電子書籍はなにを売るのか

2010年3月12日
posted by 藤巻法明

〈あかんあかん〉〈なんぼええもん描いたってそないに売れるもんじゃない〉〈ええもんは一般の読者が買おてくれるなんて、そら夢みたいな話や〉〈貸本は最初から売本とは別のルートでまかれるんや〉〈書店には並ばへんのや。うちで出してるのは、あくまで貸本屋向けなんやで〉とは〈資金繰りのために次から次へと点数を出さねば会社はたちまちお手あげ〉な日の丸文庫社長の言葉だ(『劇画バカたち!!』松本正彦、二〇〇九年、青林工藝舎)。

老女が番をしていた古本屋の情景を思い出す。元々は貸本屋で、以前に貸していた漫画単行本が主な商品だった。この店で石森章太郎の『テレビ小僧』を小学生の私は買った。黄緑と橙の二色が目立つ表紙の青林堂版だ。

話は変わる。レコード業界も映像ソフト業界も出版業界も創作物を複製したパッケージ(レコード、ビデオ、本)を売ることで成り立ってきた。今ではレコードがCDにビデオはDVDへとパッケージは成り変わったが、本だけは成り変わらない。本には再生装置というハードが必要ないからだ。本は記録媒体であると同時に再生装置も兼ね備えている。しかし。ここ数年。本と同じように記録と再生の機能を持ったハードが発売。携帯電話もその一例だ。音楽や映像といった創作物はデジタルデータとしてインターネットを介したダウンロードもしくはストリーミングという方式で販売され、パッケージに依存した従来の方法は脅かされている。

さて出版業界。文字や図版がデジタル化された電子書籍というものがある。しかし。幾度となく話題になっては消えた。電子書籍は再生装置などとは無縁な「本」を再生装置がなければ読めないものとする。多くに受け入れられないのは当然だろう。ところが。最近では優れた再生装置がいくつか出現。人々の身体感覚にもそのような読書形態を受け入れる兆しがでてきた。出版業界も先の二つの業界と同じ道を歩むのだろうか。さらに。出版という行為やら著者の印税やら本の流通やらのこれまでに蓄積されてきた問題が電子書籍を巡って噴出。読者不在の感は何となく否めないものの活発に議論がなされているようだ。

電子書籍が主流になると紙の本はどうなるのか。図書館での電子書籍の取り扱いはどうなるのか。「紙本は最初から電子本とは別のルートでまかれるんや」「ダウンロードはできへんのや。うちで出してるのは、あくまで図書館向けなんやで」といった出版社も現れるかもしれない。しかし。一番困ることはデジタルデータには新品や中古といった概念が無く、パッケージも無いことだ。つまり。古本屋では電子書籍を取り扱うことができない。

話は戻って小学生時代のある日。札幌ラーメン「どさん子」が開店した。初めて食べた塩バターコーンラーメン。たちまち私は虜になる。しかし。親にねだるのも祖父を言いくるめてお金を貰って食べに行くのにも限界があった。そのとき。「どさん子」の三、四軒隣にあった冒頭の古本屋が漫画単行本を五十円で買ってくれるという情報を得る。そして。それまで友人と競いながら集めていた漫画単行本を七冊ずつ老女に売っては三百五十円の塩バターコーンラーメンを食べに行くようになった。

これからは何を売ればよいのだろう。

『彷書月刊』での藤巻氏の連載コラム、「昼寝のまくら」第38回「売買」[2010年3月号掲載]を改題し転載しました。)

執筆者紹介

藤巻法明
(印刷会社勤務)
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