丸にCの字を書きたくて

2010年3月24日
posted by 片岡義男

落書きのためのスペースは教科書の欄外余白だった。本文ごとに、つまりどのページにも、左右そして上下に、ここに落書きをしなさいと、僕を誘ってやまない余白があった。上下の余白は横長のスペース、そして左右のスペースは縦長であり、幅は狭いけれども縦につながり横に広がり、四方をぐるっと取り囲んでもいる余白は、まさに落書きのためのものだった。表紙と裏表紙のそれぞれ内側は、腕の見せどころの入魂のタブローのための、特別なスペースだった。

そして落書きのための時間は、授業中がもっとも好ましかった。それ以外の時間にどこへ落書きしようとも、なぜかあまり面白くなかった、という体感が記憶の底にかすかにある。授業中の生徒がなにをしているのか、教壇の先生からはよく見えた。前の席の女性の背中に隠れて、教科書の余白に落書きに余念がないという至福の時間に、「おい、カタオカ、なにしてるんだ」と、先生の声が終止符を打っていた。

教科書一冊全ページの余白に連続漫画を、授業中の時間を使って描き上げたのは、一九五三年のことだった。手塚治虫の漫画を古書店でかたっぱしから手にいれ、夢中で読んでいたことのなかから、僕の余白漫画は生まれてきた。手塚の何年か前、『不思議な国のプッチャー』という、最初のアプローチがあるのだが。教科書まるごと一冊の余白に描いた漫画は、その余白をすべて切り取り、一冊のノートに順番に貼りつけた。いまの僕の日常語で言うなら、本にまとめた、ということだ。縦のつながりと横のつながりが交互する、いま思えば斬新な表現形態の傑作だった。タイトルは『おい、カタオカ』とした。

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読書体験のクラウド化

2010年3月19日
posted by 川添 歩

アマゾンが Kindle の発売によって実現したのは「持ち歩ける電子書籍」です。しかし実はそれよりもはるかに重要なのが、同時に行った「本のクラウド化」です。

Kindle の本が「クラウドである」理由は、購入した本をアマゾンが常にバックアップしているとともに、それにドッグイヤーをつけたり、線をひいたり、書き込みをしたりでき、その情報も保存されているという点にあります。つまり「購入した本」という本来固定化された情報を、自分で更新できるしくみがあり、その更新情報がネット上に保存されるという点です。アマゾンがバックアップしているのは「購入したときのまっさらな本」ではなく、書き込みをした(さらに書き込みができる)「自分の本」なのです。

「自分の本」のベースは、販売されている一冊の本です。だれが購入しようが、同じものと認識できる一冊の本です。その一冊の本というデータは、論理的には、世界の中でたったひとつあればいいのです。

アマゾンは、その本のデータ(の複製)を売るのではなく、それを「参照する権利」と、データに「自分専用のデータを付加する権利」を同時に売っているのです。「本を所有すること」ではなく「読書をすること」そのものを売っているのです。したがって、より正確には、本がクラウド化されたというよりも、読書体験そのものがクラウド化されたと言うべきでしょう。これは、本の歴史、読書の歴史にとって、とても大きなできごとです。

このことから、次の未来が見えてきます。現時点では、「自分の本」たらしめている自分の書き込んだデータは、自分自身だけが参照するものです。自分の読書は、自分だけに閉じられた体験です。その「自分だけのデータ」を公開できる機能が、いずれ登場するでしょう。それは、メタファーではない、文字通りの「ソーシャルブックマーク」です。読書体験の共有化です。

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東京古書組合90周年記念シンポジウムを企画して

2010年3月18日
posted by 岡本 真

滅亡か、復権か

「大規模デジタル化時代と本の可能性」と題したシンポジウムが、来る4月14日(水)の午後に開催される。催しのタイトルは、正式には東京都古書籍商業協同組合創立90周年記念 日本の古本屋シンポジウム「滅亡か、復権か-大規模デジタル化時代と本の可能性」というずいぶんと長いものだ。開催場所は古書の町である神田神保町。この催しについて、協賛し実際の企画にあたった立場から、なぜいま古書の業界が、「滅亡か、復権か」というタイトルを掲げたシンポジウムを開催するのか、その狙いを紹介しておきたい。

シンポジウムのウェブサイト

シンポジウムのウェブサイト

古書業界では年に1回、古書業界の全国組織である全国古書籍商組合連合会(全古書連)による大規模な「市」を行っている。組織名を略して全連大市会と呼ぶこの市が、今年は東京で開かれる。2010年は、本シンポジウムの主催者である東京都古書籍商業協同組合(東京古書組合)が設立されて90年目を迎える年だという。書店で組織する日本書店商業組合連合会(日書連)の前身組織が1945年に、出版社で組織する日本書籍出版協会が1957年に、それぞれ結成されていると聞くと、古書という業界が実に息の長い世界であることがよくわかる。

この創立90周年という記念すべき年に、東京古書組合が主催して日本全国の古書業者を集めて大市会を開く以上、市の開催に留まらずに何かを企画したいという意向が、東京で古書業を営む方々の問題意識としてあったという。昨年の9月頃だろうか、人文・社会科学の古書の取り扱いや復刻で知られる文生書院の社長であり、全古書連の理事長でもある小沼良成さんから連絡をいただき、神保町で中華料理をつつきながら、この企画がスタートした。

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電子書籍はなにを売るのか

2010年3月12日
posted by 藤巻法明

〈あかんあかん〉〈なんぼええもん描いたってそないに売れるもんじゃない〉〈ええもんは一般の読者が買おてくれるなんて、そら夢みたいな話や〉〈貸本は最初から売本とは別のルートでまかれるんや〉〈書店には並ばへんのや。うちで出してるのは、あくまで貸本屋向けなんやで〉とは〈資金繰りのために次から次へと点数を出さねば会社はたちまちお手あげ〉な日の丸文庫社長の言葉だ(『劇画バカたち!!』松本正彦、二〇〇九年、青林工藝舎)。

老女が番をしていた古本屋の情景を思い出す。元々は貸本屋で、以前に貸していた漫画単行本が主な商品だった。この店で石森章太郎の『テレビ小僧』を小学生の私は買った。黄緑と橙の二色が目立つ表紙の青林堂版だ。

話は変わる。レコード業界も映像ソフト業界も出版業界も創作物を複製したパッケージ(レコード、ビデオ、本)を売ることで成り立ってきた。今ではレコードがCDにビデオはDVDへとパッケージは成り変わったが、本だけは成り変わらない。本には再生装置というハードが必要ないからだ。本は記録媒体であると同時に再生装置も兼ね備えている。しかし。ここ数年。本と同じように記録と再生の機能を持ったハードが発売。携帯電話もその一例だ。音楽や映像といった創作物はデジタルデータとしてインターネットを介したダウンロードもしくはストリーミングという方式で販売され、パッケージに依存した従来の方法は脅かされている。

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激論『デジタル出版の未来』を開催

2010年3月7日
posted by ボイジャー

昨日3月6日の夜、三省堂書店神保町本店にて、出版の未来を語り合うシンポジウム、「激論『デジタル出版の未来』」が開催されました。

左から石井光太、堀江貴文、萩野正昭、村瀬拓男の各氏。

左から石井光太、堀江貴文、萩野正昭、村瀬拓男の各氏。

このイベントは、講談社のノンフィクションメディア『G2』vol.3の発売に合わせて行われたもので、パネラーに元ライブドアの堀江貴文氏、ボイジャー代表取締役の萩野正昭氏、電子出版や著作権の問題に詳しい弁護士の村瀬拓男氏を迎え、ノンフィクション作家の石井光太氏の司会により進行し、客席との質疑応答も含め、活発な議論が行われました。

このシンポジウムに連動した期間限定キャンペーンとして、3月7日(日)までボイジャーの理想書店にて、『G2』vol.3の「フリー」特集記事の一部を無料でダウンロードして読むことができます(※無料キャンペーンはすでに終了しました)。

▼「フリー」特集・萩野正昭インタビュー
アップストアの裏側、アマゾンの動向、そしてグーグルの野望を知り尽くした男が、電子出版の最前線と問題点を解き明かす。

▼「フリー」特集・堀江貴文インタビュー
iPhoneで、ブログで、ツイッターで……。ITを最もよく知る男が、おカネを儲けるヒントを提起する。

▼「フリー」特集・小林弘人インタビュー
タダにするだけでは、実はダメ――。『フリー』を最もよく知る「ITメディアの仕掛け人」自らが、無料化戦略の本質を分析する。

電子書籍版『G2』についての詳細はこちら