児童買春・児童ポルノ処罰法改正が残した課題

2014年7月3日
posted by 渋井哲也

児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」(児童買春・児童ポルノ処罰法)が改正された。前回の記事「児童ポルノ法改正の何が問題なのか」(2013年10月10日)では、自民党と公明党、日本維新の会の3党合意による改正案ができあがるまでを取り上げた。今国会(第183回国会)では、3党に加えて、民主党と結いの党も加わった5党合意による改正案が提出されていた。

今回の改正のポイントは、「児童ポルノ」のうち、曖昧だと指摘されがちだった「3号ポルノ」について、より明確なものにしたこと、単純所持を禁止した上で、自己の性的好奇心を満たす目的での所持を罰則対象にしたこと、さらに、アニメ・漫画・CGについては、児童の権利侵害との関係性に関する調査研究が、3党合意から削除されたことだ。

子どもの性的搾取画像は守られない?

「3号ポルノ」は「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」と規定されていた。しかし、法文をそのまま解釈すれば範囲が広すぎるとの指摘がされていた。そのため、「殊更に児童の性的な部位(性器等もしくはその周辺部、臀(でん)部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているもの」を加えた。これにより、過激なジュニアアイドルやコスプレイヤーが規制される可能性が出てきた。参議院法務委員会でも山田太郎委員(みんなの党)が取り上げ、提案者からは「コスプレかどうかにかかわらず」適用するとの答弁がなされていた。

ニコニコ生放送で改正案について説明する山田議員(左)。ユーザーからの質問を集め、参院法務委員会での審議に活かした。(山田議員の事務所にて。6月15日)

ただし、本来、児童の性的搾取、商業的搾取を規制するものとして考えるのならば、単に「わいせつ」かどうかだけでの基準では足りない。であれば、撮影時の状況などを踏まえて、性的搾取があったのかどうかも考慮するという考えもあるのではないだろうか。これまでの判例(高松高裁 平成22年9月7日)では、性的虐待が行なわれた後、顔に精液をかけられている児童の画像は、わいせつ基準に照らすと、規制対象から外れる。

なぜ、こうしたことが起きるのかといえば、「性欲を興奮させ又は刺激するもの」は一般人を基準としたものだからだ。「顔に精液をかけられている児童の画像」は小児性愛者の基準では「性欲を興奮させ又は刺激するもの」かもしれない。しかし、一般人を基準とするとそうではないとの判断だ。また、画像のみで判断しなければならない。児童ポルノの該当性判断を示した京都地裁判決(平成12年7月7日)がある。

<衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態(以下「児童の裸体等」という。)を描写した写真または映像に児童ポルノ法二条二項にいう「性器等」、すなわち、性器、肛門、乳首が描写されているか否か、児童の裸体等の描写が当該写真またはビデオテープ等の全体に占める割合(時間や枚数)等の客観的要素に加え、児童の裸体等の描写叙述方法(具体的には、①性器等の描写について、これらを大きく描写したり、長時間描写しているか、②着衣の一部をめくって性器等を描写するなどして性器等を強調していないか、③児童のとっているポーズや動作等に扇情的な要素がないか、④児童の発育過程を記録するために海水浴や水浴びの様子などを写真やホームビデオに収録する場合のように、児童の裸体等を撮影または録画する必然性ないし合理性があるか等)をも検討し、性欲を興奮させ又は刺激するものであるかどうかを一般通常人を基準として判断すべきである。そして、当該写真又はビデオテープ等全体から見て、ストーリー性や学術性、芸術性などを有するか、そのストーリー展開上や学術的、芸術的表現上などから児童の裸体等を描写する必要性や合理性が認められるかなどを考慮して、性的刺激が相当程度緩和されている場合には、性欲を興奮させ又は刺激するものと認められないことがあるというべきである>

指摘された画像は、性的虐待後の、精液をかけられている顔の画像であって、一般人を基準とすると「性欲を興奮させ又は刺激するもの」ではない。そのため、3号ポルノに該当しないとなった。

<被告人が撮影し、記録した画像は、6歳の児童に対するものであり、一般人を基準とすれば、性欲を興奮させ又は刺激するものではないから、児童ポルノに該当しなない。(中略)たしかに、同画像は、児童ポルノ等処罰法2条3項1号の『児童を相手方とする性交類似行為に係る児童の姿態』の画像に該当する可能性があるが、被害者の衣服を付けない状態が画像上は必ずしも判然としないから、同項3号には該当しない>(高松高裁 平成22年9月7日)

ちなみにこの画像は、今回の改正でも該当しないことになる。性的虐待を記録したものであっても、それらを取り締まれないことが起きてしまう。参議院の法務委員会で山田太郎委員は以下のようなやりとりをしていた。

山田 性的な虐待が行なわれているが、顔だけを映した動画や、精液を顔にかけられたが児童は服を着ている写真、動物の性器に無理矢理触れさせている写真、服を着ている状態でロープでむちを打っているSMの写真で性的部位が描写されていないもの、性的虐待中の音声ファイル。これらは「児童ポルノ」にあたるのか。

遠山清彦(提案者、公明) 法文に即して判断をすると、性的虐待中のもので、顔のみで、性的な部位が描写されていない場合は該当しない。衣服を着けた児童に精液がかけられている。これも当たらない。動物の性器をさわっているということだが、法律は「他人の」とはあるが、これににわかに該当することはない。SM写真もあたらない。音声ファイルは、「視覚により」とあるので、このことだけを持って該当しない。しかし、いま申し上げた事例は、ひとつを切り出したもの。これらが重なり合って、動画であれば動画全体を判断し、総合的かつ客観的に評価すれば、見なしうる場合もある。これらは児童虐待の証拠であり、処罰の対象になる。

さらに、死体愛好者の犯罪もある昨今、画像の被写体が死亡している児童の可能性もあるだろう。その場合、児童は死亡している時点で法律上、「人」ではない。そのため、死体愛好者にとっては該当しても、「児童ポルノ」とは認定されない。参議院の法務委員会でもこの点が質問として出たが、死体は当たらないとの答弁だった。

小川敏夫(民主党) すでに死んでいる児童の、死体の写真の場合は、これは(「実在する児童」に)あたるんでしょうか?

階 猛(提案者、民主党) 法の趣旨は、児童ポルノに描写された児童の長期にわたった心身に有害な影響を与えつづけるもの(を保護対象としている)。客体となる児童は、生存することを要する。だからといって、死体は無制限にはびこらせていいのか。それを認めるものではない。立法府としてはこれから取り組むべき。

東京都羽村市の公立小学校の教諭(当時)が多数の児童を盗撮し、それと併せて個人的に収集していた死体の写真を、自ら開設していた「クラブきっず」というサイトに掲載していた事件で起訴されている。このサイトには交通事故や犯罪に巻き込まれた児童の写真が掲載されていたが、ほとんどが遺族が開設したサイトから無断で盗用されていた。

この件では著作権法違反(無断使用)と侮辱罪(キャプションの文面から判断)が適用されている。さらにこの被告は子どもの裸の写真を掲載、提供していたとして児童買春・児童ポルノ処罰法違反容疑でも有罪判決を受けている。またこれは違法ではないが、被告は2004年12月のスマトラ島沖地震で犠牲になった方の遺体も現地に行き自ら撮影してサイトにアップしていた。

単純所持の規制

枝野幸男委員(民主党)は6月4日の衆議院法務委員会で、今回の法改正は「単純所持全般が処罰対象ではない」ということを法案提出者と政府側参考人に答弁させた。「性的好奇心を満たすため」というのは、「立件対象となる所持の時点での認識の要件」であり、「自己の意思に基づいて」とは「処罰範囲に限定をかけるもの」で、時期や経緯を証拠により立証しなければならないということだ。

「自己の意思に基づいて」について、たとえば、メールで画像が送りつけられて所持となった場合、あるいは鞄に放り込まれた場合、自分のロッカーに入れられてしまった場合は、「自己の意思に基づいて」ではない。しかし、送りつけられた画像を児童ポルノと認識した上、積極的な利用が前提で保存した場合は、「自己の意思」となる可能性があるとの答弁がされた。

ただし、そもそもパソコンの動作ミスで保存してしまうこともあり、それとの区別をどう判断するのか。送検段階や起訴段階、公判ではそうした立証は可能かもしれない。しかし、逮捕段階では何が「自己の意思」なのかを証明する術があるのだろうか。

法が制定される1999年以前、 児童ポルノの製造、売買、譲渡は違法ではなかった。その時代に制作された、形式的には児童ポルノとなるような映画や雑誌が、図書館、アーカイブス、雑誌社の倉庫に保管されている可能性がある。この点について枝野委員が「家探しをする必要はないか」と質すと、提案者は「『自己の性的好奇心を満たす』とは考えにくいので構成要件を満たさない」、さらに性的搾取や児童虐待を許さないというのは一般的理念であり、「廃棄、削除の義務を課すものではない」とも答弁した。

また、改正法施行前に所持をしていた児童ポルノについて、その時点では「自己の性的好奇心を満たすために」取得したが、罰則が適用される施行1年後に目的がなくなった場合はどうかと、枝野委員は質したのに対し、「施行後所持している場合であっても、立件対象となる1年経過後に性的好奇心を満たす目的がなければ、処罰対象にはならない」と提案者は回答した。

引っ越しや大掃除の際に「児童ポルノ」を発見した場合、発見しただけでは「自己の性的好奇心を満たす目的」とは言い難い。ここで枝野委員は「そこで何かをすれば別ですが」と言ったが、これは発見した時点で自己の性的好奇心が一瞬でも生じた場合は、所持罪に問われうる、とも受けとれる。しかし、そもそも児童ポルノは性的好奇心を満たすようにも作られている。それを見て、性的好奇心が高まるのは自然なことではないか。

この点については、「積極的な利用の意思に基づいて新たな所持が開始されたかどうかが重要」と提案者は述べた。しかし、そうした資料を保存している場合、どうやって「自己の性的好奇心」を判断するのかは難しい。土屋正忠委員(自民党)は「ホコリがどれだけたまってるかだろう」とヤジを飛ばした。ホコリがたまっていれば、積極的な利用をしていないと判断できるということか。しかし、「自己の性的好奇心」の有無をそれだけで判断できるのだろうか。

なお、児童買春・児童ポルノ処罰法の運用上の注意として、「学術研究、文化芸術活動、報道等に関する国民の権利」には配慮するとされた。たとえば、立法者が参考資料として所持している場合があるが、これは処罰対象ではない。医療関係者や弁護士が業務の一環で所持する場合も処罰対象から外れる。報道関係者が取材過程で入手したものも処罰されない。

しかし、フリージャーナリスト、フリーライター、フリー編集者、漫画家らが取材過程で入手した場合、どのように「報道」目的と証明するのか。そもそも、身分をどのように証明するのか。のちに証明されたとしても、それまでは逮捕される可能性はある。枝野委員は「フリージャーナリスト」を例にあげたが、その部分は法案提案者からの具体的な答弁はなかった。

参議院でも佐々木さやか委員(公明党)の「純粋に学術研究であれば罰則の適用はないですが、処罰を不当に逃れることができるのでは?」との質問に対し、提案者は「学術研究や文化芸術活動などの目的で所持する場合は、どういう児童ポルノを所持しているかなどの個別具体的な証拠関係により実際には認定すべき。通常は適用されないが、所持をしている児童ポルノの態様、分量、内容によって判断される。内心の問題のため、供述だけで自己の性的好奇心を満たす目的がなかったと判断するとは限らない」と答えた。

これらの答弁を考えると、フリーランスの場合は、供述のみで報道目的かどうかはわからない、ということになる。仮に、被害者を取材している過程で児童ポルノを入手したとする。その帰路、職務質問を受けて、児童ポルノが鞄の中にあったとしよう。その場の供述だけで「取材・報道目的」を主張しただけでは、免責にならないと解釈できなくもない。免責されたとしても、現行犯で逮捕される可能性を秘めている。しかも運用上の注意は「違法性阻却」(免責)規定ではない。

東京都条例の新基準での規制

児童買春・児童ポルノ処罰法の条文には、3党合意の段階ではアニメ・漫画・CGについて「児童の権利侵害との関係性に関する調査研究」が入っていたが、5党合意で削除された。この点では、いちおう表現の自由に配慮したかたちにはなっている。さらに「学術研究、文化芸術活動、報道等に関する」適用上の注意が入り、これらの権利を侵害しないように留意することを例示した。この変更がなされる上で、出版業界や漫画家らの規制反対の声は大きく影響した。また3党としても、この問題のために法改正に慎重だった民主党を巻き込むかたちにもしたかったのだろう。

しかし、衆院法務委員会では、「好ましくないアニメ・漫画」と「児童の権利侵害」との関係性が不明確である点が指摘されたものの、この問題は「別枠で議論すべき」との声があがっていた。もちろん、同処罰法は、社会の風紀を取り締まるための「社会法益」を守るのではなく、児童の権利侵害を防ぐ「個人法益」を守るためのものだ。直接的な権利侵害ではない「アニメ・漫画・CG」を規制するかどうかを議論する土俵ではない。

ただ、自民党はこれまで「青少年健全育成基本法案」を選挙公約に掲げてきた。たとえば、青少年の健全育成を理由に表現を規制する「青少年有害環境対策基本法案」(青環法)の提出が2002年の国会では予定されていた。このときは青環法と、個人情報保護法、人権擁護法のいわゆるメディア規制三法への批判が相次ぎ、提出を断念している。また2004年には「青少年健全育成基本法案」が参院に提出されたが、これは審議未了・廃案となっていた。

しかし、「青少年の健全育成」を理由としたメディア規制は2010年の東京都青少年健全育成条例の改正で強化され、すでに前哨戦を終えている。このときの改正議論は当初、「非実在青少年」の性描写を「不健全図書」として規制する案として話題を集めた。結果、反対の声が大きく、6月議会では廃案となったものの、違法な性描写や近親相姦の描写があるアニメや漫画を規制できる修正案が12月議会で通過してしまった。これまでは「わいせつ」かどうかが基準だったが、修正案では、違法な性描写や近親相姦がどう描かれているかによって規制できるという「新基準」が導入された。

2014年に初めて、この新基準で「不健全図書」指定がなされた。5月12日の都青少年健全育成審議会で、近親相姦が描かれた『妹ぱらだいす!2 ~お兄ちゃんと5人の妹のも~っと!エッチしまくりな毎日~』(KADOKAWA)が、新基準の「著しく社会規範に反する性交等を、著しく不当に賛美し、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の育成を著しく妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」に該当するものとしてと答申されたのだ(「ハフィントン・ポスト」2014年5月13日「「妹ぱらだいす!2」東京都の不健全図書に決定」などを参照)。

このときの都青少年健全育成審議会の議事録(PDF)によると、以下のような議論があった(要旨。専門委員・委員は議事録でも匿名)。

青少年課長 「妹ぱらだいす!2」は(中略)、兄と実の妹、または兄と異母兄弟の妹という民法第734条に規定する婚姻を禁止されている近親者間、(中略)2親等間の性交又は性交類似行為を描いたものであり、当該指定基準に該当するものと考えている。

■■専門委員 拝読しましたが、条例第8条第1項第2号に該当すると図書類等の「作品を創作した者が当該作品に表現した芸術性、社会性、学術性、諧謔的批判性等の趣旨」は、作品から全くみられません。

また、聴き取り調査などをしますと、これはゲームからのコミカライズをした作品であり、最初はアダルト雑誌に掲載されたということです。それをごく一部修正して、そのままコミックス化しました。なおかつ、原作ゲーム自体には18禁マークがついております。そのゲームがこの帯の袖に載っていますが「18禁」と入っています。これを見れば、このままコミックスとすれば当然指定の俎上に上がると思われます。

また、これはやはり近親者の性交類の描写が多いです。近親者の性交を描くのであれば、条例第8条第1項第2号に該当する作品内容に配慮しないといけないと思います。ところが、この作品にそれは全く感じられません。逆に、近親者の性交がなければ、この作品はそのままスムーズに18禁マークを表示されなくても通っていたのではないかと思います。一番肝心のそこを見落としたかどうかはわからないのですが(以下略)。

■■委員 表紙だけを見ても、子どもたちが手にとりやすい漫画チックな感じなので、手にして見てしまったらちょっと怖いなということと、これをもし男の子が見た場合、妹を見る目がどうなるのかなと。非日常的なことかもしれないけれども、これが当たり前のように判断力のない子どもたちが見てしまった場合、やはり小学生なんかはちょっと怖いなという気がしますので、本当にこれは指定でお願いしたい(以下略)。

■■委員 新基準に該当するというのはおくとして、旧基準に照らしてはどのように判断しているのでしょうか。

青少年対策担当部長 この本については旧基準には該当しないと判断いたしました。

■■委員 どのところで該当しないという判断をしたのでしょうか。

連絡調整担当課長 全体的な性表現のボリュームなどです。今までの旧基準に指定したものに比べて、確かに公判の部分は若干性表現が激しいのですけれども、前半の部分について、今まで指定したものよりは性表現が大人しい。ボリュームが全体的に少ないということです。

■■委員 精液が飛び散ったりとか、結構露骨な描写もあると思うのです。このぐらいで多分これまで諮問されてきたこともあるのかなという感じがちょっとしたのですけれども。

青少年対策担当部長 ほかの旧基準で指定されていた本に比べると、少し質的・量的に少ないということで判断しました。

■■委員 これがもっと激しいのだと新基準指定第1号でいいのですけれども、ちょっと中身が情けないですね。情けないのですよ。だから、最初のうちは、今回は勘弁して下さいよと申し上げようかなと思っていたのですが、できた事情を聞いて見るとそういう事情なので(以下略)。

■■委員 できた事情がどうであるかということではなく、この図書が条例の基準に照らして青少年の健全な育成に役に立つのか、あるいは阻害されるのかと。その1点を判断すべき(以下略)。

旧基準には該当しないことから、新基準で指定できるかどうかが検討され、漫画の元になったゲームが「18禁」だったことも影響し、新基準指定第一号となった。指定された場合は「成人コーナー」に移動するなどの対応がされるが、KADOKAWAは自主回収に踏み切った。「不健全図書」指定されたことが発表されたとき、同作品はKindleコミックで一時は全ジャンル1位まで浮上した。現在では、『妹ぱらだいす!2』はAmazonでは販売が停止されている。ただし、その原作であるライトノベルは通常通り販売されている。「絵」はこの法律の規制対象だが、「活字」は対象外となっているためだ。

すでに自主規制がなされている!!

2014年3月6日、テレビ朝日系列で『映画ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』が放映された。この作品は劇場版だが、テレビ版ではアレンジがされていた。「ハイパー掃除機」という道具でしずかちゃんが裸になってしまうシーンがある。しかしテレビ版ではその場面で「謎の光」が出たため、しずかちゃんの裸は隠された。

『ドラえもん』のしずかちゃんの入浴シーンは、アニメや漫画規制問題でよく取り上げられる。東京都の青少年健全育成条例改正議論のときも話題となった。「非実在青少年」の性的な描写が規制されるとの案だったためだ。このときは批判が相次いだために、都ではQ&Aを作成し、以下の例は規制されないとした。

  • 『ドラえもん』(しずかちゃんの入浴シーン)
  • 『サザエさん』(ワカメちゃんのパンチラシーン)
  • 『キューティーハニー』(如月ハニーの変身シーン)
  • 『クレヨンしんちゃん』(しんのすけがお尻を出すシーン)
  • 『ドラゴンボール』(ブルマが裸になるシーン)
  • 『新世紀エヴァンゲリオン』(レイやアスカのヌードシーン)

このときは結局、「非実在青少年」の性的描写が規制されるといった案は否決された。そのため、この基準そのものが意味をなさなくなった。しかし、テレビ朝日が自主規制したことで、都条例ができたための自主規制ではないか、との見方も出ていたほどだ。

また、インターネットでも自主規制がされた例がある。ブログや掲示板などのサービスを提供するTeacupで、いくつかのブログが閉鎖された。その際、閉鎖されたブログのユーザーに対してTeacup側から「児童ポルノ又はそれに類するもの」と、外部機関から指摘されたという案内が送られて来た。しかし、そのブログに掲載されていたのはフィギュアの写真であり、これらは児童ポルノに該当しない。

この問題を重く見ている山田議員はこう述べる。

「結局、『外部機関』は存在せず、広告主のクレームによるものでした。最終的には運営会社側は、『フィギュアは児童ポルノではない』と謝罪をしたものの、ブログの閉鎖が決まってしまった。このような自主規制の範囲が広がっているのではないか。こうしたことが起こる背景には、青少年の健全育成と、わいせつ物と、児童ポルノの概念が混乱していることがある」

この投稿の続きを読む »

国際電子出版EXPOに今年もボイジャーが出展

2014年7月1日
posted by 「マガジン航」編集部

今年も明日2日から東京ビッグサイトにて、国際電子出版EXPOがはじまります(東京国際ブックフェアクリエイターEXPO東京などと同時開催)。「マガジン航」の発行元であるボイジャーも例年どおりブースを出展(西2ホール出入口すぐ。会場レイアウトはこちら)し、ブース内でのさまざまな催しが予定されています。以下、今年の見どころをご案内いたします(ボイジャー出展ブースについての詳細はこちら)。

多彩な登壇者によるスピーキング・セッション

まず、毎年お馴染みのボイジャーブース内でのスピーキング・セッションは、今年は以下の顔ぶれが予定されています(無料。詳細なタイムテーブルはこちら)。

初日の2日は作家の池澤夏樹さん、作家の藤井太洋さん、著作権問題に詳しい弁護士の福井健策さん、3日は「マガジン航」の常連寄稿者である出版エージェントの大原ケイさん、ボイジャーが発行する姉妹誌DOTPLACE編集長でもあるブックディレクターの内沼晋太郎さん、4日は漫画家の鈴木みそさんと「トキワ荘プロジェクト」の菊池健さん、雑誌『知日』の主筆である作家の毛丹青さんらが登壇します。このほか電子書籍ビジネスで現場をお持ちの各企業の方々や、ボイジャーの各部署のスタッフも登壇いたします。

■7月2日(水)

・「本を書く人たちへ 本を読む人たちへ」鎌田純子(ボイジャー 代表取締役)/林純一(ボイジャー 開発部部長)[10:30-11:30]
・「電子出版の今と未来」池澤夏樹(作家) [11:30-13:00]
・「誰のための著作権か」福井健策(弁護士) [13:00-14:10]
・「KDPが私の出発点だった」藤井太洋(作家)[14:20-15:30]
・「出版者が創るWebの未来 〜Webベースのデジタル出版を支援するYONDEMILL(ヨンデミル)〜」鐘ケ江弘章(フライングライン)/根岸智幸(ブックウォーカー)/稲泉広平(太田出版) [15:30-16:30]
・「作家・インディーズよ、暴れ回れ!」小池利明(ボイジャー Romancerエヴァンジェリスト)[ 16:30-17:30]

■7月3日(木)

・「eBookサービス あなたが本をつくるならこれだ!!」原田悠太朗(ボイジャー 事業部)[10:30-11:00]
・「コミックシーモア10周年 ブラウザビューアの導入と今後の展開」荒谷篤志(エヌ・ティ・ティ・ソルマーレ)[11:00-12:00]
・「本と電子出版の逆襲」内沼晋太郎(ブックコーディネーター)[12:00-13:00]
・「時間と場所に連動した、デジタルコミックスのウェブブラウザ・リーディング」茨木政彦(集英社)/岡本正史(集英社)[13:00-14:00]
・「海を渡るドラえもん 「ローカライズ」で広がる文化」依田寛子(アルトジャパン)/マット・アルト(アルトジャパン)[14:00-15:00]
・「図書館から広げる電子書籍」花田一郎(大日本印刷 honto)[15:00-16:00]
・「アメリカ出版業界レポ2014 次なるステージへ」大原ケイ(出版エージェント)[16:00-17:00]

■7月4日(金)

・「これから読まれる電子本はこれだ!」小林尚道(ボイジャー 開発部)[10:30-11:00]
・「Yahoo!ブックストア成長の秘密」佐藤美佳(GyaO)/芝野克時(GyaO)[11:00-12:00]
・「BinBはすごいヤツ——講談社が取り組む試し読み活用法」高島恒雄(講談社)[12:00-13:00]
・「KDPが私の道を拓いた!」鈴木みそ(漫画家)/菊池健(NPO法人NEWVERY トキワ荘プロジェクト)[13:00-14:10]
・「本とネットとRomancer」大谷和利(テクノロジーライター)[14:20-15:30]
・「電子プロモによる中国『知日』月刊誌の拡散力」毛丹青(作家・『知日』主筆)[15:30-16:30]
・「メディアと書き手の連帯が欠かせない時代」萩野正昭(ボイジャー プロジェクト室長)[ 16:30-17:30]

また作家・インディーズのための電子出版システム「Romancer」のサービス開始にあわせて、7月4日(金)に無料セミナー「デジタルなら出来る――どうあなたは読者と手を組むか?」(14:30-15:30/無料公開セミナー会場/定員60名[当日先着受付順])も開催されます。

今年のテーマは『本とあなたをデジタルでつなぐ』

そして恒例のパンフレット、今年のテーマは『本とあなたをデジタルでつなぐ』。会場ブース内では印刷版の冊子が配布され、ウェブでもPDFとRomancer版で公開される予定です。今年の目次は以下のとおりです。

第1章 本を書くたち人へ 鎌田純子(ボイジャー 代表取締役)
第2章 本とネットとRomancer 大谷和利(テクノロジーライター)
第3章 アメリカ出版界で一体何が変わろうとしているのだろうか 秦 隆司(ブックジャムブックス編集主幹)
第4章 私たちに身方するメディアなどない 萩野正昭(ボイジャー プロジェクト室長)

会場ブースではスピーキング・セッション登壇者やボイジャーの関連書籍や、「Text: the next frontier」の文字が描かれたボイジャー創業当時のTシャツ(上図)の復刻販売も行われます。国際電子出版EXPOや、同時開催の東京国際ブックフェアやクリエイターEXPO東京にお越しの際は、ぜひボイジャーの会場ブースまで足をお運びください。

*     *     *

なお、昨年の電子出版EXPOとボイジャーブースでのスピーキング・セッション、東京国際ブックフェアほかでの電子書籍関連の話題については、ライターの鷹野凌さんに「ブックフェアを見て歩いた3日間」という記事で詳しく報告していただきました。今年も会期終了後にレポート記事を掲載する予定です。

NYタイムズはデジタル企業への脱皮をめざす

2014年6月25日
posted by 秦 隆司

ニューヨーク・タイムズの「Innovation」と題された社内資料であるエグゼクティブ・サマリーの存在がリークによって表に出て、出版界にいる人々の間で話題となった。その後、ソーシャルメディア情報サイトであるMashableがこのサマリーの完全版を入手した。その少し前、ニューヨーク・タイムズの編集主幹であるジル・エイブラムソンが突然解雇され、リークやMashableによる資料公表と解雇になにか繋がりがあるのではないかと憶測を呼んでいる。このエグゼクティブ・サマリーを読んでみた。

1851年に創刊されたニューヨーク・タイムズ。その後、ドイツからの移民の息子で優れた新聞社経営者であるアドルフ・オックスがこの新聞社を買収し世界でも一流の新聞に育て上げた。ニューヨークのタイムズスクエアは、アドルフがニューヨーク・タイムズを42丁目に移転したところからつけられた名前だ。

現在、アドルフの子孫であるサルツバーガー家によって所有されているこの新聞社はアメリカを代表する新聞のひとつであり、その記事、特に国際的事象の報道の正確さや深さには定評がある。また、ニューヨーク・タイムズはこれまでに100を超えるピューリッツァー賞受賞記事を載せ、アメリカでは信頼できる報道をおこなう新聞として「Newspaper of Record(記録の新聞)」と呼ばれている。

突然だった編集主幹エイブラムソンの解雇

この優れた新聞社にいま大変な変化が起こっている。

そのことを知ったのは、5月26日付けニューヨーカー誌の「THE TALK OF THE TOWN」に載っていたジル・エイブラムソンについての記事を読んでからだった。ジル・エイブラムソンは女性として初めてニューヨーク・タイムズの編集主幹(エグゼクティブ・エディター)となった人物で、その彼女が突然解雇され、この「事件」はまさにニューヨークの「街の話題」となっていた。

彼女の解雇はニューヨーク・タイムズ社内でも予期せぬことで、社主であるアーサー・サルツバーガーJr.の元に集められたスタッフたちは、重役の誰かが死んだのかと思った。

そしてエイブラムソンの解雇が告げられ、彼女がその集まりに出席していないことを知ると、スタッフたちはニューヨーク・タイムズもウォール街の会社のようになったのではないかと心配した。ウォール街では解雇を告げられた社員は、コンピュータを取り上げられ、メールも止められ、その場でエスコートされながら社を去らなくてはならない場合がある。これはニューヨーク・タイムズの企業文化ではない。

実際のところは、彼女は辞職する機会を与えられ、それを自ら告げる提案も受けたがその提案を断ったのだ。

彼女の解雇を知ったニューヨークのメディアは一斉に騒ぎ出した、曰く、彼女の前任者であるビル・ケラーが自分より多い報酬を得ていたことを知ったエイブラムソンが、経営陣に文句を言い、解雇は彼女のこの「押しの強さ」が原因だった、と。「押しの強さ」は男性マネジメントの場合は褒め言葉ともなり、その態度により解雇されることはないはずだ。これは性差別だと多くのメディアは伝えていた。

高まるこの批判を受け社主のサルツバーガーJr.は、今回の突然の解雇は「マネジメント手法の問題」としたが、解雇に繋がった具体的な理由は明かしていない。

彼女の跡を継いだのはディーン・バケット元編集局長(マネージング・エディター)で、彼はニューヨーク・タイムズ社で初めての黒人編集主幹となった。この騒ぎのなか、白人男性を後任にすることはニューヨーク・タイムズとしてできない、あるいはしたくないだろうというのが一般的な見方だ。

僕がこの劇的な事件の行方を追っているなか、ボイジャーのCEOである鎌田さんからメールがきた。

「このレポートを知っていますか」とURLがついていて、それは「Innovation」とタイトルがついたニューヨーク・タイムズの社内用エグゼクティブ・サマリーへのリンクだった。このサマリーは、社主サルツバーガーJr.の息子であるアーサー・G・サルツバーガーと彼のクルーによってまとめられた、100ページ近いレポートだ。

メディア関係者必読の「デジタル戦略」レポート

このレポートを一口で言えば「ニューヨーク・タイムズ社のデジタル戦略」となるが、その規模、力の入れ方、提案の多さ、問題指摘の具体的さなどで、とても読み応えのあるレポートとなっている。最初は、エイブラムソンの解雇騒ぎを抑えるためにニューヨーク・タイムズがリークした、「ニュース編集部(Newsroom)にはいまこんな問題があり、それが彼女の解雇理由です」といったような内容だろうと思って読み始めたが、それは僕の思い違いで、そんな言い訳的なレポートとは次元が違った。メディアに関わる人間なら誰もが読まなくてはならない、危機感を伴ったとても優れたレポートだった。

The Full New York Times Innovation Report

※レポートの完全版を掲載したMashableの記事「The Full New York Times Innovation Report」へのリンクはこちら(上はそこで公開されているScribdを埋め込んだもの)

100ページ近いレポートはアメリカ人にとっても読むのが大変らしく、要点のみをまとめて伝えているサイトも多いが、僕の見たなかではこの記事がいちばん分かりやすいように思えた。

さて、この問題のサマリーだが、最初にこれをまとめた「Team」の紹介が出ている。アーサー・G・サルツバーガー率いるチームは彼を含めて10人。アドバイザーが2人の構成となっている。ビデオジャーナリスト、モバイル・エディター、戦略マネジャー、ユーザー・エクスペリエンス・デザイナー、テクノロジー・レポーター、ビジネス・レポーターなどが顔を揃え、アドバイザーの2人は副編集局長、アシスタント編集局長だ。

チームは社内、社外の数百人にインタビューをおこない、いまニューヨーク・タイムズで何が問題か、またこのデジタル時代に対応するために、どう変わらなければならないかを探っている。ニューヨーク・タイムズのレポーティングは定評があり、その質は世界でもトップクラスだ。中国指導部の金の動きをすっぱ抜き、中東の戦場の様子を伝え、アメリカで行われている人身売買の隠れた事実を暴き出してきたニューヨーク・タイムズ。この優れた新聞社が自分の組織についての調査レポーティングを本気でおこなった。それが今回のこのレポートというわけだ。

このレポートには「これが答えだ」という決定的なアイデアは載っていない。しかし、ニューヨーク・タイムズがどう変わっていかなければならないか、あるいは何故変わっていかなければならないかについての、多くの指摘が載っている。たとえば、

  •  ウェブサイトだけでは勝負できない
  • 各記事ごとにデジタル・プロモーション戦略を立てなければならない
  • 記事を出す際には「完全主義者」にはならず、読者のフィードバックを得ながら記事を発展させていく
  • モバイル機器への記事のフィードの方法に気を遣わなければならない
  • 記事を書いた裏舞台をみせる「ノート」を読者に伝える
  • デジタルファースト(Digital First)であるべきだ
  • 新聞社がネット配信をしているのではなく、デジタル企業が新聞を出していると思うこと
  • ニュース編集部とテクノロジー・チームとの垣根を取り払わなければならない
  • ニュース編集部にとっては「記事」「ニューヨーク・タイムズ」だが、テクノロジー側は「コンテンツ」「ブランド」と考える
  • インターネット読者に向けた記事の配信を考える(印刷でのニュースはその日の夕方版、日曜版が充実しているが、ネットではそれらはトラフィックが少ない時間帯、曜日)
  • 記者たちは締切りで忙しく、今までのやり方を変えられないので、変化を促すチームを作る
  • デジタルのことを理解するデスクを採用する
  • 優秀なテクノロジー人材を採用する。その人材が活躍できる企業文化を作る
  • 膨大な過去記事すべてにタグを付け、新たに書いた記事に関連させ復活させる

など、要点を挙げるだけでもどんどん出てくる。

デジタルファースト:デジタル部門だけで採算を得る

レポートの中に何回か出てくる言葉がある。それは「Digital First」だ。僕はこれを「印刷優先」に対する「デジタル優先」という意味で読んだ。この解釈は間違っていない。しかし、最近機会があってニューヨーク市立大学大学院ジャーナリズム科のクラスに参加した際、スピーカーのひとりであるジャーナリスト、ジェフ・ジャービス(『パブリック〜開かれたネットの価値を最大化せよ』の著者)が「Digital Firstという言葉の意味は、そのメディア企業がデジタルの世界だけで生存できるようになることだ、つまりデジタルの媒体だけで採算がとれるメディアになること、そして紙の媒体はデジタル媒体のバイプロダクト(副産物)となる」と言っていた。これは僕にとって衝撃的な考え方だったが、彼の講義の終わりにはそれは正しいのではないかと思い始めた。

ニューヨーク・タイムズのレポートでは「Digital First」の意味するものを、そこまでは広げていない。だが、レポートの作り手たちにはきっと、「紙媒体をデジタルのバイプロダクトにする」とまでいかずとも、ニューヨーク・タイムズをデジタルだけで採算がとれるようにするにはどうしたらよいか、という考えはあったと思う。

では、実際の内容を少し紹介してみよう。盛りだくさんで、要約だけでも相当な量となってしまうので、それは先ほど紹介したサイトをご覧になって頂くとして、ここでは僕が注目をした題材を追ってみる。

このレポートの核心は、記者たちがニュースの伝え方、ニュースに対する考え方を変えなければならない、としていることだろう。レポートではこの点について「ニュース編集部から抵抗があった」(多分いまもあるだろう)としているが、それはそうだろうなと思う。

記者たちのこれまでの立ち位置は「俺たちは記事の内容で勝負する。優れた記事を書けば、読者は読んでくれる」というものだろう。腕のよい昔気質の記者なら、それだけその思いも強いと思う。

しかし、このレポートではこの考え方に強く反対している。多くの情報サイト、ブログサイトでは書き手はタグを付け、Twitterでツイートをして、Facebookでの書き込みをして、その作業をしてからではないと記事を公開することができないという。それと同じように、ニューヨーク・タイムズの記者も記事を載せる前にソーシャルメディアを使うことが奨励されている。

また、記事を書く際に「Perfect」であるというこだわりを捨てる必要があるとしている。1本の「完成された」記事ではなく、インターネットという空間を使っていかに読者を獲得し、そのストーリーに留まらせるかが重要だとしている。

具体的な例として、ストーリーの出し方を次のように示している。(以下、p84からの要約)

  1. まずニューヨーク・タイムズのウェブの「Opinion Page」で先行する話題作りをして、読者からのコメントを集める。
  2. 以前に書かれた同じ話題に関係する記事をも復活させリンクを貼り、読者をその記事に導く。
  3. Google+のグループを組織し、同じ関心を持つ人々を集める。
  4. 記者にTwitterでのリアクションを伝えるライブブログを書かせる。
  5. いかにポストされた記事が書かれたかの裏舞台を伝える記事を書く。

その他に、Twitterのフォロワーの多い記者から読者に記事の存在を伝える、ビデオを作りそのクリップをTwitterやInstagramに載せる、などの案も挙げられている。

また、記者はTwitterでフォロワーを多く獲得することを奨励され、Twitter上で新たな記事を書くことを伝え、フォロワーを導くことも重要だとしている。

テクノロジー・チームは記事のプロモーターではない

現在、ニュース編集部の記者たちは、テクノロジー・チームのことを自分の記事をプロモートする部門だと思っている。だが、テクノロジー・チームはデータを集めてくれる部門であり、ニュース編集部はテクノロジー・チームからのアドバイスを聞き、各記事に対するソーシャルメディア戦略を用いた「ストーリー・パッケージ」を作る必要がある、というのがこのレポートのひとつの結論だ。

また、今後の新聞も含めた「出版」にはテクノロジー要素は不可欠であり、いかに新たなテクノロジーを取り入れ読者を獲得していくかを考えなければならない、そのためにニューヨーク・タイムズは優秀なテクノロジー人材を雇うことも重要だとしている。

話としては簡単だが、このレポートで紹介されているニューヨーク・タイムズの企業文化を考えれば、そう単純な話ではないことが分かる。たとえばこんなエピソードが紹介されているからだ。

タイムズ社内ではテクノロジー部門のスタッフとニュース編集部のスタッフはコミュニケーションを取るべきではないという風潮がある。ニュース編集部の記者たちはビジネス側にいるスタッフと近い関係にあることを嫌う。決定的な例としては、テクノロジー側のあるスタッフが、編集部門のスタッフたちのおこなう「brown bag meeting(各自持ってきたランチを食べながらのミーティング)」へのテクノロジー側からの出席を提案したが、編集側から拒否された。理由は「政教分離」と同じ考え方からだった。このスタッフはニューヨーク・タイムズを辞めている。このような企業文化を変えなければ、優れたテクノロジー人材を雇うことも難しい。(p68より要約)

いかに変化していくべきか

このレポートで、あるデスクは「世界でトップレベルのニュースを書き伝えていくことは、自分たちの『怠惰の形(form of laziness)』だ」と言っている。これまで自分たちがやってきたその仕事には、ある種の居心地のよさがあり、それをしている間は、本当に大変な仕事である「我々はいかに変わっていくべきか」という問いから逃れることができると言っている。

ワシントン・ポスト紙を長年所有していたグラハム家が新聞社をアマゾンのジェフ・ベゾスに売り、エズラ・クライン、グレン・グリーンウッド、カラ・スウィッシャー、ウォルト・モスバーグなどの看板記者、さらに遂にはテレビ界の人気キャスター、ケイティ・コーリックなどがITメディアに引き抜かれ、あるいはITメディアを新たに立ち上げている現在、「我々はいかに変わっていくべきか」はニューヨーク・タイムズにとって死活問題だ。このレポートはこの問題を正面から捉え、技術、手法、文化、意識をどのように変えていくべきかを具体的に示したものだ。

さて、冒頭で話題にしたジル・エイブラムソンだが、彼女の解雇はニュース編集部が真に変わっていくために必要だったのだろうか、それとも彼女がさらなる報酬を求めたせいだろうか。本当のところは、いつか分かるのかもしれない。

彼女の跡を継いだディーン・バケットは、とくにデジタルに強い人材でもない。ニューヨーク・タイムズは彼のリーダーシップのもとで変わっていくのだろうか。今回のサマリーは、まだ調査をしただけに過ぎない。いくら調査をしても、その結果を実務に反映させなければ、なにも変わらない。前任者の時代に生まれたレポートがそのまま棚晒しにされるという話も、この世界では決して珍しいものではない。その意味ではまだ道のりは遠い。

ニューヨーク・タイムズにとって有利なのは、今回のこの調査チームを率いたのがサルツバーガー家の一員であるアーサー・G・サルツバーガーであったことだ。彼は将来(たとえ社主とならなくとも)、経営陣の重要なポストを得るはずだ。このレポートをきっかけにニューヨーク・タイムズはどう変わっていくだろうか。僕はその変わり方をじっくり見ていくつもりだ。

■関連記事
ワシントン・ポストをベゾスが買ったワケ
ハフィントン・ポストにみる「編集」の未来
アメリカン・マガジン好きに贈る本

NextPublishingが出版社の未来を変える

2014年6月23日
posted by 鷹野 凌

日本電子出版協会(JEPA)は6月11日、株式会社インプレスR&Dが手がけるデジタル・ファースト出版方式「NextPublishing」の現状についてのセミナーを行いました。講師は代表取締役社長 NextPublishingセンター センター長 井芹昌信氏と、NextPublishingセンター 副センター長 福浦一広氏です。既存の取次・書店流通を使わない新しい出版ビジネスが、いまどの程度まで可能性を広げつつあるのか? という意味で、興味深い内容でした。プレゼン資料はJEPAのセミナー報告ページにあるので、詳細が知りたい方はそちらをご参照下さい。

株式会社インプレスR&D 代表取締役社長 NextPublishingセンター センター長 井芹昌信氏

「伝統的出版(Traditional Publishing)」
とは何が違うのか?

井芹氏によると、一般的な出版のプロセスは、企画、執筆、編集、制作、製造、流通に分解できます。そして、電子出版のイノベーションは、主に製造と流通に起きています。つまり、印刷・製本プロセスがなくなっている点と、流通(そして営業)がWebを舞台としている点です。これは従来の伝統的出版(Traditional Publishing)とは構造から大きく異なる、変革と言ってもいい事象でしょう。

ところが編集は、デスクワークはある程度電子化されていても、本質的な実務や考え方は変わっていない、変わっているのはもっと下流側だと井芹氏は言います。要するに、あまり大きな変化をしていない上流側にも、イノベーションを起こしたいということなのでしょう。NextPublishingは、制作システムと流通システムの両方を含む「メソッド(方法)」であり、「ブランド」や「シリーズ」の名称ではない、という説明をしていました。

NextPublishingで可能なこととして、例えば出版企画書の電子化と、承認プロセスのオンライン化、企画承認後に、企画趣旨などから書誌情報をそのまま抽出・自動処理する仕組みなどが挙げられていました。また、原稿指定も電子的にできます。「電子書籍」と「印刷書籍」のデータを、同一編集プロセスで一度に作成できます。ページ数に応じた表紙を自動的に生成する機能もあります。電子書店やプリント・オン・デマンド(POD)対応ストアへの流通、広報・告知(プレスリリースなど)、売上レポート作成や印税計算・支払いまでできます。

また、PODだけに対応しているわけではなく、技術的にはオフセット印刷も可能(使えるPDFが生成される)なのですが、インプレスR&Dとしては「在庫ゼロ」でやりたいので敢えてPODだけでやっているそうです。また、制作フローが全く異なるため、「既存のInDesignデータをNextPublishingで」というのは考えないほうがいいそうです。

電子出版時代にふさわしいワークフローへ

NextPublishingセンター 副センター長 福浦一広氏

「電子書籍は校正作業が難しい」という問題がよく指摘されますが、NextPublishingではEPUBと印刷用PDFが同時に生成されるので、校正はPDFで行いそれを元データに反映することで、EPUBを校正しなくて済むというのは興味深い点でした。

現時点だと多くの出版社が、印刷用データを完成させてからEPUBの制作をする業務フローになっているため、電子版の配信が紙の本より遅くなってしまっているわけですが、こういう仕組みなら紙と電子の同時発売や、電子版の先行販売も可能なわけです。

私は、一般的な出版社の業務フローにあまり詳しくないのですが、恐らく「電話と机さえあれば始められる」と言われていた頃からフローがあまり変わっていない出版社もあれば、環境の変化に合わせて大きく変化している出版社もあり、そこには大きな差が生じていることでしょう。

このNextPublishingは、前者の「業務フローがあまり変わっていない出版社」に向けて、比較的安価に構造変化ができる仕組みを提供しているということになります。昨年末に同じくJEPAで「電子書籍実務者は見た!」というセミナーがありました(レポートはこちら)が、そのときに挙げられていたさまざまな問題点を解決する、一つの手段になり得るだろうと感じました。

セミナーの最後であらためて、NextPublishingは「編集者のための電子出版ビジネス支援環境です」という説明をし、共同出版事業への参加企業を募集していました。開始から2年間で105タイトル発行していますが、インプレスR&D以外の他社ブランドによる出版物も12タイトルあるそうです。

400部売れれば粗利がでるモデル

電子書店での販売と、POD(つまり受注生産)だけの展開なので、在庫・返品ゼロ、品切れなし、という点が大きな価値となります。低コストで出版できるため、製造原価をリクープできる部数のハードルが低くなり、企画面での品質低下を招くことなくタイトル数を増やすことが可能になります。

逆に「諦めた(捨てた)」点として、複雑なデザインを必要とする企画、個別の装丁デザイン(テンプレートを用いる)、大量生産・書店委託配本、再販制度などを挙げていました。時代の変化に適応するには、何かを諦める必要があるということでしょう。逆に、新しい方法では難しいことをムリにやろうとする必要もなく、適材適所で使い分けをすればいいのだと思います。

さて問題は、これでビジネスとして成り立つのか? という点でしょう。インプレスR&Dブランドで発行している本は、正味売上60万円、販売部数400で粗利が出るように設計しているそうです。なお、電子版の販売価格は、オンデマンド印刷版の6割程度に設定しているそうです。

そのやり方で2年間続けてきて、累積販売部数が2014年4月末時点で3万8908部、平均販売部数は371部だそうです。つまり「販売部数400で粗利が出るように」という設計値まで、あと一息というところまできています。ちなみに、これまでで最も売れたタイトルは、7107部で売上1214万円。当初はオンデマンド印刷版が多かったのが、最近は電子版も増えてきて、53:47と拮抗してきているそうです。

MMD研究所の「2014年3月電子書籍に関する利用実態調査」によると、日本における現時点での有料「電子書籍」利用率(利用経験者の割合)はまだ14.5%です。それで「あと一息」まできているわけですから、利用率がもう少し高くなれば確実に利益が見込めるようになってくるでしょう。

昨今、出版業界は「苦境へ陥り、破局への道を歩んでいる」といった、ネガティブな言葉で語られがちです。しかしそれは、ビジネス環境が大きく変化しているのに、今までのやり方に固執して自らを変えることを拒んでいるからではないでしょうか。

隕石落下後の劇的な自然環境変化に適応できなかった恐竜は絶滅しましたが、適応できた哺乳類は恐竜のいなくなった後の地球を自由に闊歩しています。新しいやり方で、新しいビジネス環境に適応できた出版社は、新しい時代にも生き残っていけるはずです。

■関連記事
NDL所蔵古書をプリントオンデマンドで
印刷屋が三省堂書店オンデマンドを試してみた
スウェーデン作家協会のオンデマンド出版サービス

ライター・イン・レジデンスin浦河体験記

2014年6月16日
posted by 檀原照和

「本を書くために知らない土地へ逗留する作家の話」に出会ったのは、山川健一さんの『星とレゲエの島』(1985年)という小説が最初だった。ずいぶん昔読んだ本なので内容はあやふやだ。記憶に間違いがなければ、主人公は東京から逃げ出してジャマイカで、ニューヨークだったか東京だったかが舞台の小説を書きすすめていた筈である。読んだときにはこの点に関して深く考えなかったのだが、今にして思うと不思議な話である。わざわざ熱帯の孤島に出かけていって、大都会が舞台の小説を書く。効率がいいようには思えない。

昨年の7月、「マガジン航」に「新人作家の創作の場になったケルアックの家」という記事を寄稿した。1950年代に一世を風靡した小説家ジャック・ケルアックの家が、「ライター・イン・レジデンス(執筆逗留)」というプログラムの施設として利用されている、というレポートだ。

日本には「作家をどこかに住まわせて面倒を見る代わりに、思う存分作品を書いてもらおう」という太っ腹な制度はない。しかし知っている人は知っているしくみである。

ちょうど白水社のウェブサイトで詩人で翻訳家でもある関口涼子さんが、ローマの「ヴィラ・メディチ」での1年間のレジデンス体験を連載している(関口涼子「メディチ家の屋敷に住んで」)。白水社の編集部がどのような意図でこの企画を進めているのか知りたいと思いメールで問い合わせたところ、以下のような回答が帰ってきた。

>関口さんの連載はいわゆる「アーチスト(あるいはライター)・イン・レジデンス」に関するものですが、どんな読者層を想定されているのでしょうか?

読者層としては、関口涼子さんのファン、ヨーロッパ(特にフランス)の歴史や文化に関心のある方、文学や詩・芸術(作家・詩人や芸術家本人)に関心のある方が挙げられます。

長い目で見れば、関口さんのようにフランスで創作活動を行なう次世代の日本人アーティストたちの励みや参考になる、資料としての価値があるエッセイ連載と考えておりますが、現状でのメインの読者としてそのような方々を想定しているわけではありません。

つまり主として読者の教養に訴えかけるコンテンツとして企画されたらしい。どうやら白水社はこの連載でもって「日本で作家を支援する制度を導入する契機にしよう」と考えているわけではなさそうだった。

しかし既存の制度を組み合わせることで、レジデンスに似た環境の実現は可能なのではないだろうか。

前述の記事が媒介となって、北海道在住で「マガジン航」に寄稿経験のある武藤拓也さんから「浦河町で体験移住のモニターを募集している」という話を聞いた。「テレワークモニター事業」と名付けられたこの企画はまったくの新規事業で、「インターネット環境さえあれば特に場所にとらわれずに業務が可能な方に、浦河町に一定期間住んで頂きながら、二地域居住や移住定住の可能性をさぐっていく」というものだった。

滞在中の家賃は無料(ただし光熱費は自己負担)で往復交通費も負担してもらえるという。問い合せてみたところ、ライターでも問題ないとのこと。さらに事前審査はあるものの、仕事の内容に関して口出しされることもないようだったので、レジデンスと同じことが可能なのではないか、と思った。

この移住体験プログラムを執筆逗留に読み替えて、実際に体験してみよう。
そう思った私は、自らのアイデアを実践してみることにした。

資金調達

資金調達の手段として、今回はクラウドファンディングを活用した。
ライター・イン・レジデンスは、

1)資金援助してくれるプログラム(参加費無料かつ滞在費や制作費の資金提供有り)
2)参加費無料のプログラム(滞在費や制作費は自己負担。家賃のみ無料)
3)参加費を払って参加するプログラム(有料)

の三つに大別される。
今回のケースは2)に該当する。

執筆逗留とよく似た制度で「アーチスト・イン・レジデンス」という現代美術家向けの支援プログラムがある。2)や3)のケースの場合、アーチストたちはお金のことはひとまず脇に置き、とにかくレジデンス・プログラムに応募してしまうそうである。そして選考をパスしてから、あらためて教育・文化芸術を担う公益法人やアートに助成金を提供している財団法人に資金援助を頼むのだという。

残念ながら文筆業に助成してくれる法人は寡聞にして知らない。しかし貧乏ライターには自腹を切る余裕はない。そこで近頃話題のクラウドファンディングへの挑戦に踏み切ることにした。

対策を立てようと先行事例を眺めたところ、自宅の最寄り駅からわずか4駅先に、100万円を集めて作品集をつくった写真家がいることに気がついた。この方、仮にNさんと呼ぶことにするが、Nさんとは面識がない。しかし4駅といえば地元と言って差し支えない範囲である。ネット検索して連絡先をしらべ、クラウドファンディングで成功するコツを教えて貰うことにした。

Nさんは私より12歳年下の男性だが、すでに北京やニューヨークでの写真展開催の経験もあり、作品を海外展開したり現金収入に結びつけることに長けているようにみえた。

Nさんから教えて貰ったことを簡潔にまとめると、以下のようになる。

・先行者が有利
「クラウドファンディングで写真集を出す」というのは日本では自分が初めて。最初のケースには注目が集まりやすく、資金も集めやすい。逆に二番煎じはひじょうに不利。

・お金を出したがっている人は実は大勢いる
日本のクラウドファンディングは「不特定多数の群衆が少額を支援してくれる」のではなく、「顔の見える数人のパトロンが大口の資金支援をしてくれる」ことで成功する傾向がある。大口のパトロンになりたがっている人は実は多い。一方、資金援助の必要なアーチストやクリエイターが世の中には大勢いるが、パトロンとのマッチングが上手くいっていない。パトロンは自らの眼鏡に適えば、何人もの作家にお金を提供してくれるし、とくに見返りは求めないケースが多いが、その事実が世間には知られていない。

・基礎票となるファンを持っていないと厳しい部分がある
新開発プロダクツの商品化を図る場合は違うのかもしれないが、少なくともクリエイティブ系の場合は「薄く広く」ではなく、「狭く深く」というのが支援の現状である。コアなファンがいると成功に近づきやすい。

印象深い部分しか憶えていないが、クラウドファンディングは無から有を生む魔法のツールではなく、既存の人間関係が成功の鍵となる。けっこう人間くさいサービスのようだった。

「もしお望みなら、僕のパトロンを何人か紹介しますよ。お金を出したがってる人って本当にいるし、僕が紹介すれば、たぶん資金援助してくれると思いますよ」

飛び上がるほど嬉しかった。しかし実際にファンディングを開始したところ、この紹介話はうやむやにされてしまった。がっかりである。

クラウドファンディングの準備に関して

じつはクラウドファンディングに挑戦するのは二度目である。
一度目はケルアックハウスの取材費を調達するためのトライだった。このとき利用したサービスはREADYFOR?。ここを選んだのは、二つの理由からだった。

1)プロジェクトページ作成に関してサポートしてくれる
2)動画を使ってアピールするプロジェクトが少ない

2)は自分にかっこいい動画を作るスキルがないから、という情けない理由から来ている。クラウドファンディングのプロモーションは動画でアピールするのが主流となっている。静止画オンリーだとインパクトが弱い。しかし私には動画作成は荷が重かった。その点、なぜか動画をつかったプロジェクトが少ないREADYFOR?は自分向きだと思ったのだ。

それに他社で公開されているプロジェクトは玉石混交だったが、READYFOR?は社会性が高い企画が多いように思えた。それはきちんとした審査をへて申請された企画を絞っているからではないだろうか。もしそうであるならば、審査に通過した場合、かなり良質なサポートが期待できるに違いない、と考えたのだ。

READYFOR?の事前審査結果が通知されるのは「6営業日以内」ということだった。だが実際に届いたのは半月以上経ってから。しかも「残念ながら」という返事だった。公共性のある取材だと考えていたので、審査に落ちたのはショックだった。

後日某イベントでREADYFOR?のスタッフと直接話をする機会があったため、手続き上の細かい部分について質問したのだが、「プロジェクトページ作成に関するサポート」というのは、具体的に言うと「画像のリサイズの仕方が分からない人に方法を教える」などといったレベルにすぎないということだった。成功率を上げるために親身になってアドバイスしてくれるわけではないようで、正直がっかりした。

そういうわけで二度目となる今回は、クラウドファンディングのなかでもアクセス数が多いCAMPFIREを利用することにした。目標額は現実的な18万円に設定。滞在期間は2ヶ月だ。人間一人の生活費ってこんなもんだろう。

新規プロジェクト作成のフォームを埋めて申請したところ、CAMPFIREのスタッフはかなり細々とアドバイスをしてくれた。そのなかでグサッときたものが三つあった。

まず一つ目は「タイトルを『北海道に▲ヶ月〜して○○をつくる』など、『つくる』ことが目的だと明確に伝わるようなタイトルにしていただくのはいかがでしょうか」という提案だった。

レジデンス中に手がけたい作品は韓国が重要な舞台になっている。韓国取材を敢行しない限り、完成しない。にもかかわらず、完成しない作品をつくるために北海道まで行くような文言は避けたいと思っていた。しかし、それではキャッチコピーとして弱いというのである。

二つ目は「生活費に近い費用を支援することに抵抗のある方がいらっしゃる可能性があります」と言われたことだった。

今回の支援はまさに生活費目当てだったので、がつんと殴られたような気持になった。海外ではすでにクラウドファンディングでレジデンスの費用を集めるということが行われていたので、自分がやろうとしていることが間違っているとは思えなかった。しかし日本人の勤勉な倫理感からすると「金をくれ、とか言っている隙があったら働け」という話になるのかもしれない。

今回の主目的は「執筆逗留を実際に体験すること」だ。遊びに行くわけではないので滞在中に執筆はするが、支援してもらいたいのは「執筆の経費」ではなく、「滞在執筆期間中の費用」だ。

三つ目は「リターン(パトロンへのお礼)を、アイテム毎に写真やイメージ画像を用いながら紹介していただくのはいかがでしょうか」と言われたことだった。

なんだか、あらかじめ試作品を作らなければならないように聞こえる。そこまでしなければならないのだろうか。

根本的な部分でレジデンスとクラウドファンディングはミスマッチであると感じてしまった。クラウドファンディングは支援制度ではなく、先行予約とか青田買い的な、誤解を恐れずに言えば投資目当てのサービスのような気がしてきてしまった。あくまで短期間の成果に対して支援を呼びかける場であって、たぶん長期的な文化支援とはそりが合わないのだろう。

アドバイスされた事柄はほかにもいくつかあったのだが、上記三つはプロジェクトの根幹に関わるように思えた。どうするべきか悩んだのだが、相手の言うことが必ずしも正しいとは限らない。結局、三つのアドバイスに関しては最小限の修正だけで済ませてしまった。

支援を呼びかける期間だが、長ければいいというものではない。長いと中だるみして逆に支援が集まらなくなってしまう。期間中は緊張感を持続させる必要がある。だから勝算があるのなら最短2週間、通常は1ヶ月くらいが適正だとされている。私の場合、年末年始とプロジェクトページの修正の時期が重なってしまったため、募集期間が23日間と1ヶ月より短くなってしまった。そのせいもあって、最初からかなりのテンションで資金獲得に動くこととなった。

クラウドファンディングはじまる

CAMPFIREにプロジェクトを申請したのが12月16日。プロジェクトが公開され、パトロンの受付が始まったのが1月8日の18時すぎである。出だしは順調で、わずか数日で9万5000円が集まった。しかしここからが苦しかった。数字がほとんど動かないまま、10日もの日々が過ぎていったのだ(下のグラフ参照。クリックで拡大)。

支援金は集まりきってしまったのだろうか。

ガラスの天井が行く手を阻んでいたそのとき、パトロンの一人がUstreamに出演させてくれた。これが突破口となった。まず放送直後に新たなパトロンが1名出現。それから翌日と翌々日、あわせてなんと7名ものパトロンが現れ、一挙に目標額を達成してしまったのだ。期限まで1週間余裕を残しての到達であった。

鍵となったのは、放送日の翌日、面識のある地元の会社経営者の所へお邪魔し、今回の計画をプレゼンして直接支援をお願いしたことだったと思う。何年も前から私の活動に理解を示していた方だけあって支援を即決してくださり、その場でぽんと5万円をポチっていただいたのである。

目標額は18万円。17万円まで集まれば、「あと一息だから決めてあげたい」と、誰かが何とかしてくれるであろうことは、過去の先例を研究していたから予測できた。だからなんとしてでも自力で17万円集める必要があった。Nさんの言っていたとおり、現状のクラウドファンディングは不特定多数の支援よりも特定の顔の見える支援者の貢献が大きい。であれば、オフラインで走り回って知人から支援を取り付けるのが正解ということになるのではないだろうか。

おそらくクラウドファンディングに対する世間のイメージは、オバマ大統領の選挙キャンペーンのように、5ドル、10ドルという少額の支援金が無数の群衆から集まる、というものではないだろうか。しかし実際はそうではない。支援金は見ず知らずの人からの分よりも、多少なりとも自分と関係している人から集まる割合のほうが多い。恵みは天から降ってくるわけではないのだ。

そしてこれまたNさんも言っていたことだが、オフラインで集まるお金も少なくない。Nさんの場合、ネット上の公式支援額を見る限りでは88万円しか集まっていないのだが、募集終了後もオフラインで支援金が集まり続け、トータルで100万円を越えたのだという。

私の場合も、結局支援の総額は22万1500円だったが、ほかにオフラインで2万円援助してくれた知人と「ある時払いの利子なしで貸してやる」と10万円貸してくれた友人がいた。この「オフラインの支援金」のことはクラウドファンディングに関する論評であまり語られていないようだが、他の成功者の場合も表沙汰にならないお金が集まっているのではないかと思う。

さてセオリーから外れた行動をもう一つ取った。それはクラウドファンディングにチャレンジしている時期が被っていた友人と5000円ずつ支援し合う、という手だった。お互いに同額を支援し合っているので実質的には±0なのだが、名目上の支援者は増えるし、見た目の支援総額もプラスになる。そうすることで支援が集まりやすくなると思うのだ。

クラウドファンディング互助組織のようなものをつくって常日頃からお互いに支援しあっていくと、クラウドファンディングの成功率は飛躍的に高まるはずだ。そして組織を固定メンバーにして一人ずつ順番に支援していくと、どんどん頼母子講に近づいていく。この頼母子を単なる金策の手段にせず、仕事部屋を借りたり、勉強会を開催するグループにしたら面白いのではないだろうか。

版元からの経済支援があてにならず、アートの世界のように助成金の対象にならない文筆家の場合、オンライン頼母子講をつくって取材費などを融通し合い、さらには仕事の基盤にするのが生き残りの一つの手段になると思うのだが、どうだろうか。

浦河の印象

浦河は海辺の小さな町である。港を見下ろすようにして小高い丘が連なる地形は、私の自宅がある横浜とそっくりだった。

その横浜から羽田を飛び立ったのは2014年2月1日の12時50分。空の旅を1時間半楽しんでから田舎道をバスにゆられること3時間半。本州のような山道ではない。どこまでも平坦な道のりを3時間半の移動である。逗留先となる体験住宅に案内されたのは19時半。周囲は真っ暗だった。

お世話になった「海と牧場の郷生活体験住宅」の外観。

体験住宅の内観。窓の向こうにうっすら馬影が。

この建物は2010年にできたばかりのオール電化住宅で、文字どおりハイテクの最新型だったが、なんとなく写真で見知った屯田兵の家を連想させた。

屯田兵の「兵屋」は戸建てで村ごとに定まった規格で作られたそうだが、当時の一般庶民の住宅よりは良かったという。体験住宅も地元住民から「贅沢すぎる」とやっかまれるくらい立派で大きな建物だった。浦河町内に10軒ある体験住宅はそのほとんどが屯田兵の家と同じ平屋の一戸建だった。ここは「過疎」という見えない敵と対峙するための「兵屋」なのかもしれない。

そういえば去年視察したケルアックハウスも、元はといえば第二次大戦の帰還兵のために建てられた住宅だった。浦河にいる間、ついつい私はオーランドとこの町を引き比べていた。視察と体験という違いこそあれ、どちらの土地にもライター・イン・レジデンスが契機となって足を運んでいる。南国フロリダと北の大地・北海道は気候こそ似ても似つかない。だが北海道にはアメリカのような開拓の歴史があり、広々した大地があり、スケール感が大陸的だ。そしてケルアックハウスも浦河の移住体験住宅もどちらも平屋の一戸建てで、単身者が住むには広すぎた。この二つの土地は、なんとなく似ているように思われた。

区画がゆったりとしている、車社会である、高い建物がほとんどない、などという部分もオーランドとそっくりだった。オーランドは人口25万人程度だが、もともと小さな町や集落が寄り集まった町だけあって空き地や緑が多く、村落のように平屋が建ち並んだ場所がたくさんあった。おまけに亜熱帯の空を映した数百もの池や湖が至るところで口を開けていた。そのせいで都会とは思えないほどのんびりしている。浦河のペースは、オーランドを連想させた。

雪解け後の牧場の様子。こんな風景がどこまでも続く。

海沿いの町だけに、癒やしスポットにも事欠かない。

オーランドと浦河の最大の違いは野生動物だろう。いくら緑が多くのんびりしているとは言え、オーランドは都会の端くれ。野生動物と遭遇することはない。一方、浦河は野生動物の宝庫だった。体験住宅の敷地をキタキツネがよぎっていったり、裏山からシカの群れが下りてきて、寝室のすぐ外でのんきに草を食んでいたこともあった。天然記念物のオオワシの出現スポットもあったし、凍てついた川では白鳥が散歩していた。

なによりすばらしかったのは至るところ牧場だらけだったことだ。浦河を含む日高地方は国内の競走馬の九割を生産する大馬産地だ。だから馬は身近な生き物だった。ちょうど体験住宅は町と郊外の境界線の辺りに位置していたのだが、正面は牧場で馬を二頭飼っていた。窓の外に視線をやると馬がいる、という贅沢な環境だったのだ。町営の乗馬場もあって、一回2700円という格安料金で馬に乗ることも可能だった。

浦河には町役場とは別に北海道庁の日高振興局もある。役人は定期的に人事異動で入れ替わる。だからよそから来る人はめずらしくない。乗馬に積極的なのはそういう外部の人間(とくに奥様方)らしい。田舎と都会の違いのひとつは人材の流動性があるかどうか、という部分にあると思う。そういう意味において浦河はあくまでも「小さな町」であって、田舎ではない。人材の固着を防いでいるのは役場だけではない。ここは漁港を備えた漁師町でもあるため、遠方からきた漁船が魚を水揚げする機会もありそうだった。もちろん馬の育成や調教のために移住してくる人たちも少なくない。

浦河の町の人たちは都会人のような感覚を持っていた。なにより驚いたのは人口1万3000人という小さな町にもかかわらず、ミニシアターがあったことだ。田舎=文化的刺激がない、というイメージがあるが、まったくそんなことはなかった。浦河には全国チェーンの店舗がほとんどない。例外的にセブンイレブンが3軒あるだけだ。映画を見ようにもTSUTAYAもGEOもないので、DVDのレンタルは不可能だ。そんな場所にミニシアターがあって、社会派ドキュメンタリー映画など渋めの作品をかけている様はとても不思議な光景に思えた。

これが人口10万人以上の町だったら、それなりの規模で商店街や娯楽施設があるのかもしれないが、都会へのアクセスも容易だから、逆に映画館は存続できなかったかもしれない。見慣れたチェーン店ばかりの退屈な街並みに、愛着をもつこともなかっただろう。人口1万人程度か、それ以下の町が、じつはいちばん面白いのかもしれない。地方の衰退が叫ばれる昨今、気を吐いているのは徳島県の神山町や隠岐諸島の海士町など、人口6000以下の過疎の町だ。小さな町ほどクリエイターやアーチストを惹きつけていると思う。

浦河もクリエイティブな人たちが流れ着いてくる場所だった。「ガロ」で一世を風靡したマンガ家の鈴木翁二さんやジャズベーシストの立花泰彦さん、カーネギーやJ・P・モルガンらの支援で有名なニューハンプシャーの芸術家村「マクダウェル・コロニー」でのレジデンス経験があるという映像作家の伊原尚郎さんなど、才能のある人たちが何人もいた。

1918年創業の映画館「大黒座」。「標的の村」など渋いセレクションが中心。

「ガロ三羽烏」のひとり、マンガ家の鈴木翁二さんも浦河在住。

定期的にまちづくりの勉強会が開かれていたのも印象に残った。ときには全国的に有名な札幌の「くすみ書房」の久住さんを招いて「浦河に本屋を作るためにはどうしたらいいか」(町から本屋がなくなって1年以上になる)という、勉強会というよりほとんど作戦会議のような会も開かれていた。勉強会のあと飲み会に流れることも多く、寂しいと感じたことはなかった。

新鮮だったのは役場主催の食事会が催されたことだ。「増えすぎて困っている」というシカ肉の新作料理試食会がそれで、都会にいたら役場の人とお近づきになる機会はまず訪れないだろう。こういうちょっとしたことが一々目新しく感じられた。

この投稿の続きを読む »