Kindle Direct Publishing体験記

2012年10月30日
posted by 小関 悠

Kindle Direct Publishingも日本上陸

アマゾンの電子書籍サービス、Kindleがようやく日本に上陸した。そして間を置かずに、Kindle Direct Publishingも日本で開始された。Kindle端末とキンドルストアについては「まもなく日本上陸」という報道が何度となく繰り返されてきたから、遂にやって来たという感じだろう。でも、Kindle Direct Publishingまでこうして一緒にはじまるとは思っていなかった。

キンドル・ストアのオープンに合わせてKindle Direct Publishingも同時に始まった。

Kindle Direct Publishingは電子書籍の自費出版サービスだ。いや、自費出版というのは語弊があるかもしれない。いわゆる自費出版は、数十万円から時に数百万円というお金を持ち出して、数百数千の本を作って売るという、文字通り自分のお金ではじめる出版のことである。

一方、Kindle Direct Publishingは、データの入稿さえ自分でしてしまえば、あとはアマゾンが売ってくれる。というか、アマゾンのキンドルストアに並べてくれる。そして実際に本が売れたら、著者にお金が入る。少なくとも出版について、お金を持ち出す必要はない。ちなみにKindle Direct PublishingはかつてKindle DTPという名前だった。

余談だがオンラインの自費出版サービスといえばlulu.comという老舗があって、こちらはデータを入稿すれば、注文が入るたび一冊単位でオンデマンド印刷をして、顧客に届けてくれるというなかなか夢のある作りである。

Kindle Direct Publishingは残念ながら電子データをKindle端末やKindleアプリに届けてくれるだけだが、自慢の1 Click注文とWhispersyncにより、注文するとすぐに読めるという強みがある。なにしろ、巨大書籍ストアであるアマゾンに自分の本が並ぶのだ。面白すぎるではないか。というわけで、さっそく試してみた。

出版までの手順

入稿はまったく難しくない。まず、Kindle Direct Publishingのウェブサイトを開く。アマゾンのアカウントはもう設定済みだろうから、ログインして、印税を振り込む銀行口座を登録して、本のタイトルと説明を書いて、表紙と原稿のデータを入稿して、価格を決める。終わり。

あえて言うなら、原稿を用意するのが難しいだろうか。私はとある新人賞に応募した中篇のサラリーマン暗殺者小説が手元にあったので、これを利用することにした。

EPUB3への変換にはAozoraEpub3というソフトウェアが便利。

テキストデータはAozoraEpub3というソフトウェアでEPUB3に簡単に変換できる。もともとは青空文庫用の変換ツールだが、他のテキストデータも問題なく変換してくれる。青空文庫の記法を利用すれば、改頁なども簡単に入力できる。

もちろん、EPUBにしてから、HTMLやCSSに手を加えてもいい。手の凝んだことをやりたいなら、まっとうなEPUBオーサリングツールもたくさんある。

アマゾンのページにはEPUBを直接入稿できるとあるが、私が試した時はエラーになった。そこでアマゾン公式の変換ツール、KindleGenやKindle Previewerを利用して、EPUB3をKindleのmobi形式に変換する。Kindle Previewerは名前どおり変換したmobiファイルを実際に閲覧できるのでおすすめだ。

公開前のプレビューにはKindle Previewerをつかう。

あと、表紙の画像も必要である。私はFlickrのCreative Commons画像から良さそうなのを見つけて、Gimpでタイトルを重ねた。

一通り設定すれば、48時間以内に審査を行うと言われる。あとは待つだけ。サイトの表記によれば、審査が通ればすぐに買えるようになるということだったが、まだ体制が整っていないのか、承認される、ストアに並ぶ、買えるようになる、という各段階にそれぞれ多少の待ち時間が必要なようだ。

出版してみて気付いたこと

手順はこれだけだが、実際にやってみると色々なことに気付く。

まず最初に驚くのは、Kindle Lending Libraryに本を登録するかと聞かれることだ。これはすでに米国で始まっている電子書籍の無料貸し出しサービスで、アマゾンプライム会員であれば、対象の書籍を月に1冊まで追加料金なしで読むことができる。そして対象の書籍の大半が、Direct Publishing経由の自費出版本という仕組み。自費出版サービスで本を集めておいて、貸し出しサービスで顧客を集めるのだから、なかなかうまく出来ている。

Lending Library経由で受け取れる印税については総額がサービス全体で決まっていて、実際に読まれた本の割合で作家に分配される。ちょっと前に米国の女子高生が月に何十万を稼いだという発表もあった。自費出版本がある程度揃えば、日本でも開始されるのだろう。

次に、登録した本をレンタル可能にしていいかとも聞かれる。これは本を購入したユーザーが、一定期間のあいだ友達に本を貸せる機能だ。貸しているあいだ、購入した本人は読むことができない。どれくらい実用性があるのかは分からないが、これも作家が自分で設定できる。

そして、DRMの有無を選べることにも驚いた。Kindleといえば独自のmobi形式で独自のDRMとばかり思っていたが、DRMを無しにすることもできる。無しにすれば、当然ユーザーはコピーして他人に配布できる。パブリックドメイン本などは当然DRMを無しにしなければいけないのだろうが、それ以外に活用方法があるのだろうか?

電子出版は儲かるか

さて、出版となると、避けては通れないのがロイヤリティ(印税)の話である。Kindle Direct Publishingのロイヤリティは30%だ。一般的な書籍が10%だから、それと比較すればずいぶん高い割合のように感じる。でもアマゾンが70%も 持って行くのか、とも思う。ジャンルは異なるが、アップルやGoogleのアプリストアでは手数料30%というのが業界標準になっているから、ちょうど反転した形である。

最低価格は100円で、それ以上であれば価格設定ができる。ただいずれにせよ、自費出版にできる値付けは数百円だろう。そうすると、一冊売れて数十円〜二百数十円の儲け。さて、何冊売れるの、という話である。最低価格を300円にするなど条件を満たせば、ロイヤリティは70%と倍以上になるが、それでも500円の自費出版本が2000部も売れるだろうか? これが売れて70万円である。どうもKindle Direct Publishingで大金持ち、というのは難しそうだ。

まあ、本で稼ぐのは難しいというのは、自費出版に限った話でも、電子書籍に限った話でもない。だからみんなビジネス書の作家は講演に出るし、文芸作家はコラムを書く。もちろん、電子書籍で大ヒットを飛ばす人も出てくるかもしれない。海外でやたら売れてるFifty Shades of Greyというアダルトっぽい小説は、本屋で買うのが躊躇われたので、電子書籍で人気という。

だからもしかしたら、次は自費出版からこういうヒット作が出てくるかもしれない。実際、自費出版業界では電子書籍以前からちょこちょことヒット作が出る傾向にある。とはいえ、お金稼ぎなら有料メルマガやアフィリエイトにいそしむほうが筋が良さそうだ。すでに十分な知名度を持つ作家がKindle Direct Publishingに手を出すというのはアリかもしれないが、そういったセミプロ〜プロ対応としてはアマゾン自身が出版社としての機能を強化していく道のほうがずっとありえる。

遊び場としてのKindle Direct Publishing

筆者がkdpで出版した小説。

ただ、儲かる儲からないとは別の話で、やっぱりKindle Direct Publishingってすごく面白い遊び場になるんじゃないかと言いたい。世の中にはなんだかんだとまとまった文章を書いている人がたくさんいるわけだけど、いまはブログ以上に長い文章を出せる場所がない。対価をもらえる仕組みもほとんどない。Kindle Direct Publishingはそうした文書の受け皿になって、同人誌的な表現の場としても、研究者の報告の場としても利用することができる。

もちろん中身は玉石混淆だろうし、これからひどい出来のものばかりが氾濫してもまったく驚かない。でも少数の出版社が本を出す出さないを決める状況から、一気にみんな好き勝手に同人誌を出していたころにまでタイムスリップしてしまう。何十万円もかけないとできなかった自費出版が、ノーリスクでできてしまう。そして、そんな同人誌が有名作家の本と一緒にオンラインストアに並ぶ。僕の名前で検索すると、昔書いた紙のビジネス書と、Kindleの小説が並ぶ。なんだかとっても愉快である。あえて言えば、その場をアマゾンが取り仕切っているというのが恐ろしいわけだけど、それはまあ別の話。

というわけで、サラリーマン暗殺者小説「夏は暗殺の季節」をぜひどうぞ。200円です。ほかのKindle本同様、無料サンプルもあります。件のDRMも無しにしたので、気に入ったら配布してみてください。

※この記事は「辺境社会研究室」で10月29日に公開された記事「電子出版のススメ:Kindle Direct Publishing体験記」を、著者の了解を得て改題のうえ転載したものです(「マガジン航」編集部)。

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キンドルを伏せて、街へ出よう

2012年10月28日
posted by yomoyomo

今回は本誌に寄稿する文章では珍しく個人的な話を書かせてもらいます。この間の週末、金曜と土曜に二日続けて「本屋で本を買った」話です。

それだけ? 基本的にはそれだけです。しかし、実はこれは私にとって稀なことで、前にそれをやったのがいつだったか思い出せませんし、次はいつになるか見当もつきません。二日続けてとなると、もしかするともうないかもと思ったりします。

何を大げさなと呆れられるでしょうか。本誌の読者は本好きの人が多いでしょうからなおさらですが、私の場合、リアル本屋——この表現もヘンですが、要はインターネット通販でなく実際の書店——で本を買うこと自体かなり少なくなっているのです。

地方の本屋で本を買うということ

正直に書くと、もう5年以上前から新品は、CDやDVDだとほぼ十割、本や雑誌も間違いなく九割方インターネット通販、つまりはAmazonで買っています。本にしろCDにしろ自室にいながらにして注文でき、それが無料で届けられる——逆にAmazonで買わない理由がないのです。

これがどこまで一般的なことかは分かりません。生活環境の問題もあります。具体的には職場の話で、以前は私が住む福岡で一番の繁華街である天神地区で書店に寄ることも多かったのですが、その後職場が変わり、平日は自室と職場の往復だけの生活になりその機会が激減しました。

また実環境と同じくらい大きいのが、ネット上におけるつながり、いわゆるソーシャルネットワークにおける評判に依って本やCDを買う機会が多くなったというのがあります。「お金はあるが時間はない」という社会人にありがちな状態、 また既に枕元の数十冊の積読本に加え、四代目無印Kindleには20冊を超える電子書籍が未読のままという現状では、本業関係や元から贔屓にしてる人の作品以外は、評判になっているのをネットで見て、興味が湧いたブツをAmazonで買って読むので手一杯なのです。

『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)

金曜日に買った山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)も、ネットの観測範囲内で取り上げる人を見て興味を持った本でした。

この日は夜に職場の飲み会があり、早めに着いたので会場となる居酒屋の近くにある私鉄の駅に併設された本屋に立ち寄りました。本屋の前の壁には岡野雄一『ペコロスの母に会いに行く』(西日本新聞社)が並べられていました。おそらくはこれが今売れ筋の本、あるいはこの書店として推している本なのでしょう。

15年以上前になりますがこの駅の近くに住んでいた時期があり、このさほど大きくない書店もよく利用したものです。せっかく久しぶりに来たのだから一冊ぐらい買おうと思い立ち、『ここは退屈迎えに来て』が浮かんだので新刊コーナーで探すも見当たらず、日本人作家の本が五十音順に並んだ本棚を辿って一冊だけあるのを購入しました。

『ここは退屈迎えに来て』には、帯に「ありそうでなかった、まったく新しい “地方(ローカル)ガール” 小説です」という山本文緒の推薦文があります。これが「まったく新しい」かどうかは私には分かりませんが、冒頭に置かれた「私たちがすごかった栄光の話」に、よくこれを書いたなという鮮烈さを感じたのは確かです。

ブックオフ、ハードオフ、モードオフ、TSUTAYAとワンセットになった書店、東京靴流通センター、洋服の青山、紳士服はるやま、ユニクロ、しまむら、西松屋、スタジオアリス、ゲオ、ダイソー、ニトリ、コメリ、コジマ、ココス、ガスト、ビッグボーイ、ドン・キホーテ、マクドナルド、スターバックス、マックスバリュ、パチンコ屋、スーパー銭湯、アピタ、そしてジャスコ。

私自身、「私たちがすごかった栄光の話」から上に引用した固有名詞の羅列が当てはまるロードサイドに住む者ですが、そうした「ファスト風土化」した地方都市に住む人間として上の引用を見て、感じはすごく出ているがいささか盛りすぎだなと苦笑するのも確かです。本当にこれだけの店舗が並ぶロードサイドがどれだけあるのか。

個人的に面白いと思ったのは、上の羅列の中にスターバックスが入っていることです。スタバの店舗が都会的なものの証とみなされたのも今や昔(90年代には長野で出店を求める署名運動がありましたっけ)、最初自分の住処の近くでスタバを見たときは少し奇異に感じたものですが、もはや郊外のロードサイドにありがちなものとして共通認識ができていたのかと得心がいきました。

そうした文化的に漂白された地方に身を置き、文化的インプットをネットに頼る自分の生活はどうなのかと考えることはもちろんありますし、「私たちがすごかった栄光の話」の登場人物が感じるような屈託もよく理解できるところです。が、結局は自分の人生がなるようになった結果だと諦める気持ちがあるのも確かです。私自身について言えば、地方に住もうが都会に住もうがいずれにしろ週末は自室にほとんど引きこもっているような内向的な人間では、アウトプットに大した違いはなかろうとも思うわけです。

博多における「天神書店戦争」の顛末

土曜日は朝から夕方までネットセキュリティ系のイベントに参加しました。いい歳して人見知りのため懇親会には参加しませんでしたが、せっかく博多駅近くに出たのだから映画でも観ようと、大々的に改築された駅ビルとともに昨年開業したシネコンに出向いて『アウトレイジ ビヨンド』のチケットを取ったものの、上映まで半時間ほど間があったため、シネコンの階下にある丸善書店で時間を潰すことにしました。

私のような非文化的な生活環境に身を置く人間が、博多という街の文化環境について論評する資格はないのですが、この地が意外にも書店には恵まれているという話は書いておいてもよいでしょう。

「一割経済」と言われる経済規模ながらも、まがりなりにもその九州最大の都市という立ち位置のためか、博多は人口比にすれば大きな書店が多く、ゼロ年代は紀伊國屋書店、丸善、リブロ、八重洲ブックセンター、そしてジュンク堂書店が天神地区に集中し、「天神書店戦争」とも言われました。

意外なところでは、2005年に青山ブックセンターが関東以外では初めて出店したのが福岡天神地区だったりします。ただ青山ブックセンターは、その前年にその運営会社の民事再生の申し立てがあり、書店として存続の危機を迎えた時期でもあります。当時「青山ブックセンターの維持・再建署名運動」を呼びかける文章を読み、その発起人に現在までその仕事を深く尊敬している人がいる分だけ心底脱力し呆れたのがあり(このときばかりは唐沢俊一氏と同意見でした)、青山ブックセンターができたと聞いても、喜ぶより、何やってんの? 大丈夫なの? とまず怪訝に思ったものです。

案の定、青山ブックセンター福岡店は2年後の2007年に閉店してしまいます。このとき「日本の文化の死を意味する」と署名運動をする人間は誰もいなかったことを考えると、どうやら福岡店の閉店は日本文化の生死に何の影響もなかったようです。

話を「天神書店戦争」に戻すと、最終的には後発のジュンク堂が制す形となり他の大書店は撤退を余儀なくされ、結果的に紀伊國屋と丸善は博多駅周辺に場所を移しました。これはジュンク堂福岡店が開店当初から西日本最大規模の坪数を誇っていたのが一番大きかったでしょうが(昨年末増床し、2060坪と日本最大規模の広さとなっています)、それだけでなくジュンク堂が本を選び買う上で最も良い環境を提供したことがあります。

具体的には読書用の椅子と机ですが、これを初めて見たときは、こうやってじっくり本を吟味して買えるのか! と驚いたものです。言うなれば、ジュンク堂はこの地に住む人間にとって、例えばかつてスターバックスがコーヒーにおいてもたらしたのに近い新鮮さを書店としてもたらしたと言えるかもしれません。

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キンドル・ストアが日本でもオープン

2012年10月27日
posted by 仲俣暁生

10月25日にアマゾンがついに日本でもキンドル・ストアをオープンし、Kindle端末の予約受け付けと、Kindle版電子書籍の発売を開始しました。

アメリカですでに発売されているKindle FireやKindle Paperwhiteといった端末の日本での発売に話題が集中したため、これらの専用端末がなくても、電子書籍の購入が可能であることをまだ知らない人も多いようです。しかし10月25日のストアのオープンにあわせてiOSとAndroid向けのKindleアプリが公開されており、これらをインストールすればKindle用の日本語や英語の電子書籍を読むことが可能です(ダウンロードはここから)。

紙の本とKindle版の価格差はまちまち

私もさっそく、いくつかの本を買ってAndroid端末のNexus7と、iPhoneやiPadで読んでみました。アマゾンのプレスリリースで明らかにされているとおり、開店時点でのキンドルストアの品ぞろえは、期待されたほど多くはありません。青空文庫などの無料コンテンツが約1万、マンガが約1万5000(ただし同一タイトルのコミックス各巻を合計した数)、その他の一般書籍が約2万5000、あわせて約5万というタイトル数だけをみれば、あれほど畏れられていた「黒船」とは思えぬほどの、ささやかな船出です。

ただし、キンドル・ストアはあくまでもアマゾンの巨大な通販サイト全体の一部門であり、紙の本とKindle版が同列に扱われています。とくに電子書籍を読みたいわけではないけれど、ある本をアマゾンで探してみたら、紙の本だけでなく、たまたまKindle版もあった。じゃあこっちで読んでみよう、という出会いが可能なところが、すでに紙の本で圧倒的な強みをもつアマゾンの、「電子書籍ストア」としてのアドバンテージです。しかもその場合、読者はべつにKindle専用端末をもっている必要はなく、AndroidかiOSか、どちらかのスマートフォンかタブレットさえあればいいというわけです。

さて、ある本を紙と電子書籍のどちらで買うか。その際の判断の鍵を握るのは、やはり「価格」でしょう。すでにオープンしている日本の電子書籍ストアに比べ、アマゾンがとりわけ安いわけではありません。私が買ったなかで、紙と電子書籍の価格差がいちばん大きかったのは、ゲーム・デザイナーのジェイン・マクゴニガルの『幸せな未来は「ゲーム」が創る』(早川書房)という本でした(彼女のことは以前、「Gamificationがもたらす読書の変化」という記事でも紹介したことがあります)。この本の場合、紙版の価格が2940円に対し、Kindle版は1714円とかなりの価格差があります。しかし、この本はhontoの電子書籍ストアでも1800円で売られており、Kindle版との差はわずかにすぎません。

Kindle版と単行本(紙版)、中古品の値段が一目で比較できる。

hontoとアマゾンの違いがどこにあるかといえば、hontoの場合もページの下の方に、「この著者・アーティストの他の商品」という一覧があり、そこを見れば紙の本と電子書籍の価格差がわかるのですが、直感的ではありません。しかしアマゾンは上の画像のように、どちらのランディングページでも両者の価格(さらに「中古品」も)を並べて簡単に比較可能にしています。しかも電子書籍のほうをご丁寧に「OFF ¥1226(42%)」と表示するという念の入れよう。このあたりは憎いほど商売上手であることを感じます。

「出版社により設定された価格です」

日本でキンドル・ストアの開店がここまで遅れ、また当初の品ぞろえも貧弱になった理由のひとつに、電子書籍の価格決定権を出版社とアマゾンのどちらがもつか、というせめぎあいがあったと言われています。いわゆる、エージェンシー・モデル(前者)とホールセール・モデル(後者)をめぐる意見の相違です。

紙の本は著作物再販適用除外制度(いわゆる「再販制」。エージェンシー・モデルの一種)によって、出版社が定価販売できる(=小売店が自由な値段で売ることができない)という特殊な商品です。しかし電子書籍は紙の本とことなり、再販制が適用されないことを公正取引委員会が表明しているため、本来ならば「小売店」である電子書籍ストアの側が、自由に値付けしていいはずです。しかしアマゾンが大幅な安売り競争をしかけ、圧倒的に強いプレイヤーになっては、既存の出版業界の秩序が破壊され、困る人が出てきます(大原ケイさんが2年前に書いた「本の値引き競争で笑うのは誰?」という記事も参照)。そうした事情をアマゾン側が呑み込んだためか、せっかくオープンしたキンドル・ストアには、あっと驚く目玉商品が(端末以外に)なにもない、という状況でのスタートとなったわけです。

しかし、そうした状況がアマゾンにとって望ましいことであるわけはなく、キンドル・ストアにはこっそりとしたイヤミ(?)な仕掛けがほどこされています。たとえばこの本の価格表示を見てください。これはベストセラーとなった貴志祐介『悪の教典』上巻(文藝春秋)のKindle版の値段です。この本の場合、文庫本とKindle版では価格差がありません。Kindle版と単行本の価格差をディスカウントであるかのように表示しているのはいただけませんが、ここはすぐに修正されたようです。それ以上に注目してほしいのは、そのあとの「出版社により設定された価格です。」というフレーズです。

「出版社により設定された価格です」という表示に注目。

さきほどのマクゴニガルの本のKindle版には、このような表示はされておらず、販売も出版社ではなく、Amazon Services International, Inc.となっており、どうやらこの表示がある電子書籍とないものとがあるようです。気になって他の本もいろいろ見てみると、Kindle版が紙の本よりも安い場合でも、同様に「出版社により設定された価格です。」と表示されているケースがありました。いずれにせよ、この表示がある電子書籍は、紙の本と同様、出版社が「価格決定権」をもっているということだと思われます。文藝春秋のほかに、大手出版社では講談社や集英社、小学館にはこの表示があります。また早川書房のほか、新潮社、幻冬舎、角川書店、東京創元社などのKindle版には、この表示がありませんでした。ちなみに紙の本とKindle版の価格差は、この表示の有無とはあまり関係ないようです。

上の大原ケイさんの記事によれば、アマゾンがアメリカでキンドル・ストアをオープンしたときは、「ハードカバーで定価20ドル以上もするような売れ筋の本のキンドル版を9.99ドルで売り始めた」そうです。日本では9.99ドルといえばほぼ文庫や新書の値段。さすがにそこまでの安売りはいまのところ見られませんが、出版社が価格決定権をもっていない本の場合は、そうしたことがありうるかもしれません。また逆に、日本でキンドル・ストアがオープンしたことで、それまでよりアマゾンで買うときの洋書のKindle版の値段が値上がりした、という話もあります。これもその本を出している海外の出版社がエージェンシー・モデルで価格決定権を行使した結果とのことです。

Kindle FireやKindle Paperwhiteの発売を首を長くして待つ間、キンドル・ストアで売られている本の価格の推移を注目していくのがよさそうです。

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第5回 自炊をめぐる逡巡

2012年10月23日
posted by 西牟田靖

今年の2月、約2000冊の蔵書を木造アパートの一室(4畳半)に移したところ、本や本棚で床が埋まってしまった。万が一、床が抜けてしまったら、一階に住む大家が大けがをするかもしれない。そうなれば当然引っ越さねばならない。賠償をどうするのかという問題も出てくる。目隠しされて剣が峰に立たされてしまったような、いきなりの危機的状況に僕はうろたえた。引っ越しを終えた日の夜は床が抜けないか気が気でなく、あまり眠れなかった。結局、二つの突っ張り本棚と約200冊を妻子と住んでいる自宅に移動させ、さらには438冊を緊急避難させた。

4月になり、このシリーズを書き始めたとき、前者の後始末の顛末については隠さずに書いた。しかし、後者の後始末の顛末については、次の通り、核心に触れないようにぼかして書くにとどめた。

本438冊も4畳半からは緊急避難させていた。段ボール9箱、一箱あたり約15キロで、のべ約135キロ。本をどうしたのかは徐々にネタばらしするとして、ここではまだ詳細を書かない。

これまで詳細を書かなかったのには理由がある。物書きとしての今後の仕事の展開に支障を来すんじゃないかという懸念が脳裏に渦巻いていたからだ。

本の自炊を代わりにやってもらうことはやはり違法なのか

第一回の記事を掲載したところ、twitterやfacebookを通じて数百のコメントが寄せられた。中には「自炊(電子化)すれば良い」と書いている人もいた。その通りである。かといってその作業を一人で行うのはこりごりだ。うんざりするような経験を僕はすでにしているのだから。

2010年、自炊がちょっとしたブームになった。かくいう僕も自炊に取り組んだうちの一人だ。Scansnapと裁断機を買いそろえ、さっそく200冊ほどの蔵書をスキャンした。急ぎの仕事がない時期にまとめてやったのだが、すべての処理が終了するまでに約1週間もの時間を費やした。

小田実の『何でも見てやろう』のように、裁断に失敗し、読めなくなってしまった本がいくつかあった。それほどひどくなくても均一にスキャンできず読むに堪えないデータがたくさん出来上がったりもした。肉体的な負担も気になった。裁断したときに紙の微粒子が発生するのか次第に目や鼻が痛くなったし、裁断機のレバーを押し込むという動きを繰り返すからか二頭筋や肩が猛烈に凝ったりもした。それになにより自炊という行為が人を殺めることに似ていると直感し、作業を繰り返していて嫌悪感が募った。

もたもたしていると床が抜けてしまうかもしれない。かといって自炊はもうやりたくない。手間をかけて集めた書籍だから廃品回収にも出したくない。だとすれば、自炊代行業者に依頼するという方法はどうだろうか。

問題はこの手の業者が出版社から悪者扱いされているということだ。たとえば、昨年9月5日には出版社7社と作家・漫画家122人は自炊代行業者に質問状を送っている。本の持ち主が自炊すれば著作物の私的使用であるが、行為を代行すると著作権法違反になる可能性が生まれる。顧客が送ってきた本を裁断・スキャンしたデータを勝手に電子書籍として販売・無料頒布されるのはごめんだ、というわけだ。

自炊代行業者に対する業界の危機感は、出版物に密かな変化をもたらした。2010年以後、書籍の奥付に次のような但し書きが目立つようになっている。

「本書を代行業者等の第三者に依頼してスキャンやデジタル化することはたとえ個人や家庭内の利用でも著作権法違反です」
「私的利用以外のいかなる電子的複製行為も一切認められておりません」
「代行業者等の第三者による電子データ化及び電子書籍化はいかなる場合も認められておりません」

やれやれ。上記の文章が奥付に記されている書籍の版元はいずれも僕が取引をしている会社である。自炊代行業者にスキャンを依頼することが回り回って出版社の耳に入り、心証を損ねる可能性はある。最悪の場合、得意先を失うかもしれない。

ではどうすればよいのか。床が抜ける可能性を残したまま部屋に置いておくか、大量の書籍を廃品回収に出すか、出版社に嫌われるのを覚悟して自炊代行業者へ依頼するのか――。

自炊代行業者をとりまく環境について調べてみると、現在は過渡期であることがわかってきた。2011年12月20日、自炊代行を行う2社のスキャン差し止めを求めて作家や漫画家7人が提訴した。その後、被告となった業者は業務を廃止したり、原告の請求を全面的に認めたりして、5月22日、原告側が訴えを取り下げるという「実質的な勝訴」となった。だからといって自炊代行がすべて違反だと言い切ることはできない。白か黒、どちらかといえばかなり黒に近いグレーというのが現状であろう。

今後、出版社に著作隣接権が認められると、著者ではなく会社が自炊業者を訴えることができるようになる。そうなれば、自炊代行業者は法的な逃げ道はなくなり、アウトになる可能性が高い。黒となればこうした業者は廃業するか、大手の印刷会社・出版社などに吸収されてしまうしか、生き残る方法はないんじゃないか。

自炊代行業をしているのはどんな人たちか

いつまで続けられるのかわからない自炊代行という仕事を選び、始めようと思い立った人たちというのは、どういった動機で起業したのか。現在はどんな環境で仕事をしているのか。近い将来、法的に黒となった場合も営業を続けるつもりなのか。自炊代行業者の仕事場を訪ね、話を聞いたり、仕事ぶりを一目見てみたりしたいと思った。僕自身、代行業者を利用するという踏み絵をあえて踏んでみたらどうなるのか、ということについても、体験取材で実績を重ねてきた物書きの業なのか、気になりはじめ、しまいには確かめたくて仕方がなくなった。

業者によって対応にポリシーややり方に違いがあるはずだ。その差異を知りたかったので、あえて二つの業者に作業を分散させた。依頼した業者のひとつは質問状の送付を歓迎するメッセージを回答とともにサイトに公開し、話題になった業者である。

業者Aには「自炊激安パック」というプランで5箱分注文した。これは、縦横高さの合計が80センチをこえない段ボールならば、本を詰め放題、しかも送料込みで7500円というプランである。5箱依頼したので代金は3万7500円となった。納品されるデータはPDFのみで、OCR処理はない。ファイル名は日付が自動的にあてられるだけである。

業者Bには「のんびりコース」といって最大で2か月かかるが、サイズ関係なく1冊100円という格安プランで注文した。四つの段ボールにほぼ50冊ずつ詰め込んで、郵便局で送料4400円を払って発送した。代金と送料を合計すると2万4400円となった。A社に比べると納期は遅いし、送料も別だ。しかし、OCRやファイル名の変換もやってくれるというからありがたい。そんなに急いでいないから条件としては申し分なかった。

業者Aの発送の準備をする。床を埋め尽くした本を無造作に拾い、片っ端に詰め込むと、詰め放題とはいえ思うように入らない。50冊はおろか40冊だって入らない。単行本はすべて外し、文庫・新書のみを選び、向きと大きさを揃えて寸分なく詰め込んだとしても一箱あたりだいたい47冊となり、50冊にすら至らなかった。軽量化のためにカバーやオビはすでに外していたのにである。これでは1冊あたり150円ほどもかかる計算である。思いのほか高いが、すでに申し込んでいたので、キャンセルはしなかった。仕上がりは確か25日後と記されていた。

自炊代行業者に送った本を詰めたダンボール。これはB社の分。

一箱あたり15キロとすれば5箱で75キロ、一度に持って運べる限界を超えている。歩いて5分のコンビニまで、台車に載せた段ボールが落ちないよう慎重に押して運んだら10分かかった。

業者Bは本の大きさが関係ないので、適当に段ボール箱を選んでは詰めこんだ。一箱50冊前後の箱を4箱、やはり台車を使って、店まで運んだ。

自宅へ移動させた分もあわせ600冊あまりの本をアパートから運び出し、床を埋め尽くしていた本がなくなることで、部屋はようやく使えるようになった。床抜けの危機から脱し、すっきり片付いた部屋で一息ついていると、自炊代行業者へ大量の本を発送したことへの後ろめたさがふとこみ上げてきた。「ドナドナ」の旋律が耳鳴りのようにかすかに響いた。

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日本漫画の国際化を翻訳家の立場から考える

2012年10月11日
posted by シモーナ・スタンザーニ・ピーニ

ヨーロッパで日本漫画が幅広く出版されるようになったのは、1970年代の終わりに起きたアニメ・ブームのおかげである。フランスやスペイン、イタリアでは『マジンガー』シリーズ(永井豪)や『キャンディ・キャンディ』(水木杏子作、いがらしゆみこ画)、『ベルサイユのばら』(池田理代子)といったアニメの原作を皮切りに出版がはじまり、その後もほぼ途切れることなく現在に至っている。

日本アニメのヨーロッパでの紹介は、『バーバパパ』(フランスの絵本『バルバパパ(Barbapapa)』が原作)や『アルプスの少女ハイジ』(ヨハンナ・シュピリの小説『ハイジ』が原作)など、ヨーロッパ人があまり違和感を感じない作品から始まった。しかし、1978年に『UFO Robot Goldrake』という題でフランスとイタリアで放送された『UFOロボ グレンダイザー』(永井豪)が、文字通りの「カルチャー・ショック」を与えたことで、ヨーロッパで日本アニメのブームが起きたのだった。

このときの反響は、フランスよりもイタリアでのほうが熱かった。もちろん私もそのショックを受けた一人である。『UFO Robot Goldrake』のイタリア版『Ufo Robot』とShooting star』のシングルの売り上げは100万枚を超え、ゴールドディスク(日本では「ミリオン」と呼ばれている)を獲得した。『UFO Robot Goldrake』はフランスを介してエジプトやアラビア半島まで辿り着き、そこでも大人気を得た。

次のブームは、1990年代に公開されたアニメ映画『AKIRA』(大友克洋・原作)がきっかけだった。反響はフランスやアメリカでとりわけ大きく、これらの国で日本漫画の出版ブームが起きた。その国の文化によって、いちばん人気のある作品が違うのも面白い。日本と同様、ヨーロッパでいま最も人気のあるのは尾田栄一郎の『ONE PIECE』だが、アメリカでは岸本斉史の『NARUTO』が人気トップである。また鳥山明の『ドラゴン・ボール』は、いまだに全世界で史上ナンバー1の累計売上を誇っている。

「芸術的」な日本漫画にも高い評価

谷口ジローや浅野いにおといった、日本では比較的マイナーな漫画家もフランスやイタリアでは人気がある。谷口ジローは2002年に『遥かな町へ』がアングレーム国際漫画祭で最優秀脚本賞と優秀書店賞を、2005年に『神々の山嶺』が最優秀美術賞を受賞し、2011年にフランス政府芸術文化勲章シュヴァリエ章を受章している。また浅野いにおの『ソラニン』は2009年にアメリカのアイズナー賞(Will Eisner Comic Industry Awards)の最優秀日本作品にノミネートされた。

パニニ社の「PLANET MANGA」では多くの日本漫画が翻訳されている。これは浅野いにお『海辺の女の子』。UMIBE NO ONNANOKO © 2011 Inio Asano/Ohta Publishing Co.

 ARUKU HITO © 1992 Jiro Taniguchi/Kodansha Ltd.

谷口ジローの『歩くひと』は、イタリアのパニニ(Panini)社から出版されている。同社の日本漫画専門レーベル「プラネットマンガ」では「谷口コレクション」や「浅野コレクション」といったかたちで、これらの作家の作品をシリーズで刊行している。右の図の、タイトルの下の「Jiro」というロゴが目印だ。主人公の足の下に書かれた「ROMANZO A FUMETTI」とは「漫画小説」と言う意味で、いわゆる「文学」として認められているということだ。フランスほど売れ行きがいいわけではないが、イタリアにも「芸術漫画」というジャンルがあり、谷口ジローと浅野いにおのようにスタイルのまったく違う作家が、どちらも「芸術的」だと評価されているのだ。

フランスのBD(バンドデシネ)と同様、イタリアにも独自の漫画文化がある。 1930年代から主に週刊漫画雑誌という形で国内やヨーロッパやアメリカや南米の漫画が紹介されてきた。まずはディスニーのような子供向けや青少年漫画からはじまり、やがて大人向けのものも現れて、いまではアクション、ミステリー、コメディー、SFなどあらゆるジャンルがある。

イタリアの有名な漫画家の中としては、『コルトマルテーゼ』のユーゴ・プラット(Hugo Pratt, 1927-1995)や、セクシーな『バレンティーナ』シリーズのグイド・クレパックス(Guido Crepax, 1933-2003)などが未だに人気がある。とはいえ、イタリアの漫画はフランスのBDのように「芸術」として認められるレベルではなく、いまもサブカルチャーにとどまっている。一方、両国の経済規模の違いにくらべると、フランスとイタリアで出版される日本漫画のタイトル数に大きな差はない。また、最近はドイツでも日本漫画の翻訳が増えていると聞く。

1990年代のブームから20年以上経った今も、イタリアをはじめヨーロッパ全土、そしてアメリカでも、日本漫画への興味は全く減ることがないし、これからもおそらく増える。そして昔と違い、テレビアニメの原作などのベストセラーだけでなく、マイナーな作品や「アート漫画」のニッチがますます広くなると思われる。

イタリア、フランス、そしてアメリカでも、大手出版社のほかに、「アニメ時代の子供たち」が大人になった、いわゆる「オタク第一世代」が作った小さな会社も増えている。そうした「プロフェッショナル・オタク」世代によって、経済上の目的でなく、文化的、そして芸術的な目的でも、日本漫画の国際化は広がっている。たとえば平野耕太の『ヘルシング』、林田球の『ドロヘドロ』、弐瓶勉の『ブラム!』などの主流ではない作品も、ニッチなマーケットを見つけている。今後は電子書籍が一般的な出版方法になり、出版のためのコストも低くなっていくことで、マーケットは広がる一方だろう。

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