デボラ・トリースマン、クノッフ社のゲイリー・フィスケットジョン、スクリブナー社のチャールズ・スクリブナー、ファーラ・ストラウス・アンド・ジロー社のジョナサン・ガラッシ、ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー誌のチャールズ・マグラス、グローブ/アトランティック社のモーガン・エントレキン、リテラリー・エージェントだったアイラ・シルバーバーグなどアメリカの出版界を動かす力がある編集者たちにインタビューをして、彼らの編集方針を聞き出した。

そのなかでも心に残ったのは当時ファーラ・ストラウス編集長ジョナサン・ガラッシの「時間が経つごとに、作品にはなるべくこちらから手を加えないようになった」という言葉だった。一方、ニューヨーカー誌のデボラ・トリースマンは「掲載かどうかぎりぎりの作品は多い。しかし、ひとたび掲載となればニューヨーカーは作家への助言を惜しまない」と言っている。その言葉通りに、僕がデボラにインタビューしたときは、彼女の机の上には作家アリス・ムンロの原稿があり、その原稿にはデボラの書き込みがあった。

編集の仕方はその雑誌、その編集者によって違うだろうが、僕が「アメリカン・ブックジャム」を編集していく際に最も気を使ったのは編集者の手を通るなかでその原稿が「プロセス・チーズ」のような原稿にならないことだった。

これはあるライターにインタビューした時に教えられた編集方針だった。そのライターはアメリカの雑誌社に勤めていたが、彼女は自分が書いた文章が何人かの編集者の手を通るうちに味気のないプロセス製品のようなものになっていったと言った。手間ひまをかけると、それだけよいものができあがると考えがちだが、そうとは限らない。また、その原稿に自分の時間と能力を割いた編集者は、出来上がった原稿がもとの原稿よりもよいものになったと思いたいだろうが、そうならない場合も結構ある。

ニューヨークのダウンタウン文化を背負っている書き手を探し、彼らの「声」を最も重視する。それが僕の編集方針だった。書き手の時にはおかしな言い方や、変な英語の言い回し(英語の原稿も多かった)も、それを直すのではなく、どうやって同じような変な日本語にするかに力を注いだ。結果として雑誌はある世界を作り出すことに成功したと思っている。

電子書籍の出版社へ

その後、「アメリカン・ブックジャム」はしばらくの間、休みとしていたが、今回ブックジャム・ブックスという出版社を作り、日本のボイジャー社の協力を得て電子書籍を出していくことになった。

「アメリカン・ブックジャム」を休んでいたのは、ニューヨークと日本の距離の問題があった。記事書き/記事集めや編集を自宅のあるニューヨークでやっていたが、印刷・製本・配本は日本だったため、雑誌の最終段階はどうしても数ヶ月間日本に帰って印刷所などとのやりとりが必要だった。

しかし、子供が生まれ、子供が学校に行き出すと、一気に時間もお金も無くなってしまった。そして、情熱も子供の方に向けられ、雑誌作りはすでに何年間もやってきていたことだけに、どうしてもこの雑誌を出していくのだという創刊時の熱い想いも薄れていった。

そうして、ほとんどの時間を家の中で過ごす数年間が過ぎ、これはこれで焦りも後悔もない年月だった。しかし、妻の宮家あゆみが「このまま隠居するつもりなの」という言葉とともに、日本に帰り活動再開のきっかけを作ってみてはというアドバイスをくれた。それが、2010年のことで、彼女の言葉をきっかけに僕は日本へ帰りどんなことが始められるだろうかと知り合いたちに意見をもらった。編集の仕事を長くやってきた僕たちができることはやはりニューヨークに編集部を置き、日本で販売をする出版形態なのは分かっていた。アメリカではちょうど電子書籍が本格化してきていて、日本でも電子書籍での出版が可能かどうかを探る日本滞在だった。

その後、僕と宮家あゆみは日本とニューヨークで「ブックジャム・ブックス」という合同会社を立ち上げ、日本のボイジャー社の協力を得て、電子書籍の出版社として再び活動を開始することができた。

ブックジャム・ブックスの第一弾。

「アメリカン・ブックジャム」の時はちょうど電子メールが普及し始めた頃で、その技術を使い雑誌を出すことができた。今回はそれよりさらに進んだ技術で、ニューヨークから日本に向けて本や雑誌を出版していくことができる。僕たちの出版はこの5月に「ザ・ベスト・オブ・アメリカン・ブックジャム」シリーズの第1弾として「アメリカン・ブックジャム」に掲載したアメリカの編集者たちのインタビューに2本の新たなインタビューを加えた「アメリカン・エディターズ」の電子書籍出版から始まる。

電子書籍については、作家カート・ヴォネガットなどを出版しているセブンストーリーズ・プレスの発行人/編集長ダン・サイモンと出版界で長い経歴を持ちサイモン&シュースターのシニア・エディターだったコリン・ロビンソンにインタビューをした。

コリン・ロビンソンは最近ブック・オン・デマンドと電子書籍だけの出版をおこなうORBooksを立ち上げている。ダンもコリンも今後は電子書籍対紙の本の争いではなく、読み方の選択肢が増えるという考え方だった。アメリカでは今アマゾンが電子書籍を本当に安く売り始めているので、価格や小売業界への懸念はあったが、電子書籍という新たなメディアに対する反発はなかった(このインタビューは「アメリカン・エディターズ」に収められている)。

電子書籍はすでに「生活リズム」に合っている

僕も出版に関わる人間の立場として電子書籍に反発はない。今購読している雑誌や新聞(例えばタイム誌やニューヨーク・タイムズ紙など)は、紙のものが家に送られてきて、電子版がコンピュータやiPadで読める。家のカウチに寝転びながら紙の新聞を読み、続きをカフェに行ってコンピュータで読んだりしている。そういう生活リズムが定着すると、紙と電子版の境があまり感じられなくなる。本ももし、紙の本を買えば電子書籍にアクセスできるとなれば、人々は自然に自分の生活リズムに合わせて使い分けるはずだ。意識としての電子対紙の境は少なくなる。

僕が今回電子書籍を出版することを決めたのは、印刷や製本をする必要がなく、在庫を置く倉庫もいらないと、ニューヨークから日本に向けて出版していくのにぴったりのメディアだったからだ。そして、もし非常に売れる本がだせれば、それはもちろん紙でも展開していこうと考えている。ORBooksのビジネス・モデルでは売れた電子書籍の版権を出版社に売り、そこが紙の書籍を売る既存の流通に乗せている。

僕にとっては電子書籍出版は始まったばかりであり、現在のところ電子書籍自体がどう言う風に普及していくか分からない部分もあり、新たなチャレンジだと感じている。

『アメリカン・エディターズ〜アメリカの編集者たちが語る出版界の話』
(BinBでの試し読みはこちらから)

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